ある日の比呂美5

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前[[ある日の比呂美4]] 眞一郎の口から吐き出された息が、一瞬だけ彼の周りを白く染めて、すぐに消える。 「……寒っ」 ブルッと身体を震わせて、手の平で肩の辺りを擦ってみるが、コートの上からではあまり効果は無かった。 ……比呂美の部屋の前で彼女を待って、もう一時間になる。 夕食には来ないだろうと思っていたが、こんな時間までどこにいるのだろう…… ……何かあったら……と心配になる。 だが、電話には多分出てくれないだろうし、闇雲に探し回っても出逢える確率は低いだろう。 (ここで帰ってくるのを待つしかない) 筒状になっているコートの襟に首を埋め、壁にもたれ掛かったその時、ポケットの中で携帯が暴れだした。 (! ……比呂美) 急いでそれを取り出し、開いてみる。 しかし、画面に表示されていた文字は「着信 野伏三代吉」だった。 落胆しつつ、通話ボタンを押す。 「……もしもし」 《眞一郎。お前、今どこに居んだよ》 三代吉の声は不機嫌で、電波の向こう側の態度は、明らかに喧嘩腰だ。 どこでもいいだろう、と返す眞一郎だったが、三代吉は引き下がらない。 《どこに居るって聞いてんだよ!》 「…………」 ……まぁ、三代吉と喧嘩してまで隠すことではない。 そう思った眞一郎は、比呂美の部屋の前で彼女を待っていることを、素直に話した。 《……なんだよ……そうなのかよ……》 三代吉の態度が急に柔らかくなり、「だったら、まぁ、別に」などと話し方がトーンダウンしていく。 一体、何なんだ?と眞一郎が訝しんでいると、電話の向こう側が騒がしくなった。 《ちょ、愛子…よせって……》 《いいから貸しなさいっ!》 愛ちゃんが隣にいるのか……と思った瞬間、受話口から凄まじい絶叫が響いた。 《こらあああ!!しんいちろおおおおっ!!!》 反対の耳まで突き抜ける愛子の怒鳴り声。脳みそが振動するような錯覚を、眞一郎は覚えた。 《あんたっ!比呂美ちゃん泣かせたら……ウチの店、出入り禁止だかんねっ!!》 何故、自分が比呂美を悲しませていることを知っているのか?とは思ったが、 延々と続く愛子の説教を聞いていると、そんな事はどうでも良くなってしまった。 ……三代吉と愛子が、自分と比呂美を心配してくれている…… それだけは、ちゃんと理解できたから。 《眞一郎!聞いてんのっ!! ……ちょっと、三代吉っ…まだ終わってな………》 どうやら三代吉が携帯を取り返したようだ。 《お~い。耳、大丈夫か?》 普段と同じ三代吉の声。その後ろから聞こえる愛子の怒声。……なんだか勇気づけられる。 「三代吉…………ありがとな……」 ヘヘッと照れくさそうに笑ってから、三代吉は「俺たち『親友』だろ?」と言って電話を切った。 (…………ありがとな……二人とも……) 携帯を畳んでポケットに戻す。 待っている間はそれを握り締めて、勇気を少し分けてもらおう…… そう眞一郎は思った。     カン  カン  カン  カン スチール製の階段を登ってくる足音が聞こえる。 眞一郎が視線を廊下の奥に向けるのと同時に、そこに少女の影が現れた。 「…………眞一郎くん……」 無視されることを覚悟していた眞一郎は、比呂美が普通に自分の名を呼んでくれたことが嬉しかった。 と同時に、こちらを見つめる瞳の輝きに驚く。 いつもの比呂美に……いや、一年前に竹林で出逢った比呂美に戻っている。 「…………比呂美……」 今朝、生徒玄関の前ですれ違ってから今までの間に何があったのか……それは分からない。 でも、今の比呂美なら、自分の話を聞いてくれる……受け入れてくれる。 朋与とちゃんとするまで、全部は話せないけど……今、話せることは言わなきゃならない。 ………… 眞一郎は壁から身体を起こすと、近づいてくる比呂美に正面から向き合った。 相手の雰囲気が違うな、と感じたのは眞一郎だけではない。 比呂美もまた、目の前の眞一郎が、昨夜、自分の前から逃げ出した彼とは違うことに気づいていた。 「合鍵あるんだから、入って待ってればいいのに」 「…………」 眞一郎は黙って首を横に振った。 ……そうだった。眞一郎はそんな無神経な事が出来る人間ではない。 鍵を開けて「入ったら?」と誘っても、眞一郎は応じなかった。 「今日は……ここで」 「…………そうね……」 シチューの材料が入った袋だけを中に入れ、再び扉を閉めると、比呂美はそこに寄り掛かった。 「何?」 わざわざ来たのだ。話が……大事な話があるのだろう…… 比呂美は眼で眞一郎を促した。 刹那の躊躇いの後、眞一郎の唇が動く。 「明日、朋与と会ってくる」 視線を絡ませた状態で放たれたその言葉が、比呂美の鼓動を急激に早める。 ……覚悟していたことなのに…… やはり、気持ちを完全に制御するのは難しい。 「……うん……」 そう短く返事をするのが精一杯…… それでも、比呂美は視線を逸らさなかった。 「ちゃんと答えを出してくる。……今は…それしか言えない」 比呂美は嬉しかった。 朋与に会って答えを出す…… この短い言葉を告げる為だけに、眞一郎が自分を待っていてくれた事が。 時々間違ったり迷ったりしても、『仲上眞一郎』は『湯浅比呂美』に、ちゃんと向き合ってくれる…… それを、改めて確認できた事が…… だから自分も言わなければならない。『湯浅比呂美』が何を望み、どう行動するのかを…… ………… 「……一つお願いがあるの」 「?」 呼吸を整えてから、比呂美は今の想いを解き放つ。 「どんな答えでもいいの。答えが出たら……私にも言いに来て。待ってるから」 「……比呂美……」 「…………待ってるから……」 比呂美の顔には、何の色も無かった。涙も、笑顔も、苦しみも無い……透きとおった表情…… この決意に色を塗ることは反則だ…… 比呂美はそう思った。 朋与のシュートを邪魔したくない。卑怯な真似をしてはいけない。 眞一郎にもその気持ちは伝わったようだった。 「うん」とだけ返してきた眞一郎の顔もまた、内に秘めた感情を隠しているように見える。 ………… 鎖のように絡み合った視線を、無理矢理に引き千切る二人。 眞一郎はそれ以上喋ることは無く、無言で階段の方へ向かっていった。 遠ざかっていく背中を、比呂美は見つめる。……帰ってこないかもしれない背中を…… (シチューは……明日にするから……) 心の中でそう呟き、目を閉じてささやかな『願掛け』をする。 (帰ってきて)……そんな切ない想いを込めて…… ………… 「比呂美!」 その声にハッとして、比呂美は閉じていた目を開いた。廊下の端……階段の手前で眞一郎がこちらを見ている。 「……行ってきます……」 「!」 鼓膜を通して心へと響く、何気ないその言葉。 『行ってきます』…… 当たり前の挨拶が、比呂美には重い意味を持っていた。 (……だめ……泣いちゃ…………だめ……) 反則だ……フェアじゃない…… そう思っても、涙腺はいうことを聞いてはくれなかった。 溢れ出す涙と共に、比呂美の唇から漏れ出す『当たり前の挨拶』………… 「……行って……らっしゃい……」 小さな……とても小さな声で紡がれた想いは、眞一郎の耳に届いただろうか? 顔を伏せて階段を降りていった眞一郎の様子からは、それを推し量ることは出来なかった。 一人その場に残された比呂美は、また瞼を閉じて『想い』を心の中で唱えはじめる。 (……待ってる……私……待ってるから……) 離れていく眞一郎の気配…… カン、カン、と鉄の階段が打ち鳴らされる音が消えるまで、比呂美はその場から動かなかった。 つづく
前[[ある日の比呂美4]] 眞一郎の口から吐き出された息が、一瞬だけ彼の周りを白く染めて、すぐに消える。 「……寒っ」 ブルッと身体を震わせて、手の平で肩の辺りを擦ってみるが、コートの上からではあまり効果は無かった。 ……比呂美の部屋の前で彼女を待って、もう一時間になる。 夕食には来ないだろうと思っていたが、こんな時間までどこにいるのだろう…… ……何かあったら……と心配になる。 だが、電話には多分出てくれないだろうし、闇雲に探し回っても出逢える確率は低いだろう。 (ここで帰ってくるのを待つしかない) 筒状になっているコートの襟に首を埋め、壁にもたれ掛かったその時、ポケットの中で携帯が暴れだした。 (! ……比呂美) 急いでそれを取り出し、開いてみる。 しかし、画面に表示されていた文字は「着信 野伏三代吉」だった。 落胆しつつ、通話ボタンを押す。 「……もしもし」 《眞一郎。お前、今どこに居んだよ》 三代吉の声は不機嫌で、電波の向こう側の態度は、明らかに喧嘩腰だ。 どこでもいいだろう、と返す眞一郎だったが、三代吉は引き下がらない。 《どこに居るって聞いてんだよ!》 「…………」 ……まぁ、三代吉と喧嘩してまで隠すことではない。 そう思った眞一郎は、比呂美の部屋の前で彼女を待っていることを、素直に話した。 《……なんだよ……そうなのかよ……》 三代吉の態度が急に柔らかくなり、「だったら、まぁ、別に」などと話し方がトーンダウンしていく。 一体、何なんだ?と眞一郎が訝しんでいると、電話の向こう側が騒がしくなった。 《ちょ、愛子…よせって……》 《いいから貸しなさいっ!》 愛ちゃんが隣にいるのか……と思った瞬間、受話口から凄まじい絶叫が響いた。 《こらあああ!!しんいちろおおおおっ!!!》 反対の耳まで突き抜ける愛子の怒鳴り声。脳みそが振動するような錯覚を、眞一郎は覚えた。 《あんたっ!比呂美ちゃん泣かせたら……ウチの店、出入り禁止だかんねっ!!》 何故、自分が比呂美を悲しませていることを知っているのか?とは思ったが、 延々と続く愛子の説教を聞いていると、そんな事はどうでも良くなってしまった。 ……三代吉と愛子が、自分と比呂美を心配してくれている…… それだけは、ちゃんと理解できたから。 《眞一郎!聞いてんのっ!! ……ちょっと、三代吉っ…まだ終わってな………》 どうやら三代吉が携帯を取り返したようだ。 《お~い。耳、大丈夫か?》 普段と同じ三代吉の声。その後ろから聞こえる愛子の怒声。……なんだか勇気づけられる。 「三代吉…………ありがとな……」 ヘヘッと照れくさそうに笑ってから、三代吉は「俺たち『親友』だろ?」と言って電話を切った。 (…………ありがとな……二人とも……) 携帯を畳んでポケットに戻す。 待っている間はそれを握り締めて、勇気を少し分けてもらおう…… そう眞一郎は思った。     カン  カン  カン  カン スチール製の階段を登ってくる足音が聞こえる。 眞一郎が視線を廊下の奥に向けるのと同時に、そこに少女の影が現れた。 「…………眞一郎くん……」 無視されることを覚悟していた眞一郎は、比呂美が普通に自分の名を呼んでくれたことが嬉しかった。 と同時に、こちらを見つめる瞳の輝きに驚く。 いつもの比呂美に……いや、一年前に竹林で出逢った比呂美に戻っている。 「…………比呂美……」 今朝、生徒玄関の前ですれ違ってから今までの間に何があったのか……それは分からない。 でも、今の比呂美なら、自分の話を聞いてくれる……受け入れてくれる。 朋与とちゃんとするまで、全部は話せないけど……今、話せることは言わなきゃならない。 ………… 眞一郎は壁から身体を起こすと、近づいてくる比呂美に正面から向き合った。 相手の雰囲気が違うな、と感じたのは眞一郎だけではない。 比呂美もまた、目の前の眞一郎が、昨夜、自分の前から逃げ出した彼とは違うことに気づいていた。 「合鍵あるんだから、入って待ってればいいのに」 「…………」 眞一郎は黙って首を横に振った。 ……そうだった。眞一郎はそんな無神経な事が出来る人間ではない。 鍵を開けて「入ったら?」と誘っても、眞一郎は応じなかった。 「今日は……ここで」 「…………そうね……」 シチューの材料が入った袋だけを中に入れ、再び扉を閉めると、比呂美はそこに寄り掛かった。 「何?」 わざわざ来たのだ。話が……大事な話があるのだろう…… 比呂美は眼で眞一郎を促した。 刹那の躊躇いの後、眞一郎の唇が動く。 「明日、朋与と会ってくる」 視線を絡ませた状態で放たれたその言葉が、比呂美の鼓動を急激に早める。 ……覚悟していたことなのに…… やはり、気持ちを完全に制御するのは難しい。 「……うん……」 そう短く返事をするのが精一杯…… それでも、比呂美は視線を逸らさなかった。 「ちゃんと答えを出してくる。……今は…それしか言えない」 比呂美は嬉しかった。 朋与に会って答えを出す…… この短い言葉を告げる為だけに、眞一郎が自分を待っていてくれた事が。 時々間違ったり迷ったりしても、『仲上眞一郎』は『湯浅比呂美』に、ちゃんと向き合ってくれる…… それを、改めて確認できた事が…… だから自分も言わなければならない。『湯浅比呂美』が何を望み、どう行動するのかを…… ………… 「……一つお願いがあるの」 「?」 呼吸を整えてから、比呂美は今の想いを解き放つ。 「どんな答えでもいいの。答えが出たら……私にも言いに来て。待ってるから」 「……比呂美……」 「…………待ってるから……」 比呂美の顔には、何の色も無かった。涙も、笑顔も、苦しみも無い……透きとおった表情…… この決意に色を塗ることは反則だ…… 比呂美はそう思った。 朋与のシュートを邪魔したくない。卑怯な真似をしてはいけない。 眞一郎にもその気持ちは伝わったようだった。 「うん」とだけ返してきた眞一郎の顔もまた、内に秘めた感情を隠しているように見える。 ………… 鎖のように絡み合った視線を、無理矢理に引き千切る二人。 眞一郎はそれ以上喋ることは無く、無言で階段の方へ向かっていった。 遠ざかっていく背中を、比呂美は見つめる。……帰ってこないかもしれない背中を…… (シチューは……明日にするから……) 心の中でそう呟き、目を閉じてささやかな『願掛け』をする。 (帰ってきて)……そんな切ない想いを込めて…… ………… 「比呂美!」 その声にハッとして、比呂美は閉じていた目を開いた。廊下の端……階段の手前で眞一郎がこちらを見ている。 「……行ってきます……」 「!」 鼓膜を通して心へと響く、何気ないその言葉。 『行ってきます』…… 当たり前の挨拶が、比呂美には重い意味を持っていた。 (……だめ……泣いちゃ…………だめ……) 反則だ……フェアじゃない…… そう思っても、涙腺はいうことを聞いてはくれなかった。 溢れ出す涙と共に、比呂美の唇から漏れ出す『当たり前の挨拶』………… 「……行って……らっしゃい……」 小さな……とても小さな声で紡がれた想いは、眞一郎の耳に届いただろうか? 顔を伏せて階段を降りていった眞一郎の様子からは、それを推し量ることは出来なかった。 一人その場に残された比呂美は、また瞼を閉じて『想い』を心の中で唱えはじめる。 (……待ってる……私……待ってるから……) 離れていく眞一郎の気配…… カン、カン、と鉄の階段が打ち鳴らされる音が消えるまで、比呂美はその場から動かなかった。 つづく [[ある日の比呂美6]]

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