ロクノベ小説保管庫 いつか誰かとこの空を眺めたかった。

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

来るな、来るな。
―――――傍に、来るな。


「…っはは!」
アレスが〝アークアーム〟を振り被る。
それは大きな左の掌から、敵に、イレギュラーにエネルギーを送り込み内部から破壊するというものだ。
既に知っている人もいるかもしれないが。
「これでラストっ!」
  ボッ
破裂音を背に、アレスはアークアームを掲げ上げた。
「完全消去(パーフェクトデリート)!」
イレギュラーは消し飛んだ。


アレスは外へ向かって走って行く。
紅い空の広い外へ。
そこには彼が待っている。
やっと見付けた大切な友が。
センターエリアに小さく、規則的に多数存在する島がある。
その中の一つにアレスは到着した。
「ジュノ!」
「はい」
紫の長い髪、灰色の瞳、純白のアーマーを身に纏った少年が、
こちらに向かって手を振っている。
アレスはすぐさま彼の所に駆けて行く。
少年は優しげな、感嘆を込めた声で話しかける。
「すごいのですね、相変わらず」
「やあジュノ! 見ていてくれたのかい?」
「ええ、モニターから」
少年、ロックマン・ジュノの笑顔がアレスの瞳に眩しく映る。
センターエリアの空は紅い。
時には青空を、時には夜空を描く巨大なキャンパスは、今や
沈み始める光源を題材に、夕暮れの優しさを描き出している。
アレスとジュノが〝親友〟となったその日から、二人はこの空の
下で顔を合わす事が一日の中で多くなった。



ひとしきり、空を眺めた後に、ジュノが言う。
「アレス様ほど強いのなら、殆ど敵無し状態なのでしょうね」
ふとした考えだった。
その質問とも呼べる言葉に、アレスは誇って立ちあがる。
「そうとも、僕は強いのさっ! だけど敵無し、ってワケじゃ
ないんだよ」
「そうなのですか」
アレスは立ったまま、利き手である左の指を折り数える。
「そうだな、やっぱり最初はマスターかな、まったく攻撃する気が起きない」
「…当たり前ですよ」
当たり前だろう。
「次に、マザーのお二人さん。セラサマとユーナサマは一応僕等の統括者だし」
「…お二人さん…」
どうも、アレスは上司を上司と思わない節がある。
「後は…そうだな、もしかしたら勝てるかもしれないが、
 攻撃的守護者(オシェンシブガーディアン)リーバード・クロエぐらいだろうな」
慣れない言葉と名前に、ジュノは首を傾げた。
「え? ジュノ、クロエの事知らなかったのかい?」
アレスが慌てた様子で聞いてきた。
「はぁ、まったく…」
知らなかった事を少し恥ずかしく思いながら、ジュノは頷く。
「クロエ様、とはどのような御方なのですか?」
アレスに勝るとも劣らない人物。興味があった。
「……うぅ~ん…?」
聞かれたアレスは、困ったように頭を掻いた。
「…知らないなら、知らない方が良いな」
「えぇ? どうしてですか?」
ジュノが再び小首を傾げた。
「…どうしても」
アレスの深紅の瞳が思案げに細められる。
そう言われても、ジュノは諦めきれない。
「…でも」
「ささっ! そろそろ陽が落ちるね。戻ろうか」
「え?」
「ゼンは急げだ、さあ、行くぞ」
「あ、あのぅ~」
アレスに腕を掴まれて、引き摺られながらもジュノは着いて行く。
この分では、クロエという人の事は教えてもらえそうにないなと
考えながら。
暗く広い部屋があった。
天井は限り無く高く、同じく高い壁の上の方には、何十本と無造作に
長い長方形の棒が突き出している。
それらの全ての表面に、ヘブン独特の紋様が所狭しと描かれていた。
部屋の一番奥の、壁にはめ込まれた光る白い大きな球体にも。
「……」
その部屋の片隅で、黄金色の眼をした少女は天を仰ぎ見る。
不意に、見たいものが出来たのだ。
どうしても、見たかった。


書庫の扉をくぐり廊下に出て、ジュノは一人溜息をつく。
「……このままでは、眼が悪くなってしまうかも…」
回廊を歩いて行く。
(…アレス様、大丈夫でしょうか)
アレスは今、イレギュラー消去の為に別の場所へ行っている。
(まあ、あの人の事だから心配は無用ですね)
何を心配しているのかと苦笑した。
『イレギュラー!? この僕が出向かなくてはいけないと!?
 せっかくジュノと話しているのに! 仕方が無いね……。
 じゃあジュノ。ずずいと待っていてくれたまえ!』
別れる時も、アレスは軽かった。
結局、〝クロエ〟という者については何一つ聞けなかった。
「……でも、」
クロエ様とは、どのような方なのでしょう、という言葉は続かなかった。
数メートルほど先に、誰かが立っていたからだ。

その少女の背はジュノより高い。アレスより低いが。
赤紫のセミロングの髪。両目は黄金色、額には
両目と同色のリーバードの大きな瞳が光を浴びている。
そしてその服装は、
「……あれは高級リーバードの…」
マザー直属高級リーバード・ジジ・ガガの着用している服とうりふたつだった。
「……(誰でしょう…?)」
彼女はこちらへ歩いてくる。
彼女の端麗な顔には表情と呼べるものはまったく無かった。
少女が止まる。
「………ジュノ?」
澄んだ、だが暗い声。
ジュノは、はいと答えた。
「………」
「…ええと、どなたでしょうか…?」
おずおずと聞いてみた。
「生まれたばかり?」
質問は無視された。
「…ええ、まだ数年しか稼動していません」
「あのアレスと仲良い?」
「え? アレス様とですか? …それはもう、お世話になりっぱなしで…
 アレス様のお知り合いの方で?」
「違う」
「…そうですか」
とことん喜怒哀楽の篭らない声で喋る。
始めて質問を返してもらい少し嬉しく思いながら、やはり見覚えの無い
人物を目の前にどうすれば良いのか迷う。
名前を聞きたかった。
「あの、お名前はなんと仰るのですか?」
「…」
数秒の間があった。その間に、ジュノは相手の瞳を見つめる。
何かが引っ掛かった。
「我は…」
少女が口を開く。


「…ジュノ!」
背後から声が聞こえた。聞き慣れた声だった。
「アレス様」
駆け寄ってくる黒髪の人の名を呼んだ。
「いやはやまったく。何が悲しくてあんなザコ敵の相手をせねば
 ならないのかな、あの程度ならトリッガーでも楽勝――」
すらすら流れ出るはずの言葉が途絶える。
アレスの深紅の眼は、ジュノの前に居る少女に注がれていた。
「………あいつは」
しかと確認した瞬間、アレスは一瞬の内にジュノと少女の間に
割って入った。
ジュノを庇うように身構えた。
「え?」
ジュノには何が何だか判らない。
アレスが言う。
「何故君がこんな所に居るのかな?」
それは少女に向けられた言葉。
「……何処に居ようと、我の勝手」
彼女は答える。やはり二人とも顔見知りのようだ。
「メインサーバーの守護は良いのかな?」
「あの防御壁(プロテクト)を突破する敵は非常に少ない」
「自信ありまくりだね」
話が見えない。ジュノは取り残された気分になった。
「ああ、あのぉー」
「ジュノに何をしたんだい?」
「…あの」
ジュノに発言権は無いように思われる。
少女は答える。
「別に。話しただけ」
「そうなのかい、ジュノ?」
いきなり話を振られて、慌てて頷く。
「ええ、もちろんです」
「…ならよし」
「…あの、私には何が何だか…」
「今目の前に居るのが、クロエだよジュノ」
「え?」
驚き、少女――クロエを凝視した。
「この方が…」
「………」
当のクロエは、くるりと二人に背を向ける。
「……さようなら」
一言そう言って、立ち去った。

回廊を歩きながら、ジュノはアレスの話を聞く。
「あれは、このヘブンの機能の中枢(メインサーバー)を守護する
 攻撃的守護者(オシェンシブガーディアン)リーバードだ」
「前にも言っていましたが、そのオシェンシブ…とは、何ですか?」
「オシェンシブ、文字通り攻撃的な守護者だね。ただ、それでは普通の
 リーバードと同じだ。でもクロエは、どんなリーバードより非常に攻撃力が
 高く、非常に敏感な者なのだよ。自分に害を与える敵には意識より先に躰のほうが
 反応するらしい。だから、一歩間違えれば、例え普通に接しているつもりでも
 一瞬後には攻撃を食らってしまう可能性が付き纏うんだ」
アレスは苦い顔をする。
「その反射神経は僕より上だ。攻撃力は僕のほうが勝っている筈だがね…たぶん」
ジュノは驚く。一等粛正官及び最強のイレギュラーハンターであるアレスを
凌駕する(かもしれない)者がいるとは。
「いつもはヘブンの地下深く、メインサーバーのある広い部屋に待機している
 筈なのだが、最近はその部屋に特別のプロテクトをかけて、自分はヘブンの
 中を歩き回ってるみたいだよ。……おかげで恐がって職を怠る者が出始めてる
 んでたいへんだよ」
アレスは溜息をつく。
ジュノは不思議に思った。
「どうしてですか?」
「さっきも言っただろう。普通に接しているつもりでも、一瞬後には攻撃されるかも
 しれないと」
「……じゃあ、誰も近寄らないのですか? クロエ様に」
「仕方が無いよ」
ジュノは黄金色の瞳を思い出す。
何か引っ掛かっている。
「……でも」
ぴたりとジュノが立ち止まる。
「ん?」
アレスも立ち止まり振り返る。
ジュノが呟く。
「…クロエ様の眼……、アレス様に少し似ていました」
「は?」
ぽかんとしてジュノを見た。
似ている?
何処が!?
「ずっと前の、アレス様に似ています」
アレスはますます意味が判らなかった。





敵が居る。
我の施したプロテクトを破ろうとしている。
敵が居る。イレギュラーが。

  ずずぅ…
クロエの背から何かが生えた。
それはまるでドリルのように、ねじれ溝が螺旋状に連なる
手でしっかと握れるほどの太さのワイヤーだ。
ソレがクロエの背から五本、十本と左右対称に、大きく啓かれた
翼のように広がった。
これぞ、攻撃的守護者リーバード・クロエの能力〝ティアマト〟。
主の意思に関係無く、害を成すもの全てに襲いかかる鋼鉄の蛇達だ。
  ばしゅっ
その中の一本が素早く伸び、鋭利に尖った先端でイレギュラー化した
リーバードの装甲を貫いた。
リーバードの循環液、つまりは血液が溢れ出た。
ドリルのねじれ溝を緑の液体が滴り落ちる。
「…」
その光景をクロエは黙って見守った。
攻撃は全て、ティアマトの管轄であり、自分は立ったままでいいのだ。
鋼鉄の蛇達は、何処まででも伸び、敵を逃がさない。
  がしゅっ  べきん
多数居るイレギュラーの中の一体が、肉体を貫かれ、躰を折られて
地に沈む。
爆発する者はいなかった。
ティアマトから発せられる特殊なパルスが物質の燃焼を防ぐのだ。
全てはメインサーバーの守護の為。傷でもついたら堪らない。
  ごしゅっ
締め上げられて潰される。
緑の血液がクロエの服に付着した。
「………」
動く者が居なくなる。
ずずずとティアマトがクロエの躰に戻って行く。
クロエは付着した液体を拭い始めた。





ジュノの部屋は質素で淡白。
家具と言える家具は、寝台、机、本棚ぐらいだ。
それでもジュノにはこれで充分だ。
「……」
ジュノは、あの黄金色の瞳を思い出す。
アレスは近付かない方がいいと言った。
けれど、
「…寂しそうな、眼でした」
誰とも無しに呟いた。
ジュノは立ち上がり、歩き出す。

ヘブンにも、朝昼夜があると言う事を、改めてクロエは知った。
それは空に広がる無限ともいえる色の移り変わりから成っている。
クロエは一人、空を見上げて立っている。
「…」
今まで中枢の部屋から出ようとはしなかった。
出たところで誰も自分には近寄らないだろうから。
……今、眺めている夜空は美しかった。
「………感謝」
小さく呟く。
誰かに呟く。
自分があの部屋から出たキッカケに感謝した。
「あの、クロエ様?」
「?」
ゆっくりと後ろに振り向いた。
ジュノが立っている。
自分があの部屋から出たキッカケが。
「ここにいらしたのですか、捜していたのですよ」
ジュノはにこりと笑いかける。
「…捜してた?」
自分を?
「はい。少し、お聞きしたい事がありまして」
『捜していた』なんて言われたのは初めてだった。
不思議な感情が胸に浮く。
それでもクロエは限り無く無表情だった。
「……何だ」
「ええ、その、クロエ様、寂しくはありませんか?」

寂しい?
誰が?
クロエの眉が少し動いた。
「……変な事を言う」
「あ、それ言われたのは二回目です」
「二回目?」
「はい。アレス様に一回言われました」
「………あの〝邪神〟にか」
「は?」
「いや。別に」
ジュノは知らないのだ。
アレスの影の名前を。
その敵を壊す能力故に生まれた名。
その滲み出る性質故に生まれた名。
今も昔も同じ影の名前。
その〝邪神〟と呼ばれる男の行動に変化が起きたのはいつ頃か。
どんなものにも執着しなかった〝邪神〟が気を使うものが現れたのだ。
理由は、〝邪神〟しか知らないのだろう。
それがジュノ。今自分の前にいる少年だ。
邪神が気を許すジュノを、クロエは見たくて部屋を出たのだ。






クロエは聞いた。
「我の何処が寂しそうだと言うのだ」
「…眼が、そんな感じがするのです」
眼?
「今のクロエ様の眼は、綺麗ですけれど、寂しそうです」

寂しそう?
我が?
何故?

「前の、アレス様に似ています」
「前のアレスに?」

似ている?
何処が?!

  どくん
鼓動が聞こえた。

「上手く、言えないのですけど、」

違う。
我は寂しくなどない。
寂しくない。

  どくん どくん
鼓動が、速い。

「…寂しそうです」

違う。違う。違う。
寂しくない。
何を言っている。
何を、何を言っている。
――――――ウルサイ。

  ばしゅっ
ティアマトが空を斬る音がした。
クロエははっと我に返る。
「ジュノ!」
思わず叫ぶ。
得体の知れない〝恐怖〟が身を包む。
ジュノの頬に赤い筋が現れた。次いで、つぅ、と血が流れて行く。
ティアマトの一本が、ジュノの頬を切り裂き、紫の髪を数本跳ね飛ばしたのだ。
「……」
ジュノは驚いて自分の頬に手で触れる。
…赤い血が指を染めた。
クロエは震える声で言う。
「…解ったろう。我は、危ない。……近付くな」
「! そんな、クロエ様」
ジュノが顔を上げた時には、クロエは風を残して消えていた。






「近付くなと言っただろう!」
アレスの声が木霊する。
ジュノは自分の部屋で頬の傷の手当てをしていた。
それを、突然部屋に押し掛けてきたアレスに見つかって、
怪我をした理由を知られ、現状に至る。
「危ないからと言ったのに! 傷まで貰ってきて!
 クロエに受けた傷は治り難いんだ、ティアマトの発するパルスがそうさせる」
「はあ」
確かに、なかなか血が止まらなかった。今はもう止まっているが。
「この分なら、ガーゼとか要りませんね」
「ジュノ!」
「うわぁ! はい!」
がっ、といきなり頭を掴まれ驚いた。
「今後一切、クロエには近付かない事。いいね」
「それはダメです」
「そうか、解ってくれたか、それならよし………ん!?」
ようやく望む答えではなかった事に気付き、慌てる。
「ジュノ?」
「ダメです。というか無理です。私はもう一度クロエ様の所へ行きます」
「だから危ないって!」
「クロエ様が寂しそうなんです!」
「!」
ジュノがアレスにこんなに強気で言葉を返したのは始めてかもしれない。
「…なんだって?」
アレスは信じられないという顔をする。
「……私には、何も出来ないだろうけれど、クロエ様を見ていられません」
頭に乗っていたアレスの手を退け、立ち上がる。
「ジュノ?」
「クロエ様を捜します」
アレスにこそ解る、ジュノの意志の強さ。
「~~~~っああもう!」
アレスもジュノの後につき、言い放った。
「僕も行くよ!」
ジュノは一瞬驚き、そしてふわりと笑った。
「ありがとうございます」
頬の傷が痛々しかった。





光る星たちの下で、クロエは小島の中心にある建物の壁に両手をついた。
(……すまない、とでも言っておくべきだったかな)
せっかく、逢いに来てくれたのに。
怪我を、させてしまった。
もし次に逢ったらどうなるのだろう。
今度こそ、あの躰を貫いてしまうかもしれない。
――――――厭だ。そんなの、厭だ。
始めて〝恐怖〟というものを知った気がした。
(…寂しくないか、か……何を莫迦な)
もしかしたら、本当に自分は寂しいのかも知れない。
(………痛い場所を、突いてくる…)
ゴツ、と頭を壁に軽くぶつけた。
「…………来るなよ、………………ジュノ」
「来ましたよ」
「!」
後ろの方に、ジュノとアレスが立っていた。

「―――っ!」
クロエの瞳が見開かれる。
「わあ、クロエがビックリするの、始めて見たよ」
アレスがにやりと笑って言った。
「クロエ様、約一時間ぶりでしょうか。どうも」
ぎり、と奥歯を噛み締めた。
「ジュノ! 我に近付くなと言っただろう!」
「あ、それもアレス様に言われてしまいました」
「そうだ! 何故来た、答えろ!!」
ジュノは真っ直ぐにクロエを見つめた。
「……云いたい事が、あるんです」
ジュノが一歩踏み出した。それをゆっくり二回三回と繰り返す。
クロエに向かって歩いていく。
「ジュノ」
アレスが咎めるように鋭く言った。
「いえ、アレス様は待っていてください。大丈夫です」
「…大丈夫って…」
アレスは冷汗をかいた。
ジュノは歩き続ける。
クロエが叫ぶ。
「来るなっ、危ない!」
「いいえ」
伸ばせば届きそうなほど、距離が縮まる。


ダメだ。来るな。危ない。
来るな。離れろ。近付くな。
厭だ。攻撃したくない。頼む、来るな。
来るな。


「クロエ様、私は」
ジュノが右手を伸ばそうとした。


来るな。来るな。来るな。
――――――傍に、来るな。


「来るな!」

  ずしゅ

ティアマトがジュノの左肩を貫いた。
血が、滴った。








「ジュノ!」
アレスは叫ぶ。
左手を掲げた。
「〝ウィザードヘルズ〟」
巨大な両刃の鎌が形作られた。青白い雷が迸る。
助けようと、跳ぼうとした。
が、
「なっ!?」
片足が、地面から突き出たティアマトに絡み着かれている。
クロエの背から生えているものは、ジュノの肩を貫いているものだけでは無かった。
四本中の三本が、クロエの足元の地に潜り、こちらに尖った頭を覗かせているのだ。
「くっ」
  ガキィ
ウィザードヘルズとティアマトの表面がぶつかり合った。
金属音が辺りに響く。
右腕が急に重くなった。
「…ぐぅっ!」
腕が地面に、いやティアマトに引っ張られる。
残りの二本も四肢に巻き付く。
躰が動かない。
「くそっ」
しっかりと鎌を握り締めてはいるが、躰が動かないのでは話にならない。
アレスに焦りが見え始めた。






我は、何を、した?

ジュノの肩から血が流れる。ねじれ溝を滴る血液も、地に落ち、地面に吸収された。

こんな事、したくない。したくなかった。
なのに我は、

クロエの両手が上に上がる。
自分の顔を覆った手は小刻みに震えていた。

厭だ。違う。こんな事、望んでいない。
我は、寂しかったのかもしれない。
けど、でも、ダメだ。もう。
―――――――――終りだ。

「…っぅ」
ジュノが、伸ばしかけていた手を動かした。
その手を、そっと自身を貫いている鋼鉄の蛇に添える。
血が手を染めた。
「……居ますよ」
「……え?」
クロエは耳を疑った。
ティアマトを通して、ジュノの血の温かさが、ジュノの手の暖かさが伝わってくる。
「ここに居ますよ」
「―――!」
ジュノはクロエに薄く微笑(わら)いかけていた。
「ここに居ます。近くに居ます。……大丈夫ですよ」
クロエが両手の下で眼を見開いた。
「独りだなんて、辛過ぎます。どんな人にも、一緒に微笑いあえる人が必要なんです」
クロエは声を絞り出す。
「…違…う……我に、は………必要無い……」

必要無い。要らない。独りで充分。
それなのに。

「辛かったのですね」
彼の声が静かに響く。
「痛かったのですね。苦しかったのですね。…寂しかったのですね」
「……うぅ…」
クロエがうめく。

それなのに、どうしてだろう?

「でも、安心して下さい」

どうして、

「私はここに居ます」

どうして、こんなに、自分は、

「大丈夫ですよ」

――――――言葉が欲しいのだろう。

「……傍に、居ますよ」




「―――?」
アレスを束縛していたティアマトの力が緩んだ。
そしてそのまま、主の躰へ戻って行く。
「……ジュノ…?」
アレスもジュノとクロエの会話を聴いていた。
自然に耳に、頭に聴こえて来たのだ。
すぐさま立ち上がり、二人の居場所へ走りよる。

  ずるっ

ジュノの肩からティアマトが抜けた。
血が軽く噴き出した。
ジュノは前へ倒れ込む。
クロエが両手を伸ばし、そして、
「………うぅ…うぁ………うああああああああぁぁぁ…」
泣き出した。
ジュノを抱き締めて、その場に座り込み、泣き出したのだ。
黄金の瞳から流れ出る粒が、頬を伝ってジュノの純白のアーマーに落ちた。
血と混じって地面に落ちる。
アレスはそれを静かに眺める。
(…………ああ、そうか。だからジュノは、似ていると云ったんだ)
やっと、解ったような気がした。
(クロエにも、きっと心に穴が空いていたんだ)
何処か心に穴を持ち、苦しんでいた。
アレスとクロエは、似た者同士だったのだろう。
きっと。
「…なあ」
アレスはクロエに問いかける。
「……本当は、クロエは、何処に居たいんだ?」
眼を閉じているジュノを抱き締め、クロエは嗚咽を堪えて声を出す。
「――――傍に、居たい…独りは、もう厭だ…」
「……うん。解った」
空の色が晴れて行く。






マスターの笑顔は優しかった。
アレスとクロエ、二人は横に並んでマスターの前に立っていた。
「…ジュノは傷が絶えないね。でも大丈夫だよ。じきに動ける」
ほっ、と安堵の空気がマスタールームに広がった。
「……クロエ」
「はい」
マスターはすまなそうに端整な顔を歪めた。
「すまない。気付いてやれなくて……わたしは本当に鈍感だな」
「いいえ、マスター」
クロエは言葉を遮り、言った。
「もう大丈夫です」
その声は、何処か光を帯びていた。
その事に少し驚き、マスターは笑う。
「………そうか」
「マスター。僕は一体何の為に呼ばれたのだろうね?」
アレスの声が割って入った。
「ああ、すまないね」
マスターは二人に訊いた。
「君達は、ジュノをどう想っている?」
「親友以上の親友さ」
アレスが即答した。
「クロエは?」
クロエは何か言おうと、口を開閉させている。
アレスが促す。
「想ったとおりで良いのさ」
「……でも」
「ジュノが、言ってくれただろう?」
クロエは顔を上げ、言葉を紡ぐ。
「親友」
「良かった」
マスターはにっこり笑う。
「なんだいマスター? 今更何故そんな当たり前の事を訊くんだい?」
「ジュノは無垢だから」
二人がマスターを見つめる。
「無垢ゆえの言葉が人を癒す。でもそれはきっと永遠じゃない。
 いつか崩れてしまう時が来るかもしれない」
「何が云いたいのですか?」
クロエが訊く。
マスターが続ける。
「だから、君達で〝護って〟やってくれないか」
二人は同時に即答した。
「「当然」」
笑顔がマスターに広がった。








「今回の事は、セラにはわたしから言っておくよ」
「あー良かった。セラサマのお説教は煩いからなぁ」
「アレス。お前はいつもそんな口調なのか」
「もち、あたぼーだよ」
「あたぼー?」
二人はマスタールームを出て行った。


長い回廊を歩いていく。
アレスは隣を歩くクロエに訊いた。
「ティアマト、制御出来るようになったんだって?」
「ああ。……ジュノのおかげだ。きっと」
「ふーん」
今度はクロエがアレスに訊いた。
「アレス」
「ん?」
「我は、さっき、〝親友〟と言ってしまった」
「うんうん」
「……良かった…のだろうか」
「……少なくとも、ジュノなら良いって云うよ。ジュノだから」
アレスは白い歯を見せて笑った。
「…僕もね」
「………そうか」
今度こそ、本当に救われたような気がした。


『傍に居るよ』
きっと自分はそう云って欲しかったんだ。
安心できる言葉が、ずっとずっと欲しかったんだ。
だから、『大丈夫』と云ってもらえた時、本当に本当に嬉しかった。
独りじゃないと解った時、涙が出た。
そうか、我は、きっと、
―――――――いつか誰かとこの空を眺めたかったんだ。

                             ☆END☆