ある日の比呂美14

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比呂美と眞一郎……そして朋与の運命の日から、数日が過ぎた。 朋与は結局、あの日から病欠ということで学校を休み、二人と顔を合わせることは無かった。 比呂美が部活でキャプテン代行を務めた以外は、普段と変わらない日常が流れ、そして日曜日がやってきた…… ………… ブラインドが開くシャッという音と、その隙間から差し込む光が、眞一郎に目覚めを強要した。 (休みなんだから……まだ寝てたっていいだろうに……) どうせ母だろうと見当をつけると、眞一郎は「ううん…」と低く唸って侵入者の要求に抗う。 昨晩は新作の下書きに夢中になって、深夜の四時まで作業をしていたのだ。 今が何時かは知らないが、まだ起きるつもりはなかった。 ………… …………パラッ………… ………… 作業机の方から、画用紙をめくる音が聞こえる。 (……ん……なんだよ……) 例え母親でも、作品に手を触れられるのは良い気分がしなかった。 眞一郎は寝返りをうって、重い瞼を開けると、机の前にいる人物に抗議の視線を送る。 「起きた?」 眞一郎の目覚めに気づき、声を掛けてきたのは母ではなかった。 ストーリー順に並べておいた下書きを、一枚一枚、ゆっくりとめくっている比呂美の姿が目に入る。 こちらを見ることもなく、できたての話を読むのに夢中になっている比呂美。 眞一郎は身体をベッドから起こし、眼の辺りを擦りながら訊いた。 「日曜に来るなんて、珍しいじゃないか」 休日は経理の仕事もないので、比呂美が朝から仲上家に顔を出すことは殆どない。 「うん、ちょっとおばさんに教えてもらいたいことがあって」 そう言いながら、比呂美は下書きをめくる手を止めない。 味噌汁のダシの取り方が何とか…と言っているが、理由は別にありそうだった。 なんだろう?と思い、眞一郎は、比呂美が口を開くのを待つ。 「…………あのね……」 「ん?」 眞一郎が小首をかしげたところで、会話は止まってしまった。 『あのこと』だろうか?と少し不安になったが、自分がしっかりしなければとも思う。 だが、二人が結ばれてから、まだ数日しか経っていない…… 『結果』が出るには早過ぎる気もする。 「……身体、調子悪いのか?」 問い掛ける眞一郎に、比呂美は少し驚いたような顔を向けてきた。 「……あぁ…違うの。そっちは平気よ。……一昨日…生理来たし……」 若干モゴモゴと口篭りながら、比呂美は新しい命が宿らなかったことを報告する。 覚悟が空振りして眞一郎は拍子抜けしたが、二人の為には、今はそれで良かったのだと思い直した。 (……?… それじゃ何なんだ?) 相変わらず比呂美は『なにか』言いたげな様子なのだが、それほど深刻に悩んでいるようにも見えない。 しばらく、迷いを含んだ視線をこちらに向けていた比呂美だったが、「やっぱりいい」と下書きに目を戻してしまう。 「この新作、猫が主人公なんだ」 「え? ……あぁ……」 一昨日に思いついた、まだ題名も決めていない話。物語の主役は、旅をする一匹の牡猫だった。 …………     そのネコは、せかいじゅうを旅していました およめさんをさがす旅です         ネコは《ノラネコ》なので、なまえはありません     はやくおよめさんを見つけて、じぶんをなまえで呼んでもらうことが、ネコの夢でした     あるとき、ねこは海岸を旅していました          そして、さみしそうに泣いているカモメの女の子にであいます     《かわいそうなカモメさん、きみに涙はにあわないよ》         ネコは涙をなめてあげましたが、カモメの女の子はなきやみません ………… 物語はそんな風に、ネコが旅先で色々な動物の女の子に恋をする、という形で進んでいく。 だが、結局ネコは、女の子が好きな相手とのキューピッド役を務めて、彼女たちの元を去っていくことになる。 そして紆余曲折の末、独りで最初の町に帰ってきたネコは、防波堤に登り、空に向かって泣く…… 「『ぼくはひとりだ ぼくはひとりなんだ だれもぼくの名前をよんでくれないんだ』……か……」 ラフスケッチの最後の一枚を読み終えた比呂美は、絵本の世界に入り込んでしまったのか、とても悲しげだった。 「……悲しいお話…… 眞一郎くんらしくない……」 作家の端くれとしては、完成していない作品を口頭で説明するのは如何なものかと思う。 だが『一番のファン』である女の子が、自分の絵本で悲しい顔をしていることに、眞一郎は耐えられなかった。 「それで終わりじゃないんだ。結末はまだこの中」 そう言って人差し指で自分の側頭部を突っつき、昨夜描ききれなくてさぁ、と眞一郎は笑う。 「…………」 「…………比呂美、どうした?」 机に視線を落とす比呂美の表情は、薄曇りのまま変わることが無かった。 そして次に比呂美の口をついて出た言葉が、眞一郎に彼女の心が感じたモノを悟らせる。 「この子、朋与の……」 「…………」 その指摘に、今度は眞一郎が口を噤む番だった。 さすがだ、と思う…… 比呂美が見抜いたとおり、ネコのモデルは朋与の愛猫・ボーだった。 話すのを止めた眞一郎の様子を知るのが怖いのか、比呂美は視線を机に向けたままでいる。 だが、重苦しくなるかと思われた空気は、眞一郎の発した言葉で吹き飛んだ。 「そう。そいつのモデルは黒部ん家のネコ。そんで……それはアイツの話」 「!」 弾けるように、比呂美は眞一郎に向き直った。 眞一郎は『何も隠す事なんか無い』という風に、晴れ晴れとした顔をしている。 ……キョトンとしている比呂美を真っ直ぐ見つめながら、眞一郎は続けた。 「アイツがくれた物、教えてくれた事、……形にして残したいって思ったんだ」 「…………朋与のために?」 その問いに眞一郎は、「アイツはそんなこと、望む奴じゃないだろ」と言って、首を横に振る。 「俺の中のケジメっていうか… 俺、バカだから、描いとかない忘れるっていうか……」 「プッ…… 何それ……フフフ…」 いつの間にか比呂美の顔は霧が晴れ、笑顔になっていた。 …………伝わったな、と思う………… それから眞一郎は困ったような顔で「笑うなよ」と抗議をしたが、暴走をはじめた比呂美の腹筋は止まらない。 やれやれ……と苦笑しながら『笑い転げる美少女』を観察していると、対象の動きが突然、ピタリと静止した。 (??) 再び眞一郎に向けられた比呂美の顔は、まるで憑き物が落ちたような、透明な微笑みをしている。 「私が怒るとか…思わなかったの?」 「うん。全然」 間髪入れずそう言い切る眞一郎を、一歩近づいてきた比呂美の両腕が、包み込むようにして抱きしめた。 もう言葉はいらないな、と感じた眞一郎は、そのまま首を伸ばして、比呂美の唇を求める。 …………ペチッ! 目を閉じてキスをねだる眞一郎の額に、弾けた比呂美の指が直撃し、絆創膏の横に小さな赤い痣を作った。 「痛っ! ……もう、なんだよ~」 「早く起きなさい。休みだからってダラダラしない!」 そう言ってフフッと笑うと、比呂美は戸口をくぐって階下へと降りていってしまう。 「ま、待てよ」 『おあずけ』を喰らった眞一郎は、新しい痛みを擦りながらベッドを飛び出し、比呂美の後を追った。 洗面所で軽くうがいをしてから居間の戸を開けると、いつもなら上座で新聞を広げている父の姿が無かった。 食卓の上にも、一人分の朝食しか用意されていない。 「母さん、比呂美の分は?」 台所の気配にそう声を掛けてみると、引き戸が反対側からスッと引かれ、その比呂美本人が顔を出した。 「今 何時だと思ってるの? 私はもうとっくに頂きました」 「あれ? お袋もいないのか?」 比呂美の話では、一時間ほど前に二人で出掛けてしまったらしい。 挨拶回りか何かか?と想像しながら、眞一郎は朝食に箸をつけ始める。 「じゃあ、私いくから。後片付け、自分でしてね」 「え!? 何だよ、それ」 お茶くらい付き合ってくれると思っていた比呂美は、すでに帰り支度を済ませて、玄関側の戸口に回っていた。 用事があるから、と素っ気無く告げ、比呂美は戸をピシャリと閉めてしまう。 (……話があるんじゃないのかよ……ったく……) どうやら本当に、母から味噌汁の味付けを習いに来ただけらしい。 恋人同士なんだから、嘘でも『あなたの顔を見に来た』くらいは言って欲しいものだと思いつつ、お碗にお茶を注ぐ。 微かな苛立ちを感じながら、眞一郎がお茶漬けを胃袋に流し込み始めたとき、閉じられた戸板が再び開いた。 「……ん?なんだ、忘れ物か?」 冷たくし過ぎたと反省したのだろうか。 肩越しに振り返って見る比呂美の様子は、どこか神妙だった。 「…………もしかして……デートとかするつもり……だった?」 「え??」 謝辞の気持ちから、想像が大きく飛躍してしまった様だ。 比呂美の脳内では『眞一郎は今日、自分をデートに誘うつもりだった』という事になっているらしい。 「いや…別に。俺も今日、用事あるし」 ……決して『お返し』という訳ではない。本当に予定があるので、眞一郎は正直にそう言った。 「………… あっそう! じゃ、私いくわ!」 一際大きく雷鳴が轟いたかと思うと、今度はドンという轟音を立てて戸が閉まる。 ……こういう面倒なところも可愛いよなぁ……などと考えながら、眞一郎は立ち上がって比呂美を追った。 「怒ったのか?」 ブーツを履いている比呂美を玄関で捕まえ、眞一郎は訊いた。 「別に。 ただ、言われた事をそのまま返してくるなんて、子供だなって思っただけよ」 比呂美はおとなしそうでいて、結構、気性が荒くて怒りっぽい。 だが、それは甘えの裏返しで、その本当の顔を見せるのは、自分と母、そして朋与くらいであるのも分かっていた。 頼られている実感は嬉しくもあるが、やはり、誤解は早く解消せねばと思う。 「用事があるのは本当なんだ」 と抗弁する眞一郎をキッと睨みつけ、「何の用事!」と問い詰めてくる比呂美。 本当は夜になってから話すつもりだったが、こうなっては仕方が無かった。 前触れもなく比呂美の上体を抱きしめ、その耳元に眞一郎は囁く。 …………これから行く場所、そしてこれから会う人たちのことを………… ………… 眞一郎の話を聞き、すっかり怒気が抜けてしまった比呂美は、「私も一緒に行く」と言い出した。 だが、眞一郎は首を縦には振らない。 「一人で行きたいんだ。 二人で行くのは……まだ早い」 それに、そっちにも約束があるんだろ?と問い掛ける眞一郎に、比呂美は短い逡巡のあとで、静かに頷いた。 比呂美が普段の落ち着きを取り戻したことを確認し、眞一郎は彼女を解放する。 「夜に……こっちの用事、何なのか話すから」 比呂美はそう告げながらブーツを履き終えると、クルリと眞一郎に向き直って瞼を閉じた。 なんだよ、と惚ける眞一郎に、「ん」と唇を突き出して『お出掛けのキス』を要求する比呂美。 「大胆だぞ、お前」 「いいじゃない。……ふたりっきりなんだしさ」 それもそうだ、と呟いて、眞一郎は比呂美の瑞々しい膨らみに、自らのそれを甘く重ねる。 従業員の少年が中庭からそれを目撃し、硬直している事に二人が気づくのは、それから二分後のことだった。 つづく

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