エミリー・ブロンテ
(Emily Jane Brontë)
(1818~1848)

略歴

 ブロンテ三姉妹の二番目(四女)。ヨークシャーの牧師館に生まれ、幼い頃にハワースに転居した。姉三人と同様に学校に入学するも、その劣悪な環境のせいで姉二人を肺炎で亡くした。その後はほとんどを牧師館で暮らした。姉妹で出した詩集は全く売れなかったが、姉の勧めで小説を執筆し始める。それが彼女唯一の作品である『嵐が丘』である。しかし出版社に送ったもののなかなか出版されず、また1年後に出版されたが酷評された。1848年に兄のブロンウェルが急死し、エミリーはその葬儀の際に体調を崩し、その後結核を発症した。治療を頑なに拒んだとされ、30歳の若さでこの世を去った。生涯独身であった。

作品

 『嵐が丘(Wuthering Heights,1847)は、発表時はかなり酷評されたが、死後評価が高まった。ヨークシャーの荒野の一軒の田舎屋敷を舞台に、複雑な人間関係が描かれている。その登場人物は社会的存在というより形而上学的存在であり、同時代のディケンズサッカレーとは大きく異なっており、ロマン派的である。




最終更新:2008年04月10日 18:04