after tears これからのことを2

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 家に帰ると比呂美はすぐ仕事に駆り出された。  眞一郎としては特にすることもないので、とりあえず今日の小テストの復習をすることにした。  しかし、ものの5分も机に向かっただけで早速壁にぶつかってしまう。  教科書を広げ自分なりに奮戦してみるが、理解できないことのほうが多かった。 (答え合わせ聞いとけばよかった…)  今となっては後の祭りなのだが、自業自得だから仕方ない。 (後で比呂美に教わるか……)  何度も思うが人頼みなのが(それも自分の彼女に)なのがなんとも情けない。  眞一郎は自己嫌悪のため息をつくと、シャーペンをノートの上に投げ出し、肘をついた二の腕に頭をのせて机に突っ伏した。  視線の先には、寄せておいたスケッチブックや色鉛筆と一緒に一枚のA4用紙があった。  『今回は残念ながら、不採用になりました。』  いつぞやの不採用通知と全く同じコピー品。  それが、“雷轟丸と地べたの物語”に下された評価だった。  あれから眞一郎はもう一度“雷轟丸と地べたの物語”を描き直した。  この話は乃絵のために描いた、乃絵に捧げた絵本。  お互いが新しく一歩を踏み出すきっかけになった大切な思い出の品だ。  それを他の人に見せるのは乃絵に申し訳ない気持ちもあったのだが、どうしても他の人の意見も知りたかった。  間違いなく現時点での、自分に出来うることの全てを注ぎ込んだものに違いなかったからだ。  それだけに期待も大きかった。  いい知らせが来ると信じていた。  だから、結果を知ったときには愕然たる思いだった。  絵本作家になりたい。  そうやって生活できたらどれだけ幸せだろう。  同時に思う。  自分は絵本作家になれるのだろうか?   なれるだけの実力が、才能があるのだろうか?  夢を追い続けるのは悪いとは思わない。  ただ、いつまで追い続けてゆけるのだろう?  大人になって、社会人になったときに、夢だけ追い続けるわけにはいかないだろう。  何年、何十年経って、夢を叶えられなかったときに、比呂美は側にいてくれるのだろうか?   (……また同じこと考えてた)  そう、最近は一人になるとこんなことばかり考えている。  言い訳をすれば、今回のテストもそのせいで集中できていなかった。  不安な将来ばかりが付きまとい、絵本に関してもずっとスランプで、アイディアはあってもいざ筆を取るとそこから形にすることが出来ないでいた。  こんな挫折を味合うのは別に初めてじゃない。  ただ、今までとは環境が変わってしまった。  眞一郎が立ち上がって窓の外を見ると、ちょうど父親が酒蔵に入って行くところだった。  そしてそのまま、色々なことを思い巡らせては酒蔵を見つめ続けていた。  ────  眞一郎は酒蔵の入り口に立って建物を見上げた。   思えばここに来ることは無意識に避けていたような気がする。  敷地内の半分以上を占めるこの酒蔵は、自分が苦手とする父親の象徴そのものでもあった。  しかし、その父親と同じように麦端踊りの花形を勤め上げ評価されたことに、わずかでも自信がついた今は、敷居をまたぐことに気後れは薄れていた。  中に入ると、奥の方に何かの装置を覗き込む啓冶の姿が見えた。  酒屋の息子として、製造過程くらいは一通りわかるが、その間の細かい作業までは知らない。いや、知ろうとしてこなかったというのが正しいかもしれない。  何か声をかけようと思うのだが、気の利いた言葉が思い浮かばない。この辺はまだまだなのかなと眞一郎は自嘲した。 「どうした?」  そんな眞一郎に気付いた啓冶の方が声をかけた。 「ん……勉強してたんだけど、気分転換にちょっと」 「それにしてはめずらしいな」  寡黙な父親が少し笑ったように見えたのは眞一郎の気のせいだろうか?  少し休憩するかと、啓冶はどこからか缶ジュース持ってきて眞一郎に渡すと、比呂美に一人暮らしがしたいと告げられたあの階段に二人で座った。  普段から必要以上の会話のない二人なだけにしばらく沈黙が続いていたが、意を決して眞一郎から話しかける。 「親父はさ、何か他にやりたいこと……って言うか、なりたいものとかあった?」  啓冶は少し考え込み、 「……そうだな、警察官だとか野球選手とか。小学生が文集に書くような漠然としたものだがな」 「俺くらいの頃は?」 「その頃にはここを継ぐことを考えてたな」 「そっか……」  ジュースを一口飲む啓冶に対し、眞一郎は缶を両手で握ったまま視線を落とす。  広い空間なだけに、二人が黙ってしまうととても静かに感じる。  父親と二人きりという状況も相まって、眞一郎は手足が固まってしまうような微妙な緊張感が身体を支配するのを感じた。  それでも、これを振り払わなければもう一歩踏み出せないのも分かっている。 「俺……今のままでいいのかなって……やっぱりここを継ぐべきじゃないかな……?」  仲上の家に生まれてきたのなら酒蔵を継がなくてはいけないのかもしれない。  ただ他にやりたいことがあった。それだけのことだ。  だから、今まで啓冶に対して酒蔵のことを自分から口にすることは無かった。  それだけに、眞一郎は勇気を振り絞ったつもりだった。 (……これでいいんだ)  自分を納得させるように心で呟く眞一郎。  だが、啓冶は眞一郎の心理を見抜いて言い放った。 「逃げるなよ」 「え?……」 「お前がここを継いでくれるというのは素直に嬉しい。少なくともこの仕事を認めてくれたということだからな。  ただ、逃げ場として選ぶのは止めろ。それはお前のためにならない」 「……………………」  眞一郎は黙り込むしかなかった。  絵本作家になりたい。だがその保障は無い。  酒蔵を継げば少なくとも絵本作家よりは将来は保障される。   安易な考えと言われればそれまでかもしれないが、  それが自分以外の誰かを幸せに出来る最良の方法だと眞一郎が出した答えだった。 『それはお前のためにならない』  ならば、自分の幸せは、夢へのこの想いはどうなるのか?  自分でもわかっている。今の気持ちのまま酒蔵を選べば少なからず後悔することを。  それでも、酒蔵を継いでもいいという思いも決して半端な気持ちじゃない。  そうじゃなかったらこうして父親に告げたりしない。 (……どうするのがいいんだよ)  天秤の秤がいったりきたりと眞一郎を悩ませる。   そんなふうに悩む息子の姿を、啓冶はどこか嬉しくも思った。 「守るものがあるのと、大変か?」 「え……?」  啓冶が少し笑う。 『守るもの』が何を指すのか分かりやす過ぎて、眞一郎は赤くなる。 「ここを継ぐことを俺は強要したくない。お前にはお前の夢があるだろう。  だからお前はやりたいことをやればいい。  俺にはそういうものがなかった。……少し羨ましくも思うよ」 「親父……」  酒蔵を継いだときのことを思い返すように啓冶は遠い目をする。 「ちゃんと向き合い自分で出した答えなら、どちらを選んでも、俺も母さんもそれを後押しする。  親が出来ることはそれだけだ」 「………………」  眞一郎は目を伏せる。油断すると涙がこぼれそうだったから。 「何も今すぐ決めなくてはいけないわけじゃない。卒業するまで時間はある。  こういうのは何かのきっかけで答えが出るもんだ。  その時まで、焦らずにじっくり悩め」  そう言って啓冶は「休憩は終わりだ」と立ち上がる。 「そういえば──」  仕事へ戻りかけた啓冶がふと振り返る。 「絵本はどうなった? あれからだいぶ経つが」 「あ……」  確かに絵本を見せると口約束していたことを眞一郎は思い出す。  決して忘れていたわけじゃないが、あの一件以降、比呂美にばかり気が向いて後回しにしてしまっていた。  そもそも、あの時 描き上げた絵本は乃絵にあげてしまったし、描き直したものも出版社に送ってしまって手元に無い。 「あの時のは……人にあげちゃって。その子のために描いたものだったから……ごめん、今は無い」 「……そうか」  啓冶は少し残念そうな顔を見せたが、 「喜んでもらえたのか?」 「え?──」 「その子のために描いたんだろう? 絵本、喜んでもらえたのか?」 「……………………」  どうだったのだろうか?  あの時 乃絵はどんな想いで読んでいたのだろうか?  決別の証になってしまった絵本。  比呂美が好きだと分かっていて、彼女はそれを受け入れてくれた。  振り返らずに、前を向いて歩いてくれた。  自分勝手な、都合のいい受け取り方かもしれない。 『それでも眞一郎が『飛べる』って信じてくれたから今の私があるの』  その言葉を、応えだと信じたい。   「……たぶん」 「そうか……よかったな」  そうだった。  乃絵のために描いたのだから、乃絵が受け取ってくれたのならそれでよかったのだ。  万人に評価されることを期待する必要など、まして評価されなかったことを悔やむ必要など無い。  あの絵本にはちゃんと価値があった。  無駄じゃなかった。 「…………うん」  眞一郎は心にかかった霧が少し晴れるのを感じた。    ────  その頃 比呂美は、台所で晩御飯の仕度をしていた理恵子へ、仕事を終えた報告をしに来ていた。 「頼まれてた分、終わりました」 「ご苦労様。悪いんだけど、今度はこっちお願いしていいかしら? 洗濯物片付いてないのよ」 「はい。分かりました。あ、カレーですか?」  理恵子の隣に立ち、煮込まれている鍋の中身を覗き込む。 「そうよ。後はルーを入れるだけだから。たくさん作ったから今日はあなたも食べていきなさい」 「はい、ありがとうございます」  眞一郎と父親の空気が以前より和らいだように、比呂美と理恵子の間柄もだいぶ和やかになってきていた。  それでも比呂美にとって理恵子はあらゆる意味で特別な人で、彼女と二人でいるときはいつでもわずかな緊張感があった。 「そういえば、あの話はどうなったのかしら?」  つけていたエプロンを外し、比呂美に渡しながら理恵子が尋ねた。 「あの話……ですか?」  なんの事かすぐには思いつかず、比呂美は小首をかしげる。 「アルバイトの件よ」  新学期になった頃、理恵子との会話の合間に「アルバイトしようと思ってるんです」と漏らしたことがあったのを比呂美は思い出した。  石動純のバイクの一件は彼の好意でお咎めなしとなったが、それとは別に一人暮らしでいままで以上に仲上家に負担をかけている分を少しでも補えればと、アルバイトに関しては前々から考えていた。 「まだちょっと見つからなくて……」  しかし、時間を見てはいろいろと探してはいるのだけど、部活に打ち込んでいる比呂美にとってまとまった時間を取るのが難しく、なかなか条件に見合う職場を探せずにいた。 「そう……だったら、うちの仕事をもう少しこなしてもらってお給金を払うのはどうかしら?」 「え?」  思いがけない理恵子の提案に比呂美は、 「それは……ここでしてることは恩返しの一つで……お金なんてもらえません」  仲上家に負担をかけないようにと思っているのに、仲上家からお金をもらっては意味がない。  比呂美は当然申し出を断ろうとしたのだが、 「前々から考えてはいたのよ。あなたはこの家の娘ではあるけれど、私は一人の女性としても見ていきたいの」 「……一人の女性ですか?」 「そう……詳しいことまではわからないけれど、一人暮らしするって決めたのは少なからずそういう立場に身を置きたかったからじゃないのかしら?  家族や、同居人、幼馴染としてじゃなく、“湯浅比呂美”としてね」 「……………………」  決断したのにはいろんな意味があった。  自立、諦め、抗い、期待……その全てが仲上眞一郎に湯浅比呂美を見てもらうための決断。  そのことを理恵子はしっかりと見抜いていた。 「だから私もそういうふうに接するわ。家族であるまえに、息子の彼女だものね」  さあっと頬を染める比呂美を見て、理恵子は意地悪そうに微笑む。 「これからはお金受け取ってもらえるかしら?」 「…………はい。ありがとうございます」  比呂美は深く深く頭を下げた。  眞一郎との関係を認めてくれていることや、湯浅比呂美個人を尊重してくれていること。  いくら頭を下げても感謝しきれないくらい嬉しかった。 「そんな改まることでもないでしょ。  そうね……いつか本当の娘になったら……その時は覚悟しておきなさい」  言葉の厳しさとは裏腹に、不適な笑みを浮かべて理恵子は台所を後にした。  いつか本当の娘になったら……  いつか本当にそんな日がくるのなら…… 「……よろしくお願いします」  言葉の意味を深くかみ締め、比呂美はもう一度頭を下げるのだった。    ──── 「ごちそうさま」  眞一郎は皿に一粒の米も残さずカレーを食べ終えて、満足と言わんばかりに後ろに手を付いて息を吐いた。 「比呂美、お茶くれる?」 「うん」  比呂美はまだ食事を終えてないが、いやな顔ひとつせずに、むしろ眞一郎に用件をもらえることが嬉しそうにお茶を注いだ湯飲みを差し出す。 「……ところで眞ちゃん」 「ん?」  お茶を飲んでいるところを、ちょうど食事を終えた理恵子に話しかけられ、目線で返事をする。 「あのテストの点はなんなのかしら?」 「──! んん゛!」  理恵子の言葉に思わず噴きそうになってしまって必死にこらえた。  眞一郎の部屋に洗濯物を持って行ったときに机に広げられていた答案を見たというのだ。  ちょうど眞一郎が酒蔵に行って席を外していた時だ。  なんで隠しておかなかったのかと眞一郎は後悔した。せめて伏せておけばよかった。  ……この母親のことだから詮索したかもしれないが。 「……まったく。いろいろやりたことがあるのはわかるけど、本分をしっかりしてもらわないと。みんながこんな点数だったわけじゃないでしょうに……そうでしょ?」 「えっ?」  小言の合間にいきなり水を向けられたじろぐ比呂美。  「比呂美ちゃんはどうだったの? テストの点」 「あ……その……」  思わず眞一郎に目を向ける。自分の点を言えばもっと眞一郎が責められてしまうかもしれない。  が、理恵子に対して嘘のつけない比呂美は正直に自分の点数を告げた。 (ごめんね眞一郎くん……)  心の中で彼氏に頭を下げる。 「比呂美と比べるなよ……」  ふてくされた顔で呟く眞一郎。   もちろん比呂美が優秀なのは周知の事実なのだが、今は“彼女”なだけに余計に惨めな気分になる。 「二人の出来が違うことくらいわかってます。できるできないじゃなくて、やったかやらないかを問いてるの」 「……やってないです」  厳しく言われ、素直にそう答えるしかない眞一郎。それを受けて理恵子は重くため息をついた後、 「比呂美ちゃん、眞ちゃんの勉強見てもらえるかしら?」 「あ、はい。もともと次の中間テストのために一緒に勉強しようって決めてたところでしたから」 「そう……だったら眞ちゃん」 「何……?」  もう何を言われてもいいやという心境でいた眞一郎は、次の母親の言葉に耳を疑った。 「明日休みなんだから早速泊り込みでお世話になってきなさい」   「え……?」 「おい……」  耳を疑ったのは眞一郎だけではない。比呂美も、それまで傍観していた啓冶でさえ理恵子の言葉は以外だった。 「あなたにはあとでちゃんとお話ししますから」 「…………ん」  理恵子の真剣な表情に、啓冶はそれ以上口を挟むことはしなかった。 「ほら、眞ちゃん。遅くなる前に準備しちゃいなさい」 「……わかったよ」  いきなりの展開に流されるまま眞一郎は居間を後にして、自室に準備に戻る。  かといって反論するつもりもない。比呂美と二人きりになれる状況をわざわざ作ってくれたのだから。  ただ、その状況を用意してくれることが驚きだ。それも泊まりでなんて…… (……なんか試されてんのかな……)  ──── 「お夕飯ありがとうございました」 「また食べに来なさいな」  帰り支度を整えた比呂美は、いつものように玄関先で理恵子に挨拶を済ませる。 「じゃあ、行ってくるから」  そしていつものように眞一郎がアパートまで送るために靴に履き替える。 (でも今日はそのまま泊まっていってくれるんだ……)  比呂美は嬉しいような恥ずかしいような、まるで遠足の前日のような静かな高揚感を感じていた。  その気持ちが顔に出てしまっているのを理恵子は見逃さなかったが、何も言わずただ微笑んだ。 「ほら、襟が曲がってるわよ」 「いいよ、自分でやるからっ、行ってくる」  母親の手を軽く払いのけて、自分で襟を正して眞一郎は玄関を後にする。  それを見て比呂美も理恵子に会釈をして仲上家を後にした。    暗闇の空には満月から少し欠けた月が煌々と輝いていて、街灯がない場所でも十分明るかった。  5月とは言えども日が暮れてしまうとまだ少し肌寒い。加えて今日は海岸から吹き付ける風が冷たかった。  でもその分、眞一郎の自転車の後部に横向きに座る比呂美は、彼の腰に両手を回してぴたっとくっつける口実になって嬉しかった。   「ったく……おふくろには参っちゃうよ……」  比呂美を乗せゆっくりと自転車を漕ぎながら愚痴をこぼす眞一郎。  正直、比呂美の前であんまり子供扱いはして欲しくない。  実際子供だとはいえ、どうしても気恥ずかしさが先行してしまう。 「それだけ眞一郎くんのこと心配で、大切なんだよ」 「そうかなぁ……?」  母親は厳しかったり、甘かったりで、真意がいまいちつかめない。 「そうだよ。おばさんの気持ち、なんとなくわかるな」 「同じ女だから?」 「それもあると思うけど……だっておじさんと好き合って、その間に産まれた眞一郎くんだもの。  もし私が眞一郎くんの赤ちゃん産んだらきっと溺愛するもん」  比呂美がさらりと凄いこと言って退けたので、眞一郎は思わず絶句してしまう。  その空気を感じ取って自分が何を言ったかようやく理解した比呂美は顔を真っ赤にしてしまう。 「えと、そのっ、例えば。例えばの話しだから……(何言ってるの 私ったら……)」 「そうだよなっ、……ははっ……(びっくりした……)」  その後なんとなく会話が進まず、二人は短いアパートまでの道のりをぎこちない笑みで乗り切った。  ──── 「あの子のために何かしてあげたいんです」  理恵子は啓冶の晩酌の用意をしながら、話しを切り出した。 「比呂美にか?」 「はい……」  とっくりに入った酒をお猪口に注ぎながら、理恵子は間違いなく『比呂美のため』と口にした。 「あの子が家を飛び出したあの日まで、私はあの子と向き合ってこなかった……  私が言った一言で、あの子がどれだけ苦しんで、尊厳を、想いを傷つけてきたか……  それで許されるとは思わないですけど、あの子のために何かしてあげたいんです」 「……そうか」  妻の告白を啓冶は素直に受け止めるも、 「だが……お前の気持ちも理解できるが、もし間違いあったら……」  眞一郎と比呂美が好き合い、付き合っているのは知っている。  間違いが指すのは比呂美の妊娠以外に他ならない。  二人のことは信頼している。  それでも何が起こるかわからない。 「そうですね……」  しかし、そんな夫の心配をよそに、理恵子は大胆なことを言ってのけた。  「そのときは思い切り叱って、それから……暖かく迎えてあげるつもりです」 「………………」  さすがの啓冶も、理恵子の想いの強さに驚く。  あれだけ比呂美に対し敵意を向けていた妻の姿はもうそこにはなかった。  あるのは、子を想う母親の姿…… 「比呂美が眞ちゃんといることが一番の幸せと言うのなら、私はその後押しをしてあげるだけです。   誰かを想う気持ちがその人にとってどれだけ大切なものか……それをあんなふうに踏みにじって……  私も知っていたはずなのに……あの子が、思い出させてくれたんです」  と、理恵子は自分の夫となった最愛の人を憂いめいた瞳で見つめた。  それを受けた啓冶は少し考え込み、 「……すまなかったな」 「……どうしたんですか突然」 「昔のことも、比呂美を引き取ったことも、もっときちんと話し合っておけば、お前に余計な不安を抱かせることもなかったかもしれない。……許してくれるか?」  謝罪の言葉に、理恵子は優しく微笑み、 「あなたが不器用なのは最初からわかっていますから……  実直で、不器用で、そういうところ、可愛らしいですわ」 「……可愛いはないだろう」  男としてあまり嬉しくない言葉も、気恥ずかしさを感じ、照れ隠しにお猪口を口に運ぶ。 「私もいただこうかしら」  理恵子は湯飲みを差し出すと、啓冶は酒を注ぐ。 「あまり飲みすぎるなよ」 「たまにはいいじゃありませんか。もし酔ってしまったら……介抱して頂けます?」  悪戯に微笑む妻に、啓冶はただたじろぐばかりだった。  ────  ─お詫び─  後半の展開が「比呂美のバイト その4」とかぶってしまってすみません。  投下されたときにはもう出来ていたので、直すのもなんだかなぁって感じで。  あとママン書き氏のどれかともかぶっていたような……思い出せなくてすいません。  ─言い訳─  あと今回分はいろいろと違和感があるかもしれませんが、あまり深く考えないで読んでください。  書いた本人もあまり納得いってなくて……かといって実力的にこれ以上は無理だと判断。  毎回ワンパターンだし、ボキャブラリーが足りなすぎる(・ω・)  そもそもあの絵本はどうなったんだろう?  別れるときに乃絵も眞一郎もどっちも手にしてないような……  ここでは乃絵にあげたってことにしちゃいました。   やっぱヒロシのがよかったかな……  ちょっといい話みたいな展開になってますけど、  あくまでこの作品のコンセプトは「比呂美とベロチューしながら対面座位で中田氏したい」ですよ?
 家に帰ると比呂美はすぐ仕事に駆り出された。  眞一郎としては特にすることもないので、とりあえず今日の小テストの復習をすることにした。  しかし、ものの5分も机に向かっただけで早速壁にぶつかってしまう。  教科書を広げ自分なりに奮戦してみるが、理解できないことのほうが多かった。 (答え合わせ聞いとけばよかった…)  今となっては後の祭りなのだが、自業自得だから仕方ない。 (後で比呂美に教わるか……)  何度も思うが人頼みなのが(それも自分の彼女に)なのがなんとも情けない。  眞一郎は自己嫌悪のため息をつくと、シャーペンをノートの上に投げ出し、肘をついた二の腕に頭をのせて机に突っ伏した。  視線の先には、寄せておいたスケッチブックや色鉛筆と一緒に一枚のA4用紙があった。  『今回は残念ながら、不採用になりました。』  いつぞやの不採用通知と全く同じコピー品。  それが、“雷轟丸と地べたの物語”に下された評価だった。  あれから眞一郎はもう一度“雷轟丸と地べたの物語”を描き直した。  この話は乃絵のために描いた、乃絵に捧げた絵本。  お互いが新しく一歩を踏み出すきっかけになった大切な思い出の品だ。  それを他の人に見せるのは乃絵に申し訳ない気持ちもあったのだが、どうしても他の人の意見も知りたかった。  間違いなく現時点での、自分に出来うることの全てを注ぎ込んだものに違いなかったからだ。  それだけに期待も大きかった。  いい知らせが来ると信じていた。  だから、結果を知ったときには愕然たる思いだった。  絵本作家になりたい。  そうやって生活できたらどれだけ幸せだろう。  同時に思う。  自分は絵本作家になれるのだろうか?   なれるだけの実力が、才能があるのだろうか?  夢を追い続けるのは悪いとは思わない。  ただ、いつまで追い続けてゆけるのだろう?  大人になって、社会人になったときに、夢だけ追い続けるわけにはいかないだろう。  何年、何十年経って、夢を叶えられなかったときに、比呂美は側にいてくれるのだろうか?   (……また同じこと考えてた)  そう、最近は一人になるとこんなことばかり考えている。  言い訳をすれば、今回のテストもそのせいで集中できていなかった。  不安な将来ばかりが付きまとい、絵本に関してもずっとスランプで、アイディアはあってもいざ筆を取るとそこから形にすることが出来ないでいた。  こんな挫折を味合うのは別に初めてじゃない。  ただ、今までとは環境が変わってしまった。  眞一郎が立ち上がって窓の外を見ると、ちょうど父親が酒蔵に入って行くところだった。  そしてそのまま、色々なことを思い巡らせては酒蔵を見つめ続けていた。  ────  眞一郎は酒蔵の入り口に立って建物を見上げた。   思えばここに来ることは無意識に避けていたような気がする。  敷地内の半分以上を占めるこの酒蔵は、自分が苦手とする父親の象徴そのものでもあった。  しかし、その父親と同じように麦端踊りの花形を勤め上げ評価されたことに、わずかでも自信がついた今は、敷居をまたぐことに気後れは薄れていた。  中に入ると、奥の方に何かの装置を覗き込む啓冶の姿が見えた。  酒屋の息子として、製造過程くらいは一通りわかるが、その間の細かい作業までは知らない。いや、知ろうとしてこなかったというのが正しいかもしれない。  何か声をかけようと思うのだが、気の利いた言葉が思い浮かばない。この辺はまだまだなのかなと眞一郎は自嘲した。 「どうした?」  そんな眞一郎に気付いた啓冶の方が声をかけた。 「ん……勉強してたんだけど、気分転換にちょっと」 「それにしてはめずらしいな」  寡黙な父親が少し笑ったように見えたのは眞一郎の気のせいだろうか?  少し休憩するかと、啓冶はどこからか缶ジュース持ってきて眞一郎に渡すと、比呂美に一人暮らしがしたいと告げられたあの階段に二人で座った。  普段から必要以上の会話のない二人なだけにしばらく沈黙が続いていたが、意を決して眞一郎から話しかける。 「親父はさ、何か他にやりたいこと……って言うか、なりたいものとかあった?」  啓冶は少し考え込み、 「……そうだな、警察官だとか野球選手とか。小学生が文集に書くような漠然としたものだがな」 「俺くらいの頃は?」 「その頃にはここを継ぐことを考えてたな」 「そっか……」  ジュースを一口飲む啓冶に対し、眞一郎は缶を両手で握ったまま視線を落とす。  広い空間なだけに、二人が黙ってしまうととても静かに感じる。  父親と二人きりという状況も相まって、眞一郎は手足が固まってしまうような微妙な緊張感が身体を支配するのを感じた。  それでも、これを振り払わなければもう一歩踏み出せないのも分かっている。 「俺……今のままでいいのかなって……やっぱりここを継ぐべきじゃないかな……?」  仲上の家に生まれてきたのなら酒蔵を継がなくてはいけないのかもしれない。  ただ他にやりたいことがあった。それだけのことだ。  だから、今まで啓冶に対して酒蔵のことを自分から口にすることは無かった。  それだけに、眞一郎は勇気を振り絞ったつもりだった。 (……これでいいんだ)  自分を納得させるように心で呟く眞一郎。  だが、啓冶は眞一郎の心理を見抜いて言い放った。 「逃げるなよ」 「え?……」 「お前がここを継いでくれるというのは素直に嬉しい。少なくともこの仕事を認めてくれたということだからな。  ただ、逃げ場として選ぶのは止めろ。それはお前のためにならない」 「……………………」  眞一郎は黙り込むしかなかった。  絵本作家になりたい。だがその保障は無い。  酒蔵を継げば少なくとも絵本作家よりは将来は保障される。   安易な考えと言われればそれまでかもしれないが、  それが自分以外の誰かを幸せに出来る最良の方法だと眞一郎が出した答えだった。 『それはお前のためにならない』  ならば、自分の幸せは、夢へのこの想いはどうなるのか?  自分でもわかっている。今の気持ちのまま酒蔵を選べば少なからず後悔することを。  それでも、酒蔵を継いでもいいという思いも決して半端な気持ちじゃない。  そうじゃなかったらこうして父親に告げたりしない。 (……どうするのがいいんだよ)  天秤の秤がいったりきたりと眞一郎を悩ませる。   そんなふうに悩む息子の姿を、啓冶はどこか嬉しくも思った。 「守るものがあるのと、大変か?」 「え……?」  啓冶が少し笑う。 『守るもの』が何を指すのか分かりやす過ぎて、眞一郎は赤くなる。 「ここを継ぐことを俺は強要したくない。お前にはお前の夢があるだろう。  だからお前はやりたいことをやればいい。  俺にはそういうものがなかった。……少し羨ましくも思うよ」 「親父……」  酒蔵を継いだときのことを思い返すように啓冶は遠い目をする。 「ちゃんと向き合い自分で出した答えなら、どちらを選んでも、俺も母さんもそれを後押しする。  親が出来ることはそれだけだ」 「………………」  眞一郎は目を伏せる。油断すると涙がこぼれそうだったから。 「何も今すぐ決めなくてはいけないわけじゃない。卒業するまで時間はある。  こういうのは何かのきっかけで答えが出るもんだ。  その時まで、焦らずにじっくり悩め」  そう言って啓冶は「休憩は終わりだ」と立ち上がる。 「そういえば──」  仕事へ戻りかけた啓冶がふと振り返る。 「絵本はどうなった? あれからだいぶ経つが」 「あ……」  確かに絵本を見せると口約束していたことを眞一郎は思い出す。  決して忘れていたわけじゃないが、あの一件以降、比呂美にばかり気が向いて後回しにしてしまっていた。  そもそも、あの時 描き上げた絵本は乃絵にあげてしまったし、描き直したものも出版社に送ってしまって手元に無い。 「あの時のは……人にあげちゃって。その子のために描いたものだったから……ごめん、今は無い」 「……そうか」  啓冶は少し残念そうな顔を見せたが、 「喜んでもらえたのか?」 「え?──」 「その子のために描いたんだろう? 絵本、喜んでもらえたのか?」 「……………………」  どうだったのだろうか?  あの時 乃絵はどんな想いで読んでいたのだろうか?  決別の証になってしまった絵本。  比呂美が好きだと分かっていて、彼女はそれを受け入れてくれた。  振り返らずに、前を向いて歩いてくれた。  自分勝手な、都合のいい受け取り方かもしれない。 『それでも眞一郎が『飛べる』って信じてくれたから今の私があるの』  その言葉を、応えだと信じたい。   「……たぶん」 「そうか……よかったな」  そうだった。  乃絵のために描いたのだから、乃絵が受け取ってくれたのならそれでよかったのだ。  万人に評価されることを期待する必要など、まして評価されなかったことを悔やむ必要など無い。  あの絵本にはちゃんと価値があった。  無駄じゃなかった。 「…………うん」  眞一郎は心にかかった霧が少し晴れるのを感じた。    ────  その頃 比呂美は、台所で晩御飯の仕度をしていた理恵子へ、仕事を終えた報告をしに来ていた。 「頼まれてた分、終わりました」 「ご苦労様。悪いんだけど、今度はこっちお願いしていいかしら? 洗濯物片付いてないのよ」 「はい。分かりました。あ、カレーですか?」  理恵子の隣に立ち、煮込まれている鍋の中身を覗き込む。 「そうよ。後はルーを入れるだけだから。たくさん作ったから今日はあなたも食べていきなさい」 「はい、ありがとうございます」  眞一郎と父親の空気が以前より和らいだように、比呂美と理恵子の間柄もだいぶ和やかになってきていた。  それでも比呂美にとって理恵子はあらゆる意味で特別な人で、彼女と二人でいるときはいつでもわずかな緊張感があった。 「そういえば、あの話はどうなったのかしら?」  つけていたエプロンを外し、比呂美に渡しながら理恵子が尋ねた。 「あの話……ですか?」  なんの事かすぐには思いつかず、比呂美は小首をかしげる。 「アルバイトの件よ」  新学期になった頃、理恵子との会話の合間に「アルバイトしようと思ってるんです」と漏らしたことがあったのを比呂美は思い出した。  石動純のバイクの一件は彼の好意でお咎めなしとなったが、それとは別に一人暮らしでいままで以上に仲上家に負担をかけている分を少しでも補えればと、アルバイトに関しては前々から考えていた。 「まだちょっと見つからなくて……」  しかし、時間を見てはいろいろと探してはいるのだけど、部活に打ち込んでいる比呂美にとってまとまった時間を取るのが難しく、なかなか条件に見合う職場を探せずにいた。 「そう……だったら、うちの仕事をもう少しこなしてもらってお給金を払うのはどうかしら?」 「え?」  思いがけない理恵子の提案に比呂美は、 「それは……ここでしてることは恩返しの一つで……お金なんてもらえません」  仲上家に負担をかけないようにと思っているのに、仲上家からお金をもらっては意味がない。  比呂美は当然申し出を断ろうとしたのだが、 「前々から考えてはいたのよ。あなたはこの家の娘ではあるけれど、私は一人の女性としても見ていきたいの」 「……一人の女性ですか?」 「そう……詳しいことまではわからないけれど、一人暮らしするって決めたのは少なからずそういう立場に身を置きたかったからじゃないのかしら?  家族や、同居人、幼馴染としてじゃなく、“湯浅比呂美”としてね」 「……………………」  決断したのにはいろんな意味があった。  自立、諦め、抗い、期待……その全てが仲上眞一郎に湯浅比呂美を見てもらうための決断。  そのことを理恵子はしっかりと見抜いていた。 「だから私もそういうふうに接するわ。家族であるまえに、息子の彼女だものね」  さあっと頬を染める比呂美を見て、理恵子は意地悪そうに微笑む。 「これからはお金受け取ってもらえるかしら?」 「…………はい。ありがとうございます」  比呂美は深く深く頭を下げた。  眞一郎との関係を認めてくれていることや、湯浅比呂美個人を尊重してくれていること。  いくら頭を下げても感謝しきれないくらい嬉しかった。 「そんな改まることでもないでしょ。  そうね……いつか本当の娘になったら……その時は覚悟しておきなさい」  言葉の厳しさとは裏腹に、不適な笑みを浮かべて理恵子は台所を後にした。  いつか本当の娘になったら……  いつか本当にそんな日がくるのなら…… 「……よろしくお願いします」  言葉の意味を深くかみ締め、比呂美はもう一度頭を下げるのだった。    ──── 「ごちそうさま」  眞一郎は皿に一粒の米も残さずカレーを食べ終えて、満足と言わんばかりに後ろに手を付いて息を吐いた。 「比呂美、お茶くれる?」 「うん」  比呂美はまだ食事を終えてないが、いやな顔ひとつせずに、むしろ眞一郎に用件をもらえることが嬉しそうにお茶を注いだ湯飲みを差し出す。 「……ところで眞ちゃん」 「ん?」  お茶を飲んでいるところを、ちょうど食事を終えた理恵子に話しかけられ、目線で返事をする。 「あのテストの点はなんなのかしら?」 「──! んん゛!」  理恵子の言葉に思わず噴きそうになってしまって必死にこらえた。  眞一郎の部屋に洗濯物を持って行ったときに机に広げられていた答案を見たというのだ。  ちょうど眞一郎が酒蔵に行って席を外していた時だ。  なんで隠しておかなかったのかと眞一郎は後悔した。せめて伏せておけばよかった。  ……この母親のことだから詮索したかもしれないが。 「……まったく。いろいろやりたことがあるのはわかるけど、本分をしっかりしてもらわないと。みんながこんな点数だったわけじゃないでしょうに……そうでしょ?」 「えっ?」  小言の合間にいきなり水を向けられたじろぐ比呂美。  「比呂美ちゃんはどうだったの? テストの点」 「あ……その……」  思わず眞一郎に目を向ける。自分の点を言えばもっと眞一郎が責められてしまうかもしれない。  が、理恵子に対して嘘のつけない比呂美は正直に自分の点数を告げた。 (ごめんね眞一郎くん……)  心の中で彼氏に頭を下げる。 「比呂美と比べるなよ……」  ふてくされた顔で呟く眞一郎。   もちろん比呂美が優秀なのは周知の事実なのだが、今は“彼女”なだけに余計に惨めな気分になる。 「二人の出来が違うことくらいわかってます。できるできないじゃなくて、やったかやらないかを問いてるの」 「……やってないです」  厳しく言われ、素直にそう答えるしかない眞一郎。それを受けて理恵子は重くため息をついた後、 「比呂美ちゃん、眞ちゃんの勉強見てもらえるかしら?」 「あ、はい。もともと次の中間テストのために一緒に勉強しようって決めてたところでしたから」 「そう……だったら眞ちゃん」 「何……?」  もう何を言われてもいいやという心境でいた眞一郎は、次の母親の言葉に耳を疑った。 「明日休みなんだから早速泊り込みでお世話になってきなさい」   「え……?」 「おい……」  耳を疑ったのは眞一郎だけではない。比呂美も、それまで傍観していた啓冶でさえ理恵子の言葉は以外だった。 「あなたにはあとでちゃんとお話ししますから」 「…………ん」  理恵子の真剣な表情に、啓冶はそれ以上口を挟むことはしなかった。 「ほら、眞ちゃん。遅くなる前に準備しちゃいなさい」 「……わかったよ」  いきなりの展開に流されるまま眞一郎は居間を後にして、自室に準備に戻る。  かといって反論するつもりもない。比呂美と二人きりになれる状況をわざわざ作ってくれたのだから。  ただ、その状況を用意してくれることが驚きだ。それも泊まりでなんて…… (……なんか試されてんのかな……)  ──── 「お夕飯ありがとうございました」 「また食べに来なさいな」  帰り支度を整えた比呂美は、いつものように玄関先で理恵子に挨拶を済ませる。 「じゃあ、行ってくるから」  そしていつものように眞一郎がアパートまで送るために靴に履き替える。 (でも今日はそのまま泊まっていってくれるんだ……)  比呂美は嬉しいような恥ずかしいような、まるで遠足の前日のような静かな高揚感を感じていた。  その気持ちが顔に出てしまっているのを理恵子は見逃さなかったが、何も言わずただ微笑んだ。 「ほら、襟が曲がってるわよ」 「いいよ、自分でやるからっ、行ってくる」  母親の手を軽く払いのけて、自分で襟を正して眞一郎は玄関を後にする。  それを見て比呂美も理恵子に会釈をして仲上家を後にした。    暗闇の空には満月から少し欠けた月が煌々と輝いていて、街灯がない場所でも十分明るかった。  5月とは言えども日が暮れてしまうとまだ少し肌寒い。加えて今日は海岸から吹き付ける風が冷たかった。  でもその分、眞一郎の自転車の後部に横向きに座る比呂美は、彼の腰に両手を回してぴたっとくっつける口実になって嬉しかった。   「ったく……おふくろには参っちゃうよ……」  比呂美を乗せゆっくりと自転車を漕ぎながら愚痴をこぼす眞一郎。  正直、比呂美の前であんまり子供扱いはして欲しくない。  実際子供だとはいえ、どうしても気恥ずかしさが先行してしまう。 「それだけ眞一郎くんのこと心配で、大切なんだよ」 「そうかなぁ……?」  母親は厳しかったり、甘かったりで、真意がいまいちつかめない。 「そうだよ。おばさんの気持ち、なんとなくわかるな」 「同じ女だから?」 「それもあると思うけど……だっておじさんと好き合って、その間に産まれた眞一郎くんだもの。  もし私が眞一郎くんの赤ちゃん産んだらきっと溺愛するもん」  比呂美がさらりと凄いこと言って退けたので、眞一郎は思わず絶句してしまう。  その空気を感じ取って自分が何を言ったかようやく理解した比呂美は顔を真っ赤にしてしまう。 「えと、そのっ、例えば。例えばの話しだから……(何言ってるの 私ったら……)」 「そうだよなっ、……ははっ……(びっくりした……)」  その後なんとなく会話が進まず、二人は短いアパートまでの道のりをぎこちない笑みで乗り切った。  ──── 「あの子のために何かしてあげたいんです」  理恵子は啓冶の晩酌の用意をしながら、話しを切り出した。 「比呂美にか?」 「はい……」  とっくりに入った酒をお猪口に注ぎながら、理恵子は間違いなく『比呂美のため』と口にした。 「あの子が家を飛び出したあの日まで、私はあの子と向き合ってこなかった……  私が言った一言で、あの子がどれだけ苦しんで、尊厳を、想いを傷つけてきたか……  それで許されるとは思わないですけど、あの子のために何かしてあげたいんです」 「……そうか」  妻の告白を啓冶は素直に受け止めるも、 「だが……お前の気持ちも理解できるが、もし間違いあったら……」  眞一郎と比呂美が好き合い、付き合っているのは知っている。  間違いが指すのは比呂美の妊娠以外に他ならない。  二人のことは信頼している。  それでも何が起こるかわからない。 「そうですね……」  しかし、そんな夫の心配をよそに、理恵子は大胆なことを言ってのけた。  「そのときは思い切り叱って、それから……暖かく迎えてあげるつもりです」 「………………」  さすがの啓冶も、理恵子の想いの強さに驚く。  あれだけ比呂美に対し敵意を向けていた妻の姿はもうそこにはなかった。  あるのは、子を想う母親の姿…… 「比呂美が眞ちゃんといることが一番の幸せと言うのなら、私はその後押しをしてあげるだけです。   誰かを想う気持ちがその人にとってどれだけ大切なものか……それをあんなふうに踏みにじって……  私も知っていたはずなのに……あの子が、思い出させてくれたんです」  と、理恵子は自分の夫となった最愛の人を憂いめいた瞳で見つめた。  それを受けた啓冶は少し考え込み、 「……すまなかったな」 「……どうしたんですか突然」 「昔のことも、比呂美を引き取ったことも、もっときちんと話し合っておけば、お前に余計な不安を抱かせることもなかったかもしれない。……許してくれるか?」  謝罪の言葉に、理恵子は優しく微笑み、 「あなたが不器用なのは最初からわかっていますから……  実直で、不器用で、そういうところ、可愛らしいですわ」 「……可愛いはないだろう」  男としてあまり嬉しくない言葉も、気恥ずかしさを感じ、照れ隠しにお猪口を口に運ぶ。 「私もいただこうかしら」  理恵子は湯飲みを差し出すと、啓冶は酒を注ぐ。 「あまり飲みすぎるなよ」 「たまにはいいじゃありませんか。もし酔ってしまったら……介抱して頂けます?」  悪戯に微笑む妻に、啓冶はただたじろぐばかりだった。  ────  ─お詫び─  後半の展開が「比呂美のバイト その4」とかぶってしまってすみません。  投下されたときにはもう出来ていたので、直すのもなんだかなぁって感じで。  あとママン書き氏のどれかともかぶっていたような……思い出せなくてすいません。  ─言い訳─  あと今回分はいろいろと違和感があるかもしれませんが、あまり深く考えないで読んでください。  書いた本人もあまり納得いってなくて……かといって実力的にこれ以上は無理だと判断。  毎回ワンパターンだし、ボキャブラリーが足りなすぎる(・ω・)  そもそもあの絵本はどうなったんだろう?  別れるときに乃絵も眞一郎もどっちも手にしてないような……  ここでは乃絵にあげたってことにしちゃいました。   やっぱヒロシのがよかったかな……  ちょっといい話みたいな展開になってますけど、  あくまでこの作品のコンセプトは「比呂美とベロチューしながら対面座位で中田氏したい」ですよ?  ─言い訳・2─  この続き8割方できていたのですが、HDDと共に逝ってしまいました…  油断してバックアップもとっていなかったので、もう茫然自失でして…  ようやく書く気力も戻ってきたのでいつの日にか続きを投下したいと思います  (08/10/04)

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