ブリダ・イコンとシ・チュー


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 true tears  SS第二十一弾 ブリダ・イコンとシ・チュー

 竹林でわざと逆らいながらも交際を受け入れた比呂美は、眞一郎と部屋に戻る。
 眞一郎母が持って来てくれた鰤大根と眞一郎に約束したシチューの謎に挑む。
 前作の続きです。

 true tears  SS第十一弾 ふたりの竹林の先には
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/96.html
 true tears  SS第二十弾 コーヒーに想いを込めて
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/245.html



 眞一郎くんと抱擁しているときに雪が降ってきた。
 もう積もらずに淡く消えてゆきそうだ。
 私は眞一郎くんの背中に回した両腕に力を強めてしまう。
「そろそろ戻ろう。部屋の鍵が開いたままだったし」
「うん」
 両腕を戻してから向きを変えて涙をハンカチで拭う。
 一筋が流れていたのに気づいていたし、眞一郎くんに泣いている顔を見せたくない。
「どうかしたか?」
「何でもないわ」
 元通りにしてから微笑む。
 右の手のひらに感触があるので見てみると、眞一郎くんの左手があった。
 しっかりと握り締め合ってから歩き始める。
「こうやって並んで歩きたかった」
 眞一郎くんが本心を発露させてくれたのだろう。
「幼い頃の夏祭りと同じね。靴は履いているけど」
「冷たいから裸足にはなれない」
 手を離して眞一郎くんの左腕に私の右腕を絡める。
 弾力があまりしない逞しい腕に密着する。
「道が狭いから……」
 コートの上からでも眞一郎くんの体温が伝わってくるし、私も鼓動が早くなる。
「あのときは広く感じたのにな」
 ふたりの歩みは遅くて、眞一郎くんが左に傾いているので直してみる。
 体勢を整えると、私の左頬は眞一郎くんの肩に当たった。
 もう少し私のほうに引き寄せてもいいけれど、今回は控えておくか迷う。
 さりげなくしてみると、私の身体に触れてしまって、ふたりとも熱を帯びてしまう。
 竹林を抜けてアパートの階段の前に立ち止まる。
 私は一気に七段ほど駆け上がって振り返る。
「行こう」
「わかった」
 眞一郎くんが上がって来てくれているのを確認してから、私は部屋に入る。
 ふたりとも慣れた動作でコートを掛けて、眞一郎くんは定位置で胡坐をかいている。
「すぐに温めるから待っていてね。きっと味が染み込んでいるはず」
 眞一郎くんのために作っておいたシチューを掻き混ぜている間に、
鰤大根を電子レンジに入れている。
「時間を置くとおいしくなるんだよな」
「わざと遅らせていたのね。私が学校で部屋に来てと伝えたときみたいに」
 今回は三回目で、前回の眞一郎くんは日が暮れ始めるまで来てくれなかった。
「あのときはなかなか足が進まないし、比呂美にどうすればいいかわからなくて……」
 わざわざ眞一郎くんは正座してから返答していた。
 私はケーキを用意して、マグカップを割ったと嘘をついてまで、
一杯のコーヒーを共有しようとした。
 いいよと具体的には言わずに誘ってしまった。
「私も反省している。忘れてとは言わない」
 あのときに覚悟した気持ちは継続している。
「メガネがないな」
「掛けて欲しいの?」
 私の問いに眞一郎くんの瞳は上方にある。
「今はないほうがいい」
「このままにしとくね」
 シチューを味見してみると適温で少し熱めにしている。
 二枚の皿に注いでから鰤大根と一緒に運ぶ。
 眞一郎くんは足を崩していて、私は対面に座る。
「鰤大根も作っていたのか?」
「おばさんが持って来てくれたわ」
「お袋がか」
「お袋?」
「花形として踊ってからそう呼ぶようにしている、親父にも。いただきます」
 眞一郎くんはシチューから口に運んでくれている。
「やはり比呂美のクリームシチューはうまいな。
 なめらかで水分の配分ができていて、いつもよりは熱くしてある」
「話をしたいから熱くしておいたの。お袋と親父って旧家の呼び方でかっこいいね。
 私もおばさまとおじさまと呼んでみようかな?」
 仲上の娘としてお祭りで給仕していたので、まずは大根から食べるようにしてみる。
「比呂美ちゃんと呼ばれているから、さまだと堅苦しくなるかも」
「今までどおりのほうがいいよね。
 眞一郎くんは鰤大根の意味は知っているの?」
 シチューを掬いながら訊いてみた。
「うちの晩飯が鰤大根だからと思っていた」
 私は肩を落としてしょんぼりとしてしまう。
「今から考える。鰤と大根だから共通点がない。
 ブリダイコンという言葉だけを参考にしよう。
 区切りを入れてみると、ブリダ・イコン、ブリダイ・コン。
 ブリダ・イコンのほうが均等で字面が良さそう」
 眞一郎くんは視点をさまよわせて身体を左右に揺らしている。
 どことなくかわいらしく思えてくる。
「イコンってユダヤ教とキリスト教で神や天使の聖像のことだっけ?」
「ユダヤ教では認められていないはず。旧約聖書では禁じられていたから」
 即座にいつもの口調で訂正してしまった。
「勉強になったよ。テストに出たらいいのに」
「次はブリダね」
 私は行儀が悪くても両肘をテーブルに付けて、組んだ指の上に顎を乗せてみる。
「ブリダという天使の名前ではおもしろくないなあ。
 ブリタニアだと長いし……」
 言葉が続かなくて、唸り始めている。見回して材料を探していても浮かばないようだ。
「ブリダル」
 力のこもった眼差しで見つめられる。
「よくわからない……」
「英単語の覚え方なので知らないと思う。スペルを言うから」
「うん」
「b、r、i、d、a、l」
 私は右の人差し指でテーブルに書いてゆく。
 lに到達してからようやく意味に気づいた。
 顔を上げると眞一郎くんの温和な瞳に吸い込まれそうになる。
 頬を伝うものがあっても逸らせなくなっていた。
 眞一郎くんはそっと両手を伸ばしてくれて私の両頬を撫でてくれる。
「やっと比呂美の涙を拭えた」
 今度はハンカチを取り出して丁寧に拭ってくれた。
「抱き締められたときも涙を流していたけど……」
「俺には見えなかった。あの後に背を向けていたのは、拭っていたからか」
「あまり泣いている姿は見せたくないし」
「涙にもいろいろあると思う。今のは嬉し涙だろう」
 眞一郎くんの解釈は妥当であっても、まだ私には気掛かりが残っている。
「石動さんに言われたわ、きれいな涙って。
 私が眞一郎くんのことをそっとしておいてと伝えたときも、私は泣いてしまったの」
「俺も乃絵には涙の種類を教えられた。でも比呂美の涙をさっきのように拭いたかった。
 もう泣かないでいいようにしてあげたいという想いもあったけど」
 眞一郎くんは隠さずに打ち明けていても、石動さんの影響が残っている。
「乃絵よりも前に比呂美の絵本を描いてはいた。でも暗い話なので途中までなんだ。
 これからは明るい話にしてゆきたい」
 無言な私に対して光を注いでくれた。
「眞一郎くんの部屋で見つけた一枚絵は、石動さんのよりも先に描いてくれていたの?」
「そうだけど、あの続きは構想中でスケッチブックとしてまとまっていない」
「じゃあ、良い案を出したら採用してくれる?」
 微小な戸惑いも逃さぬように真正面に見据える。
「出して欲しいと思っていたから」
「雪の海は加えてね。雪が好きだったけど、嫌いになっても、最後には好きになるの」
 今までの私の感情を込めてみたけれど、まだ完結していない。
 あの抱擁だけでは満たされず、何かが欠けていて空洞があるのだ。
「テーマは雪にしよう。それと乃絵を思わせるのは排除したほうがいい?」
 眞一郎くんは表情に出さずに問うた。
「消さなくていいわ。受け入れるから」
 シチューを掬って口に運んでみると冷め始めている。
 眞一郎くんも最後まで残さずに鰤大根も食べてくれた。
「食後のコーヒーを入れるわ」
 私は有無を訊かずに立ち上がってキッチンに行く。
 眞一郎くんは視線で私を追っていた。
「コーヒー恐怖症になりそうだ」
「これからずっとそうなってもらわないと」
 微笑を浮かべて適量の粉と砂糖をマグカップに入れてゆく。
 お湯を注いでから、席に戻る。眞一郎くんは不安げに口を付ける。
「まともだとつまらなくなるのはどうしてだろう」
「そんなの知らない」
 そっぽを向いて眞一郎くんの様子を窺う。
「話を戻すけど、鰤大根は合っていたのか?」
「どうかな?」
 私が口端を伸ばしてみる。
「鰤大根は神に祝福された結婚のことだったんだ」
 勢い良く述べていたのに、表情は堅苦しいままだった。
「もっと自信を持って言えば良いのに」
 私は吹き出してしまった。眞一郎くんの微妙な顔を見ていられるようになったから。
「単なる語呂合わせだし。確証はどこにもないじゃないか」
「それでいいと思う。眞一郎くんが導き出した解答ならね。
 ふたりきりだから、矛盾を突いてくる読者がいないし」
 強引過ぎる気もするけれど、私たちのために選んだ語彙なのだろう。
「後学のために教えてくれないか?」
「イコンとブライダルは外来語だから富山の風習になるのは不自然」
「冷静な読者を得たようだ。編集者に見せる前に修正ができそう」
 満足げに頷く眞一郎くんを私は訝る。
「何の話?」
「まだ言ってなかったけ?」
「聞いてない」
「祭りの後に出版社から電話があって、絵本を送るように言われたんだ」
 眞一郎くんは俯き加減に述べていた。
「そういうことは先に言って欲しい。お祝いの準備をしていたのに」
 不平を洩らしてから立ち上がる。冷蔵庫に仕舞っていたものを取り出して皿に乗せる。
 眞一郎くんは運ばれて来たものに視線を落とす。
「あのときのケーキ?」
「食べたり捨てたりできなくて」
 眞一郎くんを誘ったときに出したチョコレートケーキ。
 眞一郎くんに帰ってもらってから、見るのも嫌になって冷蔵庫に入れたままだった。
「縁起が悪いよね、こういうのは」
 自分ではどうすることもできないので、眞一郎くんに決めてもらいたい。
 眞一郎くんはフォークを手に取ってケーキを切ってから口に運ぶ。
「おいしいよ。この程度でダメになるなら、実力がないだけ」
 屈託なく微笑んでから、瞳に明確な意思を宿している。
 私も眞一郎くんのを見習ってケーキを食べるように試みる。
「敵に勝つみたいにしていかないと」
「それもあるけど、あまりこだわっていなかったな。お袋は験を担ぎたがっていた」
 おばさんへの抵抗がなさそうに平然としていそうだ。
「鰤大根はね、娘が嫁入りしたときに実家から嫁ぎ先に贈る風習があるの」
 口にケーキを入れたままの眞一郎くんに、そっと告げてあげた。
 眞一郎くんは硬直していたが、ようやく動き出す。
「つまり俺たちのことを認めてくれているということか?」
「風習と一致していない部分があるけど」
 一応は否定しておいていても、眞一郎くんは無表情だ。
「あのお袋がそこまでするとはね。比呂美とで女同士の話し合いがあるのかも。
 詮索するつもりはない」
 率直に訊かれると、少しくらいは教えてあげたくはなる。
「おじさんが花形のときにおばさんが応援していたこととか。
 祭りのことはもういいから」
 そんなに親しく会話できてはいないし、緊張をしなくなっただけだ。
 微笑もうと心掛けているだけで、自然にはできていない。
「ふたりの馴れ初めとかあまり知らないな。そういうのは娘にしたがることかも」
「私だって詳しくは知らないわ。きっと私の両親が絡んでくるから」
「そうだろうな……」
 眞一郎くんは言葉を濁していた。
「おばさんは写真のお母さんの顔を切り取っていたの」
「アルバムで見たよ」
「そうなんだ……。でも眞一郎くんが知っていてくれていたのは嬉しい」
 私は顔を上げて気持ちだけは伝えた。
「今はその話を置いておこう。次はシチューについて考えてみるか」
 眞一郎くんはにこやかに話題を変えてくれた。
「期待しているわ」
 冷めたコーヒーを飲んでみる。
「シチューと比呂美を結び付けるものがない。
 さっきと同じように区切ってみると、シ・チュー……」
 一瞬で解明してしまって眞一郎くんは顔を赤らめたまま黙り込む。
「そんなことを考えていない。たまたま浮かんだだけ。
 だって急に晩飯なんて訊くのは卑怯!」
 私も朱を帯びてしまい必死に説明してから、じと目で睨み付ける。
「比呂美のところに戻って来るのを伝えたかったんだ。
 それに晩飯ってとっくに決めているものと思っていた」
「食べてばかりの人にはわからないのよ。
 私ひとり分なんてスーパーに行ってから考えるわ。
 お刺身が安かったら和食にして今後のために茶碗蒸しに挑戦してみようかなとか。
 味が良くても水分が多かったりするので練習しておかないと。
 仲上にいるときよりも気楽にしているからね」
 眞一郎くんの前で早口に捲くし立てるのは初めてだ。
「でも何でシチューなんだ?」
 眞一郎くんは素朴に問うた。
「シチューは眞一郎くんが好きな料理じゃないの。以前に言っていたし」
 私は目を伏せて告げた。ますます頬だけでなく身体全体が熱くなる。
「お袋は和食が多いから、比呂美のときには洋食がいいなとは言った。
 シチューでなくてもグラタンやハンバーグやエビフライなどでもいいような」
 眞一郎くんは淡々と指を折っていた。
「いじわる……」
 幼い頃に似たようなことをされたのを思い出した。
「洋食は何でも好きだし、茶碗蒸しも食べてみたい」
「まだ納得の出来ではないから、もう少しかかるかも」
「いつまでも待つよ」
 眞一郎くんはケーキの最後の一切れを口にして、コーヒーを飲み終えた。
 さりげなく私の皿とマグカップに視線を注ぐ。
 私も克服するために完食する。
「今日はこのまま帰ろうと思う」
 眞一郎くんは決意を秘めた眼差しをしている。
「そのほうがいいかもしれない」
 言葉にしても実感はなかった。私自身の中には明確なものを描けていない。
「すまない」
 そっと呟いていた。
「あやまらないで、私が求めているみたい……」
 言ってから唇を噛み締めてしまう。何がしたいのかを私はわかっていない。
「そんなふうに思っていないこともないから、気にしないでもいいかもしれない」
 何かの台詞ごとく均質な語調だった。
「それってどっちなの……?」
 立ち上がってコートを着る眞一郎くんに近寄った。今回はマフラーがなくて手持ち無沙汰だ。
「今度、雪の海に行こう。そのときにはメガネを外さないで欲しい」
 眞一郎くんの直視に私は逆らわない。
「はい」
 想いを込めて誓うと、眞一郎くんの右手を頭に乗せられた。指で前髪を上げてくれる。
 顔を私の額に近づけて唇を付けてくれた。
 私は何もできずにいる。
「帰る」
 眞一郎くんはすれ違ってから玄関に向う。
 頭に撫でられたのはいつ以来だろう?
『比呂美、お母さんみたいに優しくて強くなるんだぞ』
 あれは泣き止まない私にお父さんがいつも言っていたことだ。
 そうされると涙が流れなくなっていた。
 私は眞一郎くんのそばに寄って後姿を眺める。
 お父さんのような広い背中に抱き付いていたあの幼い頃の私にはなれない。
「また来てね」
 眞一郎くんは靴を履いて振り返る。
「また来るよ。実は祭りの前日からあまり寝ていなくて疲れが溜まっているんだ。
 安心できたから一休みしたい」
「私も似たようなもの。ゆっくりくつろぎたい」
 本当は眞一郎くんのそばにいるときが落ち着けるようになりたい。
「明日、学校で」
「私たちには時間がいっぱいあるから」
 眞一郎くんはドアを開けて外に出てから閉める。私は去って行く足音を確認した。
 すぐにテーブルまで戻って後片付けをする。
 洗い場に皿を運んでから考える。
『鰤大根は神に祝福された結婚のことだったんだ』
 他の人に伝えても納得してもらえない解釈。
 でも私たちの絵本の場面にはなってくれそう。
 私がウエディングドレスで眞一郎くんがタキシード。
 どういうデザインにしようかな?
 神さまに祝福されるようにステンドグラスがたくさんある教会にしよう。
 でも仲上は旧家だから和式かもしれなくても、絵本というふたりだけの世界。
 想像の翼を広げていても、現実感はあって充実してくる。
 雪の代わりに花びらを舞わせてみよう。
 いつか神父さんやみなさんの前で誓いのキス……。
『今度、雪の海に行こう。そのときにはメガネを外さないで欲しい』
 メガネを掛けてから、唇を右の人差し指でなぞる。

               (続く)



 あとがき
 本編ラストから紡いでみましたが、会話だけで後日に持ち越しになりました。
 実際に本編でもキスぐらいで留めそうな気もします。
 時間があるわけですし、良い雰囲気になればということで。
 会話の流れですが、テンポを悪くしています。
 比呂美視点であるがゆえに眞一郎の言動には、理解できていない部分はあります
 鰤大根やシチューのようなふたりだけの特別な思い出を増やしてゆくのを期待しています。
 それと本編では一度もお父さんと呼ばれなかった比呂美父を、回想で登場させてみました。
 こういう不遇な人物にはスポットライトを当ててみたくはなります。
 次回は、『雪が降らなくなる前に』。
 翌日、まばらにクラスメイトが登校して来る教室。
 三代吉が眞一郎に比呂美との近況を訊きます。
 比呂美はさらなるアプローチを仕掛けます。
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