「秋風辞」漢武帝


秋風起兮白雲飛,草木黄兮雁南歸。
蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。
泛樓船兮濟汾河,橫中流兮揚素波,
簫鼓鳴兮發棹歌,歡樂極兮哀情多,
少壯幾時兮奈老何。

訳 秋風辞

秋風が起き、白雲が飛ぶ。草木は黄色く枯れ、雁は南へ帰る。
蘭は秀でて有り、菊に芳ばしさ有り。佳人懐かしく、忘れ難し。
楼船を泛(う)かべ、汾河を済(わた)り。中流に横たわり、素波を揚げる。
簫鼓が鳴り、棹歌が発せられ。歓楽極まりて、哀情多し。
少壯は幾時か、老いをいかんせん。

【蘭・菊】後の「佳人」を擬している可能性あり。
【汾河】wiki老師の解説
【済】渡る。


「別歌」李陵

径萬里兮度沙幕,為君將兮奮匈奴。
路窮絶兮矢刃摧,士衆滅兮名已聵。
老母已死,雖欲報恩將安歸!

訳 別歌

万里をへて、砂漠をわたり。君が将と為りて、匈奴と戦う。
路に窮絶し、矢刃はくだけ。兵士衆は滅び、名も忘れられた。
老いた母は既に亡く。恩に報いんと欲しても、帰るべき故郷は存在しない。

漢書/巻054 李廣蘇建傳 第二十四、古詩源巻二などとあるが、ここでは漢書から。


「董嬌饒」宋子侯

出典:《古詩源(国デジ)》
洛陽城東路、桃李生路傍。花花自相對、葉葉自相當。
春風東北起、花葉正低昂。不知誰家子、提籠行采桑。
纎手折其枝、花落何飄颺。請謝彼姝子、何為見損傷。
高秋八九月、白露變為霜。終年會飄墮、安得久馨香。
秋時自零落、春月復芬芳。何時盛年去、懽愛永相忘。
吾欲竟此曲、此曲愁人腸。歸来酌美酒、挾瑟上高堂。

てけ訳 董嬌饒


洛陽城の東路では、桃李が路傍に生えている。花々は自ずと相対し、葉と葉は自ずと相当たる。
春風が東北に起き、花葉はまさに低昂する。誰の家子か知らねども、(娘さんが)籠を提げ桑を採りに行く。
纎手が桃李の枝を折れば、ああ、花がはらりと舞い落ちた。これ娘よ謝りなさい、なぜ花を損傷したのかね。
「秋空高き八九月。露は白霜と為りかわる。年の終わりには舞い落ちて。永久の芳香など得られやしないわ」
「花は秋になれば零れ落ちるけれど。春の月にまたよい香りを放つ。いつ桃李の盛りが去り。歓愛が永く忘れられるというのか」
……もう終わりにしよう、この曲は人の心に沁みわたる。帰って美酒を酌み、瑟を脇に挟んで高堂に上ろう。


「四愁詩」張衡

出典:《古詩源(国デジ)》

序:張衡久しく機密に處ることを楽しまず。陽嘉中に、出でて河間の相と為る。
時に国王驕奢にして、法度に従わず。又豪右幷兼の家多し。
衡車を下りて治するに威厳あり、能く属県の姦猾にして巧劫を行う者を内察し、
皆ひそかに名を知り、吏に下して収捕し、盡(ことごとく)く諸豪侠を服擒す。
遊客悉(ことごと)く惶懼し、逃れて境を出で、郡中大いに治まる。争訟息(や)み、獄に繋囚無し。
時に天下漸く弊え、鬱々として志を得ず。四愁詩を為(つく)る。
屈原に倣い、美人を以て君子と為し、珍宝を以て仁義と為し、水深雪雰を以て小人と為し、
道術を以て相報じ、時君に貽(おく)らんことを思えど、而(しか)も讒邪の以て通ずるを得ざるを恐れき。
其の辞に曰く、

+ 単語解説
【機密に處る】《古詩源(国デジ)》太史令となり文書を司っていたこと
【陽嘉】《古詩源(国デジ)》漢代順帝の年号
【河間の相】《古詩源(国デジ)》河間恵王の相
【豪右幷兼】《古詩源(国デジ)》権勢ある豪家なのに、小民の利を奪う者
【属県の姦猾にして巧劫を行う者を内察~】《古詩源(国デジ)》所属県内に満ちる悪を調べ考察して
【屈原】《古詩源(国デジ)》屈原の離騒賦に倣うという
【時君】《古詩源(国デジ)》河間恵王を指す

一思曰:我所思兮在太山,欲往從之梁父艱,側身東望涕霑翰,美人贈我金錯刀,何以報之英瓊瑤,路遠莫致倚逍遙,何為懷憂心煩勞。
二思曰:我所思兮在桂林,欲往從之湘水深,側身南望涕沾襟,美人贈我金琅玕,何以報之雙玉盤,路遠莫致倚惆悵,何為懷憂心煩傷。
三思曰:我所思兮在漢陽,欲往從之隴阪長,側身西望涕沾裳,美人贈我貂襜褕,何以報之明月珠,路遠莫致倚踟躕,何為懷憂心煩紆。
四思曰:我所思兮在雁門,欲往從之雪雰雰,側身北望涕霑巾,美人贈我錦繡段,何以報之青玉案,路遠莫致倚増歎,何為懷憂心煩惋。

+ 単語解説。左の「+」をクリックすれば展開します
【太山】《古詩源(国デジ)》泰山。王に例える
【梁父艱】《古詩源(国デジ)》泰山下の小山。小人に例える
 うp主注:梁父艱を思わせるほど険しい。梁父は梁父山のこと。泰山とセットで語られる名山。
 各段落で梁父艱に該当する節(湘水深、隴阪長、雪雰雰)は、いずれも厳しさを表したもの。
【金錯刀】《古詩源(国デジ)》金メッキの柄ある刀。貴い位の意味。
 うp主注:または、中国漢代の貨幣の一つ。黄金の地金、刀の形。
【英瓊瑤】《古詩源(国デジ)》美玉の一種
【倚逍遥】《古詩源(国デジ)》物にもたれて中心に憂傷する。
 うp主注:要は「orz」?

【湘水】《古詩源(国デジ)》揚子江の支流
【金琅玕】《古詩源(国デジ)》黄色の美石、厚録?の例え
 うp主注:最高級の翡翠
【雙玉盤】《古詩源(国デジ)》ひろく衆言を(兼ね?)聴くを五盤に例える
 うp主注:玉で作った皿?

【漢陽】《古詩源(国デジ)》古の岐周の地。 うp主注:明君の地になぞらえる?
【隴坂】《古詩源(国デジ)》天水郡中の坂の名
【貂襜褕】《古詩源(国デジ)》貂の皮で作った着物(google先生に聞いてみる)
【名月珠】《古詩源(国デジ)》海中より採れる夜光の明珠

【鴈門】《古詩源(国デジ)》幷州にある郡名。
【雪雰雰】《古詩源(国デジ) 》雪の乱れ降るさま
【錦繡段】《古詩源(国デジ) 》錦で飾った履物。
 うp主注:錦と刺繍をした織物と着物? 書籍ではないと思う。
【青玉案】《古詩源(国デジ) 》青玉で飾った机

訳 四愁詩

一思曰:我が思う所は泰山に在り。往きて之に従わんと欲すれば梁父は嘆し。身を向け東を望めば涙が筆を濡らす。
美人が我に贈る、金錯刀。何をもって之に酬(むく)いん、良き宝玉。道の遠さは果てしなく。どうして憂いを抱くのか、心は疲れにわずらう。

二思曰:我が思う所は桂林に在り。往きて之に従わんと欲すれば湘水は深し。身を向け南を望めば涙が襟に浸みこむ。
美人が我に贈る、金琅玕。何をもって之に酬いん、雙玉盤。道の遠さに恨み嘆く。どうして憂いを抱くのか、心は痛みをわずらう。

三思曰:我が思う所は漢陽に在り。往きて之に従わんと欲すれば隴阪は長し。身を向け西を望めば涙が裳に浸みこむ。
美人が我に贈る、貂襜褕。何をもってこれに酬いん、明月珠。道の遠さにためらって、どうして憂いを抱くのか、心は左右にふらふら。

四思曰:我が思う所は雁門に在り。往きて之に従わんと欲すれば雪は雰雰し。身を向け北を望めば涙が巾にこぼれる。
美人が我に贈る、錦繡段。何をもってこれに酬いん、青玉案。道の遠さに嘆きは増して、どうして憂いを抱くのか、心は嘆き悲しむ。

  • コメント
《古詩源》では、張衡が河間の統治に成功したものの、天下はまだ疲弊しており、鬱々として作ったのがこの四愁詩という。
屈原にならって、君子を作中で言う「美女」になぞらえ、仁義を珍宝になぞらえ、臣下を梁父艱に該当する部分(湘水深、隴阪長、雪雰雰)になぞらえ、道術を以て(主君と?)相報じ伝えたいと思い、しかし周囲の臣下による悪口によって、自分の意見が主君に通じないことを恐れたとする。

東の太山、南の桂林、西の漢陽、北の雁門と四方を詠んでおり、リズミカル。あと少しで完璧な七言詩。韻も踏んでるかな?


「飲馬長城窟行」蔡邕?

 「玉台新詠」は、蔡文姫の父、蔡邕の作とする。昭明文選では無名氏。

青青河畔草、綿綿思遠道
遠道不可思、宿昔夢見之
夢見在我旁、忽覺在他郷
他郷各異縣、展轉不相見
枯桑知天風、海水知天寒
入門各自媚、誰肯相為言
客従遠方来、遺我雙鯉魚
呼兒烹鯉魚、中有尺素書
長跪読素書、書中竟何如
上言加飱食、下言長相憶。

+ 単語注釈
【展轉】つまころぶ。まろぶ。

【双鯉魚】手紙。二匹の鯉の腹に入っていた、雌雄一対の鯉を折り紙で作った、2つの木板を合わせて作った木鯉などの説がある。
「鯉魚を烹る」は、分解して書簡を取り出すこと。

使用例)
「遠方の友吾に双鯉魚を贈る、童を呼び鯉魚を烹る、中に尺素の書あり、長跪して素書を読む」昔、双魚と書いて之を手紙と読ませたといふ話(牧野信一、素書(青空文庫))

【長跪】ひざを地面につけ、尻をかかとから離して半立ちした状態。
 この姿勢から夫人の心理を描写している。古代中国では尻を地面につけた「座」が主流。

【何如】いかにあるか、どのようであるか

【上言加飱食、下言長相憶】
 手紙の書き始めが「互いのオカズに加えよう」、手紙の末尾が「長く相覚えよう」。
 夫と同じ戦場での同僚から、送られたか。
 或いは夫から「万里の長城で別の妻を見つけた」、「李陵のように匈奴の地で生きる」という、別れの手紙かもしれない。

 もしくは上を向いて「オカズに加えよう」。下を向いて「長く相覚えよう」。
 誰に言ったかは不明。児? 妊娠していて、胎内の子供? 想像に任せる。
 いずれにせよ、夫が帰ってくるといった良い知らせなら、言うはずのない言葉。

訳 飲馬長城窟行

青青とした河畔の草に、綿綿と遠き道を思う
道の遠さに思いもつかぬ、それは夕べの夢ものがたり

夢見れば我が傍にあり、ふと目覚めれば他郷に在り
他郷は各々の(住む)県を異とし、つまころびて相見えることもない

枯桑に空ゆく風を知り、海水に天の寒さを知る
家に帰れば各々が媚びるよう、誰があえて互いのために言い合うのか

遠方より来たる客あり、我に双鯉魚を遺す
兒(児)を呼びて鯉魚を烹ると、中に尺素書が有るではないか

長跪して素書を読めば、書の末尾やいかに
上に言わく「飯食に加えよう」、下に言わく「長く相憶えよう」。

  • コメント
 秦・漢代に築かれた長城の麓に、泉窟があり、唯一馬に水を飲ませることができたという。
 このことから、長城に出征した夫を想う妻の詩は、飲馬長城窟行と名づけられることが多い。

 古詩十九首の影響が大きいというか、一見無造作に、各首の節々を繋ぎ合わせたような雰囲気。
 そのために、蔡邕の作品ではなく、古詩十九首の作者と同じく無名氏が作成したということも考えられる。

 対比だけでなく、前の一文を使って次の一文を作成する「しりとり」に似た技巧を使っている。
 この作品における「青青河畔草」の描写も、日本の《枕草子》に影響したという説がある(参考)。


最終更新:2019年01月31日 06:17