自作のウエディングドレス

 true tears  SS第二十九弾 自作のウエディングドレス

 比呂美はふたりの絵本のために結婚雑誌を買って来た。
 部屋で眞一郎と寄り添って眺めていても、実感が湧いてこない。
 眞一郎は比呂美に頼みごとをしてくる。

 眞一郎父は博、眞一郎母は理恵子、比呂美父は貫太郎、比呂美母は千草。



 眞一郎くんに竹林で告白された。私の部屋に戻ってシチューを食べてくれてから、眞一郎く
んはすぐに帰った。寝不足で疲れていたためで、翌朝には学校でホームルームの前にクラスメ
イトに交際を知られてしまった。私が眞一郎くんと一緒に下校しようと誘っていたので、約束
を守ってくれた。海岸では雪が降るという私の奇跡が叶って、眞一郎くんに携帯で写真を撮っ
てもらった。眞一郎くんは私とのキスを雪の海でするという決意を満たしてくれた。
 お父さんとお母さんのことを思い出していると、眞一郎くんは家族になろうとプロポーズを
してくれた。私が同意すると、雪が嫌いになった理由を訊いた。おばさんに眞一郎くんがお兄
さんと告げられたことだと教えてあげた。眞一郎くんは一緒に仲上家に行って私との結婚の承
諾を得ようと提案した。指を絡めるという恋人握りをしながら、おばさんと遭遇した。おばさ
んに指示されて居間で話し合っていると、おじさんは廊下で聞いていた。中に入ってから、ふ
たりは暫定的に結婚を認めてくれたのだ。でも正式には後日に改めてするだろう。
 私が持って来たアルバムを見ながら、仲上湯浅両家の過去を明かしてくれた。私はお母さん
の日記とお父さんとの会話で補足した。おばさんはなぜ私につらく当たっていたのかも教えて
くれていて、私は理解をしようと思う。四人の過去が眞一郎くんとの将来に役立つのがわかっ
たからだ。おばさんの闇を眞一郎くんは、私にも同じようにしていたのに気づいてくれた。
 おじさんとおばさんはお母さんが亡くなる以前のように仲睦ましくなっていた。おばさんと
私も台所で一緒に立てるようになり、後は少しずつ仲を深めてゆこう。
 付き合うきっかけになった竹林から、まだ二日しか経過していない。
 眞一郎くんは私の部屋で右隣にいる。私が買って来た結婚雑誌を見るためには近づかなけれ
ばならないからだ。狭いテーブルなので肩が当たりそうにもなる。
「俺が頼んだ結婚雑誌をありがとう。買うときに緊張した?」
 眞一郎くんはためらいがちに訊いてきた。
「眞一郎くんに教えられたようにファッション雑誌を挟んでみた。店員さんは気にせずにバー
コードを通してくれていたわ」
 私はにこやかに答えた。眞一郎くんの役に立てたのが嬉しい。
「そっちの本も見てみようかな」
 眞一郎くんはテーブルの上に置かれた本屋さんの袋に手を延ばそうとする。中身がわからな
いようになっているので、私は買った雑誌の内容を思い出す。『大好きな彼へのアプローチ』
という特集があった。ぺらぺらと立ち読みをしていたが、恥ずかしくなって買ってしまったの
だ。眞一郎くんに見られると今の状況に重ねられてしまう。
「ダメ」
 私は慌てて袋を奪って床に置いた。左手が眞一郎くんと当たって身体が熱くなる。あの本に
も書かれていたけど、寄り添っているときには意識してしまう。いつでも触れられる距離なの
が絶妙だからだ。さらに仲上家にいるときのように感情を押し殺さなくてもいい。
「女の子の服装にも興味がある。今度、見せて欲しいな」
「うん」
 眞一郎くんは視線を結婚雑誌に戻した。その姿を眞一郎くんに掛けるように要求されたメガ
ネ越しに眺めながら、絵本への意欲を探ってみる。真剣な眼差しでページをめくっていて、一
つ一つ視界に収めている。
「いろいろあるんだな。想像以上で、白でなくても良いようだ」
 眞一郎くんは紫のウエディングドレスを指差していた。他にも赤や青や茶などさまざまだ。
「お色直しとかもあるからね。でも私は白が良いと思う」
 色だけは指定しておこうと考えていた。眞一郎くんが来る前に雑誌の内容は確認してある。
「比呂美はどれが良いと思う? 参考にするよ」
「つまんない。眞一郎くんが選んで、アレンジして欲しいな。いつか着るためにデザインして
くれるよね」
 雪の海でプロポーズをしてくれたときに約束してくれた。材質や寸法はわからなくても、絵
にはできるからだろう。引越しをするのを伝えに眞一郎くんの部屋に行ったときに、私を描い
た一枚絵しか見ていないが、眞一郎くんの画力なら充分に可能だろう。
「そのつもりだけど、種類が多いな。映像や写真でもあまり注目していなかった。絵本作家を
めざしているなら、アンテナを張っておかねばならない。比呂美のには華美な装飾をせずに、
質素でありながら、極め細やかなのが良さそう。近づいて来たら、わかるような驚きがあるの
もいいかも。何らかの花言葉を元に刺繍をするのも一興だな」
 眞一郎くんは宙を見つめながら語った。男であるからウエディングドレスへの愛着がなくて
も、私の印象に合わせようとしている。
「水仙以外ならいいよ。花言葉は詳しくないから図書館で一緒に探そう。ふたりだけの秘密な
ので、学校の図書室は避けたい。買い物もしたいし」
 水仙は眞一郎くんが喩えてくれたが、自己陶酔になると私は否定した。唇を尖らしてから、
微笑んで新たな約束をしようとした。
「放課後に図書館へ行ってみるか。あまり利用していないから、借り方すら知らない」
「絵本作家をめざしていて、かなりまずくないかな?」
 私は顔を近づけて眞一郎くんの表情を窺う。
「あまり本を読んでこなかったな。ネタ切れしないように蓄積しておかないと」
 眞一郎くんは素直に反省していた。
「私ができることがあれば言ってね」
 ただ描いてもらうだけでは、ふたりだけの共同作業にならない。
「まずは俺自身の意欲を高めないとな。タキシードどころかスーツすら着たことがない。蝶ネ
クタイどころかネクタイも付けたこともない。うちの学校がブレザーだったら機会があった」
 男子は学ランであるためにネクタイを締めない。眞一郎くんは雑誌のタキシードに視線を落
としている。その前にモデルは二十歳以上が多くて私たちと同年齢ではなく、イメージが掴み
にくそうだ。私は眞一郎くんの絵を描くスタイルを把握していなくて、実感が湧かないと筆が
進まないのかもしれない。
「ブレザーだったら私もネクタイを締めていたのかも。マフラーのように眞一郎くんにしてみ
たかったな。お祭りのときのような扱いをされると首を絞めてみたりして。おばさんに言われ
ているの。ああいうときは、ひっぱたいてもいいって」
 悪戯ぽっく眞一郎くんの首に両手を置いて仕草をしてみる。目尻を下げて冗談であるのはわ
かるようにしている。でも少しくらいは恐怖を味わってもらわないと困る。
「コーヒーに塩を入れると言われているから、そうならないようにしないと。でもお互いに言
いたいことは言っておいたほうがいいかも。比呂美をスケッチしたいから、白いワンピースを
着てくれないか?」
 苦笑いを浮かべてから、私の頭から腰まで見下ろした。祭りの翌日に部屋へ誘ったときと同
じ服装をしていて、ピンクのセーターと白のロングスカートだ。眞一郎くんの視線は胸のあた
りでさりげなく戻っていた。そ知らぬ振りをして眞一郎くんからのアプローチに備える。あの
雑誌に書かれていて彼に先手を打たせるのだ。待ってみて全貌を晒させてから決断する。
「白のワンピースは持っていないし、着ていたらおばさんが卒倒していたと思う」
 眞一郎くんを見つめながら、結論だけを告げた。
「ないなら仕方がないな。でもお袋が卒倒する理由がわからない」
 眞一郎くんは不安げに見つめ返してきた。
「あの一枚絵で私は白いワンピースだったけど」
 かすかに語尾を弱めてしまった。また眞一郎くんと解釈が異なってしまっているようだ。私
が着られないなら、絵の中でも着せてくれていたと考えていたからだ。
「あれは比呂美が仲上家に来る前によく白いワンピースを着ていたからだ。それにあの絵その
ものが俺の理想だから、現実とは異なるよ。表情なんて特に今までになく穏やかに微笑んでく
れている。体型もよくわからないから白いワンピースでごまかしている。まともにじっくりと
比呂美を眺めている機会がなかったので、理想に頼ってしまっている。だから現実でありなが
ら将来を描くためにも、比呂美をスケッチしておきたいんだ」
 眞一郎くんは長々と絵に込めた想いを語ってくれていた。
 仲上家に来る以前の状態に戻したかったのだろう。あの頃はお互いがどう見ているかを関係
なく自然に接していた。だから朋与は私が眞一郎くんを好きだから仲上家でお世話になったと
思っていたのだ。でも逆に私たちは学校でも話さずに余所余所しくなってしまった。
「白いワンピースは憧れなの。おばさんだって着ておじさんと砂浜を歩いてデートをしていた
と思う。映画やドラマにある場面なので、してみたくなるから。それと白いワンピースはウエ
ディングドレスに似ているから、結婚式で着られない。だからおばさんは私が着ているとウエ
ディングドレスとみなしてしまう。私のその姿を見られると、おばさんは何かしてくるはず」
 丁寧に説明をしてあげると、眞一郎くんは小さく口を開けていたが、頷いてくれた。女の思
考を理解していなかったようだ。また私をくまなく眺めながら感心していた。
「今度の夏に着て欲しい。お袋は反対しないだろうし」
「連れて行ってね。すぐそこに砂浜があるけど」
 私は左に頭を傾けた。
「他の場所も行こう。夏休みは長いし時間があるだろうから」
「夏休みが楽しみ。あの四人が行った旅行先にも行ってみたい。冬だから白いワンピースが売
っていないかもしれないけど、どうしよう」
 さすがに夏服は店に置いていなくて、春物もまだだ。白いコートなら冬服の処分セールで安
くありそうだけど、ウエディングドレスには似ていなくて、流用はできないだろう。
「白いワンピースでなくてもいいから、比呂美を描いてみたいんだ。何か手応えがあったほう
が、うまくウエディングドレスを描けると思う」
 眞一郎くんは私の右手を握り締める。もう手に触れ合うのは抵抗がなくなりつつあるし、私
も慣れ始めている。
「描いたのを見せてくれるならモデルになる。でも夏まで待てないから代案を考えましょう」
 描くのは眞一郎くんなので、できるかぎり望みを叶えてあげたくはある。絵本なので変なの
はなさそうなので、安心はできそうだ。今度、美大でどういう勉強をするのかを調べておこう。
「もちろん見てもらうつもりだ。比呂美のことをもっと知りたいから」
 眞一郎くんは左手を私の左肩に回して抱き寄せようとする。予想外の出来事で私の顔は眞一
郎くんの胸元にある。両手を添えておいてどのようにも対応できるようにしておく。
「婚前交渉になるけど、絵本のためだよね」
 囁くように穏やかな声だった。意外にもかなり落ち着いている。眞一郎くんの言動に委ねら
れているので、心の底から安らいでゆく。今までのようにお互いに何がしたいのかわからない
状況から脱出しようとしているようだ。
「絵本は二の次で比呂美が好きだから」
 眞一郎くんには後頭部を向けている私に力説してくれた。私はすぐに顔を上げて眞一郎くん
から離れる。髪を垂らして目を伏せて呟く。
「やっと言ってくれたね。私が好きだって。私は眞一郎くんにちゃんと言っていたのに。竹林
でも最初に言ってくれると思っていた。絵本とか結婚とかよりも大事なのに」
 自分の台詞なのに冷たくて寒気がしてくる。長年、願っていたのが叶ったのに、先走りした
がる眞一郎くんを歯止めしなければならない。昨日にも言ってくれる機会はあったが、眞一郎
くんは口にしてくれなかった。
「乃絵に比呂美が好きだと言った。その後すぐに比呂美に言うわけにはいかない。それに好き
なんて言わなくても伝わっていると思っていた。好きなんてありきたりな台詞だから、芸がな
い。だから絵本の中では描いておこうと考えていた。それが最初でその後にいつでも言おうっ
て。でも絵本よりも比呂美が大事だよ」
 眞一郎くんはゆっくりと確実に伝えてはくれていた。いろいろと考えてくているのだけは、
理解できた。私は顔を上げて眞一郎くんを見据える。
「石動さんとの遣り取りを私は知らないし、必要以上に聞かされるべきではなさそう。それと
何でも芸に結び付けなくても、私にははっきりと好きと言って欲しい。手の込んだことをされ
ても、私はすぐに心配して不安になってしまうから」
 好きという言葉だけがあれば他に何もいらない。なければ付き合っていても、誰かに矛先を
向けて嫉妬してしまうだろう。おばさんが私につらく当たっていた理由の一つでもある。もっ
とも好きな人から愛情が伝わってこないと、世界が歪んでしまう。
「恋愛の場面を見ていても、好きと言葉にするのはありきたりと思っていた。王道だから視聴
者は感動できるのかもな。でも名台詞を作りたくなるし、俺たちには絵本があるから活用した
かった。本当のことを言う。ふたりでちゃんとできた証が欲しい」
 私を捕らえている眼差しには明確な意思が込められていそうだ。ただ性欲に駆られているだ
けではなさそうで、私の顔から視線を外そうとしない。
「優しく大切にしてくれる?」
 もう多くを語らなくてもいい。
「もし痛かったら、途中でやめてもいいよ」
 眞一郎くんは顔を赤らめて告げた。お互いに初めてだろうから最後までできるかわからない。
「祭りの翌日に眞一郎くんをここに誘ったときから覚悟していたので、大丈夫」
 私は微笑んで眞一郎くんを勇気づけようとする。私は耐えればいいけど、眞一郎くんはそう
ではない。意欲がないと正常な反応をしないかもしれないからだ。
「あのときはしなくて良かった。まだ付き合っていなかったから」
「あれから私は眞一郎くんと向き合おうと反省した。準備するからここで待っていてね。終わ
ったら、呼ぶので、それまでこちらを見ないで欲しい」
 眞一郎くんの両手を握り締めて約束を迫った。いつかあるかもと想像はしていた。このまま
すぐにだと心も準備ができていない。
「待っているから」
「うん」
 深く頷いてから立ち上がる。ロフトを上がって座る。
 ふたりとも初めてならどうすればいいのだろう。これから行うのが怖いわけではない。でも
うまくできるかが不安にさせられる。
 私は着ている衣服をすべて脱ぐ。きれいにたたんで端に置く。ピンクのタオルケットを身体
に覆って首と背中だけを出して座る。メガネをどうしようか迷うけど、視界は確保しておこう。
 右手を胸元に置いてみると、鼓動が早くなっている。
「いいよ」
「わかった」
 私の呼び掛けに眞一郎くんは応じた。すぐにロフトに上がって来る。
「何も付けていないの」
 眞一郎くんはかすかに驚いてしまう。私は眞一郎くんの楽しみを奪ったのかもしれない。
「気を遣わせてしまったな。手間取ると思うから助かった。俺も脱ぐ」
 眞一郎くんが言ってから、私は顔を背ける。たまに脱ぐための音がするので頬が熱くなる。
「あれを持っていない……」
 眞一郎くんは名前を言おうとしなかった。
「大丈夫な日だから……」
 必ずしも安全でないとはわかっている。でもこの状態のままで諦めたくはない。
「さっきまでこういうことをしようとは思っていなかった。ウエディングドレスを見ていると、
予想以上にややこしかった。だから何か実感できるものがあればと思って」
 眞一郎くんはためらいがちな口調だった。最後には視線を落としてタオルケットに覆われて
いる私の身体を見ている。このままではまったくわかりそうにない。
「そうだろうね。このために部屋に来たのなら、ぎこちなかったと思うから。でも雰囲気に流
されてしようとはしていないわ」
 私も俯いてしまうと眞一郎くんのが大きくなっているのが見えてしまって、慌てて顔を動か
して視界から外す。あれなら眞一郎くんは緊張して萎えないだろう。
「ごめん、隠すものがなくて」
「仕方ないよ」
 肯定してから眞一郎くんのほうを向くと、唇を重ねられる。すぐに離されてしまってから、
私は深く頷く。もう言葉はいらない。
 眞一郎くんは私の後頭部を支えながら、身体を倒してゆく。仰向けにされると、眞一郎くん
の顔が視界を占める。
「取るよ」
「うん」
 私は両手で胸元を隠してしまう。タオルケットがなくなると、身体中が冷やされるはずなの
に熱くなってしまう。眞一郎くんはじっくりと私の顔から足元まで視線を這わせているような
気がする。私は少しずつ両手を外してから、天井を見つめる。こうしているときにすべてが終
わるという話があるけれど、時間が停止したように長い。
「きれいだよ」
 やっと眞一郎くんが姿を見せてくれた。それだけでも闇から助け出されたように和らいでゆ
く。さすがに眞一郎くんが何をしているかを覗くのは恥ずかしくてできない。
「変じゃないよね……」
「そんなことはないけど、明かりが点いたままなのにいいのか?」
 眞一郎くんの問いに私は眉根を震わせる。
「もう遅いのに訊かないで。暗いと相手が眞一郎くんとわからなくなるし、できるだけ私のほ
うを向いていて欲しい」
 私の望みどおりにするかのように左の耳元に唇を付けてくれる。右手で私の身体に触れられ
ていて、撫でるように丁寧で心地良くなってゆく。身構えてしまう意思がなくなってゆき、眞
一郎くんにすべてを任せる。
「……」
 私は慌てて両手で口を抑える。今までに出したことのない声が洩れそうになった。
「声を聞かせて欲しいな。どうすれば比呂美にとって良いのか知りたいから」
 眞一郎くんは単なる好奇心ではなく、温和な笑みを浮かべてくれている。私は両手を放して
シーツを掴む。眞一郎くんの動作に対して素直に反応をするようになってしまう。

「また涙が流れていたな」
 横になって向き合っている私の左頬を眞一郎くんの左手で撫でる。
「やっぱり痛かったし、嬉しかったから」
 指を絡めている右手でも成功を伝える。
「身体のほうは大丈夫か? もう少しこのままのほうがいいかも」
 お互いの身体はタオルケットに覆われていて、顔をだけを出している。枕は一つしかないの
で使用せずに同じ高さでシーツの上にある。
「異物感があるけど、その内に慣れると思う。コンタクトレンズのときも、すごく痛かったの
に気にならなくなった」
 眞一郎くんは裸眼だけど、コンタクトをしている知り合いはいるかもしれない。他のことと
比較してあげて、眞一郎くんの心配を取り除いてあげたい。
「ちゃんとできたということかな?」
 眞一郎くんは額をくっつけてきて乾杯をするようだ。今度は唇を重ねて舌を絡めてくる。行
為の最中に何度もしていてお互いの舌を求め合う。息継ぎをするかのように放すと、瞳が蕩け
そうになる。ただのキスだけなのに名残が惜しくなってしまう。
「最後までできていたよ。コーヒーを入れるね」
 私は身体を起こすと、眞一郎くんも同じにする。はだけそうになる胸元をそっと隠す。
「コーヒーなら俺がするけど」
「私がしたいの」
 返事を待たずにタオルケットで身体を覆いながら梯子のそばに行く。眞一郎くんは視線を逸
らしてくれているので、降りて床に足を付ける。
「後で俺も行くから、バスタオルを持って来て」
「わかった」
 眞一郎くんもすぐに服を着ようとはしない。私は自分の身体なのに歩きづらくなっている。
 ロフトにいる眞一郎くんは何もない状態なのだろう。行為前に見たあんなのが私の中にあっ
たかと思うと、痛みを意識してしまう。箪笥の引き出しを開けてバスタオルを手に取って梯子
のそばに行く。
「はい」
 声を掛けると眞一郎くんが顔を覗かせて右手を伸ばす。視線は私の胸元にある。
「ちゃんとバスタオルを見てね。さっきさんざん見てたのに」
 軽く睨みつけた。こういうときがもっとも恥ずかしい。
「あれとこれとは違うし、そういう姿をされると思っていなかったから」
 眞一郎くんも顔を赤らめている。改めて自分の状況を思い浮かべると、下着を付けずにタオ
ルケットだけだ。何の反応もできずにキッチンに行く。湯を沸かせながらマグカップを用意す
る。コーヒーの粉を入れてから、砂糖も入れる。さっきまでああいうことをしていたから、コ
ーヒーの粉の黒を消したくなる。
 ふと背中に誰かの気配を感じる。今までにない堂々としたもので、ゆっくりと振り返る。
 眞一郎くんは目を細めてじっくりと私の姿を収めている。腰にバスタオルを巻いているとい
う不自然な格好ではあるが、私も似たようなものだ。
 やかんが沸騰して蓋が上下に動く音がする。
「一回転してくれ」
 眞一郎くんの言葉に逆らわずにタオルケットを押さえながら従う。
「ありがとう」
 にこやかに感謝してから、そばに寄って来る。私はガスを止めてから、お湯をマグカップに
注ぐ。ミルクを入れたら、スプーンで掻き混ぜる。
「俺が運ぼうか?」
「私のは自分で持ちたい」
「そのほうがいいかもな」
 眞一郎くんは自分のを持ってロフトの下に行く。やはりテーブルのそばにはいられない。私
も眞一郎くんの右横に寄り添って座る。眞一郎くんはマグカップに口を付ける。
「甘い」
 眞一郎くんは一言だけ洩らした。
「おばさんに甘いコーヒーを入れてあげるように言われていたし、今日の記念に」
 塩で怖がらせてばかりではなく、ごほうびをあげるように甘くすることをだ。
「でもこんなのばかり飲んでいると、糖尿病になる」
 飲んでいる私に訴えた。私はこぼしそうになる。
「さっきのは今回だけ」
 いつもあんなことをするように思われたくない。コーヒーはかなり甘くしすぎていて砂糖が
もったいない。何杯を入れたかも忘れてしまった。
「比呂美のその姿を見て思いついたんだけど、シーツをウエディングドレスに似せられないか
な? 俺は手先が器用だから、裁縫の練習をすればできなくはなさそう」
 まじめな顔つきで提案してきた。家庭科で眞一郎くんは得意げにしていたのを懐古する。
「私も裁縫はできる。バスケでジャージに穴を開けるときがあるから慣れているし、眞一郎く
んだけに見せるなら、少しくらい不恰好でもいいよね」
 さすがに衣服を作ったことはなかった。お母さんもバスケットボールのクッションを作って
くれただけだった。でもお互いが初めてでも協力し合えれば、ワンピースくらいはできるだろ
う。その前に私のサイズを教えることになりそうなのを悩んでしまう。
「シーツを買いに行こう。本格的に作ろうとするなら手芸屋かも」
「モデルなら、今すぐにでもなるから。ヌードでも……」
 まだ抵抗があって語尾を濁してしまった。でも瞳はまっすぐ眞一郎くんを捕らえている。
「気持ちは嬉しいけど、まだまともに比呂美を見られない。手元が震えていてうまく描けない
よ。美大ではヌードデッサンがあるけど、比呂美までそうして欲しいとは思っていないから」
 眞一郎くんは丁重に断ってくれていた。私を芸と別にしようとしてくれている。
 好きというのもこれから何度も言ってくれそうだ。
「でも私のほうからお願いするかもしれない。今は無理でも、いやらしいとかモデルの女性に
嫉妬とかではなくて。誰にも見せられない思い出としてなら」
「そのときがくればかな? それ以上は言えない。シーツは他にもいると思う。これから買出
しに行こう。重い荷物なら持ってあげる」
 眞一郎くんは顔中を上気させながらコーヒーを飲んでいる。その意味を考えてみると、よう
やく結論に到達できた。
「バカ!」
 頬を染めながら、涙が流れそうにもなる。
「だってさ、タオルケットを持って行かれると気づいたんだ」
「後で見ておくつもりだったのに。今は忘れていても」
「先に言っておいたほうが良かったし、買いに行くなら一緒に行きたいし」
 眞一郎くんはコーヒーを飲み終えたのか、テーブルの上にマグカップを置く。その後に私の
行動を待っている。私も一気に飲んで同じようにする。
「晩御飯は何がいい?」
「シ・チュー」
 眞一郎くんは私の後頭部を支えながら、私を床に倒す。両手を伸ばして眞一郎くんを受け止
めようとする。身体を重ね合ってから、お互いに動こうとしない。しばらくしてから唇を合わ
せて砂糖まみれの舌で同じ味を混じらせる。

               (続く)



 あとがき
 四人の過去や理恵子の闇が明らかになった状態です。比呂美は仲上家に何の憂いもなく受け
入れられるようになっています。執筆中の過去編がどの時期まで描けるかはわかりませんが、
結婚の承諾を得る家族会議の翌日という設定になっています。
 本当は理恵子と博が眞一郎に求めていた台詞を入れようと考えてはいましたが、ネタバレに
なるので却下しました。でも好きという台詞は今回が初登場になります。
 性描写についてはこれくらいなら、ラノベや少年誌に載せられると自己判断しました。具体
的な描写はないし、処女の比呂美視点なので感覚的にしてあります。
 ドラマCDが発売前でネタが被らないということもあり、時間が空いてしまいました。
 後日談のほうはこれで完結にできますが、乃絵や純、バスケ部なども登場させたくもありま
す。実は時系列で過去編である『過去と、現在と、将来と』と繋がる部分もあります。いつか
このSSの続きになりそうな場面を描きたいとは思っています。
 今後の予定はドラマCDの内容によって変化します。

  次回、『過去と、現在と、将来と 5 交錯する視線』
 重箱を持って踊り場に行く理恵子は、着物のことを千草に伝える。
 ふたりはお互いに誰かと特定せずに想い人がいるのを確認し合う。
 博はいつも理恵子と一緒に踊りの休憩をしていても、千草にも視線を向ける。

  後日談の次回は、未定で構想中。

 時系列
 第十一話放送前
 true tears  SS第十一弾 ふたりの竹林の先には
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/96.html
 最終話放映後の第十一話
 true tears  SS第二十弾 コーヒーに想いを込めて
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/245.html
 最終話以降の後日談 竹林の後
 true tears  SS第二十一弾 ブリダ・イコンとシ・チュー
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/275.html
 初登校
 true tears  SS第二十二弾 雪が降らなくなる前に 前編
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/287.html
 true tears  SS第二十三弾 雪が降らなくなる前に 中編
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/306.html
 true tears  SS第二十四弾 雪が降らなくなる前に 後編
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/315.html
 仲上家
 true tears  SS第二十五弾 過去と、現在と、将来と 1 恋人握り
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/326.html
 true tears  SS第二十六弾 過去と、現在と、将来と 2 白い結婚
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/345.html
 true tears  SS第二十七弾 過去と、現在と、将来と 3 親離れ子離れ
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/358.html
 true tears  SS第二十八弾 過去と、現在と、将来と 4 憧れの女性
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/381.html

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最終更新:2008年06月26日 01:54
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