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現在地:[[トップページ]]>[[漢詩大会の漢詩全文]]>七子(王粲・阮籍・孔融)作品の出典リスト ----- #contents(fromhere=true) ----- *王粲 [[維基文庫 王粲作品の項>http://zh.wikisource.org/wiki/%E4%BD%9C%E8%80%85:%E7%8E%8B%E7%B2%B2]]  荊州にいたせいか、楚辞にみられる江南の気風が混じっている。  曹操は「(詩の形式で)海を最初に詠んだ(「海水知天寒」という前例があるので、実際は不明)、曹丕は「完全な七言詩を詠んだ」と言われるが、こうした詩風の原型は、既に楚辞などに見られる。  曹操は、曹休の祖父など、同じ曹氏に江南ゆかりの人物がいる。さらに王粲だけでなく、元会稽太守の王朗も受け入れている。  江南の気風を知る名士は、中原の詩風にも大きな影響を与えただろう。  曹操や曹丕の功績は、単に新しい方法を生み出したというより、こうした人材を登用し、それまで低く見られていた各地の文化を再評価し、中原文化と融合させた点にある、という見方も出来る。 ----- **「登楼賦」 →[[登楼賦(王粲)]] **「七哀詩」 其一 西京亂無象,豺虎方遘患。 復棄中國去,遠身適荊蠻。 親戚對我悲,朋友相追攀。 出門無所見,白骨蔽平原。 路有飢婦人,抱子棄草間。 顧聞號泣聲,揮涕獨不還。 未知身死處,何能兩相完? 驅馬棄之去,不忍聽此言。 南登霸陵岸,迴首望長安。 悟彼下泉人,喟然傷心肝。 其二 荊蠻非我鄉,何為久滯淫? 方舟溯大江,日暮愁我心。 山崗有餘暎,巖阿增重陰。 狐狸馳赴穴,飛鳥翔故林。 流波激清響,猴猿臨岸吟。 迅風拂裳袂,白露霑衣衿。 獨夜不能寐,攝衣起撫琴。 絲桐感人情,為我發悲音。 羈旅無終極,憂思壯難任。 其三 邊城使心悲,昔吾親更之。 冰雪截肌膚,風飄無止期。 百里不見人,草木誰當遲? 登城望亭隧,翩翩飛戍旗。 行者不顧返,出門與家辭。 子弟多俘虜,哭泣無已時。 天下盡樂土,何為久留茲? 蓼蟲不知辛,去來勿與諮。 ***日本語訳リンク+てけ訳 [[其一日本語訳>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/oh_san/shichiai.html]] 其二 荊蛮はわが故郷にあらず,何ゆえ停留の久しきか? 方舟で大江を遡れば,日は暮れて我が心は痛む。 山崗に落日の残光あり,巖は重陰を増す。 狐狸馳せて穴に赴き,飛鳥は故林へ翔る。 流波は清響激しく,猴猿岸に臨みて吟ず。 迅風は裳袂を拂い,白露は衣衿を霑す。 獨り夜に寐ねれず,衣攝え起ち琴を撫す。 絲桐人情を感じ,我為に悲音を発す。 羈旅に終極無し,憂思壯として任難し。 其三 辺城は心をして悲しませ,昔吾は親しむこと之を更す。 氷雪は肌膚を截ち,風飄の止期は無し。 百里に人を見ず,草木誰か當に遅る? 登城して亭隧を望み,翩翩として戍旗飛ぶ。 行者顧り返らず,出門して家を辞す。 子弟俘虜多し,哭泣巳む時無し 天下ことごとく楽土にして。何がために、この地に久しく留まるか? 蓼蟲の辛知らず,与に諮ること勿かれ。 【七哀】 《論語春秋》「痛んで哀、義にして哀、感じて哀、怨んで哀、耳目聞見して哀、口歎して哀、鼻酸して哀、これを七哀といふ」 【餘暎】余映というか、落日の残光 【巖阿】曲がりくねったいわお 【天下盡樂土】 「天下に楽土は尽き」という説と、「天下はことごとく楽土にして」という説がある。 ここでは原本出典元に従い、後者をとった。 ----- *阮籍  当時の玄学や老荘思想を研究する上で、欠かせない人物。  全文は長いので、漢詩大会の詩句に該当する章のみ、原文を掲載する。  文庫ではまとめのページがないので、[[兵庫教育大学の原文電子版>http://www.soc.hyogo-u.ac.jp/tosuzuki/data/eikai.htm]]や、中国中世文学会『中国中世文学研究』掲載論文:阮籍の「詠懐詩」([[1>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819573]]/[[2>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819585]]/[[3>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819594]]/[[4>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819621]]/[[5>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819632]])など参照。  日本語版をすべて読みたい場合は、「詠懷詩」をgoogle先生にぶち込めば宜しいかと。  作品傾向としては、この人も詩の先にある「表現されていない空間」「隠された意志」を読者に読ませるタイプ。 ----- **「詠懷詩(五言)八十二首」 其一 夜中不能寐、起坐弾鳴琴。薄唯鑒明月、清風吹我衿。 孤鴻号外野、翔鳥鳴北林。徘徊將何見、憂思獨傷心。 其六 昔聞東陵瓜、近在青門外。連畛距阡陌、子母相鈎帶。 五色曜朝日、嘉賓四面會。 膏火自煎熬、多財爲患害、布衣可終身、寵禄豈足頼。 其三十三 一日復一夕、一夕復一朝、顔色改平常、精神自損消。 胸中懷湯火、變化故相招。萬事無窮極、知謀苦不饒。 但恐須臾間、魂氣隨風飄。終身履薄冰、誰知我心焦。 ***てけ訳 其一 真夜中に眠ることもできず、起きて琴を弾き鳴らす。 薄とばりに月光がさし、涼風が襟元を吹き抜ける。 孤高のおおとり野に叫び、空翔ける鳥が北林で鳴き返す あたりを彷徨うが何も見出せず、ひとり身を憂いて心を傷める 其六 昔聞いたところ東陵侯のウリ畑は、長安青門の近くにあって、 あぜ道は果てなく続き、鈴なりの五色の実が朝日をうけ輝き、四方から客が集まった 油の火は周囲を明るくするが、 自らも燃え尽きてしまう 大金を蓄えるものは、患いも蓄えているようなもの ぼろ着ひとつあれば生きていける、宮廷に仕えたところで何も満足しない >秦の栄華も、ウリ畑の栄養。 > 【青門】長安の東城門の一つ > 【東陵侯】邵平。始皇帝陵墓の管理人。 > 秦が亡んだあとは平民となり、畑を耕した。作ったウリは東陵瓜とよばれ、有名になった。 > 李白詩 「荘周胡蝶夢」でも登場する。 其三十三 日が昇っては沈み、沈んではまた昇る。顔色は移り変わり、心は損傷する 胸に湧き上がる熱い思いをいだくも、時の流れに浚われ冷めきってしまう 万事に極まりはなく、知謀の及ばないことに苦しむ この短い瞬間に恐れるのは、魂のともし火が風に消されること わが生涯は終りまで薄氷を踏むがごとし、誰が知りうる我が心の焦りを。 ----- *孔融 [[維基文庫 孔融作品の項>http://zh.wikisource.org/wiki/作者:孔融]] 下記の「臨終詩」は偽作と言われているせいか、維基文庫の作品一覧には掲載されていない? ----- **「臨終詩」 言多令事敗 器漏苦不密。河潰蟻孔端 山壊由猿穴 涓涓江漢流 天窓通冥室。讒邪害公正 浮雲翳白日 靡辭無忠誠 華繁竟不實。人有両三心 安能合爲一 三人成市虎 浸漬解膠漆。生存多所慮 長寢萬事畢 ***訳 言多ければ法令をも敗れさせ 器は漏れて密ならずに苦しむ 河は蟻の穴の端に漬え 山は猿穴を理由に壊れさる 小川も流れて江漢となり 天窓の光は冥室まで通じるのに 讒言邪言は公正を害し 浮雲は白日を翳しさえぎる 我が心からの忠告も我が忠誠を示せず 花は繁るように咲けど実を残せぬまま終わる 人は異心を抱くもの ひとつの信念に生きる辛さよ 三人が言えば嘘も信用され 染みでる嘘は真実を膠や漆に漬けこむ 生存してはおもんばかる所多く 永き眠りにつけば万事がおわる 【河潰蟻孔端】《韓非子_喩老》の故事。([[weblio辞書>http://www.weblio.jp/content/%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%A9%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A0%A4%E3%82%82%E5%B4%A9%E3%82%8C%E3%82%8B]]) 【涓涓】糸のように細い流れ。 【三人成市虎】三人虎を成す  出典は『戦国策』。「根拠のない噂も、多くの人が言えば聞き手は信用する」と言うことわざ。 ・''コメント''  「浮雲翳日」という四字熟語は、孔融のこの「浮雲翳白日」から来ているというが、[[古詩十九首 其の一>http://www39.atwiki.jp/sangokushi7/pages/69.html#id_73325b33]]で既に現れている。 **「孔融伝(後漢書卷七十-列伝第六十-鄭孔荀列伝)」 ***本文 坐上客恆満,樽中酒不空。 国立公文書館の一例 https://www.digital.archives.go.jp/das/image-j/M2014061920533463870 上記リンク先の53ページ目 訳 性格は寛容を忌むこと少なく、士を好んだ。 喜んで後進の益を誘発したため、閑職に身を引いたときには、客が日ごと其の門に満ちた。 (孔融)常に歎じて曰く、「坐上に賓客が常に満ち、樽中の酒が尽きずにあれば。他に憂うことなどないものを!」 ・訳者追記 孔融の詠嘆のニュアンスが。微妙に判りません。力不足なので、ゲームでの引用に微妙に引きずられるってのもありまして… (上記2文で完結してるの?みたいな) -----

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