ある日の朋与4


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耳元に聞こえる眞一郎の息遣い、圧し掛かってくる重さが朋与を目覚めさせる。
(……また……気を失ってた……)
一体何度目だろうか、眞一郎にイカされるのは。『妄想』も入れると結構な数になる。
(……その度に失神するんだから…嫌になっちゃう……)
眞一郎の細くてしなやかな指が、短く切り揃えられた朋与の髪を掻きむしってきた。
目の前に、満足しきった眞一郎の顔がある。何を求めているのか、朋与はすぐに分かった。
同じ様に眞一郎の髪をクシャクシャにしてやると、顔を引き寄せて口づける。
舌を絡ませ合い、唾液を交換するふたり。
(やっぱり眞一郎の……おいしいな……)
眞一郎の口内を貪りながら、朋与はそんなことを考えていた。
…………
…………
「……抜くよ」
朋与は返事をしなかった。出来ることなら、ずっと繋がっていたかったから。
……ズルッ……
萎えかかった陰茎が膣から引き出され、眞一郎の身体が離れていく。
(……拭いてあげなきゃ……)
眞一郎を……眞一郎を綺麗にしなければならない。だが、脳からの信号を朋与の身体は拒絶した。
腰の辺りが痺れて腹筋に力が入らない。腕の力で無理矢理起き上がろうとする朋与を眞一郎が制した。
「いいよ、今度は俺が拭く」
眞一郎はティッシュを数枚取って自らの陰部を簡単に拭うと、朋与の膝に手を掛けた。
「や、やぁ!!」
身体の全てを見せ合った仲なのに、事後の性器を見られるのはやはり恥ずかしかった。
「い、いいよ!落ち着いたら自分で拭くから!」
「俺がしてやりたいんだよ」
ただでさえ男女の腕力差があるのに、絶頂の余韻が残る朋与に勝ち目があるはずもない。
抵抗らしい抵抗も出来ず、朋与は眞一郎に股を開くしかなかった。
横を向いて大人しくなってしまった朋与をよそに、花弁へと眞一郎の手が伸びる。
「……かなり出た気がしたんだけど……そうでもなかったのかな……」
陰茎を抜去した直後は眞一郎の『直径』を保っていた朋与の膣だったが、今はすっかりその口を窄めていた。
血液や精液の逆流もほとんど無く、眞一郎による清掃はすぐに終わった。
「……そんな事ないと思う……なんか……奥の方に吸い込んでる感じ……するし……」
朋与のその感覚は間違いではない。
興奮の衰退期に入った子宮が位置を変え、その口を精液溜りに沈めて吸引していたのだ。
眞一郎の精液が高い粘度で放出されたことも、逆流を防ぐ手助けをしていた。
…………
…………
痙攣の治まりを待って、朋与は身体をゆっくりと起こす。
時計に目をやると、母が帰宅する時刻までには、まだ少し余裕があった。
「……時間……まだ大丈夫だけど……もう一度する?」
傍で眞一郎が首を横に振る。一発の密度は濃いが、何回も連続で出来るタイプではないらしい。
「少し話したいな……朋与と……」
「…………眞一郎……」
足元に追いやっていた布団を引き寄せて、裸のまま二人でそれに包まる。
肌を寄せ合って互いの体温を分け合いながら、朋与は眞一郎が口を開くのを待っていた。

同級生が教室で見せる姿というのは、その人のほんの一面でしかないのだな、と朋与は思った。
朋与の肌を軽く愛撫しながら、眞一郎は朋与の知らない話を色々してくれる。
絵本作家を目指していること。幼馴染のアイちゃんのこと。
最近、母親とうまく行っていないこと。麦端祭の花形を勤めること。
だが、その中に『比呂美』という言葉は一度も出てこない。
…………
「俺はさ……何だか知らないけど『飛べる』らしいんだ」
「飛べる?」
石動乃絵がそう言ったらしい。彼女の話をされるのは愉快ではなかったが、今の朋与には分かる気がした。
身体を重ねたからではない。確かに眞一郎には、そんな印象がある……。
(…そうね……翼がある……そんな感じがする……)
漠然としたイメージだが、眞一郎にはいつも空を見ているようなところがあった。
……思い出してみれば、朋与はこの一見平凡だが、不思議な雰囲気を持つ少年をずっと見ていた気がする。
比呂美の横でずっと……。
……比呂美の為だと思っていた……。でもそうではなかったのだ……。

(……私……信一郎のこと……ずっと前から好きだったんだ……)

朋与は今、自分の気持ちが突然沸き起こったものではないと知った。
だから自信を持って言える気がする。私は眞一郎の気持ちが誰よりも分かるのだと……。
…………
…………
「……比呂美…今、4番と何してるかしら……」
「…………」
話が途切れる。避けてきた話題を持ち出され、眞一郎は少し苛立っているようだった。
「私たちみたいに……してる……かな……」
「知らないよ。比呂美の事はもうどうでもいい」
眞一郎が身体を寄せてくる。右脚が朋与の股に捻じ込まれ、薄い陰毛がシャリッと音を立てた。
「俺にはもう朋与がいる」
甘えてくる眞一郎を無視して朋与は続けた。
「…………ねぇ……想像してみて……比呂美たちがしてる事……」
「…………」
眞一郎の顔が見る見る険しくなっていく。それは興味の無い女の情事を想像している顔ではない。
大事なもの……自分の一番大切なものを奪われる瞬間を思い浮かべている顔だった。
…………
「…………それが眞一郎の本当の気持ちよ……」
「……朋与……」
朋与は合わせていた視線を外し、眞一郎の胸に顔を埋めた。
「苦しみなさい……そして強くなるの……大切な人を受け止められるくらい強く……」
「…………」
朋与の言いたい事がわかったのだろうか。朋与を抱きしめる眞一郎の腕に力が込められる。
「……厳しいんだな…朋与は……」
「……そうよ…………私も……好きな人には飛んで欲しいからね……」
眞一郎が好きだから……本当に好きだから……嘘の気持ちに逃げて欲しくはなかった。
空を見続けることを止めて欲しくなかった。
…………
…………
会話が途切れ、朋与と眞一郎は互いの体温を感じることだけに集中していた。
もうすぐ母が帰ってくる時間だ。
……あと少し……もう少しだけ……眞一郎とこうしていたい……。
薄暗い部屋の中で、朋与は生まれて初めて、時間が止まればいいと本気で願っていた。

私服に着替えて玄関の外まで眞一郎を見送りに出る。一番のお気に入りを着た事は、眞一郎には黙っていた。
「じゃあ…明日また学校で」
「……あぁ」
話すことなど残っていないのに、二人はなかなか離れられずにいた。
無言のまま玄関に立ち尽くす二人に、いきなり声が掛けられる。
「朋与、お友達?」
振り向くとスーツを着こなした中年の女性が立っていた。
「ま、ママ」
「……え……」
母親と聞いて、眞一郎の身体が条件反射で強張る。表情も幾分引きつっている様だ。
朋与の母はシャープな外見の朋与とは違い、どこか柔らかさを感じさせる女性だった。
「あら……あらあら……お邪魔だったかしら?」
「ち、違う!そ、そんなんじゃないんだから!!」
朋与は眞一郎を簡単に紹介すると、母を家の中に押し込もうとする。
娘が男の子を連れて来たのが嬉しいのか、朋与の母は終始ご機嫌だった。
「ホホホ、ごゆっくり~」
浮かれた様子の朋与の母が扉の向こうに消える。
…………
「ごめん……変でしょ、うちの母親」
「そんな事ないさ。優しそうな人じゃないか……美人だし」
朋与の顔が急に不機嫌になり、指が眞一郎の手の甲を抓り上げた。
「痛ってぇ!…な、なんだよ……」
「『なんだよ』じゃない!……どうせ私は一重瞼でデコっぱちよ!」
朋与はどちらかというと父親似で、昔から目鼻立ちのはっきりした母に似なかった事を気にしていた。
(……してる時だって、一言も可愛いとか言わないし……)
プイと横を向いて拗ねる朋与を、眞一郎は不意打ちで抱きしめた。
朋与の口から「…あ…」と声が漏れる。
「……朋与は綺麗だよ…………綺麗だ……」
「…………眞一郎……」
朋与の手が眞一郎の背中に回りかけて止まる。
刹那の時、迷いを見せた朋与の手の平は、優しく眞一郎の胸板に添えられて、その身体を押し返した。
…………
「…………もう……しないって約束したでしょ……『仲上くん』……」
「…………」
眞一郎は視線を伏せて答えなかった。
僅かな沈黙の後、鞄を手にして門の外へと出る眞一郎。朋与もその後に続く。
「……『黒部』……」
苗字で呼ばれた瞬間、夢の終わりを知って、朋与は泣き出しそうだった。
部屋を出る時に二人で約束をした。もう名前では呼ばない。ただのクラスメイトに戻るのだと。
朋与に背を向けたまま眞一郎は続ける。
「…俺さ……ホントに飛べんのかな……」
きっと今、眞一郎は色々な不安に押し潰されそうなのだろう。
顔を見たら抱きしめてしまう……そう思った朋与は、その場から動かなかった。
…………
「……さあね……でも、そんなに慌てて飛ばなくてもいいんじゃない?……」
わざと素っ気無く言う。
「やっぱ厳しいな」と呟き、眞一郎は歩き出す。
その足取りを、朋与は姿が見えなくなるまで見送った。
……力強くはない……でも……進む方向は見失っていないと朋与には感じられた。

そろそろ父も帰宅する時間なので、朋与は玄関の鍵をかけずに室内に戻った。
「ちょっと朋与。ご飯炊けてないじゃない」
台所から母の声が聞こえる。両親の帰りが遅い時の炊事は朋与の仕事だった。
「ごめ~ん。気分悪くて寝てたの」
「仕方ないわね。先にお風呂入りなさい。買い置きで何か作るから」
「は~い」と空返事をしてから、階段を登って自室へと戻る。
照明を点けて部屋を見渡した。
(……今、ママに踏み込まれたら言い訳できないな……)
散乱したティッシュ、投げ捨てられた未使用のスキン、部屋に篭った生臭い臭気……。
朋与は情事の痕跡を片付けに掛かった。窓を開けて空気を入れ替える。
ティッシュは両親が寝静まったあとでトイレに流せばいいが、問題はスキンだ。
ゴミ箱にそのまま放り込む訳にもいかず、結局小さめのポリ袋に入れて通学の途中で捨てることにした。
…………
着替えを用意し終えた時、朋与は机の上に置いた携帯のランプが点滅しているのに気づいた。
「……比呂美のメールか……」
確認せずに、そのまま部屋を出る。返信するつもりはなかった。
(そうか……こっちも確かめなきゃ……)
……眞一郎の為に……。今それが出来るのは自分だけだと、朋与は階段を降りながら考えていた。

    ※    ※    ※    ※

入浴を済ませて浴室を出ると、食卓から良い香りがしてくる。
(……この匂いはスパゲティね)
所要時間と冷蔵庫の中身を吟味して、このメニューとなったのだろう。
テーブルに着くと、母は先に食事を始めていた。余程お腹が空いていたと見える。
「さっきの子、仲上くんだっけ?格好いいじゃない」
「そう?普通だと思うけど」
頂きます、と手を合わせてから、朋与はスパゲティを口に運び始める。
「ねぇ、付き合ってるわけ?ねぇ、朋与」
何が嬉しいのか、母は浮かれ気分でしつこく眞一郎の話を聞きたがる。
(うるさいなぁ、もう……ほっといてよ……)
否定しないと延々この話題が続きそうだと思った朋与は、キッパリと言った。
「仲上くんには他に好きな人がいるの。変なこと言わないで、ママ」
「あらそう……残念ねぇ…………?」
朋与の異常に気づいた母の手が止まる。
「……朋与……あんた泣いてんの?」
両の眼に大粒の涙を浮かべて、朋与は全身を震わせていた。
「……な…泣いて……うぐっ……泣いてなんか……ぐすっ……」
自分自身で事実を口にする事で、我慢して来たものが溢れ出してきた様だった。
手が震えてフォークが持てない。耐えきれずに手で顔を覆い、朋与はうずくまった。
「…うぅ……うわああああぁぁぁぁ!!」
眞一郎の前では隠していた『悲しみの涙』が、後から後から湧き出てくる。
(……私の好きな人が好きなのは……私じゃ……ない……)
残酷な事実が、朋与の心を何度も打ちのめす。
「……朋与……」
もう誰も包んでくれないと思った身体を、母が黙って抱きしめてくれた。
「仲上くんが好きなのね……」
愚図りながらコクリと頷くと、母は頭を優しく撫でてくれた。
「泣きなさい……ママにも経験あるけど……泣くしかないのよ、こんな時は……」
母の胸の中で朋与は大声で泣いた。泣き続けた。
泣いてしまおう。今、全部の涙を流してしまおう。
明日の朝、教室で眞一郎の顔を見るには、そうするしかないと朋与には思えた。


翌日の昼休み、朋与は比呂美をグラウンド階段に呼び出した。
購買で買ったサンドイッチを頬張りながら比呂美を待つ。
曇っているせいか、朋与以外の生徒は誰もいない。
やがて昼練を終えた比呂美が現れた。今日も昼食を取る気はないらしい。
「ごめん、待った……」
何故か挑戦的な視線を向けてくる朋与に、比呂美は一瞬たじろいだ。
「座れば」
「……う……うん……」
朋与の隣に腰を下ろす比呂美。
比呂美の空腹を気遣う事もなく、朋与は一人で食事を続けながら話を始めた。
「見たよ、昨日。帰るときのアレ。やるね~比呂美」
何を指摘されたのか、すぐに分かったようだ。
比呂美の顔が『見られた』事への驚きと後ろめたさで曇る。まるで現行犯逮捕された軽犯罪者だ。
「……なんの話?」
「あれ?私の勘違いかぁ」
シラを切る比呂美に対して、話し方にわざと悪意込める朋与。
「そんな話なら……」と、立ち去ろうとする比呂美を「本題はこれから」と呼び止める。
「私ね『男』が出来たのよ。で、恋愛の先輩である比呂美に色々訊きたいわけ」
「…………」
朋与は意図的に『男』という生々しい表現を用いた。
昨日までと全く違う親友の態度に戸惑う比呂美。朋与の真意が掴めない。
「石動さんとは……もう『して』るんでしょ?」
「…え!」
比呂美の顔が真っ赤になる。その反応だけで、朋与は比呂美がまだ処女であることを見破った。
「教えてくんないかなぁ、参考のために」
「…………い、いいわよ……」
比呂美が次々と『嘘』を並べ立てる。夢のように美しい物語が比呂美の口から紡がれていく。
だが朋与には、それが雑誌やネットで得た知識を継ぎ接ぎにしているだけなのが、手に取るように分かった。
(……男を受け入れるって…………そんなんじゃないよ、比呂美……)
そう……本当のセックスはもっと熱くて……獣みたいで……濃厚なもの……。
自分の話に酔い始めた比呂美は見ていて滑稽だったが、朋与は安心もしていた。
(やっぱり、比呂美は4番なんか好きじゃない……比呂美が好きなのは……)
……眞一郎……彼以外には考えられない。
『特別な理由』が心に強固な施錠をしているが、比呂美の想い人はやはり眞一郎に違いなかった。
でも今、比呂美は逃げようとしている。全力で眞一郎から逃げ出そうとしている。
(……そんなの許さない……絶対に……)
破れる恋だと分かっていても、朋与は逃げなかった。眞一郎も逃げるのを止めた。
どんな訳があったって、自分の気持ちから逃げ出してはダメなのだ。
……比呂美もちゃんと苦しんで欲しい。比呂美自身の為ではなく、本当に好きな人の為に……
…………
…………
「石動さんって凄いんだぁ」
「ま…まぁね……私も自分があんなに乱れちゃうなんてビックリ……」
ありもしない4番との淫事を語り終えた比呂美に、朋与は強烈な一言を浴びせた。
「私も今度、眞一郎と試そう」
比呂美の瞳孔が見開かれ、瞬時に身体が固まる。
「…………え…………今……なんて…………」
朋与は笑っている。それは今まで比呂美が目にしたことのない、悪魔のような笑顔だった。

「なんで……眞一郎くんが出てくるのよ……」
比呂美の唇がワナワナと震える。
怒り……嫉妬……。普段の比呂美が絶対に見せない感情が、表に染み出してくる。
「なに怒ってるの……眞一郎と私が付き合ったら変?……」
「呼び捨てにしないで!!!!」
立ち上がり、大声で感情を撒き散らした比呂美の瞳は、怒気を孕んで赤く燃え上がっていた。
朋与もゆっくりと腰を上げ、真剣な表情で比呂美に対峙する。
「……昨日……眞一郎と寝たわ……」
「!!!」
今度は絶望と殺意。比呂美の身体が真っ黒な何かに覆われていくのが、朋与には分かった。
「……う、嘘よ……眞一郎くんが……そんなこと……」
「教えてあげる。眞一郎がどうやって私を抱いたか……」
朋与は昨日の出来事を、包み隠さず語って聞かせた。
実体験に基づいたその話は、当然ながら比呂美の作り話とは比較にならないリアルさだ。
眞一郎がどうやって朋与を愛し、朋与がどうやって眞一郎を愛したかを微細に説明する朋与の唇。
「……やめてっ!!もうやめてぇっ!!!」
耳を塞ごうとする比呂美の手を、朋与は無理矢理引き剥がした。
「聞きなさいよ!眞一郎のこと…関係ないって言うなら聞きなさいよ!!!」

    パシッ!

比呂美の手の平が、朋与の頬を打つ。それは朋与が体勢を崩すほど、強烈な一撃だった。
…………
息切れするほど興奮している比呂美の両眼を見据え、冷静に朋与は言った。
「……嘘よ……全部デタラメ……『仲上くん』が私とそんなことする訳ないでしょ……」
「……え……」
比呂美の身体から黒い気が抜けていく。
『経験』の無い比呂美は朋与の話の真偽が判断できず、結局は彼女の『嘘』を信じた。
「……本当は『仲上くん』が好き……違う?」
「…………」
比呂美は何も言い返せなかった。
眞一郎が他の女を抱いたと聞いただけで激昂してしまったのだ。もう本心を隠してはおけなかった。
「あんたたちに何か特別な事情があるのは知ってるわ」
「!!……まさか話したの!?……眞一郎くん…朋与に!!」
朋与は首を横に振る。肝心な事は何も訊いていない。これは本当だった。
「昨日、帰りに少し話しただけよ。……落ち込んでたから……」
「…………」
比呂美は秘密が守られている事に安堵したようだった。構わず朋与は続ける。
「素直になれとか言う気はないわ。ただね……ヤケを起こすのは止めて。彼の為に」
だが、朋与の気持ちはまだ比呂美に届かない。
「…………余計なお世話よ……お節介はもうたくさん」
比呂美がふて腐れて減らず口を叩いたその時……

    パンッ!

朋与の手の平が勢い良く宙を舞い、比呂美の頬を張り飛ばした。

朋与の痛烈な平手打ちは、比呂美の身体を地面に打ち据えた。
すぐに立ち上がり、「このっ」と毒づきながら朋与に掴みかかる比呂美。
「何も知らないくせにっ!私がどんなに辛いかっ!知りもしないくせにっ!!」
激しい揉み合いとなる二人。だがバスケとは違い、腕力と気力では朋与の方が勝っていた。
「あんたの気持ちなんかっ…………知るかぁっ!!」
突き飛ばされ、仰向けにひっくり返される比呂美。朋与は馬乗りになってジャージの襟を締め上げた。
「あんたは『仲上くん』に想われてるじゃない!!……それ以上……何を望むっていうのよ!!!」
「!!!」
比呂美の抵抗がピタリと止む。朋与の眼からは涙が零れ、比呂美の顔を濡らした。
「……いらないなら私に頂戴!……『眞一郎』の心を……私に頂戴!!!」
朋与の本当の気持ちに、比呂美は気がついた。
お節介ではない……。お節介などではなく、こんな事をしているのは……。
「……朋与……眞一郎くんのこと……」
…………
朋与は比呂美から離れ、階段の隅で膝を抱えてしまう。
起き上がって土埃を払うと、比呂美も朋与の隣でそれに習った。
比呂美の方を見ないようにしながら、朋与が口を開く。
「…………頂戴よ……眞一郎…………」
朋与はあさっての方向を向いたまま、ぶっきら棒に言う。
葛藤と逡巡……。比呂美の苦しみが朋与には良く分かった。
…………
「…………嫌……それだけは…………朋与でも……絶対に嫌……」
長い長い沈黙のあと、絞りだすような声で『想い』を吐き出す比呂美。
顔を伏せて泣き出してしまった比呂美を、朋与はそのままにしておいた。
(……今はそれで許してあげる……比呂美……)
肩を抱いたりはしない。
愛する人を奪っていく女に、そこまで優しくしてやる必要は無い。そう朋与は思った。

「!!どうしたんだよ、お前ら!」
教室に戻る途中で、朋与と比呂美は廊下で眞一郎と野伏に鉢合わせた。
眞一郎が驚くのは当然だ。二人とも土埃にまみれ、頬を赤く腫らしているのだから。
咄嗟に比呂美の方に駆け寄る眞一郎の姿に、朋与の胸がチクリと痛む。
それは眞一郎にとって、ごく自然な事なのだろう……
それでも……やはり胸の痛みは抑えようがなかった。
…………
「私、早退するわ。」
野伏三代吉に担任への伝言を頼むと、教室から自分の鞄を取ってくる朋与。
廊下に戻ると、野伏は雰囲気を察してくれたのか、その場から消えてくれていた。
「……俺のせい……なのか?」
眞一郎の後ろで立ち尽くしている比呂美。
朋与に訊いてくるという事は、比呂美は何も話さなかったのだろう。
無視して帰ろうとする朋与の腕を、眞一郎が掴む。いつもの甘美な電流は流れなかった。
「……と…」
「離して!」
眞一郎が誓いを忘れて名前で呼ぼうとするのを、朋与は腕を振り解くことで防ぐ。
それが全てだ。朋与と眞一郎はクラスメイト。ただ、それだけだった。
「比呂美のこと、ヨロシクね仲上くん」
弱々しい声で「朋与」と呼びかける比呂美に、振り向かずに手を振ると、朋与は下駄箱へと降りていった。

あの海岸通りの防波堤に朋与はいた。
今日は母が在宅しているので、理由も無く早く帰ることは出来ない。
何をするでもなく、誰を待つわけでもなく、無為に時が過ぎるのを待つ朋与。
空を見上げてボンヤリしていると、無警戒な海鳥が二羽、朋与のすぐ横に舞い降りて来た。
名前は知らない。朋与は鳥の種類には全く興味が無かった。
身を寄せ合って風を凌ぐ鳥。『つがい』なのだろうか、と朋与が考えていると、
そこに場違いな泣き声が聞こえてきた。
「にゃあ」
どうやって防波堤の上に登ったのか分からない小柄な猫が、トコトコとこちらに向かってくる。
その様子から、海鳥を捕食する気がまるでないのが朋与には分かった。
(遊んで欲しいのかな?)
黙って様子を見守る朋与。猫は海鳥たちに近づいていく。
……しかし……
あと少しで触れ合える、というところで、鳥たちは猫を残して空へと羽ばたいた。
目で軌跡を追うと、上空で付いては離れ、離れては付きを繰り返している。
そして暫くすると、結局は並んで同じ方向へと速度を上げて飛び去っていった。
…………
…………
置いて行かれた猫が、空に向かって「にゃあ」と悲しげに鳴く。
鳥と友達になり損ねた猫と、朋与だけが、その場に残された。
…………
(……あぁ、そうか……)
朋与には分かった。自分はこの猫なんだ……そして眞一郎と比呂美はあの鳥たちなんだと。
眞一郎は『飛べない』と言っていたが、心配する必要はない。
眞一郎には翼がある。力が蓄えられれば、いつか飛んで行ける。
そして比呂美にも、その力が分け与えられ、飛ぶことが出来るはずだ。
眞一郎がそう望む限り……きっと同じ方向へ……。
…………
…………
「おいで」
手を差し伸べると猫は朋与に擦り寄ってきた。仲間が分かるらしい。
抱き上げて自分の胸に収める。朋与に抱きしめられながら、猫はまた何もいない空に向かって鳴いていた。
毛並みのいい背中に頬を寄せる。一筋、朋与の頬に流れた雫が、猫の肌に吸い込まれて消えた。
悲しくはない。ただ少し……ほんの少しだけ寂しかった。
ふっと気が付くと、猫はもう空を見ておらず、首を回して朋与の顔を覗き込んでいた。
「…………」

    ペロッ

猫が涙の跡を舐め取ってくれる。優しくされることが、今はとても心地いい。
「……平気よ…………翼が無くても生きていけるから……」
朋与は猫を抱いたまま防波堤から降りた。
この子は連れて帰ろう。母はきっと飼う事を許してくれる。朋与はそう思った。


                 [おわり]

「ある日の朋与」お終いでございます。
自己陶酔型の駄文にお付き合い頂きましてありがとうございました。

次は……やっぱ比呂美ですかね。
ツールボックス

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