true MAMAN 最終章・私の、お母さん~第四幕~


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「ちょっと、そんなもんで足りるの?」
 朋与がさすがに訊いてきた。
「うん、足りるよ」
 比呂美がにっこり笑いながら即答する。
「ダイエットでもしてるの?そんな必要なさそうだけど」
 あさみも疑問なようだ。
「ダイエットじゃないけど、バスケやめて運動減っちゃったから、カロリー計算はしてるよ」
「一時食欲なかったみたいだけど、昨夜は普通に食べてたし、食欲は戻ってきてるよ」
 これは眞一郎だ。
「だから新婚アピールはいいっての」
 珍しく三代吉が突っ込む。
 ファミレスである。学校も2月になると授業らしい授業もなくなる。午後の授業もないの
で、帰りにファミレスで食事をしようということになった。
 その席上で、比呂美はサラダとパスタのみ、しかもパスタは半分ほどしか手を付けて
いなかったのである。
 その代り、比呂美はドリンクバーのハーブティーを何杯もおかわりしていた。
 朋与は、ここ数日間比呂美が学校に水筒を持ってきていて、授業の合間などに飲ん
でいるのを知っていた。
「いくら食べるもの我慢したって、それじゃ水太りするわよ」
「水太りって、そんなに飲んでないって」
「比呂美、さっきからそればっかり飲んでるけど、気に入ったの?」
 あさみの質問に一瞬ピクリとするが、すぐに笑顔に戻る。
「うん、最近私、ハーブティー好きなの。家でも色々試して飲んでるよ」
 飲んでいるのはカモミールティーである。
「あたしは駄目だなー。もうカフェイン摂りまくりで徹夜だよー」
「あさみさん、どこ希望だっけ?」
「名古屋。あたしは東京にしたかったんだけど、少しでも近い所にしなさいって。まあ、い
いけどさ」
「あたしみたいに手近で推薦もらえるところにしちゃえば楽だったのに」
「一度くらいは一人暮らしってものをしてみたかったの」
「・・・・部屋で座る場所も確保できないほど片付けの出来ない人が?」
「ひっどーい!それは言うなー!」
「俺、地元進学希望だけど大学に行ったら一人暮しするぞ」
「おぉ~よかったねぇ~、これで女連れ込み放題」
「しねえよ!俺は愛子一筋だ」
「愛子さん?」
「一筋~?」
「・・・・てめえら・・・・それ以上ぬかすなよ?」
 トリオ漫才が展開されている間、比呂美は輪に加わることなく、楽しそうに笑っていた。
眞一郎はそれを見て笑っていた。



「お前、最近よく笑ってるよな」
 ファミレスで他の仲間と別れ、アパートまでの帰り道で、眞一郎は比呂美に言った。
「え?そうかな、変わらないと思うけど」
「いや、このところいつもニコニコしてるような気がする」
「それは、もうあれから随分経つもの。今は何を見ても楽しいよ」
「そんな前と比べてはいないけど」
 眞一郎は苦笑した。母に死なれ、仲上に引き取られた頃や、その後の同居時代とは比
べるまでもなく、比呂美は本来の明るさを取り戻していた。それが今年の正月から急に塞
ぎ込んだようになり、センター試験が終わって暫らくすると以前にも増して笑顔を見せるよ
うになっていた。
 眞一郎としては当然笑っている比呂美が好きである。今の笑顔に不自然さはなく、眞一
郎には不満も不服もあるわけがない。
 ただ、何がそんなに楽しいのか気になっただけである。
「うーん、強いてあげるなら目標が一つに絞れて気が楽になったとか」
「それだけ?」
「結構大きいよ、それ。私の場合、眞一郎くんの進路とすり合わせなきゃいけないから」
 眞一郎は赤面した。比呂美は眞一郎の志望校に地理的に近い処ばかり選択してい
た。比呂美自身はその全てでA判定を出していたので、最終的な絞込みは眞一郎の成績待
ちだったのだ。
 その意味では、比呂美はギリギリまで志望校を絞り込めなかったとも言える。
「ごめん」
「あ、そんな、眞一郎くんの事を言いたいんじゃないよ。ただどうせならギスギスするよ
りニコニコして過ごしたいな、と思って」
「うん。俺も比呂美には笑っていて欲しい」
 眞一郎にしては、捻りのない素直な言葉が出た。本心からの言葉に、比呂美の口元
がまた綻ぶ。
「うん」
 アパートに着き、眞一郎は上がってコーヒーを貰う。比呂美はペパーミントとドライジン
ジャーのハーブティーだ。
「本当にハーブティーに凝ってるんだな」
「いろいろ配分変えながら作ると、楽しいよ。勉強の合間の息抜きにもなるし」
「記憶力が10倍になる配合はないかな」
「あったらもう薦めてるよ」
 それもそうだ、と眞一郎もつられて笑う。
「そろそろ帰るわ」
「うん。送ってくれてありがとうね」
「今日も飯、食いに来るんだろ?」
「うん、おばさんにも言ってある」
「じゃ、待ってるよ」
「うん」
 玄関で軽いキスを交わし、眞一郎が出て行く。
 比呂美は大きく息をついた。
 部屋に戻ってお茶を飲む。
 無理をしているわけではないが、万が一にでも眞一郎におかしいと気付かれてはいけな
い。
 最近は笑顔でいようと心がけているのは事実だ。沈んだ顔をしていても周りを不審がら
せるだけだし、お腹の子にもいい事はないと思うからである。
「とにかく入試を越えなくちゃ。それからのことはそれから考えるようにしても遅くないし」
 今の比呂美は物事をかなり楽観的に考えられるようになっている。問題は山積していて、
何一つ片付いてはいないのだが、必ず味方は現れると、根拠もなく思えるようになってい
る。
 それが誰なのか、全くわからないのだが。
「少し寝ておこう。夜は勉強で遅くまで起きてるようだし」
 あさみのようにコーヒーで眠気を覚ませないので、昼寝をしても夜は2時くらいまでしか
起きていられない。一応あがく時期は過ぎて後は過去問を繰り返し解いている段階だが、
勉強に集中している方が現実の問題を忘れるには都合がいい。
 比呂美はパジャマに着替え、横になった。



 理恵子は夕食の献立を考えながら、雪の積もる道を歩いていた。
 今日は何にしようかしら。
 この1週間、比呂美の食欲はかなり回復していた。まだ残される事はあるが、その残
す量も大分減ってきた。体調が戻ってきたのか、精神的なものかはまだよくわからない
が、顔色もよくなってきているのが理恵子を何より安心させた。
 思い切って夜もパンにしたら食べてくれるだろうか。ひろしや眞一郎には悪いが、今は
比呂美が喜んで食べてくれる料理を優先して考えていた。
 料理を残される事に対して、理恵子は不快に感じてはいない。今まで食事を残す事を
ほとんどしなかっただけに心配にはなるが、自分に対して含むところあっての行動でな
い事はわかっている。むしろ同居を始めた頃、明らかに失敗した、眞一郎が箸をつけよ
うともしなかったものを、まるで義務であるかのように残さず食べられた時の方が、よほ
ど悪意を感じたものだ。
 それに、この前ひろしから
『以前の比呂美なら、お前に気を遣って、無理にでも全部食べようとしてると思う。残すと
いうのは、お前に甘えているから、出来る事じゃないか』
 と言われた事も、彼女の気分を軽いものにしていた。
「ブロッコリーか。クリームソースのパスタならみんな食べられるかしら。そういえばサー
モンがあったし、今日はそうしましょう」
 献立を考えるのがこれほど楽しいのも久しぶりだ。比呂美が自分の料理を喜んでくれ
る姿を想像するだけで、新しいメニューにすら挑戦してみたくなる。3年前とは隔世の感
があるが、理恵子は今の自分を気に入っていた。
 日増しに比呂美の事が愛しくなっていく。もう理恵子はこの事実を受け入れつつある。
もうこれ以上自分を偽る事は出来ない。自分は比呂美を自分の娘として見ている。そん
な資格はないと承知しながら、それでもあの娘から母と慕われる事を夢見ている。
 正月からの比呂美の不調。香里が健在なら、比呂美は自分から相談しているだろう。
比呂美が黙っていたとしても、母親であれば何があったのか訊く事が出来ただろう。見て
いることしか出来ない辛さ、力になれない無力感を思い知らされた1ヶ月だった。
 もっと話し合ってみよう。そう理恵子は考えていた。 1人で悩んで欲しくない。一緒に
悩ませて欲しい。母親にはなれなくても、せめて家族として傍にいてあげたい。
 香里にはなれなくても、香里だったら比呂美にしてあげるだろう事、香里がしてあげた
かっただろう事はしてあげたい。
 比呂美を二度と泣かせたくない。



 夕食はサーモンとブロッコリーのクリームパスタと、鳥胸肉のソテー、温野菜のサラダ
という、仲上家には珍しい純洋食の献立だった。鶏肉にはハーブを効かせ、比呂美が少
しでもしつこさを感じないように工夫する。
 眞一郎は食卓を見た瞬間、比呂美の昼食を思い出したが、比呂美が目で合図したために
理恵子が知る事はなかった。
 今日は、比呂美も食欲があるようだった。
 本来、2人分の栄養を摂らなければいけない身体である。体調が整っている時は食べなけ
ればいけない。カルシウムは特に必要なのだが、これは比呂美がサプリメントで補っている。
「よかった。もし足りないようならおかわりもあるわよ」
 理恵子も嬉しそうだ。ひろしだけは米が食卓に上らない事に複雑な表情だったが、それ
も比呂美の食べる姿と、それを見て喜ぶ理恵子を見て苦笑半分に微笑みながら箸でパスタ
を食べていた。
「ありがとうございます。あの、パスタをもう少し・・・・」
「はい、ちょっと待っててね」
 理恵子がいそいそと台所に消えていく。ひろしが珍しく食事中に口を開いた。
「うちの奴も喜んでいるようだ。あんな姿は・・・・そうだな、眞一郎が離乳食を食べ始めた
頃以来か」
「何年前の話だよ」
「お前は、知らんだろうがな。お前は中々離乳食を食べてくれなくて、母さんはかなり苦
労したんだ。初めて食べた時は、わざわざ蔵にまで言いに来たぞ」
「・・・・やめてくれよ、恥ずかしい」
 眞一郎が照れ隠しに怒ったような顔を浮かべる。
 戻ってきた理恵子が会話に加わる。
「何のお話です?」
「眞一郎の、離乳食の話だ。苦労したという話をな」
「本当に。その点、比呂美ちゃんは楽だったのよ。眞ちゃんより早かったんじゃなかった
かしら。私があげても嫌がらずに食べてくれたから」
 比呂美が少し意外な顔貌をした。理恵子から自分の子供の頃の話を聞くのは初めて
だった。何度かは行き来もしていたから知っていても不思議ではないのだが。
「私達も比呂美ちゃんの子供の頃の思い出が、少しはあるのよ。それは、あなたのお母さ
んのようには、たくさん話してはあげられないけれど・・・・」
 理恵子が少し申し訳なさそうに言った。自分が比呂美の母親足りえない事を、いきなり
再確認して気分が沈む。
 理恵子の気持ちを察したのだろう、ひろしが、言葉を継いだ。
「その代り、と言ってはなんだが、眞一郎の事ならどんな恥ずかしい過去も知っているぞ。
少しずつ、教えてあげるから、それで眞一郎の弱みを握っておくといい」
 口調だけではまるで軽口に聞こえない、不器用なひろしの冗談。だしに使われた眞一
郎も、ひろしが理恵子と比呂美両方を気遣っている事がわかるだけに苦笑するしかない。
「頼むからやめてくれよ、もう・・・・」
 比呂美も笑った。3年前にはありえなかった光景。心から欲しながらも、一度は諦めてい
た光景。一家団欒の輪の中に、私がいる。眞一郎くんと一緒に、私が笑っている。
 比呂美は改めて、ここが自分にとってかけがえのない場所になっている事を感じた。ど
んなに辛い事があっても、ここに帰ってくれば癒される。優しく包んでくれる。
 ここにいる限り、私はもう泣かずに過ごせる。



 比呂美をアパートまで送り届け、家に戻ってから、眞一郎は自室で美大での課題の傾
向と対策を復習していた。
 勉強しながらも、今日の夕食の風景が頭に浮かんで、顔が緩んでくる。
 今夜の姿こそ、中学の時、比呂美が仲上で暮らすと聞いた時に眞一郎が夢見た光景
だった。
 食卓を4人で囲み、談笑しながら進めていく夕食。比呂美も、母と楽しく笑いあい、時
折眞一郎と目を合わせては、恥ずかしそうにはにかんで見せ・・・・。
 3年もかかってしまったが、やっと夢が叶った気分だった。
 もしかしたらもっと早くに実現できたのかもしれない。比呂美にはいつでも夕食を食べ
に来るように言ってはいたが、その実眞一郎が比呂美の部屋で食べている事の方が、
明らかに多かった。
 新婚気分を味わう事が出来て、眞一郎も比呂美もそれを楽しんだが、もっと積極的に
4人で食べる機会を増やしていれば、それだけ早く今日の日が訪れたかもしれない。
 これからは、と言っても上京するようなら短い時間でしかないが、なるべく仲上にいる
時間を長くしよう。今の比呂美なら、アパートではなくこの家でも、同じように寛げる筈だ。
そうしよう。
「うん、やっぱり比呂美は笑顔が一番いい」
 一人納得したように声に出す。かつては「君の涙を拭いたい」と考えていた時期もあっ
たが、涙など流さずに済むなら流さない方が言いに決まってる。これから先はずっと、比
呂美はこの家で笑って暮らす事ができるだろう。
 ずっと暮らす、という言葉で、今度は顔を赤くする。比呂美との結婚は、眞一郎にとって
完全に既定された未来であり、勿論比呂美にとっても、恐らくは彼の両親にとっても同じ
である筈だった。
 その未来図には当然2人の子供も加わっている筈で、今よりも賑やかな食卓が目に浮か
んできた。子供に離乳食を食べさせる比呂美や、食べさせ方を比呂美に教えている理恵子
が想像される。
「・・・・よし」
 眞一郎は参考書を下ろし、替わりに引き出しからスケッチブックを取り出した。開くと、
描きかけの魚の絵に線を足していく。
 まだタイトルも、ラストシーンも決まっていないが、魚の夫婦を主人公にしたこの絵本は、
よい仕上がりになる予感があった。



「明日から東京出発だっけ?」
 朋与が確認する。学校の石段、暖かい季節なら昼食スポットとなる場所だが、雪が積も
る今はさすがに人影も見えない。
「うん。明日から東京に行って、明後日が当日」
「仲上君は?一緒に行くの?」
「うん。試験は私より一日後だけど、画材は宅配便で送るから、受け取りに余裕を持ちたい
って」
「試験前に、他の事で張り切んなよ?」
「またそういう事を言う」
 比呂美が苦笑する。
「あ~でも、いよいよ別れの時、て感じよねぇー。地元組はあたしと野伏君と、真由と・・・・仲
のいいのはその位よね」
「寂しい事言わないの。まとまった休みには帰ってくるし、友達でなくなるわけでもないんだ
から」
「そりゃ、そうなんだけどさ。けどやっぱりつまんない!」
「朋与なら大学ですぐ友達出来るって。その気になれば彼氏だってすぐに見つかるよ」
「彼氏ぃ~?」
 朋与は心底嫌そうな顔をした。
「いいのよいいのよ。どうせあたしの比呂美への愛は一方通行に終わる運命なのよ。そして
比呂美は仲上君との愛の中であたしの事なんか忘れてしまうのよ」
 朋与は舞台女優よろしくくるりと回転して、大袈裟に科白を回して見せた。比呂美が思わず
噴出す。
「気持ち悪いこと言わないの。第一、私が朋与の事忘れるわけないじゃない」
「・・・・ホント?」
「ほんとう」
「それもそうよね」
 あっさりと元に戻る。
「じゃ、そろそろ帰ろうか。ね、久々に『あいちゃん』寄ってかない?2人の友情の為に」
「うん、そうしよ」
 比呂美も頷いて、石段を上ろうとする。
 油断があったのかもしれない。
 最上段に近いところで、雪に足を捕られた。バランスを崩し、大きく重心が後ろに傾く。
 比呂美の視界から朋与が消え、空が見えたと思ったら、それから灰色と空色が交互に覆った。
 スローモーションのような世界で、しかし比呂美の身体もスローの中で思うとおりに動かない。
 景色が止まった。木が横向きに生えている。自分が横を向いているのだと理解した瞬間、激
しい痛みが下腹部を襲った。
 朋与の声が遠くに聞こえる。早く来て。早く助けて。でないと――
「赤ちゃん・・・・私の・・・・助けて・・・・・・・・」


                                   了


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当然続きます

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