律(私じゃ駄目、なのか…!?) 第2章


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 月の光も差さない暗い裏路地へと入る。
 うすぼんやりとしたネオンがぽつんぽつんと奥へと続いていた。 
 一瞬、薄ら寒いものを覚えるが、今の自分が身を置くには
 ぴったりの寂しい場所に思え、足を踏み入れる。

 どこまで続くか分からない細い路をそぞろ歩く。
 どれほど歩いたのか、ふと視線を上げると淡い蒼に輝く看板が目に入った。


律「ジャズ・バー……バードランド……」

 歩き通しで足が疲れていたというのもあったのだろう。
 気付けばふらふらと光に誘われる蝶のようにその店に入っていった。

 格調高そうな重い扉を押し開き、落ち着いた照明に支配された空間に身を滑り込ませる。 
 入り口でチャージ料代わりのチケット代を払い、奥へと歩を進めた。
 店の中では妙齢の男女が落ち着きを払って
 カクテルグラスやビアグラスを交わし、密やかに談笑していた。
 その場違い感ばりばりな雰囲気に一瞬、呑まれながらも、
 ここで引き返すのも癪に思え、カウンターの椅子に腰を掛ける。

律(え~と……)

 メニュー表らしきものに目を走らせる。
 が、見慣れない文字の羅列に気は焦るばかり。

バーテンダー「お客様、今日はどのようなものをご所望で?」

 メニューとにらめっこしていた私を見兼ねたのか、目の前のバーテンダーが声を掛けてきた。
 意地を張ってもしょうがないと思い、素直に不慣れなことを告白する。

律「実はこういうお店、初めてで……。お任せしちゃってもいいですか?」

バーテンダー「かしこまりました」


 そう言うや否や、バーテンダーはシェイカーに材料を入れ、
 リズム良く、宙に8の字を描く。

バーテンダー「どうぞ、インマイライフでございます」

 差し出されたグラス手にし、恐る恐る口を付ける。

律「あ、おいしい……」

 爽やかな酸味と甘み、ほのかなお酒の風味が口の中に広がる。
 咽喉の渇きを覚えていた私は、すぐさまそれを飲み干した。

 お腹の中に小さな火が灯ったような感覚。
 そういえばお酒を飲むのなんて初めてだ。
 少しだけ気分が軽くなったような気がして、もう一杯おかわりしようとメニューを手にする。

 メニューを眇め見ていたら突然、ステージの方が明るくなった。
 何事かと目を遣るとそこには楽器を手にしたおじさん達がいた。

律(そういえばここ、ジャズバーだったっけ)

 編成はピアノ、ウッドベース、ドラムにサックスなどのブラス隊。
 これぞジャズといった布陣だ。
 一時期、ドラムの研究のためにジャズも聴いていたことを思い出す。
 そんなことを思い出し、ドラムはどんな人かと見てみた。

律(なんというか、あれは……)

 良く言えばファンキー。悪く言えば胡散臭い。
 そんな風体のおじさんがドラムの前に鎮座していた。

ドラマー「1・2、1・2・3!」

 リズムを刻むライドに、ブラスが高らかに被さる。
 深みを感じさせながらも、どこか陽気なメロディに、軽快なリズムが華を添える。

 バディ・リッチの『Straight,No Chaser』

 所々に差し挟まれたアレンジが心地好かった。


 各パートにスポットが当たり、それぞれが思い思いのソロを奏でる。
 インプロビゼーションのソロが終わる度に、客席のあちこちから拍手や喝采が上がる。 
 私もそれに倣って控えめに拍手をしてみた。 

 いよいよドラムにピンスポットの照明が当たり、ドラムソロが始まった。

律(な、んだ、これ……っ!?)


 目の前で繰り広げられる即興劇に言葉を失う。

 トニー・ウィリアムスばりのシンバルレガート。駿馬の蹄の音のような軽快なリズム。

 イアン・ペイスのようなグラヴィティ・ロール。機銃掃射を思わせる抜けの良いビート。

 惚れ惚れするほどのフリーハンド・テクニックの応酬。
 パフォーマンスと実用性を兼ねた、魅せるドラミングの妙味が目の前の空間で繰り広げられていた。


律「凄い……っ!」

 感嘆の言葉が我知らず零れる。
 惹きこまれていた。
 同じドラマーとして───いや、比べるのもおこがましいだろう。
 ───目指すべき頂点の一つがそこにはあった。

 僅か数分の熱狂が終焉を迎える。
 ホールは奏者を褒め称える拍手で溢れていた。

律「凄い……凄いっ!」

 手が痛くなるまでバカみたく拍手を続ける。
 自分もあんな風にドラムが叩けたら、どんなに気持ちいいだろう。
 私にもあれ程のテクニックがあったら、ぐじぐじと悩んだりなんてしないのだろう。
 そうだ。あの演奏技術があれば───あいつらの足を引っ張ることもないのだろう。

 酒気が血管の中を駆け巡っているのか、身体中が熱い。
 その熱が私の中である一つの決意を促す。
 意を決した私はチェックを済ませ、バーを出た。


律「おじさんっ!」

おじさん「あん?」

律「私を弟子にしてください!」

 重い扉から出てきた見覚えのある顔に、有無を言わさず頭を下げる。

おじさん「……はぁ?」

 訳が分からないといったおじさんの声に下げていた頭を上げて、
 真っ直ぐにその瞳を見据える。

律「先ほどのおじさんのドラム、とても感動しました。
  ……私もあんな風にドラムが叩きたいんです。
  お願いします、私にドラムを教えてください!」

 思いの丈を相手にぶつけ、また深々と頭を下げる。

おじさん「……お嬢ちゃん、未成年だろ。
     そんな奴がこんな時間にこんな場所で何やってんの?」

 痛いところを衝かれる。だが今の私にはそんなこと、関係ない。

律「お願いします!」

 今の私にとって重要なことは少しでもドラムの腕を磨くこと。
 それ以外のことは些末なことだ。


おじさん「……話にならん」

 おじさんがこちらの脇をすり抜けて立ち去ろうとする。

律「お願い、します!」

 それを前に廻りこんで行く手を遮る。

おじさん「ふぅ……」

 苛立たしげに吐き出される溜め息。
 今の自分の行動が非常識極まりないことは承知だった。
 だけど形振り構っていられるほど、今の私には余裕がない。

律「お願い……します……!」

 ただひたすらに頭を下げる。これ以外の遣り方が思い浮かばなかった。

おじさん「……迷惑だ。子供はさっさとお家に帰んな」

 再び脇をすり抜けて立ち去ろうとするおじさん。
 そうはさせまいと廻り込もうとするが、一睨みされ、
 こちらの足が止まっている間に立ち去ってしまった。

 後に残されたのは、遠くから聞こえてくる喧騒とネオンの薄明かりだけだった。

律「………もんか」

 おじさんが立ち去った方向を睨み、自身を鼓舞するように呟く。

律「諦めるもんか……!」

 やっと見つけた光明なのだ。今更諦めるわけにはいかない。

 あいつらに追いつくためなら、今の私はなんだってやってやる。

律「お願いします!」

おじさん「……またあんたか、お嬢ちゃん」

 あれ以来、私はストーカーのようにおじさんに付き纏っていた。
 バーで演奏する日をチェックし、
 何か技術が盗めないかと食い入るようにおじさんの演奏を見て、
 出待ちをして拝み倒す。

 ストーカーのようにではなく、ストーカーそのものだった。

律「私にドラムを教えてください!」

おじさん「何回目だよ、その台詞……」

 この十日ほどで五回以上は吐いたであろう台詞を、一言一句違えずに口にする。

おじさん「別にドラムが上手くなりたけりゃ、音楽教室にでも通えばよかろうに。
     何を好き好んでこんな小汚いおっさんなんかに教えを請おうとしてんのよ?」

律「確かにそう考えたこともあったけど……おじさんじゃなけりゃ駄目なんだ」

 あのドラミングを見た後では、別の誰かに師事することなど出来やしない。

おじさん「大体なんでドラムなんか上手くなりたいんだ?
     お嬢ちゃん、見たとこ女子高生ぐらいの年頃だろ。
     他に楽しいことなんざ、いくらでもあるだろう」

律「……楽しいだけじゃ駄目なんだ。
  こいつは私一人だけの問題じゃないから」

 そうだ。今の私じゃあいつらと音楽を楽しむことが出来ない。

律「一緒に音楽をやりたい奴らがいるんだ。
  ……そのために、あいつらに追いつくために、
  私はドラムが上手くなりたい……!」

 拳を握り締め、己の覚悟の程を示す。

おじさん「……ばっかじゃねーの、お嬢ちゃん」

律「んなっ!?」

おじさん「音楽なんてのは楽しんだものがちなんだよ。
     バカが小難しいこと考えても空回りするだけだぜ。
     もっとシンプルになれよ、シンプルに」

律「ぐ……!」

 それが出来ないから苦しんでいるのだ。

 自分の決意を鼻で笑われたような気がして、腹が立った。
 だけど言い返せない。それは少し前までの自分の姿だからだ。
 それを忘れてしまった私には言い返すことなど出来やしない。

 悔しさのあまり、奥歯を噛み締めて俯いてしまう。
 そんなことしたって何がどうなる訳でもないのに。


おじさん「はぁ……ついてきな、お嬢ちゃん」

律「え……?」

おじさん「そんなバカな事、考える余裕がなくなるぐらいにしごいてやるよ」

律「……それって……」

おじさん「ドラムを教えてやるって言ってんだ」

律「ほ、本当か!?」

おじさん「こっちが折れなけりゃ、ずっと付き纏いそうだしな、あんた」

律「ぃや……ったあぁーっ!」

 ガッツポーズを取り、喜びを噛み締める。

律「よろしく頼んます、師匠!」

おじさん「なんだそりゃ……」

 こうして私のドラム漬けの日々が始まった。


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