アルフレッド・テニスン
(Lord Alfred Tennyson)
(1809~1892)

略歴

 ヴィクトリア朝を代表する詩人。牧師の子として生まれ、ケンブリッジに学ぶ。在学中から詩作を志すも、世に酷評されしばらくの間沈黙を守った。学友であったハラムと大陸旅行に赴くも、彼が急死し衝撃を受ける。それが彼の詩と思想に多大な影響を及ぼすことになった。次第に名声を高め、1850年にはワーズワースの後を継いで桂冠詩人となった。その後も精力的に優れた詩作品を発表し、国民詩人としての地位を確立、1884年には男爵位を授けられた。

作品

 テニスンの詩の特徴は、分かりやすい思想を分かりやすい言葉で表現したところである。そしてその美しい音楽的な韻律である。初期の『抒情詩集(Poems, Chiefly Lyrical,1830)、『詩集(Poems,1833)はあまり良い評価は得られなかった。その後10年間の沈黙を破って発表した『詩集(Poems,1842)によって世間の好評を得る。
 彼の詩が大成したきっかけは、親友ハラムの死であった。絶望と懐疑の日々を経て、彼の詩と思想は確立していった。その体験を約18年かけて書き綴ったのが『イン・メモリアム(In Memoriam A. H. H.,1850)である。ヴィクトリア朝期の英詩の最高峰と評される哀悼詩である。これはテニスンの絶望と懐疑、そしてそれによって純化される信仰の過程である。
 『モード(Maud,1855)は病的な、精神的に異常な男の劇的独白である。
 『国王牧歌(Idylls of the King,1859-85)は、テニスンのライフワークともいえる大作である。叙事詩の作法どおりに全12巻で構成され、アーサー王物語を素材にしている。
 『イノック・アーデン(Enoch Arden,1864)は彼の詩の中でも最もよく読まれている作品。妻を故郷に残し働くイノック。しかし妻は音信のない夫が死んだものと思い、幼馴染みと再婚し幸福に暮らしていた。そこへ生きて帰郷したイノックの悲哀を歌い上げた。
 『メアリ女王(Queen Mary,1875)はメアリ女王の生涯を描いた無韻詩の歴史劇。他に『ハロルド(Harold,1876)、『ベケット(Becket,1884)とで三部作をなす。



最終更新:2008年04月07日 18:23