眞一郎の絵 その1


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【絵、見ていい?】 B-14.5 眞一郎の絵 その1


『モデルになってほしいんだ…』
 あの夜、眞一郎が言ったから。だから。


「服、何がいいの?」
「下はズボンがいいな。上は、なんでも。…んー、できるだけ明るい色の方が
いいかも」
 眞一郎の指示は、それだった。
「明るい色?」
「うん。光の当たり具合、影が見やすいから」
 少し迷って、比呂美は上はピンクのセーター、下は白いジーンズに着替える。
「これでいい?」
「うん。ありがとう」
 眞一郎はニッコリと笑った。

 初めてのデッサンモデル。比呂美には何をしたら良いのかわからない。適当
に言われた通りのポーズをして、動かないでいればいいのかな、ぐらいの事し
か考えつかなかった。
 それは眞一郎も同じだった。人をモデルにして、本気のデッサンをした事は
ない。どんな指示を出して良いかも、あまり良くわかっていない。思いついた
事を言うしかないから、きちんとしてなかったらごめん、と謝ってくる。
「できるだけ、手早く描くから。なるべく動かないで欲しいけど、疲れると思
う。無理しないで言ってくれ」
「うん」
「しゃべっても大丈夫だから。ごめんな、苦労させて」
 そういう不器用な気遣いは、やはり眞一郎のものだった。

 比呂美はソファに腰掛け、両手を膝の上に揃えて座った。これなら疲れない
だろうと、眞一郎がそのために指示したのだった。
「できるだけ、あの部屋の角あたりを見るイメージで。目を描く時以外、目は
動かしてもいいから。ごめんな」
 眞一郎は比呂美の前を行ったり来たりしながら、斜め前に座った。そこが綺
麗に見えるようだ。
 寂しいのは、見る場所を固定すると、眞一郎が描いている姿が見えない事だ
った。目を動かすと悪いかなと少し迷いはしたが、目だけは動かして、彼の様
子を見る。理由もなく、比呂美は少し、不安だった。

 眞一郎は座布団の上にあぐらをかいて、スケッチブックに鉛筆を走らせ始め
た。
 彼の視線が、スケッチブックと比呂美を頻繁に往復する。鉛筆を持ち上げて
長さを計ったりもしている。顔は真剣そのもので、そんな彼の眼は、比呂美は
今までに見た事もなかった。衣服も何も透徹しきって丸裸にするような、そん
な眼。恋人を見る眼では、絶対にない。
 性的な要素は視線に感じない、むしろ真剣すぎるぐらいだが、そんな眼でじ
っと目を細めて自分の身体を見つめられ、さすがに居心地の悪さを感じてしま
う比呂美だった。他人にこれほど身体を眺め回された経験は、彼女にはほとん
どない。
 緊張と不安に耐えかねて、比呂美は声を出した。
「ねえ…」
「ん?」
「なんで、人体デッサン、しようと思ったの?」
 眞一郎の返事は、しばらくなかった。
 それでも鉛筆を走らせる手は止めない。比呂美はまた少し、不安になった。
「限界…。だったから」
 ポツリと答えが帰ってきた。
「限界?」
 思わぬ言葉に比呂美は驚き、顔ごと振り向いた。
「悪い、顔、戻して」
 すぐに指示が来る。比呂美はあわてて顔を元の方向に戻した。
「ごめんなさい…」
 大丈夫、と眞一郎は微笑んでくれた。
「…人間を描こうとしても、俺は人体を知らないから。写真や絵を元に人間を
描くだけだと、絵が嘘になるんだ」
 少し細かく説明してくれた。その間も眼と手は止めない。
「そうか…。そうだね」
 納得はする。
「でも、眞一郎くん、上手いのに」
「俺は、下手だよ」
 断言する眞一郎だった。
 わからなくはない気はした。彼の目標は『作家』であり、それには力が及ば
ないと、そう言いたいのだろう。
 彼の手も、視線も、全く止まる事はない。それでも悪い事を言わせたかな、
と気になってしまい、ちょっと気まずく感じてしまう比呂美だった。

「なんで…、私にモデルを頼んだの?」
「ん…。頼みやすかったから…」
 心の中で、思いっきりガクっと来る比呂美だった。
 恋人、という立場上、一番頼みやすいというのは事実である。だが、それで
はあまりに…。
「それと…」
 眞一郎は続けようとして、言葉と手を止めた。手が止まったのは、描きはじ
めてから、初めてだった。
「…比呂美が、綺麗だから」
 彼は少し顔を赤くして、照れ隠しのようにまた絵を描きはじめる。
「そう?」
 少し嬉しくなって、聞き返す。
 デッサンが始まってからピリピリしていたのに、初めて眞一郎から温かい感
情を感じた気がしていた。
「お前、スタイルいいんだ。手足長いし、スレンダーだけど出る所出てるし…」
 身体を見られながらそんな事を言われると、またそれはそれで恥ずかしい。
顔をうつむけてしまう。
「ごめん、顔あげて」
 即座に突っ込まれ、あわてて顔を上げる比呂美。これは大変だ。
「モデルは、できるだけ綺麗な方がいいと思う。描く意欲が全然違うから」
 話しながら描くペースが掴めてきたようで、眞一郎の口は、少し滑らかにな
っていた。普段より素直に感じるのは、絵に集中しているせいだろうか。
「お前ぐらい綺麗な子は、あまり見ないしね。ほんとに助かる」
(そんな事を真顔で言わないでよ)
「お世辞言いすぎ…」
 恥ずかしくなってしまう。嬉しいが、少しだけ困ってしまう比呂美だった。

 1時間ほど後、眞一郎は終わったと声をかけてきた。初めてだったせいか、
思ったより時間がかかったと、眞一郎は謝ってくる。
 座っているだけだというのに、身体のあちこちが強ばってしまい、比呂美は
強い疲労感を感じていた。それは、身体を固くしていただけではないだろう。
たぶん、眞一郎の視線が大きい。人の視線には重さがあるんだな、と彼女は感
じていた。
「ごめんな、疲れただろ」
「大丈夫」
 それでも比呂美は、笑顔で答える。
「絵、見ていい?」
「うん…」
 少し口ごもりながら、眞一郎はスケッチブックを渡してくれる。そこに描か
れていた自分は、想像していた以上に良く、綺麗なものだった。嬉しいが、す
こしむずがゆい。
「とっても綺麗に描けてるね」
 ところが眞一郎の顔を見ると、彼は複雑そうな表情をしていた。
「うーん、これじゃ…。比呂美に絵が負けてる」
 すごい事を言っている割に、眞一郎は真剣だった。全然満足していない様子
である。
「肩凝ったろ。横になって。マッサージしてやる」
 自分自身、集中して絵を描く事で疲れているはずなのに、比呂美の方が心配
になるらしい。
(優しいのね…)
 比呂美は、眞一郎の気遣いに甘える事にした。

「あれだけ描けてて、ダメなの?」
 うつぶせになってマッサージを受けながら、比呂美は不思議に思った事を聞
いた。
「うん。あれじゃダメだ。骨も間接もしっかり入ってないように見える。せっ
かくお前がモデルしてくれたのにな」
「そう…」
 眞一郎は少し沈んでいるが、彼の手がほぐしてくれる肩や手足は、とても心
地よかった。
「ね、だったら、モデル続けようか?」
「いいのか?」
 眞一郎の手が止まった。振り返って見てみると、顔が輝いていた。
 そんな顔を見るだけで、比呂美は嬉しくなる。言い出してみて、良かったと
思った。
「うん。いいよ」
「ありがとう」
 眞一郎は、再び、比呂美の強ばった身体をゆっくりと揉み解していく。
「お前がモデルをしてくれるなら」
「うん」
「たぶん俺、高く飛べるような気がする…」
 夢か詞を呟くような、眞一郎の言葉だった。
 比呂美は照れた顔を伏せて隠した。この言葉がどれほど嬉しいか、眞一郎に
はわかっていないかもしれない。でもそれを胸に、ずっと生きていける気がし
た。


 結局、眞一郎のデッサン、比呂美のモデルは日課となった。
 眞一郎が絵を描くのもだんだん手早くなり、比呂美はポーズを取る事に、見
られる事に慣れていく。デッサン中に寡黙になったり、冗舌になったりする眞
一郎との会話も、いつの間にか気楽に楽しめるようになっていた。
 照明も室内の蛍光灯だけでなく白熱電球が加わったり、椅子や持ち物等の小
道具が加わったり、ポーズも色々と工夫されていく。二人が慣れるに従い、そ
れは共同作業としての色彩が濃くなっていった。
 だが、何より変わって来たのは、比呂美の眼と、眞一郎の腕だったかもしれ
ない。
 眞一郎の絵は急激に上達をしていき、比呂美が絵を見る能力も同時に急上昇
した。眞一郎がダメだと言う時は言われる前にそれがわかるし、初期の作品の
拙さも今ではよくわかる。
「ほんとに、上手くなったね…」
 眞一郎の絵や、透徹する視線に込められた『愛情』や『想い』が、今の比呂
美は直接に理解できるようになっていた。眞一郎の視線は、時に熱く、時に温
かく、比呂美を見守り、比呂美を捉えている。
 そう、彼の眼は比呂美だけを見ている。だからもう比呂美は冗舌な沈黙が寂
しくないし、視線が怖くもない。
「お前が居てくれるから。お前がモデルをしてくれてるからだよ」
 言葉だけではない。眞一郎は絵で語り、眼で語り、比呂美は姿形で語る。デ
ッサンの時間は五感を総動員した、二人の大切な語らいの場になっていった。

              ◇

「比呂美。あんた最近、やけに綺麗になってない?」
 部活の後の更衣室で、朋与が言った。
「そう?」
 比呂美が不思議そうに答える。
「気が付いたら、下着も大人っぽくなってきてるし、黒いストッキングなんて
履いてる。雰囲気もだいぶ変わってきたなって」
 それらは少しずつ変わっていった事だが、合わさって気付いたのだろう。
 いや、朋与の事だ。最初から気付いていて、今まで黙っていたのかもしれな
かった。
「ああ、これ。うん」
 比呂美は胸元のブラジャーに眼を落とす。前は飾り気のないものばかりだっ
たが、最近は確かにレースなどがあしらわれたものを好むようになっていた。
「仲上君と何か良い事あった?」
 控えめに探りを入れてくる朋与に、比呂美は笑って答えた。
「頼まれて、絵のモデルしてるから」
「それでか。まさかヌードモデルとか!?」
 大げさに驚く朋与。
「ううん、裸はまだ」
 苦笑して答える比呂美だった。
(『まだ』って何よ、『まだ』って!)
 朋与は心の中で突っ込んだが、さすがにそれは言葉に出さない。
「じゃあ下着モデル?」
「普通に服着てるわよ」
「なんだ、つまらない」
 何かを期待していたらしく、肩を落とす朋与だった。

 ガッカリさせて悪いと思ったのか、比呂美が少し打ち明けた。
「近々、水着モデルはやるけどね」
「どんなの?」
「白いビキニがいいって。今度買いにいくの」
「うわっ、それ大胆。白って」
 朋与がまた目を輝かせる。
「色がついてないほうが影がわかるからって言ってた。たぶん石膏像みたいな
ものかな」
「恋人を石膏像扱いですか!」
 朋与が突っ込む。
「骨のつき方とか、間接の形とか。筋肉の具合とかが、服の上からじゃわから
ないって。最近悩んでたから」
「専門的すぎて色気がないなあ…」
 朋与はまた、少しガッカリしたようだ。
「何、期待してるのよ」
 比呂美が苦笑する。
「いやー、あんたがこんなに色っぽくなってるのに、あまり進展ないんだなと」
 朋与は悔しそうに言った。実際、昨年末に比べると、比呂美の色気は3割方
増しているように思うのに。

 比呂美は、ただ穏やかに笑っていた。





B-14.5とあるように、『バイト14話(未発表)』と『B-15 4番』の間に入る
話です。

冒頭は『バイト14話』で描かれる事。白いビキニは『4番2話』にセリフで
出てくるものですね。あれはデッサン用だったんです。
バイト13話では閉じていなかった、『二人で協力して、眞一郎が飛躍するための
仕掛け』がこれになります。

珍しく、ほぼ比呂美視点オンリーです。
激しい場面じゃなく、大して起伏もなく、淡々と。

もし文章で「ただそこにいるだけで色っぽい」という比呂美が少しでも表現
できていたなら、幸せです。

ビキニでのデッサン話は書くのかなあ。ちょっと不明。
絵シリーズは、基本的に一話完結のつもりで、ネタを思いついたらちょこちょこと。
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