【なんだ、もうフラれたのか?】 比呂美のバイト その2
「あの事故はアイツが悪いんじゃないか。あんな雪の日にバイクで二人乗りなんて、するほうがおかしいんだ。アイツが事故るのは勝手だけど、ちょっと間違ったら、お前、死んでたんだぞ」 なんで、ここでまた4番が出てくるんだ。眞一郎は焦り、困惑していた。 二人の日々が壊れていくような不安が襲って来る。「それでも、あの事故の責任は私にあるの」 比呂美の顔には、気後れも迷いも、欠片も存在していない。「アイツが払えって言ったのか?」「ううん。いらないっていわれちゃった。でも、そんなわけにいかないから」「何十万もするんだろ。そんな、大変だよ。第一、部活はどうするんだよ」「しばらく休むわ。今はそんなに厳しい時期じゃないから。まずはこの冬休み、がんばってみる」「でも…」「もう決めたから」 こうなると比呂美の決心は動かない。それは引っ越しの時に学んでいる。 比呂美の様子は普段と変わらない。最近の、朗らかな比呂美のままである。むしろサッパリしたような表情さえしていた。 だが眞一郎は、その日にした他の話を何も覚えていないほどショックを受けている。 練習試合を体育館で見た時の…。試合中に嫌がらせされている比呂美を4番が助けた、その時に感じたコンプレックス。それが克服もできず、風化もしていない事を、彼は悟った。
夕方遅くに帰宅した眞一郎は、酒蔵に向かった。仕事熱心な父は、夕飯で呼ばれるまではここにいるからだ。「父さん、比呂美の事なんだけど…」「どうした。何かあったのか?」 父が作業をしながら応じてきた。「あいつ、バイトするって言い出して…」「それはまた、なぜだ」 さすがに驚いたようで、仕事の手を止めて、向き直る。「事故で燃えたバイクの弁償をするんだって…」「ほう…」 父は、なるほどな、とつぶやいた。 だが、帰ってきた反応は眞一郎の予想外だった。「それは良い心掛けだ」「反対しないのかよ!」 思わず叫ぶ。「眞一郎。自分のした事に責任を取るのは、人として大切な事だぞ」 父の目が光る。真顔で眞一郎の目を見つめていた。 そんなんじゃない。比呂美が4番のために働くんだぞ。だが、眞一郎の思考はどうしてもそこから抜けなかった。「で、いつからだ」 父のいたって冷静な声に冷や水をかけられ、眞一郎は怒りのエネルギーを失ってしまう。「この…冬休みに働くって…」「話はわかった。ただし、こちらも保護者として預かっている身だ。比呂美にはバイトを始める前に、こちらに話をしに来なさいと伝えてくれ」「…。わかった、けど…」 納得いかない。どうしても納得できない。父にも、比呂美にも…。「ところで眞一郎。お前はどうするんだ?」 父は不思議な事を言った。「どうするって…?」 父は答えず、かすかに笑って作業に戻っていった。
「あーっ!」 真っ暗になった自室で、ベッドに身を投げながら、眞一郎はうめいた。(比呂美が…。4番のために働く…) 頭の中はそればかりだ。4番への嫉妬が、眩暈すら起こさせるほどの勢いで渦巻く。 握った拳が哀れな枕にめりこみ、ぼふっと音を立てる。 (自分に責任があるって言ってたけど、なんであいつなんかのために…) 比呂美にも事故の責任があるという事は、頭では理解していた。 問題は感情面なのだ。 自分の落ち度も相当にあった…いや自分の落ち度が原因とはいえ、比呂美を4番に奪われそうになった時の焦りや嫉妬。その記憶が生々しく甦ってくる。 4番が悪い男であったかと言われると、単純にそうとは言い切れない。そんな事はわかっているのだ。「俺はお前を許せないんだ」 4番が言ったのと同じく、眞一郎にも彼を許し切れない部分が残っていた。 バイク事故の一件もそうだ。あれでもし、比呂美が大怪我していたり、死んだりしていたら。自分は4番を決して許さなかっただろう。 そしてもし、"バイクが事故っていなかったら"。 後日この事に気づいた時、眞一郎は戦慄を覚えた。比呂美はどうなっていたのだろう。自分はどうしたのだろう。それ以上考える事に抵抗と拒絶を感じてしまう。そんな最悪の展開も、ありえたのではないか。 悪夢そのものの想像が彼を責め苛み、実際に夜中にうなされ、飛び起きまでした。それから大した時間が過ぎたわけではないのだ。(そして比呂美が同時期、同様の悪夢に泣かされていた事を、彼は知らなかった)
それだけではなかった。4番の事を思い出す度に、その妹も記憶から出てくる。(乃絵…) 気持ちがはっきりしないまま軽率な告白をしてしまい、深く傷つける事になってしまった少女。そして自分を導いてくれた少女。 乃絵ではない。乃絵ではなかったのだ。自分にとって本当に大切な女性は。 乃絵が誰か他の男と付き合うという想像は、ショックではあっても悪夢までには至らなかった。うなされる事もない。祝福だってできるだろう。 だからゆえに、自分の告白の罪について、重い責任を感じざるを得ないのだ。祭りは乃絵のために踊った。絵本も乃絵のために完成させた。それでもなお、乃絵に対しての負債を返しきれていないと感じる自分が居る。 謝って済む事ではないと。だが、今となっては謝る事もできない。乃絵の傷も、比呂美の傷もえぐるわけにはいかないから。 もう乃絵に対してできる事は何もない。もう何もしてはいけない。そして眞一郎の正義感は、いつまでも疼いたままだ。 4番の事を考えると、どうしても乃絵の事まで強く思い出してしまう。 4番、乃絵、そのどちらもが眞一郎の精神に大きな負荷をかけていく。考えるほどに自信が失われていく。(父さんは、なんで俺に"どうする"って聞いたんだ…) こんな、俺に。
「よお眞一郎。お前、何悩んでんだよ」 放課後、いつものように図書室に向かおうとする眞一郎に、三代吉が話しかけてきた。そのままうながし、人気の少ない廊下に移動する。 実は、三代吉が眞一郎の変調に気づいたのは朝である。だが、手助けの要る事か、自然に解決する事か、様子を見ることにして、気が付かないフリをしていた。いらぬお節介をするわけにはいかない。 丸一日終わっても浮かない顔をしていたため、声をかけてみる事にした。三代吉らしい配慮である。「比呂美が…」「なんだ、もうフラれたのか?」 探りがてら、軽口を叩いてみる。「かもなあ…」 眞一郎は、妙に自信なさげな様子だった。(やっぱりそうか) 三代吉の想像通りだった。眞一郎が突然しょぼくれる原因はそれぐらいしかない。 それにしては比呂美の様子がおかしい。彼女は至って平穏そのもの、朗らかなままだからだ。「なんだよそれ」 気のない感じの、ぼやけた答えをしておく。「事故で燃えた4番のバイクを弁償するために、バイトするって」 ふーん、というのが三代吉の感想。これだけでは何がどうとも言えない。「あんな奴のバイクなんかほっとけばいいのに。湯浅さん真面目だからなあ…」 一連の事件の渦中、三代吉は湯浅比呂美の本心を疑った事があった。だがそれは今では解消している。 比呂美はポーカーフェースを保っているが、冷静な眼で良く観察していればわかるのだ。4番とつきあっていると言われた頃の彼女と、今の彼女。身にまとう雰囲気が、内側から溢れる華が、全く違うではないか。「俺、どうしたらいいんだろう…」 三代吉は盛大にずっこけそうになった。(前々から思っていたが、なんでこいつは、湯浅比呂美の事には、こんなに自信がないんだろう。アイツが今さら4番なんかに走るわけがないのに) 兄妹疑惑の件を知らない三代吉には、ちょっと積極的に押せば、あんな大騒ぎする前に落とせてたじゃないか、としか見えない。石動乃絵に恨みはないが、乃絵が出てきてややこしくなるまえに、決着はついていたはずだと彼は考えている。「お前アホか。そんな事、考えなくてもわかるだろ」「それがわからないから悩んでるんだろ」「こりゃ、湯浅さん苦労するな…。あっちを励ましたい気分だ」 さすがに口に出た。仕方のない所である。「おい…」 微妙な発言で、眞一郎が焦る。「もういい、アホがうつる。じゃあな。俺、今日も"あいちゃん"でバイトすっから」 三代吉はカラっと笑いながら背中を向け、校門に向けて歩きだした。「おい、待てよ三代吉」「ヒントはやったぞ。お前、それでも一応、旦那だろ」(頑張れよ)三代吉は背中で手を振って、歩き去った。現状で自分に出来るアドバイスはした、と判断していた。 本人は気づいていないが、実のところ、眞一郎には敵が多いのだ。 比呂美を奪おうと現れるライバルは、これから比呂美が美しくなるに従って、どんどん強く、多くなるだろう。いかに比呂美が一途でも、一途さゆえの落とし穴だってある。比呂美に吊り合わなくなり、眞一郎が自滅する事だってありえた。(三代吉は知らない事だが、一連の事件はまさにこれらの複合要因だったのだ) これぐらい自己解決できなければ、いずれ何らかの形で比呂美を失う事になるかもしれない。 眞一郎は強くならなければならなかった。 今はそのために、守るべき所は守ってやり、突き放すべき所は突き放す。 ケンカの似合わない眞一郎だが、何らかの形で殴り合いも教えてやるべきかもしれない。汚い手段だって使わなければならない時もある。奇麗事で済む事ばかりではないから。 それが親友たる自分の役割だと三代吉は考えていた。
「ヒントって…」 眞一郎にはまだわからない。考える事が増えただけだ。 だが、三代吉に大切な何かを渡された事、少なくともそれだけは、眞一郎も理解していた。
--------------------------------------------------------比呂美のバイト編、第二話です。
いくつか補足を。
時期は12月半ばとなります。たとえアニメ本編の公式設定で、最終回が1月だとされようとも、このお話は12月半ばのスタートです。どうしても、です(笑)
眞一郎君、若干ヘタレてます(笑) が、仕方のない事だと思って下さい。眞一郎君に4番、比呂美に乃絵というトリガーは、トラウマに近いものがある事としています。そのトリガーについて、お互いある程度察知してはいますが、傷の深さまでは理解が及んでいない事とします。(トラウマというのは本人以外にはその重大さが理解しにくいものです)この辺り、地の文に混ぜにくくて。
眞一郎がヒロシやママンを呼ぶ時、父さん母さんと、親父おふくろが混在します。それは仕様です。
三代吉は、若干の不良経験のある、カッコイイ三代吉にしてあります。
最後に。この筆者、若干エロいですが、そこはお許しを。エロパロスレ直行レベルまでは行かないと思います。たぶん。
乱文を読んでくださり、ありがとうございました。
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