作品目録
ゲームに登場する作品
関連
解説
詩の特徴を一言で表すならば、名の「操」そのものとなる。
中国には旧くから、「操」という琴曲調があった。絶望を抱きつつ法や則に従う者の、決意と祈りの曲調である。
後漢(西暦180年から200年頃)、応劭が著した「風俗通義」という本のうち「巻六 声音>琴」の章に説明があるので、おおまかな意訳を載せる。
(
国会図書館>
近デジ>キーワード「風俗通義」より。日本人が書き写したものだが、大意は変わらないと判断)
「閉塞憂愁の中で編み出された其の曲に、作者は名をつけた。操という。
操とは災に遇い害せられ、困厄窮迫し、怨恨失意と言えども、なお礼儀を守りて懼れぬ意思を表す。
楽道とは、操を失わぬ者なり」
詩の傾向
テーマは大きく3つに分かれる。政治家としての考察結果を、詩で広めようとした可能性もある。
A:苦難の描写
B:特定の思想における楽土を反映した作品
C:AとBの複合
その他の特徴
ぱっと見には難しい言い回しがなく、有名な作品からの引用も多い。
「短歌行」だけでも、論語、詩経、春秋左氏伝、管子、漢書、史記他の引用もしくは影響が確実に見られる。
かといって、単なる物まねではない。
これだけの引用を行えば、引用元との矛盾が見られたり煩雑になりそうなものだが、一見、無造作かつ簡潔に、しかし綿密かつ丁寧にまとまっている。膨大な古典を使いこなせるだけの知識と理解、技巧、それらを生かす構成力がなければ、こうはいかない。
これは、この時代の作品大半に通じることだが、曹操の場合、特に顕著。
曹操は、詩の発表形式として、余計な伴奏なしで伎人が歌う形式をもっとも好んだ。
そのためか、詩のスタイルも楽府(各地から収集した詩歌)が殆ど。
昔の考え方として、詩と曲は別々だった。曹操は彼の作品にみられる"歌以詠志"などから、詩を志の発現体として重視していた模様。
たいていの漢詩は4、5、7で区切るが、曹操の場合、ひとつの作品に、3文字だの8文字だので区切る文がある。
形式より表現を重視しているなど諸説あるが、実際のところ理由は不明。
最終更新:2019年01月31日 05:57