ミスカトニック大学付属図書館資料室
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ミスカトニック大学付属図書館資料室
ja
2011-10-08T15:29:23+09:00
1318055363
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デイヴィッド・ガーネット
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/223.html
*デイヴィッド・ガーネット&br()&size(12){&italic(){(David Garnett)}}&br()&size(12){(1892年~1981年)}
**略歴
ブライトンに生まれる。父は作家のエドワード・ガーネット、母はロシア文学の翻訳者コンスタンス・ガーネット。初め王立協会で植物学を専攻したが、第一次大戦が勃発すると良心的兵役拒否をして、戦災者の救済に奔走した。戦後には友人と大英博物館の近くに書店を開いた。いわゆる&bold(){ブルームズベリー・グループ}の一人であった。最初の妻に先立たれた後に再婚しているが、その相手は同性愛関係にあったと噂されたダンカン・グラントの娘であった。彼女と離婚した後はフランスに移り住んだ。
**作品
いずれも奇妙な着想が特徴。
代表作は『&bold(){狐になった奥様}』&italic(){(Lady into Fox,1922)}。ある日突然、狐の姿になった妻が次第に野生に目覚めていくことに戸惑う夫の姿を描いた奇妙な物語。
他に『&bold(){動物園に入った男}』&italic(){(A Man in the Zoo,1924)}は恋人との喧嘩をきっかけに動物園入りを志願する男を描いた。『&bold(){水夫の帰郷}』&italic(){(The Sailor's Return,1925)}はアフリカの黒人女性と結婚し、故郷で居酒屋を始めた水夫が、周囲の偏見と戦いながらついには殺されてしまう悲劇。『&bold(){イナゴの大移動}』&italic(){(The Grasshoppers Come,1931)}は不時着した飛行機とともに砂漠にとり残された男が、イナゴの大群に襲われるという極限状態を描いた。『&bold(){ビーニー・アイ}』&italic(){(Beany-Eye,1935)}はビーニー・アイの異名を持った殺人狂の男と家族の物語。『&bold(){アスペクツ・オブ・ラブ}』&italic(){(Aspects of Love,1955)}は奔放な女優ローズを中心とした男女4人が織り成す恋物語。
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2011-10-08T15:29:23+09:00
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トマス・ゴドフリー
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/222.html
*トマス・ゴドフリー&br()&size(12){&italic(){(Thomas Godfrey)}}&br()&size(12){(1736年~1763年)}
**略歴
アメリカ人の手によるアメリカ演劇の最初の劇作家。しかし惜しくも早世した。作品としては『&bold(){パルティアの王子}』&italic(){(The Prince of Parthia,1767)}がある。
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2011-06-18T16:58:58+09:00
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アースキン・コールドウェル
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/221.html
*アースキン・コールドウェル&br()&size(12){&italic(){(Erskine Preston Caldwell)}}&br()&size(12){(1903年~1987年)}
**略歴
ジョージア州モアランドの郊外で生まれた。父は巡回牧師であったため、彼も少年の頃から各地を転々とした。都合3つの大学に入学したもののいずれも中退した。学生時代から創作に目覚めた。様々な職を渡り歩く過程で労働者へ深い共感を抱くようになり、それが作品に大きな影響を与えることとなった。また後年、彼は白人貧農や黒人労働者の問題について、現地で実地調査を行なったりセミナーを開いたりした。第二次大戦中、彼は特派員としてモスクワに滞在し、次第にマルクス主義に傾倒していった。
**作品
処女長編は『&bold(){私生児}』&italic(){(The Pastard,1929)}は売春婦を母にもつ男の物語。
『&bold(){アメリカの土地}』&italic(){(American Earth,1931)}はそれまでの経験や見聞きした出来事から素材を得て書いた短編集。ジョージア州の小作農や未熟練工などの実態が描かれている。
『&bold(){タバコ・ロード}』&italic(){(Tobacco Road,1932)}は代表作。ジョージア州東部の不毛な大地で、いわゆる白人貧農&italic(){(poor white)}であるレスター一家の、無知と貧困の悲惨な生活をユーモアを交えて描いた。後に舞台化されブロードウェイで7年半に渡る長期公演という記録を打ち立てた。
『&bold(){神の小さな土地}』&italic(){(God's Little Acre,1933)}もまた本能と信仰の狭間で生きる貧しい南部農民たちの現実を、ユーモアを交えながら描いた作品。
『&bold(){昇る朝日に跪け}』&italic(){(Kneel to the Rising Sun,1935)}は白人貧農や黒人リンチ事件を扱った短編集。
『&bold(){巡回牧師}』&italic(){(Jorneyman,1935)}は前二つの長編と同じく貧しい南部社会を背景にした作品だが、より風刺的色合いが強く、ニヒリズムに満ちている。
『&bold(){七月の騒動}』&ital
2011-06-18T16:38:22+09:00
1308382702
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マイケル・ゴールド
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/220.html
*マイケル・ゴールド&br()&size(12){&italic(){(Michael Gold)}}&br()&size(12){(1893年~1967年)}
**略歴
ニューヨークのスラム街に生まれた。本名はアイツォク・グラニッチ。父はユダヤ系移民。工員や夜警などをしていたがその過程でコミュニストとなった。その後、左翼系文芸誌『リベレイター』の編集に参加するようになった。『ニュー・マッセズ』が1926年に創刊されると編集幹部となり、中心人物として活躍した。
**作品
代表作である『&bold(){金のないユダヤ人}』&italic(){(Jews Without Money,1930)}は自伝的長編。スラム街に住むユダヤ系移民たちの生活と苦悩を赤裸々に、そして温かい筆致で描いた。
他にスケッチ集『&bold(){一億二千万}』&italic(){(120 Million,1929)}、評論集『&bold(){世界を変えろ!}』&italic(){(Change the World!,1936)}などがある。
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2011-06-18T16:26:34+09:00
1308381994
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グレゴリー・コーソ
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/219.html
*グレゴリー・コーソ&br()&size(12){&italic(){(Gregory Nunzio Corso)}}&br()&size(12){(1930年~2001年)}
**略歴
グリニッジ・ビレッジのスラム街のイタリア系移民の家に生まれた。少年院送りを何度も経験し、刑務所にも入った。その頃に文学に目覚め、[[ギンズバーグ>アレン・ギンズバーグ]]を知り、詩作を始めた。ビートニク詩人として「サンフランシスコ・ルネッサンンス」の立役者の一人となった。
**作品
詩集に『&bold(){ガソリン}』&italic(){(Gasoline,1958)}、『&bold(){死の幸福な誕生日}』&italic(){(The Happy Birthday of Death,1960)}、『&bold(){人間ばんざい}』&italic(){(Long Live Man,1962)}、『&bold(){土まみれの手}』&italic(){(Herald of the Autochthonic Spirit,1981)}などがある。
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2011-06-18T16:18:18+09:00
1308381498
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ケネス・コーク
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/218.html
*ケネス・コーク&br()&size(12){&italic(){(Kenneth Koch)}}&br()&size(12){(1925年~2002年)}
**略歴
オハイオ州シンシナティ出身の詩人。ニューヨーク派を代表する詩人一人。若い頃から詩作に目覚め、戦後ハーバード大学に入り、そこで[[アシュベリー>ジョン・アシュベリー]]と出会った。在学中にグラスコック賞受賞している。卒業後ニューヨークに出た。処女出版された詩集は一般受けしなかったが、1970年代に入ると批評家から高い評価を得た。彼は死ぬまで精力的に詩を発表し続けた。またコロンビア大学の教師としても人気が高かった。
**作品
作品としては『&bold(){愛の芸術}』&italic(){(The Art of Love,1975)}、『&bold(){一両の列車}』&italic(){(One Train,1994)}などがある。
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2011-06-18T16:14:51+09:00
1308381291
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ジャック・ゲルバー
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/217.html
*ジャック・ゲルバー&br()&size(12){&italic(){(Jack Gelber)}}&br()&size(12){(1932年~ )}
**略歴
シカゴ出身の劇作家、演出家。大学卒業後にニューヨークに出た。ジャズや麻薬を扱った斬新な作品でデビューし、一躍注目を集めた。しかし続く作品では第一作ほどのインパクトは残せず、1960年代にはむしろ演出家として活躍するようになった。
**作品
『&bold(){コネクション}』&italic(){(Connection,1959)}は処女作にして代表作。ジャズや麻薬を前面に出した斬新なもので、当時オフ・ブロードウェイの代表的劇団であったリビング・シアターの革新的な演出によって話題となった。無論、作品自体も新しい時代の到来を感じさせるものとなっている。
他には『&bold(){アップル}』&italic(){(The Apple,1961)}や『&bold(){眠り}』&italic(){(Sleep,1972)}などがある。
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2011-06-18T16:10:02+09:00
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ジャック・ケルアック
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/216.html
*ジャック・ケルアック&br()&size(12){&italic(){(Jack Kerouac)}}&br()&size(12){(1922年~1969年)}
**略歴
マサチューセッツ州ローウェル出身。フランス系カナダ移民の家庭に生まれ、そのコミニティで育ったために小学校に入るまで英語を使うことなく育った。高校ではフットボールに打ち込み、推薦でコロンビア大学に進むがまもなく負傷してしまい、その道を諦め大学も退学した。戦時中は商船に乗組員として大西洋や地中海の港町を巡った。戦後は鉄道員などをしながらアメリカ各地を[[バロウズ>ウィリアム・バロウズ]]や[[ギンズバーグ>アレン・ギンズバーグ]]らの仲間と放浪した。その経験を活かして書かれた『路上』の成功によって、彼と彼ら&bold(){ビートニク}(ビート・ジェネレーション)は若者たちを中心に熱狂的な支持を得た。しかし、その突然の成功への戸惑いと、彼らへの攻撃によって次第にアルコールに依存するようになって健康を害し、その上友人たちとの交流も途絶えて表舞台から姿を消していった。47歳の若さで没した。
**作品
『&bold(){町と都会}』&italic(){(The Town and the City,1950)}は、二つの大戦を通してある一家の8人の子供たちが離散していく姿を描いた。その文体や構成の独特のルーズさは以降の彼の作品に共通するものである。
『&bold(){路上}』&italic(){(On the Road,1957)}は一大ブームを巻き起こし、現在でもなお多くの信奉者を生み出している、ある種の若者たちのバイブル的作品である。仲間とアメリカ中を放浪した経験を書き綴ったもので、特異な主要人物ディーン・モリアーティは実在したカリスマ的人物ニール・キャサディをモデルとしたものである。作中で彼らは爆走する車のスピードや酒、麻薬、性に酔い、無軌道にアメリカを縦横無尽に駆け抜けていく。当然ながら保守的な人々からは厳しい非難が浴びせられた。
他には托鉢の精神によってビートニクの至福(&italic(){beatitude})を求める『&bold(){達磨行者}』&italic(){(Dharma Bums,1958)}(禅や俳句が出てくる)、ビート作家と黒人少女との恋を描いた『&bold()
2011-06-18T16:03:16+09:00
1308380596
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ジョージ・S・カウフマン
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/215.html
*ジョージ・S・カウフマン&br()&size(12){&italic(){(George S Kaufman )}}&br()&size(12){(1889年~1961年)}
**略歴
ペンシルベニア州ピッツバーグのドイツ系ユダヤ人の家に生まれた。大学を中退すると様々な職業を経験した後劇作家となった。一作を除いて全てが他作家との合作で、喜劇を得意とした。
**作品
唯一の単独作品は『&bold(){成上がり}』&italic(){(The Butter and Egg Man,1925)}である。代表作としてはモス・ハートとの合作である『&bold(){生涯に一度}』&italic(){(Once in a Lifetime,1930)}、『&bold(){それを持っては行かれない}』&italic(){(You Can't Take it With You,1936)}がある。
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2011-06-18T16:31:37+09:00
1308382297
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ジョージ・ワシントン・ケイブル
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/214.html
*ジョージ・ワシントン・ケイブル&br()&size(12){&italic(){(George Washington Cable)}}&br()&size(12){(1844年~1925年)}
**略歴
ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。南北戦争には南部同盟軍に参加し、戦後ジャーナリストとなった。エッセイや小説によってニューオーリンズとクレオールの社会の歴史を描いた。その中で南部諸州の影の部分を暴き、人種差別反対運動に賛同したため、南部の白人からは強い反感を買うこととなった。[[トウェイン>マーク・トウェイン]]と親しく、共に講演旅行に赴くこともあった。
**作品
『&bold(){沈黙する南部}』&italic(){(The Silent South,1885)}は公民権運動に関わるエッセイ。
小説としては『&bold(){在りし日のクレオール}』&italic(){(Old Creole Days,1879)}『&bold(){グランディシム一族}』&italic(){(The Grandissimes,1880)}など、ルイジアナが植民地だった時代の歴史とそこに生きた人々を描いたものがある。
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2011-05-30T16:05:29+09:00
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