ロクノベ小説保管庫 月夜同盟

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☆はじめに

 まず、これから始まる物語が舞台とする世界について、説明したい。
 時は、今から数千年、あるいは数万年の後の未来。
 世界のほとんどは、海に沈んでいる。
 世界が沈む前の時代に存在した文明は、地球の周りに、
機械の衛星をひとつ作って、そこに移り住んでいた。
 進みつづける地球の汚染に、たまらず逃げ出したのだ。
 人類は、その衛星で、ディフレクターを開発した。
エネルギーそのものを、ひし形の立体に結晶させた物体である。
 そして、ディフレクターを動力とする機械――リーバードと呼ばれる――を、
地球の再生にあたらしめた。
 世界の、残り少ない陸地に、
環境の再生のための施設が、雨のふるような勢いで立ち並んでいった。
 リーバードたちを操る人類が、時の流れとともに少なくなってくると、
彼らは地球を再生する作業を受けつぐプログラムを開発した。
 そのプログラムの、最終の目的は、衛星に保管されてある遺伝子を使って、
環境のととのった地球へと人類を降り立たせること。
 地球の環境が、汚染が進みはじめる直前の時期にまで回復した頃には、
人類は、あとひとりを残すのみとなった。
 最後に残った男は、考えた。
 地球上には、人類とまったく同じ遺伝子を持つ者――デコイが生活している。
彼らは、プログラムが完成すると同時に、全滅させられる。
 彼らが生活していた街で、人類は新しい生活を始めることになっていたのだ。
――もう、人類の時代は終わった。これからはデコイの時代だ。
 そう判断した男は、それまでプログラムを守っていた戦士――粛清官
という――のひとりに、プログラムの破壊を命じて、自らも命を絶った。
 その遺志(いし)をついだ粛清官は、プログラムをつかさどるマザーと対決。
 戦いを、相討ち(あいうち)に持ちこんで、プログラムを停止させた。
 デコイたちや、プログラムに関係する遺跡は活きたまま、
数百年の時が流れた。
 そして、復活した粛清官とマザーがふたたび戦い、
粛清官の勝利によって、プログラムは完全に消去された。
 デコイたちは、そんな流れと自分たちとは関係がない、というかのように、
古代――彼らにとって――の遺跡から発掘したディフレクターを使って、
生活を続けている。
 以上のことは、読者とともに舞台の設定を確認するために書いた。
 ディフレクターというものの他は、忘れていただいてかまわない。
 これからはじまる物語は、
とある月夜に起こった、自分とは直接には関係のない事件に、
みずからの責任をもって首をつっこんでゆく、
5人の人物たちを主人公としている。



☆夕ぐれにて

 夕焼けに照らされた、満月が寝そべっているような形の森の中心に、
百貨店(ひゃっかてん)のように大きな屋敷がある。
 まるで、村がひとつ収まるのではないかという広さの屋上に、
色とりどりの飛空艇(ひくうてい)が、
夕日を浴びながら停泊(ていはく)していた。
「グレープ、早く! パーティがはじまるぞ」
 鉄そのままの色をした船の中へ、スポーツ刈りにめがねの、
やせた青年が呼びかけている。
 年のころは、20代のなかばといったところか。
 あまり着たことがないタキシードのしわを、気にしている。
「ごめんなさい。ドレスを着たことは、あまり無いのよ…」
 落ち着いた女性の声とともに、船のずっしりとした扉が開く。
 静かにコンクリートの上へ降り立った女性――グレープの、
青いドレスと、腰まで届く青みがかった黒い長髪が、風にたなびいた。
 ととのった顔だち、白い肌。20歳よりは若い。
「どうかしら。モーラス」
 恥ずかしそうに、グレープは目を、夕焼けにあかく染まる山脈へとそらす。
 モーラスは、口をあけて見ほれてしまった。
 控えめな色彩のなかに、触れがたい気品がある。
 しかし、左のあごから、のどもとにかけて、
切りさかれたような傷あとが刻まれている。
 それが、せっかくの美しさを突きはなしていて、もったいない。
 しばらくしてモーラスは、黙りっぱなしだった自分に気づいた。
「すごくきれいだよ。グレープ」
 やめて。とグレープは目をふせた。
「おとうさんたら…私はタキシードでいいと言っておいたのに」
 おとうさん。と聞いてモーラスは我に返る。
「そうだ、もう行こう。ギルドマスターも待ってるよ」
 そう言って、モーラスはグレープの手を引いた。
 ふたりは、屋上の一角にある、
礼装(れいそう)をした人々を次々と飲み込んでゆく扉へと歩いてゆく。


☆状況

 今夜のパーティは、バショウ鉄鋼という会社の社長の、屋敷で行われる。
 ただのパーティで、これといった趣旨(しゅし)は無いらしい。
 飛空艇の材料となる鉄をおもに扱って、
浴びるほどの利益をあげている彼のもとには、
世界でも重要な産業の関係者たちが、顔をそろえる。
 グレープの、義理の父親――孤児院からひきとった――も、
そのうちのひとりである。
 世界の、ほぼすべての工場でエネルギー源となっているディフレクター。
 それを遺跡から掘り出す、ディグアウターと呼ばれる人々。
 彼らの連合、ディグアウターズギルド。
 そのギルドのマスター、つまり会長が、グレープの父親なのだ。
 彼女もまた、ギルドに直属するディグアウターである。
しかも、古代の文明によって作られた、
全てをきりさく威力を持つ剣の使い手である。
 はた目から見ると、いつも本を読んでいる、もの静かな女性なのだが。
 ギルドマスターは、どこかでパーティがあるたびに参加するので、
娘であるグレープも、親ばかにひっぱられてあちこちをとび回っている。
 今回は、恥ずかしがって着ようとはしていなかったドレスを、
無理やりに着せられたわけだ。
 それに見とれたままの男、モーラス。
彼は、ギルドと関係の深い、遺跡の調査の専門家である。
 今夜は、グレープのつきそいでパーティにやってきた。
 …前置きが、長くなってしまった。
 物語をつづける。


☆発見 ①

「それでは、今夜を、ごゆっくりとお楽しみください」
 海の幸(さち)に、山の幸が盛り上げられたテーブルが、
数十も並んだ大きな部屋。
 映画を上映するような舞台の上で、バショウ社長が演説を終えた。
 そのとなりには、三日月のような形をしたネックレスをつけている、
彼の娘がいる。
 年のころは10代の前半で、小柄(こがら)。
肩で切りそろえられた桃色の髪が、かわいらしい。
 会場には、色あざやかな服を着た参加者たちが、
アリの巣の中のようにごったがえしている。
「やっぱり、あのネックレスは、すげえなあ」
 バショウ親子を、人形ほどの大きさに遠目で見つめながら、
背の高い中年の男がつぶやいた。
 白髪になりかけた長髪を、頭の後ろで、ひと息にたばねた髪型。
そして赤い目。
 空賊――飛空艇を使った盗賊――ボーン一家の大黒柱、
ティーゼル・ボーンである。
 舞台を正面とすると、左側には窓がいくつも並んで、
それぞれに夜景をのぞかせている。
 その、きれいなガラスをはめ込んだ窓のひとつを背にしながら、
彼は舌なめずりをする。
 タキシードの裏に隠してある銃で、社長を人質にとって。
 屋敷の中に忍びこませてある部下に、
金目(かねめ)のものを奪い取らせて運ばせて。
 屋敷の近くに隠してある小型の船――ドラッヘという――で、
一気にとんずらしてしまおう。
 と、これからのもうけに想いをはせて、彼は口もとをゆるめた。
 その時である。
「あれ。ティーゼルちゃん」
 そう呼びかけられて、ティーゼルは飛びあがるほどにおどろいた。


発見 ②

「どうしたの。こんなところで」
 まぶしいほどに黄色い髪を、うなじにまとめて切りそろえた女性が、
きょとんとした顔で彼のそばに寄ってきた。
 顔は、10代の前半とも思えるほどに幼いが、背はティーゼルなみに高い。
 すらりとした体に、タキシードがよく似合っている。
「レ、モ、ン…」
 その名を呼んで、ティーゼルは続く言葉をつまらせる。
「お前こそ、どうして…」
「ちょっと、用があってね」
 レモンは、くったくのない笑顔で話す。
 彼女は、宝石の商人として世界を旅していて、
金持ちの間では、その宝石の品質は評判になっている。
――そのよしみで、ここに来たのだろうか。
「まぁた、わるだくみしてるんでしょお」
 いきなり核心を突かれて、考えるひまもなくティーゼルはあわてる。
「な、な、な、何を言うのかな」
 彼は、そう言って震える笑顔をつくった。
 レモンが使う、宝石の魔法によって、
彼は、思い出したくもない被害を受けたことがある。
 また邪魔されるのではないか、と思ったのだ。
「今回は、やめておいたほうがいいと思うな」
 近くのテーブルから、プリンを皿に取りあげながら、
レモンがつぶやく。
「何でだ?」
「ひとつ、危な~いネックレスがあるんだ」
 スプーンで、ひとすくいしたプリンを、
レモンはうれしそうに形のいいくちびるへと運んだ。


☆再会

 バショウ親子があいさつしていた舞台とは、
もっとも離れた会場の片すみで、
ひとりの男が、ねずみのようにそわそわしている。
「モーラス。もっと落ちついて」
 ぎこちなく周りを見わたすモーラスに、
グレープが心配しながら声をかける。
 彼も、意識では分かっているのだが、体が言うことを聞かない。
 会場の中で、シャンデリアの光を浴びているどの顔も、
テレビや新聞で見たことがある。
 有名な人々が、そばにいるときの興奮というのは、たとえようもない。
 ふと目を移した、その視線の先に、モーラスは釘づけとなった。
 三つほど奥のテーブルのかたわらに、ひとりの女性が立っている。
 赤みがかった黒髪の、おさげ。丸くて、切れながの目。
きりりとした顔立ち。
 今をときめく若手の女優であり、脚本家でもある、ライチである。
 モーラスは、彼女の出演する映画を、見のがしたことがない。
 急に止まったモーラスの視線を追って、グレープもライチに気づいた。
 あら。と彼女はちいさくつぶやく。
「モーラス。少し待っていて」
 そう念を押して、グレープは人ごみを静かにぬって、ライチに近寄った。
 しなやかな体に、白いドレス。
 彼女は、グレープよりもわずかに年上に見える。
「こんばんは。ライチ」
 呼びかけられて、ライチはゆるりと振りむく。
 その目がグレープの姿をみとめると、
直後に笑顔が浮かんだ。
「こんばんは。こんなところで会えるなんてね」
 二人があいさつするのを、驚いて口をぱくぱくさせながら、
モーラスが遠くから見つめている。
 二人は、映画での剣術の演出について相談したことがきっかけで、
親しい仲となった。
「グレープがいると、心強いわね」
 含みのある言葉に、グレープは小首をかしげた。
「どういう、ことかしら」
「今夜は、なにか事件が起きるかもしれないの」
 気をつけておいてね。
 と、ライチは、会場のなごやかなふんいきに合うように、
少しおどけて話す。
 だが、グレープを見つめるその目は、笑ってはいなかった。


☆事情 ①

 ライチとグレープが出会ったのと、おなじ時刻。
 レモンたちは、しばらく他愛のないことをしゃべっていたが、
「で、危ないネックレスってのは、何だ?」
 と、ティーゼルが不意をついて探りを入れた。
 さわがしいほどに、さまざまな話し声がとびかう場内だから、
ふたりの会話は、まわりには聞こえない。
「さっき、ティーゼルちゃんが見てたやつだよ。
プラムちゃんがつけてる、あれ」
 と、レモンは簡単に答える。
 プラムとは、バショウ社長の、ひとり娘の名前である。
 やっぱりそうか、とティーゼルは納得した。
彼も、それが一番のねらいで、この会場にやって来たのだ。
「たしか、つい最近にギルドが発掘したんだよな」
 レモンは、うなずく。
「新聞にも出てたよね」

 『1000万ゼニー相当の、三日月ディフレクター、発掘!』

 そんな見出しの記事を、ティーゼルは思い出した。
 そのディフレクターをはめこんであるネックレスは、
ギルドの調査では、ただの装飾品(そうしょくひん)だと判断されて、
売りに出された。
 その価値と、美しさのうわさが広まって、
誰が買うのか、ということが、世界の話題になったものだ。
 それが、今はプラムの胸元(むなもと)に輝いている。
「ボクも、一度、見てみたいなぁと思ってたんだけど」
 そしたらね。とレモンは言葉をつぐ。
「友達が、古~い本を読んでいたら…」
 そのネックレスと、同じものの記録が見つかったのだ。
三日月の形をしたディフレクターの中に込められた呪いによって、
数々の事件をひき起こしたという、いわくつきの装飾品らしい。
 その本は、内容がいくつも実証されているから、信用できる。
 以上のことを聞いて、
ティーゼルは面くらってプラムのいる方向を見やった。
 二人のいるテーブルから、五つほど向こうの、
舞台の近くのテーブルで、何も知らないプラムはころころと笑っている。
 その首には、まちがいなく三日月の形のディフレクターが輝いていた。
「ど、どうすんだ。そんなもの」
 ひとりでにあせるティーゼルの問いかけに、
「事情を話して、ボクが買い取るよ」
 レモンが、あっさりと答える。
 彼女は、今夜、そのためにここへ来たのだ。
 今夜は、あのネックレスが買い取られて以来の、
最初のパーティである。
 この二人が出会ったのは、当然といえば当然といえる。


☆事情 ②

「ああ、早く買い取っちまってくれ」
 そんな物騒(ぶっそう)なもん。
と言いかけて、ディーゼルは息をのんだ。
「おめえ、元が1000万なのに…」
 買いとる金があるのか? と彼は目を丸くする。
 レモンは、ちょっと照れながら、うなずいた。
「貯めこんできたからね」
――今度は、こいつの店で強盗しよう。
 ティーゼルは、そう決心する。
「記録を見つけた友達もね。
いやな予感がするって、ついてきてるんだ」
 あまり待たせると悪いから、そろそろ買いに行こうかな。
とレモンがつぶやいた。
「友達ってのは、どういうやつだ?」
 なんの気なしに、ティーゼルがたずねる。
 しばらく会場を見わたしてから、
レモンは、プラムのいる方向とは、反対のほうへ指をさした。
 その先、テーブルを四つほど越えたところに、グレープとライチがいる。
「ほら。見えるかな?
ライチっていうんだけど」
 レモンがその名を口ばしったとたんに、
ティーゼルがぐわっと目を見ひらいて彼女が指をさす方向に身をのりだす。
 大好きな女優なのだ。
「おめえが、なんでライチの友達なんだ?」
 つかみかかるような勢いでティーゼルはレモンを問いつめる。
 歯が飛びそうな熱心さに、レモンはひるんだ。
「だって、あの子も魔女だもの」
 なんだって? と、ティーゼルが目をむいた、瞬間!
 彼のはるか背後で、会場のすべてを包むような白い光が、
蝶のように羽ばたいた!
 光が放出される音響(おんきょう)の奥から、
かすかに少女の悲鳴が聞こえてくる。


☆警戒 ①

 グレープに、レモンと同じような説明をしていたライチは、
突然の光と悲鳴に、はっと顔をあげた。
 どよめく人々の、はるか奥から、
白い光が火山の噴火のように満ちあふれている。
 それを見てとったライチの胸に、ひとつの疑問が浮かんだ。
――なにか刺激がないかぎり、あれは発動しないはずだ。
 しかし、現実には。
 ただ楽しいだけで終わるはずだった今夜が、
あきらかに、その性質を変えようとしている。
「グレープ、覚悟を決めておいて」
 どよめき、ざわめく会場の中で、ライチはグレープに念を押す。
 それに答えるでもなく、グレープは厳しい表情で正面へと歩きだした。
 じりじりと、あとじさってくる客たちの流れに逆らうように進んで、
彼女は、その人ごみの中へと姿を消す。
――やはり、頼りになる。
 生まれついてのグレープの判断の冷静さを思って、ライチは微笑した。
その直後に、背後から呼びかけられる。
 彼女が振りかえると、やせ型の男――モーラスが立っていた。
 その顔が紅潮(こうちょう)しているのは、
突然の光のせいか、ライチのせいか。
「グレープは、どうしたんですか?」
 彼の目は、すでに人ごみの中へ隠れてしまったグレープの姿を探している。
「あの光を、調べにいったのよ」
 あなたも、さがっていたほうがいいわ。
とライチは忠告した。
 モーラスは、まだ話し足りないらしく、
なにかを言おうと身もだえしていたが、やがて力なくうなずいて、
後方へとさがっていった。
 さて、自分はどうするか。
 すでにシャンデリアの輝きを完全におさえこんで、
白い光は場内の空間を竜のごとく暴れまわっている。
 ライチは、自分のそばにいたマネージャーに手を差しだした。
 おびえながらも、マネージャーは預かっていた白木(しらき)の棒を、
彼女に渡す。
 棒は、ライチの足元から腰までにわたる長さである。
 その表面は、木ならではのざらざらした感触があって、
にぎりやすい。
「ありがとう。あなたも、もう避難していて」
 マネージャーが、足ばやにライチの背後へと去ってゆく。
 その方向の先には、全力で走れば10秒もかからない距離に、
人が一気に流れこめそうな大きさの、非常口の扉がある。
 その奥の階段は、屋上と地上の両方へとつながっている。
 今夜の客たちは、事が起これば、屋上へと逃げ出して、
自分の飛空艇で遠くへと避難するのであろう。


☆警戒 ②

 マネージャーだけではなく、すでに会場の人々の半分は、
ライチを通りこして、非常口のほうへと近づきつつある。
 ライチは、ちょうど自分をはさんだ両極にある、
光と非常口との距離を見つもる。
――自分は、今の位置にとどまって、
いざという時には、人々が逃げきるまで戦いぬこう。
 そう決意して、彼女は左手にさげた棒をにぎりしめた。
 その時、である。
 彼女は、自分の武器の内部が、
嵐のような力をみなぎらせて、震えていることに気づいた。
 なぜだろう、と、けげんな顔をした直後に、
ある結論に突きあたって、愕然(がくぜん)とする。
 自分やレモン、つまり魔女は、ディフレクターに念を送りこんで、
そのエネルギーを魔法に変える。
 だから彼女たちは、それぞれディフレクターを加工した、
自分の専用の武器を持っている。
 その武器たちが、あるいは彼女たち自身が、
ネックレスのディフレクターと共鳴を起こして発動させたのではあるまいか。
――だとしたら。
 自分が引き金になってしまった。
とライチは息をのんだ。
 すでに、とりかえしのつく状況ではない。
 自責(じせき)や反省、後悔――次々と頭をもたげてくる感情を、
彼女は目を閉じて振りきる。
 あくまでも、大切なことは今なのだ。
今、自分が、やらねばならないことは、何か。
 それを自分で見つけ出して、それを実行することが正しいと信じる以外に、
このような状況で、人間は何をできるというのだろう。
――だいじょうぶ。自分は、この会場の人たちを守る。
今は、それだけでいい。
あとで、さらに後悔することになろうとも、
今の自分には、それだけしかできないのだから。
 そう決意を固めて、ライチは、
前方で荒れくるう輝き、そしておののく人々を、じっと見つめはじめた。


☆実現 ①

 最初にバショウ社長があいさつした舞台の、すぐそばで。
 胸もとのネックレスから、噴火するように放たれつづける光に包まれて、
プラムが恐れおののいている。
 太陽のごときまばゆさに、彼女は目をかばうことでせいいっぱいらしい。
 野ばなしの猛獣(もうじゅう)を見るかのように、
遠まきに、人々はおそるおそる彼女を見まもっている。
 近づこうとした瞬間に、焼き尽くされてしまいそうな光の迫力を目の前にして、
彼らは二の足を踏んでいるのだ。
 その中から、勇気のあるものが数人、プラムを助けようと駆けだしていった。
 だが、彼らは少女のまわりに発生している青い壁にはばまれて、
殴られたかのような勢いで吹き飛ばされる。
 そのたびに、人々のどよめきが大きくなった。
 そんな状況の中で、グレープはプラムを正面とする最前列へと抜け出した。
 純白のまぶしさに、目を細めて耐えながら、
彼女はプラムへの距離を見きわめる。
 かけ足で、およそ20歩ほどか。
 そう判断したとたんに、
彼女の父であるギルドマスターが、すがるようにして彼女に近づいてきた。
「グ、グレープ! もうだめじゃあ~!」
 グレープは、今にも倒れてしまいそうにあわてている彼の肩に手をおいて、
「おとうさん。非常口まで、さがっていてちょうだい」
 と、彼の目を見つめながら、やさしく押しもどす。
 その拍子(ひょうし)に、人ごみの奥で、
必死の形相(ぎょうそう)をしたバショウ夫妻が飛び出そうとするのを、
人々が力ずくで押さえつけているのが見えた。
――あの二人は、どんなに心配なことだろう。
 グレープが同情した直後に、
背後からテーブルの上をとび渡るかのような騒音(そうおん)が聞こえてきて、
彼女のとなりに、黄色い髪でタキシードを着た女性が降り立った。
 レモンである。
「プラムちゃん! ネックレスをはずすんだ!」
 彼女の、声のかぎりの叫びも、プラムには聞こえないらしい。
 少女は、光のすさまじさで、
足が凍りついてしまったかのように、その場から動かない。


☆実現 ②

「まずいぞ! レモン!」
 レモンの来た方向から、中年の男のどなり声が聞こえてくる。
「ネックレスから、どでけえリーバード反応が出てるんだとよ!」
 外にいる仲間たちから、連絡を受けたティーゼルである。
 リーバードの反応、という情報が、人々の間に、
またたくうちに広がった。
 たちまちに、なだれをうって人々が逃げまどいはじめる!
 レモンとグレープは、声をはりあげて彼らの逃げる方向をまとまらせた。
 全員が、非常口の方向へ遠ざかって、プラムや二人から、
十分に距離があいた頃を見はからって、グレープは右手に意識を集中する。
 彼女の右の手のそばに、
人の体ほどもありそうな長さの黒い剣が姿をあらわして、力づよくにぎられた。
 それを見たレモンが、あれまあ、と目をまるくする。
 この、刀身(とうしん)に赤い古代の文字がきざまれた黒い剣は、
グレープの意識しだいで、威力がかわる。
 彼女が斬りたいと思えば、大地ですら、地割れが起こったかのような規模で
叩き割ることができる。
 それだけに、威力の調節がむずかしい。
人がまわりにいる場合なら、なおさらである。
「あなた」
 グレープは正面を見すえながら、
見ず知らずのレモンに声をかける。
「私が、あのバリアを壊すわ」
 だから…、と言葉がつづく前に、
「分かった」
 と、明るくレモンがうなずいた。
 このふたり、気が合うらしい。
 いつしか、ティーゼルも二人のそばに近づいてきている。
 本当なら、今、彼が何をしても、彼の得にはならないのであるが。
 空賊としての仕事で出る、人間への被害を別にすれば、
目の前で苦しんでいる人を見すてることはできない性格らしい。
 グレープは、ひとつ息をついて緊張をほぐし、
「行くわよ!」
 鋭い合図とともにプラムのもとへと駆けだした!
――よくぞまあ、ドレスを着たままで。
 と、出おくれたティーゼルが感心するほどの速さで
グレープは立ちはだかる青い壁に近づいて、思いきり剣をふりかぶった!
 その、直後!


☆実現 ③

 壁の奥で強く目を閉じているプラムの体が、あおむけにのけぞって、
その胸のネックレスの光の中から、
噴火のごとき勢いでリーバードが飛び出してきた!
 とっさにとびさがる三人の耳に、
「助けて…」
 少女の弱々しい声が、届く。
 グレープは飛びかかってくるライオン型のリーバードを斬り上げて
さらにとびさがり、クマ型のリーバードの爪をかわして斬りかえし、
続けざまの攻撃を一、二、三と叩きはずして踏み込んで斬り払う!
 次から次へとあふれ出てくるリーバードたちを、
かろうじて三人が防波堤(ぼうはてい)のように食いとめている。
 ここが崩れれば、
悲鳴をあげながら非常口に殺到(さっとう)している人々へ、
リーバードたちが餓えたトラのように突進してゆくであろう。
 さんざんに敵を斬りふせて、グレープがぱっと顔をあげると、
津波のようなリーバードの群れの奥に、何かが見えた。
 気を失って倒れているプラムのまわりから、
花びらのような形をした赤い金属が持ち上がって、
見上げるほどに大きなつぼみとなって彼女を閉じ込めようとしている。
――いけない。
 そう思いつつも、
気をぬくと押しつぶされてしまいそうなリーバードたちの攻撃に、
グレープはレモンたちと共に後方へと押しやられていく。
 このリーバードたちは、何のために出現したのか。
なぜ、自分たちを襲うのか。
 そういう、今の状況の根もとにある問題を、三人は考えもしない。
考えることができないのだ。
 戦わなければ、殺されるという恐怖。
それを中心として湧きあがる混乱の中に、彼らはいる。
 ともすれば、自分のことしか考えられなくなる状況なのだ。
 そんな中で、三人は、
プラムや背後の人々に、気を配ることができた。
 このことだけでも、良しとせねばならない。
 しかし、それにしてもリーバードの数が多すぎた。
 三人の奮戦(ふんせん)もむなしく、
何体ものリーバードが三人を乗りこえて、
怒涛(どとう)のごとき群れとなって非常口の方向へと突進していった。


☆迎撃(げいげき) ①

 巣へと逃げこむアリたちのように、
次々と非常口へ入りこんでゆく人々。
 彼らと、向かってくるリーバードたちの距離のまん中に、
ライチがひとりで立っている。
 細長い剣をもつ兵士、ライオン、クマ、オオカミなどの形をした、
さまざまなリーバードの集団が、彼女に向かって迫り(せまり)くる。
 その間合い(まあい)を確認して、彼女は腰をわずかに落とし、
白木の棒を左うしろにかかえこむような姿勢をとった。
 リーバードたちが、テーブルふたつをはさむまでに接近した瞬間に、
彼女の右手が、白木の柄(つか)をつかむ。
 刹那(せつな)に、流れ星のような冷たい斬撃(ざんげき)が、
十を超すリーバードを斬り飛ばした!
 その、ばらばらと落ちる残骸(ざんがい)には、
氷の柱が、サメの歯のようにたち並んでいる。
 抜きはなったばかりの刀をすぐさま鞘(さや)におさめて、
ライチは正面の敵たちを見つめながら呼吸をととのえる。
 銀色のディフレクターでつくられた刀による、
炎や冷気、雷などの魔力を持った居合い(いあい)ぎり。
 それが、災い(わざわい)の魔女、ライチの技である。
彼女は、とくに、敵の動きをにぶらせることのできる冷気を愛用している。
 一歩さがるごとに鞘ばしる氷点下(ひょうてんか)の刃(やいば)が、
彼女の身長の数倍ほど遠くの敵をうつ!
 抜刀(ばっとう)と抜刀のあいまに、
ライチは前後を確認する。
 前方では、レモンたち三人が奮戦している。
 後方では、そろそろ、残っていた人数がすべて非常口へとおさまりそうだ。
――ひとまず、プラムのことは、三人に任せる。
自分は、逃げゆく人々の殿(しんがり)をつとめよう。
 そう判断して、ライチはいったん手をとめて、ふかく息を吸う。


☆迎撃 ②

 仲間の残骸を乗りこえてくるリーバードたちの、最初の一匹が、
彼女に飛びかかってきた、瞬間!
 目にもとまらぬ抜きうちに続けて、
ライチは豪雨(ごうう)のような乱れ斬りをくり出した!
 わずかな手首の動きが幾重(いくえ)にも重なって、
それに影響された斬撃たちは、彼女の正面に氷の花畑をつくりだしてゆく。
 目の前が、一面に氷でできた絵のようになってから、
やっとライチは刀についた冷気をふりはらって鞘におさめた。
 これで当分は、リーバードの波がおさえられるはずだ。
 ひと息をつくと、彼女は今すぐにも倒れそうな神経の疲れを感じた。
 とっさに額(ひたい)をおさえた右手は、
斬撃を何度もくりかえしたことによって鉛(なまり)のように重たく感じられ、
まるでもうひとつの心臓のように、腕ごと脈(みゃく)うっていた。
――まだ、何もかも始まったばかりなのに。
 ライチは、自分の無力を感じた。
だが、これからも、自分が戦わなければ、誰が戦うというのか。
 恐くない、はずはない。
しかし、ここで逃げてしまえば、かならず後悔することになるだろう。
 自分の行動は、どんなものでも自分がいちばん覚えていて、
決して忘れられない。
 誰かを守ることができる力があるのに、
ただ自分を守っただけだった。
他人への誠実を忘れたのだ。
 という記憶をもって、これからを生きてゆきたくない。
 そんな、あやふやな根拠(こんきょ)が、やっと彼女を支えていた。
 彼女は、もう一度、右手を強くにぎりしめて、自分の意思を確認する。
 自分が壊したリーバードの残骸たちに、ささやかな礼をとって、
ライチは白いドレスをひるがえして非常口へと向かった。


☆苦戦 ①

 レモンたち三人は、リーバードの群れに苦戦しているうちに、
お互いの距離が離れていって、ついにはそれぞれが孤立してしまった。
 三人とも、まるで記者たちにとりかこまれた政治家のような状態である。
「ティーゼルちゃん! だいじょうぶ?」
 タキシードのそでに隠しておいた、
ヘビのようにしなるワイヤーで戦いながら、
レモンがティーゼルに呼びかけた。
 彼女の目には、リーバードの群れの奥に、
ティーゼルの髪だけがかろうじて見えている。
「もうすぐ、弾が無くなりそうだ!」
 先ほどから、金属がぶつかり合う音響(おんきょう)の間をぬって、
銃声が息もつかずに聞こえつづけている。
 彼は、ふところに隠しておいた銃しか武器を持っていない。
――なんとかしなきゃ。
 と、ワイヤーで敵の足をはらい倒し、頭上から切りさきながら、
レモンはティーゼルに近づく機会をうかがう。
 この、押しつぶされそうな数の敵の中では、うかつには動けない。
 彼女は、ティーゼルとは反対の方向にいるグレープの様子をちらと見た。
 グレープは、敵を斬りすぎたせいで、
その残骸によって足もとの自由を失ってしまっているらしい。
 よそ見のすきを突いてきた人型リーバードの攻撃をあやうくかわして、
「レモンぱ~んち!」
 という声とともに彼女は相手を殴りつける!
 もちろん、ただのパンチだから自分の手のほうが痛い。
レモンがこうやってふざけるのは、自分の緊張をほぐすためだ。
――ティーゼルは、自分が助けにゆくしかないらしい。
 いてて、と手をふる彼女の背中におそいかかる敵の攻撃を
つかんで腰にのせて投げ飛ばし、
レモンは横っとびにティーゼルへと近づいてゆく!
 いつのまにか、その手には色とりどりの宝石が握られていた。
 ライオン型リーバードたちの爪を踊るようにかわして切りすて、
自分の幻をその場に残して敵をまどわし、
ワイヤーの動きにそって残る赤い影を盾にしながら、
レモンはがむしゃらに進む!
 むちゃな突進によって、その体をいくつかの攻撃がかすめていった。
傷から血がにじむ痛みを歯がみしてこらえて、
レモンはティーゼルの顔が見える場所にまでたどり着く。
 彼女は大声でティーゼルの名を呼ぶと、
「これを使って!」
 と、念を込めておいた金色の宝石を、彼の頭上へと投げあげた。


☆苦戦 ②

「ど、どう使えってんだ?」
 とまどいつつ受けとったティーゼルの右手に、
彼のまわりの影が竜巻のように集まって、
人の体をまるごとつかめそうな巨大な手の形になる。
 分かった! と彼はその手で敵たちを攻撃ごと張りとばし、
さらに襲いくるリーバードたちの目を左手の銃でうちぬいた!
 右手で敵をはね散らしながら、
ティーゼルは腰に銃をかけて、かわりに無線を取る。
 今まで、彼には手下と連絡をとる余裕(よゆう)すら無かったのだ。
「おい、野郎ども。今どこだ?」
「下の階で待機してます~」
――待機といっても、彼らは役に立ちそうな武器は持っていない。
「急いでドラッヘに乗って援護(えんご)に来い!」
 この会場の窓から、ドラッへの機関銃(きかんじゅう)で攻撃すれば、
一気にリーバードの数を減らすことができるはずだ。
 元気な返事を聞きながら、ティーゼルはレモンたちの方向を見やる。
 グレープの様子は、リーバードの群れの奥に隠れてしまって分からないが、
レモンの動きには疲れが見えはじめている。
「てめえら、もうちょっとの辛抱だ!」
 その声に答えるかのように、グレープのいる場所で、
リーバードたちが嵐にあった林のようになぎ倒される。
 大きく横に斬りはらったらしい。
「プラムちゃんも助けないと!」
 グレープよりは彼と近い距離にいるレモンが、
やっとのことで声をあげた。
――よくぞ、他人の心配ができるもんだ。
 とティーゼルは、自分もリーバードの波にのみ込まれそうになりながら、
舌を巻く。
 かんじんの、プラムを宿しているつぼみは、
手につかめそうなほどの大きさに見えるほどに、
彼らから遠ざかってしまっている。
 今のような状況では、彼女を助けることは、
巨大なハチの巣に全身をつっこむようなものであろう。
 自分たちが逃げることすら、ままならないのだ。
 ドラッへの援護が来るまでは、とにかく持ちこたえねばならない。
 しかも、たとえプラムを助けることができたにしても、
そうなれば彼女を守りながら逃げなければならないのである。
――はたして、無事に逃げきれるだろうか。
 ティーゼルには、自信がない。
あせりだけが、つのってゆく。
 いつしか、彼の頭は、
あのネックレスの正体について考えることができなくなっていた。
 レモンもグレープも、その点では彼と同じである。
 今の状況の、根もとにある問題は、
彼らが戦っている相手の正体が分からないことなのだが。


☆月の下へ ①

 ほぼ、同じ時刻。
 ライチは、追いついてきたリーバードたちを迎えうちながら、
非常用の階段をのぼっていた。
 彼女のすぐ上では、逃げる人々の最後尾(さいこうび)が、
泡をくったように段差を駆けあがっている。
 よわよわしい蛍光灯(けいこうとう)のうす暗さの中で、
人々の荒い息と足音に、下のほうから聞こえてくる
リーバードの足音が混ざって、反響(はんきょう)している。
 足もとの踊り場にまで迫ってきたオオカミ型リーバードの頭を、
ライチの斬撃がうつ!
――やはり、足の早いリーバードから先に追いついてきている。
 やがて来る、リーバードの大群のことを思って、
ライチは恐ろしさと緊張をおぼえた。
 彼女は、人々を屋上まで守りとどけた後に、
ふたたび、あの会場へと突入するつもりなのだ。
「もうすぐ、出口だぞ!」
 という男の声を聞いて、人々は力をふりしぼって、
上へ上へとのぼってゆく足をはやめる。
 やっと階段をのぼりつめ、屋上の片すみに出ると、
すでに満月がふたつ、夜空に高かった。
 そのうちのひとつが、古代の文明がねむる衛星だと分かったのは、
ごく最近のことだ。
 だが、古代の文明と、この物語とは関係がうすいので、
細かい説明は、はぶく。
 あわてている人々は、屋敷の使用人(しようにん)たちの誘導にしたがって、
だれかれの飛空艇に関係なく乗りこんでゆく。
「中で、まだ眠りこけているやつはいないだろうな?」
「大丈夫。下の使用人たちも、みんな避難を終えたらしい!」
 そんなやりとりを聞きながら、ライチのみは、出口のそばにとどまった。
 彼女に気づいた使用人たちが駆けよってきて、
「あなたで最後ですか?」
 と問いかけてきたので、うなずく。
 人がいっぱいに詰めこまれた船は、
満腹している鳥のように、重そうに体を持ち上げてゆく。
 船たちは、ふたつの月と、遠くにつらなる山脈の間をくぐるような方向へ、
飛び去ってゆくようだ。
 その向こうには、たくさんの飛空艇が着陸できる土地をもつ、港町がある。
「警察からの応援は、まだなの?」
 ライチの質問に、使用人たちは顔を見あわせる。
「近くの町の警察には、あんなにたくさんのリーバードは手におえなくて…」
「ディグアウターズギルドからの応援も、
あと5、6時間は来れないみたいです」
 そうか。とライチは表情をくもらせる。


☆月の下へ ②

「あと三人、下に残っているんですよね」
 おそろしいことでも聞くような顔つきで、
使用人のひとりがたずねてきた。
「あの人たちは、だいじょうぶ。
私の飛空艇でいっしょに逃げるから」
「でも…」
「それよりも、早く逃げて」
 言うなりライチは腰をひねり、
背後の階段を駆けあがってくるリーバードたちを斬りすてた!
 腰をぬかすほどおどろいた使用人たちは、
追いたてられるように青い月の光の下をくぐって、
最後にのこった飛空艇に乗りこんでゆく。
 扉を閉めきらないまま動きだした船は、
すずしい夜風を熱気でかきみだしながら、上昇していった。
 ぬるい風を感じながら、ライチは屋上を見わたす。
ひょっとしたら、これがこの世で最後に見る光景になるのかもしれない。
 東には、すそ野の広い山脈が、ふたつの月の光に、
木の一本ずつまで見えそうなほどに明るく照らされている。
 そこへ向かって、彼女を置きざりにしたまま去ってゆく飛空艇。
 それを見て、ライチは言いようのないさみしさを感じた。
 西には、はるか遠くに、ほたるの群れのような、町のともしび。
また、あのあたたかさの中に入りこむことができたら…。
――できることなら、今すぐ、逃げだしたい。
 そんな思いを振りきるように、ライチは背をひるがえす。
 やわらかい月の光をあびても、冷たい色のままでいる、
屋上のコンクリートの地面が、視界のすみにのこった。
――この下で戦っている自分の仲間たちは、その恐怖のまっただ中にいるのだ。
自分だけが危険を目の前にしているわけではない。
 そう考えることで、彼女は自らをはげました。
 彼女の足もとから、ついさっきのぼってきたばかりの階段が、
その時とはまったく違う空気を持ってはじまっている。
 この下には、リーバードの群れが充満(じゅうまん)しているのだろう。
――かならずプラムを助け出してくるであろう三人のためにも、
自分が活路(かつろ)をひらかねばならない。
 そう考えて、ライチが左手の刀をにぎりしめた、その時。
 かなり距離をとった背後から、重いとびらが開く音が聞こえてきた。
 彼女がふりかえると、親指ほどの大きさに見える飛空艇の胴体から、
タキシードを着た男が駆けだしてきた。
 彼が近よってくるにつれて、
その緊張しているような照れているような表情が分かるようになる。
――たしか、グレープの知り合い。
 モーラスである。


☆月の下へ ③

「ライチさん」
 と呼びかけながら、モーラスはライチのすぐそばまで駆けよってきた。
 彼は手ばやく自己紹介をすると、
「グレープたちを助けに行くんですね」
 荒い息をつきながら確認する。
 ライチは、相手の目的が分からぬままうなずいた。
「階段で行くより、もっといい方法があるんです。
いっしょに来てください」
 真剣なまなざしで、彼がライチの手をとろうとした、その時!
 ふたたび階段の底から駆けあがって来たオオカミ型リーバードが、
ライチの頭へととびかかってきた!
 とっさに刀の柄でその体を打ちあげ、さらに続く敵たちを斬撃で斬り飛ばし、
振りかえりざまにモーラスに襲いかかろうとする先ほどのリーバードを打つ!
 ぱっと階段へと身をひるがえした彼女の胸もとには、
ロケットのように突っこんでくるライオン型リーバードの爪がせまっていた。
 横っとびにかわしつつも引っかかれた腕をものともせず、
ライチは着地した敵を刀そのもので叩きふせる!
 があん、と、刀ごと手の骨がゆがんでしまいそうな手ごたえがあった。
 モーラスはと見ると、あわてた動きで非常口の扉を閉じて、
そのかぎをいじくりまわしている。
 錠(じょう)の閉まる音が聞こえた直後に、
金属の扉に爆発のような衝撃がとどろいた!
 おどろいて尻もちをつくモーラス。
 その目の前の扉には、リーバードの群れの攻撃による衝撃が続いている。
 ついに、この奥の階段は、
上から下までリーバードで充満してしまったのであろう。
 この中を突破するとなると、死闘はまぬがれえない。
 それをながめながら、ライチは、自分の壊したリーバードたちに礼をとって、
やっと気をぬいた。
 とたんに、腕の傷が、焼けるように痛みだす。
 見ると、二の腕に、3本の傷が横たわっていて、血をにじませている。
しかし、浅い。筋肉には影響がないようだ。
 そう頭では判断しても、腕は痛みで、こきざみにふるえている。
 顔をしかめて、刀をさやに戻そうとして、彼女は気づいた。
 刀が、そよ風をうけた穂(ほ)のように、曲がっている。
あのライオン型リーバードを斬り下ろしたことが原因であろう。
 曲がっているといっても、よほどのなまくらでない限り、
刀というものは放っておいても元に戻る。
 確認してみると、刃も、ところどころが、のこぎりのように欠けていた。
――自分が完全に無事でいられる戦いなど、ないのだ。
 そのことを、ライチは改めて感じた。
しかし、ついさっきの戦いで興奮しているので、おそろしさは少ない。
 気づくと、モーラスが彼女の目の前に立っていた。
「ついてきてください」
 と、彼は青い月の光をあびながら、
先ほどに自分が出てきた飛空艇へと歩いてゆく。
 その背中には、あきらかに力が入りすぎている。
――彼も、自分と同じく、こわいのだ。
 そう感じて、ライチはわずかに安心するとともに、覚悟を決めた。
 姿勢のいい彼女の体が飛空艇に入りこんだときには、
その刀もさやにおさまっていた。