はじめてのBD

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『 は じ め て の B D 』    クリスマスまであと○日――というカウントダウンの声が町の至るところで聞こえていた。麦 端町はもうすでに純白のベールをまとい、自然界のほうではホワイト・クリスマスの準備が終わ っているようだ。  先日、比呂美は第一志望の大学の推薦枠に見事に合格した。つまり、高校での学業をいち早く 修了したことになり、大学受験を控えたクラスメートの応援役に回った。学校の休み時間、比呂 美の周辺にはいつも、片手ならぬ両手に参考書やノートを抱えた女子生徒が群がり、比呂美がト イレに席を立つことすらままならなかった。加えて、仲上家のお店の手伝いも容赦なく激化した。 早い時期に大学受験を突破してくれて、理恵子の遠慮がなくなったこともあるが、それ以前に、 これからの時期はお店にとって一年で一番忙しくなるので比呂美を頼りにせざるを得なかったの が理恵子の本音だ。  この日も、クラスメートに後ろ髪をひかれる思いで学校を後にした比呂美は、仲上家に着くな り、お店で伝票の打ち込みと電話注文の対応をはじめた。最近では比呂美にお店のことを任せる ことが多くなったので、以前のように携帯音楽プレイヤーで音楽を聞きながらパソコンに向かう わけにいかなかった。  夕方六時を回ると電話対応が極端に減り、頭の中でいろいろと考えを巡らす余裕が生まれる。 (今年のクリスマスは、どうしようかな……)  この時期、恋人のいる女性が妄想することの第一位にランクされるのは、当然クリスマスの過 ごし方だ。 (コスプレ……もいいかも……)  パソコン画面に向かう比呂美の口もとがにまっと笑う。昨年、愛子が通っていた学校の文化祭 で、愛子がメイド服を着て男子に囲まれていたのを比呂美は思い出していた。そのときの男子の 熱狂ぶりに比呂美は衝撃を受けた。同じ女性から見ても、愛子のメイド服姿は可愛らしく、何か 甘酸っぱいものを感じずにはいられなかったが――愛子の胸の大きさには腹立ったが――これほ どまでに、男子が釘付けになっていることに、眞一郎に新たな刺激を与えれるのでは、という考 えが浮かんだのだ。たぶん、最初、眞一郎は恥ずかしがるだろう。そして、だんだんに……。  そんな比呂美の妄想が深みに入りかけたときだった。  最初、比呂美には何が起こったのか分からなかった。とにかく、いきなり耳から入ってきた音 に、頭で認識するより先に全身が反射的に反応して比呂美の体を椅子から飛び上がらせた。一呼 吸置いて、その音がぶっ飛んできた方向を比呂美は見た。店内ではなく玄関の土間の方だ。  眞一郎が、立っている。それも仁王立ちのような格好で。少し俯き加減だったので顔の表情が うまくつかめなかったが、どうやらさっきの音の正体は、眞一郎が大声で「比呂美!」と叫んだ ものだったようだ。  比呂美の心臓はまだばくばくと暴れている。眞一郎が自分のことを何回も呼んだのに、それに 気づかなかったことに痺れを切らせて大声を出したのだろうか。そう考えると、ちょっとまずい な、と比呂美は思った。 「び、びっくりしたぁ~」  比呂美は右手を胸にあて、わざと大げさに振舞った。眞一郎の怒りが早く治まるようにだ。で も、眞一郎をよく観察してみると怒っている風ではなかった。顔は真っ赤にしていたが、どちら かといえば、今にも泣きそうな顔だ。それと肩から腕にかけてぷるぷると小刻みに震えている。  何かよくない知らせかもしれない。比呂美はそう思い、眞一郎に声をかけた。 「どうしたの? 何かあったの?」  できるだけ平静を装ったつもりだったが、眞一郎のただならぬ様子に思わず声が上ずってしま った。比呂美の問いかけに反応したらしく、足場を確認するように一歩踏み出した眞一郎は、そ のあと、最初の一歩とはうってかわって力強い足取りで比呂美に一直線で向かってきた。  そして、比呂美を抱きしめた。比呂美の耳元で眞一郎は洟をすすりあげる。 「ねぇ! どうしたの? 黙ってちゃ分からないじゃない」比呂美は眞一郎の背中を力強く二度 叩いて答えを促した。だか、眞一郎すぐに答えず、比呂美を抱きしめる力をさらに強めた。比呂 美は観念した。眞一郎の心が落ち着くまでこのまま待ったほうがよさそうだ。 (こうやって抱きしめられるの、何回目かしら……)  比呂美は心の中でそう呟きながら眞一郎の背中をさすった。そうすると、眞一郎は案外すんな り比呂美の体を離した。比呂美を見つめる眞一郎の表情はさきほどと違って微笑みに満ちていた。 そして、こう言った。 「決まったんだ……」 「決まった? 何が?」比呂美は思い当たる節がなく、訊き返した。 「決まったんだよ!」  分かんないのかよ、と少し非難めいて語気を強めた眞一郎は、比呂美の肩をゆすった。それで も、比呂美は何のことなのか思い出せない。 「だから、なんなのよー」眞一郎がさっさと教えてくれないので比呂美もムキになる。  比呂美の態度にかちんときた眞一郎は、「ばかやろ~」と優しく言うなり、また比呂美を抱き よせた。 「もう、ばか。お店で抱きつかないでよ」  比呂美は体をよじり、まず、店の外から誰かが覗いていないか確認した。車が一台通り過ぎた だけで通行人はだれも足を止めてはいなかった。そして、玄関のほうに顔を向けると、案の定、 理恵子が立っていてこちらを睨んでいた。眞一郎が大声出したからかけつけたのだろう。比呂美 の背中にじわりと冷や汗がにじみ出る。とりあえず、比呂美は苦笑いして「わたしも被害者で す」と目で訴えてみた。そうすると、理恵子も無言でこう答えた――。 (お店でいちゃつくのは止めてもらえないかしら。ただでさえ忙しいんだから。  さっさとそのバカを引っ叩いて、夕飯の支度を手伝ってちょうだい――)  それだけ伝えると理恵子はさっさと中へ引っ込んでいった。比呂美はほっと胸を撫で下ろす。 そして、眞一郎のお尻をつねった。「イテッ」と奇声を上げて眞一郎は飛び退き、「なんだよ ~」とぼやいた。 「だからっ。何が、決まったのっ」と比呂美。  比呂美がまだ思い出さないことに愕然となった眞一郎は、一瞬固まったのち、大声を出した。 「ブルーレイだよっ! ふたりでお金を出し合って買おうって決めたじゃないか。予約数が目標 値を突破したんで、ブルーレイ版の発売が決まったんだよ!」 「ああ~、そのこと。おもいだしたおもいだした」と比呂美は軽くこぶしを打った。  当然のことながら、比呂美がすっかり忘れていたことに眞一郎は抗議した。 「マジで忘れていたのかよ~」 「だって、予約したのって一ヶ月も前じゃない。それに、わたし、推薦の試験とかあったし」  推薦入学の試験のことを持ち出されると、眞一郎はこれ以上食ってかかれなくなったが、それ でもやっぱり心にもやもやが残ってしまう。しょげている眞一郎を見て、比呂美もすこし眞一郎 に悪い気がした。たとえ、夏休み以降、推薦入学の試験に集中していたとはいえ、恋人が感動し た作品に自分が同じように共感できた喜びを、眞一郎としてはそう簡単に忘れてほしくなかった のだろう。もちろん、比呂美は忘れているわけではなかった。ただ単に、比呂美は物欲がそれほ ど強くなかったのだ。漫画や小説を買って揃えることなどしない。音楽CDもそう。だから、作 品自体に強く感動しても、それが収録されたDVDなどのパッケージには、それほど感心が湧か ないのだ。  眞一郎の機嫌をどうやって取り戻そうか悩んでいた比呂美は、とりあえず話を別の方向へ進め ることにした。 「それにして、眞一郎くんが泣いて喜ぶなんて、よっぽど欲しかったのね」 「あたりまえだろ」眞一郎はまだ少しむくれている。 「なんか、ちょっと、悔しい……」と眞一郎から視線をそらして比呂美はつぶやいた。  比呂美の表情が急にかげったので、眞一郎はハッと目が覚め、比呂美の顔を覗き込んだ。それ と同時に比呂美の気持ちを傷つけるようなことを言わなかった思い返した。 「悔しいって、なんでだよ……」眞一郎はおそるおそる比呂美に尋ねた。 「だってさ。眞一郎くんが涙が出るほど喜ぶところなんて、はじめて見たんだもん。わたしのこ とじゃなく、わたしたちのことじゃなくて、ブルーレイのことで。なんか、悔しい」  比呂美にここまで言われて、眞一郎はようやく比呂美の気持ちが分かった。確かに、いきなり 比呂美に抱きつくなどやりすぎだったことは否めない。たとえ、相手がブルーレイの商品とはい え、比呂美がやきもち焼くのも無理からぬことのように眞一郎には思えた。  だから、眞一郎は比呂美のやきもちを吹き払う勢いで言った。 「これから、いくらでもあるさ。おれたちのことで泣いて喜ぶこと」  比呂美の視線が、眞一郎の目に照準を合わす。 「たとえば、どんなとき?」 「え?」  勢い余って先に口走ったせいで、眞一郎は具体的なことまで考えておらず、比呂美の質問に慌 てた。そして……とっさに思いついたことを口にした。 「そうだな~、たとえば、あかちゃんができたときとか……」このセリフを言う途中で、眞一郎 の顔はまたしも赤くなる。今、自分はとんでもないことを言ってしまったと。自分の描いた絵本 が書店に並んだときとか、そういう夢のあることにしておけばよかったかなと眞一郎はちょっと 後悔した。でも、後の祭り。比呂美の顔がすーっと近づいてきて、眞一郎は驚きの声を上げる間 もなく、唇を塞がれた。  その直後、「比呂美っー!!」という叱責の声と共に理恵子の雷が落ちた。    了 【注記】「ある日の比呂美・BD編」の設定を一部使わせていただきました。

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