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*原文
出典:《漢魏六朝百三名家集(国デジ)》 《楽府詩集(台湾)》
仰瞻帷幕。俯察几筵。其物如故。其人不存。
神靈倏忽。棄我遐遷。靡瞻靡恃。泣涕漣漣。
喲喲遊鹿。銜草鳴麑。翩翩飛鳥。挟子巣棲。
我獨孤煢。懐此百離。憂心孔疚。莫我能知。
人亦有言。「憂令人老」。嗟我白髮。生一何早。
長吟永歎。懐我聖考。曰「仁者壽」。胡不是保。
*訳
仰いで帷幕を見。俯いて几筵を察するに。其の物は故の如きも。其の人は存ぜず。
神霊たちまちと。我を棄てて遠く永く遷る。見れども見えず、頼み寄る辺なく。泣いて涙はこぼれて止まらない。
呦呦たる遊鹿。草を銜んで小鹿に示す。身をひるがえし飛ぶ飛鳥。子を両翼の下に抱き、巣に棲む。
我独り、身よりもなく。ただ多くの患害悲傷を抱く。憂心はなはだ疚(や)めども。我をよく知る者は、もう世に居ない。
人もまた言う有り。憂いは人をして老いしむと。ああ我が白髪。生えること一に何ぞ早き。
長吟永嘆し。我が聖考を懐う。曰く「仁者は命ながし」と。我の仁者よ、なぜその長寿を保てなかったのか。
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*単語
【仰いで帷幕を見~】窓かけや幕帳、机や座など家の見た目は昔のままだが、父は既に亡い、とする
几筵は周礼など参照。
【倐忽】たちまちのうちに
【見る靡く恃む靡く】見るなく、頼むなく
【呦呦たる遊鹿】曹操の短歌行で引用された「詩経-鹿鳴」、「呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙」
【麑】鹿の子。「これは食えるよ」と親鹿が子鹿に示している。
【挟子巣棲】「[[古詩十九首>漢詩大会の漢詩全文/古詩十九首]] 其の一 行行重行行」の、「越鳥巣南枝」。
曹操の短歌行で言う「烏鵲南飛。繞樹三匝,何枝可依」
【孤煢】疾く旋回して飛ぶ《説文》、兄弟もなく《詩経》《楚辞》、一人憂愁《漢書巻九十七-外戚伝上》
【憂令人老】「古詩十九首 其の一 行行重行行」の、「思君令人老」か?
【聖考】すぐれた先人の考え
【仁者寿】《論語-雍也》子曰、「知者楽水、仁者楽山。知者動、仁者静。知者楽、仁者寿」。
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し」。
曹操の短歌行「山不厭高,水不厭深」を踏まえる可能性?
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*コメント
関連:「[[短歌行(曹操)]]」/ [[漢詩大会の漢詩全文/古詩十九首]]
//あ、忘れてた。
[[曹操短歌行 其の二 解説論文>>http://hdl.handle.net/2324/9721]]では、この詩は曹操の「違令([[文学スレッドまとめへのリンク>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/riku_ki/mourning_gibu.html]])」に基づいて作成したもので、曹操を祭るための作品だとする。
《古今樂錄》曰:“王僧虔《技錄》雲:《短歌行》“仰瞻”一曲,魏氏遺令,使節朔奏樂,魏文製此辭,自撫箏和歌。歌者雲“貴官彈箏”,貴官即魏文也。此曲聲製最美,辭不可入宴樂。
訳っぽいもの>《古今樂錄》曰:“王僧虔《技錄》は言う:(曹丕の)《短歌行》の“仰瞻”一曲は,魏氏遺令(曹操の「遺令」)にもとづき、朔日(一日)に樂を奏でさせた。魏文は此辭を製し,箏を撫で歌をあわせた。歌者の言う“貴官彈箏”、貴官とは即ち魏文なり。/この曲の聲は最も美しいものであったが,辞は宴樂には使われなかった。
# ここで言う「宴樂には使わなくなった」ものが、歌曲そのものなのか、辞だけなのか諸説ある(上記の論文参照)、自分でも調べたが判断がつかないので、メモを残しとく。死者を弔う詩であり、宴会で歌うには相応しくないだろうというのは、確かにある。
ただ、この違令については、偽作説(詳細は[[陸機と違令についての解説>漢詩大会の漢詩全文/晋代]])もある。
晋代当初までは宮廷で奏でられたという話もあるらしいが、実際にどういう形で用いられたか不明。
詩そのものについては、[[文学スレッドのコメント>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_hi/tankako.html]]以上のものはないなぁ。
曹操の同作を踏まえた上で作者の心を込めているぶん、作者のにじみ出るような、どす黒い孤独が強調されている。
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