ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「ヴァージニア・ウルフ」で検索した結果

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  • エドワード・オールビー
    ...姿を描いた。  『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(Who s Afraid of Virginia Woolf?,1962)は代表作。中年の准教授夫婦が、若い同僚夫婦をパーティーに招くが、その場で彼らはそれぞれのエゴイズムを明らかにし、夫婦の相克や不毛な家庭の状況が明らかになっていく。  『小さなアリス』(Tiny Alice,1964)では神の存在という形而上学的テーマに挑んだ。  他に『アメリカの夢』(The American Dream,1961)、『デリケート・バランス』(A Delicate Balance,1966)、『海の風景』(Seascape,1975)、『三人の背の高い女性』(Three Tall Women,1994)などがある。
  • トマス・ウルフ
    トマス・ウルフ(Thomas Clayton Wolfe)(1900年~1938年) 略歴  ノース・カロライナ州アッシュビル出身の作家。父は石材店、母は旅館を経営しており、彼は8人兄弟の末子だった。19歳でノース・カロライナ大学を出、ハーヴァード大学の大学院に進み、劇作を学んだ。その後ニューヨーク大学で教鞭を取っていたが、アリーヌ・バーンスタイン(Aline Bernstein,1880-1955)に励まされて小説の執筆を始めた。名編集者マクスウェル・パーキンズ(Maxwell Perkins,1884-1947)に認められ出版に至った。しかし後には彼ら二人と袂を分かった。「真摯な小説は必ず自伝的である」と宣言し、その通りに自伝的小説を書き続けた。また「我々は新たなアメリカを発見しなければならない」とし、時に全体のバランスを崩してでも、すべてを語りつくそうとすることに異常なこだわりを見...
  • 作品索引/ア行
    ... H. H.)英 『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(Who s Afraid of Virginia Woolf?)米 『ヴァージニア人』(The Virginians)英 『ウァイロムヴィル物語』(Whilomville Stories)米 『ヴァセック』(Vatheck)英 『ヴァネッサ』(Vanessa)英 『ウィーランド』(Wieland)米 『ウィリアム・クリッソールドの世界』(The World of William Clissold)英 『ウィリアム・ポスターズの死』(The Death of William Posters)英 『ウィリー・マスターズの孤独な妻』(Willie Masters Lonesome Wife)米 『ヴィレット』(Villette)英 『ウィンザーの陽気な女房たち』(The Merry Wives of Windsor)英 『ウィン...
  • エレン・グラスゴー
    エレン・グラスゴー(Ellen Glasgow)(1874年~1945年) 略歴  ヴァージニア州リッチモンド出身の女流作家。名家に生まれたが、病弱だったために学校教育は受けず、もっぱら文学を読みふけって過ごした。感傷的なロマンスではなく、南北戦争後の南部の現実を赤裸々に描いた作品を次々と発表した。 作品  代表作は『不毛の地』(Barren Ground,1925)で、寒村でたくましく生きる女性の姿を描いた。  他に『人民の声』(The Voice of the People,1900)、『鉄の鉱脈』(Vein of Iron,1935)、ピューリッツァー賞を受賞した『このわれらの生に』(In This Our Life,1941)、死後出版の自伝『内なる女』(The Woman Within,1954)がある。
  • ウィラ・キャザー
    ウィラ・キャザー(Willa Cather)(1873年~1947年) 略歴  ヴァージニア州出身の女流作家。9歳の時に開拓後まもないネブラスカ州のレッド・クラウドに移り住んだ。しかし田舎町の偏狭さと退屈さに嫌悪感を抱いた。ネブラスカ大学リンカーン校を卒業後、ピッツバーグで高校教師となった。その後、ニューヨークで雑誌編集者をする傍ら創作に励み、作家となった。地方主義作家セアラ・オーン・ジュエットと出会い自分独自の世界を発見するようアドバイスを受けたことで、中西部へと回帰した。1923年にピューリッツァー賞を受賞。 作品  『四月のたそがれ』(April Twilight,1903)は詩集。『トロールの庭』(The Troll Garden,1905)は短編集。  『アレクサンダーの橋』(Alecander s Bridge,1912)は処女長編。ロンドンを舞台に、中年のアメリカ人...
  • ジェイムズ・ブランチ・キャベル
    ジェイムズ・ブランチ・キャベル(James Branch Cabell)(1879年~1958年) 略歴  ヴァージニア州の旧家の出身。ウィリアム・アンド・メリー大学を卒業後、新聞記者などを経て作家となった。『マニュエルの伝記』という全18巻にも及ぶ幻想的な物語で有名となるが、そのうちのひとつがその内容から告発を受けて発禁処分とされ、その取り消しを求めて争ったために話題となり、かえってそのために名が売れた。後世のファンタジー作品に大きな影響を与えたという。 作品  『マニュエルの伝記』(The Biography of Manuel)は全18巻に及ぶ長大な物語。始祖マニュエルから転生を繰り返していく幻想的な物語。内容は小説や随筆、詩が含まれている。中でも最も有名なのは6巻目の『ユルゲン』(Jurgen,1919)である。質屋ユルゲンの愛の遍歴を描いた物語で、猥褻書として告発を受けた...
  • 年表(1950~2000)
    ...ワード・オールビー『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(Who s Afraid of Virginia Woolf?) ジョン・ウェイン『親父を殴り殺せ』(Strike the Father Dead) ロバート・クリーリー(Robert Creeley,1926-2005)『愛のために 1950~1960』(For Love Poems 1950-1960) グレゴリー・コーソ『人間ばんざい』(Long Live Man) 1963 アイリス・マードック『ユニコーン』(The Unicorn) ジョン・アップダイク『ケンタウロス』(The Centaur) カート・ヴォネガット『猫のゆりかご』(Cat s Cradle) ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates,1938- )『北門のかたわらで』(By the North Gate) 19...
  • 年表(1901~1949)
    西暦 英文学 米文学 1901 ラドヤード・キプリング『キム』(Kim) フランク・ノリス『蛸』(The Octppus) H・G・ウェルズ『神々の糧』(The Food of the Gods) トマス・ハーディ『過去と現在の詩集』(Poems of the Past and the Present) 1902 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』(The Wings of the Dove) ウィリアム・ディーン・ハウエルズ『文学と人生』(Literature and Life) W・H・ハドソン『エル=オンブ』(El Ombu) イーディス・ウォートン『決断の谷間』(The Valley of Decision) アーサー・コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』(The Hound of the Baskervilles) アーノルド・ベネット『五つの町のアンナ』(Anna ...
  • シャーウッド・アンダソン
    シャーウッド・アンダソン(Sherwood Anderson)(1876~1941) 略歴  オハイオ州の片田舎に生まれる。父は馬具職人であったが、生来のほら吹きで放浪癖があり、家計は勤勉な母が支えていた。彼もまた幼い頃から様々な仕事に出て家計の足しにしていたために、正規の教育を受けることができなかったが、実地の体験と耳から知識を吸収していった。母が死ぬと一家は離散し、彼は21歳でシカゴに出る。そこで職を転々とした後に米西戦争で兵役に就き、再びシカゴに戻ると広告会社に勤務した。その後故郷に帰り、ペンキ会社の経営者となり、結婚もして平穏な生活を送っていたが、1913年に突如妻子を残したまま出奔、単身シカゴに現れた。後に自伝の中で「真実を見出すためだった」と書いているが、実際はある種の神経衰弱による失踪だったのではないか、と言われている。シカゴで再び広告の仕事をしながら、作家への道を歩むこと...
  • ヒュー・シーモア・ウォルポール
    ヒュー・シーモア・ウォルポール(Sir Hugh Seymour Walpole)(1884~1941) 略歴  ニュージーランド出身。牧師の子として生まれた。ケンブリッジを卒業後、牧師となった。それまでにも書評を書いたりしていたが、1909年に小説家に転身した。後にサーの称号を授与された。 作品  『ペリン氏とトレイル氏』(Mr. Perrin and Me. Traill,1909)が処女作。学校教師の生活を描いた。  『不屈の魂』(Fortitude,1913)。  『ジェレミー』(Jeremy,1919)、『ジェレミーとハムレット』(Jeremy and Hamlet,1923)、『揺りかごの中のジェレミー』(Jeremy at Cradle,1927)は自伝的な長編3部作。  『悪漢ヘリズ』(Rogue Herries,1930)、『ジュディエット・パリス』(Jud...
  • レイモンド・カーヴァー
    レイモンド・カーヴァー(Raymond Clevie Carver Jr.)(1938年~1988年) 略歴  オレゴン州クラッツカニー出身。3歳の時にワシントン州ヤキマに転居した。家庭は貧しかったが高校を卒業し、その翌年には結婚、さらにその翌年にカリフォルニア州立大学チコ校に入学した。経済的には厳しかったが夜間に働きながら創作科でガードナーの教えを受け、1960年にハンボルト州立大学に移籍し文芸誌の執筆と編纂に携わった。1963年に卒業すると今度はアイオワ州立大学大学院の創作科に進むが、経済事情が原因で中退した。その後は雑役夫などをして糊口を凌いでいたが、1971年に短編が認められ、カルフォルニア州立大学バークレー校の客員教授となったが、アルコール依存症が原因で入退院を繰り返し、妻とも別居してしまった。その後、アルコール依存症を克服し、精力的に作品を発表し続けた。1980年にはシラキュ...
  • ウィリアム・サッカレー
    ウィリアム・サッカレー(William Makepeace Thackeray)(1811~1863) 略歴  インドのカルカッタ出身の作家。父は東インド会社に勤務していた。6歳で帰国し、イギリスで教育を受けた。ケンブリッジで学ぶも放蕩に明け暮れた上、父が投資していた銀行代理店が倒産、資産の大部分を失ってしまった。結婚を期に新聞社に入るも、長続きせずに退職し、雑誌「パンチ」などへの投稿で生活費を稼いだ。その後作品が認められ、ディケンズと並び称される作家となった。ディケンズが中・下流階級を代表していたのに対し、サッカレーは比較的上流に近い階級の腐敗や俗物性を暴き出した。 作品  『馬丁粋語録』(The Yellowplush Papers,1837-38)は馬丁のイエロープラッシュ(従僕の黄色いお仕着せの意)が転々と奉公先を変えつつ、行く先々で主人の家の内幕を面白おかしく語る、という...
  • ロバート・クーヴァー
    ロバート・クーヴァー(Robert Coover)(1932年~ ) 略歴  アイオワ州チャールズシティ出身。ポストモダン文学の旗手としてピンチョンやギャスと並ぶ代表格。 作品  代表作は『ユニヴァーサル野球協会』(The Universal Baseball Association, Inc,1968)で、独自に開発した野球ゲームとその仮想現実の世界に熱中し、次第に捕らわれていく中年男を描いた。  他に『ブルーノ教団』(The Origin of Brunists,1966)で(フォークナー賞を受賞)、『火刑』(The Public Burning,1977)、『ジェラルドのパーティ』(Gerald s Party,1986)、『ベニスのピノキオ』(Pinocchio in Venice,1991)、『ブライヤー・ローズ』(Briar Rose,1996)などがある。
  • ラルフ・ウォルド・エマソン
    ラルフ・ウォルド・エマソン(Ralph Waldo Emerson)(1803~1882) 略歴  マサチューセッツ州コンコードに代々続く牧師の家に生まれる。ハーヴァード大学卒業後、コットン・マザーも牧師を務めたボストン第二教会の牧師となった。ところが聖餐式の儀式に反対し、牧師の職を辞することにった。その後、ヨーロッパに渡り、ワーズワースやコールリッジ、カーライルらと交わり、影響を受けた。  帰国するとコンコードに住み、「自然」についての講演を始める。彼の主意には共鳴する人々が集まり、その中にはソローもいた。彼らはトランセンデンタル・クラブと呼ばれ、機関紙である『ダイアル』に思想や詩を発表するようになった。彼らの活動は後世の作家や詩人に大きな影響を与えることになった。 作品  エマソンの著作では『自然論』(Nature,1836)がよく知られている。この中で彼は自然と直接交わるこ...
  • オリヴァー・ゴールドスミス
    オリヴァー・ゴールドスミス(Oliver Goldsmith)(1730年?~1774年) 略歴  アイルランド出身。父は牧師であった。ダブリン大学を卒業し、当時聖職者になるために必要であった医学を学ぶために欧州に渡るが、結局どこも卒業できず失敗に終わった。その後ロンドンに移住し、生活費を稼ぐために雑誌にエッセイを投稿すると、それが意外にも好評を得た。それから文筆で生計を立てるようになるが、それでも生涯生活は貧しいままだった。ジョンソンの文学クラブの一員でもあった。 作品  エッセイや小説の他、詩や劇作も手がけた。小説では『ウェイクフィールドの牧師』(The Vicar of Wakefield,1766)が有名だが、むしろ劇作家としての貢献が大きく、衰退期にあった英国の演劇界を束の間の間賑わわせた。『負けるが勝ち』(She Stoops to Conquer,1773)は喜劇で、...
  • 年表(19世紀)
    文学史年表(19世紀) 西暦 英文学 米文学 1804 ウィリアム・ブレイク『ミルトン』(Milton)『エルサレム』(Jerusalem) 1802 ウォルター・スコット(Sir Walter Scott,1771-1832)『スコットランド辺境歌謡集』(The Minstrelsy of the Scottish Border) 1805 ウォルター・スコット『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel) 1807 ジョージ・バイロン(George Gordon Byron,1788-1824)『無為の時』(Hours of Idleness) ジョウエル・バーロウ『コロンビアド』(The Columbiad) 1808 ウォルター・スコット『マーミオン』(Marmion) 1809 ワシントン・アーヴィング(Washington Ir...
  • ベンジャミン・フランクリン
    ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)(1706~1790) 略歴  ボストンに移住したピューリタンの子として生まれたベンジャミンは、幼い頃宗教的家庭教育を施されるが、青年時代になると次第に理神論に惹かれていった。12歳から兄の印刷屋兼新聞社を手伝い、16歳の時にジャーナリストとなるためにフィラデルフィアに出る。『ペンシルヴェニア・ガゼット』を改良して発行し、さらに1732年からは『貧しきリチャードの暦』(Poor Richatd s Almanack)という日めくりカレンダーに格言を併載するアイデアで、大成功あいた。また有名な凧の実験を行ったり、フランクリン・ストーブを発明したりした他、消防、病院、学校などの社会施設へを充実させようと尽力した。1751年にはペンシルヴェニア州議会議員になった。独立宣言に署名したことでも知られている。 作品  彼の思想を最...
  • ロイアル・タイラー
    ロイアル・タイラー(Royall Tyler)(1757~1826) 略歴  ボストンの裕福な商家に生まれ、ハーヴァード大学を卒業後に独立戦争に参加、その後法律家となる。もともと芸術に関心があった彼は、ニューヨークを訪れた際にアメリカン・カンパニ-(アメリカ最初の劇団)の人気喜劇役者トマス・ウィグネルと知り合い、それがきっかけでわずか三週間で『コントラスト』を書き上げた。これが上演されるとたちまち評判となり、数多くの作品を世に送り出すこととなった。劇作だけでなく、小説やエッセイも執筆したが、その一方でヴァーモントの最高裁判所裁判長や、ヴァーモント大学の法律学教授を務めるなど、作品以上に多彩な一生を送った。 作品  代表作『コントラスト』(The Contrast,1787)はニューヨークを舞台に、無骨だが誠実な軍人マンリーとイギリスかぶれの似非紳士ディンブルを対置した恋愛喜劇である...
  • ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ
    ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ(Henry Wadsworth Longfellow)(1807~1882) 略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生にはホーソーンがいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自...
  • ロバート・ペン・ウォレン
    ロバート・ペン・ウォレン(Robert Penn Warren)(1905年~1989年) 略歴  ケンタッキー州出身の詩人、批評家。バンダービルト大学に在学中、南部地方主義文学運動の拠点であった雑誌『フュージティブ』に参加し活躍した。その後、カリフォルニア、エール、オックスフォード大学で学んだ。その後は母校やルイジアナ、ミネソタ、エール大学でそれぞれ教鞭を取った。その傍ら季刊文芸誌『南部評論』を創刊し編集に尽力した。また自らも詩を発表し、ピューリッツァー賞を受賞するなど高い評価を得た。一方で小説の分野でも主に南部の歴史に取材した作品を発表し、こちらでもピューリッツァー賞を受賞した。批評の分野でも名高い。 作品  『詩36篇』(Thirty-Six Poems,1936)は初期の詩集で形而上詩の影響が強かった。その後平易な物語詩へと移行していき『約束』(Promises,1957)...
  • マルカム・カウリー
    マルカム・カウリー(Malcolm Cowley)(1898年~1989年) 略歴  ペンシルベニア州出身の詩人、批評家。ハーヴァード大学に在学中に第一次世界大戦に従軍した。大学卒業後、パリに移住してボヘミアン的生活を送り、詩集を発表した。また批評家として米文学に与えた影響は多大で、特に当時全くの無名でその作品もほとんど絶版状態だったフォークナーを“発掘”した功績は非常に大きい。 作品  詩集としては『ブルー・ジュニアータ』(Blue Juniata,1929)、『渇いた季節』(A Dry Season,1942)などがある。  むしろ失われた世代の生き証人として、狂騒の1920年代を活写したエッセイ、『亡命者の帰還』(Exile s Return A Narrative of Ideas,1934,改訂版1951)が有名。これは文学史としても個人の自伝としても優れたものとし...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • クリストファー・マーロゥ
    クリストファー・マーロゥ(Christopher Marlowe)(1564~1593) 略歴  大学才人の中で唯一本当の才能に恵まれていた人物。劇作家、詩人、翻訳家として活躍し、29年という駆け抜けるように生きたその短い生涯の中で、後世の作家に多大な影響を与えた優れた作品を世に送り出した。秘密結社に入った、あるいはスパイとして活動していた、はたまた二重スパイであったなど、怪しい噂に事欠かない人物で、その最期も酒の席での喧嘩で、眉間にナイフを突き刺される、という壮絶なものだった。その動機も、諜報機関による暗殺説、無神論者グループ内での内紛など、様々な説がある。 作品  処女作は『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great,1587)。ティムールの生涯を基にした、一介の羊飼いから大王へと上り詰めた男の壮大な物語で、当時スペインに追いつき追い越そうとしていた時代風...
  • アーノルド・ベネット
    アーノルド・ベネット(Arnold Bennett)(1867~1931) 略歴  スタフォードシャーのハンリー出身の作家。21歳の時に単身ロンドンに出て、法律事務所に勤めながら、新聞や雑誌に小説やエッセイを投稿する。その後、ジャーナリズムに関心を持ち出版社に転職、その後は女性週刊誌の編集者、後に編集長を務める。1900年頃からは本格的に作家として活動する。父親の死を契機にフランスで10年余りを過ごし、その間にフランス人の女性と結婚する。 作品  英国における自然主義文学の代表格とされ、特にフランスの自然主義文学に範を取った、徹底した写実主義の技法で知られる。しかしながらすでにその頃にはこの種の自然主義文学は時代遅れとなりつつあった。後の時代の革新的旗手の一人ウルフとの芸術創作上の議論において、彼が「性格造形こそが小説のアルファでありオメガだ」と述べ、ウルフに一笑に付されたというエ...
  • E・E・カミングズ
    E・E・カミングズ(Edward Estlin Cummings)(1894年~1962年) 略歴  マサチューセッツ州ケンブリッジ出身。父は社会学と政治学の教授で後に聖職者となった。恵まれた環境で育ち、早熟だった彼は10歳頃には早くも詩を書いていたという。ハーヴァード大学に進み、英語と古典研究の修士を取得した。その頃にドス・パソスと知り合い、交友を深めた。またスタインやパウンドらから強い影響を受け、後の彼の作品にそれが表れることになった。卒業後、ドス・パソスと共に救急隊に入隊し、第一次世界大戦に参戦した。しかし事務手続きの不備から彼は配備が遅れ、その間パリに滞在し、その魅力の虜となった。その後任務に就くが、友人と共にスパイ容疑で逮捕され捕虜収容所で辛い監禁生活を送った。父が政治力を持っていたおかげで釈放されたが、帰国してすぐに徴兵され陸軍に入った。戦後、パリとニューヨークを行き来しなが...
  • ジョン・アップダイク
    ジョン・アップダイク(John Hoyer Updike)(1932~2009) 略歴  ペンシルヴァニア州シリングトン出身。両親はユダヤ人。ハーヴァード大学を主席で卒業した。在学中から作品を発表していた「ニューヨーカー」誌のライターとなり、後に作家となった。都会派作家として活躍し、全米図書賞、ピューリッツァー賞を2度、全米批評家協会賞、ペン/フォークナー賞を受賞した。 作品  『プアハウス・フェア』(Poorhouse Fair,1959)は福祉国会に対する個人的な反感を寓意的に表した中編。  『同じドア』(The Same Door,1959)は初期の短編集。  『走れウサギ』(Rabbit,Run,1960)は代表作となったシリーズの第一作。ハリー・“ラビット”・アングストロームという元高校のバスケットボール選手の主人公は、平凡な家庭生活に飽き飽きすると共に、スター選手だ...
  • ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
    ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(William Carlos Williams)(1883年~1963年) 略歴  ニュージャージー州ラザフォード出身。小児・産婦人科医として当地で生涯を過ごした。1902年にペンシルヴェニア大学に入学し、エズラ・パウンドやH.D.と出会った。この交友は生涯続くこととなった。1909年に処女詩集を発表し、その後はパウンドやスタインらや、ダダイズムやキュビズムなどの前衛芸術の影響を受け現代的な詩へと発展を遂げた。パウンドと対照的に終生アメリカの大地に根ざした土着的な詩を目指した。次第にイマジズムから日常の事物を日常の言葉を使って、無韻詩で綴る詩風を確立したが、モダニズム全盛期には一般には無名だったが、以降のアメリカ詩に大きな影響を与えた。 作品  『詩集』(Poems,1909)は処女詩集でキーツの模倣の域を出ていない。しかしその後『関係者各位へ』...
  • テネシー・ウィリアムズ
    テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)(1911年~1983年) 略歴  ミシシッピ州コロンバス出身の劇作家。筆名のテネシーは友人が彼の南部訛りから付けたとも、彼自身が開拓精神を鼓舞するために付けたとも言われている。祖父は監督派の牧師で彼はその牧師館で生まれた。その先祖はテネシー州の開拓者であったという。一方で母方の先祖はニューイングランドの初期移住者のクエーカー教徒の末裔であった。こうした二種類の血の混じり合いを彼は強く意識していたらしい。家庭には色々と問題があった。父は靴のセールスマンでそのために12歳の頃に転勤でセントルイスに移った。彼が深く愛した姉ローズは精神障害でその生涯のほとんどを精神病院で過ごした。両親は彼女にロボトミー手術を施させ、その事に彼は強い反発を覚えた。1931年に州立大学に入るが経済的理由で退学し、父の会社で働き始める。しかし劇作家への夢...
  • アリス・ウォーカー
    アリス・ウォーカー(Alice Malsenior Walker)(1944年~ ) 略歴  ジョージア州イートントン出身のアフリカ系アメリカ人の女流作家(他にもスコットランド系、アイルランド系の血も入っている)。スペルマン大学、サラ・ローレンス大学を卒業。1967年にフェミニズム活動家と結婚するも後に離婚。娘のレベッカもまた作家となった。最初の詩集は在学中に書かれた。公民権運動で作家活動を一時中断していたこともあった。その後フェミニスト雑誌へ参加することで執筆を再開、その後『カラー・パープル』で大きな反響を呼び、ピューリッツァー賞を獲得した。その一方で、アフリカ系アメリカ人の文化や民間伝承に深い関心を示し、その発掘と再評価に努めている。またこれまで評価されてこなかったアフリカ系アメリカ人作家の再評価のきっかけともなった。 作品  『むかし』(Once,1967)は第一詩集。翌年処...
  • コットン・マザー
    コットン・マザー(Cotton Mather)(1663~1728) 略歴  コントン・マザーは、祖父が『賛美歌集』(Bay Psalm Book)をヘブライ語から翻訳したリチャード、父インクリースはハーヴァード大学長という、植民地の神政政治の中心となった名家に生まれた。12歳にしてラテン語を習得し、さらにはギリシア語、ヘブライ語も学んだ。15歳でハーヴァード大学を卒業、18歳の時にはすでに説教壇に立っていたという秀才であった。1685年以降はボストン第二教会の牧師となる。説教の中で社会秩序の基礎として家族の重要性を説いたが、そこには自らの家系がその中にあっても特別なものであるという自負も窺われる。彼が活躍した時代には、すでに神政政治には衰退が見られたが、彼は強い信念と誇りをもってこれを維持すべく努めた。 作品  コットン・マザーはその生涯で説教はもちろんのこと、歴史、伝記、エッセ...
  • ハーマン・ウォーク
    ハーマン・ウォーク(Herman Wouk)(1915年~ ) 略歴  ニューヨーク出身のユダヤ系作家で、両親はロシアから移住したユダヤ人。幼少期はブロンクスで過ごした。コロンビア大学で比較文学と哲学を学んだ。卒業後ラジオ脚本家となり、戦時中は羅時を広告で戦債を販売し、政府に貢献した。真珠湾攻撃が起きると、自ら志願して米海軍に入隊、太平洋戦争に従軍し、掃海艇に通信士官として搭乗した。その任務の合間に小説を書いていた。戦後結婚し、全てを執筆に捧げ、1952年にはピューリッツァー賞を受賞した。彼は執筆の際正確を期すために若手の歴史研究家を雇って参考にしていたために、歴史的な記述はかなりの部分で正確であるという。 作品  『オーロラの夜明け』(Aurora Dawn,1947)は広告業界を風刺した作品。『町の子』(The City Boy,1948)はニューヨークを舞台に子供の姿を共感を...
  • 人名索引/カ行
    人名索引/カ行 カーヴァー(Raymond Clevie Carver Jr.)米 ガードナー(John Champlin Gardner Jr.)米 カーハン(Abraham Cahan)米 ガーネット(David Garnett)英 カーライル(Thomas Carlyle)英 ガーランド{(Hamlin Garland)米 カウフマン(George S Kaufman)米 カウリー(Malcolm Cowley)米 カポーティ(Truman Garcia Capote)米 カミングズ(Edward Estlin Cummings)米 キーツ(John Keats)英 キッド(Thomas Kid)英 キプリング(Joseph Rudyard Kipling)英 キャザー(Willa Cather)米 ギャス(William Gass)米 ギャスケル(Elizabeth Cleghor...
  • メアリ・シェリー
    メアリ・シェリー(Mary Shelley)(1797~1851) 略歴  父は無神論者でアナーキストのウィリアム・ゴドウィン、母は女権論者のメアリ・ウルストンクラフトという、特異な家庭に生まれた。詩人のシェリーと出会い、彼にはまだ妻がいたにもかかわらず駆け落ちした。その生涯は、子に先立たれたり、また夫のシェリーを不慮の事故で亡くすなど、必ずしも幸福ではなかったかもしれない。 作品  スイスのジュネーヴ近郊の湖畔でバイロン、ポリドリと落ち合ったが、天候不順でどこにも行けず、気晴らしに一人一作ずつ怪奇小説を書くことになった。これが後にディオダディ館の怪奇談義などと呼ばれるものである。バイロンはごく短い話を書き、後に詩集に収録した。後にそれをポリドリが小説に発展させ、バイロン名義で発表した。夫の(正確にはまだ妻がいたので結婚したのはこの後だが)シェリーはそうそうに投げ出してしまったが、...
  • ジョン・ウェブスター
    ジョン・ウェブスター(John Webster)(1580年?~1625年?) 略歴  エリザベス朝の劇作家。初めはデッカーやミドルトンとの合作劇を書いていたが、後に単独で劇作を行い、シェイクスピアに次ぐ悲劇作家として評価された。 作品  代表作の一つ『白魔』(The White Devil,1612)は、「白魔」とあだ名される妖婦ヴィットリアを主役とした暗黒の悲劇であり、『マルフィ公爵夫人』(The Duchess of Malfi,1614)は公爵の財産を狙う二人の非情な兄によって非業の死を遂げる、薄幸の公爵未亡人を描いた。
  • アンジア・イージアスカ
    アンジア・イージアスカ(Anzia Yezierska)(1880年~1970年) 略歴  ポーランド出身のユダヤ系女流作家。1890年頃に家族とアメリカに移住した。移住後は姓をマイヤー、名をハリエットとしていたが、後に元の名に戻した。作品では自らの経験からユダヤ人やプエルトリコ人の移民の生活を描いたもので、半自伝的性質が強いとされる。 作品  翻訳が見当たらないので作品名を列挙する。『飢えた心』(Hungry Hearts,1920)短編集。『貸家のサロメ』(Salome of the Tenements,1923)小説。『孤独の子供たち』(Children of Loneliness,1923)短編集。『パンを与えし者たち』(Bread Givers,1925)小説。『尊大な乞食』(Arrogant Beggar,1927)小説。『私がなれなかったもの全て』(All I Cou...
  • ジョナサン・スウィフト
    ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)(1667~1745) 略歴  アイルランド、ダブリン出身。政界、宗教界での栄達を夢見るものの上手くいかず、最後はダブリンの聖パトリック教会の司祭長を務めた。風刺作家、随筆か、パンフレット作家、詩人として非常に多作であったが、生涯を通じて私憤と公憤が激しく入り混じっていた。またその内容の過激さから、多くの筆名を使い分けたり、匿名で発表されたりした。その出版には友人であったポープらの尽力したという。晩年は死の影に怯えるようになり、自らの死を悼む詩を書いたり、あるいは自らの死亡記事を出すなど奇行が目立った。また自分の墓碑銘を生前に自ら書いていたことでも有名。 作品  多作な人であったが、彼の特徴が最も出ているのは風刺文学においてだろう。初期に書かれた『桶物語』(A Tale of a Tub,1704)は、カトリック、プロテスタント...
  • エドワード・ヤング
    エドワード・ヤング(Edward Young)(1683-1765) 略歴  英国の詩人。長編詩『夜想』(Night Thought,1742-5)が有名。全編を通してメランコリック。理性と散文の時代と呼ばれた時期にあって、この理性(昼)に対する情念と孤独(夜)をテーマとし、またブランク・ヴァースで書かれたこの作品は、反時代的な一つの指標となった。またこの種の作品が一時的に流行し、コリンズの『夕べに捧ぐるオード』、グレイの『墓辺の哀歌』などがある。
  • ロバート・クリーリー
    ロバート・クリーリー(Robert Creeley)(1926年~2005年) 略歴  マサチューセッツ州アーリントン出身の詩人。ハーヴァード大学で一時期学んだものの中退し、国内外を放浪して過ごした。その後、実験大学であるブラック・マウンテン・カレッジで教鞭を取るようになった。それ故にブラック・マウンテン派と呼ばれ、その中には他にオルスン、ダンカン、レヴァトフなどがいる。また前衛的な雑誌「ブラック・マウンテン・レビュー」を創刊、編集に携わった。形式に捕らわれず、単音節の言葉を多用した短い詩行が特徴の一つ。詩のテーマは一貫して愛であった。 作品  『愛のために 1950~1960』(For Love Poems 1950-1960,1962)、『全詩集』(The Collected Poems of Robert Creeley,1982)など多数。
  • 作品索引/ヤ行
    作品索引/ヤ行 『約束』(Promises)米 『焼けたトタン屋根の上の猫』(Cat on a Hot Tin Roof)米 『夜想』(Night Thoughts)英 『屋根裏のサーカス』(The Circus in the Attic)米 『闇の奥』(Heart of Darkness)英 『ヤングブラッド・ホーク』(Youngblood Hawke)米 『勇者の秘密』(A Mystery of Heroism)米 『勇将ジェラールの回想』(The Exploits of Briadier Gerard)英 『勇将ジェラールの冒険』(The Adventures of Gerard)英 『ユートピア便り』(News from Nowhere)英 『ユードルフォウの神秘』(The Mysterious of Udolpho)英 『夕べに捧ぐるオード』(Ode to Evening)英 『...
  • イーディス・ウォートン
    イーディス・ウォートン(Edith Wharton)(1862年~1937年) 略歴  ニューヨーク出身の女流作家。富裕な名門家庭に生まれ、教育は家庭教師に学んだ。しばしばヨーロッパに旅行して周り、時折帰国するだけであった。。1885年にボストンの銀行家と結婚したが、1912年に離婚し、パリで独居した。その後小説を書き始め、パリで知り合ったジェイムズの勧めで、上流階級を題材とした作品を書き、ピューリッツァー賞を受賞した。短編の名手だったが、長編も高い評価を得た。他に小説論などまとめた評論集、旅行記、自伝なども書いた。 作品  『より大きな好み』(The Greater Inclination,1899)は処女短編集。その後も数多くの短編集を発表した。『決断の谷間』(The Valley of Decision,1902)は処女長編。18世紀イタリアを舞台とし、進歩的な思想と因習の狭...
  • ジョン・ガードナー
    ジョン・ガードナー(John Champlin Gardner Jr.)(1933年~1982年) 略歴  ニューヨーク州バタビア出身。アイオワ大学大学院で古代・中世英文学を学び、その後各地の大学の教壇に立った。その傍ら創作活動を行い、神話や伝説をもとにした作品も多い。批評家としても活躍したが、バイク事故により49歳でこの世を去った。 作品  代表作は『陽光との対話』(The Sunlight Dialogues,1972)で、1960年代のアメリカの社会や、人々の精神の混乱を体現する“陽光の男”と法と秩序の守護者である地方警察署長との、精神的会合を描いた。  他に『ベオウルフ』(Beowulf)をもとに怪物の視点から描いた『グレンデル』(Grendel,1971)や、『ニッケル・マウンテン』(Nickel Mountain,1973)、『キングス・インディアン』(The Kin...
  • トーマス・キッド
    トーマス・キッド(Thomas Kid)(1558~1594) 略歴  英国の演劇の黎明期を支えた人物。彼によって演劇が大衆の娯楽として定着した、と言っても過言ではない。彼の書いた流血と陰謀と復讐の物語である『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy,1589)は、スペインの無敵艦隊を撃破した翌年だったこともあり、巧みな筋書き、個性的な登場人物、血が血を呼ぶ衝撃的な展開の連続が大いに観客を熱狂させた。本格的にブランク・ヴァースを使いこなしたことも大きく、マーロゥやシェイクスピアに大きな影響を与え、直接の種本ではないものの『ハムレット』と少なからず類似性が認められる。
  • ジョン・アシュベリー
    ジョン・アシュベリー(John Ashbery)(1927~ ) 略歴  ニューヨーク州ロチェスター出身の詩人。ハーヴァード大学卒業後、コロンビア大学で修士号を取得。1955年にはフランスに渡り、『ヘラルド・トリビューン』誌の美術評論を担当し、その傍ら試作を行った。1965年にニューヨークに戻り、『アート・ニューズ』という美術雑誌の編集に携わった。「ニューヨーク派」の詩人としてもてはやされた。ピューリッツァー賞、全米図書賞など多くの賞を受賞し、1980年代を代表する詩人と言われる。 作品  その詩は作品ごとにスタイルが変わり、解釈を拒否するかのような極端に難解な作風である。中心となる主題のようなものはなく、思考や夢の断片の羅列や意味不明な独白のようなものに近い。アシュベリーは詩を言葉の意味から解放することを狙いとした。その前衛的な難解さ故に一般の読者は少ないが、その独特の言語観によ...
  • ユージーン・オニール
    ユージーン・オニール(Eugene Gladstone O Neill)(1888年~1953年) 略歴  ニューヨーク出身の劇作家。アイルランド系。父は旅回りの俳優で、彼は幼い頃から寄宿学校に入った。プリントン大学に進んだもののたった一年で放校処分となり、その後も酒浸りの生活を送り、船乗りとして航海に出たり、金鉱堀りに加わったこともあった。その頃には自殺未遂もあったという。しかし1912年に結核を発症し療養生活に入ったのをきっかけに過去を清算し、劇作家となる決意を固めた。完治後、ハーヴァード大学のベーカー教授の教室で劇作を学び、1916年にプロヴィンスタウン劇団に参加しデビューした。その後は次々と問題作や実験的作品を発表し、一躍1920~30年代の演劇界を牽引した。しかし『終わりなき日々』(1934)の失敗を境に1946年まで沈黙を続けた。1953年ボストンのホテルの一室で息を引き取っ...
  • T・S・エリオット
    T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot)(1888~1965) 略歴  ミズーリ州セントルイス出身。ハーヴァード大学で学び、在学中から学内誌に寄稿していた。ソルボンヌ大学で仏文学と哲学を学び、帰国後はハーヴァード大学で哲学科の助手となった。1914年に留学生としてドイツに赴くが、第一次大戦の戦火を逃れてロンドンにに行き、オックスフォード大学で哲学を学んだ。以来、彼はロンドンに定住することとなった。その頃大きな影響を受けることになるパウンドを訪問し、彼の助力によって詩を雑誌に発表し、また評論家としても活躍を見せた。その後1927年に正式にイギリスに帰化し、英国国教会に帰依した。1947年にノーベル文学賞を受賞し、勲功賞も得た。自らを「文学においては古典主義者、政治においては王党派、宗教においてはアングロ・カトリック」とその保守性を明確に規定していた。1965年、呼吸器...
  • ウィリアム・インジ
    ウィリアム・インジ(William Motter Inge)(1913年~1973年) 略歴  カンザス州インディペンデンス出身の劇作家。テネシー・ウィリアムズに励まされ劇作を行った。ピューリッツァー賞やアカデミー賞を獲得し、晩年はカリフォルニア大学で劇作を教えたが、劇作家としてはかつてのような評価は得られず、もう二度とかつてのようには書けないと確信し、一酸化炭素中毒で自殺した。 作品  代表作には『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba,1950)、『ピクニック』(Picnic,1953)などがある。
  • 人名索引/ア行
    人名索引/ア行 アーヴィング(Washington Irving)米 アーヴィング(John Irving)米 アードリック(Louise Erdrich)米 アーノルド(Matthew Arnold)英 アシュベリー(John Ashbery)米 アダムズ(Henry Brooks Adams)米 アップダイク(John Hoyer Updike)米 アンダソン(Sherwood Anderson)米 アンダソン(Maxwell Anderson)米 アンダソン(Robert Woodruff Anderson)米 Æ(Æ)英 イージアスカ6italic(){(Anzia Yezierska)}米 イェイツ(William Butler Yeats)英 インジ(William Motter Inge)米 ヴィダール(Gore Vidal)米 ウィチャリー(William Wycherle...
  • ヘンリー・ジェイムズ
    ヘンリー・ジェイムズ(Henry James)(1843~1916) 略歴  アメリカ・ニューヨーク出身で、後にイギリスに帰化した作家。同名の父は神秘主義思想家スウェーデンボルイの信奉者の宗教哲学者で、兄のウィリアムはプラグマティズムで有名な哲学者。父の「幼い頃から型にはまった教育を与えるべきではない」という方針で、幼い頃から欧州各国を旅行し、教育はもっぱら正規の学校教育によらず、数人の家庭教師や旅先の私立学校で受けた。この頃の経験が後に作品に活かされることになる。1861年に火事の消火作業中に酷い火傷を負い、結果南北戦争に参加できずに劣等感を抱く。ハーヴァードに入学するも1年で退学し、文筆家の道を歩み始める。最初の作品は1864年に無署名で雑誌に掲載された短篇と書評だった。以後精力的に作品を発表し、新進作家としての地位を固める。1875年には欧州に定住する決意を固め、まずパリに住むが気...
  • ジョージ・メレディス
    ジョージ・メレディス(George Meredith)(1828~1909) 略歴  イギリスのポーツマス出身。父は仕立て屋で母は5歳の時に死んだ。14歳の時に母の遺産ドイツの学校に入った。その後ロンドンで弁護士見習いとなったが、やがて文学に目覚め1849年に初めて詩を発表した。その年に作家ピーコックの娘で6歳年上の未亡人と結婚したが、この最初の結婚では妻が画家と駆落ちしてしまい、その体験を基に小説を書いた。再婚し今度は平穏な家庭生活を送ったがその妻も1885年に先立ってしまい、また晩年には病に悩まされ、特に聴覚の衰えが酷かったという。時代はダーウィンの進化論の衝撃により、それまでの価値観が大きく揺らいだ時であった。メレディスはダーウィニズムのポジティヴな面に光を当てることによって、比較的上手く妥協することができた。彼はダーウィニズムの中の「進化」の思想に着目し、人間社会のこれまでの進化...
  • ホレス・ウォルポール
    ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)(1717~1797) 略歴  有名な政治家ロバート・ウォルポールの三男。政治家としても活動し、奴隷売買に反対を表明したことで知られるが、もっぱら趣味的な生活にいそしんだ。別送のストロベリー・ヒルを改築して、自分好みのゴシック風建築に仕立てたことでも有名。その徹底振りは建築だけでなく、家具調度、美術品、科学、文学、化石などあらゆる面で時代の最先端を行っていた。彼がある日見た夢を基に書いた『オトラント城』(The Castle of Otranto,1764)は、ゴシック小説の流行のきっかけとなり、続くロマン主義時代への先駆けとなった。
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