律(私じゃ駄目、なのか…!?) 第3章


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唯「りっちゃーん、部活行こ!」

律「あー……悪い。私、今日も用事があるからパス」

紬「今日は頂き物のおいしい葛饅頭を持ってきたの。
  お茶するだけでもいいから、音楽室に顔を出さない? りっちゃん」

律「葛饅頭……いや、やっぱいいや。じゃな~、また明日」

 りっちゃんはごくりと生唾を飲んで、一瞬だけ迷う素振りをするが、
 すぐに思いなおしたように首を振り、走り去って行ってしまった。

唯「あぁ、今日もりっちゃんが遠くへ行ってしまふ……」

紬「ここのところ、あまり部活に顔出さないけど、一体どうしたのかしら?」

 ムギちゃんが頬に手を当て、首を傾げる。

唯「りっちゃんがいないとつまんないよー。練習もなんか味気ないし……」

紬「そうね……。打ち込みのドラムで音を合わせるだけというのも、
  やれることが限られてくるし……」

 音楽室へと向かう道すがら、ムギちゃんとここのところ、
 様子のおかしいりっちゃんについて、あれこれと推測を巡らす。

唯「バイトでも始めたのかなぁ」

紬「何か欲しいものでもあるのかしら?」

唯「りっちゃんの欲しいもの……ってなんだろう?」

紬「新しいシンバルとかペダルとかかしら?」

唯「はっ、もしかして彼氏が出来たとか!?」

澪「それはないな」

紬「澪ちゃん」

梓「こんにちは、唯先輩、ムギ先輩」

唯「あずにゃん」

 音楽室へと続く階段でみおちゃん、あずにゃんと合流する。

唯「それはないってどうして分かるの、みおちゃん?」

澪「格好が全然変わってないからさ。
  恋人が出来たんなら、もう少しお洒落に気を遣うはずだろ」

梓「なるほど」

紬「じゃあやっぱりアルバイトでもしてるのかしら?」

澪「それもどうだろう。特に金回りが良くなったようには見えないけど……。
  欲しい物のために貯金してるなら話は別だが」

唯「うぅ~、気になるよぅ。もういっそりっちゃんの後、尾けて確かめてみようか?」

澪「それは止めておけ。
  まあ何かあったら、そのうちあいつから話してくれるだろ。
  それまで気長に待っていよう」

紬「うふふ」

澪「なんだよ、ムギ」

紬「いえ、やっぱりりっちゃんのことは澪ちゃんが一番よく分かっているなと思って」

澪「お、幼馴染なんだから当たり前だろ」

紬「その当たり前のことが出来るのって、とっても素敵なことだと思わない?」

澪「ば……、からかうな」

 みおちゃんが顔を真っ赤にして、すたすたと一人、先に行ってしまう。

唯「りっちゃんを想う気持ちならわたしも負けないよー!」

梓「唯先輩、別にそこは張り合うところじゃないと思います」

 だけど今のわたし達には思いも寄らなかった。
 信じるということがその人の口を閉ざしてしまうということもあるのだと。

 信頼。

 それが今のりっちゃんを追い込んでいるということに、
 わたし達は気付くことが出来なかった。

律「師匠~、この練習、もう飽きたよ~……」

師匠「つべこべ言わずに続ける。ほら、また余計な力、入ってんぞ」

 クリックに合わせて延々とスネアを叩く。
 右手4拍、左手4拍を交互に。それを8拍、12拍、16拍……と増やしていき、
 64拍までいったら、4拍へとループする。以下それの繰り返し。

 師匠にドラムを教わり始めてからそれなりになるが、
 主な練習方法はこのストーンキラーだった。

師匠「お前は速く叩く時に力に頼る癖があるからな。
   まずは手首を脱力して叩く癖を身に付けなきゃ話にならん。
   ……ほら、BPM上げるぞー」

律「ひ~……」

師匠「後で応用の利くテクニックも教えてやるから、今はそれに集中しろ」

律「ほんとか!? ぃよっしゃあ! やる気出てきたぁー!!」

師匠「こらこら、走ってる走ってる」


律「ふひ~、つ……っかれたぁ~」

 二時間ぶっ通しでドラムを叩いていたので、さすがに手首とか腕がくたくただ。
 吹き出る汗がTシャツを濡らし、肌に張り付いて気持ち悪い。

師匠「ほらよ」

律「あ、ありがと、師匠」

 師匠がタオルとグラスに注がれた冷たい麦茶を手渡してくれた。
 汗を拭い、渇いた咽喉を潤す。


律「っぷは~ぁ、やっぱこれだな!」

師匠「親父か、お前は」

律「おかわり!」

師匠「へいへい……」

 師匠は苦笑しながらも空いたグラスに麦茶を注いでくれた。    

師匠「それにしても、ここのところ毎日、練習に来てるけどいいのか?」

律「いいのかって何が?」

師匠「一緒に音楽、やりたい奴らがいるって言ってたろ」

律「あ~……」

 グラスをテーブルに置いて、曖昧な笑みを浮かべる。


律(師匠になら、話してもいいかな、私の悩み……)  

 あいつらにも言えなかった悩み。

 私を信じてくれる親友達だからこそ言えない悩み。 

 この人になら話しても大丈夫な気がした。
 この人なら私の悩みなんか「バカ」と言って笑い飛ばしてくれるだろう。
 その方がいっそ気楽に思えた。

律「ん~……一緒にやりたいのは山々なんだけどさ。今の私じゃ駄目なんだ」

師匠「………………」

 師匠は次の言葉を促すでもなく、あくまで私のペースで話せるように、
 ただ静かに聴いてくれていた。

律「ギターボーカルが唯って奴でさ。こいつ、凄ぇんだ。
  絶対音感持ってて、ギターの上達もめちゃくちゃ早くてさ。
  もうびっくりしたね、天才ってやつは本当にいるんだって。
  それなのに全然気取ってなくってさ、
  いっつも私と一緒にバカやったりしてさぁ……」

律「キーボードがムギ……あ、ほんとは紬ってんだけどね。
  小っちゃい頃からピアノ習ってて、本当に上手いんだ。作曲とかも出来ちゃったりしてさ。
  しかもお嬢様で、その上美人で優しいときてるんだぜ?
  どこの完璧超人ってかんじだよなー。
  たまに女の子同士が仲良くしてるのが好きとか言ったりするけど、そこもまた可愛くてさぁ……」

律「新入生で入ってきた梓って奴がいてさ。
  もうギターの腕前はサラブレッドかっつーぐらい上手いの。
  それなのに最初、あんま上手くないですけどなんて言ってたんだぜ?
  謙遜しすぎだっつーの。
  真面目でたまに羽目を外したりするとそれを恥ずかしがったりして、もう可愛いのなんの……」

律「んで、幼馴染の澪。あいつがいたから私は音楽を始めたんだ。
  あいつがベースで私がドラムで。一緒にバンド作ろうって約束してさ。
  何だかんだ言って、付き合いのいい奴だからさ、
  私の我が侭に文句を言いながらも付き合ってくれて。
  ほんとはあがり症で恥ずかしがりやなくせにさ、
  ここ一番ではみんなの足を引っ張るまいと頑張ってさ……」


 宝物を自慢する子供のように親友のことを話す。
 口にすることで自分が如何に友人に恵まれているか、改めて気付いた。
 それはとても誇らしいことだった。
 こんな素晴らしい親友達がいる。
 ただそれだけのことがこんなにも心を温かくしてくれる。


 だけどそれをもう一人の私が遠くから見詰めている。
 そんな素晴らしい親友達とお前は釣り合っているのかと冷ややかに問いかける。
 果たしてその親友達はお前と同じ気持ちを抱いているのかと。

律「ほんと、凄ぇやつらばっかりでさ……」

 知るのが怖かった。
 あいつらが本当は私のことをどう思っているかなんて。
 別にあいつらとの間にある友情を疑っているわけではない。

 だけどそれでも不安は付き纏う。
 そんな不安は知られたくなかった。 
 だからそれを押し隠すようにいつも笑顔でムードメーカーに徹した。 

 空元気な笑みの裏にあるコンプレックス。

 そんなのが私、田井中律という少女の正体だった。

律「だから、さ……私もあいつらに胸張れるような奴になりたいんだ。
  一緒に肩を並べても恥ずかしくないような、そんな奴に」

 手にしたタオルを握り締める。不安や弱音を握り潰すように。

師匠「……こういうのは他人に言われて気付くようなもんじゃないから何も言わんが……」

律「え……?」

師匠「やっぱりお前、バカだわ」

律「ひっでーなぁ、そんな馬鹿馬鹿言わなくても言いじゃんかよー」

師匠「ま、悩め悩め若人よ。バカも貫き通せば見えてくるものもあるだろうよ」

律「師匠ー、なんかそれおじさんくさい」

師匠「おっさんだからな。伊達に歳はくっとらんさ。……惚れるなよ?」

律「そっちがな」

 にやりと不敵な笑みを浮かべる師匠。
 その笑みは途轍もなく胡散臭かったけど、それでもどこか私を安心させてくれた。

律「おぃーっす」

唯「りっちゃん!」

紬「りっちゃん、今日は部活出れるの?」

律「おう、お前らが寂しがってるだろうと思って、来てやったぞー。
  感謝して崇め奉ればいいと思うよ?」

澪「馬鹿なこと言ってないで、練習するぞ。新曲の打ち合わせとかもしたいし」

律「なんだよ、澪ー、つれないなぁ。
  いくらツンデレだからって、こんな時ぐらい素直に喜んでもいいんでちゅよー?」

澪「えぇい、寄るな暑苦しい」


梓「それにしてもここのところ、あまり顔を出さなかったですけど、
  何かあったんですか?」

唯(おおぅ、あずにゃん……)

紬(いきなり直球で訊くなんて……やるわね、梓ちゃん)

律「ん~? まあちょっとな」

唯「ちょっと? ちょっと何があったの、りっちゃん!?」

紬「くわしく」


律「ふふふ……そこはまあ秘密ってことで。
  女は秘密を持つ生き物。秘密に包まれた生き物こそが女……。
  今ここに宣言しよう! 女・田井中律、完全体の爆誕であると!」

唯(やっぱ彼氏が出来たんだよ、彼氏!)

紬(女って響きが妖しいわ!)

梓(や、やっぱり、彼氏さんと、その……)

澪(違うと思うけどなぁ……)

 なにやらこそこそと話し込む澪達。
 慣れ親しんだ馬鹿なやり取りが心地好い。
 たった数週間、部活に出ていなかっただけなのに、ひどく懐かしく感じた。

律(そうだ……今日の私は一味違うんだ)

 師匠の下でみっちりとドラムの修練を積んだ。
 その成果を試すために久しぶりに音楽室へとやってきた。
 今の私ならみんなについていくことが出来るはずだ。

律「さあさあ、遊んでないでさっさと練習やろうぜ!」

梓「えぇ!?」

紬「りっちゃんが率先して練習を……!?」

澪「明日は台風でも来るかな……」

唯「そんなのりっちゃんのキャラじゃないよー……」

律「うおおぉいっ! たまに顔を見せればこれかい!?」

 お約束をかましつつ、ドラムの調律を確かめる。特に目立った狂いはなかった。

律「よしっ、じゃあ何からやる!?」

澪「あ、あぁ、そうだな。じゃあまずは……」

 私の只ならぬ気合を感じ取ったのか、みんなも楽器を手にして定位置に就く。
 逸る心を抑え、腕と足を意識から切り離し、別の生き物の意思でも宿したかのように動かす。

澪「じゃあ『わたしの恋はホッチキス』から行こうか」

律「オッケー、んじゃあ行くぜ。1・2・3・4……」

 聞き慣れたフレーズの中を、小気味良いリズムが駆け抜けていく。   

 律が後ろでドラムを叩いてくれている。
 たったそれだけのことがバンド全体に安心感をもたらす。

 相変わらず走り気味だが、それが放課後ティータイム独特のグルーブを生み出していた。 

澪(うん……?)

 その違和感に気付いたのは恐らく私だけだろう。
 同じリズム隊というのもあったのかもしれない。
 以前に比べて走ることは少なくなっていたのだが、その代わりにというか、
 妙に不安定な時がほんの一瞬だけある。

澪(律?)

 違和感の正体を探るため、ドラムを叩く律に視線を送る。

 視線のその先。

 そこにあったのは戸惑いを隠し切れずに顔を歪めた律だった。

澪(どうしたんだ、律のやつ……)

 不安定とは言っても、そこまで気になるほどのものでもない。
 事実、私が気付けたのも単なる偶然に近かった。

 だから分からなかった。律がなぜそこまで戸惑いの表情を浮かべているのかが。

梓「ふぅ……今日は久々に気持ちよく出来ましたね」

唯「うん! やっぱりりっちゃんのドラムがないと駄目だねぇ」

紬「じゃあお茶にしましょうか。今日はりっちゃん復帰ということで、秘蔵の茶葉を使っちゃおうかな♪」

澪「………………」

 一時間近くぶっ通しで演奏し続けて今、練習が終わった。

律(なん、で……?)

 練習が終わってしまった。思い描いていた結果を何一つ残せないまま。

律(なんでだ……!?)

 確かに私の演奏技術は上達していたはずだ。
 そのためにここ数週間、部活を休んで特訓に明け暮れていたのだから。

律(なんでなんだよ……!?)

 結果は惨憺たる有様だった。確かにすぐに走り気味になる癖は少しは改善されていたように思う。

 だがその代償を払うかのように、以前のような一体感が感じられなくなっていた。

律(まだ……)

 焦燥感が再び私の心を襲った。

 練習前に抱いていた淡い希望なんか、とっくの昔に消え去っていた。

律(まだ足りないのか……?)

 足りない。

 届かない。

 見えていたと思っていたみんなの背中が遠くなる。
 伸ばした手は宙を掴むばかりで、掌には何もない。

澪「律……?」

律「………………」

 現実に視点を戻し、手を見つめる。
 握られているのは一対のスティック。掌にはまめの潰れた跡がいくつも残っていた。

律「……みんな、ごっめーん。私、今日も用事あるんだった! 
  悪いけど、先帰るわ!」

唯「えぇ!? りっちゃん、行っちゃうのぉ?」

紬「りっちゃん、お茶だけでも飲んでいかない?」

梓「今日のお菓子、おいしそうですよ! 律先輩」

 みんなが口々に私を引き止める。嬉しくないといえば嘘になる。
 だけど今ここで立ち止まることは許されなかった。
 許すことが出来なかった。

律「ほんっと、ごめん! んじゃあまた明日な!」

澪「律……」

 澪と目が合った。
 私を気遣うその視線に居た堪れなくなり、鞄を引っ掴んで音楽室を飛び出す。


律(足りない……足りない、足りない足りない足りない、足りない!!)

さわ子「うわっと……ちょっと、りっちゃん!? 廊下を走るんじゃありません!」

 さわちゃんの制止の言葉も振り切って廊下を駆け抜ける。

律「足りねぇ! こんなんじゃあいつらに追いつけない……。
  あいつらと音楽が出来ない。
  あいつらと、笑えない……!」

 逃げるように。

 追い縋るように。

律「やだ……やだやだやだ、やだよぅ……!」

 気付けば涙を流していた。
 空元気で塗り固めた笑顔の仮面は脆く崩れ去っていた。 

律「うっ……ふぐ、ぅ……ぅえぇ……」

 嗚咽を漏らしながら、校門を飛び出す。
 途中、生徒達の奇異の視線が投げかけられるのを感じたが、
 構っていられるほど余裕がなかった。

 涙を手の甲で拭おうとしたところで、握られたままのスティックに気付いた。
 スティックはスネアのフープに打ち付けられた跡だらけで、もうぼろぼろだった。
 柄の部分なんか、汗と手垢で真っ黒になるまで使い込まれていた。 

 これでもかと練習をした。
 文句を言ったりもしたけれど、師匠から教えられたことは何度も何度も繰り返した。

律「……うぅ、っく……それ、でも」

 それでもまだ足りないというのなら。

律「わたしは……!」

 練習するしかない。今以上に。
 涙は流れるままに任せ、薄曇の白けた空の下を走る。
 私は制服のまま、師匠の住むマンションへと向かった。


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