ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「エドマンド・スペンサー」で検索した結果

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  • イーヴリン・ウォー
    イーヴリン・ウォー(Evelyn Waugh)(1903~1966) 略歴  ロンドン出身。父は出版社の社長で文芸評論家。ちなみに兄もまた作家である。オックスフォードに入学したが、2年で退学した。結婚した年に処女作を発表し注目を浴びた。その後離婚を経てカトリックに改宗した。作風はブラックユーモアに溢れた風刺的なものであるが、その一方でカトリック的な思想を盛り込まれている。しかしながらそれが単なる保守主義に過ぎないとか、名門崇拝(the Cult of the Big House)的であるとの批判も多い。 作品  『衰亡』(Decline and Fall,1928)は処女作。最初の出版社からは突き返され、仕方なく別の出版社に社長が不在の時に持ち込んだ。というのもその出版社こそ彼の父親の出版社であったからで、父親に見られたら即反対されるのが分かっていたからだ。主人公ポール・ペニフェザ...
  • ジェーン・オースティン
    ジェーン・オースティンJane Austen(1775~1817) 略歴  ハンプシャーの田舎牧師の家に生まれる。兄弟が六人、姉が一人おり、姉とは終生親密であった。当時の一般の女性よりも充実した教育を受け、この間に文学作品に接し、影響を受ける。1789年頃から小説のようなものを書き始めたが、これは発表するためではなく、あくまでも家人に読み聞かせるためのものであった。父の勧めで出版社に送ってみた作品も、出版にはいたらなかった。生涯独身を通し、42歳で没する。生前に出版された作品も全て匿名であり、本人もまた自分の英文学にもたらした功績に気づくことがなかった。 作品  彼女は生涯で長編6作を書いた。いずれも平凡な田舎の日常を描いたものである。実際に彼女は「田舎の村の3、4家族が、小説の題材には最適なのです」と述べている。彼女は自分が生きた小さな世界の、よく知る人々を丹念に描き続けた。自分...
  • 作品索引/ア行
    作品索引/ア行 『ああ、荒野』(Ah, Wilderness)米 『アーサー・マーヴィン』(Arthur Mervyn)米 『アーロンの杖』(Aaron s Rod)英 『アーロン・バアの英雄的生涯』(Burr)米 『アイヴァンホー』(Ivanhoe)英 『愛こそすべて』(All for Love)英 『愛されし者』(The Loved One)英 『愛について語るときに我々の語ること』(What We Talk About When We Talk About Love)米 『愛には愛を』(Love for Love)英 『愛の芸術』(The Art of Love)米 『愛の車輪』(The Wheel of Love)米 『愛のために 1950-1960』(For Love Poems 1950-1960)米 『アイリーン』(Irene)英 『アイルランド・スケッチブック』(The I...
  • ジョージ・バイロン
    ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron,6th Baron)(1788~1824) 略歴  ロマン派の第二世代を代表する詩人。幼くして第6代バイロン卿となる。ケンブリッジに入学するも放蕩に明け暮れた。ケンブリッジを去ると西欧諸国を旅した。この旅行の経験を基に『チャイルド・ハロルドの遍歴』を発表、評判となり一躍社交界の寵児となった。その後結婚するものの乱れた生活は改まらずに別居、彼は再び旅に出、スイスでシェリーと出会う。その後も退廃に満ちた生活を送るが、1824年にギリシア独立戦争に参加するも、熱病のために没する。その生涯も作品もロマン派的性格を分かりやすく体現していたため、世間からの非難は凄まじかった。その一方で崇拝者も多く、ゲーテやプーシキンも彼の熱烈な信奉者であったという。 作品  ロマン派の第二世代は第一世代(ワーズワース、コールリッジら)とは...
  • ジョン・キーツ
    ジョン・キーツ(John Keats)(1795~1821) 略歴  ロマン派の詩人。その中では最も若い方であり、また最も早くに死んだ。バイロン、シェリーらが貴族階級の出身であったのに対し、彼は貸馬車屋の息子であった。だが両親とは幼くして死別、大学に行くことなど夢のまた夢で、友人から文学書を借りて独学で学んだ。特にスペンサーを始めとするエリザベス朝詩人の作品に耽溺したという。21歳頃に文学を志してから、彼が詩人として活躍したのは、わずか5年足らずに過ぎない。母や弟も肺結核で亡くし、そしてまた自らもその病に冒された。残りわずかな生命の火を燃やし尽くすように、珠玉の名作を世に残し燃え尽きた。彼の遺言によりその墓石には「その名を水に書かれし者ここに眠る」(Here lies one whose name was writ in water.)と刻まれている。 作品  非常に短い生涯だった...
  • 年表(1950~2000)
    西暦 英文学 米文学 1950 アンジア・イージアスカ『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on White Horse My Story) ウィリアム・インジ(William Motter Inge,1913-1973)『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba) テネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの夏』(The Roman Summer of Mrs. Stone)『バラの刺青』(The Rose Tattoo) ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』(The Caine Multiny) ロバート・ペン・ウォレン『この世も時も』(World Enough and Time) クリフォード・オデッツ『カントリー・ガール』(The Country Girlfa) トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(The G...
  • 年表(1901~1949)
    西暦 英文学 米文学 1901 ラドヤード・キプリング『キム』(Kim) フランク・ノリス『蛸』(The Octppus) H・G・ウェルズ『神々の糧』(The Food of the Gods) トマス・ハーディ『過去と現在の詩集』(Poems of the Past and the Present) 1902 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』(The Wings of the Dove) ウィリアム・ディーン・ハウエルズ『文学と人生』(Literature and Life) W・H・ハドソン『エル=オンブ』(El Ombu) イーディス・ウォートン『決断の谷間』(The Valley of Decision) アーサー・コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』(The Hound of the Baskervilles) アーノルド・ベネット『五つの町のアンナ』(Anna ...
  • レイモンド・カーヴァー
    レイモンド・カーヴァー(Raymond Clevie Carver Jr.)(1938年~1988年) 略歴  オレゴン州クラッツカニー出身。3歳の時にワシントン州ヤキマに転居した。家庭は貧しかったが高校を卒業し、その翌年には結婚、さらにその翌年にカリフォルニア州立大学チコ校に入学した。経済的には厳しかったが夜間に働きながら創作科でガードナーの教えを受け、1960年にハンボルト州立大学に移籍し文芸誌の執筆と編纂に携わった。1963年に卒業すると今度はアイオワ州立大学大学院の創作科に進むが、経済事情が原因で中退した。その後は雑役夫などをして糊口を凌いでいたが、1971年に短編が認められ、カルフォルニア州立大学バークレー校の客員教授となったが、アルコール依存症が原因で入退院を繰り返し、妻とも別居してしまった。その後、アルコール依存症を克服し、精力的に作品を発表し続けた。1980年にはシラキュ...
  • エドワード・ヤング
    エドワード・ヤング(Edward Young)(1683-1765) 略歴  英国の詩人。長編詩『夜想』(Night Thought,1742-5)が有名。全編を通してメランコリック。理性と散文の時代と呼ばれた時期にあって、この理性(昼)に対する情念と孤独(夜)をテーマとし、またブランク・ヴァースで書かれたこの作品は、反時代的な一つの指標となった。またこの種の作品が一時的に流行し、コリンズの『夕べに捧ぐるオード』、グレイの『墓辺の哀歌』などがある。
  • ウィリアム・サッカレー
    ウィリアム・サッカレー(William Makepeace Thackeray)(1811~1863) 略歴  インドのカルカッタ出身の作家。父は東インド会社に勤務していた。6歳で帰国し、イギリスで教育を受けた。ケンブリッジで学ぶも放蕩に明け暮れた上、父が投資していた銀行代理店が倒産、資産の大部分を失ってしまった。結婚を期に新聞社に入るも、長続きせずに退職し、雑誌「パンチ」などへの投稿で生活費を稼いだ。その後作品が認められ、ディケンズと並び称される作家となった。ディケンズが中・下流階級を代表していたのに対し、サッカレーは比較的上流に近い階級の腐敗や俗物性を暴き出した。 作品  『馬丁粋語録』(The Yellowplush Papers,1837-38)は馬丁のイエロープラッシュ(従僕の黄色いお仕着せの意)が転々と奉公先を変えつつ、行く先々で主人の家の内幕を面白おかしく語る、という...
  • エドワード・エグルストン
    エドワード・エグルストン(Edward Eggleston)(1837年~1902年) 略歴  インディアナ州出身の作家、歴史家。フランスの哲学者テーヌ((Hippolyte Adolphe Taine,1828-1893))の芸術論の影響を受け、小説を社会研究の一部として、地方色を風俗画のように描くことを目指し、アメリカにおけるリアリズム小説の先駆者とされる。他に歴史書も書いた。 作品  インディアナの農村生活を写実的に描いた作品に、『インディアナの学校教師』(The Hoosier Schoolmaster,1871)、『ロキシー』(Roxy,1878)などがある。
  • 年表(19世紀)
    文学史年表(19世紀) 西暦 英文学 米文学 1804 ウィリアム・ブレイク『ミルトン』(Milton)『エルサレム』(Jerusalem) 1802 ウォルター・スコット(Sir Walter Scott,1771-1832)『スコットランド辺境歌謡集』(The Minstrelsy of the Scottish Border) 1805 ウォルター・スコット『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel) 1807 ジョージ・バイロン(George Gordon Byron,1788-1824)『無為の時』(Hours of Idleness) ジョウエル・バーロウ『コロンビアド』(The Columbiad) 1808 ウォルター・スコット『マーミオン』(Marmion) 1809 ワシントン・アーヴィング(Washington Ir...
  • エドワード・オールビー
    エドワード・オールビー(Edward Franklin Albee)(1928年~) 略歴  ワシントンD.C.出身の劇作家。生後まもなく劇場経営者だったオールビー家の養子となった。家は裕福だったが家庭は温かいものではなく、それが後に彼の作品の方向を決定付けた。学校を転々とし、大学も中退した。家族からも独立し、職業を転々としながら詩作に励んだ。その後ワイルダーの勧めで劇作に転向、発表すると不条理演劇の旗手として注目されるようになった。次々と問題作を発表する傍ら、若手劇作家の育成にも力を注いでいる。またピューリッツァー賞を3度受賞している。 作品  『動物園物語』(The Zoo Story,1958)が処女作で、これが1959年にベルリンで上演されたことで注目を集めた。ニューヨークの公園を舞台に、社会と他人とから断絶され孤立した男ジェリーが、安定した生活を送る中年の男ピーターを不条...
  • ウォルター・スコット
    ウォルター・スコット(Sir Walter Scott)(1771~1832) 略歴  スコットランド、エディンバラ出身の詩人、作家。生まれつき病弱であり、幼い頃に小児マヒにかかり、足に障害が残った。エディンバラ大学で法学を学び、大学時代には辺境地方を遍歴し、民謡や伝説の収集に熱中した。しかし健康を害い大学を中退して、父の事務所で弁護士修行をし、後に弁護士となった。1804年、ワーズワースに出会い、終生の友となった。出版業を営む友人との関係から、辺境地方の民謡などを出版することになった。詩人として活躍するものの桂冠詩人は辞し、当時不遇だった友人のサジーに譲った。その傍ら、スコットランド最高民事裁判所の書記にも任命された。その後、小説家に転身し歴史小説作家として名声を得、一躍流行作家となった。ところが1826年に共同経営していた印刷所が破産、さらに愛妻にも先立たれた。そんな中、彼はこの苦境...
  • デイヴィッド・ガーネット
    デイヴィッド・ガーネット(David Garnett)(1892年~1981年) 略歴  ブライトンに生まれる。父は作家のエドワード・ガーネット、母はロシア文学の翻訳者コンスタンス・ガーネット。初め王立協会で植物学を専攻したが、第一次大戦が勃発すると良心的兵役拒否をして、戦災者の救済に奔走した。戦後には友人と大英博物館の近くに書店を開いた。いわゆるブルームズベリー・グループの一人であった。最初の妻に先立たれた後に再婚しているが、その相手は同性愛関係にあったと噂されたダンカン・グラントの娘であった。彼女と離婚した後はフランスに移り住んだ。 作品  いずれも奇妙な着想が特徴。  代表作は『狐になった奥様』(Lady into Fox,1922)。ある日突然、狐の姿になった妻が次第に野生に目覚めていくことに戸惑う夫の姿を描いた奇妙な物語。  他に『動物園に入った男』(A Man in...
  • W・H・オーデン
    W・H・オーデン(Wystan Hugh Auden)(1907~1973) 略歴  イギリスのヨークの医者の家に生まれる。奨学金でオックスフォードに進むが、当初の生物学から英語専攻に変更した。1928年にはヴァイマル時代のドイツに滞在し、政情不安を肌で感じ取る。また日中戦争が起こると中国にも訪問している。その後マルクス主義からキリスト教に回帰する。1939年にはアメリカに移住し、7年後に国籍を取得し、またアメリカに亡命していたトーマス・マンの娘と結婚する。自らを「西の国の小粒なゲーテ」と称した。1956年にはオックスフォードの教授に迎えられ、5年間この職につき、1972年に再び大学に戻るも、その翌年オーストリアのウィーンで死去。 作品  詩人として著名で20世紀最大の詩人の一人とされるが、他にも詩劇、大衆歌謡、ジャズ、オペラ台本、文芸批評など幅広い分野で一定以上の高い水準のものを...
  • トバイアス・スモレット
    トバイアス・スモレット(Tobias George Smollet)(1721~1771) 略歴  スコットランドの判事の家に生まれる。グラスゴー大学で医学を学ぶが、文学的野心からロンドンに出るも、なかなか文壇に入り込めなかった。軍船に従軍医として乗り込み、西インド諸島でスペイン軍と戦ったり、ジャマイカでは現地の女性を妻に娶ったりと、波乱に満ちた生涯を送った。けして主流とはなり得なかったものの、この頃には彼の書くような、面白い読み物を求める需要が増えつつあり、後にディケンズやサッカレーなどにも影響を与えた。また作家としてだけでなく、編集者・批評家としても活躍し、コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、ドレークなどの探検記や旅行記をまとめた『世界の旅行記』(A Compendium of Authentic and Entertaining Voyages)が知られている。 作品  その小説...
  • シャーウッド・アンダソン
    シャーウッド・アンダソン(Sherwood Anderson)(1876~1941) 略歴  オハイオ州の片田舎に生まれる。父は馬具職人であったが、生来のほら吹きで放浪癖があり、家計は勤勉な母が支えていた。彼もまた幼い頃から様々な仕事に出て家計の足しにしていたために、正規の教育を受けることができなかったが、実地の体験と耳から知識を吸収していった。母が死ぬと一家は離散し、彼は21歳でシカゴに出る。そこで職を転々とした後に米西戦争で兵役に就き、再びシカゴに戻ると広告会社に勤務した。その後故郷に帰り、ペンキ会社の経営者となり、結婚もして平穏な生活を送っていたが、1913年に突如妻子を残したまま出奔、単身シカゴに現れた。後に自伝の中で「真実を見出すためだった」と書いているが、実際はある種の神経衰弱による失踪だったのではないか、と言われている。シカゴで再び広告の仕事をしながら、作家への道を歩むこと...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • ジョゼフ・コンラッド
    ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)(1857~1924) 略歴  ポーランド出身で船乗りを経て作家に転身し英国に帰化した、異色の経歴の作家。幼い頃に父がポーランドの独立運動に絡んで、シベリア送りにされ早くに両親を失くす。文学を愛好していた父の本を、幼い頃から読みふけっていたという。16歳の時、船乗りとなる。船乗り時代にはかなり危ない橋を渡ったらしく、その経験は後の作品に活かされている(いくつかのエピソードに関しては創作との説もある)。努力して英語を覚え、批評家・編集者であるフォード(Ford Madox Ford,1873~1939)の助力で処女作を出版したのは、40歳の時であった。彼はロシア語、ポーランド語、フランス語、そして英語を話せたが、それは主に必要に迫られて現場で学んだものであり、そのために言い回しなどが独特の雰囲気をかもし出している(それが最後に習得した英語に...
  • スティーヴン・クレイン
    スティーヴン・クレイン(Stephen Crane)(1871年~1900年) 略歴  ニュージャージー州ニューアーク出身。メソジスト派の牧師の14子として生まれた。8歳で父を亡くした。新聞社で地方通信員をしていた兄を手伝って記事を書いていた。シラキューズ大学に進んだが1891年に中退し、ニューヨークで記者をしながら作家を目指した。ニューヨークでは貧しい人々や浮浪者、売春婦などの悲惨な現実を目の当たりにし衝撃を受けた。しかしようやく完成した作品は反道徳的なものとみなされ、自費出版することになったが、ガーランドやハウエルズらに認められた。『赤い武功章』を発表した後、実際に戦争を体験する必要を感じ、西部やメキシコなどへ取材に赴き、またギリシア・トルコ戦争、アメリカ・スペイン戦争の従軍記者となって各地を渡り歩いた。後にイギリスに生活の場を移し、コンラッドらと親交を結んだ。しかし、困窮や不摂生が...
  • ジョージ・オーウェル
    ジョージ・オーウェル(George Orwell)(1903~1950) 略歴  インドのベンガル出身。本名はエリック・ア-サー・ブレア(Eric Arthur Blair)。父はベンガルで阿片の栽培と販売に携わっていたが、母や子らはイギリスに帰国し母子家庭だった。幼い頃から学業に秀でていたようで、奨学金でウェリントン・カレッジで学び、後イートン・カレッジに転向した。1922年にマンダレーでインド警察の訓練所に入り、各地で5年間勤務したが、次第に嫌気が差し1927年に帰国、辞表を出した。この当時の経験は後の作品にも生かされている。その後ルポライターを目指し、パリやロンドンを放浪し著作を発表した。スペイン内戦が起こると、義勇兵として参加しファシズム軍と戦った。前線で喉に貫通銃創を受け辛うじて命を取り留めた。戦況の変化により治癒後にフランスに脱出した。その後はエッセイや評論によって名声を得た...
  • ウィリアム・モリス
    ウィリアム・モリス(William Morris)(1834~1896) 略歴  詩人としてはもちろん、工芸美術、印刷、装丁、染色、織物、壁紙、室内装飾、建築など、多方面で活躍した。ラスキンに多大な影響を受けた。彼の諸作品には、一貫した中世志向が顕著であり、ある種の現実逃避的傾向も見られる。また晩年は空想的社会主義に傾倒した。アーツ・アンド・クラフツ運動の主宰者としても知られている。 作品  詩人としてはアーサー王伝説を扱った『グィニヴィア女王の弁護』(The Defence of Guinevere,1858)が処女作である。他に『』(,)42000行に及ぶ王者韻で書かれた長大な『地上の楽園』(The Earthly Paradise,1868-70)がある。それ以外では、社会主義的な未来の社会を描いた『ユートピア便り』(News from Nowhere,1890)が有名。
  • ジョン・アーヴィング
    ジョン・アーヴィング(John Irving)(1942~) 略歴  ニューハンプシャー州エクスター出身。幼い頃に両親が離婚したため、母の実家で育てられ、そこで文学好きの祖母から強い影響を受けた。学生時代を通じてレスリングで活躍したが後にその道を断念、大学を転々しながら文学を志し、その間に結婚し子を授かった。短編が雑誌に掲載されると奨学金を得てアイオワ大学の創作科に入り、ヴォネガットに師事した。1967年、同大学を卒業し、修士論文として書いた作品で作家デビュー。その後全米図書賞を受賞し、精力的に作品を発表している。常々ディケンズを尊敬すると語っており、作品にもその影響が強く表れている。 作品  『熊を放つ』(Setting Free the Bears,1966)は処女作。バイク旅行の途中に果樹園で事故死した友人の遺志を継ぎ、「僕」はウィーンの動物園の熊などの動物たちを檻から解き放...
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【まおりゅう】八星之紋章交換のおすすめ交換キャラ - AppMedia(アップメディア) Among Us攻略Wiki【アマングアス・アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」:時事ドットコム - 時事通信 マニ...
  • ジョナサン・エドワーズ
    ジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards)(1703~1758) 略歴  18世紀アメリカを代表する宗教家、哲学者。コネティカット渓谷の牧師館に生まれ、豊かな自然の中で感覚を磨いた。イエール大学卒業後、さらに神学を学び、祖父の教会の牧師となった。彼の思想は信仰の中の感覚的なものを重視し、ピューリタニズムが次第に衰退していく中、正統的なカルヴィニズムを強く訴えた。しかし1750年、教会員と会員資格に関して意見が合わず、彼は辺境のストックブリッジに転居し、インディアンへの伝道に力を注いだ。その後1758年にニュージャージ大学の学長に就任したが、その一ヵ月後に種痘による天然痘のために急死した。 作品  彼はその有名な説教である“怒れる神の手の中にある罪人たち”(Sinners in the Hands of an Angry God)の中で、豊かな想像力を駆使して恐ろしい...
  • ジョージ・S・カウフマン
    ジョージ・S・カウフマン(George S Kaufman )(1889年~1961年) 略歴  ペンシルベニア州ピッツバーグのドイツ系ユダヤ人の家に生まれた。大学を中退すると様々な職業を経験した後劇作家となった。一作を除いて全てが他作家との合作で、喜劇を得意とした。 作品  唯一の単独作品は『成上がり』(The Butter and Egg Man,1925)である。代表作としてはモス・ハートとの合作である『生涯に一度』(Once in a Lifetime,1930)、『それを持っては行かれない』(You Can t Take it With You,1936)がある。
  • ロバート・ペン・ウォレン
    ロバート・ペン・ウォレン(Robert Penn Warren)(1905年~1989年) 略歴  ケンタッキー州出身の詩人、批評家。バンダービルト大学に在学中、南部地方主義文学運動の拠点であった雑誌『フュージティブ』に参加し活躍した。その後、カリフォルニア、エール、オックスフォード大学で学んだ。その後は母校やルイジアナ、ミネソタ、エール大学でそれぞれ教鞭を取った。その傍ら季刊文芸誌『南部評論』を創刊し編集に尽力した。また自らも詩を発表し、ピューリッツァー賞を受賞するなど高い評価を得た。一方で小説の分野でも主に南部の歴史に取材した作品を発表し、こちらでもピューリッツァー賞を受賞した。批評の分野でも名高い。 作品  『詩36篇』(Thirty-Six Poems,1936)は初期の詩集で形而上詩の影響が強かった。その後平易な物語詩へと移行していき『約束』(Promises,1957)...
  • ジョン・W・ド・フォレスト
    ジョン・W・ド・フォレスト(John William De Forest)(1826~1906) 略歴  コネティカット州シーモアに生まれる。ラテン語、イタリア語、フランス語、スペイン語などを習得し、若いうちから欧州各地を旅行した。その頃にはすでに雑誌に短編小説を寄稿していた。初期はインディアンの歴史に関心を示していたが、南北戦争が起こると彼も参戦した。戦後、その体験を基に、それまでの理想主義ではなく流血の現実を生々しく描いた『ラヴァネルさんの転向』(Miss Ravanel s Conversion,1867)を発表し、アメリカにおけるリアリズム文学の先駆者となる。
  • 作品索引/サ行
    作品索引/サ行 『サーカスの息子』(A Son of the Circus)米 『サーシス』(Thyrsis)英 『最後の回転木馬』(The Last Carousel)米 『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel)英 『サイダーハウス・ルール』(The Cider House Rules)米 『サイラス・マーナー』(Silas Marner)英 『詐欺師』(The Confidence-Man)米 『サスペンス』(Suspense)英 『砂漠の音楽とその他の詩』(The Desert Music and Other Poems)米 『サフィラと奴隷娘』(Sapphira and the Slave Girl)米 『醒めて唄え!』(Awake and Sing!)米 『さようならウサギ』(Rabbit at Rest)米 『猿と本質』(Ape and...
  • リチャード・シェリダン
    リチャード・シェリダン(Richard Brinsley Sheridan)(1751年~1816年) 略歴  アイルランド出身の劇作家で、ホイッグ党員でもあった。父はダブリンの王立劇場の俳優兼監督、母は作家であった。ロンドンで劇作家として活動を始め、最初の作品は『恋がたき』(The Rivals,1775)でこれは彼自身の華やかな恋愛体験を基に書かれた。彼の代表作は『悪口学校』(The School for Scandal,1777)であろう。恋愛、求婚に財産問題が絡み合い、さらに相手の兄弟の性格設定(一見真面目そうな兄が偽善者で、放蕩者という評判弟は気立てがよい)が加わり、より複雑なものになっている。そして親戚や友人の悪口が状況をさらに混乱させていく。なお、シェリダン・レ・ファニュ(怪奇小説『カーミラ』の作者)は又甥に当たる。
  • ジョイス・キャロル・オーツ
    ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates)(1938年~ ) 略歴  ニューヨーク州ロックポート出身の女流作家。1960年にシラキュース大学を卒業、1961年にウィスコンシン大学で英文学の修士号を取得した。すでに在学中から創作を始めていた。1963年に処女短編集を発表し、以来60年代を代表する作家となった。カナダのウィンザー大学で英文学の教師を務めながら執筆を精力的に行い、その作品数は現代作家の中で最も多作な作家と呼ばれることもある。その後プリンストン大学教授となった。短編の名手とされるが、長編にも優れた作品がある。彼女の作風は、平凡な人間の内面に潜むグロテスクなものや、残忍さなどを自然主義的手法で描き出すものである。 作品  『北門のかたわらで』(By the North Gate,1963)は処女短編集。これによって文壇に登場するきっかけをつかんだ。他に短...
  • ジェイムズ・ブランチ・キャベル
    ジェイムズ・ブランチ・キャベル(James Branch Cabell)(1879年~1958年) 略歴  ヴァージニア州の旧家の出身。ウィリアム・アンド・メリー大学を卒業後、新聞記者などを経て作家となった。『マニュエルの伝記』という全18巻にも及ぶ幻想的な物語で有名となるが、そのうちのひとつがその内容から告発を受けて発禁処分とされ、その取り消しを求めて争ったために話題となり、かえってそのために名が売れた。後世のファンタジー作品に大きな影響を与えたという。 作品  『マニュエルの伝記』(The Biography of Manuel)は全18巻に及ぶ長大な物語。始祖マニュエルから転生を繰り返していく幻想的な物語。内容は小説や随筆、詩が含まれている。中でも最も有名なのは6巻目の『ユルゲン』(Jurgen,1919)である。質屋ユルゲンの愛の遍歴を描いた物語で、猥褻書として告発を受けた...
  • アーノルド・ウェスカー
    アーノルド・ウェスカー(Arnold Wesker)(1932~) 略歴  英国の劇作家。ロンドンの貧しい一角であるイーストエンド、ステプニー出身でユダヤ系。同時代に活躍したオズボーンやピンター、ブレイン、シリトーらと共に、怒れる若者たち(the Angry Young Men)と呼ばれた世代の作家である。貧しい労働者階級出身者で、大学教育は受けていない。兵役に服した後は、様々な職を転々とし、その後ロンドンの映画技術学校の短期コースに入った。在学中に執筆を始め、処女作が上演されると大成功を収めた。50年代から60年代いっぱいにかけて活躍した。 作品  作品は劇作42、短編4、児童文学や詩など多岐に渡る。その作品は多くの言語に訳されている。特徴は安アパートの台所などが舞台となるところで、台所流しの劇(the Kitchen Sink Dorama)と呼ばれた。代表作は処女作となった『...
  • トマス・ド・クィンシー
    トマス・ド・クィンシー(Thomas de Quincey)(1785~1859) 略歴  イギリス・マンチェスター出身の評論家。父を早くに亡くし、その多大な遺産は後見人の手に委ねられたが、後にこの後見人と対立した際には、酷く困窮するはめになった。幼い頃から優れた才能を発揮し、特に古代ギリシア語を自由自在に扱ったという。オックスフォード在学中にワーズワース、やコールリッジ、ラムなどと知り合い、特に似たところがあるコールリッジを敬愛してやまなかったという。1804年、歯痛の鎮痛のためにアヘン吸引を始め、次第に中毒に陥ってしまった。その過酷な体験を基に書かれたのが『アヘン吸引者の告白』(Confessions of an English Opium Eater,1822)である。そこには肉体と魂が蝕まれていく記録であり、また意識下の不可視、不可思議の世界を覗き込んだ者の体験が語られている。借...
  • ローレンス・スターン
    ローレンス・スターンLaurence Sterne(1713~1768) 略歴  アイルランド出身。軍人だった父とは17歳の時に死別。ケンブリッジで祖先が設けた奨学金で学び、サットンの教区牧師となった。平凡な田舎牧師であったが、知人の蔵書でセンバンテスやラブレーの著作に接し影響を受けた。手始めに宗教界の勢力争いを風刺する小冊子を書き好評を得ると、いよいよ彼の代表作である『トリストラム・シャンディ』を執筆し始めた。人妻と恋愛関係に陥るなど牧師らしからぬ人物であった。その一方で説教集なども出版している。しばしば喀血するなど病に苦しみ、それがもとでロンドンで没する。 作品  『トリストラム・シャンディ』(Tristram Shandey,1760-1767)は正確には『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』(The Life and Opinions of Tristram Sha...
  • ラドヤード・キプリング
    ラドヤード・キプリング(Joseph Rudyard Kipling)(1865~1936) 略歴  英国のヴィクトリア朝の作家、詩人。インドで生まれ、英国で教育を受けたが、17歳の時に再びインドに戻る。ジャーナリストとして働きながら、現地の題材で詩や小説を書いた。ここが境遇こそ似ているもののサッカレ-とは大きく異なっている点である。キプリングが晩年の頃には、すでにヒトラーが台頭していたが、彼自身はあくまでも旧時代の人間であった。キプリングは大英帝国の栄光を信じていたが、その彼が描いたのは支配階級の人々ではなく、あくまでも末端で英国を支えているイギリス人たち(兵士など)や、現地の労働者であった。キプリングは大英帝国を賛美したが、それは異例とも言える低い視点からのものであった。そしてその賛歌は同時に挽歌でもあった。当時、キプリングの作品が評価された背景にはハーディの強烈なペシミズムに対する...
  • クリフォード・オデッツ
    クリフォード・オデッツ(Clifford Odets)(1906年~1963年) 略歴  フィラデルフィア出身ニューヨーク育ちのユダヤ系劇作家。父はロシア系ユダヤ人実業家だった。高校中退後俳優となるが芽が出ず、劇作家に転向した。1931年に進歩的演劇集団「グループ・シアター」に参加し、劇作家として名声を得、1930年代を代表する社会派作家となった。その後、映画界から招かれて脚本家としても活躍した。しかし、穏健化するに従い輝きを失っていった。、 作品  『レフティーを待ちつつ』(Waiting for Lefty,1935)は一躍オデッツの名を高めた代表作。タクシー労働者のストライキをもとに、社会の不公正と不正義を糾弾した。  『醒めて唄え!』(Awake and Sing!,1935)はユダヤ人の労働者階級の家庭を舞台に、挫折や希望が入り混じる人間模様を描いた。  『ゴールデン...
  • アルジャーノン・スウィンバーン
    アルジャーノン・スウィンバーン(Algernon Charles Swinburne)(1837~1909) 略歴  英国の詩人。父は海軍の提督であった。イートンで学び、オックスフォードへ進むも在学中には停学処分を受けたこともあった。ロセッティと知り合い親友となる。ロンドンに居を構え執筆活動に励む。当代一級の教養人で、特にギリシアの詩文に関する知識に長じ、イートン時代にすでにギリシア語を自在に使うことができたという。詩文と共にその異教精神をも吸収したのか、当時の人々が無条件で受け入れていたキリスト教倫理観をあざ笑うかのように、その詩作品ではサディズム、マゾヒズム、近親相愛といったものを謳歌した。ただし語彙や頭韻、流麗な韻律などの評価は高い。がその一方で頭韻を多用し重視するあまりに、意味を軽視する傾向がある。 作品  『詩とバラード』(Poems and Ballads,1866,7...
  • ジョナサン・スウィフト
    ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)(1667~1745) 略歴  アイルランド、ダブリン出身。政界、宗教界での栄達を夢見るものの上手くいかず、最後はダブリンの聖パトリック教会の司祭長を務めた。風刺作家、随筆か、パンフレット作家、詩人として非常に多作であったが、生涯を通じて私憤と公憤が激しく入り混じっていた。またその内容の過激さから、多くの筆名を使い分けたり、匿名で発表されたりした。その出版には友人であったポープらの尽力したという。晩年は死の影に怯えるようになり、自らの死を悼む詩を書いたり、あるいは自らの死亡記事を出すなど奇行が目立った。また自分の墓碑銘を生前に自ら書いていたことでも有名。 作品  多作な人であったが、彼の特徴が最も出ているのは風刺文学においてだろう。初期に書かれた『桶物語』(A Tale of a Tub,1704)は、カトリック、プロテスタント...
  • アーノルド・ベネット
    アーノルド・ベネット(Arnold Bennett)(1867~1931) 略歴  スタフォードシャーのハンリー出身の作家。21歳の時に単身ロンドンに出て、法律事務所に勤めながら、新聞や雑誌に小説やエッセイを投稿する。その後、ジャーナリズムに関心を持ち出版社に転職、その後は女性週刊誌の編集者、後に編集長を務める。1900年頃からは本格的に作家として活動する。父親の死を契機にフランスで10年余りを過ごし、その間にフランス人の女性と結婚する。 作品  英国における自然主義文学の代表格とされ、特にフランスの自然主義文学に範を取った、徹底した写実主義の技法で知られる。しかしながらすでにその頃にはこの種の自然主義文学は時代遅れとなりつつあった。後の時代の革新的旗手の一人ウルフとの芸術創作上の議論において、彼が「性格造形こそが小説のアルファでありオメガだ」と述べ、ウルフに一笑に付されたというエ...
  • ハリエット・ビーチャー・ストウ
    ハリエット・ビーチャー・ストウ(Harriet Elizabeth Beecher Stowe)(1811~1896) 略歴  コネティカット州リッチモンドに生まれる。父は説教師で奴隷制反対論者であった。兄弟からも聖職者を出し、結婚した相手も聖職者であったことから、彼女の作品にはキリスト教の強い影響が見られる。 作品  ストウ夫人は10作以上の作品を発表しているが、よく知られているのは処女作の『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom s Cabin,1852)である。この作品は奴隷解放問題を正面から扱った小説であり、またアフロ・アメリカンを主人公にした最初の小説でもある。この作品によって、奴隷解放問題はさらに加速され、南北戦争に突入していくことになる。後にリンカーンがストウ夫人に会った際に、「あなたのような小さな方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね」と述べたといわれている...
  • チャールズ・ブロックデン・ブラウン
    チャールズ・ブロックデン・ブラウン(Charles Brockden Brown)(1771~1810) 略歴  アメリカ最初の職業作家と称されるブラウンは、フィラデルフィア出身で、大学では法律を学んだが、作家への道を選んだ。この時代は連邦主義とジェファソン流の民主主義の確執の時代であった。彼は当時の政治情勢に興味を抱くと共に、フランス革命時のジャコバン党のような過激思想に興味をもった。しかし、その後は過激思想に反発し、保守的な立場に立った。その作品は英国のゴシック小説の影響を強く受けているが、その人間心理の探求の精神は、後世のポオやホーソーンに受け継がれていくことになる。 作品  ブラウンの代表作は『ウィーランド』(Wieland,1798)である。ある女性の書簡体小説で、物語は狂信的な父親の奇怪な死、そして旧来の頑なな信仰と当時の急進的な思想とのせめぎあいが描かれている。語り手...
  • アルフレッド・テニスン
    アルフレッド・テニスン(Lord Alfred Tennyson)(1809~1892) 略歴  ヴィクトリア朝を代表する詩人。牧師の子として生まれ、ケンブリッジに学ぶ。在学中から詩作を志すも、世に酷評されしばらくの間沈黙を守った。学友であったハラムと大陸旅行に赴くも、彼が急死し衝撃を受ける。それが彼の詩と思想に多大な影響を及ぼすことになった。次第に名声を高め、1850年にはワーズワースの後を継いで桂冠詩人となった。その後も精力的に優れた詩作品を発表し、国民詩人としての地位を確立、1884年には男爵位を授けられた。 作品  テニスンの詩の特徴は、分かりやすい思想を分かりやすい言葉で表現したところである。そしてその美しい音楽的な韻律である。初期の『抒情詩集』(Poems, Chiefly Lyrical,1830)、『詩集』(Poems,1833)はあまり良い評価は得られなかった。そ...
  • ハーマン・ウォーク
    ハーマン・ウォーク(Herman Wouk)(1915年~ ) 略歴  ニューヨーク出身のユダヤ系作家で、両親はロシアから移住したユダヤ人。幼少期はブロンクスで過ごした。コロンビア大学で比較文学と哲学を学んだ。卒業後ラジオ脚本家となり、戦時中は羅時を広告で戦債を販売し、政府に貢献した。真珠湾攻撃が起きると、自ら志願して米海軍に入隊、太平洋戦争に従軍し、掃海艇に通信士官として搭乗した。その任務の合間に小説を書いていた。戦後結婚し、全てを執筆に捧げ、1952年にはピューリッツァー賞を受賞した。彼は執筆の際正確を期すために若手の歴史研究家を雇って参考にしていたために、歴史的な記述はかなりの部分で正確であるという。 作品  『オーロラの夜明け』(Aurora Dawn,1947)は広告業界を風刺した作品。『町の子』(The City Boy,1948)はニューヨークを舞台に子供の姿を共感を...
  • ベンジャミン・フランクリン
    ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)(1706~1790) 略歴  ボストンに移住したピューリタンの子として生まれたベンジャミンは、幼い頃宗教的家庭教育を施されるが、青年時代になると次第に理神論に惹かれていった。12歳から兄の印刷屋兼新聞社を手伝い、16歳の時にジャーナリストとなるためにフィラデルフィアに出る。『ペンシルヴェニア・ガゼット』を改良して発行し、さらに1732年からは『貧しきリチャードの暦』(Poor Richatd s Almanack)という日めくりカレンダーに格言を併載するアイデアで、大成功あいた。また有名な凧の実験を行ったり、フランクリン・ストーブを発明したりした他、消防、病院、学校などの社会施設へを充実させようと尽力した。1751年にはペンシルヴェニア州議会議員になった。独立宣言に署名したことでも知られている。 作品  彼の思想を最...
  • ウォルト・ホイットマン
    ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)(1819~1892) 略歴  ニューヨーク州ロングアイランド出身。アメリカ最大の詩人と称される。貧しい家庭であったため、早くから働き始める。ジャーナリスト、教師、公務員など様々な職業に従事した。高等教育は受けていないが、印刷工をしていて文学に親しんだといわれている。南北戦争が勃発すると、彼は志願して北軍の看護兵として参加する。その時、戦場の悲惨な光景に衝撃を受け、その後はニューヨークへは戻らず、ワシントンD.C.に行き、陸軍病院に勤務する。その後は自らの詩が足枷となって、職を失ったり逃したりしていたが、最終的には法務長官事務局に1872年まで勤務する。翌1873年に脳卒中に倒れ、また介護していた高齢の母が亡くなったことも重なり、酷い精神的打撃を受ける。晩年はライフワークである『草の葉』の増補改訂を続け、1892年に没する。 作品 ...
  • アーサー・コナン・ドイル
    アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)(1859~1930) 略歴  スコットランドのエディンバラ出身。キリスト教系の学校で学ぶもそれを拒絶し、エディンバラ大学で医学を学ぶ傍ら、外科医助手として働く。しかし父はアルコール依存症により入院し、一家の家計を支えるために、在学中に捕鯨船に船医として乗り込む。遅れて大学を卒業し、その後はアフリカ航路の船医として働き、その後大学時代の級友と診療所を共同経営することになるが、喧嘩別れしてしまう。1882年に自分の診療所を開くが上手くいかず、暇を持て余す間に小説を書くようになるが、どれも送り返された。しかし名探偵シャーロック・ホームズのシリーズで一躍時の人となる。またボーア戦争に従軍し、小冊子を執筆したその功績によってナイト爵に叙せられた。息子の死後は心霊学に傾倒し、英国心霊現象研究会に入る(後脱退)。その関係の著書も多数ある...
  • 作品索引/ハ行
    作品索引/ハ行 『バーソロミューの市』(Bartholomew Fair)英 『バーナビー・ラッジ』(Barnaby Rudge)英 『パープル・ランド』(Purple Land)英 『パームサンデー』(Palm Sunday, an Autobiographical Collage)米 『ハイアワサの歌』(The Song of Hiawatha)米 『廃村』(The Deserted Village)英 『ハイピアリアン』(Hyperion)英 『ハイピアリアン失墜』(The Fall of Hyperion a Dream)英 『墓守老人』(Old Mirtality)英 『白鯨』(Moby-Dick)米 『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on a White Horse My Story)米 『白魔』(The White Devil)英 『激しく攻むる者はこ...
  • 作品索引/マ行
    作品索引/マ行 『マージョリー・モーニングスター』(Marjorie Morningstar)米 『マーディ』(Mardi)米 『マーティン・チャズルウィット』(Martin Chuzzlewit)英 『マーミオン』(Marmion)英 『マイラ』(Myra Breckinridge)米 『マイルズ・スタンディッシュの求婚』(The Courtship of Miles Standish)米 『マクシマス詩篇』(Maximus Poems)米 『マクベス』(Macbeth)英 『負けるが勝ち』(She Stoops to Conquer)英 『まじめが肝心』(The Importance of Being Earnest)英 『また会う日まで』("Until I Find You")米 『間違い続きの喜劇』(The Comedy of Errors)英 『町と都会』(T...
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