ぜー、ぜー、ぜー。
扉を背にして、俺たちは息を切らして座り込む。
こんなに走ったのは島の運動会に無邪気に参加していた頃以来だぜ。
「ここは…ほら、グランド、下が例の扉のある部屋だよ。
まわりまわって入り口のすぐ近くまで来たんだね」
目をあけてみると、俺が座り込んでいるのは幅が3mくらいの通路で、
その向こうは深い段差になっていた。とても人には登れない。
高さは10mくらいはあるんじゃないかな。段差の下はサッカーコート1面ぶんくらいの広さがあって、
反対側の突き当たりの壁面に、どでかい扉があった。
そこだけ白い照明が当てられていて、扉の色が黄色だというのがすぐにわかった。
他の部分は赤い光にとざされている。
…よく見るともう一つ小さい扉があって、そっちが入り口付近へとつながる扉なのだろう。
「あれが、鍵の無い扉?」
「そうなんだ。…それで…」
ロイが何か言おうとした瞬間だった。また無線が作動音を立て、いきなりロールの通信が入る。
『二人とも! 今あの黄色い扉のある部屋が見えるところにいる!?』
「…えっ? いるけど」
ロイが困惑した表情で俺の顔をみる。確かにおかしいな。声が切羽詰った様子だ。なにかまずいことでも?
「なにかあったのか?」
俺が聞くと、予想外の返答があった。
『大変よ! ディーアくんが、「俺もディグアウトのほうへ行く」って、
今ひとりで飛び出していっちゃったの!! 二人の場所は知ってるから、
その場所へ引き上げてあげて。グランドみたいに大回りするのは危険だわ、
まださっきの通路にリーバード反応が残ってるから…』
その言葉が終わるか終わらないうちに、
小さい方の扉がパシューっと空気の漏れるような音を立てて開いた。
そこからのんびり歩いてきたのは…。
「ディーア!」
俺の叫びに気付かない様子で、奴はきょろきょろしている。
部屋が広すぎるんだ。声があいつのところまで届いてない。
「ロールちゃん、ディーアくんは無線持ってるの?」
ロイが無線に話し掛ける。
『ううん。無線は二個しかなかったから…』
なんてこった。とにかく叫ばなきゃ!
と俺が思った次の瞬間、俺たちが黄色い扉の向こうにいると思ったか、
ディーアのやつは黄色い扉の方へ全力ダッシュし始めてしまった。
「うわっ! そっちじゃないってディーア!! こらバカ気付けっ!!!」
扉の寸前で、やっとディーアの足が止まった。
「やっと気付いたか、お~~~い!! こっちだ!!」
俺が腕をぶんぶん振り回したが、ディーアはまだきょろきょろとあちこちを捜している。
…そうか、この場所も赤い照明でとても視界が悪い。ディーアには見えないんだ。
「グランド、ディーアくんが今見えるの?」
ロイが隣で必死に目を見開きながら言う。…そうか、ロイにも無理か。
「俺は代々弓漁師の家系なんだ。崖の上から水中の魚を狩る職業だけあって、
普通の人間より何倍も目には自信がある。
ディーアもそうなんだがあいつはまだ見習いだ。こっちが見えてない」
「…僕には、人影があることぐらいしか。…ディーアくんは、こっちに来そう?」
俺はディーアの方に目を戻した。あいつ、扉を開けようと…
それを見たとたん、俺は体中に電流が走る思いがした。
頭の奥のほうで、『いけない!!』と何かが絶叫した。全身が凍りつく。
腕にはザッと鳥肌が立ってゆく。
・・・やめろ、ディーア、そっちはダメだ!!!!
「行くなあああああああああああああっ!!
ディーア、その扉にさわるなあああああああああっ!!!」
ビクッとしたロイが横で俺の顔を見上げる。
「僕、あの扉にトラップがあるって言ってないよね?」
俺はその言葉を聞いていた。が、理解してはいなかった。
そして、俺の全身全霊を込めた叫びにようやくディーアがこちらを向く。
…それから、俺は全ては遅かったことを知った。
ディーアの片手は黄色い扉の表面にぴったりとついていた。
「!!!!」
俺は物も言わずそのまま段差を飛び降りようとして、ロイに腕をつかんで止められた。
「無茶だ! この高さから降りたら足を骨折する。行くんなら僕が・・・っ!?」
俺は代わりに降りようとしたロイを逆に掴んで止める。
…飛び降りたってもう遅い。
たった一つの望みは、ディーアが俺の叫びに気付いてこっちに来てくれることだが…。
「あれー? グランド、そっちにいたんだ!」
「何でもいいから全力で走れっ!!!」
ディーアは走ろうとした。
あいつは、口ではいろいろいいながらも俺が本気で言ったことに逆らったりしない。
危険が多い弓漁師の仕事の上では、そうすることが身を守る手段だから。
・・・が。半歩も走らないうちに、奴の体はガクリと動きを止めた。
物理的におかしいくらい、突然に。
「そんな・・・っ!」
ロイの手から無線が落ちた。ロールが何か叫んでいるが、誰も聞けなかった。
黄色い扉は消え失せていた。そこにいたのは、見上げるような蛇の形のリーバード。
白い光を浴びて、深紅の鎌首をもたげている。額に一つだけのリーバードの瞳が輝き、
カッと開いた口には大きく横に飛び出したエネルギーブレードが一対。
金属の牙がずらり。体は鱗もなく滑らか。
そいつの喉のあたりが溶けたように変形して、細く鋭い刃に変じている。
それが床まで伸びていて、
ディーアのアーマーで守られていない胸の中心をぐっさり貫いて、
そして、床に縫いとめていた。
ディーアの悲鳴は無かった。…即死だったろう。
銀に光る刃をつたって、絶望的な赤の水溜りが広がってゆく。
見慣れた赤毛の頭が力を失ってうなだれ、目が光を失って。
こちらへ伸ばされていたディーアの腕が、ぱたりと落ちた瞬間、俺の中で何かが切れた。
俺は、胸に激痛が走るくらい大きく息を吸っていた。…親友の名を叫ぶために。
「ディーアあああああああああああああああああああああっ!!!」
叫び終わって、肺に空気が無くなって、それでも俺はまだ口を大きく開けて叫んでいるつもりだった。
涙なんて出てこなかった。体中の水分が乾いてしまったみたいで。
まだ、頭のどこかで『あ~危なかったぜ』って言って、
ディーアが立ち上がるのを、俺は期待している。
明日、目をさましてから仕度をして、細い小道を歩いて丘を登り、
ディーアを漁につれにいく自分を簡単に想像できてしまう。そのときのディーアのわくわくした表情も。
逃げなきゃいけないとわかっているのに。俺は動けない。
「俺は、もっと大きい声でディーアのバカに止まれって言えた!
飛び降りて助けにも行けたかもしれない!…くそおっ!!!」
「・・・グランド」
蛇は、頭を振るった。
するとディーアを貫いていた刃がするすると縮んで喉のあたりに収まる。
奴は全身そんなような変幻自在の刃物の塊なんだ。
ディーアの体はバシャリと自分の血だまりのなかに落ちた。
ぐずぐずしていたら、今度の標的は俺たちだ。
・・・いっそ、ここで死んでしまいたい。俺、お前の母さんになんて言ったらいいんだよ。
「グランド! ここは引くよ! このままじゃ戦えない。僕も…君も!」
ロイの顔は涙で濡れていた。
俺も、ようやく流れはじめた涙で視界がにごる。…そうだ。このまんまじゃ戦えないよな。
涙で濁った視界じゃ、まともに仇なんかとれやしない。
俺は、動きを止めようとする手足を必死に動かして、ロイについてその場を逃げ出した。
そして、心に誓った。俺が逃げるのは、ここが最後だ。
今後、なにがあっても、勝てそうじゃなくても、俺は何からも逃げない。
ディーア、今だけは忘れさせてくれ。
俺があんたの仇を取るときまで、体勢を立て直すまで…。
頼む、頼むから。後は一生忘れないから。
しかし、思い出は涙よりもさらに、とめどもなかった。
「虹にまつわるエトセトラ」
第一部・終
扉を背にして、俺たちは息を切らして座り込む。
こんなに走ったのは島の運動会に無邪気に参加していた頃以来だぜ。
「ここは…ほら、グランド、下が例の扉のある部屋だよ。
まわりまわって入り口のすぐ近くまで来たんだね」
目をあけてみると、俺が座り込んでいるのは幅が3mくらいの通路で、
その向こうは深い段差になっていた。とても人には登れない。
高さは10mくらいはあるんじゃないかな。段差の下はサッカーコート1面ぶんくらいの広さがあって、
反対側の突き当たりの壁面に、どでかい扉があった。
そこだけ白い照明が当てられていて、扉の色が黄色だというのがすぐにわかった。
他の部分は赤い光にとざされている。
…よく見るともう一つ小さい扉があって、そっちが入り口付近へとつながる扉なのだろう。
「あれが、鍵の無い扉?」
「そうなんだ。…それで…」
ロイが何か言おうとした瞬間だった。また無線が作動音を立て、いきなりロールの通信が入る。
『二人とも! 今あの黄色い扉のある部屋が見えるところにいる!?』
「…えっ? いるけど」
ロイが困惑した表情で俺の顔をみる。確かにおかしいな。声が切羽詰った様子だ。なにかまずいことでも?
「なにかあったのか?」
俺が聞くと、予想外の返答があった。
『大変よ! ディーアくんが、「俺もディグアウトのほうへ行く」って、
今ひとりで飛び出していっちゃったの!! 二人の場所は知ってるから、
その場所へ引き上げてあげて。グランドみたいに大回りするのは危険だわ、
まださっきの通路にリーバード反応が残ってるから…』
その言葉が終わるか終わらないうちに、
小さい方の扉がパシューっと空気の漏れるような音を立てて開いた。
そこからのんびり歩いてきたのは…。
「ディーア!」
俺の叫びに気付かない様子で、奴はきょろきょろしている。
部屋が広すぎるんだ。声があいつのところまで届いてない。
「ロールちゃん、ディーアくんは無線持ってるの?」
ロイが無線に話し掛ける。
『ううん。無線は二個しかなかったから…』
なんてこった。とにかく叫ばなきゃ!
と俺が思った次の瞬間、俺たちが黄色い扉の向こうにいると思ったか、
ディーアのやつは黄色い扉の方へ全力ダッシュし始めてしまった。
「うわっ! そっちじゃないってディーア!! こらバカ気付けっ!!!」
扉の寸前で、やっとディーアの足が止まった。
「やっと気付いたか、お~~~い!! こっちだ!!」
俺が腕をぶんぶん振り回したが、ディーアはまだきょろきょろとあちこちを捜している。
…そうか、この場所も赤い照明でとても視界が悪い。ディーアには見えないんだ。
「グランド、ディーアくんが今見えるの?」
ロイが隣で必死に目を見開きながら言う。…そうか、ロイにも無理か。
「俺は代々弓漁師の家系なんだ。崖の上から水中の魚を狩る職業だけあって、
普通の人間より何倍も目には自信がある。
ディーアもそうなんだがあいつはまだ見習いだ。こっちが見えてない」
「…僕には、人影があることぐらいしか。…ディーアくんは、こっちに来そう?」
俺はディーアの方に目を戻した。あいつ、扉を開けようと…
それを見たとたん、俺は体中に電流が走る思いがした。
頭の奥のほうで、『いけない!!』と何かが絶叫した。全身が凍りつく。
腕にはザッと鳥肌が立ってゆく。
・・・やめろ、ディーア、そっちはダメだ!!!!
「行くなあああああああああああああっ!!
ディーア、その扉にさわるなあああああああああっ!!!」
ビクッとしたロイが横で俺の顔を見上げる。
「僕、あの扉にトラップがあるって言ってないよね?」
俺はその言葉を聞いていた。が、理解してはいなかった。
そして、俺の全身全霊を込めた叫びにようやくディーアがこちらを向く。
…それから、俺は全ては遅かったことを知った。
ディーアの片手は黄色い扉の表面にぴったりとついていた。
「!!!!」
俺は物も言わずそのまま段差を飛び降りようとして、ロイに腕をつかんで止められた。
「無茶だ! この高さから降りたら足を骨折する。行くんなら僕が・・・っ!?」
俺は代わりに降りようとしたロイを逆に掴んで止める。
…飛び降りたってもう遅い。
たった一つの望みは、ディーアが俺の叫びに気付いてこっちに来てくれることだが…。
「あれー? グランド、そっちにいたんだ!」
「何でもいいから全力で走れっ!!!」
ディーアは走ろうとした。
あいつは、口ではいろいろいいながらも俺が本気で言ったことに逆らったりしない。
危険が多い弓漁師の仕事の上では、そうすることが身を守る手段だから。
・・・が。半歩も走らないうちに、奴の体はガクリと動きを止めた。
物理的におかしいくらい、突然に。
「そんな・・・っ!」
ロイの手から無線が落ちた。ロールが何か叫んでいるが、誰も聞けなかった。
黄色い扉は消え失せていた。そこにいたのは、見上げるような蛇の形のリーバード。
白い光を浴びて、深紅の鎌首をもたげている。額に一つだけのリーバードの瞳が輝き、
カッと開いた口には大きく横に飛び出したエネルギーブレードが一対。
金属の牙がずらり。体は鱗もなく滑らか。
そいつの喉のあたりが溶けたように変形して、細く鋭い刃に変じている。
それが床まで伸びていて、
ディーアのアーマーで守られていない胸の中心をぐっさり貫いて、
そして、床に縫いとめていた。
ディーアの悲鳴は無かった。…即死だったろう。
銀に光る刃をつたって、絶望的な赤の水溜りが広がってゆく。
見慣れた赤毛の頭が力を失ってうなだれ、目が光を失って。
こちらへ伸ばされていたディーアの腕が、ぱたりと落ちた瞬間、俺の中で何かが切れた。
俺は、胸に激痛が走るくらい大きく息を吸っていた。…親友の名を叫ぶために。
「ディーアあああああああああああああああああああああっ!!!」
叫び終わって、肺に空気が無くなって、それでも俺はまだ口を大きく開けて叫んでいるつもりだった。
涙なんて出てこなかった。体中の水分が乾いてしまったみたいで。
まだ、頭のどこかで『あ~危なかったぜ』って言って、
ディーアが立ち上がるのを、俺は期待している。
明日、目をさましてから仕度をして、細い小道を歩いて丘を登り、
ディーアを漁につれにいく自分を簡単に想像できてしまう。そのときのディーアのわくわくした表情も。
逃げなきゃいけないとわかっているのに。俺は動けない。
「俺は、もっと大きい声でディーアのバカに止まれって言えた!
飛び降りて助けにも行けたかもしれない!…くそおっ!!!」
「・・・グランド」
蛇は、頭を振るった。
するとディーアを貫いていた刃がするすると縮んで喉のあたりに収まる。
奴は全身そんなような変幻自在の刃物の塊なんだ。
ディーアの体はバシャリと自分の血だまりのなかに落ちた。
ぐずぐずしていたら、今度の標的は俺たちだ。
・・・いっそ、ここで死んでしまいたい。俺、お前の母さんになんて言ったらいいんだよ。
「グランド! ここは引くよ! このままじゃ戦えない。僕も…君も!」
ロイの顔は涙で濡れていた。
俺も、ようやく流れはじめた涙で視界がにごる。…そうだ。このまんまじゃ戦えないよな。
涙で濁った視界じゃ、まともに仇なんかとれやしない。
俺は、動きを止めようとする手足を必死に動かして、ロイについてその場を逃げ出した。
そして、心に誓った。俺が逃げるのは、ここが最後だ。
今後、なにがあっても、勝てそうじゃなくても、俺は何からも逃げない。
ディーア、今だけは忘れさせてくれ。
俺があんたの仇を取るときまで、体勢を立て直すまで…。
頼む、頼むから。後は一生忘れないから。
しかし、思い出は涙よりもさらに、とめどもなかった。
「虹にまつわるエトセトラ」
第一部・終