その他の漢詩全文/三国志7の有名人


本人作から真贋を疑われているものまで、色々。



何晏



司馬懿

讌飲詩

原典:《晋書-高祖宣帝懿紀》《古詩源》

天地開闢、日月重光。
遭遇際會、畢力遐方。
將掃群穢、還過故郷。
肅清萬里、總齊八荒。
告成歸老、待罪舞陽。

+ 単語解説

天地がわかれ。日月は光を重ねた。
偶然にも重要な事態に遭遇し。遠方で全力を尽くす。
まさに群れなす凡愚どもを蹴散らし。帰っては故郷を過ぎようとする。
万里を厳しく取り締まり。荒れ乱れた地上を統一する。
成功を告げ郷里に帰り。審判を舞陽に待つ。


「告成歸老、待罪舞陽」が、この時代の作品によく見られる、前後の比較になっている。
待罪舞陽自体は《史記-季布伝》の「臣、功なくして寵を窃(ぬす)み、罪を河東に待つ」を踏まえたものだと考えるが、意味深。
舞陽の罪を(=皇帝暗殺を目の前で見過ごして)待つ、と。まぁ韻を踏んだだけだろ多分。


諸葛亮?

梁甫吟

原典:《晏子春秋》など

  • 原文
歩出齊城門 遙望蕩陰里
里中有三墓 累累正相似
問是誰家墓 田彊古冶子
力能排南山 文能絕地紀
一朝被讒言 二桃殺三士
誰能為此謀 國相齊晏子

+ 単語解説

斉の城門を歩き出て、遠くに蕩陰の里を眺める
里には墓が三基 似た形が連なり続く
問いかける「これは誰の家の墓か」
「……、田開彊、古冶子」
力はよく南山を排し、学識は地紀をも絶った
ひとつの讒言、二個の桃が三人殺した
謀ったのはだあれ? それは斉国の宰相、晏子様


作者については、諸葛亮、曾子(孔子もしくは左丘明の弟子)、無名氏(古楽府)の説がある。
まずは、作者:曾子説について。

李勉《琴説》曰:《梁甫吟》,曾子撰。
《琴操》日:曾子耕泰山之下,天雨雪凍,旬月不得帰,思其父母,作《梁山歌》。
つまり、曾子が作った梁山歌は、「泰山のふもとで耕していたとき、天気が崩れて帰ることが出来ず、父母を思って作った」もの。
ひるがえって諸葛亮作と伝わる作品は、晏子を詠ったものであり、別物。

蔡邕《琴頌》日:「梁甫悲吟,周公越裳。」
按梁甫,山名,在泰山下。《梁甫吟》,蓋言人死葬此山,亦葬歌也。又有《泰山梁甫吟》,輿此頗同。
《琴頌》では、梁甫と周公にまつわるもの。もしくは死者への葬歌。
曹植の「泰山梁甫行」は、長引く戦乱と民衆への憐みを詠ったもの。

《蜀志》曰:諸葛亮好為《梁甫吟》。然則不起於亮矣。
 以上のことから、「梁甫吟」という曲調自体は、春秋戦国時代からある古い民謡曲であり、漢の楽府が収集した古楽府としての「古典梁甫吟」も存在したと考えられる。
 そして諸葛亮が「古典梁甫吟」を知っている、ここまでは十分考えられる。
 ただし、残っている断片からは、古典的な梁甫吟は、ここで「諸葛亮作と伝わる梁甫吟」とは、別物だった可能性が高い。

《古今樂錄》曰:「王僧虔《技錄》有《梁甫吟行》,今不歌。
 「今はもう歌われていない」とある以上、古い作品がどんなものかは、王僧虔の時代には不明だったと思われる。
 したがって、「諸葛亮作と伝わる梁甫吟」が「古典梁甫吟」なのか、それとも「諸葛亮の真作」なのかは不明。完全なオリジナルではなくとも、一部を替え歌にしている可能性もある。

謝希逸《琴論》曰:諸葛亮作《梁甫吟》。
 謝希逸(謝荘、421年生)が何をソースにしているか? 蜀漢正統論がらみ?

《琴経(国立公文書館)》「諸葛孔明懐琴隆中所作水龍吟至今傳世」(紫雲調考よりの又引き)
 この水龍吟が、梁甫吟と同じかどうか?

 何にせよ、「作者は諸葛亮かもしれないね」扱い……にしたいところだが、諸葛亮ではなく別人の作だと断言しているサイトもある。まだ見落としているソースがあるのかしら。

+ 他の解説 未訳分


項籍

抜山蓋世

原典:《史記 本紀 卷七 項羽本紀第七》
  • 原文
力拔山兮氣蓋世。時不利兮騅不逝。
騅不逝兮可柰何。虞兮虞兮柰若何。

力は山を抜き、気は世をおおう。しかし時は味方せず、騅も前に逝けぬ。
この私が、逝かぬ騅をどうにもできぬ。虞よ、虞よ、お前をどうしたものか。

【騅】項籍の愛馬
【虞】虞美人。項羽の妻or恋人。虞美人草の元ねた。(wiki)

  • コメント
 この漢詩は琴曲調であるとする説もある(「支那文学考」等)。虞美人の奏でる琴曲に合わせて舞ったのだろうか。
 なお「古文真宝」には、「虞美人草」という漢詩もある。


韋昭

呉鼓吹曲

呉が韋昭に作らせた軍歌で、漢の鼓吹曲がベース。→「呉鼓吹曲十二篇」


甄夫人?

塘上行

蒲生我池中、其葉何離離
傍能行仁義、莫若妾自知
衆口鑠黄金、使君生別離
念君去我時、独愁常苦悲
想見君顔色、感結傷心脾
念君常苦悲、夜夜不能寐
莫以賢豪故、弃捐素所愛
莫以魚肉賤、弃捐葱与薤
莫以麻枲賤、弃捐菅与蒯
出亦復苦愁、入亦復苦愁
辺地多悲風、樹木何翛翛
従軍致独楽、延年寿千秋



関羽?

関帝詩林

原典:関林にある石碑、西安碑林博物館の拓本他、各地の三国志関連遺跡

  • 原文
不謝東君意、丹青獨立名
莫嫌孤葉淡、終久不彫零

+ 単語解説

 別名「風雨竹」。洛陽関林に置かれている石碑などに、竹の葉の絵で刻まれた漢詩。
 関羽が曹操のもとに居るとき、劉備宛に作成したという伝承をもつ。偽作扱いされることもある。
 現在の石碑自体は、右下に彫られている「弘治二年十月十八日 楊州淘河獲出環鈕 共董二斤四両 其文曰漢壽亭候之印」(明代の黄希聲?によると「宏治三年(1490年)十月十八日揚州淘河獲“漢壽亭侯之印”」)の文章から、この頃に、漢壽亭侯之印を、川底から引き上げた記念として作られたものか、もしくは、石碑だけあって、後に印と字が刻まれたものと思われる。

 内容については、敵地で劉備への思いを明記するわけにもいかんので、竹の葉を字の形に並べて送ったとされ、中国最古の暗号文じゃないかとも。
 内容もわざと曖昧にしてあるっぽい。なので、解釈も色々。

  • 不謝東君意
 曹操の行為には感謝しない、劉備に対しやましいところはない、etc.
  • 丹青獨立名
 丹青で竹画を描き我が意を示す、頂いた漢壽亭侯之印をここに示す、義は語らずとも歴史に残る、etc
  • 莫嫌孤葉淡
 竹画の絵の色が薄いと嫌わないでほしい→私の非才を、忠誠が薄いと嫌わないで欲しい、私の態度を恨まないで欲しい
  • 終久不彫零
 印(=貴方と私との繋がり)は欠けぬまま在り続ける、絵画の竹葉は永遠に枯れない→私の忠誠は永遠だ、etc

 大航海時代onlineでは、「伝国の玉璽」の所在情報を示す漢詩として登場する。
 というわけで、本物だったらいいなという夢のある話。

ついで【関林(関林堂)】
 河南省洛陽市の南郊外にある、関羽の首が葬られたとされる場所。
 関羽を討った呉は、魏に首を送った。曹操は、その首と上等な檀香木で作った体を、洛陽の墓地に葬ったという。
 時代の変遷とともに、塚(王侯の墓)→陵(皇帝の墓)→林(聖人の墓)に改められた。

 関帝廟は各地にあるが、洛陽の関林は最古のものとされる。
 無傷で保存されている建築群の一つで、歴代の墓志碑の展示室や三殿、清代の亭式建築が残っている。
 洛陽古代芸術館という顔も持ち、1979年、河南省から、日本で言う重要文化財の認定を受けた。関羽のものといわれる2mの大刀、洛陽から出土された多くの石刻や石碑などがある。

 関林には、同じ三国時代の名将母丘倹、諸葛誕の叛乱を鎮圧した王基の墓もある。
 なお、写真撮影はご遠慮ください。


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