律(私じゃ駄目、なのか…!?) 第4章


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師匠「……もうその辺にしといたらどうだ、お嬢ちゃん」

律「いえ、まだやりたいんです……やらせてください」

 一心不乱にドラムを叩く。
 師匠は呆れるでもなく、こちらの我が侭に付き合ってくれている。

 あの後、制服のまま師匠の下へと押しかけた私は、
 こうして連日学校から練習に直行するのが日課となっていた。
 師匠は家に居ないときは大抵、例のジャズバーで演奏をしていることが多かったので、
 そちらに向かい、師匠の演奏を見て勉強する。

 部活にも毎日顔を出している。
 ちょっと気まずかったけど、練習にだけ参加して、
 ムギの出してくれたお茶にも手を付けずに音楽室を後にする。
 そうして次の練習場所へと向かう。

 練習を終え、夜遅くに家に帰ってきてからも、練習は続く。
 無心のままトレーニングパッドを叩き続ける様は、相当異様らしく、聡に心配されたりもした。

 ドラム、ドラム、ドラム───。

 とにかくドラム漬けの毎日だった。
 寝る間も惜しんで、とにかく叩き続ける。
 スティックの消耗も激しく、叩き折られた木片が部屋の隅に何本も転がっている。 

律「はあ……はぁ……ぁ」

 腕や手首が悲鳴を上げ、身体全体が疲労を訴える。

師匠「……はい、今日はここまで」

律「……平気です。まだ、やれます」

師匠「そんな根を詰めても得られるものなんてねえよ。
   大体それが平気って面か。いいから顔でも洗ってこい」


 師匠の言葉に渋々と頷いて、洗面所へと向かう。

師匠「こりゃどうも悪い方向へと転んじまったみたいだな……」

 師匠が何事かを呟くが、今の私にはそれを気に掛けるだけの余裕はない。

 冷たい流水で顔を洗い、目の前の鏡に目をやる。
 そこには目の下に隈をこさえ、しょぼくれた顔をした私がいた。

 最近、ドラムを叩いていないと不安でしょうがない。
 スティックを手にしていないと、どこかに堕ちていってしまいそうで、始終恐怖に駆られていた。
 これだけがあいつらと繋がっていられる確かなものなのに、今はひどく頼りなげに思えた。

 鬼気迫る形相でドラムを叩く私と、ドラムを叩いていない時のひどく不安げな私。
 そのギャップにみんなも心配して声を掛けてくれるのだが、どうにか空元気を出し、誤魔化していた。
 そんな虚勢、いつまで続くか、分かったものじゃないが。

律「待っててくれ、みんな……絶対に追いつくから……」

 頬を伝い落ちる水滴も拭わずに、ただ鏡の中の自分に言い聞かせるように呟く。

律「絶対に、追いついてみせるから……だから……」

 置いていかないで。

 縋るような想いが胸の中を渦巻く。
 伝う水滴に混じって、温かな雫が目から零れ落ちたような気もしたが、
 気付かない振りをした。

 取り敢えずどこかに飯を食いにいこうという師匠の言葉に従って、夕飯を外食で済ませる。
 師匠は今日もオフらしいので、また師匠の家に戻って練習の続きをすることにした。
 師匠はジャズバーでのライブ出演以外、何をしているのか分からない人なので、
 たまに本当にこれで生活出来ているのか疑問に思う。
 まあ相手の都合も考えず四六時中押しかけている私がどうこう言える義理でもないのだが。

師匠「なあ、お嬢ちゃん」

 繁華街の隙間を縫うようにして、師匠の家へと向かう。

律「ん? なに、師匠」

 陽はとうに沈み、街を支配するのは色とりどりのネオンサイン。

師匠「お前はなんのためにドラムを叩くんだ」

 そんな猥雑な街の真ん中で、師匠は出し抜けにそんな問いを私に投げかけた。 

律「なんのためにって……前にも言ったろ。一緒に音楽をやりたい奴らがいるって」

師匠「それはそこまでしてやりたいことなのか?」

律「それ、は……当たり前だろ。バンド組もうって言ったの、私なんだし。
  あいつら巻き込んで、潰れかけてた軽音部を立ち上げたのも私なんだし」

師匠「そりゃただの義務感だろ。言い訳にもなりゃせんよ」

律「言い訳なんて……」

師匠「楽しいから音楽やってるんじゃないのか?」

律「………………」

師匠「それはそんな面になるまでして、やらなきゃならんことなのか?」

律「……だって」

師匠「だって?」

 歩道の真ん中で立ち止まる。
 人の流れの中に取り残された私は、ある一つの感情に晒されていた。

 寂しい。

 寂しいんだ。前のような繋がりをみんなとの間に感じられなくて。


律「だって、私にはそれしかないんだ。
  それしかあいつらとの繋がりが感じられない……。
  だから私はあいつらに見合うだけの実力を付けなきゃいけないんだ……」

師匠「それはみんながそう言ったのか?」

律「そんなわけないだろー……。
  みんな優しいからさ、絶対にそんなこと言わないし、思ってもないよ。
  だからこれは───」

 そう。だからこれは私が勝手に引け目を感じているだけ。
 私が勝手に距離を取っているだけ。
 そんなこと分かっていた。

 だけど駄目だった。
 自分勝手に抱いたコンプレックスはどうしても拭い去れない。

 あいつらと演奏している時。 
 あいつらと楽しいティータイムを過ごしている時。
 あいつらと一緒に笑い合っている時。

 いつもびくびくしていた。
 誰かに、もう一人の自分にお前はその子たちの友達に相応しくないと言われるんじゃないかって。
 相応しい誰かは、放課後ティータイムのドラマーはどこか他にいるんじゃないかって。

律「私じゃ駄目、なのか……?」


 気付けばそんな言葉と共に、また涙を流していた。
 身体が弱っているのも手伝って、情緒不安定になっているのだろう。
 気を抜くとすぐ泣きたくなる。弱音を吐きたくなる。誰かに縋り付きたくなる。
 そんな重荷にはなるまいと気を張っていたのだが、それももう限界が近かった。

律「みんなと、友達でいたい……。一緒に、いたい……!」

 ただそれだけなのに。

律「なんで……わたしは……!」

 こんなにも弱いのだろう。
 一人で勝手に悩んで、あがいて、臆病になるあまり、
 みんなの心配にまで虚勢を張って強がって見せて。

 涙が止まらない。子供のようにしゃくりあげ、人目も憚らずに泣く。
 人が涙を流すのは不安やストレスを和らげるためとか聞いたことがあるけど、そんなのは嘘だ。
 だって今、私はこんな姿をみんなに見られたくない、こんな弱い私は私じゃないとまた必死に強がろうとしている。

 師匠が優しく頭を撫でてくれる。
 無骨なその手からは想像出来ないような優しさで。
 その優しさが心に沁み、また涙を流させた。

唯「りっちゃん、大丈夫かなぁ」

梓「今日も様子、変でしたもんね……」

 あずにゃんと並んですっかり日も暮れた街の中を歩く。 
 10GIAに弦やらピックやらを買いに行ったのだが、
 ギターの試奏をしてたらすっかり遅くなってしまった。
 歩道は仕事帰りのサラリーマンや、学生で溢れかえっている。


唯「ほんと、どうしたんだろう、最近のりっちゃん。
  練習してる時も全然楽しそうじゃないし、お茶もせずに帰っちゃうし……」

梓「心配です……。
  律先輩があんな調子だと、私達も気が気じゃありませんよね……」

 いつも笑顔で私達の空気を明るいものへと変えてくれるりっちゃん。
 ここ最近、その彼女が様子がおかしいということで、その影響はバンド練習にも現れていた。

唯「早く良くなってくれればいいんだけど……」

梓「原因が分からなければ、相談にものれませんしねぇ」

唯「みおちゃんはりっちゃんから話してくるのを待った方がいいって言ってたけど……
  やっぱり気になるよ~……」

梓「ですね……」

 ギー太を背負い直して、繁華街を突っ切る。
 こんな時間に女子高生がうろついていたら補導されかねないので、
 足早に人ごみの中をあずにゃんの手を引いて行く。


梓「あれ……? 唯先輩」

唯「ん? なぁに、あずにゃん?」

梓「あれ、律先輩じゃないですか?」

唯「どれ?」

梓「あそこの桜高の制服を着た人です」

 あずにゃんが指差した方向に目を凝らす。

唯「ほんとだ……」

 人ごみで気付かなかったがすぐ数メートル先に制服のままのりっちゃんがいた。
 何やら男の人と話している。


唯「何を話してるんだろう……?」

 そのただならぬ雰囲気に思わず近くの建物に身を隠す。

梓「唯先輩、覗き見は……」

唯「でもあずにゃんも気になるでしょ?」

梓「まあ確かに……」

 あずにゃんと二人、こそこそと物陰からりっちゃんの様子を窺う。
 喧騒にかき消され、断片的にしかりっちゃんの話し声は聞こえてこない。

 『私じゃ駄目、なのか……?』

唯「え……?」

梓「律、先輩……?」

 泣いていた。いつも元気いっぱい笑顔のりっちゃんが。

 『……………で、いたい。一緒に、いたい……!』

 目の前の男の人に激情をぶつけるように、泣きながらそんなことを口にしていた。
 泣き続けるりっちゃんを落ち着けようとしたのか、その男の人がりっちゃんの頭を撫でる。
 まるで愛しい人を慰めるように。

唯「これは、いったい……」

梓「もしかして私達、とんでもない場面に遭遇してしまったのでは……」

 ようやく落ち着いたのか、りっちゃんとその男の人はどこかへと歩き始めた。

唯「……あずにゃん、後を尾けてみよう」

梓「ほんとなら駄目なんでしょうけど、場合が場合ですからね……」

 あずにゃんは一瞬だけ躊躇う素振りを見せたが、やはり彼女もりっちゃんが心配なのだろう。
 特に反対することもなく尾行に賛成してくれた。

 りっちゃんはまだ完全には泣き止んでいないのか、時折肩を震わせ、洟を啜っていた。
 一緒にいる男の人は知り合いみたいだけど、一体何をしているのか。
 今すぐりっちゃんのところに行って、抱きしめてあげたい衝動に駆られる。

唯「いったいどういう関係なんだろう、りっちゃんとあの男の人……?」

梓「さっき、律先輩、私じゃ駄目なのかってあの男の人に訊いてましたよね」

唯「あぁ~、そういえば……」

梓「で、その後の一緒にいたいという台詞……」

唯「あずにゃん……それはもしかして……」

梓「もしかしてあの男の人、律先輩の、こ、恋人さん、なんじゃあ……」

唯「ええぇ───ッ!?」

梓「声が大きいです、唯先輩!」

 急いで物陰に身を潜ませ、前を行くりっちゃん達の様子を窺う。
 男の人がちょっと振り返ったが、またすぐに歩き出す。
 私達も安全を確認して、また尾行に戻った。


唯「でもでもみおちゃんがそれはないって言ってたし!」

梓「でも現にああして男の人と歩いてますし、さっきの意味ありげなやりとりは……」

 さっき見た男の人の顔を思い出す。
 百歩譲っても怪しいとしか言えないその背格好。
 私達よりかなりの年上のようだし、あの人がりっちゃんの恋人と言われても、
 なかなか想像しづらいものがある。

唯「だって相手の人、どう見てもおじさんだよ?」

梓「う~ん……」

 りっちゃんとは恋の話とかはあまりしたことがなかったので
 好みのタイプとか知らないけれど、
 あの人はどう見ても女子高生が恋人に選ぶタイプとは思えない。


唯「はっ!?」

梓「どうしたんですか、唯先輩?」

唯「あずにゃん……わたし、気付いてはいけないことに気付いちゃったかもしれない」

梓「なんですか?」

唯「私じゃ駄目なのかという質問、一緒にいたいという言葉、そして相手は歳の離れたおじさん……。
  ここから導き出される答えは……」

梓「唯先輩……それはもしかして……」

唯梓「不倫」

唯「ええぇ───ッ!?」

梓「なんで自分で言って、自分で驚いてるんですか!?」

唯「ふがふが……」

 あずにゃんに口を塞がれながら、また物陰に身を隠す。 
 前を行くおじさんが再び立ち止まり、後ろの様子を窺っている。
 しばらくこちらを探っていたようだが、何も無いと判断したらしく、また歩き始めた。
 少し距離を取って、わたし達も尾行を再開した。

梓「律先輩に限ってそんな……」

唯「でもでもここのところりっちゃんの様子おかしかったし。
 授業中も上の空だし、泣きながら学校を出てったって噂もあるし……」

梓「う、う~ん……」

 あずにゃんと二人、頭を悩ませる。

 たとえ不倫でも本人が真剣なら応援すべきでは……。
 でもでもりっちゃん泣いてたし、私じゃ駄目ってことは相手には本命がいるってことで……。

 いやいや……。

 でもでも……。


 思考が堂々巡りを起こし、頭から湯気が出始める頃、
 ようやく前を行く二人が目的地に到着したようだ。

唯「ここは……」

梓「マンション、ですね……」

 いよいよわたし達だけでは手に負えない事態にまで発展しているような気がした。
 それでも出来ることだけはしておかねばと、
 オートロックのドアが閉じてしまう前にマンションの中へと侵入する。

梓「唯先輩、さすがにこれはまずいのでは……」

唯「部屋番号を確かめるだけだから。ギー太、ちょっとお留守番しててね」

 あずにゃんとギー太を置いて、エレベーター横の階段を駆け上がる。
 りっちゃん達はエレベーターを使って上へと上がっていた。
 いつ停まってもいいようにエレベーターの動きに気を配りながら、
 極力足音を起てずに上を目指した。


 エレベーターは五階で停まり、りっちゃん達が降りてきた。
 荒くなった息遣いを覚られないように静かに深呼吸をしながら、
 二人が部屋に入っていくのを確認する。

 503号室。それがりっちゃん達が入っていった部屋だった。

 その部屋番号を心に刻み、足早にその場を後にする。

梓「あっ、唯先輩」

 一人で落ち着かなかったのか、
 きょろきょろとしていたあずにゃんが私のところに駆け寄ってきた。

唯「じゃあ出よう、あずにゃん」

梓「は、はい」

 あずにゃんからギー太と鞄を受け取り、マンションから出る。

唯「取り敢えずわたし達だけで考えても分からないことだらけだから、
  明日みおちゃん達に相談しよう」

梓「そう、ですね。あれこれと推測しても事態が好転する訳ではありませんし……」

 突然のことにあずにゃんも混乱しているみたいだ。
 そういうわたしも充分に混乱しているわけなのですが。

唯「りっちゃん……」

 聳え立つマンションを見上げながら、りっちゃんの名前を呼ぶ。
 その言葉は誰かに届くこともないまま、ただ夜の闇へと解けていった。


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