true MAMAN 最終章・私の、お母さん~第七幕~


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「黒部さん・・・・」
「こんなところで、何してるって訊いてるのよ、仲上眞一郎!」
 眞一郎が今までに聞いたことのない朋与の姿だった。声を震わせ、泣き腫らした目は
真っ赤で、眞一郎はスコットランドの伝説にあるバンシーを連想した。
 すぐに慄然とした。バンシーは人の死に現れる妖精だったからだ。不吉な想像が頭を
よぎった。
「比呂美に、何かあったのか・・・・?」
 不用意な一言は朋与の逆鱗に触れた。朋与は雪の中を眞一郎に近づいていき、彼
の手前1mの辺りで止まった。
「何か?別に昨日と何も変わってませんとも!昨日と変わらず比呂美は泣き続けて、
昨日と変わらず自分を責め続けて、昨日と変わらずあなたに迷惑かけてると謝ってた
わよ!ああ、そう言えば今日は雪がまた嫌いになったとか言ってたわね。それとも何?
ご高名な仲上家の御曹司は比呂美にもっと劇的な変化をお望みだったの!?」
 朋与の声の怒気と隠そうともしない悪意に、眞一郎が思わず一歩退いた。
「いや、俺は、そんなつもりで言ったわけじゃ・・・・そうか、まだ、あいつはそんな事を
・・・・・・・・」
 後半は独白だった。
「そんな事!?どういう意味かなそんな事って?あの娘がどんな気持ちで言ってるかまさか
わからないの?」
「わからないのって、そんなわけないじゃないか。俺は――」
 誰よりも比呂美をわかっている、そう言おうとして、言葉に詰まった。わかっていなかっ
たからこそ、現在の状態になっているのである。
「・・・・俺は、あいつの為に俺が出来る事をしてあげたいんだ」
 代わりにそう言った。これも本心だった。比呂美の為ならどんなことでもしよう、そう
決めていた。
「出来る事?」
 その決意も朋与に感銘は与えない。
「その出来る事ってどれだけ考えた結果なの?本当に比呂美の事を考えて出したの?」
「当たり前じゃないか!・・・・俺は、俺は比呂美の事だけを・・・・」
「そう・・・・そうよね・・・・」
 朋与は一度息をついた。昂った感情を一度鎮める。心をクールダウンさせて尚、眞一
郎に対して言わなければならない事、言わずには済まされない事が次々に溢れ出てきた。
 中学に入ってすぐ、バスケ部で知り合って以来、朋与は比呂美の親友を自認し、最大
の味方と自負していた。
 高一の冬、眞一郎が比呂美の彼氏となった時から、二番目の称号は眞一郎のものとな
った。そのことに朋与は異存はない。あの時、付き合うことになった事を朋与に報告す
る比呂美は本当に幸せそうだった。1年以上もの間、朋与ではさせられなかった笑顔だっ
た。だから朋与も、二人を祝福した。
 だが、朋与はそれまでの事を忘れたわけではない。
「――仲上君は、いつだって比呂美の事を考えてくれてたわよね・・・・」
 静かな朋与の言葉。その口調とは逆に、眞一郎への圧力は増している。
「去年比呂美と4番の事を嫉妬して喧嘩になったのも、比呂美の事が本当に好きだから
だったのよね・・・・」
「それは・・・・その・・・・」
「比呂美を麦端祭の後ほったらかしにしてたのもそう、4番と比呂美を付き合わせようと
してたのもそう、比呂美の事を第一に考えた結果なのよね・・・・」
「・・・・皮肉の、つもりかよ・・・・」
 思い出したくもない過去を持ち出され、眞一郎の顔が歪む。しかし、朋与は止まらない。
「中三であなたと同居する事になった比呂美が、あんなに辛そうにしてても助けようと
しなかったのも比呂美の為――」
「事情も知らないで勝手な事言うなよ!」
 眞一郎が大声を出した。最も触れられたくない部分に爪を立てられた。部外者が立入
ってはならない領域に踏み入ってきた。
「あの時は・・・・難しい問題があったんだ・・・・」
「そうね・・・・あたしは何も事情なんか知らない。比呂美は知られたくないと思っていたか
ら。だからあたしは気がついても知らないフリをするしかなかった」
 朋与はまた泣いていた。他人であれば気付かずに過ごせた、笑顔の裏に気付いてし
まったあの日のように。親友に頼りにされない無力感に苛まれたあの頃のように。
 朋与が更に二歩、眞一郎に近づく。
「あたしには、せめてあの娘が何か話したくなった時には聞いてあげられるように、でき
るだけ側にいてあげるくらいしかしてあげられなかった。それしか出来なかった。
「でもあなたなら事情もわかっていたでしょう!あたしより、はるかに出来る事があった
でしょう!本当に、本当に比呂美の為に出来る事を全部してあげた!?」
 朋与の指摘は重く、鋭かった。眞一郎は何か言い返そうとしたが、その全てが声帯を
震わせることなく消えていった。
「あなたにわかるの、本当に辛い時に、その事を誰にも気付かれたくないと思う人の気
持ちが!?そんな時にただ見てることしか出来ない人の気持ちが!?ねえ、仲上君にわかる
の!?」
 朋与と眞一郎は、身体が触れ合うほどに近づいている。朋与の顔はもう涙でボロボロだった。
「・・・・何も言う事はないの?・・・・なら質問を変えるわ。比呂美はなんで誰にも弱音を吐
かなかったと思う?」
「それは・・・・他人を巻き込みたくないから・・・・・・・・」
 一瞬、朋与の目が凶悪な光を帯びた――
 バシッ!
 朋与の右手が眞一郎の頬に飛んだ。不意を突かれた眞一郎は持ち堪えられずに倒
れてしまう。
「ふざけるな!比呂美が巻き込みたくなかったのは周りじゃない!一人仲上眞一郎だ
けよ!」
 荒く息をしながら、朋与の声は叫びに近かった。
「比呂美が家で辛い思いをしてる事が知れたら、誰もが仲上君を責めるわ。たとえあな
たが家で比呂美を守ろうとしていたとしても。だからあの娘は誰にも何も言わなかった
のよ。学校では変わらずに振舞ったのよ」
 朋与の論理は極論であろう。朋与や友人達を困らせたくないとの配慮が、比呂美の中
になかったとは考えられない。
 それでも朋与の言葉は真理であった。眞一郎に反論を許さないだけの説得力が、彼
女の言葉にはあった。
「仲上君はそんな風に比呂美を想った事ある?比呂美が本当にして欲しい事、して欲
しくない事、ちゃんとわかってる?仲上君が考える比呂美の為って、仲上君の頭の中の、
仲上君に都合のいい比呂美に対してじゃないの?」
 朋与は眞一郎を睨みつけた。眞一郎はその目を正視する事が出来ない。
「比呂美はここで生きてるのよ!あなたとは違う十八年を生きて、あなたと違う人生観
を育ててきたのよ。全部があなたの理想通りじゃない、不完全な所もあるし、時々は嘘
もつく。そんな自分に幻滅する事もある、普通の女の子なのよ!お願いだからちゃんと
あの子を見てあげてよ!」
 眞一郎は何も言い返せなかった。かつて「真心の想像力」と呼んだ独りよがりな思い
込み。それを今、朋与はより苛烈な言葉で指弾しているのだった。
 わかっていたはずなのだ。比呂美が普通の少女である事は、二年前にわかっていたはず
なのだ。いつの間にかまた、繰り返してしまったというのか。
「・・・・ごめん、俺・・・・ごめん・・・・」
「あたしに謝ってどうするのよ!」
 朋与が馬乗りになって襟を掴んできた。眞一郎の頭上に、朋与の泣き顔が覆いかぶ
さる。
「謝るくらいなら・・・・行動で示しなさいよ・・・・あなたしか出来ないんだから・・・・・・・・あた
しじゃ駄目なんだから・・・・・・・・」
 そこから先は言葉にならなかった。朋与は眞一郎の襟首を掴んだまま、声を上げて泣い
ていた。



 病院のロビーに、眞一郎は座っていた。頬はまだ熱い。口元に手を当てると、手に
血が付いた。
 奥の自販機から三代吉が歩いてくる。手に缶を二本持っていた。
「ほれ、コーヒーでいいんだろ?」
 そう言って一本を放る。眞一郎は空中で受け取り、蓋を開けた。
「痛むか?」
 三代吉の問いに眞一郎は
「堪えたよ」
 とだけ言った。
「そっか。あいつも手加減しそうにないからな」
「殴られたのもだけど、あの涙が堪えた。黒部さんの泣く所なんて、想像できなかった」
「俺もだ」
 三代吉は表情を変えなかった。
 三代吉らはファミレスでの実り少ない議論の後、五人揃って病院に向かっていた。そ
して正門に着いたところで、朋与が眞一郎に詰め寄っている場面に遭遇したのだ。
 暫らくは皆、その場から動けずにただ見守っていた。朋与が眞一郎を平手打ちした時、
たまらず愛子が飛び出そうとした。
 それを、三代吉が肩を押えて制止した。
 愛子は振り返って三代吉を見たが、三代吉は黙って首を振った。
 愛子は周りを見回した。ルミも、カナも、あさみも黙って見つめていた。
 つまり、愛子以外の全員が、程度の差こそあれ朋与の言い分を肯定しているのである。
この中で愛子だけが、身寄りを失ってから眞一郎と交際するまでの比呂美を知らない。
知っている者は、恐らくこの場にいない友人も含めて、大なり小なり朋与と同じ思いを
抱いてきたのだろう。
 愛子は初めて、自分が麦端に通わなかった事を寂しいと思った。
 朋与が眞一郎の上で泣き崩れたところで、ようやく出ていき、朋与を介抱した。
 そしてルミとカナが朋与を家まで送り、愛子とあさみが比呂美を見舞い、三代吉はこ
うして眞一郎についていた。
「俺、まだ全然だな」
 眞一郎が言った。自嘲するでもなく、淡々と事実を述べる口調だった。
「入試直前にこの騒ぎだ。無理もないさ」
 三代吉が控えめに擁護する。
「比呂美を泣かせない、泣いた時は俺が涙を拭ってやるとか格好つけても、俺が泣かして
たら世話ない。きっと今までも俺が知らないだけで、俺が泣かしてた事は何回もあったん
だろうな」
「かもな」
「黒部さんはそれを教えてくれたんだ。かなり堪えたよ。お前もわかってたんだろ?俺が
比呂美を泣かせてた事」
「さあな。俺はそれほど湯浅に興味はねえし。ただ、それとは別に黒部の気持ちはわかる
ぜ」
 眞一郎は黙って三代吉を見た。
「こっちは親友のつもりでいる相手が、何か悩みがあるのは間違いないのにそれを隠そう
とされるのは、かなりキツイって事」
 眞一郎は暫らく言葉の意味を考えていた。その意味するところを理解した時、大きく目
を見開いた。
 三代吉は軽く笑いながら付け加える。
「お前だって湯浅の事ではずっと悩んでたんだろ?ただ自分にだけ都合のいい結論を出し
てたわけじゃない」
「・・・・・・・・ありがとう」
 眞一郎はそれだけを言った。それ以上はどんな感謝の言葉も陳腐になりそうだった。
「で?俺はまだ、お前の相談相手には不足かよ?」
「・・・・いや。けど、どうすればいいのか、何から相談すればいいのかすらわかんねえ」
 我ながら情けないと眞一郎も思う。これが偽らざる本音だった。
「初めての相談で悪いが、さすがにそれじゃ力になれねえ」
 三代吉が苦笑する。
「お前、大学は行きたいのか?」
「・・・・わからない」
「子供は生んで欲しいのか?」
「もちろん」
 即答だった。
「当然、湯浅とは結婚するよな?」
「ああ」
「そのために働いて自力で養いたいと」
「そうだ」
「前にも言ったが、今から職探したって碌なのないぞ。少なくともひとつの仕事じゃ親
子三人食っていくのは無理だ」
「・・・・わかってる」
 しぶしぶ同意した。
「絵本はどうなんだ?時々は育児雑誌に描かせてもらったりしてるんだろ?」
「無茶言うな。あんなもん小遣い銭のレベルだ。とても筆一本で食っていくなんて言え
ない」
「そうか、まあそうだろうな。じゃあそれ以外で働いて食わしていくとして、絵本描く
時間が作れると思うか?」
「・・・・・・・・無理、だろうな」
「何年間か描かずにブランクが開いたとして、再開したらすぐに今のレベルに戻れるの
か?」
「・・・・」
「どうなんだ?」
「・・・・難しいと思う」
 眞一郎は認めた。絵筆を持つ感覚は手放すと急速に衰えていく。再開して描き続けて
も、完全に元のタッチに戻る保証もない。
 さらに、出版社の担当もその頃まだ残っているとは限らない。人脈という意味でも一
から作り直しになる可能性は意外に大きい。
「なるほど。要するに単なる育児休暇じゃ済まないくらいのダメージなわけだ。湯浅は自
分や子供の為にお前の夢が頓挫したら、悲しむだろうな」
 それこそが問題なのだ。比呂美が恐れているのは、大学もさることながら、絵本作家
になるという眞一郎の夢を、自分が邪魔する事である。
 だからこそ全ての試験が終わるまで妊娠の事実を隠そうとしてきたし、眞一郎が働くと
言った時にあれほどまでに取り乱したのだ。
 眞一郎は頭を抱えた。
「どうしろってんだよ。俺だってやっとモノになる手ごたえを掴んだんだ。こんなところで
諦めたくねえよ。だけど、俺が働かないで誰が子供養うんだよ」
 三代吉は黙って眞一郎の独白を聞いている。
「あと一歩なんだよ。もう少しで夢に手が届くんだよ。でも、比呂美と俺の子は夢と天秤に
かけられるようなもんじゃないんだよ」
 眞一郎の声は消え入りそうだった。
「・・・・どうしたらいいんだよ。俺はどこに向かって進めばいいんだよ」
「・・・・前だけ見て進めよ」
 眞一郎が顔を上げる。背中は丸めているので、下から三代吉を見上げるような形になる。
「前?」
「そ、前。悩んだ時はとりあえず前に進んでみろ」
「だからその前ってのがどっちなのか――」
「人と違ってようが、他に誰もいなかろうが、お前が今向いてる方向がお前にとっての
『前』だ」
 眞一郎の背筋が伸びる。
「お前は絵本作家の夢は捨てたくない。子供を諦める事なんて冗談じゃない。なら、それが
お前の前だ。それ以外の事はとりあえず全部横か後ろだ」
「で、でも、それじゃ・・・・そんな事――」
「普通は通じないわな。ありえねえ理屈だ。勝手すぎて怒る気も失せるわ。それでもそれが
前ならまず通じるかどうかやってみろ。それで駄目なら別の方向見てみりゃいい」
「いや・・・・しかし・・・・・・・・」
「湯浅が元に戻るのに、他にあるか?」
「・・・・・・・・」
「一度おじさんに相談してみろ。どうせまともに話し合ってないんだろ」
 眞一郎は恥ずかしそうに頷いた。毎日顔を合わせてはいるが、眞一郎はまともにひろ
しの意見など聞こうとしていなかった。
「ま、半分は曽祖父さんの受け売りだけどな。曰く『迷った時は今向いてる方へ進め』。
戻るってのは辞書にないんだろうな」
 まだ釈然とはしていない。しかし、他に出来る事がないのも事実だった。
「――わかった。親父と話してみるよ・・・・」
「おい、湯浅には会ってかないのか?」
「この顔じゃ会えないだろ」
 眞一郎は口元を見せた。
 三代吉は黙って肩をすくめる。
 眞一郎が立ち去っていくのを目で追いながら、三代吉は詫びていた。
――すまない、眞一郎。俺の言ってる事は、お前のプライドをズタズタにしてるな。
 それでも、三日間考えて、これしか思いつかなかったのだ。
 三代吉も立ち上がり、病室に向かった。愛子と浅海が途方に暮れている事だろう。


                                       了


ノート
朋与と比呂美が知り合ったのが、遅くとも中学でバスケ部に入った時なら、比呂美の親が生きていた頃から付き合いがあるはず。
じゃあ仲上家に引き取られた後、比呂美の変化に気付かなかったのかと考えた時、気付かないフリをしてあげたんだろうなと。
相手が気付いて欲しくないと思っている事に気付かないフリをする、それは友人としてとても辛い選択です。気付いてもいい立場
にありながら勝手に余計な世話ばかり焼こうとする眞一郎は、憎くすらあったのではないでしょうか。
眞一郎のように「相手の気持ちになったつもりで」ピントのずれた事をするタイプは、まず治りません。ですが、常に相手の幸せを
第一に考える姿勢こそが彼の最大の美点でもあり、彼がそんな人物である限り必ず助けの手は差し出されるでしょう。


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