ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「ルイス・マクニース」で検索した結果

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  • W・H・オーデン
    W・H・オーデン(Wystan Hugh Auden)(1907~1973) 略歴  イギリスのヨークの医者の家に生まれる。奨学金でオックスフォードに進むが、当初の生物学から英語専攻に変更した。1928年にはヴァイマル時代のドイツに滞在し、政情不安を肌で感じ取る。また日中戦争が起こると中国にも訪問している。その後マルクス主義からキリスト教に回帰する。1939年にはアメリカに移住し、7年後に国籍を取得し、またアメリカに亡命していたトーマス・マンの娘と結婚する。自らを「西の国の小粒なゲーテ」と称した。1956年にはオックスフォードの教授に迎えられ、5年間この職につき、1972年に再び大学に戻るも、その翌年オーストリアのウィーンで死去。 作品  詩人として著名で20世紀最大の詩人の一人とされるが、他にも詩劇、大衆歌謡、ジャズ、オペラ台本、文芸批評など幅広い分野で一定以上の高い水準のものを...
  • 年表(1950~2000)
    西暦 英文学 米文学 1950 アンジア・イージアスカ『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on White Horse My Story) ウィリアム・インジ(William Motter Inge,1913-1973)『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba) テネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの夏』(The Roman Summer of Mrs. Stone)『バラの刺青』(The Rose Tattoo) ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』(The Caine Multiny) ロバート・ペン・ウォレン『この世も時も』(World Enough and Time) クリフォード・オデッツ『カントリー・ガール』(The Country Girlfa) トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(The G...
  • アイリス・マードック
    アイリス・マードック(Iris Murdoch)(1919~1997) 略歴  アイルランド、ダブリン出身の哲学者にして作家、詩人。幼くしてロンドンに渡る。オクスフォードのサマーヴィル・カレッジで学んだ。国連救済復興機関に酸化し、大戦後は各地の難民救済キャンプで働く。ベルギー滞在中にサルトルと出会い、実存主義に関心を持つ。帰国後オックスフォードにて哲学の特別研究員となる。小説を発表すると共に、哲学に関する著書も発表した。1987年に大英帝国勲章を授与される。晩年はアルツハイマー症に悩まされた。その経過は夫のジョン・ベイリーによる伝記に詳しく書かれ、また映画化されている。 作品  彼女の作品の特徴は哲学者でもあるだけに、プラトン、サルトル、それからフロイトの影響をよく受けている。時に読者を混乱させるような手法(概ね写実的に描いておきながら、象徴を用いてミスリーディングを誘ったり、登場...
  • ジョイス・キャロル・オーツ
    ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates)(1938年~ ) 略歴  ニューヨーク州ロックポート出身の女流作家。1960年にシラキュース大学を卒業、1961年にウィスコンシン大学で英文学の修士号を取得した。すでに在学中から創作を始めていた。1963年に処女短編集を発表し、以来60年代を代表する作家となった。カナダのウィンザー大学で英文学の教師を務めながら執筆を精力的に行い、その作品数は現代作家の中で最も多作な作家と呼ばれることもある。その後プリンストン大学教授となった。短編の名手とされるが、長編にも優れた作品がある。彼女の作風は、平凡な人間の内面に潜むグロテスクなものや、残忍さなどを自然主義的手法で描き出すものである。 作品  『北門のかたわらで』(By the North Gate,1963)は処女短編集。これによって文壇に登場するきっかけをつかんだ。他に短...
  • トマス・ド・クィンシー
    トマス・ド・クィンシー(Thomas de Quincey)(1785~1859) 略歴  イギリス・マンチェスター出身の評論家。父を早くに亡くし、その多大な遺産は後見人の手に委ねられたが、後にこの後見人と対立した際には、酷く困窮するはめになった。幼い頃から優れた才能を発揮し、特に古代ギリシア語を自由自在に扱ったという。オックスフォード在学中にワーズワース、やコールリッジ、ラムなどと知り合い、特に似たところがあるコールリッジを敬愛してやまなかったという。1804年、歯痛の鎮痛のためにアヘン吸引を始め、次第に中毒に陥ってしまった。その過酷な体験を基に書かれたのが『アヘン吸引者の告白』(Confessions of an English Opium Eater,1822)である。そこには肉体と魂が蝕まれていく記録であり、また意識下の不可視、不可思議の世界を覗き込んだ者の体験が語られている。借...
  • アースキン・コールドウェル
    アースキン・コールドウェル(Erskine Preston Caldwell)(1903年~1987年) 略歴  ジョージア州モアランドの郊外で生まれた。父は巡回牧師であったため、彼も少年の頃から各地を転々とした。都合3つの大学に入学したもののいずれも中退した。学生時代から創作に目覚めた。様々な職を渡り歩く過程で労働者へ深い共感を抱くようになり、それが作品に大きな影響を与えることとなった。また後年、彼は白人貧農や黒人労働者の問題について、現地で実地調査を行なったりセミナーを開いたりした。第二次大戦中、彼は特派員としてモスクワに滞在し、次第にマルクス主義に傾倒していった。 作品  処女長編は『私生児』(The Pastard,1929)は売春婦を母にもつ男の物語。  『アメリカの土地』(American Earth,1931)はそれまでの経験や見聞きした出来事から素材を得て書いた短...
  • 作品索引/マ行
    作品索引/マ行 『マージョリー・モーニングスター』(Marjorie Morningstar)米 『マーディ』(Mardi)米 『マーティン・チャズルウィット』(Martin Chuzzlewit)英 『マーミオン』(Marmion)英 『マイラ』(Myra Breckinridge)米 『マイルズ・スタンディッシュの求婚』(The Courtship of Miles Standish)米 『マクシマス詩篇』(Maximus Poems)米 『マクベス』(Macbeth)英 『負けるが勝ち』(She Stoops to Conquer)英 『まじめが肝心』(The Importance of Being Earnest)英 『また会う日まで』("Until I Find You")米 『間違い続きの喜劇』(The Comedy of Errors)英 『町と都会』(T...
  • ルイーズ・アードリック
    ルイーズ・アードリック(Louise Erdrich)(1954年~ ) 略歴  ミネソタ州リトル・フォールズ出身の作家、詩人。母方はネイティヴ・アメリカンのオジブワ族(あるいはチベワ族)である。ノース・ダコタのインディアン居住区で育った。ダートマス大学で学士、ジョン・ホプキンス大学で修士を取得した。1981年にダートマス大学の教授と結婚し、その後は共著を出版する傍ら実子の他養子も育てたがその後に別居、夫は1997年に自殺してしまった。その後はミネアポリスに住み、バーチバークという書店を経営し、本だけでなくネイティヴ・アメリカンの小物などを販売しているという。ネイティヴ・アメリカン出身の女流作家として活躍した。 作品  その作品のほとんどがノース・ダコタにある架空の町アーガスを舞台としている。代表作は『ラヴ・メディシン』(Love Medicine,1984)は数編の短編で構成され...
  • トマス・ウルフ
    トマス・ウルフ(Thomas Clayton Wolfe)(1900年~1938年) 略歴  ノース・カロライナ州アッシュビル出身の作家。父は石材店、母は旅館を経営しており、彼は8人兄弟の末子だった。19歳でノース・カロライナ大学を出、ハーヴァード大学の大学院に進み、劇作を学んだ。その後ニューヨーク大学で教鞭を取っていたが、アリーヌ・バーンスタイン(Aline Bernstein,1880-1955)に励まされて小説の執筆を始めた。名編集者マクスウェル・パーキンズ(Maxwell Perkins,1884-1947)に認められ出版に至った。しかし後には彼ら二人と袂を分かった。「真摯な小説は必ず自伝的である」と宣言し、その通りに自伝的小説を書き続けた。また「我々は新たなアメリカを発見しなければならない」とし、時に全体のバランスを崩してでも、すべてを語りつくそうとすることに異常なこだわりを見...
  • T・S・エリオット
    T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot)(1888~1965) 略歴  ミズーリ州セントルイス出身。ハーヴァード大学で学び、在学中から学内誌に寄稿していた。ソルボンヌ大学で仏文学と哲学を学び、帰国後はハーヴァード大学で哲学科の助手となった。1914年に留学生としてドイツに赴くが、第一次大戦の戦火を逃れてロンドンにに行き、オックスフォード大学で哲学を学んだ。以来、彼はロンドンに定住することとなった。その頃大きな影響を受けることになるパウンドを訪問し、彼の助力によって詩を雑誌に発表し、また評論家としても活躍を見せた。その後1927年に正式にイギリスに帰化し、英国国教会に帰依した。1947年にノーベル文学賞を受賞し、勲功賞も得た。自らを「文学においては古典主義者、政治においては王党派、宗教においてはアングロ・カトリック」とその保守性を明確に規定していた。1965年、呼吸器...
  • マクスウェル・アンダソン
    マクスウェル・アンダソン(Maxwell Anderson)(1888~1959) 略歴  ジャーナリストだった経歴を生かして、20年代に反戦劇などの社会的関心の強い散文劇で名声を得る。その後30年代に入ると韻文劇に転じ史劇や喜劇、悲劇を発表し、オニールに次ぐ演劇界の大御所となる。戦後も活躍を続けたものの、戦前ほどの作品はない。 作品  『栄光何するものぞ』(What Price Glory?,1924)は反戦をテーマとした散文劇。  『女王エリザベス』(Elizabeth the Queen,1930)、『スコットランドのメアリー』(Mary of Scotland,1933)、『フォージ渓谷』(Valley Forge,1934)は韻文詩劇。  『岩頂荘』(High Tor,1937)は機械文明を風刺する喜劇。  『ウィンターセット』(Winterset,1935)は、サ...
  • 人名索引/サ行
    人名索引/サ行 サッカレー(William Makepeace Thackeray)英 シェイクスピア(William Shakespeare)英 ジェイムズ(Henry James)米・英 シェリー(Percy Bysshe Shelley)英 シェリー(Mary Shelley)英 シェリダン(Richard Brinsley Sheridan))英 ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates)米 ジョンソン(Ben Jonson)英 ジョンソン(Samuel Johnson)英 シリトー(Alan Sillitoe)英 スウィフト(Jonathan Swift)英 スウィンバーン(Algernon Charles Swinburne)英 スコット(Sir Walter Scott)英 スターン(Laurence Sterne)英 ストウ(Harriet Eliza...
  • シャーロット・ブロンテ
    シャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë)(1816~1855) 略歴  ヨークシャー、ソーントン出身のブロンテ3姉妹の長姉(誤解されることもあるが、彼女自身は三女にあたる)。幼い頃にハワースに転居したが、その翌年には母が病死した。学校に入学するもそこの環境が著しく劣悪であったために、姉二人を肺炎で亡くした。その後牧師館に戻ると文学に熱中し、詩や戯曲を書くようになった。この当時のある程度の身分があり、それでいて独身である女性がなるものといえば、家庭教師であった。シャーロットも私塾で学んだ後に家庭教師になった。私塾の計画が頓挫してから、三姉妹は匿名で詩集を出版するも不評だった。しかしシャーロットは小説を書き始めた。それが世に知られるようになったのも束の間、弟ブランウェルがその翌年に没し、さらにエミリーもあの世へと旅立ち、その翌年にはアンまでもが後を追うようにこの世を去った。...
  • ジョージ・エリオット
    ジョージ・エリオット(George Eliot)(1819~1880) 略歴  イギリス中西部ウォリックシャー出身。本名はメアリ・アン・エヴァンスであり、女性であるが筆名は男性名を名乗った。13歳で入学した学校が、非常に宗教色の強い学校で、彼女は清教徒的な教育を受けることとなった。しかし翌年には母が没し、父の面倒を見るために彼女は退学を余儀なくされた。その後本を読む傍ら、独学で語学を学びギリシア、ラテン、ヘブライ、ドイツ、フランス、イタリアの各言語を習得したという。とりわけドイツ語とドイツ思想に傾倒し、それが彼女の精神形成に大きな影響を与え、清教徒よりの信仰からの脱却と自由思想への転身のきっかけとなった。その後ロンドンでウェストミンスター・レヴュー誌の副主筆となる。私生活では知人の紹介で知り合った哲学者のジョージ・ヘンリー・ルーイスと交際するようになった。彼は既婚であったが、その妻と離婚...
  • ルイーザ・メイ・オールコット
    ルイーザ・メイ・オールコット(Louisa May Alcott)(1832年~1888年) 略歴  ペンシルベニア州出身。父は教育者で超絶主義で有名なエーマス・ブロンソン・オールコット。父やエマソンやソローらの教えを受けた。生計のために雑誌に短編を寄稿し、また一時期看護婦として勤務もした。その後、児童文学作家としての名声を確立し、今尚世界中で多くの読者を獲得している。 作品  代表作は『若草物語』(The Little Women,1868)である。自らの家庭をモデルとした自伝的小説で、児童文学の代表作の一つとして世界中で翻訳されている。
  • コットン・マザー
    コットン・マザー(Cotton Mather)(1663~1728) 略歴  コントン・マザーは、祖父が『賛美歌集』(Bay Psalm Book)をヘブライ語から翻訳したリチャード、父インクリースはハーヴァード大学長という、植民地の神政政治の中心となった名家に生まれた。12歳にしてラテン語を習得し、さらにはギリシア語、ヘブライ語も学んだ。15歳でハーヴァード大学を卒業、18歳の時にはすでに説教壇に立っていたという秀才であった。1685年以降はボストン第二教会の牧師となる。説教の中で社会秩序の基礎として家族の重要性を説いたが、そこには自らの家系がその中にあっても特別なものであるという自負も窺われる。彼が活躍した時代には、すでに神政政治には衰退が見られたが、彼は強い信念と誇りをもってこれを維持すべく努めた。 作品  コットン・マザーはその生涯で説教はもちろんのこと、歴史、伝記、エッセ...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • チャールズ・オルスン
    チャールズ・オルスン(Charles Olson)(1910年~1970年) 略歴  マサチューセッツ州ウスター出身の詩人。ウェスレアン大学、ハーヴァード大学でメルヴィルを研究すた。郵便配達人、漁船の乗組員、教師などの様々な職を経験し、第二次大戦中にはワシントンにある戦時情報局に勤務した。その後、ノース・カロライナ州の山中にあったブラック・マウンテン・カレッジで自らの試作の傍ら創作を教え、多くの詩人たちを世に送り出し、ブラック・マウンテン派と呼ばれる詩人群の理論的指導者となった。また同校の最後の学長をも務めた。その詩風はT・S・エリオットらに代表される西欧文学の伝統に根ざした詩を“閉ざされた詩”として否定し、詩人の全存在、無意識をも含めた、から息として投射されるエネルギーとしての詩を“開かれた詩”として提唱した。これはユングの心理学や原始社会の世界観からの影響があるとされる。彼の思想は彼...
  • クリストファー・マーロゥ
    クリストファー・マーロゥ(Christopher Marlowe)(1564~1593) 略歴  大学才人の中で唯一本当の才能に恵まれていた人物。劇作家、詩人、翻訳家として活躍し、29年という駆け抜けるように生きたその短い生涯の中で、後世の作家に多大な影響を与えた優れた作品を世に送り出した。秘密結社に入った、あるいはスパイとして活動していた、はたまた二重スパイであったなど、怪しい噂に事欠かない人物で、その最期も酒の席での喧嘩で、眉間にナイフを突き刺される、という壮絶なものだった。その動機も、諜報機関による暗殺説、無神論者グループ内での内紛など、様々な説がある。 作品  処女作は『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great,1587)。ティムールの生涯を基にした、一介の羊飼いから大王へと上り詰めた男の壮大な物語で、当時スペインに追いつき追い越そうとしていた時代風...
  • トーマス・キッド
    トーマス・キッド(Thomas Kid)(1558~1594) 略歴  英国の演劇の黎明期を支えた人物。彼によって演劇が大衆の娯楽として定着した、と言っても過言ではない。彼の書いた流血と陰謀と復讐の物語である『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy,1589)は、スペインの無敵艦隊を撃破した翌年だったこともあり、巧みな筋書き、個性的な登場人物、血が血を呼ぶ衝撃的な展開の連続が大いに観客を熱狂させた。本格的にブランク・ヴァースを使いこなしたことも大きく、マーロゥやシェイクスピアに大きな影響を与え、直接の種本ではないものの『ハムレット』と少なからず類似性が認められる。
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【まおりゅう】八星之紋章交換のおすすめ交換キャラ - AppMedia(アップメディア) Among Us攻略Wiki【アマングアス・アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」:時事ドットコム - 時事通信 マニ...
  • ローレンス・スターン
    ローレンス・スターンLaurence Sterne(1713~1768) 略歴  アイルランド出身。軍人だった父とは17歳の時に死別。ケンブリッジで祖先が設けた奨学金で学び、サットンの教区牧師となった。平凡な田舎牧師であったが、知人の蔵書でセンバンテスやラブレーの著作に接し影響を受けた。手始めに宗教界の勢力争いを風刺する小冊子を書き好評を得ると、いよいよ彼の代表作である『トリストラム・シャンディ』を執筆し始めた。人妻と恋愛関係に陥るなど牧師らしからぬ人物であった。その一方で説教集なども出版している。しばしば喀血するなど病に苦しみ、それがもとでロンドンで没する。 作品  『トリストラム・シャンディ』(Tristram Shandey,1760-1767)は正確には『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』(The Life and Opinions of Tristram Sha...
  • 作品索引/ハ行
    作品索引/ハ行 『バーソロミューの市』(Bartholomew Fair)英 『バーナビー・ラッジ』(Barnaby Rudge)英 『パープル・ランド』(Purple Land)英 『パームサンデー』(Palm Sunday, an Autobiographical Collage)米 『ハイアワサの歌』(The Song of Hiawatha)米 『廃村』(The Deserted Village)英 『ハイピアリアン』(Hyperion)英 『ハイピアリアン失墜』(The Fall of Hyperion a Dream)英 『墓守老人』(Old Mirtality)英 『白鯨』(Moby-Dick)米 『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on a White Horse My Story)米 『白魔』(The White Devil)英 『激しく攻むる者はこ...
  • 作品索引/サ行
    作品索引/サ行 『サーカスの息子』(A Son of the Circus)米 『サーシス』(Thyrsis)英 『最後の回転木馬』(The Last Carousel)米 『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel)英 『サイダーハウス・ルール』(The Cider House Rules)米 『サイラス・マーナー』(Silas Marner)英 『詐欺師』(The Confidence-Man)米 『サスペンス』(Suspense)英 『砂漠の音楽とその他の詩』(The Desert Music and Other Poems)米 『サフィラと奴隷娘』(Sapphira and the Slave Girl)米 『醒めて唄え!』(Awake and Sing!)米 『さようならウサギ』(Rabbit at Rest)米 『猿と本質』(Ape and...
  • テネシー・ウィリアムズ
    テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)(1911年~1983年) 略歴  ミシシッピ州コロンバス出身の劇作家。筆名のテネシーは友人が彼の南部訛りから付けたとも、彼自身が開拓精神を鼓舞するために付けたとも言われている。祖父は監督派の牧師で彼はその牧師館で生まれた。その先祖はテネシー州の開拓者であったという。一方で母方の先祖はニューイングランドの初期移住者のクエーカー教徒の末裔であった。こうした二種類の血の混じり合いを彼は強く意識していたらしい。家庭には色々と問題があった。父は靴のセールスマンでそのために12歳の頃に転勤でセントルイスに移った。彼が深く愛した姉ローズは精神障害でその生涯のほとんどを精神病院で過ごした。両親は彼女にロボトミー手術を施させ、その事に彼は強い反発を覚えた。1931年に州立大学に入るが経済的理由で退学し、父の会社で働き始める。しかし劇作家への夢...
  • トマス・ハーディ
    トマス・ハーディ(Thomas Hardy)(1840~1928) 略歴  イギリス、ドーセット州出身。元々は敬虔なキリスト教徒で、日曜日には家族揃って教会に行き、ヴァイオリンを演奏することもあったという。しかし、1859年に発表されたダーウィンの進化論が、彼の人生を大きく変えることになった。彼は[メレディス ジョージ・メレディス]とは対照的に、そこにネガティヴなイメージを受けた。彼は自分自身が生まれ育ったウェセックスの、のどかで美しい牧歌的な景色と、自然と共に生きる農民たちの生活を描いた。しかしそういった自然や生活の全てが暗く無目的であり、人間の力の及ばない、不可解な宇宙の内在意思(Immanent Will)によって支配されていると考えた。彼の一連の作品はその舞台の名をとって「 ウェセックス・ノヴェル」と呼ばれるが、書く毎に彼の厭世観は暗く落ち込んでいった。その作品に対する評価は、当...
  • 年表(19世紀)
    文学史年表(19世紀) 西暦 英文学 米文学 1804 ウィリアム・ブレイク『ミルトン』(Milton)『エルサレム』(Jerusalem) 1802 ウォルター・スコット(Sir Walter Scott,1771-1832)『スコットランド辺境歌謡集』(The Minstrelsy of the Scottish Border) 1805 ウォルター・スコット『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel) 1807 ジョージ・バイロン(George Gordon Byron,1788-1824)『無為の時』(Hours of Idleness) ジョウエル・バーロウ『コロンビアド』(The Columbiad) 1808 ウォルター・スコット『マーミオン』(Marmion) 1809 ワシントン・アーヴィング(Washington Ir...
  • エリザベス・ギャスケル
    エリザベス・ギャスケル(Elizabeth Cleghorn Gaskell)(1810~1865) 略歴  ユステニアン派の元牧師の家に生まれた。旧姓はスティーヴンソン。1歳で母を亡くし、伯母の家に引き取られた。その後、父と兄を相次いで亡くすが、21歳で牧師であるウィリアム・ギャスケルと結ばれた。しかし、34歳になってようやく授かった長男が9ヶ月で病死すると、失意のどん底に突き落とされた。ところが失意の中で夫に勧められて書き綴った処女作が、世間で大好評を得、一躍時の人となった。著名な作家たちとも親しく交友を深め、その中にはチャールズ・ディケンズやエリオット、シャーロット・ブロンテらがいた。55歳の時、当時手がけていた作品の完成間近で、別荘で急死。 作品  いくつかの長編の他、多数の中短編を書いたが(チャールズ・ディケンズの雑誌で発表されたものも多い)、同時代の巨匠と呼ばれるような...
  • トマス・グレイ
    トマス・グレイ(Thomas Gray)(1716~1771) 略歴  古典文学者、詩人。ケンブリッジの研究員、後に教授になった。この時代の風潮にあった静謐な詩が特徴で、特に『墓畔の哀歌』(An Elegy Written in a Country Churchyard,1751)が有名。繊細な性格で、常に正確で完璧な表現を追い求め、寡作ながらも評価は高い。
  • ケネス・コーク
    ケネス・コーク(Kenneth Koch)(1925年~2002年) 略歴  オハイオ州シンシナティ出身の詩人。ニューヨーク派を代表する詩人一人。若い頃から詩作に目覚め、戦後ハーバード大学に入り、そこでアシュベリーと出会った。在学中にグラスコック賞受賞している。卒業後ニューヨークに出た。処女出版された詩集は一般受けしなかったが、1970年代に入ると批評家から高い評価を得た。彼は死ぬまで精力的に詩を発表し続けた。またコロンビア大学の教師としても人気が高かった。 作品  作品としては『愛の芸術』(The Art of Love,1975)、『一両の列車』(One Train,1994)などがある。
  • トマス・ゴドフリー
    トマス・ゴドフリー(Thomas Godfrey)(1736年~1763年) 略歴  アメリカ人の手によるアメリカ演劇の最初の劇作家。しかし惜しくも早世した。作品としては『パルティアの王子』(The Prince of Parthia,1767)がある。
  • ユージーン・オニール
    ユージーン・オニール(Eugene Gladstone O Neill)(1888年~1953年) 略歴  ニューヨーク出身の劇作家。アイルランド系。父は旅回りの俳優で、彼は幼い頃から寄宿学校に入った。プリントン大学に進んだもののたった一年で放校処分となり、その後も酒浸りの生活を送り、船乗りとして航海に出たり、金鉱堀りに加わったこともあった。その頃には自殺未遂もあったという。しかし1912年に結核を発症し療養生活に入ったのをきっかけに過去を清算し、劇作家となる決意を固めた。完治後、ハーヴァード大学のベーカー教授の教室で劇作を学び、1916年にプロヴィンスタウン劇団に参加しデビューした。その後は次々と問題作や実験的作品を発表し、一躍1920~30年代の演劇界を牽引した。しかし『終わりなき日々』(1934)の失敗を境に1946年まで沈黙を続けた。1953年ボストンのホテルの一室で息を引き取っ...
  • 作品索引/ア行
    作品索引/ア行 『ああ、荒野』(Ah, Wilderness)米 『アーサー・マーヴィン』(Arthur Mervyn)米 『アーロンの杖』(Aaron s Rod)英 『アーロン・バアの英雄的生涯』(Burr)米 『アイヴァンホー』(Ivanhoe)英 『愛こそすべて』(All for Love)英 『愛されし者』(The Loved One)英 『愛について語るときに我々の語ること』(What We Talk About When We Talk About Love)米 『愛には愛を』(Love for Love)英 『愛の芸術』(The Art of Love)米 『愛の車輪』(The Wheel of Love)米 『愛のために 1950-1960』(For Love Poems 1950-1960)米 『アイリーン』(Irene)英 『アイルランド・スケッチブック』(The I...
  • ホレス・ウォルポール
    ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)(1717~1797) 略歴  有名な政治家ロバート・ウォルポールの三男。政治家としても活動し、奴隷売買に反対を表明したことで知られるが、もっぱら趣味的な生活にいそしんだ。別送のストロベリー・ヒルを改築して、自分好みのゴシック風建築に仕立てたことでも有名。その徹底振りは建築だけでなく、家具調度、美術品、科学、文学、化石などあらゆる面で時代の最先端を行っていた。彼がある日見た夢を基に書いた『オトラント城』(The Castle of Otranto,1764)は、ゴシック小説の流行のきっかけとなり、続くロマン主義時代への先駆けとなった。
  • アンガス・ウィルソン
    アンガス・ウィルソン(Angus Wilson)(1913~1991) 略歴  サセックス州のベックスヒル出身。英国人の父と南アフリカ人の母を持つ。オックスフォードのマートンカレッジで学んだ。その後、大英博物館に勤務。その傍ら小説を書いた。代表作は中年小説家の同性愛の悲劇を描いた『毒にんじんとその後』(Hemlock and After,1952)。他に『アングロ・サクソンの態度』(Anglo-Saxon Attitudes,1956)、『エリオット夫人の中年』(The Middle Age of Mrs. Eliot,1958)、『動物園の老人たち』(The Old Men at the Zoo,1961)などがある。
  • ウィリアム・ギャス
    ウィリアム・ギャス(William Howard Gass)(1924年~ ) 略歴  ノース・ダコタ州ファーゴ出身。ケニオン大学を卒業後、コーネル大学で博士号を取得した。ワシントン大学の哲学科教授、国際作家センター所長などを歴任した。1960年代以降、アメリカの前衛小説の理論形成に尽力した。 作品  『オーメンセッターの幸運』(Omensetter s Luck,1965)は処女長編。中世部の田舎町を舞台に、虚空に向って吐き続けられる果てしない独白で構成された作品。『アメリカの果ての果て』(In the Heart of the Heart of the Country,1968)は代表的短編集。『ウィリー・マスターズの孤独な妻』(Willie Masters Lonesome Wife,1971)は活字の図案化などによって言語の肉体化を目指したメタフィクション。『トンネル』(...
  • トマス・カーライル
    トマス・カーライル(Thomas Carlyle)(1795~1881) 略歴  英国の評論家、思想家、歴史家。ヴィクトリア朝初期を代表する典型的な知識人。スコットランドの清教徒派的な家庭に生まれ、牧師になろうと志してエディンバラ大学に学ぶが、次第に信仰に対する深い懐疑にとらわれた。ドイツ文学を研究し、『シラー伝』を書いた他にゲーテ作品の翻訳を行った。またゲーテとは文通をしており、多大な影響を受けたという。彼の「バイロンを閉じよ、ゲーテを開け」の言葉は有名。英国ロマン派の限界を見抜いていた。 作品  『衣装哲学』(Sartor Resartus,1833-4)は、架空のドイツの哲学者トイフェルスドレックの手記を翻訳・解説した、という形で書かれた。その中で社会、国家、宗教、道徳など全ての文化、及び思想は人が魂の上に着た衣服に過ぎないと断じた。また後半では、カーライル自身の苦悩の遍歴を...
  • E・M・フォースター
    E・M・フォースター(Edward Morgan Forster)(1979~1970) 略歴  ロンドンの建築家の家に生を受ける。何かの手違いで本当はヘンリーと名付けられるはずだったのに、エドワードとなってしまった。ケンブリッジ大学のキングス・カレッジで学ぶ。在学中にケンブリッジ使徒会に参加したが、そのメンバーは後にブルームズベリー・グループの中心メンバーとなった。フォースターもまたそうである。大学卒業後はイタリア、ギリシアを歴訪し、その経験を基に執筆した。1914年頃にはエジプト、ドイツ、インド、その後は中東へも足を伸ばした。晩年まで文壇に大きな影響力を持ち、91歳の天寿を全うした。 作品  フォースターの作品の特徴は、異文化や身分の違う人々が出会うことによって起こる出来事を描いている。そのため舞台が違っても、そこで描かれるのは異質なものにに出会った時の、英国人の心理である。人...
  • アリス・ウォーカー
    アリス・ウォーカー(Alice Malsenior Walker)(1944年~ ) 略歴  ジョージア州イートントン出身のアフリカ系アメリカ人の女流作家(他にもスコットランド系、アイルランド系の血も入っている)。スペルマン大学、サラ・ローレンス大学を卒業。1967年にフェミニズム活動家と結婚するも後に離婚。娘のレベッカもまた作家となった。最初の詩集は在学中に書かれた。公民権運動で作家活動を一時中断していたこともあった。その後フェミニスト雑誌へ参加することで執筆を再開、その後『カラー・パープル』で大きな反響を呼び、ピューリッツァー賞を獲得した。その一方で、アフリカ系アメリカ人の文化や民間伝承に深い関心を示し、その発掘と再評価に努めている。またこれまで評価されてこなかったアフリカ系アメリカ人作家の再評価のきっかけともなった。 作品  『むかし』(Once,1967)は第一詩集。翌年処...
  • イーディス・ウォートン
    イーディス・ウォートン(Edith Wharton)(1862年~1937年) 略歴  ニューヨーク出身の女流作家。富裕な名門家庭に生まれ、教育は家庭教師に学んだ。しばしばヨーロッパに旅行して周り、時折帰国するだけであった。。1885年にボストンの銀行家と結婚したが、1912年に離婚し、パリで独居した。その後小説を書き始め、パリで知り合ったジェイムズの勧めで、上流階級を題材とした作品を書き、ピューリッツァー賞を受賞した。短編の名手だったが、長編も高い評価を得た。他に小説論などまとめた評論集、旅行記、自伝なども書いた。 作品  『より大きな好み』(The Greater Inclination,1899)は処女短編集。その後も数多くの短編集を発表した。『決断の谷間』(The Valley of Decision,1902)は処女長編。18世紀イタリアを舞台とし、進歩的な思想と因習の狭...
  • トバイアス・スモレット
    トバイアス・スモレット(Tobias George Smollet)(1721~1771) 略歴  スコットランドの判事の家に生まれる。グラスゴー大学で医学を学ぶが、文学的野心からロンドンに出るも、なかなか文壇に入り込めなかった。軍船に従軍医として乗り込み、西インド諸島でスペイン軍と戦ったり、ジャマイカでは現地の女性を妻に娶ったりと、波乱に満ちた生涯を送った。けして主流とはなり得なかったものの、この頃には彼の書くような、面白い読み物を求める需要が増えつつあり、後にディケンズやサッカレーなどにも影響を与えた。また作家としてだけでなく、編集者・批評家としても活躍し、コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、ドレークなどの探検記や旅行記をまとめた『世界の旅行記』(A Compendium of Authentic and Entertaining Voyages)が知られている。 作品  その小説...
  • 年表(1901~1949)
    西暦 英文学 米文学 1901 ラドヤード・キプリング『キム』(Kim) フランク・ノリス『蛸』(The Octppus) H・G・ウェルズ『神々の糧』(The Food of the Gods) トマス・ハーディ『過去と現在の詩集』(Poems of the Past and the Present) 1902 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』(The Wings of the Dove) ウィリアム・ディーン・ハウエルズ『文学と人生』(Literature and Life) W・H・ハドソン『エル=オンブ』(El Ombu) イーディス・ウォートン『決断の谷間』(The Valley of Decision) アーサー・コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』(The Hound of the Baskervilles) アーノルド・ベネット『五つの町のアンナ』(Anna ...
  • ジョン・ガードナー
    ジョン・ガードナー(John Champlin Gardner Jr.)(1933年~1982年) 略歴  ニューヨーク州バタビア出身。アイオワ大学大学院で古代・中世英文学を学び、その後各地の大学の教壇に立った。その傍ら創作活動を行い、神話や伝説をもとにした作品も多い。批評家としても活躍したが、バイク事故により49歳でこの世を去った。 作品  代表作は『陽光との対話』(The Sunlight Dialogues,1972)で、1960年代のアメリカの社会や、人々の精神の混乱を体現する“陽光の男”と法と秩序の守護者である地方警察署長との、精神的会合を描いた。  他に『ベオウルフ』(Beowulf)をもとに怪物の視点から描いた『グレンデル』(Grendel,1971)や、『ニッケル・マウンテン』(Nickel Mountain,1973)、『キングス・インディアン』(The Kin...
  • オルダス・ハクスリー
    オルダス・ハクスリー(Aldous Leonard Huxley)(1894年~1963年) 略歴  サリー州のゴダルミング出身。ハクスリー家は代々著名な科学者を排出している名家である。祖父トーマスは生物学者で、ダーウィンの進化論を支持したことで知られている。兄ジュリアンもまた進化論を支持した生物学者で、ユネスコ事務総長も務めた。一方オルダスは医師を志しイートンに進むが、角膜炎が原因で退学。視力のために第一次大戦の兵役を免れた。視力は後に回復したが、医師の道は諦め、オックスフォードで英文学と言語学を専攻した。大戦後作家としての道を歩み始めた。1937年には眼の治療のために渡米。その後は次第に神秘主義的傾向を深めていった。その中、自ら実験台となって幻覚剤(メスカリン)を使用したこともあった(その中で精神科医のオズモンドはサイケデリックという語を創造した)。1963年に死去。死の直前までLS...
  • エリザベス・バレット・ブラウニング
    エリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning)(1806~1861) 略歴  ダラムの出身。かなりの早熟で、8歳の頃に原語のギリシア語でホメロスを読むほどだったという。ギリシア語とラテン語は独学だった。14歳にして私費ではあったが処女作を出版した。しかし15歳の時、落馬が原因で脊椎を損傷し、以来病弱になり引きこもった生活を送るようになった。1845年、彼女の詩に感動したブラウニングが手紙を送ったことから、二人は互いに好意を抱くようになり、翌年に結婚、イタリアへ駆落ちした。1961年、フィレンツェにてその生涯を閉じた。作品には夫への愛情に満ちた44編のソネット集『ポルトガル語からのソネット』(Sonnets from the Portugese,1850)、9巻からなる大作で社会問題・婦人問題を論じた『オーロラ・リー』(Aurora Leigh,...
  • ジェーン・オースティン
    ジェーン・オースティンJane Austen(1775~1817) 略歴  ハンプシャーの田舎牧師の家に生まれる。兄弟が六人、姉が一人おり、姉とは終生親密であった。当時の一般の女性よりも充実した教育を受け、この間に文学作品に接し、影響を受ける。1789年頃から小説のようなものを書き始めたが、これは発表するためではなく、あくまでも家人に読み聞かせるためのものであった。父の勧めで出版社に送ってみた作品も、出版にはいたらなかった。生涯独身を通し、42歳で没する。生前に出版された作品も全て匿名であり、本人もまた自分の英文学にもたらした功績に気づくことがなかった。 作品  彼女は生涯で長編6作を書いた。いずれも平凡な田舎の日常を描いたものである。実際に彼女は「田舎の村の3、4家族が、小説の題材には最適なのです」と述べている。彼女は自分が生きた小さな世界の、よく知る人々を丹念に描き続けた。自分...
  • デイヴィッド・ガーネット
    デイヴィッド・ガーネット(David Garnett)(1892年~1981年) 略歴  ブライトンに生まれる。父は作家のエドワード・ガーネット、母はロシア文学の翻訳者コンスタンス・ガーネット。初め王立協会で植物学を専攻したが、第一次大戦が勃発すると良心的兵役拒否をして、戦災者の救済に奔走した。戦後には友人と大英博物館の近くに書店を開いた。いわゆるブルームズベリー・グループの一人であった。最初の妻に先立たれた後に再婚しているが、その相手は同性愛関係にあったと噂されたダンカン・グラントの娘であった。彼女と離婚した後はフランスに移り住んだ。 作品  いずれも奇妙な着想が特徴。  代表作は『狐になった奥様』(Lady into Fox,1922)。ある日突然、狐の姿になった妻が次第に野生に目覚めていくことに戸惑う夫の姿を描いた奇妙な物語。  他に『動物園に入った男』(A Man in...
  • ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ
    ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ(Henry Wadsworth Longfellow)(1807~1882) 略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生にはホーソーンがいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自...
  • H・G・ウェルズ
    H・G・ウェルズ(Herbert George Wells)(1866~1946) 略歴  フランスのジュール・ベルヌと共に、「SFの父」と呼ばれる作家。イギリスのケント州ブロムリーに生まれる。科学師範学校に奨学金で進み、トマス・ヘンリー・ハクスリー(孫のオルダス・ハクスリーは作家)に生物学を学ぶ。そこの学生誌に寄稿したものが後期の作品の原点となった。教職を経てジャーナリストになり、作家となる。後プラトンの『国家』を読んで社会主義に傾倒するとフェビアン協会に参加する。世界平和や人権問題、糖尿病患者協会の設立など社会問題に積極的に関わった。 作品  SFの元祖として現在でも広く読まれ、親しまれているが、その一方で文学として扱われることは少ない。しかしながらウェルズの作品は荒唐無稽な読物ではなく、現在の世界、及び未来世界への深い憂慮が込められている。  初期の作品はいわゆるSF小説で...
  • ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
    ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(William Carlos Williams)(1883年~1963年) 略歴  ニュージャージー州ラザフォード出身。小児・産婦人科医として当地で生涯を過ごした。1902年にペンシルヴェニア大学に入学し、エズラ・パウンドやH.D.と出会った。この交友は生涯続くこととなった。1909年に処女詩集を発表し、その後はパウンドやスタインらや、ダダイズムやキュビズムなどの前衛芸術の影響を受け現代的な詩へと発展を遂げた。パウンドと対照的に終生アメリカの大地に根ざした土着的な詩を目指した。次第にイマジズムから日常の事物を日常の言葉を使って、無韻詩で綴る詩風を確立したが、モダニズム全盛期には一般には無名だったが、以降のアメリカ詩に大きな影響を与えた。 作品  『詩集』(Poems,1909)は処女詩集でキーツの模倣の域を出ていない。しかしその後『関係者各位へ』...
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