乃絵と比呂美のあいだに3


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。



「ただいま」
朝からショッピングモールに画材を買出しに出掛けていた眞一郎は、昼食に間に合うように家に帰宅した。
玄関には見覚えのあるブーツ……というか、この家でブーツを履く人間は一人しかいない。
いつもは右に曲がる廊下のつき当たりを、左へ曲がって酒売りカウンターの方へ……
パソコンの置いてある所を覗いて見ると、やはり彼女はそこにいた。
「ただいま」
「あ…お帰り、眞一郎くん」
帳簿を打ち込む手を止めて、眞一郎に向き直る比呂美。
春休みになってから、比呂美は仲上酒造の経理を頻繁に手伝うようになっていた。
バスケ部の練習に行く以外は、ほとんど仲上家にいると言ってもいい。
誰に命令された訳でもないのに何故……と思わないでもないが、その事を比呂美には訊かない。
比呂美には比呂美の考えがあるのだろう。
開いてくれた心を受け止めるのが『愛』であって、無理に開かせるのは『束縛』でしかない……そう思う。
「朝からどこ行ってたの?」
「パボーレ。画材を買いに」
ふ~ん、と少し不満げに言って、モニターに向き直る比呂美。
横顔が「なんで誘わないのよ」と訴えている。
(そんな顔されてもなぁ……)
画材店なんか一緒に行ってもつまらないだろうに。
自分だってバッシュ選びに何時間もつき合わされたら…………それはそれで楽しいかもしれない。
「今日は朝早かったからさ……次はふたりで行こう」
パソコンに向いたままの比呂美の口角がすこし上がって、囁くように「うん」と呟いた。
「もうすぐ終わるから、ちょっと待ってて」
「あぁ、先に居間、行ってるから」
昼飯のことだな、と思った眞一郎は自室に戻って荷物を置き、居間へ向かった。
…………
居間の戸を開くと、上座に父がひとりで座って新聞を読んでいる。
「ただいま」
そう挨拶する自分に一言、「あぁ」とだけ言って、父はまた新聞に視線を戻す。
(話すなら……今かな)
前から父に聞かれていた自分の進路。
学校に提出した進路希望ではなく、父に問われていた自分の進みたい方向。
絶対の自信があるわけでも、その道で食べていく覚悟が出来たわけでもない。
(でも、やっぱり父さんには聞いて欲しい)
眞一郎は座りを胡坐から正座に直し、父のいる方へと、その真剣な眼差しを向けた。

眞一郎の只ならぬ様子に気づいた父は、新聞を畳み訊いてくる。
「どうした?」
鼻から息を吸い込み、吐き出す。心を充分に落ち着けてから、眞一郎は話し始めた。
「父さん。俺、絵の勉強がしたいんだ」
漠然と……なんとなく描き続けていた自分の絵本。
そんな自分の絵本を見て、素敵だと言ってくれた人がいた。
奇麗だと言ってくれた人がいた。……泣いてくれた人がいた。
真剣な『想い』を込めた絵が、話が、誰かの心を感動させる喜び……それを知った。
自分の進む道はこれなんだ、と改めて思った。
自信も、覚悟もまだ完璧とは言えない……でも迷いはない。
絵を描きたい。話を書きたい。
自分にしか描けない絵本を沢山描いて、それで誰かを感動させる……そんな人間に、自分はなりたい。
そのために勉強がしたい。自分の知らない事、気づかない事がいっぱいある。
少しでも吸収したい。ちょっとでも己の物にしたい。……自分は……絵を学びたい。
…………
「お願いしますっ!!」
思いの丈を語り終えると、眞一郎は畳に手をつき、父に向かって頭を下げる。
眞一郎には見えなかったが、その時父は、めったに見せる事のない笑顔を浮かべていた。
それは若者の蒼さを嘲笑するものでも、諦観しきった大人が子供を羨むものでもない。
自分と同じ土俵に息子が上がってきた……それを見届けた父親の顔だけに浮かぶ、特別な笑みだった。
「顔をあげろ、眞一郎」
畳に額を擦り付けていた眞一郎が、その身体を起こして父に再び向き直る。
「お前のやりたいようにやってみろ。……お前のやりたいように」
「…………父さん」
父がそう言ってくれるのは分かっていた。父は眞一郎自身が見つけ出した道を、絶対に閉ざしたりしない。
だが、父にも聞いて欲しかった。息子が何を決め、何を選び、何に向かって進もうとしているのか。
…………
…………
「あら珍しい。男ふたりで内緒話?」
居間にやってきた母の姿を見て、眞一郎は重要なことを思い出した。
理解者である父はいいとして、この母をどう説き伏せたものか……
「心配するな。母さんはもう別の跡継ぎを見つけて、お前を家から叩き出す算段をしている」
先程とは違う、少し意地悪な笑みを見せる父。
「いやだわ。『叩き出す』算段なんてしてませんよ」
「????」
……何だかよく分からないが、もう母は障害ではない……らしい。
「眞ちゃん。何をするにしても、勉強をおろそかにする事は許しませんから」
「………う、うん」
完全に納得したわけではない、と告げる母の目。別の何かを企んでいる……のか?
……まぁ、とりあえず飯を食って、と思い直す眞一郎だったが、母は自分と父の分しか、お膳を運んでこなかった。
「俺のは?」
「ありませんよ」
…………ハイィィ??? 飯が無い?? なんで? 俺、なんかしたか??
何て言うか……最近の母さん、俺に対して酷すぎないか??
母の仕打ちに眞一郎が絶望していると、台所から比呂美が顔を出し、眞一郎に声を掛ける。
「眞一郎くん、行こ」
「?? どこに?」
比呂美は左手に持ったバスケットをチラつかせて、眞一郎を誘うように呟く。
「お・さ・ん・ぽ」
既に食事を始めていた父と母に「行って来ます」と短く告げて、比呂美は玄関へと駆け出す。
「ちょ……待てよ、比呂美!」
居間にいても昼食にはありつけそうもないと悟った眞一郎は、急いで比呂美の後を追いかけた。

坊ちゃん行ってらっしゃい、と声を掛けてくる従業員の少年の横をすり抜け、眞一郎は比呂美の姿を探す。
門を出ると、比呂美の姿はかなり離れたところにあった。
「比呂美!待てって!」
速度を緩める気はないらしい。眞一郎はちょっとだけ走って距離を詰め、比呂美の横に並んだ。
何か嬉しい事でもあったのか、比呂美の足取りは弾むように軽い。
「どこに行くんだよ」
「ん?……公園。天気もいいし、暖かくなってきたし、たまにはいいかな~って」
手にしたバスケットを、また眞一郎の目の前にチラつかせる。
比呂美の事だ。抜かりなく、その中に眞一郎を満足させる、美味い弁当を詰め込んでいるに違いない。
(まだ花見って時期でもないけど……まぁ、いいか)
海岸通りへと続く坂道を並んで歩く。比呂美は終始ご機嫌だった。
と、突然、比呂美が走り出し、眞一郎から数メートル離れた所で振り返る。
「格好良かった、さっき」
眞一郎の頬に、サッと赤味が差す。父との話を聞かれていた。……まぁ台所にいたのなら当然だが……。

「聞いてたのかよ」
「聞こえたの」
眞一郎が追い付くの待って、比呂美はまた横に並び、悪戯な微笑みを眞一郎に向ける。
本格的な絵の勉強…… 志望は美大……それとも専門学校だろうか?
「まだ分からないよ……なるべく通える所って思ってるけど」
「ふ~ん……」
眞一郎は夢を追いながらも、自分の事を気に掛けてくれる……
それは比呂美にとって嬉しいことだったが、やはり彼には、彼の求める勉学を追及して欲しいと思う。
それに、自分たちの関係が物理的距離に負けて壊れるなどとは、比呂美は微塵も考えていなかった。
…………
「そういえば比呂美は……経営か商学部志望なんだよな」
あからさまに「意外だ」という眼で比呂美を見る眞一郎。
だが、比呂美には比呂美の……眞一郎ほど輪郭のハッキリしたものではないが……ささやかな夢があった。

…………『仲上酒造の役に立つ自分になりたい』…………

今、比呂美はまじめにそう考えている。
おじさんとおばさんへの恩返しとか、眞一郎との将来を考えてとか、……そういう事ではない。
祭りの日、おばさんに付いてお酒を振舞った時に見た、街の人たちの笑顔……
楽しそうに……本当に楽しそうに『仲上のお酒』を呑んでくれる姿を見て、比呂美は知った。
おじさんとおばさん……いや、仲上酒造で働く人たち全部が、眞一郎と同じなのだと。
誰かの笑顔のために、自分に出来る何かをする……それが喜びとなり、生きる糧になるのだと。
自分もその輪の中に入りたい……他にも道は沢山あるのだろうけれど……
その道を……自分は知ってしまったから…………
…………
「私、早く『涙三景』呑めるようになりたいな」
「??……何だよ突然」
訳がわからない、という顔をしている眞一郎を置いて、比呂美はまた走り出す。
「ちょ…またかよ。お前に追い付くの……結構大変なんだぜ!」
そう愚痴りながらも、眞一郎は比呂美の姿を見失わない様に、公園へつづく道を駆け出していた。

公園のベンチに腰掛け、ふたりで比呂美特製のサンドイッチとおかずを頬張る。
「うん、美味い」
「そう?良かった」
眞一郎は食べ物に関しては、絶対にお世辞を言わない。
不味い物を口にすると、すぐ顔に出るし、変わりばえしない物の感想を聞けば「普通」としか返してこない。
眞一郎は本当に自分が「美味い」と感じた料理しか褒めないのだ。
だから今「美味い」といって自分の料理を口にしてくれる眞一郎を見て、
比呂美は、自分の内側が、何か暖かな物に満たされていくのを感じることが出来た。
(……幸せなんだ……私……)
……そう思う。
時々吹いてくる春風を受けながら、食事と他愛のない話を続ける二人。
その会話の中に織り込む形で、比呂美は自然と眞一郎に告げる。
「あのね、眞一郎くん。……石動さん、行っちゃったって…」
「…………」
地べたに別れを言いに来た乃絵に偶然会った、と連絡してきた朋与の電話。
それを比呂美は苛立ちも、躊躇いもなく、ごく普通に眞一郎に伝える。
「別人みたいだったって。お兄さんのバイクに乗って……笑顔で旅立っていったって」
「そうか……」
…………
眞一郎には分かる。乃絵が何をしに……そこへ行ったのか。
……『のえがすきだ』……そう書かれた石の文字…… アイツは自分でそれを消したかったに違いない。
飛ぶのだ、と自分で自分に宣言する為に……最後にアイツはそうしたかったに違いない……
確かめなくても分かる…… そう……眞一郎は確信していた。
…………
「お別れ…言わなくて良かったの?」
そう訊いてくる比呂美の顔は和らいでいる。その内側に何もない……透明な笑顔……
眞一郎もそれと同じ、透き通った笑みを比呂美に見せて……言う。
「いいんだ。アイツは……俺に飛ぶ事を教えてくれた。それだけで……」
朋与が言っていた『乃絵の言葉』が、比呂美の中で眞一郎のそれと重なる。
「改めて別れを告げる必要はない」……二人はそう言いたいのだろう。
眞一郎と乃絵の間にある深い心の繋がり……それを知っても穏やかでいられる自分……
(……変わるんだ……人は……)
変わる……変わっていく……眞一郎も、乃絵も、そして比呂美自身も……
…………
……でも……そんな自分を自覚すると……少し……少しだけ不安になる……
……もしも……もしも眞一郎への気持ちが……いつか変わってしまったら…………
…………
比呂美のその不安を、眞一郎は敏感に感じ取った。
スッと立ち上がり、それをキョトンとして見ている比呂美に笑顔を向ける。
そして澄みわたった蒼穹へ誓いを立てるように、眞一郎の口から言葉が紡ぎだされた。

「『疾風をきって走っていこう ずっと前を見て』……」
突然、詩のような幻想的な言葉を口にする眞一郎に驚き、思わず比呂美は訊いてしまう。
「……何?それ……」
そう問われた眞一郎は、自信に満ちた顔で比呂美に告げた。
「あの絵本……俺とお前だけの、あの絵本の最後に入れる……言葉」
それを聞いた比呂美の眼から、僅かに差していた不安の光が消えていく。
眞一郎は再び空に向き直ると、想いを紡ぎ始めた。

『 疾風をきって走っていこう ずっと前を見て
    もっと走る 走る 走り続ける 君だけを捜して

  疾風をきって走っていくよ 遠くなる前に
    すべて失っても その手で 触れる距離まで……

  ありのままの僕を…… 本当の…… 僕を見せたいから…… 』

眞一郎の想いを改めて受け止め、比呂美は思った。
この世界に変わらないモノはない……人の気持ちも、その周りを包む環境も……普遍ではありえない……
……でも……たった一つだけ……変わらない……変えられないモノがある……
……それは記憶……あの時……そして今、胸に刻まれた記憶……
……それがあれば……自分は捜せる。気持ちを見失っても……また眞一郎に辿り着ける……
……そして……そして眞一郎も…………


蒼穹を見つめる…満ち足りた眞一郎の横顔に向かって、比呂美は手を伸ばした。
……助けを求めるためではなく……救いを求めるためではなく……
……素直に……ふたりで手を繋ぎ、同じ様に歩く…………そのために…………
…………
眞一郎の手が差し出された比呂美の手を掴んで、その身体を引き寄せた瞬間、
強い風が二人に吹き掛かり、比呂美の長く美しい髪をサラサラと舞わせた。
眞一郎は咄嗟に庇うが、その努力も空しく、比呂美の髪は乱れてグシャグシャになってしまう。
が、それは眞一郎も同様で、頭髪はまるで爆発でもしたかの様な、酷い有様になった。
「ふふ、フフフフ……」
「はは、ハハハハ……」
髪を手櫛で直しながら笑い合う二人。
「?」
その時、風が比呂美の髪にくっつけた、何か小さな黒い物に、眞一郎は気づいた。
指で摘み上げてみると、どうやら鳥の羽根らしい。種類は……さすがに分からない。
引き込まれる様に、その羽根を見る眞一郎に、比呂美は優しく呟いた。
「雷轟丸」
ハッとなる眞一郎。その彼に向かって、比呂美はもう一度、同じ名前を呟き、そして微笑んだ。
その笑顔を目にして眞一郎は、それをどうすればいいのか理解する。
指で摘んだまま、天高く羽根を掲げて……次の風を待つ。
…………そして…………
さっきと同じ…いや、もっと強い風が辺りに吹き渡った時、眞一郎は羽根を大空へと解き放った。
風にのって、見る見る上空へと舞い上がっていく『雷轟丸』。
繋ぐ指先にお互いの存在を感じながら、二人は『雷轟丸』の飛翔を、長いあいだ見送っていた。
…………
…………

                      TO BE CONTINUED
                       「ある日の比呂美」へ
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。