第十三話の妄想 比呂美エンド 前編

 true tears  SS第十八弾 第十三話の妄想 比呂美エンド 前編

「そう? ありがとう」「こんな自分、嫌なの」

 第十三話の予告と映像を踏まえたささやかな登場人物たちの遣り取りです。
 妄想重視なので、まったく正誤は気にしておりませんが、
本編と一致する場合もあるかもしれません。
 比呂美エンドにしてあります。
 本編が最終回ですので、妄想も最終回になります。



「置いてかないで」
 比呂美の口から洩れた言葉はむなしく響いた。
 眞一郎は振り返る事無く去って行く。
 比呂美は右足の下駄を脱いだまま立ち竦んでしまう。
 奉納踊りが終わったために人影は少なくなりつつある。
 比呂美は歩こうとせずに硬直したままだ。
「比呂美、どうしたの?」
「何があったんだ」
 仲上夫妻が慌てて駆け寄ってくれた。
 手には眞一郎が踊りで使用していた笠と刀を携えてだ。
「あの、踊り手たちだけで打ち上げはあるのですか?」
 比呂美は俯いたままだ。
「なくはないな。眞一郎がそう言ったのかい?」
「……はい」
 比呂美が顔を上げると涙がこぼれてしまう。
「眞一郎がそんなことを……」
 眞一郎母は眉根を寄せてしまった。
「それからどこかに行きました……」
 もう立っているのもつらくて塞ぎ込んでしまいそうだ。
 あの幼い頃の夏祭りのときのように。
「比呂美、うちに戻りましょう。
 それから着物を脱いでから休んだほうがいいわ」
「俺がアパートまで車で送るとしよう」
 仲上夫妻は比呂美への対処を考慮してくれている。
「そんなことまで……。
 これからお片付けをしなければなりません」
 比呂美は下駄を履き直す。
「比呂美は私たちの娘なんだから甘えてもいいのよ」
「体調がすぐれないなら、明日は学校を休みなさい」
 仲上夫妻の優しさに触れて、比呂美の涙はさらに増えてゆく。

               *

 眞一郎は踊りの成果と絵本の完成を伝えたくて乃絵のところに赴く。
 踊っている最中に乃絵を見つけた。
 それから瞳に捕らえると、動きの切れが増していった。
 乃絵がいる場所といえば学校しかない。
 鶏小屋かあの木だろう。
 眞一郎は花形衣装のまま駆けている。
 さっきは比呂美に嘘をついてでもだ。
 あの木が視界に入ると、赤いものが落下するものが見えた。
 両手をしきりに動かしているようにだ。
 眞一郎は慌ててその場所に行く。
「乃絵」
 身体が埋まっているので、眞一郎は外に出す。
 雪を払ってあげる。
「私、眞一郎がいなくても飛べたよ」
 乃絵は満面の笑みを浮かべている。
「俺がいなくても飛べた。
 俺が下で支えなくてもだ」
 乃絵がどの高さから飛び降りたかはわからない。
 何を覚悟しているのかもわからない。
「私ね、決めたの。
 眞一郎を好きにならないという呪いを掛けるって」
 乃絵が以前に三代吉に掛けたらしい。
 だが三代吉には効果がなかった。
「比呂美に何かを言われたからか?
 そんなことまでしなくてもいいんだ。
 でも俺は比呂美のところに飛んで行きたい」
 呪いなんて存在するわけがない。
 何かの暗示だろう。
 乃絵が泣けなくなった原因も似たようなものかもしれない。
 だが乃絵とは別れなければならない。
 昨晩もそうしようとしたが、できずに乃絵とも話せなかった。
「そうね。湯浅比呂美はあなたが好き。
 私は眞一郎よりも純のそばにいてあげたい」
「あいつと何かがあったのか?」
 急に出て来た名前に眞一郎は戸惑ってしまう。
「眞一郎よりも大切なの。
 たとえお兄ちゃんであってもね」
 乃絵は揺るぎのない決断を瞳に湛えている。
「でも絵本だけは見て欲しい。
 明後日の放課後に」
 明日は比呂美のために使いたい。
「いつもの鶏小屋で待ってるね」

               *

 比呂美は体調を崩してしまった。
 眞一郎のことだけでなく、今までに無理を重ねていたものが耐えられなくなった。
 精神的な負担があり、今日だけでも学校を休むことにした。
 昼を過ぎた頃にチャイムが鳴る。
 出てみると眞一郎母がいる。
 事前に学校を休むのは報告していた。
 だがわざわざ来てくれると比呂美は思っていなかった。
 手にはケーキ屋の箱を提げている。
「身体は大丈夫かしら?」
 心配そうに訊いてくれていた。
「大分ましになりました。中に入ってください」
「お邪魔するわね」
 眞一郎母は比呂美のアパートに一歩を踏み入れた。
 初めてであり比呂美はますます緊張してしまう。
「紅茶を用意しますね」
「そう? ありがとう。このケーキもお願いね」
 眞一郎母から比呂美はケーキを受け取る。
「コートはそちらに掛けていただければ」
 比呂美が提案すると眞一郎母は応じてくれて、テーブルのそばに座る。
「良い部屋ね、片付いているし」
 眞一郎母はまわりを見渡している。
「いろいろと提供していただいて感謝しています」
 比呂美はショートケーキを皿に移す。
 箱には四つとも同じ苺だ。
 出すときに迷わないように配慮してくれているのかもしれない。
「お金のことは心配しなくてもいいわ。
 話は変わるけど、あの写真はどうしたのかしら?」
 眞一郎母の言葉に比呂美は固まってしまうが、すぐに動く。
 本棚にあるアルバムを持って眞一郎母のところに訪れる。
「ごめんなさいね」
 軽く縦に首を動かしてから、ページをめくっている。
「あの写真を形見の同じ写真のところに挟んであったわ」
 声質はかすれそうではあったが、最後まで言い切っていた。
「そばに入れる場所がなかったので」
「そうね。懐かしくなってきたわ。あの頃のことを思い出して」
 眞一郎母の表情を眺めながら、比呂美はケーキと紅茶を並べる。
 眞一郎母は比呂美のほうに向けてアルバムを開く。
「え?」
 意図がわからずに洩らした。
 眞一郎母は悠然と紅茶を口に運ぶ。
「眞一郎から連絡はあったのかしら?」
「まだです。あったとしても何も答えられないですし……」
 こちらからする気にもなれずに保留したままだ。
 乃絵のほうに行くなら、はっきりと伝えて欲しい。
「あれから眞一郎は帰宅して比呂美のことを心配していたわ。
 私たちは比呂美の体調不良だけは伝えておいた。
 まあ、眞一郎から何かしてくるでしょう」
 比呂美母は余裕があって、ショートケーキをフォークで切り取る。
 比呂美は見習って紅茶だけでも飲もうとする。
 そういえば食欲がなくて食パンを一枚だけしか口にしていない。
「私から何もしないほうがいいのですか?」
 比呂美は怪訝な顔をしている。
「今日、比呂美は学校を休んだので、明日までは待ったほうがいいかもね」
「もともと何をしたらいいかわかりませんし」
 比呂美は自分ができることをすべてしてしまった。
 乃絵にそっとして欲しいと言い、眞一郎にはそれを伝えた。
 曖昧な返事を残されて眞一郎は去った。
「少し落ち着いてきたようね。
 状況を整理してみましょうか?
 せっかくだから比呂美の形見の写真を使ってね。
 まずは比呂美が出て行くときに私の気持ちがよくわかったと言っていたから、比呂美は私。
 眞一郎はあの人。
 でもあの人は比呂美のお母さんが好きかもしれないということね」
 眞一郎母は昔の四人の関係になぞらえていた。
 比呂美はその解釈に頷いていた。
「比呂美のお母さんが石動乃絵」
 眞一郎母に真正面から覗かれると、比呂美は驚愕して俯いてしまう。
「知っておられたのですか?」
「眞一郎が踊り場に女の子と一緒にいたのを、その場にいた方々から聞かされているからね。
 一度目は勝手に入って来たようだけど、二回目は眞一郎が連れて来たようなの。
 朝にあなたが急にどこかに行ったから、そばにいた愛ちゃんに教えてもらって、
ようやく女の子と石動乃絵が一致したわ」
 田舎社会であるがゆえに情報がすぐに届いてしまう。
 隠されることなく関係者の耳に入ってしまうのだろう。
「眞一郎くんは石動乃絵のために踊っていたのですね。
 羨ましいな……。
 あのときに遮らなかったら、私が石動乃絵のようになれたのかも」
 あの海岸でマフラーを掛けてあげて、眞一郎に花形の話をしようとした。
 だが眞一郎が何かを言おうとしたときに、比呂美は石動乃絵のことで遮った。
「比呂美も踊り場に行っておけば良かったわね」
 眞一郎母はそっけなく返した。
「その後に世間体があるから、一緒に歩かないで欲しいと言われましたが」
 かすかに睨んでしまった。
「でも好きなら行ったほうが良かったかもしれないわ。
 そうすれば私が否定しようとも、世間は認めてしまうし。
 昨日の朝だって、比呂美が眞一郎に花形の衣装を着せるときに、冷やかしがあったでしょう」
 まったく動じずに平然と返されてしまった。
 比呂美は眞一郎母の懐の広さを認めてしまう。
「でも眞一郎くんに、踊りを見に来ないほうがいいと言われましたが、私は行きました」
 あのときの眞一郎の言葉を信じられなかったし、信じたくなかった。
「そこまで言われていたのね。
 てっきり眞一郎は比呂美のトラックを自転車で追い駆けるくらいに、
好きだったと思ったいたのにね」
 眞一郎母は落胆するほどに、比呂美との交際を認めてくれているのだろう。
「私もそう思っていたのですが、違ったようです……」
 全部、ちゃんとするからと眞一郎は言ってくれていたのに、あまりしてくれていない。
「ねえ、怒らないから眞一郎とのことを教えて欲しいな。
 相談に乗れると思うけど」
 眞一郎母は興味深げに訊いてきた。
「私の初恋が眞一郎くんで、仲上家に来たのもそれが理由です。
 いろいろあって他の男の人、バイクの人と付き合うようになりました。
 おばさんと喧嘩してその人のバイクに乗っているときに事故に遭いました。
 眞一郎くんは付き合っている石動乃絵とタクシーに乗って来てくれました。
 そのときに眞一郎くんは私を抱き締めてくれました。
 彼女の石動乃絵の前でしたが、私は眞一郎に甘えるわけにはいかないので、
自立するために引っ越ししました。
 そのときに自転車で私を追って来て、全部ちゃんとするからと約束してくれました。
 一週間後にこの部屋に来てくれたときに合鍵を渡して、私のほうからキスを……
 祭りときには石動乃絵にそっとして欲しいと言って、それを眞一郎に伝えました」
 明確に語ろうとしたが、とても恥ずかしかった。
 一区切りごとに眞一郎母は首肯していた。
「比呂美のほうが積極的のようね」
 眞一郎母の一言の感想で比呂美は頬を染めてしまった。
「ふしだらですよね」
 何度か言われたことがあった。
「そんなことはないけど。
 何だか一人相撲をしているようね。
 比呂美が逃げれば眞一郎が追い駆ける。
 比呂美は振り向いて欲しくてキスしたり。
 強引に眞一郎と石動乃絵との関係に入り込んだり。
 それと愛ちゃんに、彼女は私と言ったらしいし」
 眞一郎母が諭すように一つずつ整理してくれた。
「でも眞一郎くんとは両想いで、やっとわかり合えたと思っています。
 眞一郎くんはなかなかちゃんとしてくれないし……。
 私のほうがバイクの人と別れて、ちゃんとしているようで……」
 比呂美は憂いを湛えた瞳で眞一郎母を見つめる。
「比呂美は本当にいろいろ考えているのね。
 私のように嫉妬に狂っているわけではないようね。
 比呂美にあの話をしてから、私自身も信じてしまったの。
 だから比呂美のお母さんの写真を切り取ってしまったわ。
 焼いたのは誰かに私の罪を見つけて欲しくて。
 比呂美が家出してから、あの人に白状して話し合ったわ。
 比呂美は眞一郎と話し合ってみるといいわね」
 写真の真相を今更ながら重苦しく語ろうとしなかった。
 眞一郎と比呂美の関係を良くするための材料にしてくれている。
 比呂美は優美に微笑している比呂美母を見つめる。
「あなたのお母さんはずっとお父さんを見ていたわ。
 あの人はお母さんを好きだったときもあったかもしれないけど、今は私だからいいの。
 比呂美はもう少し焦らないほうがいいわね。
 眞一郎は追い詰まれると逃げる癖があるのよ。
 例えば東京の出版社からの封筒が来たときがあったでしょ。
 そのとき眞一郎はご飯を一気に食べてしまったわ。
 だから比呂美は余裕を持って接しればいいと思う。
 残りのケーキが二つあるので、食べながら話してみればどうかしら?」
 ずっと比呂美を憎んでいたことがあったと思えないほどに、適確に述べていた。
 こんなに息子の反応を読めているなら、心強い。
「今度はそうしてみます。
 あまりこちらから訊かないで、眞一郎くんの言葉を待ってみます」
 今まですれ違っていたのは、比呂美から一方的に切っていたからかもしれない。
『雷轟丸と地べたの物語』を見つけたときも、眞一郎は試合のことを気にしていた。
 あのときもう少し嫉妬せずに立ち止まっていれば良かったかもしれない。
「こういうふうに娘の恋の話をするのが楽しいとは思わなかったわ。
 それと眞一郎と付き合ったからって、将来のことまで考えなくてもいいから。
 普通の高校生の恋愛くらいにしておいてね。
 それとキスくらいに留めて欲しい」
 最後には眞一郎母に釘を刺されてしまった。
「そこまでは考えていません。
 まずは眞一郎くんと接する機会がないと」
「眞一郎がどうするかが気になるわね」
 眞一郎母の思考に比呂美は深く頷いた。
 今ごろ眞一郎は五時間目の授業を受けているだろう。
 比呂美が休んでいるのをどう思っているのだろう。
「いい顔をしているわ、比呂美。
 そういう姿でいてくれたら、相性が悪いと言えなくなるわね」
「おばさんがこんなに親身になっていただけると思ってもみませんでした」
「でもね、私ができるのはここまでよ」
「わかっています」
 これからどういう結果になろうと受け入れる覚悟が芽生え始める。
 もともと乃絵と敵対するべきではなかった。
 戦うべきなのは己であると比呂美は、やっと気づいたのだ。

               *

 今日、比呂美は学校を休んでいる。
 授業中に何度も比呂美の席を眞一郎は見てしまった。
 原因は眞一郎であるのを自覚している。
 あの奉納踊りの後に比呂美を放置してしまったからだろう。
 帰宅後には眞一郎母から比呂美の体調不良を教えられただけだった。
 あの場にいて遠くから見ていたはずなのに、眞一郎を責めようとはしなかった。
 それが眞一郎の心を傷つける。
 比呂美は一人の女性であり家族でもある。
 それなのに学校を休みほどまでに身体を壊させてしまった。
 昨日の乃絵の飛び降りの責任の一端は、眞一郎にもあるかもしれない。
 放課後になると生徒たちは教室を出て行く。
 まばらになると三代吉が眞一郎の横に来る。
「湯浅比呂美はどうしたんだ?」
 今まで訊こうとしなかった。
 いつもならホームルームの後にでも話し掛けていた。
「体調不良らしい。昨日の祭りで疲れたのかもしれない」
「お前のせいかもしれないな。
 愛ちゃんから聞いたが、湯浅比呂美はお前の彼女だと言ったらしい。
 そこまで言わせておいて、何で湯浅比呂美は休むんだ」
 三代吉はすごんできて、襟首を掴んできそうだ。
「ここまで苦しめる結果になるとは予測できていなかった。
 でも乃絵に会いに行くのを比呂美に言えるわけがないだろ」
 比呂美が好きだから、乃絵のためにしていることを知られたくはなかった。
「俺なら言ったな。
 お前の嘘がわかったから、湯浅比呂美は身体を壊したのだろ。
 そんなことをされれば百年の恋が冷めてもおかしくない」
 三代吉は左手で眞一郎の右肩に手を置いて軽く掴む。
「やはりまずいよな。
 でも乃絵のためにやらねばならないことがある。
 これだけは比呂美に何を言われようと成し遂げなければならない」
 絵本と踊りは乃絵によるものだから、今度は乃絵のために尽くそう。
 方法はわからないが、乃絵の涙を取り戻してあげたい。
「花形なのに今川焼きを食べていたときと違うようだな。
 お前のやりたいようにすればいいさ」
 三代吉は肩を二度だけ叩いた。
「これから比呂美のところにお見舞いに行こうと思う」
「そっか、気落ちしたら店に来てくれ。
 おごりはしないが」
「ひどいな、そうならないようにしよう」
 眞一郎は立ち上がり歩こうとすると、三代吉は白い歯を見せてにやける。

               *

 夕方になると、誰かがチャイムを鳴らしてくれた。
 比呂美は朋与かもと思い、比呂美は扉を開ける。
「話があるんだ」
 眞一郎がいて、いきなり本題に移りそうだ。
「せめて中に入って」
 比呂美は眞一郎を導く。
 眞一郎にとっては二度目の訪問だ。
 勝手にコートを掛けてテーブルのそばで正座している。
「比呂美、身体はどう?」
 か細い声だった。
「もう大丈夫よ。今までの疲れが溜まっていたからかも」
 比呂美はケーキと紅茶の用意をする。
「このケーキはおばさんが買って来てくれたものなの」
 比呂美が眞一郎のために出す。
「先に来ていたのか……」
 眞一郎は顔を赤らめる。
「いろいろと相談に乗ってもらえたから、眞一郎くんが私に話して欲しい」
 比呂美は紅茶を口に運んで落ち着かせようとする。
 眞一郎母がしていたようにだ。
「奉納踊りの後には乃絵のところに行っていた。
 踊りの成功と絵本の完成を伝えたかったんだ。
 でも比呂美に乃絵の名前を出すのを控えたかった。
 三代吉に言われた。
 あいつなら本当のことを伝えていたと」
 眞一郎は肩を落として悔いている。
「私も眞一郎くんの前であの人の名前を出すのを控えていたわ。
 同じかもしれないわね。
 こんな自分、嫌なの。
 石動乃絵に嫉妬して、眞一郎くんに依存するかのように頼ってしまっていて……」
 冷静になろうとしても、感情の吐露を避けられなかった。
 眞一郎が別れ話をしようとしていたのではないと、安心できたから。
「俺もあいつに嫉妬していた。
 コートの中に入って比呂美を守ることはできそうにない。
 あの行為を見せ付けられて、試合を見るのをやめていた」
「見ていたの、試合?」
「入り口のあたりでこっそりと。
 あいつが来ているから、あまり会いたくないし」
「でも眞一郎くんにあんなことをしてもらおうと考えていないわ。
 あれはあの人くらいにしかできないし。
 私には眞一郎くんが自転車で追い駆けてくれただけで充分だから……」
 本当は純に感謝をしていて、眞一郎くんがいなければ惚れるかもしれなかった。
 だが比呂美のためというよりも乃絵のためであり、交換条件を成立させたいからだろう。
「こけたけどな」
「私もだよ」
 ふたりしてにこやかに笑う。
「他に話さなければならないのは、乃絵のことなんだ。
 乃絵は木から飛び降りてしまった。
 幸いに雪のおかげで無傷だったが、何か思い詰めているようだ。
 だから俺の絵本である『雷轟丸と地べたの物語』で励ましてあげたい」
 眞一郎が一日を置いたのは比呂美の許可をもらうためであった。
 賛同を得られなくてもこれだけは成し遂げようとは考えている。
「眞一郎くんの気持ちがわかったから、嫉妬をしなくてもいいし。
 それに飛び降りた原因は私にもありそう。
 そっとしておいてと言ってから、私は泣いてしまったの。
 きれいな涙と石動乃絵は言ってくれたわ。
 私が逆の立場なら言えそうにない……」
 乃絵に負けているのは心の広さだろう。
 理解に苦しむ行動をしてきて喧嘩をしたこともあったが、根は悪くないのかもしれない。
「絵本は比呂美のも描いているから、もう少し待っていて欲しい。
 乃絵とのことが終わらないと完成できそうにないから」
「絶対に待っているから。
 それと私はあの人と別れていて、もう連絡や会うこともないと思うから」
 あの一枚絵だけではなくて、乃絵のように絵本があるとは考えていなかった。
 純とはきれいに別れてから眞一郎に教えるつもりだった。
 乃絵が家出したときには、純からの連絡で眞一郎に伝えていたので、
関係が継続しているようなものだった。
「別にあいつと会ってもいい。
 比呂美が家出したときにバイクに乗せてもらうほどに信頼をしているのだろ。
 乃絵の事情はわからないので、あいつに会おうと思う。
 電話番号を教えてくれないか?」
 眞一郎の判断に比呂美は驚いてしまった。
 完全に決別しようと考えていたからだ。
「わかったわ。教えるね」
 比呂美は携帯電話を出して、眞一郎に見せた。
「あのふたりがいなかったら、俺たちはずっとあのままだったと思う」
「そうかもしれない。私は眞一郎くんに頼ってばかりだった。
 見つけて欲しかったのではなくて、自分で光の方向に歩まなければならなかったのよ」
 もう比呂美は置いてかないでと眞一郎に言わないように決意する。
 あの言葉が自分を拘束していただけだった。
 解放すれば今の眞一郎を見つめ直すことができそうだ。

          (後編に続く)



 あとがき
 このSSを書いているときに、チューリップ新聞の三号の更新がありました。
 私の考察と一緒の部分があって嬉しくはありますが、最終回の放送後に掲載して欲しかった。
 第十一輪までの解釈かもしれませんので、安心はできません。
 第十二話の妄想は見事に外してしまいました。
 比呂美と乃絵のどちらのエンドになるかわからないようにしたかったのでしょう。
 比呂美が負けフラグばかりになっていたのが気掛かりです。
 細かく推察すれば、眞一郎が乃絵への恋愛感情がなさそうで、
 回想では涙と踊りと別れの言葉しかありません。
 恋愛感情があるとしたら、告白やあの石の場面があるでしょう。
 比呂美には踊りに来て欲しくないという発言がありましたが、
口元がアップする演出は嘘をつくときです。
 第五話では海岸で比呂美が眞一郎の誘いを遮ったり、第九話では比呂美が着替えをするとき、
眞一郎母が比呂美をなじるときなどにあります。
 よって眞一郎は比呂美と乃絵の鉢合わせを避けたかったのでしょう。
 第十二話で眞一郎が比呂美を放置したのは、
比呂美に乃絵と会いに行くと言えなかったとしました。
 放置された比呂美がその後にどうするかが気になっています。
 仲上夫妻が視線を向けているので、あのまま介抱されるとしました。
 片方の下駄だけで移動するのには、尺の都合上なさそうですし、
乃絵のところに行ったままの眞一郎がすぐに戻って来れそうにもありません。
 学校を休んでいて眞一郎母が見舞いに来て、夕方には責任を感じた眞一郎が見舞いに来ます。
 願望ですがあの切り取られた比呂美母の写真が比呂美の形見と同じ写真であって、
過去の四人と比呂美たちと対比させて、眞一郎母が語って欲しい。
 そのときに比呂美母の顔が見られるという演出で、
死者への冒涜をなくしてくれるように祈っています。
 乃絵については悩んでいます。
 あの飛び降りの後に病院に運ばれるという解釈もできますが、後味が悪くなりそうなので、
無傷にしました。
 後編では涙を流す場面を描いてゆきたいです。
 できれば失恋ではないように検討しています。
 ご精読ありがとうございました。

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最終更新:2008年03月29日 00:29
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