原文

(出典元は、すべて国立国会図書館のデジタルデータによる)

七歩詩ー1

出典:《旧注蒙求(唐代,世説新語から引用とする)》、《古文真宝(宋末)》、《漢魏六朝百三名家集(漫叟詩話から引用とする)》版
  • 本文
 煮豆燃豆箕。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。(四句)

 豆を煮るにあたり、豆殻を燃料に使用した。すると、豆は釜の中で泣きながら言った。
「もともと一つの根っこから生じたのに、どうしてこうも急に煎りつけるのか」

七歩詩ー2

出典:《文選(隋唐)》李善注 版
  • 本文
(世説日:魏文帝令陳思王七歩成詩。詩日:)
 箕在竈中燃。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。(四句)

 豆殻は竈の中で燃え。豆は釜の中で泣いている。
「もともと一つの根っこから生じたのに、どうしてこうも急に煎りつけるのか」

七歩詩ー3

出典:《補註蒙求(南宋)》《古詩源》《漢魏六朝百三名家集》版
  • 本文
 (煮豆持作羹。濾鼓以為汁。)箕在釜中然。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。(六句)

 豆を煮てあつものと作し。醗酵した豆を漉して汁と為す。豆殻は釜の下にありて燃え。豆は釜の底にありて泣く。
 もとは同じ根から生まれたのに。なぜそうも激しく煎りつける。

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【東阿王】陳思王。曹植。
【鼓】日本でいう味噌の一種
【箕在釜中然】「箕在」を「箕向」、もしくは「萁」、「釜中然」を「釜下然」とする説あり。然は「燃」で焚く、燃やす。箕は豆殻。
【本是同根生】豆殻も、豆も、元々は同じ豆の木から生まれた


コメント

 この作品は、短編にもかかわらず、出典元によって内容も違う。
 まずは、文学スレまとめから引用(該当ページへのリンク)。

A>初出の『世説新語』の時点で六句まるごと他人の作だよ説や、
B>『文選』の李善注にある後の四句だけが真作だよ説、
C>後の四句だが真作で、しかも三旬日は本当は×萁在釜下燃→◎煮豆然豆萁だよ説など、諸説あるようですね。

次に、《古文真宝》の考証を、明治時代の訳を一部現代語に直した上で引用。
原文版《古文真宝》/明治時代の訳《古文真宝:註釈和解.前上(国デジ)
「曹子建の七歩にして詩を作る」の逸話については、魏志本伝は之を載せていない。

《旧注蒙求》に掲載されている「陳思七歩」註は、《世説》を引用して、
「魏の文帝、嘗て陳思王をして、七歩に詩を作らしむ。成らざれば当に法を行うべし。即ち聲に應じて日く。
『豆を煮て(我が国伝える所の古釋本焼燃に依る)豆の箕を焼く。豆釜中に在りて泣く。もと同根より生ずるに。相い煎ずること何ぞ太(はなは)だ急なる。』帝は慙づる色有りき」
古文真宝では、是に従っている。

《補註蒙求》も、また同じ《世説》を引用した上で、詩に
『豆を煮て、もって羹を作る。鼓を濾して以って汁と為す。箕は釜中に在りて燃える。豆は釜中に在りて泣く。本は是同根より生る。相い煎ること何ぞ太だ急なる。』という六句をあげている。

今本《世説》及び注では共に、この条を脱す(《世説新語補》には陳思七歩云々敬字がある)。従ってこの件を考証するにも、土台となる書がない。
しかるに、補註蒙求の成立はすべからく、遠く旧注蒙求の後にある。すなわち補註よりも古い旧注に掲載された内容が、実際に古くに作られたと考えるべきだ。

また、《文選》に掲載された北斉の任彦昇「竟陵文宣王行状」の中に、『陳思七歩』と称せられる句が登場する。
(准南取貴於食時,陳思見稱於七歩,方斯蔑如也)。
《文選》李善注は、この部分の註釈として七歩詩を引用しているが、内容は旧注に同じで、ただ起句(煮豆然豆箕)が、『箕在竃中燃』に依る。
ならば、李善注の詩四句は、李善が生きた隋唐代、唐詩の伝えるところの旧聞であり、六句というのは、補註蒙求の作者が伝える、「異聞」であるものと考える。

 ここで言う《旧注蒙求(国デジ)》は、唐の李瀚が自分で編集・注釈した《古注蒙求》のこと。
 《補註蒙求(国デジ)》は、上記の《古注蒙求》に、南宋末の徐子光が註釈を追加したもの。

 このうち、《古注蒙求》は中国に現存せず、《補註》のみが伝わる。したがって、中国で明代~現代に作成された文集(清沈徳潜《古詩源》のケース)の場合、《補註》をベースにしている資料もあると考えられる。

 さて、引用した古文真宝注における、
今本《世説》及び注の共に、この条を脱す(《世説新語補》には陳思七歩云々敬字がある)

 この「今本世説」とは何か?
 現存最古の唐代の世説新語こと《世説新書》では、該当部分が散逸しているため、内容が判らない。
 現存する世説新語には、陳思七歩が掲載されている。
世説新語(国デジ。江藻(1079・1154))
~為詩日。煮豆持作羹、漉豉以為汁。箕在釜下燃、豆在釜中泣。本自同根生、相煎何太急。帝深有慚色。

 「今本世説」の今が、宋末・元初(黄堅の時代)を指すのであれば、散逸した《世説》には、七歩詩が掲載されていなかった可能性もある。
 つまり、世説新書の七歩詩自体が、後世の偽作となる。
 「A>初出の『世説新語』の時点で六句まるごと他人の作だよ説」の根拠の一つになる。

 しかし《古注蒙求》より古い唐初の『文選』李善注には、《世説》からの引用として「箕在竃中燃」で始まる四句が掲載されている。
 「B>『文選』の李善注にある後の四句だけが真作だよ説」の根拠の一つになる。

《旧注蒙求(唐代)》《古文真宝(宋末)》《漫叟詩話》の説をとるならば、
「C>後の四句だけが真作で、しかも三旬日は本当は×萁在釜下燃→◎煮豆然豆萁だよ説」となる。
漫叟詩話のコメントを視る限り、当時の世に伝わっている形式だと、Cの「煮豆然豆萁」になるらしいし。

 リストにすると、以下のとおり。
 それぞれの出典が作成された時代については考察していないので正解とは言えないが、おおまかな雰囲気はわかるかと。

  出典    内容   引用元 
魏志本伝 掲載なし  ? 
世説新書(中国南北朝・劉宋) 不明(該当部分、現存せず)  ? 
文選・李善注(隋唐) 箕在竈中燃。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。  ? 
旧注蒙求(唐) 煮豆燃豆箕。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。  世説 
世説新語(中国・趙宋) 煮豆持作羹、漉豉以為汁。箕在釜下燃、豆在釜中泣。本自同根生、相煎何太急。  ? 
補註蒙求(趙宋末) 煮豆持作羹。濾鼓以為汁。箕在釜中然。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。  世説 
古文真宝(趙宋末-元初) 煮豆燃豆箕。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。 旧注蒙求
漢魏六朝百三名家集(明) 煮豆持作羹。濾鼓以為汁。箕在釜中然。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。 ? 
漢魏六朝百三名家集(明) 煮豆燃豆箕。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。 漫叟詩話(趙宋)
古詩源(清) 煮豆持作羹。濾鼓以為汁。箕在釜中然。豆在釜中泣。本是同根生。相煎何太急。 補註蒙求

 いずれにせよ全てが後世の記録であり、実態を論じるには、晋代から六朝時代にかけての資料が少なすぎる。
 晋六朝時代の記録が欠落した作品は偽作扱いされることがあるが、この七歩詩も同じ経歴をたどっている。




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最終更新:2019年01月31日 06:22