原文

出典:《昭明文選 卷27》

其一

 「維基文庫」によると、この文章は晋の宮廷で演奏された「晋楽所奏」。本人作は不明。

秋風蕭瑟天気涼 草木揺落露為霜
群燕辞帰雁南翔 念君客遊多思腸
慊慊思歸戀故郷,君何淹留寄他方
賤妾煢煢守空房,憂來思君不敢忘
不覚涙下沾衣裳,援琴鳴弦發清商
短歌微吟不能長,明月皎皎照我床
星漢西流夜未央,牽牛織女遙相望。
爾獨何辜限河梁?

其二

 本人作の(可能性が高い)「本辞」と「晋楽所奏」の二つがある。ここでは「本辞」のみ引用。

別日何易会日難,山川悠遠路漫漫。
鬱陶思君未敢言,寄聲浮雲往不還。
涕零雨面毀容顏,誰能懷憂獨不嘆。
展詩清歌聊自寬,樂往哀來摧肺肝。
耿耿伏枕不能眠,披衣出戸歩東西。
仰看星月觀雲間,飛鶬晨鳴聲可憐。
留連顧懷不能存。

編者訳「燕歌行」

其の一

秋風が蕭瑟のように吹き、空気は涼しい。草木は揺れつつ枯葉を落とし、露は霜となる。
ツバメの群れは辞し帰り、雁は南に翔ける。旅に出たままの君を思念すれば、腸も断たれる。
帰れぬを不満に思い、故郷を想うているのか。君はどうして久しく滞在したまま、他方に寄るのか。
賎しき私は、独り空房を守り。憂いがつのるも、君を思い敢えて忘れず。
不覚にも涙が下り、衣装を潤す。琴をよせ絃を鳴らし、清商曲を発し。
短歌微吟すれども、すぐに止まり。明月だけが皎皎と、我が牀を照らす。
銀河は西に流れて、夜は始まったばかり。牽牛織女は、遥かに互いを見つめあう。
私独り何の罪ありて、川岸に留まるのか。

其の二

別れは容易いのに、再会は難しい。山川は悠遠にして、路は広々とはてしない。
君を思い胸ふさがるも、まだ敢えて言わず。声を寄せるも、浮雲は往きて還らず。
なみだ零れ顔をながれ美貌を乱す。誰しも悲しみを抱き、孤独を嘆かずにおれない。
詩譜をひろげ清歌し、わずかに自らを慰める。楽しみは往き去り、哀しみ来りて肺肝をくだく。
明光に心乱され、枕に伏し眠ること能わず。衣をはおり、戸を出でて東西に歩む。
星月を仰ぎみて、雲間をのぞむ。飛鶬のあしたに鳴く声は憐むべし。
留連して過去への思慕を懐き。理性を保つこともできない。


単語

りゅう‐れん【流連/留連】 (提供元:「デジタル大辞泉」 )
[名](スル)遊興にふけって家に帰るのを忘れること。また、夢中になること。

【蕭瑟】
蕭と瑟は、それぞれ当時の楽器の一種。風が鳴る音。
荘子に「地籟(らい。竹かんむりに頼)」という言葉があるように、当時の音楽が目指した究極のうちひとつは、自然に身を置いたとき聞こえる風の音だった。


コメント

原文引用元および解説其一 /其二

 真・三國無双6Empiresでも、旅芸人の代役を受けると登場する。

「燕」は河北省地域の古名。「燕歌行」で燕国の歌行という意味。
「晋楽所奏」は、晋の宮廷において演奏された歌辞。こうした作品は、原作改変の可能性も指摘されている。

 秋の夜長、君は旅先の空で何を思っているのか、どうして帰らぬのか。天上では別れている牽牛織女も互いを見つめあっているのに、私は孤独で、貴方をみることすら叶わない。
 思いつめるあまり見も心も乱れ、夜空を見上げる。

 中国史上初の七言詩とされる。
 参考までに「維基文庫」の当該作品に対するコメント等から、曹丕の作品に対する後世の評価を転載。

●「燕歌行」について
  明代胡應麟雲:「子桓《燕歌》二首、開千古妙境。」(《詩藪》内編巻三:リンク先P3右側、pdf注意)
  (この二首は、目前にいにしえの妙なる世界を開く)
 《燕歌》二首は、第一首の有名さには劣るが、ただ描写を追うだけでも婉然と動く人を想起させるだけの凄みがある。遊子を思う婦の情を踏まえ、心情と風景を融合させており、総じて詩の構成のなかに天地渾然の妙を読み取ることが出来る。

 曹丕《燕歌行》両首の最大の貢献は、この作により、完璧な七言詩が出現したことにある。
 蕭子の《南齊書 文學傳論(南斉書巻52、列傳第33 文學)》では次のようにある。
  「桂林湘水、平子之華篇、飛館玉池、魏文之麗豪、七言之作、非此誰先?」
  (魏文帝の端麗にして剛毅なる七言詩、これより先に誰が作っただろうか?)
 考えるに、張衡《四愁詩》では、まだ「兮」の字を用いて文字数をととのえている。楚辞の詩調が残っている。
 曹丕の作は句や韻が単調ではあるが、「兮」の字でむりやり数合わせをしない、完璧に整った七言の作品が、ここに初めて現れたのだ。



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最終更新:2019年01月31日 06:06