「野田黄雀行」


高樹多悲風 海水揚其波
利剣不在掌 結交何須多
不見籬間雀 見鷂自投羅
羅家得雀喜 少年見雀悲
抜剣捎羅網 黄雀得飛飛
飛飛摩蒼天 来下謝少年

訳「野田黄雀行」

高樹悲風多く、海水はその波を揚げる
利剣が手になければ、いかにして多くと親交をむすぶ
竹垣のすずめが見えぬか、鷹を見てみずから網に身を投ず
狩人はすずめを得て喜び、少年はすずめを見て悲しむ
剣を抜き網を払えば、すずめは飛翔せるを得る
飛び飛びて蒼天に至り、戻り来ては少年に感謝した

「箜篌引」

出典:《宋書》野田黄雀行

其の一

置酒高殿上,親交從我游。
中廚辦豐膳,烹羊宰肥牛。
秦箏何慷慨,齊瑟和且柔。
陽阿奏奇舞,京洛出名謳。
樂飲過三爵,緩帶傾庶羞,
主稱千金壽,賓奉萬年酬。

其の二

久要不可忘,薄終義所尤。
謙謙君子德,磬折欲何求。
盛時不再來,百年忽我遒。
驚風飄白日,光景馳西流。
生存華屋處,零落歸山丘。
先民誰不死,知命復何憂!

訳「箜篌引」

其の一

高殿の上に酒を置き、親しき友らは我に従い游ぶ。
中廚に豊膳を準備し、羊を煮て肥牛を捌く。
秦箏のなんと慷慨なること、齊瑟は和にして且つ柔なり。
陽阿は奇舞を奏し、京洛に名謳を出す。
樂しく3杯を飲み過ごし、帯を緩めては馳走をさらに傾ける。
主は千金の寿を褒め称え、賓客は萬年の報酬を返し奉る。

其の二

古き約束忘るべからず、終りを薄うするは義の尤(とが)める所。
君子の徳とはへりくだるものという、腰を低くして何を求めんと欲するのか。
驚風は白日を飄(ひるがえ)し、光景馳せて西に流る。
盛んな時は二度と戻らず、百年忽ち我に遒(せま)る。
生存すれば華屋に住みて、零落しては山丘に帰る。
古人誰ぞ死なからん、命を知り復た何をか憂う!



【秦箏何慷慨】秦人13絃の箏に巧みなり。秦地方の、怒り嘆きを表現した意気盛んな曲。
【齊瑟和且柔】斉地方の瑟。秦とは反対に、調和した、やわらかい響きの曲。
【陽阿】古代倡優の名
【三爵】3杯。爵は中国古代の温酒器。
【緩帶】帯を緩める
【庶羞】多種のおいしい食べ物

【久要】昔に交わした約束
《論語_憲問》「何必然、見利思義、見危授命、久要不忘平生之言、亦可以爲成人矣」など
【薄終義所尤】超意訳: 義が「竜頭蛇尾イクナイ!」ってとがめる
【謙謙】謙は「控えめにする」
【磬折】立ったまま腰を深く折り曲げる形式のお辞儀
【驚風飄白日】突風は太陽を西へと傾かせる
【華】華やかな金銀玉など
【先民誰不死】先民は古人。《春秋左氏傳/定公》「將焉用生.人誰不死.吾死莫矣.乃縊而死」


コメント


  • 「箜篌引」について
 前半は人の世の華やかな宴会、後半は人の世を無視してうつろう、天候と時間の描写。
 前半と後半を対比した上で、最後に、「己の死期を悟っていれば、何を憂うことがあるのか」としめる。

 台湾の宋書では《野田黄雀行》としているが、後世では《箜篌引》とよばれるもの。
 また、台湾宋書では、「盛時不再來,百年忽我遒」、「驚風飄白日,光景馳西流」の順番が逆。

 なお、最後の一文「先民誰不死」は、後世にも似たような文章がある。
 有名なものが、南宋の文天祥「零丁洋詩」の末尾。のちに日本の明治維新時、白虎隊の一人が切腹前に読み上げた漢詩として有名。

「人生自古誰無死,留取丹心照汗青」(人生いにしえより誰ぞ死なからん。丹心を留取して汗青を照らさん)

 この「置酒」も文天祥「零丁洋詩」に影響をおよぼしたのであれば、七言詩を表した曹丕と古詩聖曹植の兄弟は、千五百年の時を超え、幕末の日本にすら影響している。

野田黄雀行と箜篌引を同じ項目においた理由について


 《宋書_楽志》では、「野田黄雀行、空侯引亦用此曲(『箜篌引』は『野田黄雀行」の曲を用いる』」とある。
 しかしWiki(2012/5/13時点)によると、箜篌は晋代に西域から中国に伝来したとある。
 wikiが事実とすると、曹植の時代に箜篌は存在しなかったことになる。
 この矛盾については、次の2パターンが考えられる。

  • 1 日本語版wikiが間違っており、魏代には、既に伝来していた
  • 2 「箜篌」というタイトルが、後世の創作(晋楽諸奏)である

1 日本語版wikiが間違っており、魏代、既に伝来していた場合


 「Wikiの間違い」については、ざっと調べただけでも《舊唐書_音樂志二_八音之属(台湾)》に「箜篌、漢武帝使樂人侯調所作、以祠太一」、「豎箜篌 、胡樂也、漢靈帝好之」、つまり、前漢の武帝期には中国にあったか、もしくは武帝が楽人を使って調べさせたことで中国に伝わったということになる。
 さらに「箜篌」=「空候」とすると、漢書や風俗通にも記述がある。

《漢書•郊祀志》
其春、既滅南越、嬖臣李延年以好音見。上善之、下公卿議、曰:「民間祠有鼓舞樂、今郊祀而無樂、豈稱乎?」公卿曰:「古者祠天地皆有樂、而神祇可得而禮。」或曰:「泰帝使素女鼓五十絃瑟、悲、帝禁不止、故破其瑟為二十五絃。」於是塞南越、祷祠泰一、后土、始用樂舞。益召歌兒、作二十五絃及空侯瑟自此起。

《風俗通_声音_空侯》
謹按《漢書》:孝武皇帝賽南越、祷祠太乙後土、始用樂人侯調、依琴作坎坎之樂、言其坎坎應節奏也、侯以姓冠章耳。
或説:空侯取其空中。琴瑟皆空、何調(*1)坎侯耶、斯論是也。詩雲:坎坎鼓我。是其文也。
(*1 調の字が独の場合もある)

《通典》
箜篌、旧制依琴制、今按其形似瑟而小、七弦、用撥弾之如琵琶也。

 こう書かれているにもかかわらず、Wikiが正史を無視するのは、おそらく二つの理由によると考えられる。

  • 同じ古典でも、書籍によって、それぞれ矛盾する内容の起源説があるため、信憑性が疑われること。
《世本•作篇》には「古代中国における空国の侯名をとった」とあり、《漢書》では「漢代の皇帝が作らせた」とあり、《風俗通》では「孝武皇帝」または「空中から取った名前」であり、《舊唐書》では「漢武帝が作らせた」とある。
参考:
百度百科「箜篌」の項(リンク・中国サイト
[中国音楽史学会論文?「臥箜篌起源」考(リンク・中国サイト

  • 新彊ウィグル自治区のザグルック古墓群(建設時期は、前且末国時代、且末国時代、後漢から魏晋時代)から竪箜篌が出土していること。リンク

 上記の理由から、wikiは「墓建設時期のうち、もっとも新しい晋代には中国に伝来していたとみられる」と言っているのではないか。
 いずれにせよ、「晋代、箜篌が西域から中国に伝わった」説については、出典が欲しいなぁ。中国サイトをざっと調べた限りじゃ名前・形式ともに諸説あるみたいだし、少なくとも素人じゃ判らんと思うの。

2 「箜篌」というタイトルが、後世の創作である場合


 「箜篌引」のタイトルが「後世の創作」であれば、古くとも晋による編纂(晋楽諸奏)時につけられた、ということになる。
 その場合、「箜篌引」と呼ばれる作品の、本来のタイトル(というか呼び方)は何だろうか?

候補1:「箜篌引」
候補2:本来は「置酒(野田黄雀行)」と呼ばれていた(《宋書_楽志》による)
候補3:「箜篌引」も、「野田黄雀行」の一部だった

 問題は、「箜篌引」の形式が後世の改ざんによるものであれば、この説は成立しない。

 いずれにせよ、現時点では野田黄雀行と箜篌引の間に何の繋がりもないと否定できない以上、まとめて一つの項目に置きます。



最終更新:2019年01月31日 06:20