4番の受難 その2


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【もう…だめだ…】 B-16 4番の受難 その2


(ここなら大丈夫だろう…)
 4番は映画館に避難していた。もちろん、映画を見る事が目的ではない。
 このショッピングセンターでの買い物が終わっていないのだが、あの二人を
警戒していては、落ち着いて買い物ができない。用足しに動き回って顔を合わ
せたくはないので、二人が去ってくれるまで時間を稼ぐ事にしたのだ。
 彼が選んだ映画は、小学校低学年向きのアニメ映画。たまに乃絵と一緒に映
画に来ると、妹が好んで見たタイプのものだ。妹は少し子供っぽい所があり、
それが可愛かった…。
 妹との思い出だけが理由では、もちろんない。仮にあの二人が映画を見よう
と思ったとして、こんな児童用アニメ映画なんぞをデート中に見るはずがない。
間違っても接触することはありえないだろう。
 映画代は少しもったいないが、これで2時間半は時間が稼げる。その間にあ
の二人が買い物を終え、ショッピングセンターから去れば良い。
 4番は後ろの方の席に陣取り、上映開始を待った。

 退屈な予告や宣伝が終わり、いよいよ本編開始となるその時。後ろの出入口
が開き、暗い場内に一瞬の光がさした。
(鬱陶しいな。入るならもっと前に入れよ)
 映画館で、本編上映中の光は勘弁してほしい。なんだかんだ言いつつも映画
(児童用アニメ)を楽しみかけていた4番は、また毒づく。乃絵に付き合って
見ていたものとはいっても、何度も似たようなアニメ映画を見ていれば、それ
なりに馴染んで楽しくなるものだ。
 だが、それなのに。
「比呂美、あそこ席あいてる」
 後ろから聞こえてきたのは、またしても仲上眞一郎の声だった。

(なんだとおおおおおおおおおおおお!?)
 激しく動揺する4番。
 辛うじて声を上げたり、体を動かす事だけは抑える。暗い劇場ではあるが、
見つかったら元も子もない。顔を伏せて彼らが遠ざかるのを待つ事にする。
(お前ら、デート中のくせに、アニメなんか見るんじゃねーよ! デートなら
デートらしく恋愛物でも観てこいよ! 何考えてんだ!)
 彼は知らなかったのだ。眞一郎が『絵本作家』志望であることを。
 劇場内はさほど混んでもいないというのに、二人はよりにもよって4番の2
つ前の席に座った。距離は1メートル強、目と鼻の先である。
 館内が暗かった事、顔を伏せていた事もないではないが、実際に発見されな
かった理由は、単に二人がお互いに夢中になっていたせいだろう。
 だが理由はどうあれ、気づかれなかった事だけは本当に運が良かった。「た
った一人で児童用アニメ映画を観ている男」などというレッテルは、間違って
も貼られたくなかったから。

「ごめんな、こんなアニメに付き合わせて」
 眞一郎は比呂美の耳元に顔を寄せ、ささやいた。さすがに映画館で、普通の
声で話す気はない。
「ううん。眞一郎くんの参考になるし、私もちょっと懐かしいなって」
 今度は比呂美が顔を寄せ、小声で返す。比呂美の息が耳にかかり、少しくす
ぐったかった。眞一郎の顔が緩む。
「でも、恋愛映画とかの方が良かったんじゃ」
「ん…。そういうの、まだちょっと恥ずかしいから…」
 比呂美は羞じらい、小さな声で言った。

(何が恥ずかしいだ、このバカップル)
 二人の声は小さい。交互に顔を寄せ合って話す姿はとても微笑ましいが(4
番的には呪わしく)、間近に居る4番でさえ、必死に耳ダンボにならなければ
会話の内容までは聞き取れない。
 だがなぜか、気になって仕方がない。聞き取ろうとしなければ聞こえない会
話であるはずなのに、さっさと移動すれば済む事なのに、それでも聞くまいと
思いつつ、聞き耳を立てる4番だった。
 なぜそんな事をするのか。その理由は4番自身にも良くわからなかった。

「ね、眞一郎くん。あのキャラクター可愛いよ」
 比呂美は目を輝かせた。どうやら彼女のツボに入ったらしい。
 気に入ってもらえて良かったと、眞一郎はホッとする。児童用アニメ映画を
デートで見るというのは、眞一郎にとってもちょっとした冒険だったのだ。
 少しだけ背伸びをして、恋愛映画でも。年相応にアクションでも推理でも見
れば良かったかもしれないと、今この瞬間まで、彼は思い続けていた。
 比呂美が、気づかってくれたのだ。一度だけ雑談で話した、このアニメの事
を覚えていて、映画館の入り口で比呂美からこの映画の方に歩いて、選んでく
れた。眞一郎のために。
 その事があまりに嬉しくて、実際の所、映画の内容などあまり眞一郎の頭に
は入ってこなかった。入るわけがなかった。
「…の方が可愛いよ」
 彼はボソっとつぶやいた。
「え?」
 比呂美が聞き返す。
 眞一郎は慌てた。比呂美に向かって言った言葉ではなかったから。
「いや、あの…。比呂美の方が…」
 問われて答えないわけにはいかない。言い直した。
 さすがにセリフがセリフである。言った方も、言われた方も、カーッっとな
ってうつむいてしまった。
 しばらくそのままだ。映画の内容など目に入るものではない。
「あの…さ…」
 眞一郎は、少しだけ勇気を出して、言った。
「うん」
「手、握っていいかな…」
「うん…」
 眞一郎は左手で、比呂美の右手を握った。
 最初は普通に握り合うだけ、だがすぐに、それでは物足りなくなる。指と指
を交互に絡めるように、手の平を合わせて握り直した。
「ぁ…」
 比呂美が小さく声を上げる。こんな手の握り方は、家の外ではしないのに。
映画館の暗さが、少しだけ眞一郎を大胆にさせているらしい。
 そして二人は、肩と肩を触れ合わせるように、近づいて座りなおした。今ほ
ど映画館の手すりを邪魔に思った事は、二人ともなかった。
 比呂美にしても、ほとんど時間つぶしのために4番と見た映画とは、何もか
もが違っていた。お互いに想いあい、いたわりあう事の素晴らしさを、映画の
見方1つでさえはっきりと感じ取る事ができた。
 4番は親切ではあったが、結局心が通い合う事はなかった。唯一、彼とかす
かに心が通じたように思えたのは、祭りの翌日。神社での別れの瞬間、その一
瞬だけだった。
 比呂美は、自分の選択が間違っていなかった事を、無上の喜びと共に、改め
て実感していた。

(もう…だめだ…)
 10分ほどの葛藤の後、4番は結局途中で映画を抜けた。肩をガックリと落と
している。精神的ダメージは甚大だった。
 あの二人が肩を寄せ合って映画を見ている、たったそれだけの事が、なぜこ
れほどのダメージを自分に与えるのだろう。
 そもそも、さっさと抜ければそれで済んだ事だ。聞き耳を立てる必要も、全
くなかった。それなのに、グズグズと残ってしまったせいで。そんな自分が、
4番は不思議で仕方がなかった。
(まあ、それはそれとして!)
 彼は、無理やり自分の心を上向けようとした。
 二重に予定外ではあったが、とりあえず2時間ほどは自由に動けるだろう。
頑張れば、用は済ませられる。考えようによっては悪くない。
 必死でポジティブな精神状態を保とうと、彼はそんな事を自分に言い聞かせ
た。だが…。とてもむなしい。ひどくむなしい。この、心に開いた穴のような
感覚は何だというのだ?


 映画館から抜けた後、ショッピングセンターでの買い物を、4番はなんとか
2時間内に済ます事ができた。そこで一旦、帰宅する。今は無性に乃絵の顔が
見たかった。
 だが…。間の悪い事に、家に帰ると乃絵はいなかった。書き置きによると、
友達と遊びに行ったらしい。
「あいつ、変わったな…」
 深い溜息とともに、4番はひとりごちた。
 こんな時に乃絵の顔すら見られないとは、と、彼は何者かを呪った。

 乃絵の骨折はだいぶ良くなっている。まだまだリハビリはしなくてはならな
いが、杖を使って、妹は元気に動き回っていた。気が付くと友達まで出来てい
るようだった。
 妹との距離は…、離れた。あれから、自然に。
(俺が、あいつを縛っていたんだよな)
 たった一人でカップのソース焼きそばを食べる彼に、乃絵のいない居間が、
否応なしに現実を突きつけていた。
 人を強く想うと、人を失った時に悲しい。だから人に心を開かない。そうな
ってしまった乃絵を、彼は叱咤してやらなかった。勇気を与え、人の輪に戻し
てやらなかった。
 ずっとそうであるなら、自分から離れて行く事はないから。妹を溺愛してい
る身にとっては、あまりに都合が良い、乃絵の依存だったから。乃絵がずっと、
他人に大して臆病なままならいいのに、とさえ思った。
 その乃絵は眞一郎に惹かれた。そして一度他人に心を開く事を覚えた妹は、
二度と自分の傍に戻る事はなかった。
(このソース焼きそば、不味いんだよ!)
 乃絵が傍にいない事。その事で、まだ心が痛い。
 特に、仲上眞一郎と湯浅比呂美が、あれほど楽しそうに過ごしているのを見
せつけられると。…いや、それを覗き見てしまったせいで、なおさら。

 ふーっと息を吐く。タバコでも吸えるものなら、吸いたい気分だった。彼は
タバコの匂いが大嫌いだったのだが、映画ならそんなシーンだろうな、と思え
るような気分だったのだ。
 空白になった頭の中を、突然、湯浅比呂美の笑顔が走った。なぜか心臓が苦
しくなり、鼓動が強くなる。
 おかしな話だった。自分が愛しているのは乃絵だけのはずだから。彼は、必
死で自分の中の違和感を振り払おうとした。考えがぐるぐると頭の中を巡り、
かといって頭の整理もしきれない。そして、乃絵もいない。
 女遊びをする気にはなれなかった。昔の『彼女』という名のセフレを呼び出
せば発散できるかどうか…。いや、それも無理だろう。頭の中に浮かぶのが乃
絵、そしてなぜか勝手に浮かんでくる湯浅比呂美、という有り様では、他の女
でどうにかなるものではない。
 体を動かさないと、と彼は思った。モヤモヤとした気分とストレスを発散さ
せるために、ガムシャラに運動したかった。
(泳ぎに行くか…)
 得意のバスケをするためには、場所も仲間も時間もない。
 単独・短時間で体に適度な負荷をかけるため、彼は市内の温水プールに泳ぎ
に行く事がたまにある。体をなまらせないためにはなかなか有効な方法で、こ
の時期は客も少なく泳ぎやすい。夏のように、人と人の間に水がある時は、色
々考える必要はあるだろうが。
 要するに、何度も何度も見せつけられて、4番は参っていたのである。


 まだ雪の残る2月だけの事はあり、温水プールで泳いでいる人は少なかった。
おそらく全部で10人もいないだろう。邪魔な子供もいないため、4番はこれ幸
いと猛烈に泳ぎ始めた。
 入り口から遠い側、一番端のコースを事実上占領し、上がる息をねじ伏せる
ように泳ぐ。短いインターバルの自由形でとにかく距離を稼いでいく。頭の中
が真っ白に、カラッポになっていく感触が、彼は好きだった。1時間も泳げば
ほとんどの悩みは吹き飛んでしまう。これだから水泳は良いのだ。
 30分ほど泳いだ後、ふと更衣室に続く入り口を見た時、彼はそこに信じられ
ないものを見た。

(なぜ、お前がここにいる)
 仲上眞一郎が、更衣室から出てきたのだ。
(ありえない。何かおかしくないか?)
 その疑問は当然でありすぎた。ショッピングセンターと温水プールは距離が
ある上、2月なんかに泳ぎに来る物好きは、それほど多くはない。ものすごく
不自然だった。
 そう、不自然ではある。疑問も持ってはいるものの、さすがに4番もその不
自然さに慣れてきていた。思考が止まるまでには至らない。
 だが、迷っている時間もなかった。さっさと出ていなかければ、あまりよろ
しくない事になる。
 今の彼は、黒いゴーグルをして目元を隠し、シリコンのキャップをかぶって
いる。水着は、競技用までは行かない競泳用のもので、とりたてて個性のある
ものではない。話しかけたりゴーグルを外さなければ発見される事はないだろ
う。見つかる前に退散する事は十分に可能である。
 それでも当初の目的通り、猛烈に泳いで目を引き付けてしまえば、正体バレ
を引き起こす可能性は相当に上がってしまうだろう。

 4番は迷った。この状況はあまりに面白くなかった。一日で4回目の遭遇で
ある。無駄に頻繁に遭遇するようになってからこのかた、さすがにこれほどの
回数を重ねた事はない。
(先に来ていたのは俺だ。なぜ俺が逃げたり隠れたりしなきゃならないんだ)
 あまりの理不尽さに、4番は居残る事に決めた。
(長居はしない。あまりにおかしいから、少しだけ残るだけだ)
 彼は心の中で、そう言った。もちろん建前である。自分の心の中でまで建前
を必要とする、今の4番だった。

(出る前に、湯浅比呂美の水着姿ぐらい拝ませてもらっても良いだろう)
 付け加えるように心の中でつぶやく、これが4番の本音だった。さっきの映
画館で、グズグズと居残り、必死に会話を聞き取って、自分から甚大なダメー
ジを受けた事を、彼は忘れようとしていた。
 軽く流してコースを往復しながら、プールの奥側のサイドから、更衣室側の
サイドにさりげなく移動していく。心の中でどれほど言い訳しようとも、今の
4番は比呂美の水着姿を見る気満々であった。
 少し泳いで小休憩、という演技をしながら、顔はコースに向けたままで目だ
けを動かす4番。外から視線の見えない、黒いゴーグルが便利だった。内心で
はもうドキドキしながら、彼は女子更衣室の方を伺っていた。
 もしこれで、自分から遭遇の機会を作っていたならば、立派なストーカーで
ある。現時点でさえ相当怪しい状態ではあるが、彼はあえてその事を無視した。

 待つこと数分、ついに比呂美が現れた。右手をぎゅっと胸元で握りしめ、お
ずおずとプールサイドに入ってくる。
 競泳用ではない、少し濃い紫色のホルターネック、下はハイレグ気味の、セ
パレートの水着である。過度に派手ではないし、特に場違いと言われるほどで
はないだろう。現にこの温水プールには、似たような水着を着た女性も2人居
た。
 だが、バスケで鍛えた比呂美はスタイルが違った。女子水泳選手の、肩が張
ったガッチリとしたスタイルとも違う。細くしなやかで、手足の引き締まった
伸びやかな姿であった。
 紫色も、彼女には良く似合っていた。人にはイメージカラーというものがあ
り、それが自然にその人を引き立てるものだ。
 その姿は、ただの市営プールの中では目だちすぎた。男たちの泳ぎが次々に
止まり、目が泳いだ。もちろん4番も含めて。

 この場で唯一、比呂美の水着姿を堂々と見る事のできる立場である男は、心
を奪われたような視線で比呂美を見ていた。
「あの…。眞一郎くん、これちょっと恥ずかしいよ…」
 比呂美は、両手で胸を隠すような仕草で、少し内股気味に、恥ずかしそうに
している。
「比呂美…」
「ん…」
「すごく綺麗だ」
 眞一郎の素直な感嘆の声ではあったのだが、それを聞いた比呂美の顔が真っ
赤に染まる。一日に何度赤面しているか、数えてもいられない比呂美だった。
「いや、あの。ほら、今までじっくり見せてもらった事なかったし。なんだか
モデルみたいで…」
 眞一郎は、その様子を見て慌て、必死で言葉を重ねた。
 実際に比呂美のスタイルは、そこらの雑誌モデルにひけを取るものではない。
手足の長い骨格に、適度に鍛えられた筋肉は、年ごろの少女の体型としてはほ
ぼ理想的なものと言えた。マスコミに乗せられてダイエットばかりに頭が向き
がちな、よくいる女子高生とは違うのだ。
「もう、知らない」
 比呂美は真っ赤な顔をそむける。その仕草があまりに可愛らしく、比呂美だ
けでなく、眞一郎までがどぎまぎとしてしまった。

(おおっ!)
 二人との遭遇をウザがっていたのはどこへやら。心で感嘆の声を上げる4番
だった。
 水着というだけで今までうじうじ悩んでいた事がすっかり棚の上に放り上げ
られているのは、彼が男だからなのか、彼が4番だからなのか。ともかくスケ
ベである事には間違いはなかった。

 眞一郎は、照れ隠しに周囲を見渡す。
「あー…。プール中の人が比呂美を見てる…」
 これだけの美しさなら仕方のない事とはいえ、視線が集中している比呂美が
少しかわいそうな気もした。
「これ選んだの眞一郎くんだからね…」
 比呂美が上目遣いに、軽くにらむ。本気で怒っているわけではないが、恥ず
かしい事には変わりがない。
「似合うと思ったんだけど、似合いすぎるとは思わなかった」
 眞一郎の本音である。
「馬鹿…」
「もう一つの白いビキニは?」
「あんなのダメ! 部屋の外では絶対着ないからね」
 さすがにあわてる比呂美だった。
「そうか、ちょっと残念…」
「えっち」
 拗ねたように言われたこの言葉は、強烈な破壊力があった。彼の頭の中をグ
ルグルとその言葉が回る。
「と、とにかく、プールに入ろうよ。綺麗すぎるのも目の毒なんだな」
 体の一部に異変をきたし始めた眞一郎は、慌ててプールの水に腰を沈めた。
見つかってしまうと、さすがにカッコ悪い。
「もう…」
 比呂美は、伸ばされた眞一郎の手をとり、プールの中に降りていった。

(あああああ…)
 その一部始終を見届けた哀れな4番は、かつてない後悔にさいなまれていた。
ゴーグルの上から、額の上に手の平をあて、顔をうつむかせる。
 何度か見たバスケ中の比呂美も綺麗だったが、今日の水着姿は一際輝いてい
た。
 引き締まって丸みの控えめな身体のラインは、大人とも子供とも違う。少女
特有の危ういバランスで、衝撃的なまでの美しさを比呂美に与えていた。少な
くとも4番は、今までにあれほど美しい身体は見たことがなかった。
(抱いておけば良かった…)
 4番は、あと少しで比呂美が自分のものになりかけた、あの夜の駆け落ちを
思い出していた。

 ここに至って、やっと、4番は自分が比呂美に惹かれている事を認めた。も
う認めざるを得なかった。今日これほどまでにグズグズとした態度を取り続け
た事についても。だからこそ、だったのだ。
 一体いつからか…。はっきりと思い出すのは、あの言葉を言われた時の事だ。
『あなたが好きなのは、私じゃない。あなたには、あの子以外の事はどうでも
いいのよ。なぜわからないの』
 湯浅比呂美は、その時、4番の心の奥底まで見通し、彼の心を鋭く抉った。
 一方的な『契約』と、得意とした揺らいだ女性を落とす技術、その時それは
無効化された。鎧も武器も失った4番は、素の自分を比呂美に暴かれてしまっ
た。そして、比呂美が今まで知った女達とは根本的に違う事を、思い知った。
 あの眼で睨まれ、失恋が確定した瞬間。全てが終わった瞬間。比呂美に敗北
した瞬間に、敗北したからこそ、彼は恋に落ちたのだ。
 だからそれを認めたくなかった。乃絵への想いだけが理由ではない。恋を認
めると、失恋も認める事になるから。だから認めたくなかったのだ。

 今から思えば、あの駆け落ちの時には、すでにかなり惹かれていたのだと思
う。比呂美には、ただそこに居るだけで男を狂わせるような、不思議な色気が
ある。その時はまだそれだけで、彼女の芯にある強さに惹かれたわけではなか
っただろうけれど。
 あの二人の、お互いへの想いの深さは、最初から理解していた。乃絵に対し
て禁断の想いを抱く自分だからこそ、それと同質の悩みを敏感に感じ取れたか
らだ。湯浅比呂美と仲上眞一郎は、よほどの事がなければ、お互いの事を諦め
る事はないだろう。そこも自分と同様だった。
 だが自分は、乃絵が眞一郎に抱かれてしまえば、乃絵を諦められると思った。
ならば、比呂美も多分、同じ。悩みが深くなった時、眞一郎を諦めるためだけ
に、身を投げ出す瞬間があるはずだ。そこまで追い込めばいい。そうなればも
う、眞一郎の元には戻れないだろう。
 妹に最大の援護を。自分は妹を失う代わりに、いくばくかの慰めと快楽を。
それだけは得られるはずだったし、眞一郎と乃絵が付き合う事で苦しみながら
も、そのために動いていたはずだった。

 焦り過ぎたのだ。じっくり待てば、いくらでも機会はあったはずだ。それな
のに、状況を確定させる目先のチャンスに食いつき、夜中にバイクを乗り出し
てしまった。
(あの時、夜に出ていかなければ…)
 それでも集中さえしていれば、雪の溶けた道路でのウサギの飛び出し程度、
自分ならば事前に発見か予測し、対処できたはずだった。
 バイクの運転に集中せねばならない状況で、背中に感じる胸の膨らみや、そ
の夜に訪れるはずの快楽に気をとられ、彼は前を良く見ていなかった。
 誰にもこんな事は語っていない。語れるわけもない。それは彼だけの知る、
事故の真相だった。

 結局あの事故が、一瞬で全てを決めてしまった。あの瞬間に全ての流れが変
わったのだ。
 乃絵と眞一郎の糸が切れ、眞一郎と比呂美は急速に接近した。かくして、4
番の目論見は一瞬で潰え去り、もはや抗う事もできなかった。自分のスケベ根
性が呼び込んだ、まさに自業自得としか言いようのないミスだった。
 セックスから始まる恋愛だってある。あの時ミスしていなければ、少なくと
もあの見事な身体ぐらいは…。
 4番の後悔は、晴れなかった。脳裏に焼き付いた美しい水着姿が、いつのま
にか、あの夜の続きの挫折となって彼を苦しめていた。


 プールからの帰り道、後悔と嫉妬と興奮で、4番はすっかり憔悴しきってい
た。精神的な疲れを、体の芯からの疲れとして感じてしまう。
 そんな彼の目に、今川焼き屋の看板がうつった。
(甘い物でも食べるか…)
 彼はバイクを止め、今川焼き屋の暖簾をくぐった。





二人のイチャイチャを見て、フルボッコ涙目な4番、という一発ネタで
書き始めたはずが、かなり書き込んでしまいました。

その1では、4番がボコられる状況は偶然です。
その2では、4番は自分からボコられています。
2の最後でついに認めた事で向き合う事になるかどうか?
でも、彼が成長するためには、一つ大事な事が欠けています。
下手に刺激されすぎて、最悪な思考に戻ってしまっていますが、あれは揺り戻しです。


たぶん、TV本編での彼の決着の付け方に、納得していなかったのでしょう。
あれだけ引っ掻き回しておいて、あの程度の罰では生ぬるいというか…(笑)
基本的に乃絵と病根は同じなのですが、4番は解決しきっていないとして
13話に至る精神的な流れを、やり直す感じになっています。

このシリーズでは、4番を膨らませ、崩しもしてあります。
元々彼は、自分が認めた人間にしか興味を持たない感じがありますが
本編中で比呂美に睨まれてから学んだように、ガツンと喰らって
挫折によって大きく学ぶタイプの人、と考えたわけです。

だから比呂美に睨まれて敬意を抱き、『バイト』では眞一郎に
一喝されて眞一郎を認め、と、挫折するたびにマトモになるわけです。

その線で行くと、変態さんである彼がマトモになるためには
そりゃもうボッコボコにされる必要が…(笑)
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