ある日の比呂美・台風編3

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竹林のトンネルを抜けて比呂美のアパートへと辿り着いたとき、眞一郎の全身はずぶ濡れになっていた。 家を出たときに持ち出した傘は既に風で飛ばされ、眞一郎は嵐の中を雨具無しで駆け抜けてきたのだ。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 乱れた呼吸を整えながら、二階の窓を見上げる。 目的の場所……比呂美の部屋だけが、淡い明かりを灯していた。 その暖かな光を目にして、雨粒のせいで〈しかめっ面〉だった表情が緩んでいく。 「……比呂美」 思わず愛しい名を呼んでから、最後の一踏ん張り。 疲れの溜まった両脚を心で鞭打ち、眞一郎はまた駆け出す。 だが、建物の角……二階へ上がる階段の手前で、その脚は止まってしまった。 階段の途中……薄暗い照明の中に人影が見える。 ……誰だ?と考えるまでもない…… 決まっているではないか。 「…………」 声が出せなかった。 こちらを見据える湯浅比呂美の様子に、只ならぬモノが感じられたのだ。 「あ……あのさ……」 何か話し掛けようと試みるものの、上手く言葉が出てこない。 無表情に見つめてくる比呂美の視線も、眞一郎の思考を混乱させる。 (怒ってる……んだよな、多分……) 事ここに至って、眞一郎はようやく、己の行動の無謀さを自覚した。 〈伊勢湾台風〉並みと報道された災害の当日…それも深夜に外出するなど、冷静に考えれば正気の沙汰ではない。 何よりも、電話を切ってから自分の姿を確認するまでの数十分……比呂美がどれ程の心労に苦しめられたことか。 ちょっと考えれば分かりそうなものなのに………… 「比呂……」 口から飛び出しかけた謝罪の言葉は、比呂美が階段を下りて来る、カン、カン、という音で遮られた。 風が唸る音を突き抜けてくる、その甲高さが、場を緊張させて眞一郎の動きを止める。 雨風は全く収まる気配がなかったが、比呂美はそれに動じることなく、眞一郎に近づいていった。 二人の距離はどんどん縮まり、遂には互いの手が届く距離になる。 「……眞一郎くん」 眞一郎は口を噤み、平手打ちを覚悟して奥歯を食いしばったが、いつまで待っても衝撃は襲ってこなかった。 代わりに、温かくて力強い抱擁が眞一郎に与えられる。 そして耳朶を打つ「……よかった……」という囁き。 眞一郎の記憶が巻き戻され、比呂美が石動純と逃避行を図ったときのイメージが脳裏を埋めた。 あの時と立場を入れ替えた……今の状況。 怒っていたのに。 見つけたら引っ叩いてやろうと思っていたのに。 ……無事な姿を見たら、もう〈引き寄せる〉以外のことが考えられなくなっていた。 ……〈抱きしめる〉以外のことが考えられなくなっていた。 ……雪の発する冷気も、赤く燃えるバイクも、そして…石動乃絵の存在すらも、意識の外に飛ばしていた…… ………… 「ごめん…」 かつての比呂美と同じセリフが、口をついて飛び出す。 それ以外に、自分の思慮の浅さと愚かさを詫びる術が、眞一郎には思い浮かばなかった。 比呂美を守るとか泣かせないとか、いつも偉そうに言っているくせに、自分は一体何をしているのか…… ちゃんと判断できていれば、正しい選択は他にあったはずなのに。 (結局、独り善がりなんだ……俺は……) 二年前の麦端踊りの時だってそうだ…… 肝心なときに、自分は比呂美の気持ちを思い遣ることが出来ない。 悔しさと歯がゆさが、身体の内側に広がっていく。 (何やってんだ……俺っ!) 不甲斐ない己に眞一郎が内心で喝を入れた瞬間、比呂美は何かを感じ取り、顔を上げた。 反応して目線を絡ませた眞一郎の視界を、比呂美の澄んだ表情が埋め尽くす。 「……比…!!」 眞一郎に比呂美の名前を呟く間は与えられない。 眞一郎の口が開くよりも早く、比呂美の唇がそれを塞ぎ、漏れ出ようとする悔恨を押し戻していた。           ※

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