4番の受難 その1


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【まったく、朝っぱらから…】 B-15. 4番の受難 その1


(アイツ、また居るよ…)
 4番こと石動純は、強い危機感を覚えていた。このままではまたいつもと同
じ目にあってしまう。さっさと見つからないように逃げないと…。
「おはよう、眞一郎くん」
 弾むような、澄んだ声が聞こえる。信頼と喜びを含んだ、世界でたった一人
の女性にしか出せない声。
 遅かった。彼は逃げる機会を失った事を悟った。

                 ◇

 春の兆しが見えてきた、2月末の休日の朝。4番は中古のスクーターで信号
待ちをしていた。
 彼は春から東京の印刷会社で働く。その新生活の準備のため、ショッピング
センターに向かう所だった。ショッピングセンターという存在を全て肯定して
いるわけではない彼ではあったが、一個所で用事を済ます事ができるのは、や
はり有り難い。
「石動君?」
 突然、横から声をかけられる。振り向いてみると、そこには見覚えのある女
がいた。
(厄介だな…)
 そんな内心は外には出さず、ほんの少しだけ肩をすくめると、彼はスクータ
ーを路肩に寄せた。

 その女は、4番の隣のクラスの女子生徒だった。その女子生徒にとって4番
は昔の『彼氏』である。別れた後も悪くない関係は維持しているから、それで
声をかけてきたのだろう。
 だが、4番はその女子生徒を一度たりとも『彼女』だと思った事はなかった。
彼にとって大切な女、愛した女はただ一人。妹の乃絵だけだからだ。
 乃絵への想いは、二人きりでずっといるうちに、彼を蝕むほど大きく育って
いった。このままではいずれ自分の欲望に負け、乃絵を傷つける事になる。そ
う自覚した彼は、若い性欲を他の女性で発散させる事を決めた。
 この女子生徒は、つまりはそういう相手だった。数週間ほど適当につきあっ
て、たまった性欲を解消したら別れる。相手にとっては別れた彼氏。自分にと
っては遊んで捨てた女。それだけの相手。そういう相手が、彼には他に両手の
指ほど居た。
 嫉妬もされる。悪い事をしているとも思わないではない。だが(乃絵を押し
倒すよりはマシじゃないか)と、彼は思っていた。
 似たような事をしている男子生徒は他にもいる。食べるのは相手から言い寄
ってきた女だけ。それなら相手にとっても自己責任だろう。自分はまだマシだ
と。
 乃絵を思うがあまりの行動とはいえ、他人の気持ち、女性の気持ちを本気で
思いやる事を、彼はいつしか忘れてしまっていた。彼の病根は相当に深かった。

「じゃあね」
 女子生徒は、手を振って離れていった。
 4番はホっと息をつく。女というのは、話が長くなりすぎる傾向があるもの
だからだ。適当に去ってくれて、本当に良かった。
(だけど、この調子だと、また…)
 危惧せざるをえない。朝っぱらからこれでは、また会ってしまうのではない
か。あの二人に。仲上眞一郎と、湯浅比呂美に。
 ここのところ、やたらに良く見かけるのだ。あの二人を。
 二人は自分が行く先々に、まるで狙ったように現れる。スーパーで、コンビ
ニで、ショッピングセンターで。海辺で、竹林で、坂道で。どこに行ってもあ
の二人を見かけてしまうのだ。
 ストーカーかと思えるほどの遭遇確率に、わざとやっているんじゃないかと
疑いもしたぐらいだったが、どうもそんな事はないらしい。
 だが、いくらポイントの少ない麦端といえど、これは異常だった。信仰心な
どは全くない彼だったが、『神の手』というものを本気で疑ったほどだった。
 考えてみれば、乃絵が眞一郎と接触しだしてから、この異常な遭遇確率はず
っと続いている。あの頃は都合よく眞一郎や比呂美と遭遇できる事を感謝した
ものであったが、縁の切れた今では、うんざりする事この上ない。
 うんざりするだけでは済まない。自分がストーカーと疑われないために、い
ちいち隠れざるを得ないのだ。あの二人を見るたびにコソコソする自分が、情
けなくてしょうがない。
(今日は会わずに済ませてくれよ)
 だが、その祈りが『神』に聞き届けられる事はなかった…。

                 ◇

「おはよう、眞一郎くん」
 比呂美の声が聞こえた。
「早いのね」
 集合時間までは、まだ10分あった。久々の現地待ち合わせで張り切ってしま
い、集合の30分も前から待っていた眞一郎は、比呂美の姿を見て、驚きに目を
見張った。
「おは…。って、どうしたその服」
 比呂美が来てきた服は、今までに見た事のないワンピースだった。以前良く
着ていた服とは少し雰囲気が違い、地味さがない。可愛らしく、華のあるデザ
インだ。それが見事に比呂美を引き立てていた。
「おばさんに買ってもらったの」
 比呂美は顔を輝かせている。
「おふくろが?」
「今しか着られない服があるんだから、もっと娘らしい服を着なさいって言わ
れたの。それで」
 彼女は本当に嬉しそうだ。
「そうか。おふくろもずいぶん変わったもんだな…」
 母と比呂美の仲が悪く、比呂美が抑圧されていた過去は、すでに幻のようだ
った。今では仲の良い親子のような、姉妹のような雰囲気が、二人の間にある。
比呂美は仲上家の中で、あれほど反目した母の前で、よく笑うようになってい
た。それが眞一郎には、何よりも嬉しい。
「…ねえ、似合ってるかな…」
 比呂美が眉根を寄せ、上目遣いに、自信なさそうに聞いてきた。眞一郎が、
あまり自分を見てくれなかったためだ。
「ああ…。眩しいよ」
 眞一郎は、目を細めて言った。
 似合わないわけがないではないか、と彼は言いたかった。
 比呂美は自分の容姿にそれなりの自信を持っているが、その自覚は現実の彼
女よりも控えめだ。比呂美に服を着せたら何でも似合ってしまう。本人の魅力
が服の魅力までも増してしまうほどだ。
 確かに眞一郎は比呂美から目をそらしていた。でもそれは比呂美の姿が眩し
過ぎただけだった。上目遣いは反則であろう。
「良かった」
 比呂美は花のような笑顔を浮かべ、その場でクルっと回って見せた。スカー
トがふわっと軽く広がる。眞一郎の顔が、照れて赤くなった。
「でも、アパートまで迎えに行ったのに」
 思わず比呂美の肩を抱き、眞一郎は軽く身を寄せる。
「せっかくのデートだから、待ち合わせの場所で驚かせようと思って…」
 比呂美も照れながら言った。二人の顔が見る間に赤くなる。
「じ、じゃあ、行こうか」
「うん…」
 あまりに初々しい、若い恋人同士であった。

(まったく、朝っぱらから…)
 4番は柱の影で、ゲッソリとしていた。出るに出られない。チラチラと見な
がら、心の中で毒を吐くしかない、彼だった。
 今日は服を買いに来たのだ。あんなのに構うために来たわけではない。
(いや、確かに可愛かったが…)
 乃絵に着せてもあれほどには似合わないだろうな、と一瞬だけ考えてしまい、
慌ててその考えを振り払う4番だった。


 4番は気をとりなおしてユニクロに向かった。
 家が裕福なわけでもないし、春からの東京での新生活のためには、出費は少
しでも抑える必要があった。
 ユニクロなど、ブランドにこだわる人には笑われるかもしれないが、服はブ
ランド名ではなく着こなしだと考えている。そして、着こなしには自信がある
彼だった。
 いくつか服を抱えて試着室に入り、確かめていた時、またしても聞き知った
声が聞こえた。
(あいつらだ…)
「ねえ、これも着てみて。眞一郎くんには似合うと思う」
 まずいとは思ったものの、これでは試着室から出るに出られない。あの二人
が去るまで、試着室の中に居るしかないようだった。

「そうかな、ちょっと派手すぎないか?」
「大丈夫。私のセンスにまかせて」
 比呂美は腕にいくつもかかえた服を、眞一郎に押しつけた。確かにその服は
少し派手かもしれない。眞一郎で着こなせるかどうか、若干怪しい。
 比呂美は自分の容姿については過小評価している。だが、眞一郎の容姿につ
いては過大評価しているのかもしれなかった。
 比呂美にとって眞一郎は、世界で一番愛しい相手だ。彼女の目には、ボサっ
とした眞一郎でさえ輝いて見える。恋する乙女は最強だ。
「センスって、おまえ普段、地味な服ばかりじゃないか」
 本気で反論したつもりは、眞一郎にはなかった。軽い照れ隠しのつもりだっ
た。だが、これは言ってはならない言葉だった。空気が凍った。

(女の服のセンスに文句を言う馬鹿がどこにいる)
 『あいつら』が試着室の前から離れてくれるまで、待つ以外に何もできない
4番は、心の中で毒づいた。

「だって…。私、目立つ服を着るわけにはいかなかったから…」
 比呂美はうつむいて、目を潤ませた。声が少し揺れる。
 やっと関係が改善したとはいえ、少し前までは、彼女は強い抑圧と監視の下
にあった。眞一郎を誘惑したとでも思われたら、大変な事になる。自分の好き
な服を、好きなように着れたわけではなかったのだ。
「ごめん。謝るから」
 眞一郎は、大慌てだった。さすがにこれは彼が悪い。
「泣くなよ…」
 さっと抱擁して、比呂美の背中をぽんぽんと叩いてやる。こんな事が自然に
できるようになったのは、眞一郎としては大きな進歩だ。
「俺が悪かったから。でも、もう地味な服に縛られなくていいんだ。比呂美も
着たい服を着ればいい。そうだ、今日は比呂美の服も一緒に選ぼう」
「眞一郎くんの、馬鹿…」
 比呂美はまだ半分拗ねていた。でも、彼の気遣いがちょっと嬉しくて、甘い
声で文句を言う。
 以前のように、ちょっとした行き違いが致命傷になる事はもうない。はっき
りと『信頼』という絆が生まれていた。
「うん、俺馬鹿だ。ごめんな」
 だから、思い切った文句や軽口だって言える。愚痴だって言える。少し傷つ
けてしまう事はあっても、今はもう意地を張る事はない。すぐに反省して謝る
し、すぐに許す。
 そんな関係が生まれてきて、本当に良かった。二人は幸せだった。

(どこまで熱いんだこいつらは。さっさとどこかに行けよ、出られねぇだろ。
延々こんな惚気を聞かせるつもりか)
 その時4番は…。心の中で叫んでいた。試着室の鏡に、これほど八つ当たり
したくなった事はない。映っている自分の姿が、なんだかとても惨めだった。

 しばらくして、二人は試着室の付近から離れていった。
 4番はそっとカーテンから顔を出して様子を伺い、近くに居ない事を確認し
て、ため息をついた。
 その時、すぐ横でカーテンを開く物音が聞こえた。振り替えると、隣の試着
室から、同じように顔を出して様子を伺っている男が居た。立ち聞きして喜ん
でいるわけではないのは、ゲッソリとした表情でわかる。
 だが、あそこまで強烈にイチャイチャされたら、普通の神経では堂々と出て
いけるものではない。
(あんたも災難だったな…)
 見ず知らずの男と"4番"の気持ちが、完全にシンクロした瞬間だった。

 『あいつら』まで、このショッピングセンターに来ているのは、完全な誤算
だった。どうも遭遇は避けられないらしい。4番は、少し時間をつぶす事で、
二人を回避しようと考えていた。
 だが、この世界に神が居たならこう言っただろう。
「これからが本当の地獄だ」
 と。





色々とお騒がせしました。
読んでもらえればわかりますが、こういう話です。

眞一郎と比呂美、そのイチャイチャを、彼らの友人ではなく
「あの子いいな…」って思っているだけの、完全に脈なし部外者の
視点で見てしまったら、一体どれほどの破壊力が…。
というネタSSですね。

4番の設定は、かなり厳しくしてあります。4番ファンの方には
申し訳ありません。酷い扱いですが、最後には救いが…たぶん…。

恋してる女の子は、何よりも綺麗です。彼氏の前だとさらに綺麗です。
しかもそれが比呂美。鬼ですね。
かわいそうな4番は、そんなのをあまりにも見せつけられたせいで…。
その上、比呂美・眞一郎との『異常エンカウント』フラグが
立ったまま。どこに行っても『なぜか偶然』会ってしまいイチャイチャを
強制的に見せつけられます。逃げられません。
姿を表せばストーカーになってしまうので、出るに出られません。
これほど酷い拷問はそうそう無いと思います(笑)

B-15というのは、バイト話からの通算ナンバーです。
バイトが14まで。これが15話目。あの続きという事で。

まあ、私が4番の立場になったら涙目でしょうね。
 (´Д` )シンイチロウ イイナー
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