シャーロット・ブロンテ
(Charlotte Brontë)
(1816~1855)
略歴
ヨークシャー、ソーントン出身のブロンテ3姉妹の長姉(誤解されることもあるが、彼女自身は三女にあたる)。幼い頃にハワースに転居したが、その翌年には母が病死した。学校に入学するもそこの環境が著しく劣悪であったために、姉二人を肺炎で亡くした。その後牧師館に戻ると文学に熱中し、詩や戯曲を書くようになった。この当時のある程度の身分があり、それでいて独身である女性がなるものといえば、家庭教師であった。シャーロットも私塾で学んだ後に家庭教師になった。私塾の計画が頓挫してから、三姉妹は匿名で詩集を出版するも不評だった。しかしシャーロットは小説を書き始めた。それが世に知られるようになったのも束の間、弟ブランウェルがその翌年に没し、さらに
エミリーもあの世へと旅立ち、その翌年には
アンまでもが後を追うようにこの世を去った。シャーロットは誘いに応じてロンドンに出、尊敬していた
サッカレーらと交わった。1854年に副牧師のアーサー・ニコルズと結婚するも、妊娠中に結核にかかり翌年没した。短命だった三姉妹の中では最も長生きしたが、まだ38歳であった。
作品
『
ジェイン・エア』
(Jane Eyre,1847)は、彼女が寄宿学校にいた時の経験と、家庭教師として他家に住み込んだ時の経験を基に書かれた。そういった現実の経験を基にしながらも、その内容は牧師館という狭い、そして唯一の世界の中で紡ぎ出された、彼女の夢想の世界であった。ロマンチックな筋と、至上の愛のために対価を払わねばならないという道徳性は、この時代を象徴するものであった。
『
シャーリー』
(Shirley,1849)は富裕な家の才女であるシャーリー(モデルは姉の
エミリー)を女主人公とした長編。シャーリーは村の工場主であるロバートが工場を機械化する資金を得るために求婚したことを知り、それを拒絶しその弟のルイスと結婚する。ナポレオン戦争と産業革命、及びそれに反発するラッダイト運動を背景とした作品。
『
ヴィレット』
(Villette,1853)はヴィレットという架空の町(自身が遊学していたブリュッセルのこと)を舞台とした自伝的色彩の濃い作品。孤児である女主人公ルーシーは、ヴィレットの町で英語教師となり、失恋を経て結婚する。
『
教授』
(The Professor,1857)は『ジェイン・エア』以前に書かれた作品であるが、死後に出版された。『ヴィレット』同様に自伝的作品。主人公ウィリアムはブリュッセルで英語教師となり、元教え子と結婚し、学校経営に乗り出す。
最終更新:2009年11月07日 01:49