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現在地:[[トップページ]]>[[漢詩大会の漢詩全文]]>[[漢詩大会の漢詩全文/曹操]]>今ココ ----- #contents(fromhere=true) ----- *「蒿里行」 曲調:相和(宋書) 出典:《漢魏六朝百三名家集(国デジ)》/《宋書卷21 志第11 樂三([[維基>http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%AE%8B%E6%9B%B8/%E5%8D%B721]])》/《樂府詩集 巻27/相和歌辭二([[維基>http://zh.wikisource.org/wiki/%E6%A8%82%E5%BA%9C%E8%A9%A9%E9%9B%86]])》 関東有義士,興兵討群凶。初期会盟津,乃心在咸陽。 軍合力不斉,躊躇而雁行。勢利使人争,嗣還自相戕。 淮南弟稱號,刻璽於北方。鎧甲生蟣蝨,萬姓以死亡。 白骨露於野,千里無雞鳴。生民百遺一,念之斷人腸。 **てけとー訳:蒿里行 関東に義士あり、兵を興し群凶を討つ 初め盟津に会うを約束す、すなわち心は咸陽に在り 軍合流するも力揃わず、ためらいて雁行の陣のよう 権勢利欲は人を争わせ その後還ればおのずと乱れ相そこなう 淮南の弟は帝号をとなえ、(兄は)北方において璽を刻む 鎧甲にシラミは跳ね 萬姓もって死にたえる 白骨野において露となり、千里のはざまに鳴く鶏は無く 百いた生民も一を遺すのみ、思うにつけ心は痛む ----- *「却東西門行」 出典(晋楽所奏):《漢魏六朝百三名家集(国デジ)》/《樂府詩集 巻37([[維基>http://zh.wikisource.org/wiki/%E6%A8%82%E5%BA%9C%E8%A9%A9%E9%9B%86]])》 鴻雁出塞北,乃在無人郷。 舉翅萬餘里,行止自成行。冬節食南稻,春日復北翔。 田中有轉蓬,隨風遠飄揚。長與故根絶,萬歳不相當。 奈何此征夫,安得驅四方! 戎馬不解鞍,鎧甲不離傍。冉冉老將至,何時返故郷? 神龍藏深泉,猛獸歩高岡。狐死歸首丘,故郷安可忘。 **訳:却東西門行 鴻雁塞北に出でて すなわち無人の郷に在り 翅を広げ万里を超え 行き戻りては再び出征す 冬の季節に南稲を食し 春のおぼろ日には再び北翔す 田んぼの中を転がる蓬 風にしたがって遠く高く流離う 長く元の根と離れ 万の歳が過ぎても相合えぬ 此の兵士をいかにせん 四方を駆けるべき理想もなく 戎馬の鞍を解かず 鎧甲は傍を離れず 時は巡り老境に至り いつ故郷に帰れるか 神龍は深き泉にひそみ 猛獣は高き岡を歩く 狐も死すとき首を丘に向ける いかで忘れんふるさとを ----- *コメント:蒿里行、却東西門行 【蒿里行】 「蒿裏行」とも言う。理想叶わず、戦乱が続くことを悲しむ詩。 志ある義人が集い反董卓連盟を組んだはずが、袁紹は偽の玉璽を彫らせ、袁術は偽帝を僭称し、民は百のうち一しか残らない。 蒿里は泰山の南(下)にある山。高里山とも言う(ex.《支那仏教史蹟. 第1集評解》)。 死んだ人の魂魄は、蒿里に帰るとされた。 死者へ手向ける鎮魂歌の一種で、《薤露》は王公貴人へ送り、《蒿裏》は士大夫や庶人に送る歌。 【却東西門行】 《樂府詩集》によると、本辞は古い時代に失われ、今に伝わっていない。 故郷を懐かしむ志を詠んだ詩。 すぐ上の蒿里行で雁行とあるので、ここでの「鴻雁」も将軍と軍隊のたとえだと思われ。 蓬は兵士。西部劇でも転がる蓬玉が出てくる。 根っこ=家や家族から離され、年老いても帰れない。 「狐死歸首丘」、これは礼記-檀弓上([[weblio辞書>http://www.weblio.jp/content/%E7%8B%90%E6%AD%BB%E3%81%97%E3%81%A6%E4%B8%98%E3%81%AB%E9%A6%96%E3%81%99]])からの引用。晋楽所奏なので、後から追加されたのかもしれない。 これも蒼天航路で似たような話が出たな、袁紹との官渡編。 ----- [[漢詩大会の漢詩全文/曹操]]インデックスに戻る

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