あなたの瞳に映るのは

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あなたの瞳に映るのは - (2008/09/22 (月) 21:53:20) のソース

「それじゃ、お先~」
 比呂美がかばんを手に朋与に声をかける。
「あ、比呂美、どこか寄ってかない?」
「あ……ごめん、今日踊りの稽古があるの。だからちょっと」
「あ、そうか。いいよいいよ、気にしないで」
 朋与が自分が悪かった、というように手を振る。そして自分の席でまだ帰り支度をしている眞一郎に向かって、
「ほら、早くしないと先行くわよ」
 と、まるで自分が待たされているかのように言った。
 今年も麦端祭の季節が近づいてきた。祭のハイライトは言うまでもなく青年部有志による踊りだが、今年はもう一つ「目玉」があった。
 三年に一度、女子有志による女踊りが併せて行われ、今年はその女踊りの年に当たるのである。
 そして、その女踊りの花形として比呂美が選ばれたのである。
「しかしよく引き受けたわね、比呂美。バスケで十分身体動かしてその上女踊りだなんて。断れなかったの?」
「おばさんからも心配されたけど、稽古のスケジュールもかなり私に合わせてもらってるし、それは大丈夫」
「仲上君と一緒なら疲れなんて感じないし?」
「うん」
 比呂美の即答に朋与が思わず苦笑する。
「それに、部活の方も私はキャプテンを信頼してますから」
「おう、任とけ」
 朋与がぐいっ、と胸を反らす。二人は同時に吹き出した。
「楽しみだなあ。去年の仲上君、凄く格好よかったもん。今年はもっと格好よくなるんじゃない?」
 あさみが眞一郎に話しかける。虎の尾を踏むに等しい行為だが、本人に自覚はない。
「そんな、格好いいなんて・・・・」
 照れ隠しか、頭を掻きながらもまんざらでもなさそうな眞一郎。目の前からどす黒いオーラの発生を確認した朋与が機転を利かせる。
「ホント楽しみよねえ。もしかして麦端祭の歴史でも夫婦で花形なんて初なんじゃない?」
 暗黒が霧散する。
「朋与、馬鹿なこと言わないの」
「そ、そうだよ黒部さん。夫婦なんてまだ――」
「まだ?」
「まだ?」
 朋与とあさみが同時に反応し、教室に残っていた生徒がざわめく。眞一郎は更に顔を赤くするが、今更遅い。
「あ、いや、これは……」
「これは?」
「つまり……えーと…………」
 眞一郎は横目で比呂美を見る。恥ずかしそうに俯いているが、何と言うか聞き耳を立てて
いるのはすぐにわかった。
(すまん、比呂美。後でフォローする)
「……まだそんな間柄じゃないよ」
 視界の隅で比呂美が小さく肩を落とす姿が見えた気がした。
「なーんだ、つまんない答え」
 あさみが不満の声を上げる。眞一郎を格好いいと公言しているが、別に恋愛感情は存在しないのだ。
「じゃ、いつかそんな間柄になるのかな~、ん?」
 朋与がなおも追求するが、気のせいか目に殺気が込められているような気がした。眞一郎は早々に退散すべきと判断した。
「お待たせ、さ、行こう、比呂美」



 女踊りの稽古を終えた比呂美が眞一郎の様子を見に行くと、まだ眞一郎は稽古をしていた。差し入れを持って来ていた愛子の隣に座り、稽古を見守る事にする。
「はい、比呂美ちゃん、お疲れ様」
 愛子がお茶を淹れて差し出す。
「ありがとう。いただきます」
 比呂美はお茶を受け取って一口。稽古後の渇いたのどには丁度いい、適度に温めのお茶である。
「お稽古、どう?」
 愛子が比呂美に訊ねる。
「んー、最初は少し大変だったけど、もう今は平気よ。身体の今まで使わなかった部分を使うから、体幹がしっかりしてくるの」
「ふーん」
 普段からほとんどの部分を使わない愛子には、感覚的に理解する事が出来ない。
「それに、こうして眞一郎くんの稽古を見てられるのも嬉しいし」
「そうか、比呂美ちゃん、去年は来なかったもんね」
 その代わり、去年は石動乃絵が来ていた。愛子はそれを思い出したが、比呂美がその事を知っているかが不明だったので、何も言わなかった。その代わり、もっと当たり障りのない話題にした。
「それで、ご感想は?」
「とても一所懸命にやってる。眞一郎くんの真剣な顔、大好き」
 好きという言葉が自然に出てくる。
「……そっか」
 愛子もそれだけを言って稽古を見つめる。愛子の目から見ても、眞一郎は去年とは段違いに真剣だった。
 去年感じられたやらされている感は完全に消失し、一挙一動にキレがある。目にも迷いはなく、去年の祭り当日の集中力、緊張感を今年は稽古から維持しているようだった。
「ねえ、比呂美ちゃん」
 愛子は再び比呂美に話しかける。
「はい?」
「どうして女踊り、引き受ける気になったの?断ることも出来たでしょ?」
 町内会で女踊りの人選が議題に上り、比呂美の名前が挙げられた時、出席していた理恵子は難色を示したと、父親から聞いていた。体育会系の部活で、しかも副主将を務める比呂美に、踊りの稽古は体力的にもスケジュールの面でも厳しいというのが理由だった。結局、稽古日をバスケ部の活動日と重ねないよう調整する事で妥結したのだが、理恵子の言う通り、部活を理由にすれば断る事は難しくなかったはずなのである。
「おばさんの顔を立てたの?」
「ううん、そういうんじゃないの。ただ――」
 比呂美は再び眞一郎に視線を戻す。
「私も、同じ世界を視れるんじゃないかと思ったの」
「同じ……世界?」
「うん……上手く言えないんだけど、眞一郎くんの視ているもの、視えているものが、少しでもわかるかな、と思ったの」
 比呂美の言葉は非常に抽象的、観念的だった。それでも、愛子には、比呂美の想いがわかる気がした。
「……それで、視えそう?」
 愛子の問いに比呂美は静かに首を振る。
「まだわかんない。でも、麦端祭が終わるまでに、ほんの少しでも視えたらいいなと思う」
「…………そうなると、いいね」
「うん」
 それ以上は何も言わず、二人は稽古を見つめていた。



「乃絵、明日の麦端祭、一緒しない?」
 日登美が言った。
 麦端祭は一年のクライマックスであり、都会に比べれば娯楽に乏しい市民にとって、老若を問わぬイベントである。乃絵は土着の人間ではないが、既に二年以上麦端に住んで祭の事も知っており、当然明日も祭りに繰り出すと日登美は思っていたのだが、乃絵はこの誘いを聞くと困ったような表情になり、
「ごめん、私、行かないかもしれない」
 と答えた。
 日登美と桜子は顔を見合わせると、
「どこか悪いの?」
 乃絵は首を振って
「ううん、そういうわけじゃないんだけど」
「人ごみが嫌?」
「そんな事ない」
「じゃあ――」
「日登美」
 桜子が日登美の袖を引っ張る。桜子を見た日登美は桜子の表情を見て、何かを気付いたようだった。
「あ……それじゃ、乃絵、気が向いたら携帯にかけて。すぐ迎えに行くから」
「うん。ありがと」
 日登美と桜子が去った後、乃絵はため息を吐いた。彼女らしくもない事である。
 桜子が気付き、日登美が察した事情は、半分だけ正解である。二人は、乃絵の前で口に出す事こそなかったが、噂程度には眞一郎と乃絵、比呂美の間に起きた事を聞いていた。
 今年はその二人が共に花形として舞台に上がる。乃絵の中ではとっくに整理のついた想い出の一つに過ぎないが、それでもそれを観た時、自分がどうなるか予想がつかなかった。
 そして、二人が知らない話。一年前の麦端祭の夜。乃絵は、敬愛する兄の秘めた想いと苦悩を知った。乃絵はその日、自分が見ていると思っていたものが実は何も視えていなかった事、理解っていると思っていたことが実は単なる独りよがりな思い込みに過ぎなかった事、そのために大勢の人を傷つけていた事を思い知らされたのだった。
「こうして考えると、何もいい事なかったのよね」
 呟いて、思わず自嘲の笑みが漏れる。一年前には自分が自嘲の笑みなど浮かべるとは思ってもみなかったし、あの日の事を想いだしてどんな形であれ笑う事が出来るなど半年前には想像も出来なかった。
 やっぱりやめよう。わざわざ二人の前に姿を見せて、また湯浅比呂美の心を乱したくない。それを心配する眞一郎も見たくない。



 乃絵が鶏小屋に行くと、三代吉が地べたを眺めていた。
 そのまま近づくと、三代吉が気付いて振り返る。
「おう、邪魔してるぜ」
「いいわよ、別に私の家でもないし」
 そのまま三代吉の隣に行くと、しゃがみこんで地べたにグミの実を差し出す。
「まだ食わせてたのか、それ?」
 三代吉が訊いた。興味を惹いたというより、間が持たないから話しかけたという感じだ。
「うん、もう地べたに飛んで欲しいと思ってるわけじゃないけど」
 乃絵と三代吉はそれほど親しいわけではない。むしろ疎遠と言ってもいい。だが何故か、乃絵はこの男を無条件に信用していた。自他共に認める眞一郎の親友に対し、眞一郎の面影を見ているのかもしれない。
「……また」
「ん?」
「屋台、出るの?」
 訊いてから後悔した。さっきの日登美の誘いが頭に残ってたかもしれない。
「…………出ねえ。多分」
「何故?」
「色々あんだよ」
 三代吉は詳しい説明をするつもりはないようだった。その代わり、流れ上当然の質問を返してきた。
「あんたは見に来るのか?」
「……わかんない。行かないと思う」
「そっか」
 それきりまた黙る。
「理由を訊かないの?」
「なんとなくわかる」
 確かにそうだろう。
「――まだ気持ちが残ってるわけじゃないの」
 一人で話し始める。
「でも去年、私を見て、湯浅比呂美は泣いたの。もう邪魔しないでって。学校では顔を合せてももう平気だけど、あそこで逢ったら違うかもしれない。そんな事で不安にさせたくないし、私も気も遣いたくないし」
 自分の言葉が適切に心情を表していない事が不満だった。しかし、他に言葉が思い浮かばない。
 三代吉は黙ったまま餌を食べる地べたを見つめていた。暫くして、ようやく口を開いた。
「去年とはもう違うだろ」
「それは、そうだけど」
「湯浅だけじゃない、あんたもさ」
 初めて、乃絵が三代吉の方を向いた。
「私?」
「こいつが飛べなくてもいいと思えるようになったんだろ」
 三代吉は地べたから目を離さない。
「眞一郎も、湯浅も、あんたも去年と違う。なら、去年と同じ事は起こるわけないだろう。そう思わない?」
 乃絵は答えない。つまり、否定する材料がないという事である。
「始まった場所に戻るのは、自分の成長を計るには一番いい、とこの前人から聞いた」
「……一番いいところで他人の受け売り?」
「これ以上気の利いた事言えるほど長生きしてねえよ」
 三代吉は面白くもなさそうに言い返した。
「……邪魔したな。帰るわ」
 三代吉はそれだけ言った。柄にもない事を言って居心地が悪くなったように見えた。
「うん」
 乃絵もそれしか言わなかった。



「もうすぐ出番ね」
 部屋に入ってきた比呂美が言った。着ている白と黒のシンプルな着物は女踊りのための衣装だ。
「ああ」
 比呂美は眞一郎の隣に座り、彼の手に手甲を着けてあげる。去年と同じ行動、一種儀式めいた行いだ。
「似合ってるよ、比呂美」
 去年との違いは、眞一郎に比呂美の着物姿を褒める余裕がある事か。比呂美はわずかに頬を染めた。
「先に出てるから見ていてくれ。今年は、お前のために踊るから」
「うん、そうしたら、その後は」
「ああ、お前の踊り、一番前で見るよ」
「……うん」
 手甲を付け終わると、比呂美は刀を手に取り、眞一郎に手渡す。眞一郎は立ち上がると刀を受け取り、腰に差す。
「行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
 眞一郎は部屋を出ようとして、思い直したように振り返った。
「比呂美」
「え?」
 比呂美が顔を上げると、眞一郎が包み込むように抱きしめてきた。
「大丈夫か?」
 眞一郎が訊く。
「――うん、少し、落ち着いた」
 比呂美の手が眞一郎の背中に回る。
「でも、もう少しだけ、勇気を分けて欲しい……かな?」
 眞一郎は少しだけ驚いた顔貌を見せたが、すぐに優しい微笑を浮かべると、比呂美に唇を重ねた。
「――勇気、出た?」
「――うん、たくさん」
 比呂美の微笑に見送られ、眞一郎は部屋を出た。



 乃絵は祭りに来ていた。
 三代吉の言葉に思うところがあったわけではない。
 ただ、観てみたくなった。
 一年経った眞一郎の踊りを。そして、眞一郎と共に歩み始めた比呂美の今を。
「やっぱりもう少し前に……」
 比呂美と顔を会わせる事を避けるため、眞一郎の踊りは観衆の後ろから観ていた。しかし、遠くからでは、背も高くない乃絵にはあまりにも見え辛かった。せめて、比呂美の踊りはもっとよく見える位置で観たい。
 この混雑の中、前進するのは簡単ではなかった。もみくちゃになりながら何とか最前列に出た時、もう女踊りは始まっていた。
 比呂美は花形として、舞台中央で踊っていた。光と陰をモチーフとした振袖に、男踊りと同様笠を手に舞う姿は、乃絵の目にも美しかった。
 比呂美は踊りが進むに連れて、この一年の記憶が駆け抜けていった。不安に押し潰されそうになった去年の麦端祭、その後の眞一郎からの告白、交際――それから今までの間にも全く不安がなかったわけではない。今でも眞一郎の全てが理解できるわけではない。この花形を引き受けたのも少しでも眞一郎に近づきたいと思っての事だった。
 実際に舞ってみて、比呂美は自分の心の一部が眞一郎と繋がった気がした。眞一郎の視ていた世界の一端を、確かに視たと確信した。少なくとも一歩、眞一郎に近づいていた。
 去年の眞一郎がそうだったように、踊っている比呂美の瞳には、たった一人の姿が映されていた。それに気付いた乃絵が会場を見渡すと、衣装のままの眞一郎の横顔を見つけた。
 眞一郎を映す比呂美の瞳。
 比呂美だけを見つめる眞一郎の瞳。
 これほどの会場、これだけの観衆の中で、二人は二人だけが共有する世界にいた。
 それは、乃絵にはおそらく視る事が出来ない世界だった。
「…………素敵よ、二人とも」
 乃絵は呟く。眞一郎は間違いなく飛び立つための場所を得、比呂美は眞一郎の道標として大地から見守っていた。それは乃絵があの絵本を読んで以来、心の隅で望んでいた風景だった。
 冬の夜空を背景に、比呂美は踊る。強く、気高く。


                  了


ノート
流石堂さんのブログのイラストからインスピレーションを得て書いた話です。流さんの繊細な絵の魅力を表現するにはあまりにも力不足ですが、精一杯頑張ってみました。
あのイラストを見たときに感じたのは、舞う比呂美とそれを見つめる眞一郎、二人の瞳にはお互いの姿だけが映されていて、その二人を見守るもう一つの視点が欲しいと思い、前年の麦端祭の一方の主役、乃絵を出してみました。結果として乃絵の物語のようになってしまいましたが(汗)
現実的にはバスケ部の比呂美に踊りに出ろというのは少し酷な話なので、周りが推薦しても比呂志も理恵子も本人には勧めないと思います。比呂美の側に自分から花形を務めたいという強い動機が必要だと思ったので、その辺はフォローしています。どちらかというと乃絵を祭りに引っ張り出す方に苦労したかな?乃絵にとってはつらい想い出の多い日なので。
三代吉が愛子の屋台を手伝わないと言ってるのは、キャプテンと愛子と修羅場真っ最中の頃だから。この辺は少しづつ書いていきます。
ツールボックス

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