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出典:昭明文選([[返り点つき引用元(近デジ)>http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/895905/2]]) 本文 登茲樓以四望兮,聊暇日以銷憂。 覽斯宇之所處兮,實顯敞而寡仇。 挾清漳之通浦兮,倚曲沮之長洲。 背墳衍之廣陸兮,臨皋隰之沃流。 北彌陶牧,西接昭丘。 華實蔽野,黍稷盈疇。 雖信美而非吾土兮,曾何足以少留? 遭紛濁而遷逝兮,漫踰紀以迄今。 情眷眷而懷歸兮,孰憂思之可任? 憑軒檻以遙望兮,向北風而開襟。 平原遠而極目兮,蔽荊山之高岑。 路逶迤而脩迥兮,川既漾而濟深。 悲舊鄉之壅隔兮,涕橫墜而弗禁。 昔尼父之在陳兮,有歸歟之歎音。 鍾儀幽而楚奏兮,莊舄顯而越吟。 人情同於懷土兮,豈窮達而異心? 惟日月之逾邁兮,俟河清其未極。 冀王道之一平兮,假高衢而騁力。 懼匏瓜之徒懸兮,畏井渫之莫食。 步棲遲以徙倚兮,白日忽其將匿。 風蕭瑟而並興兮,天慘慘而無色。 獸狂顧以求群兮,鳥相鳴而舉翼。 原野闃其無人兮,征夫行而未息。 心悽愴以感發兮,意忉怛而憯惻。 循堦除而下降兮,氣交憤於胸臆。 夜參半而不寐兮,悵盤桓以反側。 *訳 この楼に登って四方を望み、しばし休日を過ごすことで憂いを溶かそう。 楼から見える景色は、実に高く広々としていて比べるものもない。 清らかな漳河の河口を挟み、曲がりくねった沮河の中洲による。 広々とした丘陵を背に、水辺の低湿地で用水の流れを臨む。 北に陶朱公の墓は弥く、西は昭王の丘に接する。 花実は野を覆い隠し、黍稷は田畑に満ちる。 確かに美しくはあるが私の故郷ではない、私がこれ以上滞在する価値はあるのか。 戦乱に遭い逃げては帰ることを繰り返し、今まであてもなく(十年以上もの)時を渡り歩いてきた。 ただただ望郷の情はつのるばかり、誰がこの現状を受け入れられると言うのか。 軒檻にもたれて遥望し、北風に向かって襟を開く。 北の平原は遠く見渡そうとしても、荊山の小高い峰に覆い隠されている。 曲がりくねった道路は果てなく続き、川は既に溢れて渡るには深すぎる。 旧郷と断絶されたこの悲しみよ、涙は横に墜ちて止まらない。 昔日、尼父が陳国に在った時、帰ろうと歎音が有った。 鍾儀は幽閉されてなお楚楽を奏で、荘舄は顕れて越の曲を吟じた。 人情は同じく郷土を懐かしむ、貧賤や富貴を極めようと心変わりすることはない。 日月の過ぎ去るを思い、河清を待てども(水の色は)今だに定まらない。 望みはただ王道のもと大陸が一つとなり、天道を借りて我らの才を騁せること。 苦瓜がつるにぶら下がったまま腐るのを恐れ、洗われた井戸が人に使われないことを畏れる。 心ここにあらず楼上を漫然とうろつけば、白日がにわかに隠れようとする。 樹林を吹き抜ける風は四方八方から吹き付け、天は惨惨暗澹として色も無い。 獣は狂顧して群れを求め、鳥は相鳴き翼を挙げる。 原野は静寂にして人無く、征夫は行ったきり未だ(家に帰り着き)息をつくこともない。 悽愴たる周囲の景観に心も沈み、(先ほどまで上がっていた)意気も落胆して悲しみに心が痛む。 階の下るままに楼を降り、胸中の怒りは発散できずにわだかまっている。 夜中まで眠ることもできず、あちこち揺れ動く心を恨みつつ寝返りを打つ。 *単語の意味 【銷憂】憂いを溶かす。「銷」≒意気消沈の「消」 【斯宇之所處】楼の置かれた環境。空間 【敞】高い、ひろびろ【寡仇】比類なし 【清漳】漳河。【通浦】川辺の流れ。 【沮水】沮河。【墳衍】丘と平地?周辺より高い丘陵。 【皐隰】水辺の低湿地。解説では楼南市周辺。 【沃流】灌溉の水流。畑に引かれた人工の流れ。 【北弥陶牧】弥は久しく、遠く。一度行ったきりで久しく行っていないとか。  陶は范レイ。陶朱公。春秋五覇の一、越の名臣。呉を滅ぼした人物。[[wiki>http://ja.wikipedia.org/wiki/范蠡]]。  上記の中国語による解説では、「湖北江陵の西には、陶朱公の墓があり、古くは陶牧と称した」 【昭丘】春秋時代の楚昭王[[(wiki)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E7%8E%8B_(%E6%A5%9A)]]の墓。湖北省当陽県の東南。 《荊州記》晋の盛弘之、あるいは李善注引《荊州図記》“当陽東南七十里,有楚昭王墓,登楼即見,所謂昭丘。” 【黍稷】モチキビとウルチキビ。転じて、五穀。 【紛濁】紛糾、汚濁。混乱した乱世のたとえ。 【眷眷】しきりに心がひかれる。ひたすら慕う 【孰】漢詩で言う「何」に近い。何か。いずれか、誰か 【任】受け入れる。「可任」で、受け入れることが出来る。 【極目】目の届く限り、見渡す限り 【逶迤】委蛇。湾曲した道路、山脈、河川がうねうね続く。 【脩迥】長遠。果てしなく遠い。 【漾】こぼれる、溢れる。 【濟】渡る。 【昔尼父之~之歎音】尼父は孔子。  《論語•公冶長第五》子在陳曰。歸與歸與。吾黨之小子狂簡。斐然成章。不知所以裁之。  孔子さまは陳国で言ったよ「帰ろう帰ろう、村の若者たちは志が大きく美しい模様を織るが、どう裁断したらよいか判ってない」 【鍾儀幽而楚奏兮】  《左伝•成公九年》。楚の鍾儀は晋に捕らわれた後も、自国の冠をつけていた。  晋侯が彼に琴をひかせ、『楽操土風,不忘旧也(旧き楚の気風を忘れていない)』と歎じた。  このことから、他国に捕らえられ望郷の思いをいだく人を、『楚囚』と呼ぶ。 【莊舄顯而越吟】  莊舄は戦国時代の越の人。楚で高位についてなお越の楽曲を吟唱した。故国を忘れないことを形容する。  史記第70卷の張儀列伝中、秦惠王と陳軫との会話で取り上げられている。 越人莊舄仕楚執珪,有頃而病。楚王曰:『舄故越之鄙細人也,今仕楚執珪,貴富矣,亦思越不?』中謝對曰:『凡人之思故,在其病也。彼思越則越聲,不思越則楚聲。』使人往聽之,猶尚越聲也。 (越人莊舄は楚に仕え、執珪(という地位)についたが、病についた。 楚王『莊舄は越人とはいえ,今は楚で働いている。富貴をきわめ、なのに越を思うのか?』 中謝『人はみな故郷を思うと,病となります。彼が越を思っていれば越の声,越を思っていなければ楚の声を出すでしょう』 使いを出し聞かせると,やはり越の声だった) 【窮達】困窮と栄達。貧賤(ひんせん)と富貴。 【逾邁】過ぎ去る。飛ぶが如し。 【河清】常に黄色く濁った黄河の水が澄む。天下が治まる吉兆。 【冀】希望 【王道之一平】国家の安定。統一。 【假】借りる【高衢】天道【骋力】力を馳せる。自分の才を使いこなしてくれ。 【匏瓜】苦瓜。以下の逸話から、「在野」を意味することも。  《論語 陽貨篇》:吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食  私がどうして苦瓜になることができるだろうか。蔓に吊るされたままで、人に食べられずにいられるだろうか。  苦瓜こと在野であり続けるのは困るという例え。 【畏井渫之莫食】綺麗すぎる井戸を恐れ、水を汲んで飲用に使う人がいないこと。清廉潔白すぎるのも却って良くないことの例え。  《周易·井卦》:“井渫不食,为我心恻。” 洗われた井戸は食に使われず、私の心に恐れが発生した。 【棲遲】ゆっくりと心静かに。 【徙倚】少し動いては立ち止まり、うろうろとする。 【匿】隠れる。 【狂顧】狂ったように慌しく眺め回す 【闃】静寂。 【忉怛・憯惻】両方とも悲痛の意味合いがある。 【循】より。従い。 【階除】階段。 【盤桓】うろうろと歩き回る。先に進まずにとどまる。 【反側】寝返りを打つ。 ----- *コメント  中国では、この詩における「楼」は、麦城 を指すと解釈しているサイトもある。[[(GoogleMap)>http://maps.google.co.jp/maps/place?ftid=0x36824eae7b1804b9:0xfb4d168ffd5ecb73&q=%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%B9%96%E5%8C%97%E7%9C%81%E5%AE%9C%E6%98%8C%E5%B8%82%E5%BD%93%E9%99%BD%E5%B8%82%E4%B8%A1%E6%B2%B3%E9%8E%AE&gl=jp&hl=ja&cad=src:ppiwlink&ei=P987ToulEYHNmAXcxLR9&dtab=0]]だとこの近くか。縮尺を広域に広げれば、左に麦城村とか麦城堤とかあると思う。  而、以、之、兮といった区切り、左右の対比。才への抱負と不遇、故郷への思慕、寄る辺なき放浪者の心境。  深読みするなら、呉を滅ぼした越が遠く、呉に滅ぼされかけた楚昭王を近いと読んでいる。  当時の荊州では曹操より、黄祖を倒した孫氏を、脅威と捉えていた可能性がある。それで曹操に降伏したと。 -----
出典:昭明文選([[返り点つき引用元(近デジ)>http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/895905/2]]) *本文 登茲樓以四望兮,聊暇日以銷憂。 覽斯宇之所處兮,實顯敞而寡仇。 挾清漳之通浦兮,倚曲沮之長洲。 背墳衍之廣陸兮,臨皋隰之沃流。 北彌陶牧,西接昭丘。 華實蔽野,黍稷盈疇。 雖信美而非吾土兮,曾何足以少留? 遭紛濁而遷逝兮,漫踰紀以迄今。 情眷眷而懷歸兮,孰憂思之可任? 憑軒檻以遙望兮,向北風而開襟。 平原遠而極目兮,蔽荊山之高岑。 路逶迤而脩迥兮,川既漾而濟深。 悲舊鄉之壅隔兮,涕橫墜而弗禁。 昔尼父之在陳兮,有歸歟之歎音。 鍾儀幽而楚奏兮,莊舄顯而越吟。 人情同於懷土兮,豈窮達而異心? 惟日月之逾邁兮,俟河清其未極。 冀王道之一平兮,假高衢而騁力。 懼匏瓜之徒懸兮,畏井渫之莫食。 步棲遲以徙倚兮,白日忽其將匿。 風蕭瑟而並興兮,天慘慘而無色。 獸狂顧以求群兮,鳥相鳴而舉翼。 原野闃其無人兮,征夫行而未息。 心悽愴以感發兮,意忉怛而憯惻。 循堦除而下降兮,氣交憤於胸臆。 夜參半而不寐兮,悵盤桓以反側。 *訳 この楼に登って四方を望み、しばし休日を過ごすことで憂いを溶かそう。 楼から見える景色は、実に高く広々としていて比べるものもない。 清らかな漳河の河口を挟み、曲がりくねった沮河の中洲による。 広々とした丘陵を背に、水辺の低湿地で用水の流れを臨む。 北に陶朱公の墓は弥く、西は昭王の丘に接する。 花実は野を覆い隠し、黍稷は田畑に満ちる。 確かに美しくはあるが私の故郷ではない、私がこれ以上滞在する価値はあるのか。 戦乱に遭い逃げては帰ることを繰り返し、今まであてもなく(十年以上もの)時を渡り歩いてきた。 ただただ望郷の情はつのるばかり、誰がこの現状を受け入れられると言うのか。 軒檻にもたれて遥望し、北風に向かって襟を開く。 北の平原は遠く見渡そうとしても、荊山の小高い峰に覆い隠されている。 曲がりくねった道路は果てなく続き、川は既に溢れて渡るには深すぎる。 旧郷と断絶されたこの悲しみよ、涙は横に墜ちて止まらない。 昔日、尼父が陳国に在った時、帰ろうと歎音が有った。 鍾儀は幽閉されてなお楚楽を奏で、荘舄は顕れて越の曲を吟じた。 人情は同じく郷土を懐かしむ、貧賤や富貴を極めようと心変わりすることはない。 日月の過ぎ去るを思い、河清を待てども(水の色は)今だに定まらない。 望みはただ王道のもと大陸が一つとなり、天道を借りて我らの才を騁せること。 苦瓜がつるにぶら下がったまま腐るのを恐れ、洗われた井戸が人に使われないことを畏れる。 心ここにあらず楼上を漫然とうろつけば、白日がにわかに隠れようとする。 樹林を吹き抜ける風は四方八方から吹き付け、天は惨惨暗澹として色も無い。 獣は狂顧して群れを求め、鳥は相鳴き翼を挙げる。 原野は静寂にして人無く、征夫は行ったきり未だ(家に帰り着き)息をつくこともない。 悽愴たる周囲の景観に心も沈み、(先ほどまで上がっていた)意気も落胆して悲しみに心が痛む。 階の下るままに楼を降り、胸中の怒りは発散できずにわだかまっている。 夜中まで眠ることもできず、あちこち揺れ動く心を恨みつつ寝返りを打つ。 *単語の意味 【銷憂】憂いを溶かす。「銷」≒意気消沈の「消」 【斯宇之所處】楼の置かれた環境。空間 【敞】高い、ひろびろ【寡仇】比類なし 【清漳】漳河。【通浦】川辺の流れ。 【沮水】沮河。【墳衍】丘と平地?周辺より高い丘陵。 【皐隰】水辺の低湿地。解説では楼南市周辺。 【沃流】灌溉の水流。畑に引かれた人工の流れ。 【北弥陶牧】弥は久しく、遠く。一度行ったきりで久しく行っていないとか。  陶は范レイ。陶朱公。春秋五覇の一、越の名臣。呉を滅ぼした人物。[[wiki>http://ja.wikipedia.org/wiki/范蠡]]。  上記の中国語による解説では、「湖北江陵の西には、陶朱公の墓があり、古くは陶牧と称した」 【昭丘】春秋時代の楚昭王[[(wiki)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E7%8E%8B_(%E6%A5%9A)]]の墓。湖北省当陽県の東南。 《荊州記》晋の盛弘之、あるいは李善注引《荊州図記》“当陽東南七十里,有楚昭王墓,登楼即見,所謂昭丘。” 【黍稷】モチキビとウルチキビ。転じて、五穀。 【紛濁】紛糾、汚濁。混乱した乱世のたとえ。 【眷眷】しきりに心がひかれる。ひたすら慕う 【孰】漢詩で言う「何」に近い。何か。いずれか、誰か 【任】受け入れる。「可任」で、受け入れることが出来る。 【極目】目の届く限り、見渡す限り 【逶迤】委蛇。湾曲した道路、山脈、河川がうねうね続く。 【脩迥】長遠。果てしなく遠い。 【漾】こぼれる、溢れる。 【濟】渡る。 【昔尼父之~之歎音】尼父は孔子。  《論語•公冶長第五》子在陳曰。歸與歸與。吾黨之小子狂簡。斐然成章。不知所以裁之。  孔子さまは陳国で言ったよ「帰ろう帰ろう、村の若者たちは志が大きく美しい模様を織るが、どう裁断したらよいか判ってない」 【鍾儀幽而楚奏兮】  《左伝•成公九年》。楚の鍾儀は晋に捕らわれた後も、自国の冠をつけていた。  晋侯が彼に琴をひかせ、『楽操土風,不忘旧也(旧き楚の気風を忘れていない)』と歎じた。  このことから、他国に捕らえられ望郷の思いをいだく人を、『楚囚』と呼ぶ。 【莊舄顯而越吟】  莊舄は戦国時代の越の人。楚で高位についてなお越の楽曲を吟唱した。故国を忘れないことを形容する。  史記第70卷の張儀列伝中、秦惠王と陳軫との会話で取り上げられている。 越人莊舄仕楚執珪,有頃而病。楚王曰:『舄故越之鄙細人也,今仕楚執珪,貴富矣,亦思越不?』中謝對曰:『凡人之思故,在其病也。彼思越則越聲,不思越則楚聲。』使人往聽之,猶尚越聲也。 (越人莊舄は楚に仕え、執珪(という地位)についたが、病についた。 楚王『莊舄は越人とはいえ,今は楚で働いている。富貴をきわめ、なのに越を思うのか?』 中謝『人はみな故郷を思うと,病となります。彼が越を思っていれば越の声,越を思っていなければ楚の声を出すでしょう』 使いを出し聞かせると,やはり越の声だった) 【窮達】困窮と栄達。貧賤(ひんせん)と富貴。 【逾邁】過ぎ去る。飛ぶが如し。 【河清】常に黄色く濁った黄河の水が澄む。天下が治まる吉兆。 【冀】希望 【王道之一平】国家の安定。統一。 【假】借りる【高衢】天道【骋力】力を馳せる。自分の才を使いこなしてくれ。 【匏瓜】苦瓜。以下の逸話から、「在野」を意味することも。  《論語 陽貨篇》:吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食  私がどうして苦瓜になることができるだろうか。蔓に吊るされたままで、人に食べられずにいられるだろうか。  苦瓜こと在野であり続けるのは困るという例え。 【畏井渫之莫食】綺麗すぎる井戸を恐れ、水を汲んで飲用に使う人がいないこと。清廉潔白すぎるのも却って良くないことの例え。  《周易·井卦》:“井渫不食,为我心恻。” 洗われた井戸は食に使われず、私の心に恐れが発生した。 【棲遲】ゆっくりと心静かに。 【徙倚】少し動いては立ち止まり、うろうろとする。 【匿】隠れる。 【狂顧】狂ったように慌しく眺め回す 【闃】静寂。 【忉怛・憯惻】両方とも悲痛の意味合いがある。 【循】より。従い。 【階除】階段。 【盤桓】うろうろと歩き回る。先に進まずにとどまる。 【反側】寝返りを打つ。 ----- *コメント  中国では、この詩における「楼」は、麦城 を指すと解釈しているサイトもある。[[(GoogleMap)>http://maps.google.co.jp/maps/place?ftid=0x36824eae7b1804b9:0xfb4d168ffd5ecb73&q=%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%B9%96%E5%8C%97%E7%9C%81%E5%AE%9C%E6%98%8C%E5%B8%82%E5%BD%93%E9%99%BD%E5%B8%82%E4%B8%A1%E6%B2%B3%E9%8E%AE&gl=jp&hl=ja&cad=src:ppiwlink&ei=P987ToulEYHNmAXcxLR9&dtab=0]]だとこの近くか。縮尺を広域に広げれば、左に麦城村とか麦城堤とかあると思う。  而、以、之、兮といった区切り、左右の対比。才への抱負と不遇、故郷への思慕、寄る辺なき放浪者の心境。  深読みするなら、呉を滅ぼした越が遠く、呉に滅ぼされかけた楚昭王を近いと読んでいる。  当時の荊州では曹操より、黄祖を倒した孫氏を、脅威と捉えていた可能性がある。それで曹操に降伏したと。 -----

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