ロバート・ブラウニング
(Robert Browning)
(1812~1889)

略歴

 テニスンと並び称されるヴィクトリア朝を代表する詩人。しかしテニスンが分かりやすく親しみやすい作風であったのに対し、ブラウニングは難解で玄人好みの作風であった。あまり満足な学校教育を受けることができなかった。彼は妻で女流詩人であったエリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning,1806-1861)が病弱であったことから、長らくイタリアで暮らすことになった。しかし1861年に病弱だった妻が亡くなると、悲嘆にくれた彼は息子を連れてロンドンへ帰った。その後、その業績が認められオックスフォードの名誉学位を受け、エディンバラ大学の名誉博士となり、またロンドン大学の終生総長に推薦されもした。晩年までその創作意欲は失われなかった。

作品

 『パラケルスス(Paracelsus,1835)は、伝説的な医師にして錬金術師、魔術師のパラケルススを題材とした作品。人間性の罪業を描いた劇詩である。しかしながらブラウニングにもこの時代の楽天主義的傾向の例外ではなく、最終的には人間には無限の進歩の可能性が神から与えられている、ということに疑いを持たなかった。
 ブラウニングは人間心理の微妙な明暗を見抜く洞察力が備わっており、しかもそれを文学的に表現することができた。彼がそれを表現するのに用いた手法が劇的独白である。要するに韻文による一人芝居で、ある人物を劇的な状況に置き、その人物に延々と語らせるのである。これによって複雑な人間心理の内奥を照らし出すのである。『鈴とザクロ(Bells and Pomegranates,1841-46)男と女(Men and Women,1855)、『登場人物(Dramatis Personae、1864)などの詩集ある。
 ブラウニングは妻のためにイタリアに住み、そしてイタリアを愛していた。そのためにイタリアを、特にルネンサンス期のイタリアを題材としたものが多い。叙事詩的な大作『指輪と本(The RIng and the Book,1868-9)である。叙事詩の定型の全12巻であるが、行数は2万1千行とミルトンの『失楽園』の2倍という長大さである。しかし内容は壮大な歴史的事跡などではなく、詩人が古本の中に発見した昔のローマの三面記事のようなもので、貧乏貴族の結婚、持参金のごたごた、殺人に裁判など。9人の登場人物のそれぞれの視点を平行させ、各々の心理を立体的に対比させている。
 『バロースチャンの冒険(Balaustion's Adventure,1871)はギリシア悲劇を基にした作品。ブラウニングは晩年になってギリシア悲劇の研究に励んだ。
 『アソランド(Asolando,1889)が最後に出版された詩集である。




最終更新:2008年04月07日 18:24