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出典:《文選/卷二十九(近デジ)》/昔の早稲田大の解説(以下、早稲田)



其の一 行行重行行

文学スレ解説
行行重行行。與君生別離。
相去萬餘里。各在天一涯。

道路阻且長。會面安可知?
胡馬依北風。越鳥巢南枝。

相去日已遠。衣帶日已緩。
浮雲蔽白日。遊子不顧反。

思君令人老。歲月忽已晚。
棄捐勿復道。努力加餐飯。

+ 単語解説
【行行重行行】《古詩源(国デジ)》夫君の遼行を想う

【生別離】楚辭曰:悲莫悲兮生別離。

【道路阻且長】毛詩曰:溯洄從之。道阻且長。

【安】薛綜西京賦注曰:安。焉(いずくんぞ)也。

【胡馬依北風。越鳥巢南枝】《古詩源(国デジ)》それぞれ、故郷を想う例として引いたもの
韓詩外傳曰:詩曰:代馬依北風。飛鳥棲故巢。皆不忘本之謂也。
(代馬は北風に依り、飛鳥は故巣に棲む、どちらも、皆、己の本来のすみかを忘れないということだ)

【相去日已遠。衣帶日已緩】古詩源(国デジ)》別れて後は憂い苦しみ、身体も痩せ細ったさま
古樂府歌曰:離家日趍遠。衣帶日趍緩。

【浮雲蔽白日】《古詩源(国デジ)》山河の良き人を隔てるの意
邪な人物や、噂が、忠誠あふれる良い人物を潰してしまうこと。

【遊子不顧反】《古詩源(国デジ)》では「遊子不顧返」
【顧】鄭玄毛詩箋曰:顧、念(思う)也。

【棄捐勿復道。努力加餐飯】《古詩源(国デジ)》妾が捨てられようとも怨まない、ただ夫君の健康を祈る

行き行きて、重ねて行き行き。夫君と生き別れ、なお遠く。
君と相去ること、万里よりも遠く。夫は天の北の果て、私は南の果てにいる。

私たちを隔てる道路は、遠く険しく。どうして、面を会わせる日を予測できるというのか?
胡馬は故郷を思って北風に寄り。越鳥も故郷を思い、南枝に巣を構えるというのに。

互いの距離は、日に日に遠くなり。思えば、衣の帯が日に日に緩むほど、痩せ細る。
浮き雲は白日を覆いかくし、遊子たる夫は、私を振り向いてくださらない。

君を思えば、私をして老いしめる心地。年月はこつぜんと暮れて終わるもの。
いえ、もはやこの悩みは捨て、私は私の道を往こう。努力して、食事をとろう。


韻が変わる後半の文章は、「しっかりご飯をお食べなさい」妻→夫への呼びかけだとする説もある(『漢代 王子喬演変考』p10)。
《古詩源(国デジ)》でも、この部分は「妾が捨てられようとも怨まない、ただ夫君の健康を祈る」とあるので、「棄捐勿復道」の主語が夫とするならば、「私を捨てて振り返るな。貴方は努力して食事し、生きてくれ」みたいな意味になる。


  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
 詩中に有る「胡馬依北風、越鳥巣南枝」ですが、これは徐中舒さんによる「前漢では「代馬」、「飛鳥」と言った」説と矛盾します。
 後漢だと「代馬」、「飛鳥」だけでなく、「胡馬」「越燕」という言い方が均衡していたようです。
 よってこの作品は、前漢の作品ではない可能性がありますお。


其の二 青青河畔草

青青河畔草。鬱鬱園中柳。
盈盈樓上女。皎皎當窓牖。
娥娥紅粉粧。繊繊出素手。
昔為倡家女。今為蕩子婦。
蕩子行不帰。空床難獨守。

+ 単語解説
【青青河畔草~繊繊出素手】
 美人の例え。
 鬱鬱は茂る。盈盈はみずみずしい、容良き(廣雅曰:嬴、容也。盈與嬴同、古字通)。
 皎皎は、色白の光り輝く顔、窓牖はまど格子(から洩れる月光)。
 娥娥は、きわだった顔立ち(方言曰:秦、晉之間。美貌謂之娥)。
 繊繊は、女の手(韓詩曰:纖纖女手。可以縫裳。薛君曰:纖纖、女手之貌)。

【青青、鬱鬱】《古詩源(国デジ)》孤棲の地を叙す(のべる)
【盈盈】《古詩源(国デジ)》形作る
【窓牖】《古詩源(国デジ)》まどのほとりに立つ
【娥娥紅粉粧】《古詩源(国デジ)》では「娥娥紅粉妝」
【倡】樂。いわゆる芸者、遊女。
【蕩子】《古詩源(国デジ)》遊蕩なる男子
放蕩の遊び人。(列子曰:有人去鄉土遊於四方而不歸者。世謂之為狂蕩之人也)
【空牀~】《古詩源(国デジ)》空しく孤独な牀を護るよりは艶容をなして男子を誘わんとなり

青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳、
盈盈たる樓上の女、皎皎たること當に窓牖の景色。
娥娥たる紅粉粧、纖纖たる素手を見せる。
昔は遊女屋の女となりて、今は蕩子の妻となる。
蕩子は行きて帰らず、空床を難く獨り守る。

 《古詩源(国デジ)》だと一人で暮らす女が、孤独なまま遊び人の男を待つより、別の男を探そうというように受け止めている。
 あれ秀逸な早稲田訳はどうだったっけ、と思って確認したら、消えてたり。
 うろ覚えだと「川のほとり、柳の木陰、立派な楼閣の窓辺にもたれる乙女の、見目うるわしき紅顔、しろく滑らかな繊手……このBBAも昔は美女じゃったんよ。い~っひっひっひ」みたいなノリで笑った気がする。あと、(他の十九首と同じように)多くの年月が過ぎる無常を捉えた感じで良かった。

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
「孝惠帝、前漢2代目の皇帝の諱は『盈』だな。
 特に理由もないのに、前漢の作品に前漢皇帝の諱が使われるのはおかしい。後世の偽作だわ。
 他にも盈の字を使っている作品は、同様のことが言えるぞ」


其の三 青青陵上柏


青青陵上柏。磊磊礀中石。
人生天地間。忽如遠行客。
斗酒相娛樂。聊厚不為薄。
驅車策駑馬。遊戲宛與洛。
洛中何鬱鬱。冠帶自相索。
長衢羅夾巷。王侯多第宅。
兩宮遙相望。雙闕百餘尺。
極宴娛心意。戚戚何所迫。

+ 単語解説
【青青陵上柏、磊磊礀中石】《古詩源(国デジ)》人生は陵柏濁石のごとく長久なる能わずとなり
磊磊は石の群がる様子、礀は石の隙間を流れる水、谷間。

【人生天地間】
人生は天地の狭間を旅しているようなもの。列子などで見られる考え方。
(列子曰:死人為歸人。則生人為行人矣)

【聊厚不為薄】《古詩源(国デジ)》聊少なる衣食をも充分なものと思い直すなり
「聊」は粗略。(鄭玄毛詩箋曰:聊。粗略之辭也)

【驅車策駑馬】
策はムチをあて。駑は駄馬。
(廣雅曰:駑。駘也。謂馬遲鈍者也。漢書。南陽郡有宛縣。洛。東都也)

【宛與洛】
宛は判ると思う、洛も洛陽もしくは付近の地名。

【冠帶自相索】《古詩源(国デジ)》洛中に衣冠の人多く、街路の繁盛ぶり、高楼邸宅の多さに驚く
冠帯=官吏。名誉と利益を求めてあい争う? 人々が行きかう。
(春秋說題辭曰:齊俗。冠帶以禮相提。賈逵國語注曰:索。求也)

【長衢羅夾巷】
長衢は大通り、夾巷は裏通り、小路が交錯するという意味

【兩宮】《古詩源(国デジ)》南北両宮は間に約七里をへだつ
両宮。二つの宮殿。南宮と北宮とが、七里の距離をおいて、二つならんでいる。
(蔡質漢官典職曰:南宮北宮。相去七里)
ちなみに伊勢神宮も、兩宮と呼ばれることがある。

【雙闕百餘尺】
雙闕は、兩宮の城門がそれぞれ相そびえているさま。
百余尺は、1尺がおよさ23~24cmなので、後は計算してくださいな。

【戚戚】
心憂い。
(楚辭曰:居戚戚而不可解)

青青として枯れずにある、陵上の柏。磊磊として砕けることなき、礀中の石。
木や岩に比べ、天地の間に居る人生は。忽ち旅をくりかえす客の如く、はかないもの。
斗酒を飲もうや、踊ろうや。酒が濃くないというが薄くもないぞ(気にするな)。
車を駆り、駑馬にムチあて。宛や洛にて遊び戯れよう。
洛中は、草木がみごとに茂り。役人たちが互いを求め、駆け回り。
大通り裏通り、たてよこ交差して。王侯貴族の屋敷があい並び。
兩宮の遙かに相望み。雙闕の高さは百餘尺。
宴は極りて、心そこから楽しむ。くよくよ悩みに迫られることもない。

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
「『宛洛』は後漢の言い方であって、前漢以前に作られた作品としては不適切でわ?」
「宛洛は、故周の都だった地域を指しているんじゃまいか。ただそうすると、『王侯多第宅』って言うのが矛盾するな。周室王侯は『第宅』なんて言わんし。『兩宮』、『雙闕』って言い方も後漢の東京語に似てるし」


其の四 今日良宴會

今日良宴会。歓楽難具陳。
弾箏奮逸響。新聲妙入神。
令徳唱高言。識曲聞其真。
斉心同所願。含意俱未申。
人生寄一世。奄忽若飆塵。
何不策高足。先據要跨津。
無為守窮賤。轗軻長苦辛。

+ 単語解説
【具陳】述べつくす
【逸響】響きが飛ぶ
【新聲】耳新しい音楽の声
【令徳】早稲田では、「座客の良い徳を述べる」とする
【高言】貴い辞を述べる

今日は良き宴会。歓楽たるや、言葉に尽くしがたい。
箏が弾かれれば、清音が空気を震わせ。初めて聞く音楽は、妙にして神技の境地に入る。
徳人が高言を唱えれば。知っている筈の曲に、あらためて其の真意を知る。
座中の客、心に願うところは同じ。皆共に意に含むところを敢えて申さず、ただ聞くのみ。
人生の世に寄せること。たちまち漂う塵芥の如し。
どうして名馬にムチをあてぬのか。まずは先んじて要路をとるべし。
無為のまま貧賤の地位を守れば。不平に長く苦心するだけさ。

 人の一生は短いのだから、努力してさっさと要職につけ。文句をいうだけで一生を終えるな、という意味合い?
 「先據要跨津」が、維基だと「先據要路津」になっている。

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
「彈箏奮逸響、新聲妙入神」は曹植の作品だと思うの、西漢(前漢)の言い方には似てないし。


其の五 西北有高樓

西北有高樓。上與浮雲斉。
交疏結綺牕。阿閣三重階。

上有絃歌聲。音響一何悲。
誰能為此曲。無乃杞梁妻。

清商隨風發。中曲正徘徊。
一彈再三歎。慷慨有餘哀。

不惜歌者苦。但傷知音稀。
願為雙鳴鶴。奮翅起高飛。

西北に高楼あり。高さは浮雲に等しい。
その四面では、格子に彩絹が結ばれ。反り返った屋根が、三重に重なっている。

上から聞こえてくる、絃歌の声。音響の一つ一つに、深い悲しみが込められている。
誰がよくもこの曲を為しているのか。やもめ暮しの妻だろうか。

清商の音は、風に従い飛び立つと思えば。中曲はまさに辺りを漂う。
ひとたび弾けば、再三も嘆息し。憤慨して哀しみ余りある。

歌うものの苦しみを、惜しみはせぬ。ただ、知音の稀なるを痛む。
願わくば、双鳴の鶴と為りて。羽を奮い起ちて、高く飛びたちぬ。

この楽人と歌を共にし、思いを風に乗せて、遠くへ飛ばしたい。
【杞梁妻】は、斉の杞梁という人物の妻の逸話から。夫が死して悲しむの意味。


  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
 《洛陽伽藍記》「四以此樓為西明門外之西北高樓
 《洛陽伽藍記》は、東魏(5世紀)の楊衒之による、洛陽の記録。
 5世紀洛陽の描写が出てくるってこた、前漢(紀元前)の枚乗が作った作品じゃねぇべ。


其の六 渉江採芙蓉

渉江采芙蓉。蘭澤多芳草。
采之欲遺誰。所思在遠道。
還顧望舊郷。長路漫浩浩。
同心而離居。憂傷以終老。

江をわたり蓮の花を採る。蘭の咲き誇る沢には、かぐわしき草花が多い。
これを採って、誰に送ろうか。思うところは道の遠くにあり。
返り顧みて故郷を望むも、長路は散漫として広すぎる。
心を同じくするも、しかし離れて暮らす。憂傷を以って、老いを終える。

解釈1)
芳香を放つ花を採り、或いは美しく着飾ったところで、
互いに贈りあうべき夫は遠方に旅立ち、同じ喜びを抱きあえる故郷の両親もなく、
花はただ枯れ散って、この美貌も老いさらばえるのみ。

解釈2)
かって親友を見送った河のほとりで親友を思い、親友も遠方で私を思っているだろう。
志を同じくするもの同士、しかし離れたまま年月だけが虚しく過ぎていく。



其の七 明月皎夜光

明月皎夜光。促織鳴東壁。
玉衡指孟冬。衆星何歴歴。
白露霑野草。時節忽復易。
秋蟬鳴樹間。玄鳥逝安適。

昔我同門友。高舉振六翮。
不念携手好。棄我如遺跡。
南箕北有斗。牽牛不負軛。
良無盤石固。虚名復何益。

+ 単語解説
【促織】この作品を現在で言う夏の作品か、秋の作品と見るかで異なる。初夏ならキリギリス、秋ならマツムシの類だろうか。
【六翮】羽の茎。羽翼。清風をしのぐ。高く羽ばたく。韓詩外伝にもみられる。

名月はこうこうと夜に輝いて。秋虫は東壁に鳴いている。
玉衡の星は孟冬を指し。従う衆星は鮮やかにさんざめく。
白露は野草をうるおし。時節はたちまち移り変わる。
秋蝉は樹間に鳴き、玄鳥は安住の地へ飛び去る。

私には昔、同じ師につき従った友がいて。友は高く、六翮を振るうように出世した。
彼は、手をよく取り合った昔を想いもせず。私は踏みにじられた遺跡のごとく棄てられた。
南に箕星、北に斗星があるが、名だけで実際に測ることは出来ない。牽牛星も、軛をおうことはない。
人の縁に磐石の固さなどなく。虚名にまた何の益があるというのだ。

うつろう季節のように人の心も変わり果て、共に青春を謳歌した友情も名だけのこと。
友は鳥のように遠くへ飛び去り、私は虫と共に孤独を歌う。
今はただ荒野に冷たい風が、むなしく吹きつけるばかり。

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
 まず、前漢の暦についての説明。わかりやすさを優先しているため、実態とはズレています。ご了承下さい。
 前漢は、最初のうち「顓頊暦(年始は夏暦でいう10月)」を採用していた。
 武帝のとき、太初の改暦(紀元前104年)を行い、年始を建寅の月(夏暦でいう正月。今の旧正月)とした。図にすると下の通り。

 月(夏暦)  1月-2月-3月 4月-5月-6月 7月-8月-9月 10月-11月-12月
顓頊暦(旧) 夏   秋   冬   春 
太初暦(新) 春   夏   秋   冬 

 詩にもどる。
 《詩品講疏》など一部の古典では、この作品は太初暦が作られる以前の作品といわれていた。また十九首が枚乗(?~前140)の作品ならば、十九詩は、太初の改暦を行う以前=顓頊暦による作品となる。
 この詩を見ると、『玉衡指孟冬』『促織鳴東壁』『秋蝉鳴樹間、玄鳥逝安適』、いつの時期に読まれたものかわかりやすい。つまり
「玉衡が孟冬(冬の最初の月)を指す時期=促織(こおろぎ等、鳴虫)、秋蝉がなく、玄鳥があるべきところへ飛んでいく」
 ところが、
「顓頊暦の『孟冬』は、夏暦で言う7月頃だと思う。これ、ホントに夏の歌なの?」
 という疑問が出された。
 その後、天体の配置と作品に登場する物の関連性など、色々調査・計算した結果、「玉衡指孟冬」の時期は、夏暦9月の立冬以降(=太初暦の作品)である可能性が出てきた。
(秋セミについても、中国や台湾に要るケナガニイニイというセミは現在で言う10月~11月初期に鳴くらしい)
 よってこの作品は、太初暦以前の作品と断定できなくなってしまった、という指摘。


其の八 冉冉孤生竹

冉冉孤生竹。結根泰山阿。
與君為新婚。菟絲附女蘿。
菟絲生有時。夫婦會有宜。
千里遠結婚。悠悠隔山陂。
思君令人老。軒車来何遅。
傷彼蕙蘭花。含英揚光輝。
過時而不采。將隨秋草萎。
君亮執高節。賤妾亦何為。

+ 単語解説
【冉冉】柔弱なかたち

【泰山阿】阿は山あいの窪地。
泰山もしくは大きな山の、荒れ果てた辺地の日陰で、ひょろひょろと育つか弱い女性の寂しさ。

【菟絲】つる科の花の一種。
漢方薬で老化予防の効果がある菟絲子(ネナシカズラ)ではないか、という話もある。

【女蘿】サルオガセか。
菟絲、女蘿、いずれも大樹に寄生するツル科の一種。互いにからみあう男女のつながりを表したものか。

【悠悠隔山陂】悠悠は遥かに遠い。山陂は、山の斜面。
道のりが遥かに遠い=結婚の難しさ。

【軒車】覆いのある車。結婚のとき、夫が妻を迎えに来る車。

【蕙蘭】匂いの良い花。蕙はレイコウソウか。

か弱い孤独な竹が生えている。荒れ果てた山間の日陰で、根を結ぶ。
君と新婚となること。兔絲の女蘿に附くがごとし。
兔絲にも、生ずる旬というものがあり。夫婦にも、会う時宜(タイミング)というものが有る。
千里は結婚するには遠く。悠悠として山陂は隔てる。
君を思えば令人をして老いしめ。軒車が迎えに来るのはどうして遅いのか。
彼の蕙蘭の花を傷む。つぼみは今にも花開こうというのに。
時はすぎてもいまだ採られる事なく。時の流れに従い秋草となりて萎む。
君が冷たくも高節を執るならば。賤妾は何をどうしろというのか。

男がいつまでも採りに来ないので、花は枯れ、私は老いていく。
劉履『古詩十九首旨意』など、隠棲したまま出仕できずに朽ちようとしている賢者が、おのれと君主との関係を、男女の仲になぞらえたものだという説もある。
早稲田には、この作品は掲載されてないぽい。


其の九 庭中有奇樹

庭中有奇樹。緑葉発華滋。
攀條折其榮。將以遺所思。
馨香盈懷袖。路遠莫致之。
此物何足貴。但感別経時。

庭中には奇樹があり。緑はつやよく滴りを発する。
條枝をよじ登ってその花を折る。「意中の人に渡したい」と想うが。
芳香は懐や袖に満ちても。道は遠く、花を渡したくとも渡せない。
満開の花にいったい何の価値があるものか。ただ別れより経てきた年月を感ずるのみ。

かっては毎年花が咲くたびに、意中の人と共に、庭の木を愛でてきた。
しかし今や一人、花を懐いっぱいに採っても、見せる人はもう居ない。
どんなに花がきれいでも、一緒に「綺麗だね」って言い合える人がいないと、つまらないんだよ。

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
「孝惠帝、前漢2代目の皇帝の諱は『盈』だな。
 特に理由もないのに、前漢の作品に前漢皇帝の諱が使われるのはおかしい。後世の偽作だわ。
 他にも盈の字を使っている作品は、同様のことが言えるぞ」


其の十 迢迢牽牛星

迢迢牽牛星。皎皎河漢女。
纎纎擢素手。札札弄機杼。
終日不成章。泣涕零如雨。
河漢清且浅。相去復幾許。
盈盈一水間。脉脉不得語。

遥かなりしは牽牛の星。あきらかなるは織女の星。
かぼそき手にて、糸をひきつつ。たんとんとして機杼を弄(いら)う。
ついに一条たりとも、織り成せず。泣きて涙こぼれること、雨のごとく。
あまのがわ清くして、かつ淡く。二人の相去ること、また幾ばくか。
満ち満ちたる澄んだ河の流れ。この距離に、何も語りえず。

七夕を詠んだ漢詩のなかでは古い。(他には《詩経-小雅-大東》)
【弄機杼】機杼をいじる。機杼は、機織道具。
維基だと、脉脉は「脈脈」になっている。

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
「孝惠帝、前漢2代目の皇帝の諱は『盈』だな。
 特に理由もないのに、前漢の作品に前漢皇帝の諱が使われるのはおかしい。後世の偽作だわ。
 他にも盈の字を使っている作品は、同様のことが言えるぞ」


其の十一 迴車駕言邁

迴車駕言邁。悠悠涉長道。
四顧何茫茫。東風搖百草。
所遇無故物。焉得不速老。

盛衰各有時。立身苦不早。
人生非金石。豈能長壽考。
奄忽隨物化。榮名以為寶。

+ 単語解説
【東風】春風、春になって新芽が出る

【邁】あしをふみだす、突き進む、老いる

車をめぐらせ牛馬に引かせ、さぁ走り出そう。悠々と長道を渡るのだ。
四方を見渡せば何とも延々と果てしなく。東風は緑なす百草を揺らし。
会うところに故(ふる)き物はなく。どうして生命は速やかに老いずにいられるだろうか。

盛衰おのおの時あり。身をたて名をあげることの早からざる(難しさ)に苦しむ。
人生は金石にあらず。どうして老後を考えるのか。
命は天に随いたちまち移り化すもの。ただ栄名をもって実を残そう。

馬車による景色の流れと、人生(《古詩源(国デジ)》だと出仕)の時の流れを重ね合わせている様子。


其の十二 東城高且長

東城高且長。逶迤自相屬。
迴風動地起。秋草萋已緑。
四時更変化。歲暮一何速。
晨風懐苦心。蟋蟀傷局促。
蕩滌放情志。何為自結束。

燕趙多佳人。美者顏如玉。
被服羅裳衣。當戸理清曲。
音響一何悲。絃急知柱促。
馳情整巾帯。沈吟聊躑躅。
思為雙飛燕。銜泥巣君屋。

+ 単語解説
【逶迤】うねうねと続く、曲がりくねった

【属】つらなり

【萋】盛ん

【晨風】《詩経 秦風》内の作品。先代の招いた賢人を棄てたという秦王を皮肉ったものという。

【蟋蟀】《詩経 唐風》内の作品。礼楽を棄てた晋7代目を皮肉ったものという。 

【局促】こせこせする

【巾帯】巾はかんむり、帯はかんむりの紐

東城は高く且つ長く。長遠として相連なる。
強風が竜巻のように地を巡り。秋となれば枯れはてる。
四時は更に変化し。歲が暮れるのは何と速いことか。
「晨風」に苦心を抱き。「蟋蟀」に堅苦しさをいだく。
そんな情志は大いに洗い流せ。何が為に自らを束縛するのか。

燕趙には佳人が多く。美者の顏は玉のよう。
服の上にうすあみの裳衣を羽織り。戸に当たりて清曲を整える。
音響の一に何ぞ悲しき。絃急にして柱の促すを知る。
(楽人への)情を馳せ巾帯を整え。沈吟して僅かに進み出るも躊躇(ためら)う。
つがいの飛燕となりて。泥を銜えて君が屋に巣くわんとぞ思う。

東城を東→春を含むと解釈することも可能。建安の作品で見られる春秋描写のベースか。
「巾帯」が、維基では「中帯」(帯の中心をとめる帯?)。


其の十三 驅車上東門

驅車上東門。遙望郭北墓。
白楊何蕭蕭。松栢夾廣路。
下有陳死人。杳杳即長暮。
潜寐黄泉下。千載永不寤。

浩浩陰陽移。年命如朝露。
人生忽如寄。壽無金石固。
萬歲更相送。聖賢莫能度。
服食求神仙。多為薬所誤。
不如飲美酒。被服紈與素。

+ 単語解説
【上東門】洛陽の東三門のうち、北東にあるひとつ

【陳】久しい

【杳杳】幽暗

【長暮】終わりの無いたそがれ、長い墓路、墓中

【千載】千の史書で語られたのち。とおい未来。

【寤】うかんむりに悟る。目覚める。

【紈】しろぎぬ。goo辞典「紈」

【素】生

車を上東門に馳せて。郭北の墓を遥かに望めば。
白楊は何とも寂しげに柳絮をあらわし。松栢は広い路地を挟んでいる。
その下には、久しき昔に死せる人あり。薄暗い夕陰は長く傾き。
黄泉下の寝床に潜り。千載の末も永く目覚めることはない。

大海の波のように陰陽は移ろい。年命は朝露の如し。
人生はすなわち寄せては帰すがごとく。壽に金石の固さはなく
よろずの歲を更に相送る。聖賢の士といえど、歴史にまさることはできず
服食して、神仙の生を求めるものも。多くは薬のために身を誤った。
美酒を飲むにこしたことはない。さぁ薄絹の衣を羽織ろうか。

人は長暮の後に死して永遠に目覚めることはなく、されど生死を繰り返して、万の歴史を積み重ねてきた。
その成果は、いかな聖人の行いにもまさる。人は今を楽しみ、生を楽しみ、文化を育てていけばいい。

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
「長安の東にあるって三門だが、《水経注》を見ても『上東門』っつー名前はないんだが」
「『遙望郭北墓』のくだりについて。
 『洛陽北門の外にある邙山は、墓が多いから、北邙之墓と言う』『《河南郡圖經》で上東門は東都洛陽の城門名』って古典にあるっしょ?(中略)長安を都とした前漢の作品にしちゃおかしくね? 洛陽を都とした後漢の作品だろ?」


其の十四 去者日以疎

去者日以疎。生者日以親。
出郭門直視。但見丘與墳。
古墓犁為田。松栢摧為薪。
白楊多悲風。蕭蕭愁殺人。
思還故里閭。欲歸道無因。

+ 単語解説
【閭】路の入り口にある門。昔の行政単位。
周禮「五家為比、五比為閭(五つの家を比となし、五つの比を閭とする)」。25の家が集まった村。

去る者は日々に疎くなり。生まれる者は日々に親しくなる。
郭門を出て直視すれば。但、丘と墳とを見るのみ。
去りし者の古墓は、耕されて田畑となり。松栢はひかれて生者の使う薪となる。
白楊、悲風多し。ものさびしき愁(うれい)は、人をも殺す。
故郷の門をくぐり(生者の世界へ)還ろうと思っても。死へと至る道を逆戻りできることは決してないのだ。

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
 《詩品上》に『この作品は、四十五首』『古くは建安中に曹王がいぢったって説があった』とあるんだが。
 つらつら読むに『古詩四十五首』ってのがあって、「去者日已疏」、「客從遠方來」、「橘柚垂華實」なんかは、そっちに含まれていたんじゃね?


其の十五 生年不満百

生年不満百。常懷千歲憂。
晝短苦夜長。何不秉燭遊。
為樂當及時。何能待來茲。
愚者愛惜費。但為後世嗤。
仙人王子喬。難可與等期。

+ 単語解説
【晝】昼
【茲】これ、ここでは時を指す

人の生年は百に満たずして。常に千歲の憂いを抱く。
昼は短かく夜の長きに苦しむ。どうして燭をとり遊ばずにはおれようか。
楽しみを為すに及ぶなら、まさに今。どうして時が来るのを待つのかね。
愚か者は、けちけちと費用を惜しむが。ただ後世の嗤いものとなるだけよ。
仙人王子喬。彼と同じときを、凡人が過ごすことは難しいのだから。

関連:
西門行

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
この作品は、有名な《西門行》を、後世の人が改変した可能性もあるよ? 古辭と文選の比較をしてみようか(ry)


其の十六 凜凜歲雲暮

凜凜歲云暮。螻蛄夕鳴悲。
涼風率已厲。遊子寒無衣。
錦衾遺洛浦。同袍與我違。
獨宿累長夜。夢想見容輝。

良人惟古歡。枉駕恵前綏。
願得常巧笑。攜手同車歸。
既來不須臾。又不處重闈。

亮無晨風翼。焉能凌風飛。
眄睞以適意。引領遙相睎。
徒倚懷感傷。垂涕沾雙扉。

+ 単語解説
【率】にわかに

【洛浦】妃、美人のたとえ

【古権】昔なじみ。

【綏】車のひきなわ。
早稲田によると、「初婚の礼に、夫が新妻を迎えに行き、妻の車を御する。
このとき婦人に紐を授け、輪を御すること三周?する儀式のこと」らしい。

【闈】閨門

【晨風】ここでは鳥の別名

【眄睞】よこしまに見る

【領】くびす。きびす。足の向き。

凛々として歲は暮れ。螻蛄の夕べに鳴くや悲しき。
涼風、にわかに厲(きび)しくおこり。遊子は寒くして衣無し。
いにしえの物語に「錦衾を洛浦に遺す夫あり」というが。同じ夫婦でも、我らは違う。
独り宿のまま長夜をかさね。ついには夫の容輝を、夢に想い見る。

良き人は昔なじみに満足し。駕を引いて私を迎えに来て、前綏を譲ってくださる。
願わくば常なる巧笑を得て。手に手を取って同車にて帰らんことを。
すでに同乗したと思えば。夫は思わぬうちに去り、閨を重ねることもない。

亮らかに朝風の翼なく。どうして能く風を凌ぎ飛びされるというのか。
よこしまに見ては渇愛の情をゆるめ。あるいは領を引き遙かに愛を望む。
進退窮まり門に寄りかかっては昔を懐かしみ。涙垂れて双扉を潤す。

伝説上の、繋がりが強い夫婦は服装も暖かいが、作者の夫婦は、服装も繋がりも冷え切っている。
「古権」は、維基では「古歓」。

  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
「『錦衾遺洛浦』の地名から、後漢の作品なのは明らか」
#洛浦が後漢の地名? 錦衾遺洛浦の逸話が後漢に出来た?どちらなのか不明


其の十七 孟冬寒気至

孟冬寒気至。北風何惨慄。
愁多知夜長。仰観衆星列。
三五明月満。四五蟾兔缺。

客従遠方來。遺我一書札。
上言長相思。下言久離別。
置書懷袖中。三歲字不滅。
一心抱區區。懼君不識察。

+ 単語解説
【惨慄】ものすごく身に染み渡る

【三五】3×5=15日、満月の日
【四五】4×5=20日
【蟾兔】月に住むとされるヒキガエルかウサギのどちらか。当時はどっちだったか…まぁお好きな方で

【書札】手紙
【下】手紙の終わり
【區區】くよくよ思う

秋もいつしか過ぎ初冬となり、にわかに寒くなった。北風は吹きすさび、見もよだつほど。
冬の夜長に、悲しみはいよいよ深く。ふと仰ぎ見れば、幾万の星がまたたいている。
すぎし15日には、満月が中天に。二十日には、月の住人も隠れゆく。

遠方より、お客様がいらっしゃって。私に手紙ひとふみを残してくださった。
手紙の始めには、長く相覚えようと。手紙の末尾には、久しき離別が辛いと。
頂いた文を、懐や袖の中に大切にしまい置けば。三年たった後も字は消えることなく。
かくも私の心は、ただ一途なままであり。この思いが、夫に届かぬことを恐れるのです。

三五、四五で、時の流れを表している。
これも蔡邕?の飲馬長城窟行に影響ありか。


其の十八 客従遠方来

客従遠方来。遺我一端綺。
相去萬餘里。故人心尚爾。
文彩雙鴛鴦。裁為合歡被。
著以長相思。縁以結不解。
以膠投漆中。誰能別離此。

遠方よりお客様がいらっしゃって。私にひとおりの綺羅布を残してくださった。
相去ること万里を超え。故に人のこころも、またかくの如し。
あや絹の模様を見れば、鴛鴦がむつまじく並んでいる。私はこれを二つに裁ちきって、相被せよう。
この行為をもって長い相思の心を表し。縁を縫うときは頑丈に結び、糸がほつれぬようにしよう。
私たちの仲は、膠と漆を合わせた様に硬く。誰に、私たちを別れさせることができましょうぞ!

  • コメント
 鴛鴦(おしどり)は、愛の比喩。
 並んでいるオシドリのオスとメスを重ねあわせ、膠よりも硬く、きつく縫いつけよう、という作。
 単純に読めば、遠くから送られた布をどうしようかと、あれこれ考える婦人の姿。

 問題は、「尚爾」を「(おしどりのように)昔のまま」と読むか、「互いの身が遠く離れたように、心もまた遠く離れた」と読むか。
 《古詩源(国デジ)》では、夫との愛、および夫が帰宅した後の合歓を予想した漢詩であるとする。
 早稲田は意訳した上で、「愛に焦がれるあまり狂気に陥りながら、なおも品の良さを失っていない作品」と解釈している。

 膠(にかわ)、漆(うるし)がやや唐突かもしれないが、膠を漆に投じたものは固いため、敗れやすい布と固い漆の比較と考えられる。
 あるいは、詩の内容を「布で着物を作る」というより、「夾紵(きょうちょ)」の手法と解釈する手もある。
 古代、大陸から日本に渡った漆加工技術のひとつに、夾紵という、麻布を貼り重ねた生地に漆を塗る手法がある。

「本来は使わない綺羅布を生地に、夾紵の作品を作る。すぐに汚れ破れてしまう綺羅布を、永遠にとどめ置くために」
「愛に破れ、まともな理性もなく、せめて布を遺そうとあがく様」

 ちなみに夾紵については、日本でも遺跡から夾紵による棺が出土していた(と思う)し、奈良時代になると「そく(土塞)」という仏像製作技術などに進化する。こうした古代技術の中には、現代では失われた技術もあったりする。


  • 《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈抄訳
 《詩品上》に『この作品は、四十五首』『古くは建安中に曹王がいぢったって説があった』とあるんだが。
 つらつら読むに『古詩四十五首』ってのがあって、「去者日已疏」、「客從遠方來」、「橘柚垂華實」なんかは、そっちに含まれていたんじゃね?


其の十九 明月何皎皎

明月何皎皎。照我羅牀幃。
憂愁不能寐。攬衣起徘徊。
客行雖云樂。不如早旋歸。
出戶獨彷徨。愁思當告誰。
引領還入房。淚下沾裳衣。

+ 単語解説
【羅牀幃】羅綺で作った、寝床を覆うとばり
【攬】とる。かかぐる。手探りでつかむ。…この漢字であっているかどうか自信ない。
【領】くびす。きびす。足の向き。
【愁思】愁は愁眉などに使う。うれい嘆きの思い。

明月はこうこうと照り輝き。我が寝床のとばりを照らす。
憂愁のあまり、寝ることもかなわず。衣を手探って、起きて徘徊する。
夫はひとり旅を楽しんでいるかもしれないけど。帰りの早いに越したことはない。
戸を出でて、独りさまよって。この愁思を、誰に告げればよいのか。
きびすを返して、寝床に帰れば。おちる涙はらはらと、裳衣をぬらす。

旅に出た夫が、早く帰ってこないものか。
夜中に独り、愛を求め月下をさまよう。

関連:
詠懐詩(阮籍)


解説


 古詩十九首は、戦国時代末期から前後の両漢をへて、たくさん生まれた古詩のうち、文選に載せられた19篇のこと。
 従って作成年代はどれと言えず、もともとは19篇ですら無い可能性もある。

 作成者、作成時期ともに、諸説ある。
 諸説については、それぞれの作品に、《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》の注釈を訳して付記した。注釈の細かいニュアンスは、原本参照のこと。

 なお、台湾では、複数の作者による作品という説もある。
 以下、《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》の注釈より、一部適当訳

《古詩十九首》の内容は複雜であり、一時代に作成されたものではないと見るのが自然であろう。さらに、だれか個人が作った作品というわけでもない(沈德潛説)。作者を枚乗というのも疑わしい。文選の代表編者である蕭統がこの作者の姓名を「無名氏」としたのも、李陵より前に編集された古い作品に対し、結論を保留するという意味合いがあるのではないか。徐陵による《玉臺新詠》では古詩のうち九首が枚乗の作品としているが、これは確定情報ではない。
(略)
各人による考証で、根拠を挙げて疑われた作品は、《古詩十九首》のうち十四首にもなる。かつ《十九首》の表現方法は、前漢の四言詩などに見られる表現方法といささか異なる。魏晋詩のように対偶法を重んじてはいないが、句法や調法に一定の規範があり、音節も比較的流暢である。
我々の意見としては、後漢代になると中国の文人による五言詩の作成技術はいったん衰退するが、前漢の景帝、武帝の時代に成立した《十九首》のように成熟した作品は、その後も自然と継続して発展したのだろう。後漢二百年のあいだ中断はされても絶えることなく、建安や黄初年間に至り、(前漢の文学もまた)再び復興したものと考える。

 古典によると、古詩十九首は曹魏の作品ではないかと疑われていたり、あるいは曹魏の作品そのものと考えられていた感がある。

陸機所擬十四首、文温以麗、意悲而遠、驚心動魄、可謂幾乎一字千金、其外『去者日以疎』、四十五首雖多哀怨、頗為総雑。舊疑是建安中曹王所製。『客従遠方来』、『橘柚垂華實』,亦為驚絶矣。人代冥滅,而清音獨遠、悲夫。
(陸機が擬する所の十四首、文は温にして麗、意は悲にして遠く、心を驚かし身体を動揺させる、その大半を一字千金と謂うべし。
 其の外『去者日以疎』、四十五首は哀怨多しといえども、色々なことを読み込んだ集大成である。
 かって、これらは建安中に曹(、)王が所製したものではないかと疑われていた。『客従遠方来』、『橘柚垂華實』、また驚くべき内容だ。
 人も代も冥滅して、しかるに清音もひとつ遠ざかってしまった、それは悲しいことだ)

《文心雕龍義證-明詩-第六-詩體源流及歴代大家(台湾)》注釈
《文鏡秘府論‧論文意》引皎然《詩議》提出的看法不同,其中説:「建安三祖、七子,五言始盛,風裁爽朗,莫之與京.然終傷用氣使才,違于天真,……而露造跡.」皎然《詩式》:「鄴中七子,陳王最高.劉楨辭氣偏,王得其中.不拘對屬,偶或有之,語與興驅,勢逐情起,不由作意;氣格自高,與《十九首》其流一也.」

 この《十九首》が古詩十九首のことであれば、ここに並ぶ作品は、建安文学の支流ということになる。
 以上のことから、前漢代に作られた複数の作品が、長い間(特に曹魏の代)に選択・編集・改変されて、最終的に文選のスタイルになったと思われ。


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最終更新:2019年03月04日 21:16