古傷


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[古傷]

 卒業を控えたある日、比呂美はあの鶏小屋に立ち寄った。
 そこは2年前、雨降ってどころか暴風雨の末に地が固まった一連の事件。そのす
べての始まりの場所である。
 結果的には縁結びの思い出であろう場所。だが、足はそこを避け、遠のいていた。
 回顧以前に、いまだに残る苦いものがある。それは小さなトゲだった。

 あれ以来、眞一郎・比呂美と、石動乃絵とは、冷えた関係を保っていた。
 お互いに挨拶もしない。何か学校の用があれば、面識のない生徒と同じように接
する。必要以上の会話はない。あれほどの交流があったにしては、不自然すぎる対
応だった。
 比呂美にとっては、どこかいまだに安心できない相手なのだ。眞一郎争奪戦に勝
利したとはいえ、どこか苦手意識が残っている事を、彼女は自覚していた。
 自分だけでなく、眞一郎までそうする理由は、比呂美にはわからない。それがケ
ジメだと思っているのか、それとも比呂美に遠慮しているのか…。
 いずれにしても、冷え過ぎた関係は逆にお互いを意識させ、面と話す事が簡単に
はできない状況を作り上げていた。それは乃絵の側でも同じで、乃絵も眞一郎や比
呂美に話しかける事ができずにいたのだ。
 要するに、気まずかったのである。2年経った今でも。

 鶏小屋は思い出の土地であり、想いの墓地でもある。
 比呂美の足が遠のいたこの2年で、壊れた扉は完全に修理され、雷轟丸の墓はい
つのまにかなくなっていた。
 変わる景色、変わらない景色。比呂美はいまだ一羽のままである”地べた”を懐
かしそうにしばらく見やり、心の中で様々な記憶を走らせてゆく。
(石動乃絵…)
 思えば不思議な少女だった。その少女が起こした悪意のない波紋が、次々に反射
して、自分の周囲の全てを揺らしていったのだ。
「湯浅比呂美…?」
 忘れるべくもない声。今こそ聞きたかった声。やはり聞きたくなかった声。
 その声の持ち主が、比呂美の背後に立っていた。

 意外とは思わなかった。ここに来れば会える気がしていたのだ。
 一瞬だけ甦る、眞一郎を奪われそうになった頃の恐怖。それを振り払って比呂美
は微笑みを浮かべ、振り返った。
「石動乃絵さん」
 逃げる必要はない。怯える必要もない。正面から向き合おう。そのために来たの
だから。
「2年ぶりね」
 乃絵らしい言い方だ。顔を見かける事は多いし、何らかの都合で言葉を交わした
事も何度かある。それでも乃絵にとっては2年ぶりなのだ。
「ふふ、そうかも」
 奇妙な乃絵のこだわりが抜けていない事に、逆に比呂美は少し安堵を覚え、ちょ
っと笑って応える。
 彼女は最大のライバルだった。そのライバルが変わらずに居てくれた事が、どこ
か嬉しかったのだ。
「あなたが地べたと一緒にいるのが見えたから、来たの」
「私も、ここに来れば石動さんに会えるかもしれないって。そう思って」
 会話が止まる。凍り付いた2年を解凍するための時間を、二人は必要としていた。
「あの…」
「湯浅比呂美。あなたの背中に翼が見えるわ」
 また、乃絵語。
 乃絵自身も驚いていた。最近はこんな話し方はほとんどしないのに。比呂美と二
人きりになって、どこかあの頃に戻ってしまったのが、乃絵もなぜか嬉しい。
「ありがとう。石動さんも、雰囲気変わったね。いつ見ても友達いっぱいで」
 そうね、と乃絵は笑う。さすがに少し苦笑めいた影が漂わない事もない。慣れは
したとはいえ、人付き合いが厄介だと思う事は少なくなかったから。
「純がね」
「え?」
「あなたの事、褒めてた。すごい女だって」
「そう…かな…」
 意外な話の流れに、比呂美は少し戸惑う。
「純の事、どう思ってた?」
 そしていきなり。比呂美は主導権を奪われ、目を白黒させていた。
「どうって…。嫌いじゃなかったけれど…」
 付き合っておいて、嫌いじゃないはないものだが、比呂美がかつて言ったように
あれは恋愛ごっこでしかなかった。比呂美と純の双方に大きな反省と影響を与えは
したものの。
「うん」
「あの時は、沢山の人に迷惑かけたから。お兄さんにも悪かったなって」
「…なんで?」
 乃絵は比呂美の心に問いかけた。
 比呂美は少しだけ迷い、やがてキッパリと言った。
「やっぱり、本当に好きな人以外とつきあうのは、相手にも自分にも良くない事だ
と思うから」
 それが偽りのない、比呂美の本音。彼女の気持ちの中に4番はほとんど残る事は
なかったのだ。
 そうね、と乃絵。
 4番の方は逆に、比呂美と別れた後、比呂美に複雑な感情を抱いていた。その事
を乃絵は知っている。だが、これで良いのだ。お互いのために。
 そして、真剣な眼で、正面から比呂美を見つめて乃絵は言った。
「私、あなたに謝りに来たの」

「え?」
 口を軽く開け、表情を止めて、比呂美はまばたきした。
「迷惑かけたのは、私の方だわ」
 謝るより、断言しているように聞こえる。不思議な乃絵の言い方。
「今の私なら、あなたと眞一郎の間に割り込む事はしなかった。だから、ごめんな
さい」
 乃絵は勢いよく頭を下げた。
「え…。でも」
「あの頃の私は、何も見えていなかったから。それと…」
「うん」
 下げた頭を上げると、再び比呂美の瞳を見つめる。
「純のしたことも謝る。純は、あなたと眞一郎が惹かれあってる事に気が付いてい
た。それなのに私と眞一郎をくっつけるために、眞一郎からあなたを遠ざけようと
したの」
「うん…。わかってる」
「純は、謝りたかったみたい。でも、純が謝るわけにはいかない。だから私が謝る。
ごめんなさい」
 乃絵は、自分の謝罪の時よりもきちんと頭を下げた。
「もういいよ、私もいっぱい迷惑かけたから」
「ほんとに?」
「うん…。私も色々無理言って、事故まで起こさせて。それにお兄さんにずいぶん
厳しい事を言ったし」
 乃絵はその言葉に安堵の表情を見せる。兄が許されたのは純粋に嬉しかった。
「純はね、その言葉のおかげで、新しい道が開けたって」
 細かい事は言わない。さすがにデリケートな話だから。だが、比呂美の言った事、
乃絵の言わんとする事、それはお互いに理解していた。
「そう…。だったら良かったのかな」
「私達は、あのままじゃいけなかったから」
 うん、と曖昧に言う比呂美。他人には肯定も否定もできない事。だが、4番は自
分の道を捜し出す事ができたのだろう。
「お兄さんに伝えて。迷惑かけてすみませんでした、って」
「わかったわ」

「あの…。石動さん」
 少しだけ気後れが顔を出す。勇気が試された。
「何?」
「ごめんなさい」
 今度は比呂美が頭を下げた。
「なんで?」
 不思議がる乃絵。乃絵にとって、比呂美に話そうと思っていた事は話し終えてい
たから。謝るために来たのであって、謝られる事は想像していなかった。
「謝っていい立場じゃないけど。私、眞一郎く…眞一郎は、誰にも譲らないけど。
でも。石動さんを傷つけたこと。ごめんなさい」
 優しい人だ、と乃絵は初めて思った。
 驕りではない。眞一郎との想いを遂げる事で、乃絵を深く傷つけた事。その罪悪
感が2年たっても比呂美に残ってきたのは、事実なのだろう。

「あれから、私ね。彼氏できた」
 しばらくして、乃絵が言った。
「え?」
 比呂美が頭を上げた時、乃絵は比呂美に背を向けていた。少し頭を上げ、遠くの
空を見つめているようだった。
「この前、別れたけど。でもまた、恋人はできる。必ず」
「そう…」
「あの頃ね…。私が本当に恋を知ったのは、眞一郎と別れてからだと思う。全部終
わってから、眞一郎に本気で恋していた事を知ったの」
「…。」
「眞一郎に伝えておいて。私は涙を取り戻したって。それと、心配いらないって。
今の私は人を愛する事ができるから」
「うん…。伝える」
「眞一郎と、それと湯浅比呂美。あなたのおかげよ。あなたの涙、今でも覚えてる」
 麦端祭りの日、眞一郎を想う気持ちをストレートにぶつけてきた比呂美。
 なりふり構わない姿は、醜く、そして美しかった。その姿に心を揺さぶられ、乃
絵は自分の眞一郎への想いが、比呂美のそれには及ばない事を悟ったのだ。

「…卒業したらどうするの?」
 背をむけたまま、乃絵は聞いた。
「一緒に上京して、進学します」眞一郎と、二人で。
「そう…。頑張って」
 乃絵は振り向こうとはしなかった。
 泣いているのかもしれない、と比呂美は思った。
「石動さん…」
「なに?」
「ありがとうございました」

 眞一郎は、渡り廊下から、二人の少女が話している様を遠めに見ていた。
 話が終わったらしく、髪の長い少女が踵を返してこちらに歩いてくる。最初うつ
むいて歩いていた彼女は、やがて顔を上げ、愛しい男の姿を見つけて小走りに近寄
ってきた。
「眞一郎くん」
「比呂美…」
 手を伸ばし、比呂美の頬に指を添えて、涙を拭いとってやる。
「あ…」
 自分が泣いていた事に気がついていなかったのだろう。比呂美が頬を染める。
「乃絵と話してたんだな」
「うん。終わらせてきた…。預かった言葉もあるけど」
「そうか…」
 眞一郎は待っていた。比呂美が乃絵と、乃絵が比呂美と話せるようになる日を。
「石動さん、まだいるから。眞一郎くんが直に話してきた方がいいと思う」
「いいのか?」
「キスしてくれたら」
 比呂美はいたずらそうに笑う。
 眞一郎はちょっと赤面して(何せ学校の渡り廊下である)、それでも比呂美の
肩抱きよせ、軽くキスをした。
「行ってくる。ところで、今晩のおかずは?」
「し、シチュー」
「ご馳走になりにいく」
「うん、待ってる…」
 比呂美は微笑み、男の背中を見送った。その顔には、もはや何の心配も浮かん
ではいなかった。


 普段、校内では可能な限りイチャつかないように、注意していた二人。複数の
目撃者がいる中でのこのやりとりが多少の物議をかもしたのは、また別のお話で
ある。

 了


乱文を読んでいただき、ありがとうございました。

乃絵と比呂美の和解を見たいな、と思って書いてしまいました。
和解はして、お互いの最後の傷に決着をつけ、友人にはならずに別の道を行く。
そんな感じになりました。
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