僕の中の君から眼の前の君へ

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負けるな比呂美たんっ! 応援SS第14弾 『僕の中の君から眼の前の君へ』  朝から降っていた雨が少し弱まった日曜の午前、二階から戸が開く音がかすかに聞こえ、続いて比呂美が階段を下りてく る足音が聞こえた。  先日のことだ。休み時間、教室でボーっとしていると黒部がやってきた。 俺は問答無用で廊下に引っ張って行かれ、次 のようなことを告げられた。『今度の日曜、比呂美は大切な用事で出かける必要がある。 家で外出できなくなるような用 事を言いつけられそうになったら助けてやって欲しい。』との事だった。 『ホントはあんたなんかに頼らずに私が助けて やりたいんだけど。』とも言っていた。  なぜか黒部は俺に話しかけるとき、いつも苛立ちを隠そうとしない。 俺は俺で比呂美に対しての感情を見透かされてい るようでどうも苦手なのだ。 比呂美の大切な用事について訊くと不機嫌さを隠さずに『ホントならあんたは知ってなくちゃ いけない』こと、そして『比呂美には口止めされているから中身についてはいえない』とも…。  比呂美の大切な用事  俺が知っていなくてはならない事  比呂美が俺には内緒にしなければならない事  一体なんだ? 簡単なことから複雑なことまで可能性は何通りくらいかはありそうだ。 もちろん可能性はあってもそれ らのうち これだ という決め手のあるものは何もない。 だが、俺としては考えたくない可能性ならひとつだけあり、こ の話を聞かされた直後からその嫌な想像が頭から離れない。 男からの呼び出しだったりするのだろうか?もし黒部が俺の 比呂美への想いに気付いているのなら全くありえない可能性とも思えない。 ただ、黒部が俺の為を思って事前に教えてく れるとも思えん。 例によって世界は複雑に出来ているようだ。  黒部の話以降、家や学校で比呂美をそれとなく覗ってみたものの、特に変わった様子は見当たらない。 日曜当日、今朝 の食事時でさえ特に変わった様子はなかった。いつも家に居るときの控えめな比呂美に見える。  結局、雨が降っていたこともあり家の用事らしきものは本日は何もないようだ。 父は酒蔵、母は町内の会合に出ている。 そこで俺は比呂美が外出するのならばと、先程から玄関の見渡せる居間で待機していた。 比呂美の外出理由に興味があった からだ。 ダメもとで同行を持ちかけて様子をみてみる作戦である。  そんな事を回想しているうちに比呂美が居間に姿を現す。 服装はおよそデートなどといった楽しげな用向きとは思えない。 控えめな比呂美らしいいつもの格好だ。 「眞一郎くん、私、ちょっと出かけるところがあるの。」 「なんだ、お使いだったら俺も行こうか?」  事前に考えていた台詞で様子を覗う。 「ううん、眞一郎くんには関係のないことだから…」 「…。」  かすかに唇に笑みを浮かべ視線を落とす。 その表情はどこか寂しそうで何かを思いつめているようにも見受けられる。  なんだ? 比呂美は確かに無理に笑っている事も多いが、この違和感はなんだ? 「行ってきます。」  小さな声でそう告げて玄関へ向かう。  比呂美の靴を履く気配、続いて戸を開ける音、そして閉まる音を最後に静寂が戻った。 『眞一郎くんには関係のないことだから…』  この言葉が大きな壁となり俺の前に大きく立ちはだかった。 いいのか、このままで? 鼓動が高鳴った。 比呂美は確 かにいつもとどこか違った。 こんな言葉を投げかけられるのも不自然だった。 だが同時に黒部の言葉もよみがえる。『 ホントならあんたは知ってなくちゃいけないこと』と、待て、『ホントなら』ってなんだ? 俺が知っててやらなきゃいけな い『何か』を知らないって事か? なら、間違いを犯しているのは俺だ。 そして、間違いは正せばいい。 しかし比呂美は もう居ない。 先程まで目の前に居た比呂美が居ない。 俺は急に比呂美がこのまま居なくなってしまうかもしれないという 恐怖に襲われた。 眼の前が真っ暗になる。 いつの間にか鼓動は激しく高鳴っていた。  まだ、間に合う!  靴を履くのもそこそこに外に出た。  比呂美は?  どっちだ?  何かをしに行くのなら広い道に向かうはずだ。  何年も通いなれた通学路でもある。  こっちだ!  あたりをつけ走り出す。気持ちほどには言う事をきかない自分の足を呪いながら走った。  いた!  50メートルほど先に見覚えのある傘があった。  追いつくべきか、後をつけるべきか。  迷ったものの、姿を現すのは必要が生じてからでも間に合うと思い、後をつけることにした。  比呂美の後をこっそり尾行するというのはなんとも後ろめたい行為である。 これでもし男との密会だとしたら俺はただの ストーカーに成り下がる。 だが、出かける前の比呂美の表情には楽しげな雰囲気の欠片もなかったのも事実だ。 自分に言 い聞かせる、比呂美の安全に関わる事態かどうかだけ確認して引き上げればいい。  結局、比呂美は駅まで出ると列車に乗り2つ隣の駅で降りた。 今はその駅をでてしばらく歩いている。 最近は来ていな いが子供の頃に自転車で遠出できた記憶が微かにある辺りだ。  比呂美は途中花屋に立ち寄った。 花屋? 現代日本で一般的とも思えないが、デートでの花のやりとりなら普通比呂美は 貰う側だろう。 誰かのお見舞いだろうか?  そのまましばらくゆるい坂道を登り高台にたどり着く。 途中、雨は止み傘は花と一緒に比呂美の手に収まっている。 駅 を出てから30分程は歩いただろうか? 比呂美はどうやら目的地に着いたようだ。  お寺?  まさか!  ある閃きが俺を貫いた。  比呂美は石の階段を登ってゆく。 門の影に姿が消えたのを見計らい俺も後に続く。  比呂美は… 居た。  桶と柄杓を借りお墓の群れの辺りに向かっている。  日曜の所為なのか同じような人々がちらほらと見受けられる。 境内を遠く見渡せる待合所に隠れ様子をうかがう。 比呂美 はある墓の前で足を止め手を合わせているようだ。 墓の手入れをし、最後にまた手を合わせるまでには30分くらいの時間が 経過した。  比呂美が桶と柄杓を手にその場を離れたのを見計らいその墓に近寄った。 墓石には湯浅家の文字が見出せる。 間違いない。 これは比呂美の親御さんのお墓だ。 俺は自分に怒りを感じた。そういえば比呂美の親御さんの命日っていつだっけ? ウチの 仏壇に比呂美の親御さんの位牌とかなないぞ? 今までこの話題をうちで話した事は俺の記憶にある限り皆無だった。 比呂美 は一人で親御さんのお墓を守っているのだろう。 なんて事だ! なんで俺は今までこのことに思い至らなかったのか? 俺の 父や母は知っていたのか? いや、知っていながら知らない振りでもしているのだろうか? その部分は不明だが、それにして も… 親同士の確執の所為で何でその子が自分の親の墓参りに行くのにそのことを誰にも言えず肩身の狭い思いをしなければな らないのか? そして黒部は知っていたのに、何故俺は知っててやれなかった!  再び比呂美の言葉が俺の前に立ちはだかった。  『眞一郎くんには関係のないことだから…』  俺は比呂美にとってやはり他人なのだろうか? この比呂美の声が耳から離れない。  俺はこのお墓の前に立つ資格があるだろうか? 自分への怒りと比呂美の言葉への戸惑いがない交ぜになり俺に押し寄せる。 その所為だろう、気付けなかった。 「眞一郎くん!?」 「あ?」 「どうして!?」 「あの…」  眼の前に比呂美が戻ってきていた。 比呂美を目の前にしてこれほどの居心地の悪さを感じた事はかつてない。  『眞一郎くんには関係のないことだから…』  この言葉が今度は俺の体の自由を奪った。 動けない。 言葉も出ないという体験を俺は今生まれて始めて体験している。 「どうして…」  比呂美も驚いて俺を凝視している。 「ごめん!」  意味など考えずに慌てて頭を下げた。 今はとにかくこれしか言えなかった。 「眞一郎くん、どうしてここに居るの?」 「ごめん。」  顔をあげて比呂美の顔を見る勇気がない。 「この場所は誰も…」 「…。」  俺は比呂美に罵られることを覚悟した。 「ねえ、眞一郎くん…、どうして?」  比呂美の声はくぐもってはいるが怒気は感じない。 おかしいと思い顔をあげる。 比呂美は驚きの表情のまま両手を口元に あて立ち尽くしている。 何を話すか一瞬迷ったが本当のことをいうことにした。 「実は、今日、比呂美が外出する事になるだろうから家の用事とか邪魔が入らないよう助けてやってくれって黒部に頼まれてた。」 「朋与が…?」 「それで… 今朝比呂美が家を出るときの様子が少しおかしい気がして… 心配で後をつけた。」 「じゃあ、家からずっと?」 「ああ、いや、正直に言う、半分は比呂美が心配だったからだ、そしてもう半分は比呂美が遠くへ行ってしまいそうで怖かった からだ」 「私が?」 「出掛ける時、俺には関係ないって言われたけど、どうしても気になった」 「…ううん、違う…」 「とにかく、どんな理由でも後をつけるなんて最低だ、ごめん!」 「…ううん、びっくりしたけど… そんなに謝らないで…」 「謝って許される事じゃないけど、ごめん!」 「別に怒ってないよ…、逆に、少し…ううん とてもうれしい、眞一郎くん心配してくれてついて来てくれたんでしょう?」 「う…ん、半分は比呂美が心配だったからだけど、半分は俺のわがままだ」 「…」 「…」 「…何から話そうか…」 「…」 「あ、これね、うちのお墓なの、父と母がここに…」 「そうか…」 「…」 「その、手を合わさせてもらってもいいか?」 「え、うん、いいよ、ありがとう」 「…」  作法とかはよく分からなかったが、俺はとにかく手を合わせた。 今日までこれなかった事、比呂美に気遣いが足りなかった 事等を心で詫びた。 「場所、変えましょうか」 「うん」  比呂美に促され少し離れた休憩所のベンチに移動し並んで座った。 屋根があるので雨の心配はない。 どう話したものか逡巡 した様子の後、やがて比呂美が話し始めた。 「この間ね、朋与に今度の日曜…今日のことね、買い物に誘われたの、だけど、行けないって断っちゃった。そしたら朋与、気が ついてくれたみたい。 今日が命日だって… それでね… 夏、お盆の時ね、お家のお手伝いとかでお墓参りに行けないって朋与 につい言っちゃった事があって… ううん、お盆の時はね 日をずらしてこれたから別にいいんだけど… 多分、それで朋与が眞 一郎くんにそんなお願いをしてくれたんだね、きっと…」 「黒部は比呂美の行き先まではしゃべったりしてないからな?」  俺は比呂美と黒部の間に誤解が生じないよう一応口にした。 「うん、分かってる、朋与、ホントかなわないなー …家を出るときの私、そんなにおかしかったかな?」 「ああ、黒部に言われて意識してたせいもあるけど、少し寂しげでこのまま比呂美がいなくなりそうな気がした」 「家出でもしそうだった?」 「可能性は考えた」 「…クスッ、家出かあ… 行くあてなんてどこにもないもん…」  今日はじめて見る比呂美の笑顔だ。 たとえそれが力のない笑顔だとしても。 「ごめんな、今まで 俺、比呂美のご両親のお墓のことなんて… 全然気付いてやれなかった…」 「眞一郎くんが謝ることなんて何にもない… そうそう、朝のね『信一郎君には関係ない』って意味はね、別に突き放すつもりで 言ったんじゃないの… 眞一郎くんには親同士のこととかそういうことには関係のない立場に居て欲しかったから… 巻き込みた くなかったから… 朋与にも眞一郎くんには内緒にしてもらってたの…」 「俺の親はこのこと知ってるのか?」  俺は気になっていることを訊いた。 「お墓の事? さあ、特にお話はしたことない…」 「じゃあ、誰も?」  やはり比呂美は一人で… 「うん、お盆の時にね、お坊さまにお話を聴いていただいて… 供養とかは気持ちが大切だからって… 言ってくれて…  今日みたいに時々来て手を合わせることくらいしかしてないけど…」  そのお坊さんに感謝だ。 「なあ、もしよければ今度から俺も一緒に来させてもらっていいか?」  押し付けがましいかもしれないと思いながらも俺は切り出した。 「え? いいの? でも、悪いよ…」 「悪いもんか、それとも俺はそんなに他人か?」 「ううん、そんな事… 嬉しいけど… 有り難いけど… 眞一郎くんに迷惑かかっちゃう…」  比呂美は泣きそうな顔で途切れ途切れに答える。 「親同士の事は関係ないって思ってくれてるんなら、俺も手伝わせてくれ」 「いいの? おばさまとかに見つかったら…」 「こそこそする必要はない、堂々としよう」 「でも…」 「大丈夫、俺が比呂美を護る、いや、俺が護りたい、駄目か?」  比呂美相手にこんなに強気に話した事などなかったはずだ。 「ううん、うれしい いいのかな?」 「ああ」 「うん」  感極まったのだろう比呂美が俺に身を寄せてきた。 比呂美の身体の熱さに俺は戸惑いを感じる。 嗚咽をこらえているせ いだろうか震えている。 人に抱きつかれた経験のない俺はこんなときどうすれば良いのか迷ったが、ゆっくりと比呂美の肩を 抱きしめてやった。 俺の手を感じたせいか少女の嗚咽は少しずつ大きくなりやがて幼子のように泣き始めた。  今、このとき腕の中で泣いている少女、昔から知っている少女、幼い日々一緒に遊んだ記憶のある少女、それが今、数年の 空白を超え再び体温を感じ、現実感を伴って帰ってきた。 こんなにも悲しみをこらえて自分のすぐ傍にいたというのに… 俺は自分の腕の中の少女を今まで護ってやりたいと思いながら現実には殆んど何もしてこなかったことを思い出た。 今まで自 分が感じていた無力感は実は他でもない俺自身が作り出していた心の壁だったに違いない。 少女を幻想か何かと思い込んでい たようだ。 比呂美は俺の腕の中でまだ泣いている。 今、受け止めている体温を持った少女を何とかしてやりたいと俺は激し く感じていた。 何故、運命はこの腕の中の少女にこうもつらく当たるのか? この少女の運命を分かち合いたいと思った。  共に手を取り歩いていきたい。 泣き続ける比呂美を抱きしめながら俺は静かに決意していた。  比呂美は俺が護る。  どのくらいの間そうしていただろうか、 「ごめんね、泣いたりして…」  比呂美が身を起こそうとして口を開いた。 「いいんだ、落ち着いた?」  身を起こそうとした比呂美を俺は少し力を込めて押しとどめる。 「え? やだ、わたしったら…」  俺に抱きしめられている事に今改めて思い至ったのだろう。 「は、恥ずかしいよ…」 「嫌か?」 「嫌じゃないけど…」 「もう少し、こうしてていいか?」 「…うん」  先ほどまでとは少し違う意味で比呂美を抱きしめている自分がいた。 何も話さず ただ抱きしめる。 比呂美も黙って身を任 せてくれている。 この少女を二度と一人にはしない。 比呂美は俺が護る。 静かで激しい複雑な感情が俺の中で生まれていた。  しばらくして、俺は名残を惜しみつつ比呂美の身体を抱きしめる手の力を緩め、ありったけの決意を動員し手を離した。 比呂 美は泣きはらした目で恥ずかしそうに俺を見上げる。 一瞬キスでもしたほうがいいのかとも思ったが、近くに人の気配はないと はいえここはお寺の休憩所だし、何より比呂美の親御さんの前だ、それにこんな感極まったときにそんな手段に訴えるのは良くな い気がした。 「行こうか?」 「うん」  比呂美を促し立ち上がる、自然に手を貸し、比呂美も自然に手を取ってくれた。そして何故かどちらもその手を離そうとはしな かった。  お寺を後にし、知らない町の知らない店で昼食を一緒に摂る。 店を出てからも自然と俺の手は相手を求めていた。 比呂美もそ うなのだろうか? 雨上がりの路を来た時よりも何故か時間をかけて歩き終え、やがて駅に着いた。 次の列車の時刻を見ると間が 悪く30分ほど時間がある。 待合室の隅に空席を求め並んで座る。 これまたどういう理由かさだかではないが二人とも絡めあっ た指先をほどこうとはしなかった。 二人とも何も話さずただ座る。 俺がこれからの事に考えをめぐらしていると、やわらかい感 触が肩にかかるのを感じた。 どうやら比呂美は眠ってしまったようだ。 比呂美の寝顔が幼子のような、安心しきったような表情 に見えるのは俺の思い過ごしだろうか。 俺は引き続き今後の事を考えながら、新しい問題を抱え込んでしまった事に気付いた。   この俺に身を預けて眠っている少女の眠りを妨げずに済ますにはどうしたら良いだろうか? 了
負けるな比呂美たんっ! 応援SS第14弾 『僕の中の君から眼の前の君へ』  朝から降っていた雨が少し弱まった日曜の午前、二階から戸が開く音がかすかに聞こえ、続いて比呂美が階段を下りてく る足音が聞こえた。  先日のことだ。 休み時間、教室でボーっとしていると黒部がやってきた。 俺は問答無用で廊下に引っ張って行かれ、 次のようなことを告げられた。『今度の日曜、比呂美は大切な用事で出かける必要がある。 家で外出できなくなるような 用事を言いつけられそうになったら助けてやって欲しい』との事だった。 『ホントはあんたなんかに頼らずに私が助けて やりたいんだけど』とも言っていた。  なぜか黒部は俺に話しかけるとき、いつも苛立ちを隠そうとしない。 俺は俺で比呂美に対しての感情を見透かされてい るようでどうも苦手なのだ。 比呂美の大切な用事について訊くと不機嫌さを隠さずに『ホントならあんたは知ってなくちゃ いけない』こと、そして『比呂美には口止めされているから中身についてはいえない』とも…。  比呂美の大切な用事  俺が知っていなくてはならない事  比呂美が俺には内緒にしなければならない事  一体なんだ? 簡単なことから複雑なことまで可能性は何通りくらいかはありそうだ。 もちろん可能性はあってもそれ らのうち これだ という決め手のあるものは何もない。 だが、俺としては考えたくない可能性ならひとつだけあり、こ の話を聞かされた直後からその嫌な想像が頭から離れない。 男からの呼び出しだったりするのだろうか? もし黒部が俺 の比呂美への想いに気付いているのなら全くありえない可能性とも思えない。 ただ、黒部が俺の為を思って事前に教えて くれるとも思えん。 例によって世界は複雑に出来ているようだ。  黒部の話以降、家や学校で比呂美をそれとなく覗ってみたものの、特に変わった様子は見当たらない。 日曜当日、今朝 の食事時でさえ特に変わった様子はなかった。 いつも家に居るときの控えめな比呂美に見える。  結局、雨が降っていたこともあり家の用事らしきものは本日は何もないようだ。 父は酒蔵、母は町内の会合に出ている。 そこで俺は比呂美が外出するのならばと、先程から玄関の見渡せる居間で待機していた。 比呂美の外出理由に興味があった からだ。 ダメもとで同行を持ちかけて様子をみてみる作戦である。  そんな事を回想しているうちに比呂美が居間に姿を現す。 服装はおよそデートなどといった楽しげな用向きとは思えない。 控えめな比呂美らしいいつもの格好だ。 「眞一郎くん、私、ちょっと出かけるところがあるの。」 「なんだ、お使いだったら俺も行こうか?」  事前に考えていた台詞で様子を覗う。 「ううん、眞一郎くんには関係のないことだから…」 「…。」  かすかに唇に笑みを浮かべ視線を落とす。 その表情はどこか寂しそうで何かを思いつめているようにも見受けられる。  なんだ? 家での比呂美は確かに無理に笑っている事も多いが、この違和感はなんだ? 「行ってきます。」  小さな声でそう告げて玄関へ向かう。  比呂美の靴を履く気配、続いて戸を開ける音、そして閉まる音を最後に静寂が戻った。 『眞一郎くんには関係のないことだから…』  この言葉が大きな壁となり俺の前に大きく立ちはだかった。 いいのか、このままで? 鼓動が高鳴った。 比呂美は確 かにいつもとどこか違った。 こんな言葉を投げかけられるのも不自然だった。 だが同時に黒部の言葉もよみがえる。『 ホントならあんたは知ってなくちゃいけないこと』と、待て、『ホントなら』ってなんだ? 俺が知っててやらなきゃいけな い『何か』を知らないって事か? なら、間違いを犯しているのは俺だ。 そして、間違いは正せばいい。 しかし比呂美は もう居ない。 先程まで目の前に居た比呂美が居ない。 俺は急に比呂美がこのまま居なくなってしまうかもしれないという 恐怖に襲われた。 眼の前が真っ暗になる。 いつの間にか鼓動は激しく高鳴っていた。  まだ、間に合う!  靴を履くのもそこそこに外に出た。  比呂美は?  どっちだ?  何かをしに行くのなら広い道に向かうはずだ。  何年も通いなれた通学路でもある。  こっちだ!  あたりをつけ走り出す。気持ちほどには言う事をきかない自分の足を呪いながら走った。  いた!  50メートルほど先に見覚えのある傘があった。  追いつくべきか、後をつけるべきか。  迷ったものの、姿を現すのは必要が生じてからでも間に合うと思い、後をつけることにした。  比呂美の後をこっそり尾行するというのはなんとも後ろめたい行為である。 これでもし男との密会だとしたら俺はただの ストーカーに成り下がる。 だが、出かける前の比呂美の表情には楽しげな雰囲気の欠片もなかったのも事実だ。 自分に言 い聞かせる、比呂美の安全に関わる事態かどうかだけ確認して引き上げればいい。  結局、比呂美は駅まで出ると列車に乗り2つ隣の駅で降りた。 今はその駅をでてしばらく歩いている。 最近は来ていな いが子供の頃に自転車で遠出できた記憶が微かにある辺りだ。  比呂美は途中花屋に立ち寄った。 花屋? 現代日本で一般的とも思えないが、デートでの花のやりとりなら普通比呂美は 貰う側だろう。 誰かのお見舞いだろうか?  そのまましばらくゆるい坂道を登り高台にたどり着く。 途中、雨は止み傘は花と一緒に比呂美の手に収まっている。 駅 を出てから30分程は歩いただろうか。 比呂美はどうやら目的地に着いたようだ。  お寺?  まさか!  ある閃きが俺を貫いた。  比呂美は石の階段を登ってゆく。 門の影に姿が消えたのを見計らい俺も後に続く。  比呂美は… 居た。  桶と柄杓を借り石塔の群れの辺りに向かっている。  日曜の所為なのか同じような人々がちらほらと見受けられる。 境内を遠く見渡せる待合所に隠れ様子をうかがう。 比呂美 はある墓の前で足を止め手を合わせているようだ。 墓の手入れをし、最後にまた手を合わせるまでには30分くらいの時間が 経過した。  俺は比呂美が桶と柄杓を手にその場を離れたのを見計らいその墓に近寄った。 そして墓石に『湯浅家』の文字が刻まれてい るのを確認した。 間違いない。 これは比呂美の親御さんのお墓だ。 俺は自分に激しい怒りを感じた。 そういえば比呂美 の親御さんの命日っていつだ? ウチの仏壇に比呂美の親御さんの位牌とかはないぞ? 今までこの話題をうちで話した事は俺 の記憶にある限り皆無だった。 比呂美は一人で親御さんのお墓を守っているのだろう。 なんて事だ! なんで俺は今までこ のことに思い至らなかったのか? 俺の父や母は知っていたのか? いや、知っていながら知らない振りでもしているのだろう か? その部分は不明だが、それにしても… 親同士の確執の所為で何でその子が自分の親の墓参りに行くのにそのことを誰に も言えず肩身の狭い思いをしなければならないのか? そして黒部は知っていたのに、何故俺は知っててやれなかった!  再び比呂美の言葉が俺の前に立ちはだかった。  『眞一郎くんには関係のないことだから…』  俺は比呂美にとってやはり他人なのだろうか? この比呂美の声が耳から離れない。  俺はこのお墓の前に立つ資格があるだろうか? 自分への怒りと比呂美の言葉への戸惑いがない交ぜになり俺に押し寄せる。 その所為だろう、気付けなかった。 「眞一郎くん!?」 「あ?」 「どうして!?」 「あの…」  眼の前に比呂美が戻ってきていた。 比呂美を目の前にしてこれほどの居心地の悪さを感じた事はかつてない。  『眞一郎くんには関係のないことだから…』  この言葉が今度は俺の体の自由を奪った。 動けない。 言葉も出ないという体験を俺は今生まれて始めて体験している。 「どうして…」  比呂美も驚いて俺を凝視している。 「ごめん!」  意味など考えずに慌てて頭を下げた。 今はとにかくこれしか言えなかった。 「眞一郎くん、どうしてここに居るの?」 「ごめん。」  顔をあげて比呂美の顔を見る勇気がない。 「この場所は誰も…」 「…。」  俺は比呂美に罵られることを覚悟した。 「ねえ、眞一郎くん…、どうして?」  比呂美の声はくぐもってはいるが怒気は感じない。 おかしいと思い顔をあげる。 比呂美は驚きの表情のまま両手を口元に あて立ち尽くしている。 何を話すか一瞬迷ったが本当のことをいうことにした。 「実は、今日、比呂美が外出する事になるだろうから家の用事とか邪魔が入らないよう助けてやってくれって黒部に頼まれてた。」 「朋与が…?」 「それで… 今朝比呂美が家を出るときの様子が少しおかしい気がして… 心配で後をつけた。」 「じゃあ、家からずっと?」 「ああ、いや、正直に言う、半分は比呂美が心配だったからだ、そしてもう半分は比呂美が遠くへ行ってしまいそうで怖かった からだ」 「私が?」 「出掛ける時、俺には関係ないって言われたけど、どうしても気になった」 「…ううん、違う…」 「とにかく、どんな理由でも後をつけるなんて最低だ、ごめん!」 「…ううん、びっくりしたけど… そんなに謝らないで…」 「謝って許される事じゃないけど、ごめん!」 「別に怒ってないよ…、逆に、少し…ううん とてもうれしい、眞一郎くん心配してくれてついて来てくれたんでしょう?」 「う…ん、半分は比呂美が心配だったからだけど、半分は俺のわがままだ」 「…」 「…」 「…何から話そうか…」 「…」 「あ、これね、うちのお墓なの、父と母がここに…」 「そうか…」 「…」 「その、手を合わさせてもらってもいいか?」 「え、うん、いいよ、ありがとう」 「…」  作法はよく分からなかったが、俺はとにかく手を合わせた。 今日までこれなかった事、比呂美に気遣いが足りなかった事等を 心で詫びた。 「場所、変えましょうか」 「うん」  比呂美に促され少し離れた休憩所のベンチに移動し並んで座った。 屋根があるので雨の心配はない。 どう話したものか逡巡 した様子の後、やがて比呂美が話し始めた。 「この間ね、朋与に今度の日曜…今日のことね、買い物に誘われたの、だけど、行けないって断っちゃった。そしたら朋与、気が ついてくれたみたい。 今日が命日だって… それでね… 夏、お盆の時ね、お家のお手伝いとかでお墓参りに行けないって朋与 につい言っちゃった事があって… ううん、お盆の時はね 日をずらしてこれたから別にいいんだけど… 多分、それで朋与が眞 一郎くんにそんなお願いをしてくれたんだね、きっと…」 「黒部は比呂美の行き先まではしゃべったりしてないからな?」  俺は比呂美と黒部の間に誤解が生じないよう一応口にした。 「うん、分かってる、朋与、ホントかなわないなー …家を出るときの私、そんなにおかしかったかな?」 「ああ、黒部に言われて意識してたせいもあるけど、少し寂しげでこのまま比呂美がいなくなりそうな気がした」 「家出でもしそうだった?」 「可能性は考えた」 「…クスッ、家出かあ… 行くあてなんてどこにもないもん…」  今日はじめて見る比呂美の笑顔だ。 たとえそれが力のない笑顔だとしても。 「ごめんな、今まで 俺、比呂美のご両親のお墓のことなんて… 全然気付いてやれなかった…」 「眞一郎くんが謝ることなんて何にもない… そうそう、朝のね『信一郎君には関係ない』って意味はね、別に突き放すつもりで 言ったんじゃないの… 眞一郎くんには親同士のこととかそういうことには関係のない立場に居て欲しかったから… 巻き込みた くなかったから… 朋与にも眞一郎くんには内緒にしてもらってたの…」 「俺の親はこのこと知ってるのか?」  俺は気になっていることを訊いた。 「お墓の事? さあ、特にお話はしたことない…」 「じゃあ、誰も?」  やはり比呂美は一人で… 「うん、お盆の時にね、お坊さまにお話を聴いていただいて… 供養とかは気持ちが大切だからって… 言ってくれて…  今日みたいに時々来て手を合わせることくらいしかしてないけど…」  そのお坊さんに感謝だ。 「なあ、もしよければ今度から俺も一緒に来させてもらっていいか?」  押し付けがましいかもしれないと思いながらも俺は切り出した。 「え? いいの? でも、悪いよ…」 「悪いもんか、それとも俺はそんなに他人か?」 「ううん、そんな事… 嬉しいけど… 有り難いけど… 眞一郎くんに迷惑かかっちゃう…」  比呂美は泣きそうな顔で途切れ途切れに答える。 「親同士の事は関係ないって思ってくれてるんなら、俺も手伝わせてくれ」 「いいの? おばさまとかに見つかったら…」 「こそこそする必要はない、堂々としよう」 「でも…」 「大丈夫、俺が比呂美を護る、いや、俺が護りたい、駄目か?」  比呂美相手にこんなに強気に話した事などなかったはずだ。 「ううん、うれしい いいのかな?」 「ああ」 「うん」  感極まったのだろう比呂美が俺に身を寄せてきた。 比呂美の身体の熱さに俺は戸惑いを感じる。 嗚咽をこらえているの だろうか比呂美の身体は震えている。 人に抱きつかれた経験のない俺はこんなときどうすれば良いのか迷ったが、ゆっくり と比呂美の肩を抱きしめてやった。 俺の手の感触を合図にしたかのように少女の嗚咽は少しずつ大きくなり、やがて幼子の ように泣き始めた。  今、俺の腕の中で泣いている少女、昔から知っている少女、幼い日々一緒に遊んだ記憶のある少女、それが今、数年の空白 を超え再び体温を感じ、現実感を伴って帰ってきた。 こんなにも悲しみをこらえて自分のすぐ傍にいたというのに… 俺は 自分の腕の中の少女を今まで護ってやりたいと思いながら現実には殆んど何もしてこなかったことを思い出た。 今まで自分 が感じていた無力感は実は他でもない俺自身が作り出していた心の壁だったに違いない。 少女を幻想か何かと思い込んでい たようだ。 比呂美は俺の腕の中でまだ泣いている。 今、受け止めている体温を持った少女を何とかしてやりたいと俺は激 しく感じていた。 何故、運命はこの腕の中の少女にこうもつらく当たるのか? この少女の運命を分かち合いたいと思った。  共に手を取り歩いていきたい。 泣き続ける比呂美を抱きしめながら俺は静かに決意していた。  比呂美は俺が護る。  どのくらいの間そうしていただろうか、 「ごめんね、泣いたりして…」  比呂美が身を起こそうとして口を開いた。 「いいんだ、落ち着いた?」  身を起こそうとした比呂美を俺は少し力を込めて押しとどめる。 「え? やだ、わたしったら…」  俺に抱きしめられている事に今改めて思い至ったのだろう。 「は、恥ずかしいよ…」 「嫌か?」 「嫌じゃないけど…」 「もう少し、こうしてていいか?」 「…うん」  先ほどまでとは少し違う意味で比呂美を抱きしめている自分がいた。 何も話さず ただ抱きしめる。 比呂美も黙って身を任 せてくれている。 この少女を二度と一人にはしない。 比呂美は俺が護る。 静かで激しい複雑な感情が俺の中で生まれていた。  しばらくして、俺は名残を惜しみつつ比呂美の身体を抱きしめる手の力を緩め、ありったけの決意を動員し手を離した。 比呂 美は泣きはらした目で恥ずかしそうに俺を見上げる。 一瞬キスでもしたほうがいいのかとも思ったが、近くに人の気配はないと はいえここはお寺の休憩所だし、何より比呂美の親御さんの前だ、それにこんな感極まったときにそんな手段に訴えるのは良くな い気がした。 「行こうか?」 「うん」  比呂美を促し立ち上がる、自然に手を貸し、比呂美も自然に手を取ってくれた。そして何故かどちらもその手を離そうとはしな かった。  お寺を後にし、知らない町の知らない店で昼食を一緒に摂る。 店を出てからも自然と俺の手は相手を求めていた。 比呂美もそ うなのだろうか? 雨上がりの路を来た時よりも時間をかけて歩き終え、やがて駅に着いた。 次の列車の時刻を見ると間が悪く3 0分ほど時間がある。 待合室の隅に空席を求め並んで座る。 これまたどういう理由かさだかではないが二人とも絡めあった指先 をほどこうとはしなかった。 二人とも何も話さずただ座る。 俺がこれからの事に考えをめぐらしていると、やわらかい感触が肩 にかかるのを感じた。 どうやら比呂美は眠ってしまったようだ。 比呂美の寝顔が幼子のような、安心しきったような表情に見え るのは俺の思い過ごしだろうか。 俺は引き続き今後の事を考えながら、新しい問題を抱え込んでしまった事に気付いた。   この俺に身を預けて眠っている少女の眠りを妨げずに済ますにはどうしたら良いだろうか? 了 ●あとからあとがき 5話まで視聴済み 本編では眞パパが居るのでこんな事はないのでしょう。 でも現実にはお墓参りひとつ表立って出来ない立場の人たちは少なくありません。 眞一郎に一歩踏み出して欲しくて書きました。

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