そんなこと、決まってるだろ 前編


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 祭りを十日後に控え、奉納踊りの練習も佳境に入っていた。

 腰に刀を差した若人衆が、CDプレイヤーから流れる祭囃子に合わせて傘を繰り、舞う。
 普段なら口やかましく彼らを叱咤する教師役の年寄りたちが、何故か今日は皆、沈黙を守っていた。

 その理由は、若者たちの中心で舞う花形役の少年――仲上眞一郎にあった。

 彼はこれまで、どうにも踊りの練習に身が入っていないようで周囲の人々を心配させていたのだが――
 今日の彼の舞は、そんな懸念を全て吹き飛ばす美事さだった。

 傘を繰る手、拍子を踏む足――その動作のひとつひとつに力強さがある。
 見る者にも踊り手の気迫が伝わってくる――そんな舞だった。

(これなら本番も期待できそうだな)

 それが眞一郎の舞を眺める年寄りたち、全員に共通した思いだった。


 しかし、年寄りたちのそんな感想は、眞一郎の意識の埒外にあった。
 そもそも今、自分が舞っている奉納踊りのことも、彼の意識の中には無い。

 彼は今、唯ひとつの事だけを考えていた。

(全部、ちゃんとするんだ――)

 彼は先日、ある少女と、ひとつの約束をした。
『全部ちゃんとする』という約束を。

(俺は、ずっと逃げてた。答えを出す事を、避けていた――)

 仲上の家の事。
 自分の将来の事。
 安藤愛子と野伏三代吉の事。
 そして――

 石動乃絵の事。

(その全部に、答えを出すんだ)

 それをやり遂げてからでなければ、彼女――

 湯浅比呂美の前に、胸を張って立つことができない。
 想いを伝えることができない。
 だから――

(全部、ちゃんとするんだ!)




 11話 そんなこと、決まってるだろ




 ――次の日は雨でした。
 横でじべたが、しきりにバタバタと羽をはばたかせていましたが、雷轟丸は悠然としていました――



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 海岸沿いの防波堤に腰掛けて、眞一郎は物思いに耽っていた。
 彼の思考を占めているのは、一人の少女のことだ。

 彼の、ひとつ年上の幼なじみ。
 安藤愛子。
 彼女のことを考えていた。

 眞一郎にとって愛子は『なんでも相談できる幼なじみの姉ちゃん』だった。
 大切に思ってはいたが、それは友人あるいは家族に向ける親愛の情であり、恋愛の対象として見たことはなかった。

(けど、愛ちゃんの気持ちは違ったんだ……)

 石動乃絵と付き合うことになった、あの日。
 不確かな自分の感情に迷い、誰かに話を聞いてほしくて、そして『いつもの様に』愛子に相談しようと、彼女の元を訪れて――
 そこで初めて、愛子の本心を知った。
 彼女の心の中に、おそらくはずっと昔から、大切に秘められてきた想いを。

 なのに自分は動揺するばかりで、拒絶の言葉だけを残して、彼女の前から逃げ出した。
 彼女の想いを、受け止めることができなかった。

 そんな自分を、愛子は笑って許してくれた。「私、眞一郎を卒業する」と何でもないことの様に言ってみせた。
 ――眞一郎に、負担をかけないように。

(愛ちゃんは、ずっとそうやって、一人で……)

 もうこれ以上、愛子に甘えることはできない。
 自分も、愛子から卒業しなければならない。
 そのために――

(愛ちゃんと、もう一度話そう。そして、ちゃんと『答え』を返すんだ)




 眞一郎は昼の休憩時間を見計らって、今川焼き屋『あいちゃん』を訪ねた。
 準備中の札がかけられた、電源の入っていない自動ドアを自分の手で開く。

「あれ? すいませーん。いま準備中……」

 カウンターの掃除をしていた愛子は、入ってきたのが眞一郎であることに気付くと、微かに息を呑んで――

「いらっしゃい、眞一郎」

 いつも通りの、明るい笑顔を浮かべた。

 眞一郎はその笑顔に、胸が詰まる思いだった。
 自分はこの笑顔に、幾度も助けられてきた。

 道に迷った時。心が挫けた時。寂しさに震えた時。進み続ける力を、失いそうになった時。
 愛子はいつもこの笑顔で、眞一郎の肩を叩き、背中をどやしつけ、頭を撫でてくれた。

 そうして自分は、悲しみを笑い飛ばせるだけの力を取り戻すことができた。
 それなのに――

 自分は一度でも、愛子の悲しみに触れたことがあっただろうか。
 彼女の痛みを、苦しみを、打ち明けられたことがあっただろうか。

 彼女はこの笑顔の裏で、どれだけの涙を流してきたのだろう。
 他人の悲しみを癒しながら、自分の痛みは誰にも話すことができずに、ずっと一人で――

「どしたの? 眞一郎。ぼーっとしちゃって」
「あ……」

 愛子の不思議そうな声に、眞一郎は我に返った。

「ほらほら、突っ立ってないで座って。飲み物、コーラでいいよね?」

 愛子はそう言って、カウンターの奥に行こうとする。
 その背中を、眞一郎は呼び止めた。

「愛ちゃん、あの……」
「ん?」

 愛子が振り返る。眞一郎は一瞬、なんと言っていいか分からず、躊躇する。
 だが、言葉を選ぶ必要はないと、すぐに思い当たる。変に取り繕ったりせずに、自分の正直な気持ちを伝えればいいと。

 だから、眞一郎は――

「ごめん……!」

 精一杯の思いを込めて、頭を下げた。

「今まで、本当に……!」
「え? え?」
「本当にたくさん、ごめん……!」
「し、眞一郎?」

 愛子は、突然謝りだした眞一郎に困惑した。いったい何についての謝罪なのか。
 だが、その疑問は続く眞一郎の言葉で、すぐに解ける。

「俺、ずっと愛ちゃんの気持ちに気付かなくて……きっと知らないうちに、たくさん愛ちゃんを傷つけてたんだと思う。
 だから、ごめん……!」

 愛子は一瞬、呆然と眞一郎を見つめ――

 笑った。

「な、なに言ってんのよ、もう」

 微かに――本当に微かに、声を震わせながら、笑う。
 眞一郎は顔を上げて、その笑顔を見つめた。

「そんな事、気にすることないってば。言ったでしょ? あたし、眞一郎を卒業するって……」
「そんな一言で、片付けられる問題じゃないだろ」

 きっぱりとした口調で、眞一郎は愛子の言葉を遮った。

「愛ちゃんの気持ちは、そんな一言で片付けられることじゃないはずだ!」
「眞一郎……」

 愛子の表情から、笑顔が消える。

「俺、あの日ここで……愛ちゃんにキスされた時、ちゃんとした返事をしなかった。
 それどころか……すごく酷い事を、言っちまった」

『俺、忘れるから。今日の事は、無かった事に』

 眞一郎はあの日、愛子にそう言った。
『忘れる』と。『無かった事に』と、言ってしまった。

「そんな事、できるわけないのに……!」

 眞一郎は愛子に自分の思いを伝えるために、不器用に、けれど懸命に言葉を紡ぐ。
 対する愛子は混乱していた。いったい自分は、何を言われているのだろう。
 眞一郎は、自分に何を伝えようとしているのだろう。

「あの日、愛ちゃんが俺に伝えた想いは、とても大切なものだったはずだ!
 愛ちゃんの中で、ずっと大事にされてきたものだったんだ!
 忘れられるはずない! 無かった事にも、できるわけがない!
 だから、だから俺は……っ!」

 そうして眞一郎は、一番伝えたかった言葉を、口にした。

「忘れない……!」

 はっきりと、そう告げた。
 愛子は言葉を失い、ただ呆然と眞一郎を見つめている。
 その瞳を見つめ返しながら、眞一郎は同じ言葉を繰り返す。

「絶対に忘れない。愛ちゃんが俺を――こんな俺なんかを、好きになってくれた事を。
 愛ちゃんが俺を想い続けてくれた時間を、無かった事になんかしない。
 それだけは、約束する」

 そうして再び、頭を下げた。

「でも、だから――ごめん。俺はやっぱり、愛ちゃんのその想いには、応えられない。
 俺には、他に好きな娘がいるから。本当に好きな娘がいるから。
 だから、ごめん……!」

(ああ……)

 愛子は、ようやく理解した。眞一郎が、いったい何を伝えようといていたのかを。

 眞一郎は――

(あたしを、ちゃんと振りにきたんだ……)

 あの日の様な、反射的に出ただけの拒絶の言葉ではなく――
 姉的存在としてではない、安藤愛子という一人の少女として、彼女のことを見つめ直し――
 野伏三代吉のことも抜きにして――
 仲上眞一郎という一人の男として、彼女の想いをしっかりと受け止めた上で――

 その想いに、応えることはできないと、伝えにきたのだ。

 ぽろり、と愛子の頬を涙の粒が転がった。
 愛子は反射的に、涙を堪えようとする。彼女は、ずっとそうしてきたから。
 なのにこの涙は、ぽろぽろ、ぽろぽろと、溢れ続けて止まらない。

 なんだか、生まれて初めて泣いているような気持ちだった。

 本当はずっと前から、彼女は泣きたかったのだ。
 ずっとずっと前から。
 眞一郎に好きな娘がいると知った時も、その娘のことについて相談された時も、
 三代吉を紹介された時も、自分の想いを拒絶された時も、
 ――「私、眞一郎を卒業する」と、告げた時も。

 ずっとずっと泣きたかった。なのに笑顔を取り繕うことに慣れた自分は泣けなくて、胸の中に苦しさだけが募っていった。
 けれど今、やっと――

 泣くことが、できたのだ。



(ああ、泣かせちまった)

 目の前で声も上げずに泣く愛子の姿に、眞一郎は激しい罪悪感と後悔を感じた。
 自分は、余計なことをしたのだろうか。
 彼が懸命に紡いだ言葉は、全部ただの自己満足で、愛子の心の傷を深くしただけだったのか。
 ――何もしないほうが、良かったのか。

 そんな弱気な思考が、眞一郎の心に浮かびかけた時。

「あ……りが…とう」

 愛子の声が聴こえた。
 その声はあまりにか細く、涙で震えていたが、確かに聴こえた。

 思わず息を呑んで、愛子の泣き顔を見つめる。

 愛子は、かすかに笑っていた。
 寂しくて悲しくて辛い涙を流しながら、ほんのかすかに、嬉しそうに笑っていた。

(ああ――)

 安堵感が、眞一郎の胸を満たす。

 良かった。
 逃げずに、もう一度、向き合って良かった――

 眞一郎の行動は、間違ってはいなかった。
 あの日、ちゃんとできなかった『答え』を、愛子に返すことができた。

 そして愛子は、眞一郎が出したその『答え』を、笑って受け入れてくれた。
 今までの繕われた笑顔とは違う、本物の笑顔で。

 だから、眞一郎は――

「……ありがとう」

 万感の想いを込めて、感謝した。

 愛ちゃん。
 今まで、本当に――

 ありがとう。
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