ファーストキス-7

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▲[[ファーストキス-6]] ――第七幕『やっぱり、こわいんだと思うの』―― ――桜の花びらが舞う中、比呂美が先に階段を上がっていく。  比呂美の腰まで伸びた髪が、時折、眞一郎の顔まで届きそうになる。まるで、眞一郎を からかうように……。その度に、眞一郎は、体の芯にむず痒さを感じ、目の前で揺れてい るスカートに飛びつきたくなる衝動に駆られた。  目の前のふたつの柔らかな膨らみが、スカートを交互に跳ね上げる。その衝撃によって 生まれた波が、スカートの裾まで伝わり、比呂美の引き締まった足の露出を手助けした。 紺色のハイソックスの上の素肌の部分を断続的に開放したのだ。 ……こんな女の子がそばにいて、おれはよく耐えてこられたよな……  眞一郎は、比呂美に対する性的欲求の我慢の継続を褒めてあげたい気持ちになった。比 呂美と気持ちを通じ合わせてから約二ヶ月間、比呂美のアパートでそういう行為にまで及 ぶチャンスはいくらでもあった。自分が真剣な目をして求めれば、比呂美は、簡単に体を 許しただろう。比呂美は、遠まわしに自分を誘っていたいのだから……。でも、そうしな かったなのは、ある意味自分に意地になっていたのかもしれない。  今日――。もうすぐ、その我慢の記録が途絶えてしまう。  小学生のころから好きだった比呂美。  約十年間、思いつづけた気持ちの、成就。  しかし、記録が途絶えてしまう勿体無さと、比呂美に対する侮辱みたいな気持ちを感じ ないわけではなかった。  比呂美の純潔な花を、これから摘み取ると思うと、少し、やるせなくなった……。 ……比呂美は、いま、どんな気持ちなんだろう?   キスとは、明らかに違う、   はじめて、男の体を受け入れる気持ち。   やはり、おれであっても、怖いのか?  カンカンと響き渡っていた鉄製の階段を上りきり、廊下をすたすたと歩いていく比呂美。 その背中から何かを感じ取れるほど、眞一郎は、大人ではない。後ろをついていく自分を まるで気にしない比呂美を少し疎ましく思った眞一郎は、お尻を触りでもして、比呂美を 少し動揺させてやろうかと思ったが、間違いなく平手が飛んできそうだったので、その計 画は、風に飛ばすことにした。  十数歩後、比呂美の部屋の前に着く。  比呂美は、鞄から鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで、ドアを開けた。ドアノブを眞一郎 にバトンタッチした比呂美は、靴を脱ぐなり、あっ、と小さくを発して、小走りに部屋の 中へ消えていった。眞一郎は、何事だろうと比呂美を目で追いながら、中に入り、ドアの 鍵をかけた。  なにか、かしゃかしゃとプラスチックの音が聞こえる。  眞一郎が靴を脱ぎ、部屋へ向かう途中で、比呂美の慌てた声が飛んできた。 「来ちゃ、ダメ」  しかし、時すでに遅し。鈍感な眞一郎は構わず進んでいってしまった。  比呂美は、部屋に干していた洗濯物を必死になって引っぺがしていたのだ。大半が下着 だった。  比呂美も、ドキドキしていたんだ――。慌てふためく比呂美の姿を見ながら、眞一郎は そう思った。  普段の比呂美なら、部屋の中の状況を思い出し、眞一郎を部屋の外で待たせたはず。下 着を部屋にぶら下げたまま恋人を部屋に招き入れるほど比呂美はだらしくないのだ。  眞一郎は、部屋を出ようかどうか迷ったが、比呂美がそのあと感じる恥じらいを思うと、 比呂美のミステイクに対し、眞一郎もミステイクで返してやることにした。つまり、この 場の恥ずかしさの矛先を全部自分へ向けさせることを考えたのだ。  眞一郎は、下着を胸で抱え込んでいる比呂美に近づき、背中から抱き締めてやったのだ。 「あっ、ゃ……」と反射的に声を上げる比呂美。  眞一郎は、『下着を片付けているカノジョに抱きつく』という大失態を、これで成功さ せたつもりだったが、眞一郎の思惑は、悪い方へ転がってしまったのだ。  眞一郎が抱きついたとき、比呂美はちょうど、下着の最後の一枚を引っぺがそうとして いたところで、それをつかみ損ねたのだ。 ……宙を舞う、水色の、縞模様の、パンツ……  ふたりは、そのパンツの行方を一緒になって目で追った。短い時間のはずが、長く感じ られた。やがて、そのパンツが床に達し、色気のない音を発すると、比呂美は慌ててしゃ がみ込もうとしたが、眞一郎は、全身で踏ん張ってそれを阻止して、床のスペースが一番 広いテーブルの脇に、比呂美を引きずっていった。 「ちょっと、眞一郎くんってばっ」  比呂美は、嬉しいやら、恥ずかしいやら、眞一郎の腕を軽く叩きながらもがいた。  眞一郎は、それでも力を緩めずに、比呂美を強引に座らせ、肩をつかみ、体を自分の方 に向かせた。比呂美の腕の中から下着が数枚こぼれた。  どうするつもりなんだろう。このまま突入する気? 比呂美は、無言で眞一郎に問いか けたが、眞一郎はじっとなにかを待っている感じだった。比呂美は、下着が片付くまで自 分の方を見ないようにお願いしようかと思ったが、眞一郎は応じそうな雰囲気ではなかっ た。普段の眞一郎ならとっくに気を利かせていただろうから。かといって、今すぐなにか をしてくる風でもなかった。  このままじっとしていても仕方がないので、比呂美は、立ち上がろうとしたが、眞一郎 は、比呂美の両腕を素早くつかみ、また座らせた。比呂美は、ちょっとむっとした。 「もう~なんなのよ~」 「洗濯物……」 「え?」  眞一郎は、なんの躊躇いもなく比呂美から洗濯物を奪い取ると、テーブルの上に置いた。 そして、比呂美の顔を見つめた。  比呂美は、このデリカシーのない行為を抗議してやろうと眞一郎を睨みつけたが、眞一 郎の深い眼差しに、その気持ちを吹き飛ばされてしまった。  眞一郎は、自分をからかってなどいない――この瞳がその証拠だ。比呂美は、自分の失 態を帳消しにするために眞一郎があえてデリカシーのない行為に及んだのだと悟った。 (わたしだけ恥ずかしい思いをしないようにしているんだ。小さいころ、一緒に祭りを見 に行ったときのように)  眞一郎の本当の気遣いを知った比呂美は、急に体が熱くなるのを感じ、口が自然と半開 きになってしまった。   ……いするぎのえ。   あなたは、眞一郎のこんな目を見たことあった?   女を見る目。   女を求める目。   眞一郎くんは、本気でわたしを求めている……     比呂美は、眞一郎に気づかれないようにスカートの裾の乱れをゆっくり直した。少しで も自分の綺麗な姿を見てもらいたくて……・  そして、比呂美は、ゆっくり目を閉じた……。    比呂美は、両足の膝から下を外側にはみ出させ、お尻を床にぺたんと付けて座っている。 制服のスカートは、全開の朝顔の花びらのようにきれいに広がっていた。  比呂美は、まるで、花の妖精のようだった。  いつも見ている姿だというのに、表情、仕草、ポーズひとつで、女の子は、こんなに印 象が変わるものなのだろうか? 眞一郎に新鮮な驚きが広がった。  眞一郎は、しばらくこのまま見ていたい気持ちになったが、同時に、待ってくれている 比呂美に早く応えてあげなくては、という使命感も湧き起こった。  膝立ちになった眞一郎は、両膝の間隔を開き、その間に比呂美の膝頭を挟むように近づ いていった。  比呂美は、じっと目を閉じている。  お互いの膝と膝が擦れ合うと、比呂美は、ぴくっと全身を震わせたが、少し顎を突き出 し、早く、と眞一郎をせかした。  眞一郎は、比呂美の両肩に手を置き、自分の方にゆっくり引き寄せた。そして、指先と 指先を合わせるような慎重さで顔を近づけていき、比呂美の鼻息が感じられるほどの距離 になると、眞一郎も目を閉じ、最後のひと押しをした。 ……なんで、いつもと違うんだろう……  唇が触れ合った瞬間、ふたりは、同時に、同じことを思った。  今まで幾度と重ねてきたキスなのに、胸を熱く苦しくするものがいつもと違った。そし て、今までのキスは、半端な気持ちでしていたのではないだろうか、とふたりは省みた。  比呂美は、それに加え、泣きたくなるような感激を受けていた。さきほどの自分の失敗 など完全に頭の中から消し飛んでしまうほどだった。  お互いの鼻息が、お互いの口元をくすぐる。やがて、ふたりは、そのタイミングを合わ せた。こんな些細なことでも、今のふたりには、嬉しくて堪らなかった。  しばらくこのシンクロ遊びを楽しむと、眞一郎は、僅かに唇を戻し、比呂美の唇全体を 挟み込むように、また吸い付いた。  比呂美は、眞一郎の手が自分の背中に移動していくのを感じると、自分の腕も眞一郎の 腰に絡ませた。  そして、お互いに体をさらに引き寄せた。  比呂美の唇も、眞一郎の唇を求めるように動きだした。  それから、ふたりは、時折顔を離しては、目で合図を送ってはまた吸い付き、お互いの 唇を弄ぶという行為を繰り返した。 「わたしたち、なんでこんなにエッチなんだろう……」 つづけていた行為をちょっと休めると、比呂美が口を開いた。 「比呂美が、エッチだからだろ?」 「えぇっ、わたしだけ? 噛みつくぞ、こら」 と、目を笑わせたまま睨んだ。  そんな比呂美の態度に、眞一郎の心はくすぐられ、子供のような悪戯心が芽生えてくる。  本来男という生き物は、女に悪戯するためにいるのかもしれない。それは、やさしさだ けでは、女が退屈してしまうからだ。眞一郎も例外ではない。  急に性衝動が加速しだした眞一郎は、再び比呂美の体を抱き寄せ、比呂美を背中の方に 押し倒したあと、比呂美の脇にぴったりくっつき、利き手を一気にスカートの中へ滑らせ た。 「ひゃっん」 と比呂美が声をあげると、ますます眞一郎の心が快感を覚えた。  比呂美の太ももを駆け上がる眞一郎の右手。比呂美の腰骨あたりにある下着を目指した。 比呂美の素肌で初めて触る部分を通過したが、その感触を楽しむ余裕はなく、とうとう、 薄くて、頼りなさそうな布地にたどり着いた。 「あっ……ひゃ……ちょっ、と……」  比呂美は、女の本能に従って反射的に眞一郎の攻撃に全力で抵抗をした。くすぐったさ と、恥ずかしさで体をばたばたさせていたが、比呂美の心の中に『ある思い』が戻ってく ると、全身の力を抜くように大人しくなった。  その比呂美の態度の急変を感じた眞一郎は、自分がいきなり乱暴に走ったことに比呂美 が驚き、泣きだしたのではないかと思い、スカートの中に潜り込ませた手を止め、比呂美 の顔を覗き込んだ。  比呂美は、眞一郎の目を見ることが出来ず、目線を斜め下に向け、少し泳がせていた。 嫌がっている表情ではなかったが、眞一郎の行為を受け入れようとする気持ちと、まだ眞 一郎に見せたことのない女の部分を曝け出す恥ずかしさの間で揺れ動いている感じだった。  眞一郎は、いったん中断して、性行為までの順番を仕切り直そうかと考えたが、いまさ らみっともない感じがした。それは、比呂美があまりよく思わないだろうと思った。男ら しく、自分の欲望ままにつづけた方が、よっぽどいいように感じた。  眞一郎は、再び、比呂美の下着を優しくつかんで、比呂美の顔を見た。  このまま進めるよ――と合図を送ると、比呂美は、目を逸らしたまま小さく頷いた。  そして、比呂美は、お尻を少し浮かせた。  眞一郎は、下着をつかんだ右手を比呂美の太ももまでずらすと、上半身を起こして、左 手もスカートの中に進入させ、同じように下着を素早くずらした。左右に伸びていた下着 は少し元に戻り、比呂美の太ももの間にかかった橋のようになった。  比呂美は、お尻を床に戻すと、膝を折って、足をくの字に曲げた。  眞一郎がさらに膝まで下着をずらすと、スカートから飾り気のない薄い桃色の下着全体 が現れた。下着が膝を通過すると、比呂美は、右手で太ももの辺りに手を置き、スカート の裾がずり落ちるのを防ぎながら、踵を浮かせた。  するりと足首を通過する下着。まもなく、下着は完全に比呂美から離れた。  眞一郎は、その下着をどこに置こうか迷ったが、テーブルの下に置くことにした。  テーブルの上にも下着、下にも下着、変な光景だった。  比呂美は、それをじっと見ていたが、何もいわずにいた。  眞一郎は、比呂美に背を向けると、服を脱ぎだした。  比呂美は、眞一郎に次どうするのか訊こうとしたが、声には出さず、自分のすぐ近くに ある白い整理ダンスにしまってあるコンドームを、どのタイミングで出そうか考えた。  眞一郎は、上半身、裸になると、ズボンのベルト慌てるように緩めだした。  眞一郎の焦りっぷりを感じると、比呂美は、今しかない、と思い、タンスの引き出しを 開け、コンドームの箱を取り出した。  まったく予想していなかった引き出しの音に眞一郎は振り返ると、比呂美が俯いてコン ドームの箱を持っていた。今まで見たこともない比呂美の恥らいように、眞一郎は言葉が 出なかった。でも、なんとか「ごめん」ということができた。  眞一郎のその言葉を聞いた比呂美は、口だけで笑って、大丈夫よ、と返した。  眞一郎は、ガラス細工を扱うみたいに、コンドームの箱を受け取った。  そう、確かにこれは、大事なものなのだ。壊れてもらっては困るのだ。そのことを意識 していなくても、体がそのように動いてしまうのは、これから行う行為の尊さと儚さと切 なさを感じているからだろうか。  その箱を開封しようと思った眞一郎は、その箱の状態に、あれ? と疑問を抱いた。す でに封が切られているのだ。  未開封のものを渡すべきだった――。比呂美は、はにかんだ。  眞一郎が、どうして? と表情で問いかけてきたので、比呂美は、とにかく口で説明す ることにした。 「ほら、前、わたしを押し倒したことがあったでしょう? そのとき……」 「あっ、そ、そうか……ごめん……」  眞一郎は、申し訳なさそうに頭を掻くと、箱から小袋を一つ摘み出した。少し手が震え ていた。 「付け方、わかる?」 「……うん……」 「付けたこと、ある?」 「……うん。あっ、いや…………ないよ……」  比呂美にわざと教えてもらうのもいいかな。そんな願望がちらっと頭の中をよぎったが、 眞一郎はそれを口に出すのを止めた。今の比呂美にはかわいそうな気がした。  そして、眞一郎は比呂美に背を向けると、ズボンを、それからトランクスを一気に脱い だ。  比呂美は、思わず横を向いて、眞一郎のお尻から目を逸す。  眞一郎のペニスは、かつてないほどに固くなり、表皮がぱんぱんに張って少し痛みを伴 うほどだった。亀頭には、透明な粘膜が充分に張りめぐらされていて、その部分を指で挟 むとつるんと滑った。  眞一郎は、コンドームの袋の出来るだけ端の方を慎重に切り裂き、中身を取り出し、ゴ ム膜がくるくる巻きになっている部分を摘んだ。  取り出されたコンドームの姿を一瞬見てしまった比呂美は、急激な鼓動の高鳴りに、息 が苦しくなるのを覚え、眞一郎の背中に泣きつきたくなる衝動に駆られたが、なんでもい いから部屋の中のものを観察してなんとか気持ちを落ち着かせようとした。  その甲斐あって、比呂美はふっと気付いた――とりあえず、今のうちに髪を束ねておこ うと。  比呂美は、スカートのポケットから、紫色のゴムバンドを取り出した。そのゴムバンド を右手首にはめてから、後ろ髪を束ねて体の前へ持ってきた。それから、髪をつかんだま ま、ゴムバンドを手首から滑らして抜き、髪にはめ、一気に毛先の部分をゴムバンドの内 側をくぐらせる。髪にはまったゴムバンドを毛元の方へずらして調整すると完了。  眞一郎は、準備の真っ只中――陰茎にまとわり付いている陰毛をペニスの根元の方へ押 しやり、亀頭の先端の噴出部にコンドームを当て、巻かれたゴム膜を伸ばしていく。  眞一郎のペニスにコンドームが装着されていくのを、眞一郎の背中と首と腕の動きから 感じていた比呂美は、眞一郎のおろおろする姿に噴き出しそうになったが、さすがに今は 笑っちゃいけないと思い、ぐっと堪えた。  まもなく、眞一郎の性のシンボルは、薄ピンクの衣をまとった。透けて見える自分のモ ノを見た眞一郎は、本当にこれで大丈夫だろうか、と不安を感じて眉毛をひそめた。だが、 眞一郎の体は、すでに冷静さから離脱しつつあった。 ……自分の準備は出来た。振り向けば、比呂美が、いる。   比呂美は、今、どんな顔をしているんだろう?  眞一郎は、このさき、どのように比呂美に接すればいいのか考えた。だが、全身の血液 がどくんどくんと脈打ってる中で、思考がうまく整理出来るはずがない。それでも、なん とか順番だけでもと必死になって考えたが、頭に浮かぶのは、比呂美の腰を強く抱き寄せ、 腰を振る自分の姿だけ。それ以外、何も浮かばなかった。 ……腰を動かすだけじゃなくて、ほら、他にいろいろあったじゃないか……  比呂美を乱暴に扱わないように、眞一郎の理性は限界まで踏ん張ったが、それは、もう、 風前の灯火でしかなかった。眞一郎の身も心も全身の激しい脈動に堪えられなかったのだ。  これを鎮めるには、比呂美に、比呂美の体に、飛びつくしかないのだ。そうしなければ、 もっと悲惨な結果になるだろう――。  眞一郎のその理屈が、最後まで頑張っていた理性を弾き飛ばし、眞一郎を比呂美の方へ 振り返らせた。  そして、眞一郎は、飛んだ。比呂美の体の中心あたりに目がけて、比呂美の体に飛びつ いた。 「わっ!!」 と思わず声をあげた比呂美は、そのとき、スカートのファスナーを半分くらいまで外して いた。当然、眞一郎の体を受け止めれる体勢ではない。  だから、比呂美の体に眞一郎の体が到達しても、その勢いは止まらず、比呂美は、勢い よく後頭部を床に打ち付けてしまった。  その衝突による低い音が響いても、今の眞一郎には、比呂美を気遣う余裕はなかった。  眞一郎は、比呂美の体をクッションにして、おたまじゃくしのように蠢くことに夢中に なっていた。射精の快感を覚えたころからずっとしたかったこと――今それが叶っている のだ。そのこと知れば、比呂美は間違いなく自分のことを軽蔑するだろうが、男の欲求な どそんなものだと、心の中で眞一郎は、反発した。そして、そのことが、口に出せない分、 そのエネルギーは体の運動の方へと回った。  比呂美は、その間、目をくるくるさせていたが、念願が達成された眞一郎の動きは、次 第に治まっていった。  さて、これからである。気持ちを仕切り直した眞一郎は、生唾を飲み込むと、次の動作 に移った。  眞一郎は、右手で、比呂美のスカートを無計画にたくし上げ、両足で、比呂美の両足の 状態を確認しながら、自分の体を比呂美の両足の間に滑り込ませた。左手は、床に付き体 のバランスをとった。  まるで大型犬がじゃれるような眞一郎の動きに、比呂美はくすぐったさを感じると共に、 今まで体全体を覆っていた過度な緊張をほぐされていった。  もうすでに、比呂美の内股に眞一郎の体が滑り込んできている。スカートも捲り上げら れ、比呂美の陰毛が密集している部分も晒されていた。  都合のよい体勢になったのだろう。もそもそ動いていた眞一郎の体の動きが止まり、ゆ っくり上半身が起きていった。  比呂美の上半身を一望した眞一郎は、比呂美が髪を束ねていることにようやく気づくこ とが出来た。そして、比呂美の表情にも……。  そのとき比呂美は、無表情に近い目で眞一郎を見ていた。嬉しいのか、恥ずかしいのか、 怖いのか、じれているのか。眞一郎にはよく分からない表情だった。眞一郎がまた変な動 きをしてこないか警戒していたのかもしれない。  眞一郎は、比呂美の内股に体をくっつけたまま、さらに上体を起こし、膝立ちになると、 自分のペニスを右手でつかみ、比呂美の秘部に目をやった。  その途端、比呂美はそれから目を逸らすように勢いよく横を向いた。  比呂美のその反応に、眞一郎は、比呂美が不機嫌になったのではないかと思わされたが、 もうそんなことを気にしている状況ではなく、秘部の観察をつづけた。  下腹部に生えそろった陰毛は、基本的には男のそれとあまり変わりはないが、毛足はさ ほど長くなく、薄い感じがする、上品な感じがする。  それから、陰毛の部分のほぼ中央から、ぷっくりとした盛り上がりが左右に別れだして いる部分がある。そう、ここからが女性の性器だ、と眞一郎は思った。さらにその裂目の 奥の方にいくと、舌先のようなものが二枚はみ出していて合わさっていた。この辺に、挿 れ口があるのだろう。  眞一郎は、ペニスから手を離すと、比呂美の両膝の裏側に手をかけ、ぐっと持ち上げて 比呂美の体を引き寄せた。比呂美の秘部の割れ目が角度を変え、上を向くと、舌先のよう なものが左右に別れ、見事な紅梅色の肉肌が、内側から覗かせ、外気に晒された。  眞一郎は、この鮮やかな色に息を呑んだ。 ……なんて色、しているんだ。いかにも出血しそうじゃないか……  動きの止まった眞一郎を感じた比呂美は、おそるおそる眞一郎の顔を見た。眞一郎は、 顔をしかめて比呂美の秘部を凝視している。  比呂美の視線に気付いた眞一郎は、疑問というか、罪悪感というか、今までしたことの ないような『にがい表情』を比呂美に見せた。 「……なにか、変?」  比呂美の問いかけに、はっとなった眞一郎は、 「い、いや……なんていうか……」 と言葉をつまらせた。  比呂美は、自分の秘部の生々しさに、眞一郎が心配になったのだと思った。 「痛かったら……ちゃんと……いうから」  眞一郎は、あまり表情を変えずに、小さく頷いた。そして、また、ペニスをつかんだ。  比呂美の色鮮やかな部分に亀頭をもっていくには、かなり力を入れて、ペニスを下に向 けなければならなかった。  息を吐いて全身の力みを取り、ゆっくりペニスの向きを変える。そして、足と腰を使っ て、ペニスの先端を比呂美の膣口に照準を合わせていく。さきに、秘部に先端を当て、ペ ニスの向きを変えることで、亀頭を膣口へ滑らせた。 「……ぁあ……」  比呂美は、思わず声を漏らす。眞一郎が今まで聞いたことのないような声だった。  眞一郎は、比呂美の声に意識がいき、ペニスを持つ手を緩めてしまった。そすると、ペ ニスはすごい勢いで、膣口から飛び出てきて、また、強情にも天を拝んだしまった。その とき比呂美は、「ゃん」と声を上げ、飛び跳ねるように体をビクつかせた。 「ご、ごめん」と思わず謝る眞一郎。  そして、また、同じようにして亀頭をうずめた。  眞一郎は、腰を前へ動かし、ゆっくりと、比呂美の中へ進めていく。  比呂美は、目を閉じ、口を真一文字にして、ぐっと堪えるような表情をしていた。最初 は小さく見えた比呂美の膣口は、倍くらいの大きさに広がっていた。ペニスを四方からね っとりとした圧力が襲ったが、思ったよりもスムーズに移動させることができた。  ペニスを半分くらいうずめた眞一郎は、比呂美の顔を見て表情を確認した。相変わらず、 目を閉じてぐっと我慢しているような顔をしていた。声も発しない。  比呂美は、眞一郎の視線に気づいたように、うっすらと目を開けると、少し微笑んで、 小さく首を縦に振った。この仕草が、眞一郎には、堪らなかった。今まで見てきた比呂美 の仕草の中で、一番かわいいと思った。  こんどは――。眞一郎は、無性に、比呂美の声が聞きたくなった。ペニスをちょっと戻 し、また奥へ入れ込んでみた。 「あぁっ……」  予想通り、比呂美は声を上げてくれた。  もう一度やってみる。 「ぅんん…」  比呂美は、口を閉じたまま、返してくれた。  その声を聞いた眞一郎のペニスは、また一段と固さを増したようだった。それから、眞 一郎は、ペニスを奥深くまで進ませていき、とうとう、奥の限界まで到達させた。 ……いま、一番、比呂美の近いところに、自分はある……  なにか熱いものが込み上げてきたが、泣きたいわけではなかった。  ただ、この上ない感激だった。  比呂美も同じことを思っていた。だが、比呂美の方は、感極まって涙を流してしまった。  それに気づいた眞一郎は、両手を床に付き、ゆっくりと比呂美の体の上に 自分の体を重ね、それから比呂美の背中に手を滑り込ませ、比呂美の体を引き寄せた。 「泣いていいよ……」と囁く眞一郎。 「泣かない……」 「いいって、泣けよ」 「泣かない……ぐすっ……」 (泣いてるじゃないか)  眞一郎は、くすっと笑って、比呂美の頬に、自分の頬をくっつけた。  比呂美は、この眞一郎の優しさに嬉しさを感じながらも、行為の再開を促した。 「つづけて……」 「え?」 「…………」  比呂美は、一回しか言わなかった。 「……よし」  眞一郎は、比呂美の腰の方に、手を持っていき、より深くペニスを差し込むように力を 入れると、腰を動かして、ペニスを比呂美の中で遊ばせた。  数回、手加減しながらペニスの出し入れをして、比呂美の様子を伺った後、今度は、本 気のスピードと振幅に切り替えた。  一気に比呂美の制服のすれる音、結合部の粘液が細かく破裂する音が大きくなった。  ふたりは、もう、自分たちが何をやっているのか訳分からなくなっていた。  気持ちいいのか、痛いのか。緊張しているのか、楽しんでいるのか。  眞一郎は、ひたすら、腰を動かし、ペニスに刺激を与え続け、比呂美も、ひたすら、眞 一郎を受け入れることに専念した。まだ、どんな声を上げたらいいのか分からなかったが。  そして、当然のことながら、眞一郎の方が先に絶頂期を迎えた。  ペニスの芯のところでなにかが込み上げてくるのが分かる。 「おれ……も……でぅ…………」(おれ、もう、でそう)  眞一郎が比呂美にそう宣言した直後、ペニスの先端が破裂したように震えた。  それから、そこから断続的に外へ飛び出していくものを感じた。飛び出すごとに脱力感 が増していく。  眞一郎は、まだ、比呂美の腰にしがみついたまま腕の力を緩めず、ゆっくりと腰をふっ た。いや、急に止めれなかった、というのが正しい。  比呂美も、眞一郎の耳元で、はぁーはぁー息を上げていた。  ふたりは、しばらく、このまま状態で興奮が薄れていくのを待ちつづけた。 ……………………。  外で車の走る音がする。部屋のどこかに置かれている時計の秒針の音がする。汗の匂い と、性のほとばしりの匂いがする。  一組の男と女が、互いに男と女を感じている。  今日の日を境に、想い合ったもの同士から、体をつながせたもの同士に変わる。  すでに変わった。  ふたりは、その実感に酔いしれていた。  呼吸が整い、体の緊張がほぐれると、比呂美は、眞一郎の体の重みに苦しくなり、眞一 郎は、自分の格好の悪さに恥ずかしさを覚えた。  すぐに、眞一郎は、比呂美から、どろどろに粘液がまとわり付いたペニスを引き抜き、 体を離して比呂美に背を向けた。  比呂美は、慌ててスカートをたぐり寄せ、床に飛び散った性液を確認すると、小物引き 出しの上のティッシュペーパーの箱をつかみ、まず、中身を三枚引き抜くと、眞一郎に渡 した。それから、、今度は自分のために引き抜き、秘部を拭い、スカートの裾を下ろした。  眞一郎は、精液が垂れないように用心してコンドームを外していったが、予想を遥かに 超える量の精液に、ティッシュ三枚じゃおっつかないことを悟ると、比呂美に追加を求め た。そのとき、比呂美は、床の性液拭いていて、はい、といってティッシュの箱をテーブ ルの上に置いた。  眞一郎は、すぐさまティッシュを引き抜き、後処理を再開する。  比呂美は、処理に夢中になっている眞一郎に気づかれないように、テーブルの上の洗い 立てのパンツをつかむと、すっと足を通して穿く。そして、テーブルの下の使用済みパン ツをスカートのポケットにしまう。  ようやく自分の性器を拭きあげた眞一郎は、丸めたティッシュを床に置くと、トランク スを穿いた。比呂美は、眞一郎の脇をすり抜け、流しに向かうと、手を簡単に洗い、近く の引き出しから小さいレジ袋を取り出して、リビングへ戻った。そして、眞一郎の丸めた ティッシュと自分の丸めたティッシュをそれに入れ、軽く口を閉じた。  眞一郎はズボンを穿きおえると、恥ずかしそうに、何故か正座をした。  比呂美は、そんな眞一郎に噴き出しかけたが、一瞬、眞一郎が目をやった先のものに気 づくと、慌ててそれを拾いにいった。そう、さきほど宙を舞った縞模様のパンツである。 このパンツは、眞一郎のことが好きなのか、ことあるごとに眞一郎の前に姿を現していた。 比呂美は、そんなことを思い出しながら平静を装い、その縞パンとテーブルの上の下着を 整理ダンスにしまうと、ガラス窓を開けた。  春の薫風が一気に上がり込んでくる。 「気持ちいい風……ねぇ……コーヒー飲む?」 「うん……」  比呂美は、お湯を沸かしだした。  テーブルの上に、ライトグリーンのカップと薄ピンクのカップが置かれ、湯気をくゆら せていた。 「あっけないね」と、比呂美が最初に口を開いた。 「痛くなかったか?」 「大した痛みは、なかったよ……」 「そう……」  眞一郎は、比呂美が多少言葉を抑えてそれをいったと思った。 「血がすぐ出そうな感じがしたけど、きれいな色だった」 「……やだ……思い出さないで……」  比呂美は、ぷいっと首をひねった。 「血、出なかったか?」 「うん。……確かに初めてのときは、血が出るってよくいうけど、わたし、バスケで毎日 激しい運動しているから丈夫なんだよ」 「……そっか」  眞一郎は、少しほっとすると、コーヒーをすすった。 「なんか、あっという間だったね。ジェットコースターみたいだった。それに、眞一郎く ん、変な動き……」 「いや……その……なんか分けわかんなくなって……我慢できなくて……」 「男の子って、そういうものじゃないの?」 「……そうかな? ……ごめん……」  眞一郎は、肩をすぼめた。 「それに、わたしね……はじめてのときは……眞一郎くんの、思うように……好きなよう に……させてあげたかったの。ずっと……そう、思ってたの。……だから、眞一郎くんも ……うまく、できたでしょ?」 「そ、それは……どうだか…………ありがとう」 「ありがとう、だなんて……ふふふ……」  比呂美はころころ笑い出した。  眞一郎は、比呂美の言葉に胸のすく思いがした。  心の奥底から湧き起こってた性衝動に全身を支配され、比呂美の体にいきなりダイブし てしまったことに、次回の行為への不安を感じていたが、比呂美なら自分をうまくコント ロールしてくれるだろうという安心感も生まれてきた。 「わたしたち、なんで、こんな簡単なこと、出来なかったんだろう?」  比呂美は、素朴な疑問を口にした。 「かんたん?」 「……うん」 「そんな、軽率にやっていい行為じゃないだろ?」 「……そうだけど……」  少し沈黙がつづく。 「お互い、大切に思ってれば、こういうこと、大事にしたいって思うじゃない」 と眞一郎は、沈黙の間に整理した言葉をいった。 「それは、そうだけど……わたしは、ちょっと違うな」 「え?」  眞一郎は、比呂美の言葉を意外に思い、少し驚く。そして、比呂美の言葉を待った。 「やっぱり……やっぱり、こわいんだと思うの……」 「え? それって、セックスがってこと?」 「ううん」と比呂美は、大きく首を横に振った。そして、つづけた。 「お互いに気持ちを伝え合い、付き合っていくでしょう? そうしていく中で、手をつな いだり、デートしたり、キスしたり、セックスしたり……行為をひとつひとつ済ませてい くと、それらは全て、通過点でしかなくなって、どんどん、どんどん、これから新しく行 っていくことが減っていってしまう。そして、いつか、なくなっちゃう……それが、こわ いの……」  眞一郎は、言葉が出なかった。  こんなとき不謹慎だとは思ったが、正直、乃絵の言葉よりも心が動かされた言葉だった。 「そんな……通過点だなんて、いうなよ」 「……ごめん」 「でも……おれ、うれしかった。今、比呂美が話してくれたこと、うれしかった」 「え?」 「おれ、もっと、比呂美とそんな話がしたい……もっと……」 「……うん……じゃ~」 「ん?」  比呂美は、眞一郎に笑顔を向けて、 「もう一回、する?」 と、再戦を申し込んできた――。  人は、苦しみの中にいると、安らぎを求める。癒しを求める。それが、何であるかは、 人それぞれだけども……。  眞一郎は、ベッドに体も心も沈め、比呂美と初めて結ばれたときのことを思い出してい た。 ……こんなときに、おれ、なに思い出してんだよ……  眞一郎は、頭を抱え、体を壁へ向けた。  麦端町商工会館を後にした眞一郎の足取りは、重かった。  乃絵からの手紙を見るまでもなく、あの虎の絵は、父・ヒロシが描いたことに疑いの余 地はなかった。なぜなら、眞一郎の全細胞が肯定するように反応したからだ。  眞一郎は、ヒロシが、若い頃、学生の頃、絵を描いていたことを全く知らなかった。も し、ヒロシが絵を描いていたことが本当なら、今、自分が絵を描いていることに多少なり とも遺伝とか影響しているのかな、と嬉しさが湧き起こったが、ヒロシが、趣味ですらま ったく絵を描かなくなったことに、胸がぎゅっと締めつけられる思いになった。父が、絵 を描いている自分を見ると、思い出し、辛いのではないかと……。  眞一郎は家へ帰り着くと、すぐにシャワーを浴び、ベッドに横になって乃絵からの手紙 の封を切った。 『仲上君へ  おそらく察していると思いますが、この『虎の絵』は、あなたのお父さん、  仲上寛さんが17歳のときに描きました。  わたしは、たまたま、西村先生からこのことを知りました。  そのとき先生は、仲上家の問題だから口を挟まないようにと言われましたが、  寛さんが17歳のときに描いた絵であることと、この絵を最後に寛さんが、  絵を描くのを止めてしまったことを考えると、この話は、17歳になった  あなたが、今、知らなくてはいけない話だと感じました。  そして、あなたに話すことに決めました。  そうしなければ、あなたとお父さんの間に一生消えない溝みたいなものが  出来るかもしれないと思ったからです。  西村先生も寛さんも何か考えがあって、まだあなたに話していないだけ  なのかも知れません。  時には時期を待つことも必要かもしれませんが、湯浅比呂美さんとの  関係を真剣に考えようとしているあなたには、待つことよりも  自ら立ち向かうことの方が大事なのでは、とわたしは思いました。  仲上君はきっと自分の道を見つけて、進んでいくと信じています。  もっと詳しい事情は、西村先生に尋ねてください。きっと教えてくれます。  こういう話は、親子で話しにくいときもあるでしょうから。                                 乃絵  PS  心がひとりぼっちのときには涙は流れないみたい』  便箋は、眞一郎が一度握りつぶした所為でくしゃくしゃに皺が寄っていたが、乃絵の字 が年輩者が書くような落ち着いた字をしていたことは分かった。  手紙の内容は、おおかた予想通りだったが、一つ大きく引っかかったことが書いてあっ た。 ……この絵を最後に寛さんは、絵を描くのを止めてしまった……  つまり、このことは、父がこの絵を描いた時点で酒蔵を継ぐ決心をしたことを物語って いた。眞一郎は、そう直感した。  父は、思いの丈をぶつけ、あの虎の絵を描いたのだろう。  そして、自ら、断ち切った。夢を……。  眞一郎の心のど真ん中に大きな穴みたいなものがドカンと空いた。 ……おれが、絵を描くことに理解を示していたんじゃない。   おれが、将来のことに対して、何らかの決断をするのを   ただ、待っていただけなんだ。   そして、作家として、まだ心の弱いことを見抜いていて、   虎の絵のことを息子に話す時期ではないと判断していた。   一歩間違えば、息子の夢をへし折ってしまうから。   それも、父としては辛いこと。   自分が17歳のときにこの虎の絵を描いたと、おれに言えば、   遠回しに、この絵よりも凄い絵を描いてみろ、   そうすれば、作家への道を認めてやる、   そうでなければ、大人しく跡を継げ、   と言ってるようなものだから。   そうは、したくなかったのだろう、父としては。   だから、自分が最後と決めた絵を描いて断ち切ったように、   おれが何らかの決断するまで、待つことにしたんだ。   でも、おれは、もう知ったんだ。知ってしまったんだ。   聞かなかったことにはもう出来ないんだ。   でも、どうすれば、いいんだ……  眞一郎は、ベッド上で転がって180度向きを変え、机の上の目覚まし時計に目をやっ た。比呂美がプレゼントしてくれた時計の針は、十一時を回っていた。 ……比呂美に、話さなきゃ……  眞一郎は、体を起こし、扉へ歩きだした。そして、扉に手をかけたところで携帯電話の メール着信音が鳴った。  一瞬、後で確認しようかと思ったが、比呂美からのメール専用の音だったので、踵を返 し、机の上の携帯電話を取った。 『わたしは ずっと  眞一郎くんのそばにいるよ  バッチこいだよ!          ひろみ』  それらの文字を見た眞一郎の目から大粒の涙が溢れ出てきた。そして、眞一郎は、歯を くいしばった。 ……おれ、なに逃げてんだよ!   比呂美に約束したじゃないか。   ちゃんと気持ちの整理がついてから話すって。   これは、おれひとりで考えなきゃいけないことなんだ。   そうでなきゃ、意味ないんだ。   強くなれないんだ!   なに、比呂美に相談しにいこうとしているんだよ。   親父が絵を描いて決断したなら、   おれも何か描けばいいんだ。17歳のうちに。   さきの将来、結果的に挫折して、酒蔵を継ぐことになったとしても、   親父が決断した歳と同じ歳に、何かに挑戦したという事実は残る。   誰がこのことを非難できる?   俺自身ですら非難できないというのに、誰が出来るというんだ。   清々しいじゃないか。   挑戦したという事実を作るんだ。今は、それでいいんだ。   何か描き上げてから、親父に相談していけばいいんだ。   それが、本当の親子の付き合いというものだ。   親父と面と向かって話をしなければいけないんだ。   そのためには、おれも、描かなくてはいけないんだ。  眞一郎は、比呂美に返信した。 『ああ バッチこいだね!  比呂美  酷いこといってごめん  おれ  いいこと思いついたんだ          眞一郎』 『なになに?          ひろみ』 『比呂美が泣いて喜ぶことさ  楽しみにしてろ          眞一郎』 『も~そればっかり  泣いて喜ばなかったら  どうする?          ひろみ』 『お姫様だっこしてやる          眞一郎』 『いや          ひろみ』 『いやなのかよ          眞一郎』 『やっぱり して          ひろみ』 『やっぱり やめた          眞一郎』 『バカ          ひろみ』  二人は、互いに離れた場所で携帯電話をぎゅっと握り締め、しばらくの間、少ない文字 から伝わってくる温かなものを感じていた。 ▼[[ファーストキス-間]]
▲[[ファーストキス-6]] ――第七幕『やっぱり、こわいんだと思うの』―― ――桜の花びらが舞う中、比呂美が先に階段を上がっていく。  比呂美の腰まで伸びた髪が、時折、眞一郎の顔まで届きそうになる。まるで、眞一郎を からかうように……。その度に、眞一郎は、体の芯にむず痒さを感じ、目の前で揺れてい るスカートに飛びつきたくなる衝動に駆られた。  目の前のふたつの柔らかな膨らみが、スカートを交互に跳ね上げる。その衝撃によって 生まれた波が、スカートの裾まで伝わり、比呂美の引き締まった足の露出を手助けした。 紺色のハイソックスの上の素肌の部分を断続的に開放したのだ。 ……こんな女の子がそばにいて、おれはよく耐えてこられたよな……  眞一郎は、比呂美に対する性的欲求の我慢の継続を褒めてあげたい気持ちになった。比 呂美と気持ちを通じ合わせてから約二ヶ月間、比呂美のアパートでそういう行為にまで及 ぶチャンスはいくらでもあった。自分が真剣な目をして求めれば、比呂美は、簡単に体を 許しただろう。比呂美は、遠まわしに自分を誘っていたいのだから……。でも、そうしな かったなのは、ある意味自分に意地になっていたのかもしれない。  今日――。もうすぐ、その我慢の記録が途絶えてしまう。  小学生のころから好きだった比呂美。  約十年間、思いつづけた気持ちの、成就。  しかし、記録が途絶えてしまう勿体無さと、比呂美に対する侮辱みたいな気持ちを感じ ないわけではなかった。  比呂美の純潔な花を、これから摘み取ると思うと、少し、やるせなくなった……。 ……比呂美は、いま、どんな気持ちなんだろう?   キスとは、明らかに違う、   はじめて、男の体を受け入れる気持ち。   やはり、おれであっても、怖いのか?  カンカンと響き渡っていた鉄製の階段を上りきり、廊下をすたすたと歩いていく比呂美。 その背中から何かを感じ取れるほど、眞一郎は、大人ではない。後ろをついていく自分を まるで気にしない比呂美を少し疎ましく思った眞一郎は、お尻を触りでもして、比呂美を 少し動揺させてやろうかと思ったが、間違いなく平手が飛んできそうだったので、その計 画は、風に飛ばすことにした。  十数歩後、比呂美の部屋の前に着く。  比呂美は、鞄から鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで、ドアを開けた。ドアノブを眞一郎 にバトンタッチした比呂美は、靴を脱ぐなり、あっ、と小さくを発して、小走りに部屋の 中へ消えていった。眞一郎は、何事だろうと比呂美を目で追いながら、中に入り、ドアの 鍵をかけた。  なにか、かしゃかしゃとプラスチックの音が聞こえる。  眞一郎が靴を脱ぎ、部屋へ向かう途中で、比呂美の慌てた声が飛んできた。 「来ちゃ、ダメ」  しかし、時すでに遅し。鈍感な眞一郎は構わず進んでいってしまった。  比呂美は、部屋に干していた洗濯物を必死になって引っぺがしていたのだ。大半が下着 だった。  比呂美も、ドキドキしていたんだ――。慌てふためく比呂美の姿を見ながら、眞一郎は そう思った。  普段の比呂美なら、部屋の中の状況を思い出し、眞一郎を部屋の外で待たせたはず。下 着を部屋にぶら下げたまま恋人を部屋に招き入れるほど比呂美はだらしくないのだ。  眞一郎は、部屋を出ようかどうか迷ったが、比呂美がそのあと感じる恥じらいを思うと、 比呂美のミステイクに対し、眞一郎もミステイクで返してやることにした。つまり、この 場の恥ずかしさの矛先を全部自分へ向けさせることを考えたのだ。  眞一郎は、下着を胸で抱え込んでいる比呂美に近づき、背中から抱き締めてやったのだ。 「あっ、ゃ……」と反射的に声を上げる比呂美。  眞一郎は、『下着を片付けているカノジョに抱きつく』という大失態を、これで成功さ せたつもりだったが、眞一郎の思惑は、悪い方へ転がってしまったのだ。  眞一郎が抱きついたとき、比呂美はちょうど、下着の最後の一枚を引っぺがそうとして いたところで、それをつかみ損ねたのだ。 ……宙を舞う、水色の、縞模様の、パンツ……  ふたりは、そのパンツの行方を一緒になって目で追った。短い時間のはずが、長く感じ られた。やがて、そのパンツが床に達し、色気のない音を発すると、比呂美は慌ててしゃ がみ込もうとしたが、眞一郎は、全身で踏ん張ってそれを阻止して、床のスペースが一番 広いテーブルの脇に、比呂美を引きずっていった。 「ちょっと、眞一郎くんってばっ」  比呂美は、嬉しいやら、恥ずかしいやら、眞一郎の腕を軽く叩きながらもがいた。  眞一郎は、それでも力を緩めずに、比呂美を強引に座らせ、肩をつかみ、体を自分の方 に向かせた。比呂美の腕の中から下着が数枚こぼれた。  どうするつもりなんだろう。このまま突入する気? 比呂美は、無言で眞一郎に問いか けたが、眞一郎はじっとなにかを待っている感じだった。比呂美は、下着が片付くまで自 分の方を見ないようにお願いしようかと思ったが、眞一郎は応じそうな雰囲気ではなかっ た。普段の眞一郎ならとっくに気を利かせていただろうから。かといって、今すぐなにか をしてくる風でもなかった。  このままじっとしていても仕方がないので、比呂美は、立ち上がろうとしたが、眞一郎 は、比呂美の両腕を素早くつかみ、また座らせた。比呂美は、ちょっとむっとした。 「もう~なんなのよ~」 「洗濯物……」 「え?」  眞一郎は、なんの躊躇いもなく比呂美から洗濯物を奪い取ると、テーブルの上に置いた。 そして、比呂美の顔を見つめた。  比呂美は、このデリカシーのない行為を抗議してやろうと眞一郎を睨みつけたが、眞一 郎の深い眼差しに、その気持ちを吹き飛ばされてしまった。  眞一郎は、自分をからかってなどいない――この瞳がその証拠だ。比呂美は、自分の失 態を帳消しにするために眞一郎があえてデリカシーのない行為に及んだのだと悟った。 (わたしだけ恥ずかしい思いをしないようにしているんだ。小さいころ、一緒に祭りを見 に行ったときのように)  眞一郎の本当の気遣いを知った比呂美は、急に体が熱くなるのを感じ、口が自然と半開 きになってしまった。   ……いするぎのえ。   あなたは、眞一郎のこんな目を見たことあった?   女を見る目。   女を求める目。   眞一郎くんは、本気でわたしを求めている……     比呂美は、眞一郎に気づかれないようにスカートの裾の乱れをゆっくり直した。少しで も自分の綺麗な姿を見てもらいたくて……・  そして、比呂美は、ゆっくり目を閉じた……。    比呂美は、両足の膝から下を外側にはみ出させ、お尻を床にぺたんと付けて座っている。 制服のスカートは、全開の朝顔の花びらのようにきれいに広がっていた。  比呂美は、まるで、花の妖精のようだった。  いつも見ている姿だというのに、表情、仕草、ポーズひとつで、女の子は、こんなに印 象が変わるものなのだろうか? 眞一郎に新鮮な驚きが広がった。  眞一郎は、しばらくこのまま見ていたい気持ちになったが、同時に、待ってくれている 比呂美に早く応えてあげなくては、という使命感も湧き起こった。  膝立ちになった眞一郎は、両膝の間隔を開き、その間に比呂美の膝頭を挟むように近づ いていった。  比呂美は、じっと目を閉じている。  お互いの膝と膝が擦れ合うと、比呂美は、ぴくっと全身を震わせたが、少し顎を突き出 し、早く、と眞一郎をせかした。  眞一郎は、比呂美の両肩に手を置き、自分の方にゆっくり引き寄せた。そして、指先と 指先を合わせるような慎重さで顔を近づけていき、比呂美の鼻息が感じられるほどの距離 になると、眞一郎も目を閉じ、最後のひと押しをした。 ……なんで、いつもと違うんだろう……  唇が触れ合った瞬間、ふたりは、同時に、同じことを思った。  今まで幾度と重ねてきたキスなのに、胸を熱く苦しくするものがいつもと違った。そし て、今までのキスは、半端な気持ちでしていたのではないだろうか、とふたりは省みた。  比呂美は、それに加え、泣きたくなるような感激を受けていた。さきほどの自分の失敗 など完全に頭の中から消し飛んでしまうほどだった。  お互いの鼻息が、お互いの口元をくすぐる。やがて、ふたりは、そのタイミングを合わ せた。こんな些細なことでも、今のふたりには、嬉しくて堪らなかった。  しばらくこのシンクロ遊びを楽しむと、眞一郎は、僅かに唇を戻し、比呂美の唇全体を 挟み込むように、また吸い付いた。  比呂美は、眞一郎の手が自分の背中に移動していくのを感じると、自分の腕も眞一郎の 腰に絡ませた。  そして、お互いに体をさらに引き寄せた。  比呂美の唇も、眞一郎の唇を求めるように動きだした。  それから、ふたりは、時折顔を離しては、目で合図を送ってはまた吸い付き、お互いの 唇を弄ぶという行為を繰り返した。 「わたしたち、なんでこんなにエッチなんだろう……」 つづけていた行為をちょっと休めると、比呂美が口を開いた。 「比呂美が、エッチだからだろ?」 「えぇっ、わたしだけ? 噛みつくぞ、こら」 と、目を笑わせたまま睨んだ。  そんな比呂美の態度に、眞一郎の心はくすぐられ、子供のような悪戯心が芽生えてくる。  本来男という生き物は、女に悪戯するためにいるのかもしれない。それは、やさしさだ けでは、女が退屈してしまうからだ。眞一郎も例外ではない。  急に性衝動が加速しだした眞一郎は、再び比呂美の体を抱き寄せ、比呂美を背中の方に 押し倒したあと、比呂美の脇にぴったりくっつき、利き手を一気にスカートの中へ滑らせ た。 「ひゃっん」 と比呂美が声をあげると、ますます眞一郎の心が快感を覚えた。  比呂美の太ももを駆け上がる眞一郎の右手。比呂美の腰骨あたりにある下着を目指した。 比呂美の素肌で初めて触る部分を通過したが、その感触を楽しむ余裕はなく、とうとう、 薄くて、頼りなさそうな布地にたどり着いた。 「あっ……ひゃ……ちょっ、と……」  比呂美は、女の本能に従って反射的に眞一郎の攻撃に全力で抵抗をした。くすぐったさ と、恥ずかしさで体をばたばたさせていたが、比呂美の心の中に『ある思い』が戻ってく ると、全身の力を抜くように大人しくなった。  その比呂美の態度の急変を感じた眞一郎は、自分がいきなり乱暴に走ったことに比呂美 が驚き、泣きだしたのではないかと思い、スカートの中に潜り込ませた手を止め、比呂美 の顔を覗き込んだ。  比呂美は、眞一郎の目を見ることができず、目線を斜め下に向け、少し泳がせていた。 嫌がっている表情ではなかったが、眞一郎の行為を受け入れようとする気持ちと、まだ眞 一郎に見せたことのない女の部分を曝け出す恥ずかしさの間で揺れ動いている感じだった。  眞一郎は、いったん中断して、性行為までの順番を仕切り直そうかと考えたが、いまさ らみっともない感じがした。それは、比呂美があまりよく思わないだろうと思った。男ら しく、自分の欲望ままにつづけた方が、よっぽどいいように感じた。  眞一郎は、再び、比呂美の下着を優しくつかんで、比呂美の顔を見た。  このまま進めるよ――と合図を送ると、比呂美は、目を逸らしたまま小さく頷いた。  そして、比呂美は、お尻を少し浮かせた。  眞一郎は、下着をつかんだ右手を比呂美の太ももまでずらすと、上半身を起こして、左 手もスカートの中に進入させ、同じように下着を素早くずらした。左右に伸びていた下着 は少し元に戻り、比呂美の太ももの間にかかった橋のようになった。  比呂美は、お尻を床に戻すと、膝を折って、足をくの字に曲げた。  眞一郎がさらに膝まで下着をずらすと、スカートから飾り気のない薄い桃色の下着全体 が現れた。下着が膝を通過すると、比呂美は、右手で太ももの辺りに手を置き、スカート の裾がずり落ちるのを防ぎながら、踵を浮かせた。  するりと足首を通過する下着。まもなく、下着は完全に比呂美から離れた。  眞一郎は、その下着をどこに置こうか迷ったが、テーブルの下に置くことにした。  テーブルの上にも下着、下にも下着、変な光景だった。  比呂美は、それをじっと見ていたが、何もいわずにいた。  眞一郎は、比呂美に背を向けると、服を脱ぎだした。  比呂美は、眞一郎に次どうするのか訊こうとしたが、声には出さず、自分のすぐ近くに ある白い整理ダンスにしまってあるコンドームを、どのタイミングで出そうか考えた。  眞一郎は、上半身、裸になると、ズボンのベルト慌てるように緩めだした。  眞一郎の焦りっぷりを感じると、比呂美は、今しかない、と思い、タンスの引き出しを 開け、コンドームの箱を取り出した。  まったく予想していなかった引き出しの音に眞一郎は振り返ると、比呂美が俯いてコン ドームの箱を持っていた。今まで見たこともない比呂美の恥らいように、眞一郎は言葉が 出なかった。でも、なんとか「ごめん」ということができた。  眞一郎のその言葉を聞いた比呂美は、口だけで笑って、大丈夫よ、と返した。  眞一郎は、ガラス細工を扱うみたいに、コンドームの箱を受け取った。  そう、確かにこれは、大事なものなのだ。壊れてもらっては困るのだ。そのことを意識 していなくても、体がそのように動いてしまうのは、これから行う行為の尊さと儚さと切 なさを感じているからだろうか。  その箱を開封しようと思った眞一郎は、その箱の状態に、あれ? と疑問を抱いた。す でに封が切られているのだ。  未開封のものを渡すべきだった――。比呂美は、はにかんだ。  眞一郎が、どうして? と表情で問いかけてきたので、比呂美は、とにかく口で説明す ることにした。 「ほら、前、わたしを押し倒したことがあったでしょう? そのとき……」 「あっ、そ、そうか……ごめん……」  眞一郎は、申し訳なさそうに頭を掻くと、箱から小袋を一つ摘み出した。少し手が震え ていた。 「付け方、わかる?」 「……うん……」 「付けたこと、ある?」 「……うん。あっ、いや…………ないよ……」  比呂美にわざと教えてもらうのもいいかな。そんな願望がちらっと頭の中をよぎったが、 眞一郎はそれを口に出すのを止めた。今の比呂美にはかわいそうな気がした。  そして、眞一郎は比呂美に背を向けると、ズボンを、それからトランクスを一気に脱い だ。  比呂美は、思わず横を向いて、眞一郎のお尻から目を逸す。  眞一郎のペニスは、かつてないほどに固くなり、表皮がぱんぱんに張って少し痛みを伴 うほどだった。亀頭には、透明な粘膜が充分に張りめぐらされていて、その部分を指で挟 むとつるんと滑った。  眞一郎は、コンドームの袋のできるだけ端の方を慎重に切り裂き、中身を取り出し、ゴ ム膜がくるくる巻きになっている部分を摘んだ。  取り出されたコンドームの姿を一瞬見てしまった比呂美は、急激な鼓動の高鳴りに、息 が苦しくなるのを覚え、眞一郎の背中に泣きつきたくなる衝動に駆られたが、なんでもい いから部屋の中のものを観察してなんとか気持ちを落ち着かせようとした。  その甲斐あって、比呂美はふっと気付いた――とりあえず、今のうちに髪を束ねておこ うと。  比呂美は、スカートのポケットから、紫色のゴムバンドを取り出した。そのゴムバンド を右手首にはめてから、後ろ髪を束ねて体の前へ持ってきた。それから、髪をつかんだま ま、ゴムバンドを手首から滑らして抜き、髪にはめ、一気に毛先の部分をゴムバンドの内 側をくぐらせる。髪にはまったゴムバンドを毛元の方へずらして調整すると完了。  眞一郎は、準備の真っ只中――陰茎にまとわり付いている陰毛をペニスの根元の方へ押 しやり、亀頭の先端の噴出部にコンドームを当て、巻かれたゴム膜を伸ばしていく。  眞一郎のペニスにコンドームが装着されていくのを、眞一郎の背中と首と腕の動きから 感じていた比呂美は、眞一郎のおろおろする姿にふきだしそうになったが、さすがに今は 笑っちゃいけないと思い、ぐっと堪えた。  まもなく、眞一郎の性のシンボルは、薄ピンクの衣をまとった。透けて見える自分のモ ノを見た眞一郎は、本当にこれで大丈夫だろうか、と不安を感じて眉毛をひそめた。だが、 眞一郎の体は、すでに冷静さから離脱しつつあった。 ……自分の準備はできた。振り向けば、比呂美が、いる。   比呂美は、今、どんな顔をしているんだろう?  眞一郎は、このさき、どのように比呂美に接すればいいのか考えた。だが、全身の血液 がどくんどくんと脈打ってる中で、思考がうまく整理できるはずがない。それでも、なん とか順番だけでもと必死になって考えたが、頭に浮かぶのは、比呂美の腰を強く抱き寄せ、 腰を振る自分の姿だけ。それ以外、何も浮かばなかった。 ……腰を動かすだけじゃなくて、ほら、他にいろいろあったじゃないか……  比呂美を乱暴に扱わないように、眞一郎の理性は限界まで踏ん張ったが、それは、もう、 風前の灯火でしかなかった。眞一郎の身も心も全身の激しい脈動に堪えられなかったのだ。  これを鎮めるには、比呂美に、比呂美の体に、飛びつくしかないのだ。そうしなければ、 もっと悲惨な結果になるだろう――。  眞一郎のその理屈が、最後まで頑張っていた理性を弾き飛ばし、眞一郎を比呂美の方へ 振り返らせた。  そして、眞一郎は、飛んだ。比呂美の体の中心あたりに目がけて、比呂美の体に飛びつ いた。 「わっ!!」 と思わず声をあげた比呂美は、そのとき、スカートのファスナーを半分くらいまで外して いた。当然、眞一郎の体を受け止めれる体勢ではない。  だから、比呂美の体に眞一郎の体が到達しても、その勢いは止まらず、比呂美は、勢い よく後頭部を床に打ち付けてしまった。  その衝突による低い音が響いても、今の眞一郎には、比呂美を気遣う余裕はなかった。  眞一郎は、比呂美の体をクッションにして、おたまじゃくしのように蠢くことに夢中に なっていた。射精の快感を覚えたころからずっとしたかったこと――今それが叶っている のだ。そのこと知れば、比呂美は間違いなく自分のことを軽蔑するだろうが、男の欲求な どそんなものだと、心の中で眞一郎は、反発した。そして、そのことが、口に出せない分、 そのエネルギーは体の運動の方へと回った。  比呂美は、その間、目をくるくるさせていたが、念願が達成された眞一郎の動きは、次 第に治まっていった。  さて、これからである。気持ちを仕切り直した眞一郎は、生唾を飲み込むと、次の動作 に移った。  眞一郎は、右手で、比呂美のスカートを無計画にたくし上げ、両足で、比呂美の両足の 状態を確認しながら、自分の体を比呂美の両足の間に滑り込ませた。左手は、床に付き体 のバランスをとった。  まるで大型犬がじゃれるような眞一郎の動きに、比呂美はくすぐったさを感じると共に、 今まで体全体を覆っていた過度な緊張をほぐされていった。  もうすでに、比呂美の内股に眞一郎の体が滑り込んできている。スカートも捲り上げら れ、比呂美の陰毛が密集している部分も晒されていた。  都合のよい体勢になったのだろう。もそもそ動いていた眞一郎の体の動きが止まり、ゆ っくり上半身が起きていった。  比呂美の上半身を一望した眞一郎は、比呂美が髪を束ねていることにようやく気づくこ とができた。そして、比呂美の表情にも……。  そのとき比呂美は、無表情に近い目で眞一郎を見ていた。嬉しいのか、恥ずかしいのか、 怖いのか、じれているのか。眞一郎にはよく分からない表情だった。眞一郎がまた変な動 きをしてこないか警戒していたのかもしれない。  眞一郎は、比呂美の内股に体をくっつけたまま、さらに上体を起こし、膝立ちになると、 自分のペニスを右手でつかみ、比呂美の秘部に目をやった。  その途端、比呂美はそれから目を逸らすように勢いよく横を向いた。  比呂美のその反応に、眞一郎は、比呂美が不機嫌になったのではないかと思わされたが、 もうそんなことを気にしている状況ではなく、秘部の観察をつづけた。  下腹部に生えそろった陰毛は、基本的には男のそれとあまり変わりはないが、毛足はさ ほど長くなく、薄い感じがする、上品な感じがする。  それから、陰毛の部分のほぼ中央から、ぷっくりとした盛り上がりが左右に別れだして いる部分がある。そう、ここからが女性の性器だ、と眞一郎は思った。さらにその裂目の 奥の方にいくと、舌先のようなものが二枚はみ出していて合わさっていた。この辺に、挿 れ口があるのだろう。  眞一郎は、ペニスから手を離すと、比呂美の両膝の裏側に手をかけ、ぐっと持ち上げて 比呂美の体を引き寄せた。比呂美の秘部の割れ目が角度を変え、上を向くと、舌先のよう なものが左右に別れ、見事な紅梅色の肉肌が、内側から覗かせ、外気に晒された。  眞一郎は、この鮮やかな色に息を呑んだ。 ……なんて色、しているんだ。いかにも出血しそうじゃないか……  動きの止まった眞一郎を感じた比呂美は、おそるおそる眞一郎の顔を見た。眞一郎は、 顔をしかめて比呂美の秘部を凝視している。  比呂美の視線に気付いた眞一郎は、疑問というか、罪悪感というか、今までしたことの ないような『にがい表情』を比呂美に見せた。 「……なにか、変?」  比呂美の問いかけに、はっとなった眞一郎は、 「い、いや……なんていうか……」 と言葉をつまらせた。  比呂美は、自分の秘部の生々しさに、眞一郎が心配になったのだと思った。 「痛かったら……ちゃんと……いうから」  眞一郎は、あまり表情を変えずに、小さく頷いた。そして、また、ペニスをつかんだ。  比呂美の色鮮やかな部分に亀頭をもっていくには、かなり力を入れて、ペニスを下に向 けなければならなかった。  息を吐いて全身の力みを取り、ゆっくりペニスの向きを変える。そして、足と腰を使っ て、ペニスの先端を比呂美の膣口に照準を合わせていく。さきに、秘部に先端を当て、ペ ニスの向きを変えることで、亀頭を膣口へ滑らせた。 「……ぁあ……」  比呂美は、思わず声を漏らす。眞一郎が今まで聞いたことのないような声だった。  眞一郎は、比呂美の声に意識がいき、ペニスを持つ手を緩めてしまった。そすると、ペ ニスはすごい勢いで、膣口から飛び出てきて、また、強情にも天を拝んだしまった。その とき比呂美は、「ゃん」と声を上げ、飛び跳ねるように体をビクつかせた。 「ご、ごめん」と思わず謝る眞一郎。  そして、また、同じようにして亀頭をうずめた。  眞一郎は、腰を前へ動かし、ゆっくりと、比呂美の中へ進めていく。  比呂美は、目を閉じ、口を真一文字にして、ぐっと堪えるような表情をしていた。最初 は小さく見えた比呂美の膣口は、倍くらいの大きさに広がっていた。ペニスを四方からね っとりとした圧力が襲ったが、思ったよりもスムーズに移動させることができた。  ペニスを半分くらいうずめた眞一郎は、比呂美の顔を見て表情を確認した。相変わらず、 目を閉じてぐっと我慢しているような顔をしていた。声も発しない。  比呂美は、眞一郎の視線に気づいたように、うっすらと目を開けると、少し微笑んで、 小さく首を縦に振った。この仕草が、眞一郎には、堪らなかった。今まで見てきた比呂美 の仕草の中で、一番かわいいと思った。  こんどは――。眞一郎は、無性に、比呂美の声が聞きたくなった。ペニスをちょっと戻 し、また奥へ入れ込んでみた。 「あぁっ……」  予想通り、比呂美は声を上げてくれた。  もう一度やってみる。 「ぅんん…」  比呂美は、口を閉じたまま、返してくれた。  その声を聞いた眞一郎のペニスは、また一段と固さを増したようだった。それから、眞 一郎は、ペニスを奥深くまで進ませていき、とうとう、奥の限界まで到達させた。 ……いま、一番、比呂美の近いところに、自分はある……  なにか熱いものが込み上げてきたが、泣きたいわけではなかった。  ただ、この上ない感激だった。  比呂美も同じことを思っていた。だが、比呂美の方は、感極まって涙を流してしまった。  それに気づいた眞一郎は、両手を床に付き、ゆっくりと比呂美の体の上に 自分の体を重ね、それから比呂美の背中に手を滑り込ませ、比呂美の体を引き寄せた。 「泣いていいよ……」と囁く眞一郎。 「泣かない……」 「いいって、泣けよ」 「泣かない……ぐすっ……」 (泣いてるじゃないか)  眞一郎は、くすっと笑って、比呂美の頬に、自分の頬をくっつけた。  比呂美は、この眞一郎の優しさに嬉しさを感じながらも、行為の再開を促した。 「つづけて……」 「え?」 「…………」  比呂美は、一回しか言わなかった。 「……よし」  眞一郎は、比呂美の腰の方に、手を持っていき、より深くペニスを差し込むように力を 入れると、腰を動かして、ペニスを比呂美の中で遊ばせた。  数回、手加減しながらペニスの出し入れをして、比呂美の様子を伺った後、今度は、本 気のスピードと振幅に切り替えた。  一気に比呂美の制服のすれる音、結合部の粘液が細かく破裂する音が大きくなった。  ふたりは、もう、自分たちが何をやっているのか訳分からなくなっていた。  気持ちいいのか、痛いのか。緊張しているのか、楽しんでいるのか。  眞一郎は、ひたすら、腰を動かし、ペニスに刺激を与え続け、比呂美も、ひたすら、眞 一郎を受け入れることに専念した。まだ、どんな声を上げたらいいのか分からなかったが。  そして、当然のことながら、眞一郎の方が先に絶頂期を迎えた。  ペニスの芯のところでなにかが込み上げてくるのが分かる。 「おれ……も……でぅ…………」(おれ、もう、でそう)  眞一郎が比呂美にそう宣言した直後、ペニスの先端が破裂したように震えた。  それから、そこから断続的に外へ飛び出していくものを感じた。飛び出すごとに脱力感 が増していく。  眞一郎は、まだ、比呂美の腰にしがみついたまま腕の力を緩めず、ゆっくりと腰をふっ た。いや、急に止めれなかった、というのが正しい。  比呂美も、眞一郎の耳元で、はぁーはぁー息を上げていた。  ふたりは、しばらく、このまま状態で興奮が薄れていくのを待ちつづけた。 ……………………。  外で車の走る音がする。部屋のどこかに置かれている時計の秒針の音がする。汗の匂い と、性のほとばしりの匂いがする。  一組の男と女が、互いに男と女を感じている。  今日の日を境に、想い合ったもの同士から、体をつながせたもの同士に変わる。  すでに変わった。  ふたりは、その実感に酔いしれていた。  呼吸が整い、体の緊張がほぐれると、比呂美は、眞一郎の体の重みに苦しくなり、眞一 郎は、自分の格好の悪さに恥ずかしさを覚えた。  すぐに、眞一郎は、比呂美から、どろどろに粘液がまとわり付いたペニスを引き抜き、 体を離して比呂美に背を向けた。  比呂美は、慌ててスカートをたぐり寄せ、床に飛び散った性液を確認すると、小物引き 出しの上のティッシュペーパーの箱をつかみ、まず、中身を三枚引き抜くと、眞一郎に渡 した。それから、、今度は自分のために引き抜き、秘部を拭い、スカートの裾を下ろした。  眞一郎は、精液が垂れないように用心してコンドームを外していったが、予想を遥かに 超える量の精液に、ティッシュ三枚じゃおっつかないことを悟ると、比呂美に追加を求め た。そのとき、比呂美は、床の性液拭いていて、はい、といってティッシュの箱をテーブ ルの上に置いた。  眞一郎は、すぐさまティッシュを引き抜き、後処理を再開する。  比呂美は、処理に夢中になっている眞一郎に気づかれないように、テーブルの上の洗い 立てのパンツをつかむと、すっと足を通して穿く。そして、テーブルの下の使用済みパン ツをスカートのポケットにしまう。  ようやく自分の性器を拭きあげた眞一郎は、丸めたティッシュを床に置くと、トランク スを穿いた。比呂美は、眞一郎の脇をすり抜け、流しに向かうと、手を簡単に洗い、近く の引き出しから小さいレジ袋を取り出して、リビングへ戻った。そして、眞一郎の丸めた ティッシュと自分の丸めたティッシュをそれに入れ、軽く口を閉じた。  眞一郎はズボンを穿きおえると、恥ずかしそうに、何故か正座をした。  比呂美は、そんな眞一郎にふきだしかけたが、一瞬、眞一郎が目をやった先のものに気 づくと、慌ててそれを拾いにいった。そう、さきほど宙を舞った縞模様のパンツである。 このパンツは、眞一郎のことが好きなのか、ことあるごとに眞一郎の前に姿を現していた。 比呂美は、そんなことを思い出しながら平静を装い、その縞パンとテーブルの上の下着を 整理ダンスにしまうと、ガラス窓を開けた。  春の薫風が一気に上がり込んでくる。 「気持ちいい風……ねぇ……コーヒー飲む?」 「うん……」  比呂美は、お湯を沸かしだした。  テーブルの上に、ライトグリーンのカップと薄ピンクのカップが置かれ、湯気をくゆら せていた。 「あっけないね」と、比呂美が最初に口を開いた。 「痛くなかったか?」 「大した痛みは、なかったよ……」 「そう……」  眞一郎は、比呂美が多少言葉を抑えてそれをいったと思った。 「血がすぐ出そうな感じがしたけど、きれいな色だった」 「……やだ……思い出さないで……」  比呂美は、ぷいっと首をひねった。 「血、出なかったか?」 「うん。……確かに初めてのときは、血が出るってよくいうけど、わたし、バスケで毎日 激しい運動しているから丈夫なんだよ」 「……そっか」  眞一郎は、少しほっとすると、コーヒーをすすった。 「なんか、あっという間だったね。ジェットコースターみたいだった。それに、眞一郎く ん、変な動き……」 「いや……その……なんか分けわかんなくなって……我慢できなくて……」 「男の子って、そういうものじゃないの?」 「……そうかな? ……ごめん……」  眞一郎は、肩をすぼめた。 「それに、わたしね……はじめてのときは……眞一郎くんの、思うように……好きなよう に……させてあげたかったの。ずっと……そう、思ってたの。……だから、眞一郎くんも ……うまく、できたでしょ?」 「そ、それは……どうだか…………ありがとう」 「ありがとう、だなんて……ふふふ……」  比呂美はころころ笑い出した。  眞一郎は、比呂美の言葉に胸のすく思いがした。  心の奥底から湧き起こってた性衝動に全身を支配され、比呂美の体にいきなりダイブし てしまったことに、次回の行為への不安を感じていたが、比呂美なら自分をうまくコント ロールしてくれるだろうという安心感も生まれてきた。 「わたしたち、なんで、こんな簡単なこと、できなかったんだろう?」  比呂美は、素朴な疑問を口にした。 「かんたん?」 「……うん」 「そんな、軽率にやっていい行為じゃないだろ?」 「……そうだけど……」  少し沈黙がつづく。 「お互い、大切に思ってれば、こういうこと、大事にしたいって思うじゃない」 と眞一郎は、沈黙の間に整理した言葉をいった。 「それは、そうだけど……わたしは、ちょっと違うな」 「え?」  眞一郎は、比呂美の言葉を意外に思い、少し驚く。そして、比呂美の言葉を待った。 「やっぱり……やっぱり、こわいんだと思うの……」 「え? それって、セックスがってこと?」 「ううん」と比呂美は、大きく首を横に振った。そして、つづけた。 「お互いに気持ちを伝え合い、付き合っていくでしょう? そうしていく中で、手をつな いだり、デートしたり、キスしたり、セックスしたり……行為をひとつひとつ済ませてい くと、それらは全て、通過点でしかなくなって、どんどん、どんどん、これから新しく行 っていくことが減っていってしまう。そして、いつか、なくなっちゃう……それが、こわ いの……」  眞一郎は、言葉が出なかった。  こんなとき不謹慎だとは思ったが、正直、乃絵の言葉よりも心が動かされた言葉だった。 「そんな……通過点だなんて、いうなよ」 「……ごめん」 「でも……おれ、うれしかった。今、比呂美が話してくれたこと、うれしかった」 「え?」 「おれ、もっと、比呂美とそんな話がしたい……もっと……」 「……うん……じゃ~」 「ん?」  比呂美は、眞一郎に笑顔を向けて、 「もう一回、する?」 と、再戦を申し込んできた――。  人は、苦しみの中にいると、安らぎを求める。癒しを求める。それが、何であるかは、 人それぞれだけども……。  眞一郎は、ベッドに体も心も沈め、比呂美と初めて結ばれたときのことを思い出してい た。 ……こんなときに、おれ、なに思い出してんだよ……  眞一郎は、頭を抱え、体を壁へ向けた。  麦端町商工会館を後にした眞一郎の足取りは、重かった。  乃絵からの手紙を見るまでもなく、あの虎の絵は、父・ヒロシが描いたことに疑いの余 地はなかった。なぜなら、眞一郎の全細胞が肯定するように反応したからだ。  眞一郎は、ヒロシが、若い頃、学生の頃、絵を描いていたことを全く知らなかった。も し、ヒロシが絵を描いていたことが本当なら、今、自分が絵を描いていることに多少なり とも遺伝とか影響しているのかな、と嬉しさが湧き起こったが、ヒロシが、趣味ですらま ったく絵を描かなくなったことに、胸がぎゅっと締めつけられる思いになった。父が、絵 を描いている自分を見ると、思い出し、辛いのではないかと……。  眞一郎は家へ帰り着くと、すぐにシャワーを浴び、ベッドに横になって乃絵からの手紙 の封を切った。 『仲上君へ  おそらく察していると思いますが、この『虎の絵』は、あなたのお父さん、  仲上寛さんが17歳のときに描きました。  わたしは、たまたま、西村先生からこのことを知りました。  そのとき先生は、仲上家の問題だから口を挟まないようにと言われましたが、  寛さんが17歳のときに描いた絵であることと、この絵を最後に寛さんが、  絵を描くのを止めてしまったことを考えると、この話は、17歳になった  あなたが、今、知らなくてはいけない話だと感じました。  そして、あなたに話すことに決めました。  そうしなければ、あなたとお父さんの間に一生消えない溝みたいなものが  できるかもしれないと思ったからです。  西村先生も寛さんも何か考えがあって、まだあなたに話していないだけ  なのかも知れません。  時には時期を待つことも必要かもしれませんが、湯浅比呂美さんとの  関係を真剣に考えようとしているあなたには、待つことよりも  自ら立ち向かうことの方が大事なのでは、とわたしは思いました。  仲上君はきっと自分の道を見つけて、進んでいくと信じています。  もっと詳しい事情は、西村先生に尋ねてください。きっと教えてくれます。  こういう話は、親子で話しにくいときもあるでしょうから。                                 乃絵  PS  心がひとりぼっちのときには涙は流れないみたい』  便箋は、眞一郎が一度握りつぶした所為でくしゃくしゃに皺が寄っていたが、乃絵の字 が年輩者が書くような落ち着いた字をしていたことは分かった。  手紙の内容は、おおかた予想通りだったが、一つ大きく引っかかったことが書いてあっ た。 ……この絵を最後に寛さんは、絵を描くのを止めてしまった……  つまり、このことは、父がこの絵を描いた時点で酒蔵を継ぐ決心をしたことを物語って いた。眞一郎は、そう直感した。  父は、思いの丈をぶつけ、あの虎の絵を描いたのだろう。  そして、自ら、断ち切った。夢を……。  眞一郎の心のど真ん中に大きな穴みたいなものがドカンと空いた。 ……おれが、絵を描くことに理解を示していたんじゃない。   おれが、将来のことに対して、何らかの決断をするのを   ただ、待っていただけなんだ。   そして、作家として、まだ心の弱いことを見抜いていて、   虎の絵のことを息子に話す時期ではないと判断していた。   一歩間違えば、息子の夢をへし折ってしまうから。   それも、父としては辛いこと。   自分が17歳のときにこの虎の絵を描いたと、おれに言えば、   遠回しに、この絵よりも凄い絵を描いてみろ、   そうすれば、作家への道を認めてやる、   そうでなければ、大人しく跡を継げ、   と言ってるようなものだから。   そうは、したくなかったのだろう、父としては。   だから、自分が最後と決めた絵を描いて断ち切ったように、   おれが何らかの決断するまで、待つことにしたんだ。   でも、おれは、もう知ったんだ。知ってしまったんだ。   聞かなかったことにはもうできないんだ。   でも、どうすれば、いいんだ……  眞一郎は、ベッド上で転がって180度向きを変え、机の上の目覚まし時計に目をやっ た。比呂美がプレゼントしてくれた時計の針は、十一時を回っていた。 ……比呂美に、話さなきゃ……  眞一郎は、体を起こし、扉へ歩きだした。そして、扉に手をかけたところで携帯電話の メール着信音が鳴った。  一瞬、後で確認しようかと思ったが、比呂美からのメール専用の音だったので、踵を返 し、机の上の携帯電話を取った。 『わたしは ずっと  眞一郎くんのそばにいるよ  バッチこいだよ!          ひろみ』  それらの文字を見た眞一郎の目から大粒の涙が溢れ出てきた。そして、眞一郎は、歯を くいしばった。 ……おれ、なに逃げてんだよ!   比呂美に約束したじゃないか。   ちゃんと気持ちの整理がついてから話すって。   これは、おれひとりで考えなきゃいけないことなんだ。   そうでなきゃ、意味ないんだ。   強くなれないんだ!   なに、比呂美に相談しにいこうとしているんだよ。   親父が絵を描いて決断したなら、   おれも何か描けばいいんだ。17歳のうちに。   さきの将来、結果的に挫折して、酒蔵を継ぐことになったとしても、   親父が決断した歳と同じ歳に、何かに挑戦したという事実は残る。   誰がこのことを非難できる?   俺自身ですら非難できないというのに、誰ができるというんだ。   清々しいじゃないか。   挑戦したという事実を作るんだ。今は、それでいいんだ。   何か描き上げてから、親父に相談していけばいいんだ。   それが、本当の親子の付き合いというものだ。   親父と面と向かって話をしなければいけないんだ。   そのためには、おれも、描かなくてはいけないんだ。  眞一郎は、比呂美に返信した。 『ああ バッチこいだね!  比呂美  酷いこといってごめん  おれ  いいこと思いついたんだ          眞一郎』 『なになに?          ひろみ』 『比呂美が泣いて喜ぶことさ  楽しみにしてろ          眞一郎』 『も~そればっかり  泣いて喜ばなかったら  どうする?          ひろみ』 『お姫様だっこしてやる          眞一郎』 『いや          ひろみ』 『いやなのかよ          眞一郎』 『やっぱり して          ひろみ』 『やっぱり やめた          眞一郎』 『バカ          ひろみ』  二人は、互いに離れた場所で携帯電話をぎゅっと握り締め、しばらくの間、少ない文字 から伝わってくる温かなものを感じていた。 ▼[[ファーストキス-間]]

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