ある日の比呂美15

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ある日の比呂美15」(2008/07/12 (土) 14:32:10) の最新版変更点

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麦端高校の体育館は月に一回、近隣の住民に開放されている。 もちろん生徒も自由に使用できるのだが、休みの日にわざわざ学校にやってくる者はあまりいない。 ……午前十時五十五分。比呂美の姿は、その体育館にあった。 (そろそろ来るかな) 自分を呼び出した黒部朋与は、時間に正確な人間だ。 おそらく、約束の時間…十一時ちょうどに現れるに違いない。 『決着をつけたい』と書かれていたメールの文面…… それが内包する意味は、正直、良く分からない。 あの日、朋与と眞一郎の間に何があったのかは訊いていないし、これからも訊くつもりはない。 踏み込んではいけない部分というものは、やはりあると思うから。 ただ眞一郎にそうしたように、朋与の中に自分に対して叩きつけるモノがまだあるというなら…… それを受け止めたい。 受け止めなければならない。 だから……自分は今、この場所で朋与を待っている。 眞一郎に相談することも止め、ここで一人、朋与を待っている。 朋与が真剣に愛を傾けた男を奪った……それが自分の責任だと思えるから。 ………… 「あれ? 比呂美、何その格好」 予想通り、時間ぴったりに現れた朋与の第一声はそれだった。 普段と変わらない冬の定番服で親友を迎えた比呂美に、朋与は呆れたように言う。 「何って…… 朋与こそ、何それ??」 高岡先輩から受け継いだ『4』のナンバーがプリントされたユニフォームを身に着け、朋与はボールを指先で回している。 「『何それ??』って…アタシらの決着っていったら、コレしかないでしょ」 朋与は手にしたボールを床に数回バウンドさせ比呂美にパスすると、肩に掛けていたバッグを床に下ろした。 そして、真っ直ぐな……風のように清涼な視線を比呂美に向けて来る。 「『王様の城』の前で喧嘩して……それっきり顔、合わせなかったじゃん。だからさ……」 『王様』の眼の届く所で、ちゃんと勝負して……スッキリしたい、と朋与は言う。 ……『王様』とは、地べたを指す麦端高内での隠語だ。 狸に襲われても生き残った強靭さと、人を食ったような態度から、地べたは影でそう呼ばれている。 呼び始めたのは、あの石動乃絵だという噂もあるが、真相は定かではなかった。 ………… 「地べたの見ている所で……喧嘩のケリをつける…ってこと?」 「うん」と言って頷く朋与が動かした視線の先には、開放された扉の向こうに、地べたの住まいがハッキリと見える。 外からの反射光に眼を細めながら、朋与は続けた。 「アタシさ……比呂美とずっと親友でいたいと思ってる」 大人になっても、おばさんになっても、お婆さんになっても……一生の友達でいたいと思ってる…… だから、この一年で二人の間に積もった『滓』を全部吐き出してしまいたいと、朋与は比呂美に視線を戻して告げた。 「イヤな物、残したくないんだ。比呂美との間には」 そう宣言して清清しく笑う親友を、比呂美は『凄い』と思った。 石動乃絵とは別の意味で、朋与は凄い……本当にそう感じる。 眞一郎を救い、自分を救い、そして己は深く傷ついて…… それでも尚、気高くあるこの少女が、自分の事をまだ『親友』と呼んでくれる……それを誇りに思う。 そして彼女が望むのなら……彼女の望む『決着』を……『ケリ』をつけなければならない! ………… 「……いいよ。やろう、朋与。……ブッ倒れるまで!」 ニヤリと笑ってチェック柄のマフラーを首から抜き取ると、比呂美は手にしていたボールを朋与に投げ返した。 「フフ……悪いけど……今日はアタシが勝つからね!」 少しだけ表情に悪意を混ぜ込んで、口角を歪ませた朋与がドリブルを始める。 だが、比呂美も負けてはいなかった。 (服くらい…丁度いいハンデだわ) イメージの中でならともかく、実際の1on1で、比呂美は一度も朋与に負けたことが無い。 ガードポジションでの指揮能力以外、選手として朋与に劣る部分はひとつも無いという自負が比呂美にはあった。 「さぁ、来い!!」 両腕を一杯に広げてディフェンス体勢に入る比呂美。 そんなライバルの様が滑稽だとでも言わんばかりに、朋与は身体を左右に揺らしながら近づく。 (…なに??この自信……) いつもと違う気迫に圧された比呂美が刹那、怯みを見せたとき、「吠え面かかせてあげる」と呟いて、朋与は笑った 「おじさん、おばさん、 ……ご無沙汰してます」 日本海に面した小高い丘の斜面……そこにある寺の小さな霊園に、比呂美の両親の墓は立てられていた。 ……この場所を訪れるのは久しぶりだった。 ここに来たのは火葬の後、納骨に立ち会った時と、昨年の三回忌法要の時だけ。 普通に墓参りをしたことは、一度も無い。 不義理をしていた訳はいくつかあるが、一番の理由は、あの時の比呂美だ。 漆黒のワンピースを着て泣き崩れ、背中を震わせる姿が頭に浮かびそうで……怖かった。 いや、その不安に泣き濡れる肩を抱くことが出来なかった、情けない自分を思い出したくなかったのかもしれない。 ……でも、今は…… ………… 「お線香、忘れちゃいました。……すいません」 乏しい財布の中身に相応しい小さな花だけを供え、膝をついて手を合わせる。 そして瞼を閉じ、眞一郎は心の中で、比呂美との間にあったことを二人に報告した。 天国にいるおじさんとおばさんは、多分、自分と比呂美が愛を確かめ合ったことを知っている。 『そういうこと』を親に…それも相手の親に報告するのはどうなんだ?と思わないでもない。 だが、心の中で嘘をつくなんて器用な真似は出来ないし、したくもないので、眞一郎は小賢しい言い訳は考えなかった。 ………… …………怒っている…と思う………… 二人の大切な宝物を、勝手に自分のものにしてしまったのだから…… 腹を立てるのが当然だ。 もし、おじさんが生きていたのなら、顔の形を変えられても文句を言える筋ではない。 (でも俺、謝りません) 自分を睨みつけているだろう二人の魂に、眞一郎は胸の中でキッパリと告げた。 ……謝罪とは『過ち』を認める行為…… しかし、自分と比呂美の愛は、絶対に『過ち』などではない。 まだ早い、と責められれば抗弁できないが、『謝る』ことは違うのではないかと、眞一郎には思えた。 (お二人にどんなに叱られても……謝りません。 ……俺たち……愛し合ってますから) そうだ……自分と比呂美は愛し合っている…… ……それだけは……胸を張っておじさんとおばさんに言うことが出来る、揺ぎ無い事実だった。 しかし、微かな記憶を頼りに思い浮かべた二人の顔は、『大丈夫なのか』と自分を責め立てる。 私たちの大事な比呂美を、本当に君は守ることが出来るのか?と問い詰めてくる。 ……その表情の中に、自分たちが比呂美の側にいられない苦しみを織り込みながら…… ………… (まだ、許してもらえないのは分かってます) 「比呂美をください」と見栄を切れるような……そんな立派な大人に……自分はまだ成れていない。 でも、いつか必ずおじさんとおばさんに認められる男になって、比呂美を守る。 おじさんとおばさんが遣り残した分まで……幸せにしてみせる。 ……いつか…必ず………… ………… 「だから、もう少し待っててください」 最後の願いは、口から音になって飛び出してしまった。 自分と二人の他には誰もいないのだから、別にいいかと思い、立ち上がって墓石に一礼する。 そして踵を返し、来た道を戻ろうとした瞬間、視線の先に見知った人影を見つけて、思わず眞一郎は脚を止めた。 「珍しいな。お前一人か」 「……父さん」 近づいてくる父は自分と違い、手桶と柄杓、線香と花をちゃんと用意していた。 月命日でもないのにどうして?と問う自分の横を抜け、父は墓石に水を掛け始める。 一緒に出掛けたはずの母が見当たらないので聞いてみると、本堂でご住職に挨拶している、という答えが返ってきた。 「得意先回りの帰りなんだが……母さんがな……」 「母さんが?」 取引先への挨拶が終わり、家へと向かっていた帰り道、母は急に「お墓参りがしたい」と言い出したそうだ。 ……母も自分同様、この場所を訪れた事は殆ど無い。 昨年の三回忌法要ですら、『自分には資格が無い』といって裏方に徹し、墓前には顔を出さなかった。 ……その母が、一体どうして?…… ………… 「『今朝の比呂美の顔を見たら、なんだか二人に会いたくなった』……そうだ」 ……嬉しいのだろうか。 火を点けた線香の束を軽く振りながら、父は柔らかな笑みを浮かべている。 「……なんだよ、それ」 ぶっきら棒に返したものの、眞一郎にはその一言で、母の心境が変化した理由が……何となく分かった様な気がした。 最近の母と比呂美は、一時期の確執が嘘のように、女同士で通じ合うモノを見せる時がある。 自分よりも比呂美の方が母に似ているな、と感じる瞬間さえ、たまにだがあるのだ。 『母親』としての直感が、自分との繋がりで変わった比呂美の様子を、敏感に感じ取らせたのかもしれない。 そしてその事を……おばさんに知らせたくなった……のかもしれない。 母とおばさん、そして比呂美…… 男の自分には分からない感覚を、女たちは共有している…… 確かめようの無いことだが、眞一郎にはなぜか、そんな風に思えた。 ………… ………… 「お前の話は何だったんだ?」 「……え……」 自分たちの分の花を飾り終え、父は視線をこちらに向けると、そう訊いてきた。 正直に話すわけにはいかないので、「比呂美のことを…ちょっとね」とだけ言って誤魔化す。 息子の胸中を知ってか知らずか、父は「そうか」とだけ呟き、内容を深く追求してくることはなかった。 「……それじゃあ、俺、先に行くよ」 再び踵を返して、眞一郎は墓前を離れようとする。 すぐ側にある石段に脚が掛かった時、「眞一郎」と息子を呼び止める父の声が、さざ波のように届いた。 「…………?」 返事をせず振り向いた眞一郎に、父は墓前で手を合わせたまま……『親友の思い』を代弁する。 「その時が来たら、二人でここに来い。 ……俺が……湯浅の代わりに、お前を殴ってやる」 その言葉と共に吹いた強い風が、眞一郎の全身を叩き、そして通り過ぎた。 ……だがそれは、打ち据えるような冬の冷風ではない。 背中を軽く押してくれるような……暖かい春風だった。 (…………) 見慣れた父の横顔が一瞬、記憶の底にある『湯浅のおじさん』に見えて、涙腺を潤ませる。 しかし自分はもう、この人の…この人たちの前で泣く訳にはいかない…… そんな思いが胸を駆け、雫の流出を寸前でせき止めた。 ……比呂美を託された責任……それを果たせる『男』に、自分は成らなければならないのだから。 ………… ………… そのまま瞳を閉じ、親友と久しぶりの会話を始めた父に向かって、眞一郎は身体を向き直らせて深々と一礼した。 もちろん、義理の父母となる二人の御霊にも。 そして眞一郎は、本堂へとつづく石段に脚を掛け、三人の語らいを邪魔しないように、墓前を辞した。 階段を下る途中で、こちらへ登ってくる母に出会ったが、互いに微笑み合っただけで、特に言葉は交わさなかった また一つのケジメを自分の中でつけた眞一郎は、今日の天気のように晴れ晴れとした顔で帰路についた。 夜、比呂美にどこまで話そうかと思索に耽っていると、朝食を消化した胃袋がグゥ~と音を立てて鳴る。 ……そういえば、もうそろそろ昼時なのだが…… (家に帰っても飯がないな) こういう状況の時、最近の母は決まって、自分の食事を用意するのを忘れる。 従業員に出す食事は絶対に忘れないのに、だ。 比呂美も用事で出掛けているから、アパートで何か食わせてもらうという訳にもいかない。 (『あいちゃん』でも行ってみるかな) 日曜の営業時間は午後二時からだが、この時間なら愛子も三代吉も、店に来て仕込みを始めているはずだ。 行けば何か食わせてもらえるだろう…… 算段を立てた眞一郎が、歩速を上げて『あいちゃん』へ向かおうとしたその時、ポケットの中の携帯が震え出した。 「?」 取り出して相手を確認してみると、画面には満面の笑みを浮かべる比呂美が映し出されている。 なんだ、もう用事は済んだのか?と思いつつ通話ボタンをピッと押す。 だが、受話口から聞こえてきた第一声に、眞一郎の心臓はドキンと跳ね上がった。 《やっほー!仲上君!黒部で~す!!》 「!!」 …………どうして比呂美の携帯を朋与が…… 心臓が激しく脈打ち、声が出せない眞一郎の複雑な心情をよそに、電波の向こうで朋与ははしゃいでいる。 《ハハハハハ。驚いてやんの》 《…と、朋与!…はぁ、はぁ、……人の携帯……勝手に…》 けたたましい朋与の声の向こうに、息も絶え絶えな比呂美の声が混じる。 ……一体、何がどうなっているのか??? 落ち着かない気持ちはさておき、何が起きているのかは理解せねば、と思う。 そして想像できない状況を把握するため、眞一郎はやっとのことで声を絞り出した。 「お前ら……何やってんだ?」 《フフン。今、比呂美をボッコボコにしてしているところよ》 勝ち誇る声に《まだ負けてないわ!》という比呂美の声が被ったが、妖怪のようなケケケという声に掻き消されてしまった。 再び絶句してしまった眞一郎の耳に、朋与はつづけて鞭をくれる。 《そういう訳よ。 助けたかったら今すぐ、体育館まで来なさい!…以上!!》 「おい!ちょっと待…」 ……眞一郎の返答には、全く聞く耳を持たないらしい。 命令口調で一方的に要求を突きつけてきた後、これまた一方的に通話は打ち切られた。 「…………た、大変だ……」 眞一郎の脳裏に、一年と少し前に目撃した、頬を腫らして泥まみれになっていた二人の姿が浮かぶ。 ……まさかとは思うが…… ……まさかとは!! ………… 「うい~っす!眞一郎!!」 携帯を握り締めて硬直している眞一郎の背に、聞き知った声が猛スピードで接近する。 眞一郎の横で急制動をかけたそれは、野伏三代吉の操るおニューの自転車だった。 「どうよ、これ? 昨日買ったんだけどさ~。これで愛子とラブラブ・サイクリング、と洒落込もうかと……」 殺気立つ眞一郎の様子に気づかず、三代吉はおそらく実現不可能であろう妄想を話しはじめる。 アホか、お前はこれから店の仕込みだろう!という突っ込みは勘弁してやり、眞一郎は三代吉からハンドルを奪った。 ……僥倖…… まさに、渡りに船である。 「な、何すんだよ」 三代吉を押し退けるようにサドルも奪うと、眞一郎はペダルに右足を乗せた。 完全に地面に追い立てられた三代吉に背を向けたまま、「借りるぞ」と短く告げて、動力を加える。 「な、何ぃぃ!オイッ!!眞一郎!!!」 遠ざかる三代吉の声が、自転車泥棒ぉぉぉ!!と叫んでいたが、そんなモノには構ってはいられなかった。 眞一郎は加速する! 何とかして、朋与を止めなければ!! …………比呂美が……比呂美が危ない!!! つづく

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