true MAMAN 最終章・私の、お母さん~第十幕~


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(やっぱりな・・・・)
 三代吉は病室に入ってすぐ、そう思った。
 朋与の様子を見れば、比呂美がどうなっているか予想はつくというものだ。
 比呂美は何も言わずに泣いていた。もう自分を責める言葉も、詫びる言葉もない。ただ、
涙を流し続けている。
 愛子とあさみはそんな比呂美に、それでも言葉をかけてはいたのだろう。だが、今はそ
の言葉も尽きたようだった。
「比呂美ちゃん・・・・」
 愛子がそれでも比呂美に呼びかける。何か話しかけ続けなければ、比呂美が消えてしま
うのではと恐れているようだった。
「もう、いいの」
 比呂美の返答はこれだけだった。ついに会話を拒絶するようになってしまった。
「みんなももう、お見舞いに来なくていいよ。あさみ、もうすぐ受験でしょ?」
「あ、あたしは、大丈夫だけど・・・・」
 あさみが言い澱む。現実問題、大丈夫な筈がないのだ。この四日間、あさみは参考書を
開いてもいなかった。
「愛ちゃんも、大学があるんだから」
「あたしも、大学にはちゃんと行ってるから――」
「私は、一人でも大丈夫だから。慣れてるから・・・・」
「おい、湯浅――」
 三代吉が前に出てきた。彼は眞一郎の友人であり、今まで比呂美に何か言うのは控えて
いた。だが、眞一郎だけでなく、愛子や、あさみの心配を見てきた者として、そしてたっ
た今、朋与の苦悩を知った者として、比呂美一人が不幸であるわけではないと、一言言わ
ずにはいられなくなってきていた。
 だが、三代吉の言葉は、そこで止められた。愛子が前に立ち塞がり、必死な目で制止し
てきた。
「・・・・・・・・・くっ」
 愛子の言いたい事もわかるのだ。比呂美は本来なら、幸せの絶頂にいるべき身なのだ。
幼い頃から好きだった、人生でただ一人愛する男性の子供を宿して、しかも二人の間には
何の障害もない筈だった。ただ時期がほんの少しだけずれた事、発覚の仕方がこのような
形になった事が、比呂美を追い詰めているのだった。
(やはり眞一郎でないと駄目か)
 三代吉がそう思ったときだった。
 病室のドアが開いた。
「・・・・みんな、毎日ありがとう。申し訳ないのだけれど、二人だけにしてもらえるかしら」
 理恵子だった。

 愛子、あさみ、そして三代吉は病院を後にした。
「大丈夫かな、おばさん・・・・」
 あさみは振り返りながら、不安げに呟いた。
「――大丈夫。おばさんなら、絶対に」
 愛子は確信を持って、そう答えた。



「――先に、お医者様に会ってきたわ」
 理恵子の言葉にも、比呂美は表情を変えなかった。
「順調だそうよ。一時は危ない所だったけども、もう安定しているって。この分なら後二、
三日で退院できるそうよ」
「・・・・そうですか」
 他人事のような返事。
「本当によかったわ。後は定期的に診断を受けて、お医者様の指示に従っていれば、八月
には元気な赤ちゃんが生まれるそうよ」
 比呂美は無言。
「もう男の子か女の子かもわかるそうよ。教えてもらったらどう?」
「・・・・いえ、いいです」
「そう?私は教えてもらったのよ。男の子ってわかって、名前を考えようとしてたら、主
人が突然『これに決めた』って、それで眞一郎って名前に決まったの。私も義父も色々考
えてたのに、それでおしまい。拍子抜けしちゃったわ。比呂美ちゃんもそんな感じだった
んじゃない?お母さん何か言ってなかった?」
「・・・・・・・・そう言ってました」
 一言で答えた。眞一郎の「眞」は湯浅眞治から取り、比呂美の「比呂」は仲上比呂志か
ら取って名付けている。父親が互いの親友の名を取ったのだと教えられた。この名前が後
に、比呂美に実の父親に対しての疑念となるのであるが。
「でしょう?全く酷い話よね。比呂美ちゃんは眞ちゃんに名前決めさせたら駄目よ。あの
子、絶対凝った名前考えるから――」
「私、生みません」
 短く、力もないが、はっきりと口にした。理恵子は何も言わずに比呂美を見つめる。
 比呂美は目を合わそうとはせず、窓を見つめている。
「どうして?どうして生みたくないなんて思うの?」
 理恵子は落ち着いた声で問いかける。声に詰問する調子はなく、昨日までのような動揺
もない。
「せっかくの授かり物よ?後悔しない?」
「・・・・眞一郎くんに、迷惑がかかります」
 比呂美の答えは、理恵子の問いに対して、厳密には答えていない。
「眞一郎くんはずっと、絵本作家になりたくて頑張ってきたんです。最近では出版社さん
も評価してくれて、雑誌の挿絵とか、短い読み物も書かせてもらえるようになってきたん
です。もうすぐ夢が叶うんです。今眞一郎くんは一番大事な時なんです。私が邪魔しては
いけないんです」
 理恵子は口を挟まなかった。比呂美が全てを吐露するのを、待っているようだった。
「それに、こんな騒ぎを起してしまって、おうちにもご迷惑をおかけしてしまったし、こ
んな・・・・責任を自分で取る事も出来ないうちにこんな事するような女、眞一郎くんの側に
いるだけで眞一郎くんの評判に傷がつくんじゃ――」
「そうかもしれないわね」
 理恵子が口を開いた。比呂美がハッとしたように目を見開く。
「自分で責任を取る事も出来ないうちに他所様の娘キズモノにするような男じゃ、どうせ
碌な者ではないわね。その上勝手に自分の事だけ考えてあなたを安心させる事も出来ない
なんて、そんな人とじゃどの道この先幸せになんてなれないわ」
 自分の息子に対するとは思えない言葉。比呂美が信じられないという顔貌になる。
「いいのよ、比呂美ちゃんが庇わなくても。そんな価値ないんだから。どうせ深い考えも
なく、その場の欲求だけで比呂美ちゃんに迷惑かけたのでしょ。それでいざ比呂美ちゃん
が苦しんでいる時にはなんの役にも立たないんだから。やっぱり育て方を間違えたのかも
しれないわ。確かに、あんな頼りない子の子供なら生まないほうが後々いいかも――」
「そんな言い方しないで下さい!」
 比呂美の声に力が戻った。理恵子を見据え、視線を外さなかった。
「私と眞一郎くんは、そんないい加減な気持ちじゃないです。私は眞一郎くんの事を真剣
に愛していました。眞一郎くんだから私も受け入れることが出来たんです。そんな人の子
供を生まないほうが幸せになれるなんて、そんな事言わないで下さい!」
「――やっぱり、生みたいんじゃない」
 理恵子が言う。
 我が意を得たというように。
「そうなんでしょう?真剣に愛した男性(ひと)との間に出来た赤ちゃんだから、本当は
みんなに祝福される中で生みたいのでしょう?それが大騒ぎになって、それで眞ちゃんが
今みたいに悪く言われることが辛くて、それでこれ以上眞ちゃんが責められないために生
まないって言っているのでしょう?それを聞きたかったのよ」
 理恵子の言葉を聞きながら、それでも比呂美は
「でも、やっぱり・・・・それに、私はよくても、眞一郎くんやおばさん達まで悪く言われる
のは・・・・」
「言わせておきなさい、そんなもの。比呂美ちゃんが幸せになるなら他人の声なんて気に
もならないわ。それに・・・・」
 理恵子の声がやや低く、冷たさを増した。
「少なくとも麦端に住む限り、仲上を敵に回したらどうなるか、いくらでも思い知らせて
やれるわ」
 すぐに元の優しい声に戻り、
「だから比呂美ちゃんは何も心配しないでいいのよ。眞ちゃんだって、あなたを守るため
なら壁になり、傘になる覚悟はしている筈よ」
「で、でも・・・・私の為に眞一郎くんが犠牲になるのは――」
「眞ちゃんは犠牲になんかならないわ。大学にも行くし、絵本作家の夢も諦めない。大学
に行ってる間はね。卒業してまだプロになれないようなら、自分の家族の為にも見切りを
つけてもらうけど」
 理恵子はこの時点で、今まさに自宅で眞一郎とひろしが腹を割って話し合っていること
は知らない。しかし、昨夜ひろしと理恵子は語り合い、眞一郎と比呂美の為にしてやるべ
きことを確認した。ひろしが眞一郎を説得する事を、理恵子は疑っていなかった。
「何も心配しないで。私は二度と、あなたの幸せを邪魔しないし、誰にも邪魔はさせない
わ。眞ちゃんはまだほんの少し頼りないけれど、その分は私と主人で守ってみせる。だか
ら、安心して」
 理恵子はここで突然、クスリと笑った。比呂美の視線に気がついて
「ごめんなさい、今のは、義母の受け売りなのよ」
「眞一郎くんの、おばあさん、ですか?」
「知っているでしょう?私も、眞ちゃんを授かってから嫁いだのよ。最初のうちは義母は
冷たかったのだけど――」



 式を挙げてから四ヶ月が経っていた。
 理恵子は未だに、義母から無視され続けていた。
 仕方のない事だとは思う。自分は、少なくとも義母に望まれた嫁ではない。子供が出来
たから仕方なく迎え入れた嫁である。お腹の子が男子なので、跡継ぎとしてこの子はそれ
なりに大事にされるだろうが、もしかしたら自分は追い出されるのではなかろうかと、半
ば本気で考え始めていた。
 そうしたら乳母か使用人としてでも置いてもらえないかな、とさえ考えた。この際、妻
や母になれなくても、息子の世話が出来るならそれでいいと思った。理恵子の思考は、仲
上家での生活に疲れ、病み始めていた。
 そんなある日、突然義母から、今日の夕飯を作るように命じられた。
 既に妊娠九ヶ月であり、台所仕事は少しきつくなっていたが、初めて義母から台所を使
う許可をもらえたことで、理恵子は気負っていた。煮物、焼き物、汁物、一通りを献立し、
食卓に並べた。
 出来上がりは最悪だった。
 いつもの理恵子ならそんな失策はしない。数少ないチャンスに気負いすぎた事、調味料
や調理器具の違い、それに妊娠による味覚の鈍化など、さまざまなマイナス要因が重なり、
明らかな失敗作となっていたのだ。
 義父はそれでも無理して美味いと言ってくれた。ひろしも何も言わずに食べてくれた。
しかし義母は
『不味い時は不味いとはっきり言わないと、永劫に不味い食事を食べる事になる』
 そう言って早々に料理を食卓から引き上げ、義母が作り置いていた別の料理が食卓に並
んだ
 理恵子は泣きそうだった。最初で最後かもしれないこの機会を、全く結果を出す事が出
来ずに終わってしまった。義母の料理は美味しく、それが一層惨めだった。
 それでも、後片付けはしなければならない。失敗した料理を処分しようと台所に入ると、
義母が理恵子の料理を一つずつ、改めて口に運んでいた。
『奥様、そんなもの食べたら――』
『あなたの家では、みりんはあまり使わないようね?』
 理恵子の言葉は無視して、義母は問い質してきた。
『は、はい、家では、あまり・・・・すいません・・・・』
 図星だった。石川家では照りを出すのにみりんよりも水あめを使うことが多かった。そ
れも調理に失敗した一因だった。
『ガスの火力も違ったでしょう?』
『は、はい・・・・』
 理恵子の声は段々小さくなっていく。自宅ではもっと上手く作れるなど、虚しい言い訳
はしたくなかった。
 義母はそれ以上は何も訊かなかった。その代わり、こう言った。
『ガスの火力については、これから慣れていけばいいわ。子供が生まれてからなら、毎日
でも台所に立てるでしょう。調味料でうちに足りないものがあれば教えなさい。今のうち
から用意しておくから』
『え・・・・?』
『それから、次作る時は自分の慣れた味付けで作りなさい。これからは台所はあなたが預
かるのだから、誰に気兼ねする必要もない。あなたの味が仲上の味よ』
 わけがわからない。私が何を預かるって?
『それから、もっと堂々としていなさい。あなたは仲上家の嫁なのよ。あなたが自信なさ
気にしていると、従業員の士気にも関わってくる事を忘れないように』
『は、はい・・・・あの・・・・?』
 そこまで言った後、義母は自嘲するような笑みを浮かべた。
『ごめんなさい、私のせいよね』
 義母は理恵子に頭を下げた。
『私の態度があなたも、周囲の人間もおかしくしてしまったわ。あなたは何も悪くないの
に。本当にごめんなさい』
『そんな、奥さん、顔を上げてください』
『でも、もうしないわ。私は二度と、あなたの幸せを邪魔しないし、誰にも邪魔はさせな
いわ。比呂志はまだほんの少し頼りないけれど、その分は私と主人で守ってみせる。だか
ら、安心して』
『奥様・・・・」
『さ、片付けは私がやっておくから、あなたはもう休んで。立ち仕事で疲れたでしょう?』
 そう言って理恵子を台所から送り出そうとした。
『あ、それから――』
 義母は思い出したように
『私のこと奥さんって呼ぶのはもう終りね。もうあなたもこの家の奥さんなんだから』
 と言った。



 今でも、何故義母の態度が急変したのかはわからない。何かきっかけがあったのは間違
いないだろうが、遂にそれを教えてはくれなかった。
「私は、あなたに酷い事をしてしまったわ。家の中で独りにされる辛さは、自分でも知っ
ていた筈なのに」
「それは、もう・・・・」
 比呂美は今では、自分の側の非を認めている。理恵子が自分に敵意を持っていたように、
比呂美もまた理恵子と上手く折り合うという意識を持っていなかった。
 結婚当時の理恵子のように、少しでも認められる努力をしていたなら、今とは違う現在
(いま)があったかもしれないのだ。
「だからかしら、あなたの事を考える時、あなたのお母さん――香里だったらどうするか、
て考える癖がついたの。香里がしてあげたいことはなにか、こんな時、香里だったらなん
て言ってあげるのか、そんな風にね。
「でも、もうやめたわ」
 理恵子は姿勢を正した。比呂美を真直ぐに見つめる。
「私は私の思った通りを言う。今この世に生きている全ての中で、誰よりも比呂美を愛し
く想い、誰よりも幸せを願うのは私だと断言できる。その私が、今本当に願っている事、
それは――
「私はあなたの子供に逢いたい。眞一郎の子供ではなく、比呂美の子供をこの手に抱いて
みたい。母親になったあなたに、あなたの母親として色々な事を教えてあげたい」
 理恵子は穏やかに微笑んでいた。比呂美は泣いていた。しかし、その涙はさっきまでと
は違っていた。初めて、お腹の子を心から望んでいると言ってくれる人がいた。その喜び
の涙だった。
「ねえ、比呂美ちゃん、私は、世界中でもめったにいないくらい幸せな母親だと思わない?
息子の初孫と、娘の初孫、それが一度に生まれるのよ」
 理恵子は比呂美の涙をハンカチで拭った。優しく、優しく。
「比呂美ちゃん、眞一郎を選んでくれて、ありがとう」
 比呂美は頬に触れる理恵子の手を取った。
 とっくに諦めていた。どこにもいないと思っていた。求めても無駄だと思っていた。
 ずっとここにいた。
 私の、お母さんが。



 眞一郎は病院の前に立つと、もう一度、深呼吸した。
 バッグの中のスケッチブックを確認し、病院を睨む。
「よしっ」
 気合を入れ直し、病院に入っていく。
 病院に入った時、違和感を感じた。おかしい、騒がしすぎる。
 病棟に向かい、エレベーターを待つと、中から彼の母親が出てきた。
「眞ちゃん!」
「母さん、どうかしたのか――まさか、比呂美に何か!?」
「比呂美ちゃんが――いなくなったの」


                             了


ノート
義母の心変わりには勿論理由がありますが、ここでは語りません。そんな機会があったら記す事もあると思います。
元々比呂美と理恵子の間で、過去の清算は無意味だと思います。アニメ第9話である程度納得するものを、比呂美は得られたと思っています。
二人の間にある遠慮、または他人行儀な気遣いというものは、過去を清算したからといって乗り越えられるものではなく、また別の山を越える必要がある、というのが
このシリーズの骨子となっています。妊娠を絡めたのは、亡き両親(過去)から生まれてくる子供(未来)への比呂美の人生の転換です。
ところで、理恵子が比呂美に冷戦時代にしてきたことは、基本的に義母からされたことの逆になるようにしています。
自分が無視されたから口うるさいまでに干渉する、何もさせてもらえなかったから料理も、酒造の仕事も早い段階から手伝わせる、といった具合。
その一々が突っかかるような態度になり、比呂美の側が好かれることを放棄してしまった為(兄弟疑惑のせいもありますが)、完全に裏目に出た、という事です。

小ネタ・口調・台詞について
年長組(理恵子、ひろし、比呂美両親、ルミ)は、「~してる」と言わず「~している」と表記しています。それ以外の年少組(愛子含む)は「~してる」です
また、年長組と眞一郎、比呂美はラ抜き言葉を使いません。登場人物が他の職人さんより多いので、これである程度書き分けをしています。
眞一郎の両親の呼び方について
基本的にはアニメ準拠です。両親の前では「父さん、母さん」比呂美の前では「親父、お袋」これは少し格好つけているつもり
両親に対しても感情が昂ってくると親父、お袋になります

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