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現在地:[[トップページ]]>[[漢詩大会の漢詩全文]]>曹植作品の出典リスト ----- #contents(fromhere=true) ----- *作品目録 **ゲームに登場する作品 「白馬篇」→[[「白馬篇」]] 「七哀詩」→[[七哀詩]](曹植) 「野田黄雀行(+箜篌引)」→[[「野田黄雀行(+箜篌引)」]] 「送應氏二首」→[[送應氏>送應氏(曹植)]] 「七歩詩」→[[七歩詩]] **関連 「古詩十九首」→[[漢詩大会の漢詩全文/古詩十九首]] 一部分は、曹植の影響を受けているという説あり ----- *解説 [[維基文庫 曹植作品の項>>http://zh.wikisource.org/wiki/作者:曹植]]  「三国志(正史)」によれば、幼いころから文学を愛し、十ちょっとの年で多くの詩賦を暗誦し、多くの評論を残した。  曹操が曹植の作品を見て「汝倩人邪(誰かに作って貰ったのか)?」と言ったとき、「そのような評価をなさるなら、今度は面前でお試しください。代筆など要りません(言出為論,下筆成章,顧當面試,奈何倩人)」と反論した。銅雀台が完成した時、諸将百官の並ぶなかで立派な賦を書き上げ、曹操を驚かせた。  常に琴瑟調歌を為す、つまり一時も楽器を離さず詩を吟じていた。  鍾嶸《詩品》では「建安之傑」と呼ばれ、中国文学史上でも重要な地位を占める。  現存する作品は他の建安詩人の中でもっとも多く、独特の風格に溢れる。  後世でも李白杜甫を初め多くの詩人に影響を与え、また数多くのパクリも生み出したという記述のサイトもあった。  作品の特徴は、曹丕の即位を境に、前期と後期とに分かれると言われる。  前期は曹操に可愛がられ、多くの文人に囲まれていた時期。後期は、曹操から受け継いだ激情や政治理想と、厳しい現実のはざまでの苦しみを詠んだものが多い。  評価は「詩聖」「八斗の才(謝靈運)」と言われたように極めて高い反面、「但美遨遊,不及世事(謝靈運《擬鄴中集序》」とあるように、世間知らずな部分を指摘されている。  兄である曹丕の作品は、目新しさを求めるあまり、詩としての完成度を置き去りにしているきらいがある。  対する曹植の作品は、基本的に「自分の取材した結果」という視点で統一されており、非常に綺麗にまとまっている。  曹操の革新的な才を曹丕が受け継ぎ、守旧的な才を曹植が継いだようにも思う。 ----- →[[漢詩大会の漢詩全文]]トップへ戻る -----

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