memories1985 再会の少女


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「すいません。お待たせしてしまいました?」
「いや、俺が早く来すぎてるんだ。約束した時間より三十分以上早いよ」
 比呂志は笑いながらそう言ってくれたが、理恵子はなんとなく申し訳ない気持ちだった。
 比呂志が待ち合わせに早めに来るのはいつもの事であり、理恵子もかなり早めに来たつ
もりなのだ。それで先に待っているというのはいつからここに立っていたのか。
「じゃあ、チケットは・・・・?」
「もう買っておいた」
 比呂志はチケットを二枚取り出す。
「あ、ありがとうございます。じゃあ、お代を――」
「いいよ、それより、どこかで時間潰そう。まだ一時間くらい間がある」
 そう言って映画館の近所にある喫茶店に理恵子を連れて行く。コーヒーを注文し、時間
までたわいのない話しをする。
「ところでこの映画、どんな内容なんだ?」
「雑誌で見た記事だと、未来でロボットと人間が戦争していて、ロボットが人間のリーダ
ーの母親になる女性を殺す為にタイムスリップしてきて、それを護るために人間の戦士も
未来からやって来る、て書いてあったんですけど」
「あの筋肉の方が未来から来た正義の味方なのか?」
「ああ、いえ、あの人はロボット側の刺客だそうです」
 話の通じた理恵子が答える。
「人間を油断させる為に、外見は人間そっくりに出来ている、という設定なんだそうです
よ。ええと・・・・アンドロイド、という事だと思うんですけど」
「ああ、そういう事か」
 比呂志もようやく話が繋がってきた。世界の命運を握る戦いをそれぞれの代表戦士の闘
いに委ねる、神前決闘の様式を近未来SFで表現しているらしい。それとも囚われの姫君を
奪還する騎士物語だろうか?
 それから暫らく映画についての予備知識を理恵子から聞いていた比呂志は、
「しかし、よく調べたな。何も見ないでよくそれだけ説明できるよ」
「え?あ、その・・・・」
 理恵子はなぜか赤くなって、うつむいてしまう。
「ん?どうした?」
「いえ・・・・」
 理恵子は答えない。比呂志と映画を観るのが嬉しくて、雑誌の映画紹介を何度も読み返
している内に、全文暗記してしまったのだ。その記事にはヒロインと人間の戦士の間にロ
マンスもあると書かれており、ほんの少しだけだが比呂志が自分を意識してくれないかと
期待もしていた。
 だが、理恵子は同時に、比呂志にそういう意味での鋭敏さを期待できない事も承知して
いた。彼女の目の前にいる幼馴染にして父の勤め先の跡取は、不思議そうな顔をして彼女
を見ていた。
「・・・・よかった、機嫌直してくれた」
「はい?」
「いや、俺が早く来すぎたせいで余計な気を遣わせたみたいだから、悪い事したなと思っ
たんだ。せっかく面白そうな映画を観るのに、落ち込んだままじゃもったいないなと思っ
てさ」
 それでも、こうして気を遣ってくれる。差し当たり、これで十分だと理恵子は思った。



「・・・・うん、面白い、映画だった、なあ」
「・・・・そ、そうですね」
 映画館から出てきた二人は、ぎこちなく言葉を交わした。
 映画は確かにロマンスがあった。ただし、濃厚なベッドシーンつきとは雑誌にも書いて
いなかった。
「ああいうシーンがあるなんて知らなくて・・・・」
「まあ、必然性はあるシーンだったわけだし、あれについて書けば種明かしになるから書
いてなくても不思議はない」
 理論立てた慰めはつまり、「いいシーン」と言えばまたおかしな空気になるからである。
「・・・・しかし、あのしぶとさと言うか、執拗さはなかなか怖かったな。ホラー映画に通じ
るものがある」
 比呂志は話題を転じた。二時間近い映画の、たかだか二、三分のシーンで、会話がぎこ
ちなくなるのもおかしい。
「叩いても叩いても立ち上がる、というのが、敵に回るとああも不気味なんだな」
「そうですね」
 映画館にはあまり女性客はいなかった。男の一人客が多く、それは今自分と一緒に出て
くる姿を見ていてもわかる。口をへの字に曲げ、必要以上に胸を張って歩いていく男の一
人客が映画館から多く吐き出されていた。
 理恵子はそっと比呂志を見る。
 しかめ面に見えないこともない。だが比呂志は元々こういう顔つきであり、別に映画の
影響を受けたというわけでもないようだ。
「どうした?俺の顔に何かついているか?」
「いえ」
 理恵子は笑ってごまかした。
「どこかで昼でも食って、それから帰ろうか」
「はい」
 喫茶店などはどこも満席だった。二人はファーストフード店に入る。
 本音を言えば比呂志はファーストフードが苦手だった。味が濃すぎ、値段も量の割りに
は安いとは言えない。しかし、同級生と遊ぶと高確率でこういう店を利用するため、表向
きは何も言わないでいる。
 理恵子に表に待たせ、行列に並んだ。当然ここもかなりの混雑である。
「ハンバーガーにアップルパイ、期間限定のバナナシェイク・・・・」
 理恵子の注文を頭の中で反復しておく。どうせハンバーガーだけ買う客なんてほとんど
いないのだから、AセットとかBセットとか作ってくれれば楽なのに、と、つまらない事を
考えながら並んでいた。それじゃ定食みたいか。
「あ、仲上先輩」
 胸元からいきなり声をかけられ、比呂志は現実に立ち戻った。下を向くと、自分のすぐ
前に並んでいた少女が、自分を見上げていた。長い黒髪と、青みがかったような瞳が印象
的な少女――。
「ああ、君はこの前の、ええと――」
「小金山です。小金山香里」
「すまない、すぐに思い出せなかった」
 比呂志は非礼を詫びたが、香里は気にしていなかった。
「一度会っただけですから、それが普通ですよ。仲上先輩は有名ですけど」
 比呂志は軽く笑って受け流した。
「先輩もこういう所に来るんですね」
「うん、まあ、映画観てたらどこも入れなくなってね」
「映画ですか、私もです」
「小金山さんも?意外だな」
 香里があんなB級アクションを観るタイプには見えない。デート相手の趣味だろうか?
「あ、この前始まった映画じゃないですよ。春休みに見逃したのが、一週間だけ再上映さ
れるから、それを観てたんです」
「なんだ、そういう事か」
「友達誘ったんですけど、みんな春に観たって付き合ってくれなくて・・・・一人で観てまし
た」
 香里は少し不満げに言った。
 理恵子は店の外で、比呂志が戻って来るのを待っていた。
 長身を水色のワンピースで包んだ理恵子は、ただ立っているだけでも人目を引いた。男
から声をかけられないのは、場所も服装も男を待っている事が確実だからであろう。
「まだかな・・・・」
 理恵子は時折立ち上がって店内を覗っていた。何度目かの時にようやく比呂志が戻って
来る姿が見えた。笑顔で手を挙げ、迎えようとして――動きが止まった。比呂志は、一人
で戻ってきたのではなかった。
「悪い、思ったより混んでいた」
「え?あ、いえ・・・・」
 曖昧に返事をしながら、比呂志と共に来た少女を見る。
「どうした?」
「それじゃあ、先輩、私はこれで」
「ああ、気をつけて」
 少女は理恵子にペコリと頭を下げ、立ち去って行った。長髪が風でかすかに揺れていた。
「・・・・今の方はどなたですか?」
「ああ、一年の、小金山さんだ。この前、レコード屋で会ってな、たまたま、列の前に並
んでいた」
「・・・・一年の。そうですか」
「知っているか。学校の外で、俺に会うと、願い事が叶うんだそうだ。お前や、湯浅はさ
ぞかし、色々な願いが叶っているだろうな」
 語尾に笑いが混じった。
「公園で、食べようか。もうどこも人で一杯だ」



「あら、比呂志。また出かけるの?」
 階段を降りてきた比呂志に彼の母が声をかけた。
「ガレージへ行くだけ。ちょっと気分転換に」
「あんた、気分転換ばっかりやってない?ちゃんと勉強はしてるの?」
「心配いらないって」
 そう返事して離れにあるガレージへ向かう。車は母屋のガレージで納まっているため、
使われていなかったものだ。
 比呂志の父の友人が、経営していたジャズ喫茶を閉店する際、店内に置かれていたドラ
ムセットを父が引き取り、ここに置いたのだった。
 比呂志が八歳の時の話である。それ以来、このガレージは彼の秘密基地となった。
 ドラムに対峙し、スティックを振るう。我流だが、スピードも正確性もかなりのレベル
である。この十年、特に他の趣味もないままドラムを叩き続けた成果である。
 今日は悪くない一日だった。リコのおかげで久々に街中を散策できた。
「・・・・だから、縁起物みたいな扱いになるんだろうな」
 比呂志は苦笑した。もしかすると、学校で自分がもてているのも珍獣捕獲のノリがある
のかもしれない。
 実際、単に有名人が同じ学校に通っているから、という程度のものだろう事は自覚して
いた。比呂志という人間を知っているならば、一緒にいて退屈しない人物でない事はすぐ
に気付かれるだろう。
 その意味で、中学から六年の付き合いになる湯浅や、ほとんど物心ついた頃からの幼馴
染である理恵子は、奇特な人種なんじゃないだろうか。特に理恵子は、昔から映画だ、催
事だと比呂志を連れ出してくれていて、ややもすると世間から取り残されそうな彼が乗り
遅れないよう手を引いてくれていた。
「そのうち、リコにもなにか礼をしよう」
 お年玉を下ろすほど高価なものでなくても、感謝の気持ちを表わせるようなプレゼント
でも買ってあげよう。何を贈るべきか、全く見当もつかないが。



 理恵子は自分の鏡台の前で、風呂上りの髪にドライヤーを当てていた。
 ふと思いつき、両手を下ろして鏡に映る自分の髪を見る。ポニーテールをほどいている
が、それでも肩の少し下で終わっていた。
「もっと長い方がいいのかな・・・・」
 例えば昼間見たあの少女のように。さらさらとした黒髪が腰のすぐ上まで伸びた、理恵
子の目から見てもきれいなロングストレート。男というのは、やはりああいう髪の方が好
きなのだろうか。
 今までにも比呂志が他の女子と話している姿は何度も見てきた。告白シーンに遭遇した
事も一度ではない。自然体で、常に相手に正対する比呂志の誠実さが、理恵子は好きだっ
た。
 だが、今日の少女を見た時、いや正確には少女と歩いてくる比呂志の姿を見た時、今ま
でに感じた事がない感覚があった。
 不安、怖れ、予感、――嫉妬。そのどれもが当てはまり、同時にどれもが的確な言葉で
はないような感覚。なぜ今回に限ってそう思ったのかもわからない。ただ、今までと違う
と感じた。
 理恵子は首を振った。考えすぎだわ、たった数秒の光景で。たまたま最近連続で顔を合
わせたから、店を出るまでの間言葉を交わしていた、それだけの事じゃない。
 それに、と理恵子は自嘲気味に笑みを浮かべた。私は比呂志さんが誰と付き合おうと何
かを言える立場じゃない。私は幼馴染で、妹分みたいなものだ。比呂志さんはそれ以上に
は私を見ていないし、私もそれ以上を望んでいない。どうせ何年か先には、しかるべき女
性とお見合いをして、その女性と結婚するのだ。それ以上を望む意味がない。
 もう寝よう。考えても暗くなるだけだ。理恵子は明かりを消した。



「お、空いてる空いてる」
 そう言いながら湯浅眞治は「階段ベンチ」の一角に腰を下ろし、購買で買ったパンを取
り出した。
 遅れて比呂志も隣に座る。
「比呂志、お前弁当のおかずは?」
「多分、サツマイモの煮物とひじき、それに塩鮭焼いたのが入ってる」
 昨夜のおかずを思い返しながら答える。
「サツマイモくれ」
「ご自由に」
 弁当箱を開くと、比呂志の予想通りの中身が詰められていた。
「で、あれから考え直してくれたか、あの話?」
「・・・・どの話だ?」
「本気で忘れてるのか。文化祭でライブやろうって話しただろう」
「本気だったのか、あれ?」
「本気も本気、大まじめだよ、俺は。お前とリコちゃんがいれば上位は狙えると、俺は確
信しているよ」
「俺のドラムなんて、他人様に聴かせる代物じゃないよ。大体、何故お前はリコを引き入
れようとするんだ?」
「何故って、そりゃ・・・・知らないのか、リコちゃんは男子からの人気高いんだぞ?」
「そうなのか?」
 知らなかった。
「ああ、大人気だ。うちのクラスにも五、六人はリコちゃんのファンがいる筈だ。美人だ
し、控え目ででしゃばる事をしないし、何よりも恋人がいない事がはっきりしている」
「なんで言い切れるんだ?」
 湯浅は何か言いたげに比呂志を見ていたが、結局何も言わず、ただ、
「お前以外から見れば、誰が見てもわかるんだよ」
 とだけ言った。
 二人で昼を食べながら、なんとなく周りを見渡す。六月も終りに近づくこの時期は、一
年生が自分の居場所を確保し始める時期でもある。去年までの三年生が抜けた場所を、初
々しさの残る顔が埋めていく。湯浅も比呂志と同じ感慨を抱いたのだろう。
「来年はこの場所も新入生が埋めていくんだろうな」
「だろうな」
「世の中、人がいなくなってもすぐに代わりで埋まるもんだな」
「陰気な言い方するな。弁当が不味くなる」
「比呂志、お前だけは俺を忘れないでくれよ」
「わかった、わかった」
 比呂志も、湯浅も、予知能力など持たない。単純に性質の悪い冗談である。少なくとも、
比呂志はそのつもりだった。
 その時、比呂志の視界に見覚えのある黒髪が入ってきた。
「ん、あれは――」
「なんだ、なんかあったか?」
 湯浅も比呂志と同じ方角を見る。
 小金山香里は一人で昼を食べる場所を探しているようだった。右に歩いたかと思えば、
回れ右をして今度は左。くるっ、くるっと方向転換をする度に髪が揺れるのがなんとなく
ユーモラスだ。
「お前のファンの一人か?」
「ファンではないと思うが、知ってる子だ」
 そう言うと比呂志は香里に向かって声をかけた。
「小金山さん、誰か探しているのかな?」
 その声に香里が振り返り、比呂志を見つけて意外そうな顔を見せる。比呂志の後ろでは
湯浅が目だけを動かして比呂志を見たが、これは誰にも気付かれる事はなかった。
「仲上先輩。最近よく会いますね」
「そうだな。で、誰を探しているかな?」
「いえ、誰も探してないです。食べる場所を探してただけで」
「なら、ここに来ればいいよ。俺達はもう食べ終わったから」
「でも、いいんですか?」
 湯浅のほうを見ながら確認する。
「大丈夫。気にしないで」
 湯浅も笑って腰を上げた。
「ありがとうございます、ええと――?」
「湯浅。湯浅、眞治」
「ありがとうございます、湯浅先輩。小金山香里です」
「香里ちゃんか。いい名前だ。小金山は呼びにくいから名前で呼ぼう」
 初対面の相手に図々しく言って、湯浅は不躾な質問を口にした。
「でも、珍しいな、女の子が一人で昼なんて。もしかして友達と喧嘩でもした?」
「おい、湯浅――」
「あ、そうじゃなくて、今日は友達が休みなんです。私、クラスで流行にについて行けな
い事が多くて。音楽も日本人はぜんぜん知らないし」
「そう言えばレコードも海外のロックだったね」
「はい。でも、通じる人が少なくて・・・・好きすぎてギター買ったくらいなのに」
 湯浅が反応した。
「ギター!?香里ちゃんギター弾けるの?」
「え?まあ、弾けるって言っても、真似事程度ですけど」
「ね、バンドって、どこのファン?」
 香里はいくつかの名前を挙げた。
「比呂志、4人目決まったぞ!」
 振り向いた湯浅は、嬉しそうにそう言った。



「バンド・・・・ですか?」
「そう。十月の文化祭に向けて、今から練習すれば間に合うから」
 湯浅はこの前比呂志と理恵子に話した事を、ほぼそのまま香里にも話して聞かせた。比
呂志にとって意外だったのは、香里が乗り気に見える事だった。
「でも、私、弾けるって言っても上手くはないですよ?」
「大丈夫、大丈夫。そんなの俺だって比呂志だって変わらないから」
「おい、俺はまだ――」
「仲上先輩も何か楽器弾けるんですか?」
 香里の声が跳ね上がった。
「い、いや、まあ、出来るというか・・・・」
「そいつ、家に自前のドラムセット持ってるんだ。ガレージひとつ占領してるってよ」
 俺も見たことはないけどね、と湯浅は付け加えた。
「ドラム持ってるんですか?凄いです」
「・・・・まあ、親父の知り合いから貰った、お下がりだけど」
「でも凄いです。私、ドラムセットなんて間近で見たことなんてないですもの」
 香里の目が何かの期待で輝いていた。比呂志は何か言いかけていたが、香里の目に押さ
れて目を逸らし、暫らく沈黙した後、観念したようにこう言った。
「・・・・・・・・見に来る?」
「いいんですか!?」
 湯浅の目が、はっきりわかるほどに見開かれた。だが、それに気付いたのは彼自身のみ
だった。
「うん、そんなに、面白いものでも、ないけど、見てみたいなら・・・・」
「見たいです!凄く見たいです」
「なら、帰りに、うちに寄ってくれていい。別に、こっちは構わない」
「はい。じゃあ、放課後にお待ちしています」
 屈託のない香里の笑顔。しかし湯浅はそれを見る比呂志の横顔を複雑な表情で見ていた。



 階段を降りていた理恵子は、玄関で比呂志と湯浅の姿を見つけ、声をかけようと手を挙
げかけ、途中で動きを止めた。
 比呂志の前に、あの少女がいた。
 何を話しているのかは聞こえない。比呂志の表情も、ここからは死角になっている。そ
れでも理恵子には、比呂志がどんな顔貌で少女と話しているか、想像できた。それは確信
に近かった。
 理恵子は目を閉じ、深呼吸して、それから階段を降りて比呂志に声をかけた。
「仲上さん、もうお帰りですか?」
「ああ、今日はこれで帰りだ」
「リコちゃん、これから比呂志のドラムセットを見せてもらうんだ。一緒にどうかな?」
 湯浅が理恵子を誘う。
「ドラムセット?今からですか?」
「バンドメンバーにこの香里ちゃんを誘ったら、まずドラムが見たいって話になってね。
リコちゃんも自分が参加するバンドの設備くらいは見ておいたほうがいいでしょ?」
「バンドって、まだ私は・・・・この人が参加するんですか?」
「小金山香里です。この前お会いしましたよね?」
「え?ええ・・・・石川理恵子です」
「俺はまだ、バンドをやるとは言ってないぞ。勝手に話を進めるな」
「まあ細かい事はいいじゃないか。ね?リコちゃんも行こう?」
「・・・・ご迷惑じゃないですか?」
 比呂志に向けて訊いた。
「二人も三人も変わらない。久しぶりに、来いよ」
「それではご一緒させていただきます」
 比呂志も頷いた。
「それじゃあ、行こうか」
 比呂志を先頭に、学年も性別もばらばらな四人が歩いていく。二番目に香里、その後ろ
に湯浅が続き、理恵子は最後尾を歩いていた。
 途中、湯浅が隣に来て、
「リコちゃん、すまない」
 と謝ってきた。いつも笑っている湯浅が、この瞬間は笑っていなかった。
「バンドなら私は入りませんから、謝る必要はないですよ」
「いや、バンドの話じゃなくて・・・・」
 湯浅は言葉を続けようとしたが、途中でやめた。その代わりもう一度
「すまなかった」
 とだけ言って、香里を追い越し、比呂志の隣に並んだ。
 前に男二人が並ぶと、香里は速度を落として理恵子の隣に来た。
「石川先輩、あの――」
「先輩なんて、呼ばないでいいわ」
「えっと、それじゃあ・・・・石川さん?」
「それでいいわ。何かしら?」
「石川さんも、何か楽器を弾けるんですか?」
「・・・・いいえ、無理。小学校の頃にピアノを習った事はあるけど、すぐにやめてしまった
から」
「じゃあ、石川さんがボーカルになるんですか?」
「ボーカル?ああ、バンドの話ね。私はやるなんて言ってないのだけど」
「そうなんですか?仲上先輩もそう言ってましたけど」
「要するに、湯浅さんが一人で張り切っているのよ」
 理恵子は苦笑して見せた。
「でも、湯浅先輩の気持ちもわかるなあ。せっかくギターの練習しても、誰にも聴かせら
れないし、バンドを組みたいと思っても、こんな田舎じゃ都合よく見つかる事もないし。
そんな時にドラム叩ける同級生がいたら、誰でもこういう夢を見ますよ」
 夢どころか、賞金目当ての俗まみれな動機なのだが、理恵子は黙っておく事にした。
 比呂志の家に着くと、まず比呂志だけが先に入り、母親の承諾を取った。
 それから三人も門をくぐり、中庭を抜けて、離れにあるガレージに入った。
「ここかあ」
「足下に気をつけて。結構、散らかっているから」
 理恵子はガレージの中を見回した。小学校に入学した頃、ここには来た事がある。足が
ペダルに届かないまま、リズムもなにもなくただドラムを叩く比呂志の姿を覚えている。
(こんなに狭かったんだ)
 天井はこんなに低かっただろうか。入り口からドラムまでは、もっと距離があったよう
な気がする。何気なく手を置いた台が、昔頭をぶつけたテーブルだと気付いた時、時の流
れの速さを思った。
「へ~、結構広いなあ」
 湯浅が率直な感想を漏らす。彼の頭の中では、ギターその他の機材を持ち込んでの練習
風景が思い描かれているのだろう。
 香里はドラムの実物に興味津々と言った様子で、周りをうろうろと歩いていた。
「そんなに、珍しいかい?」
 比呂志が問いかけたが、香里は直接に答えることはせず、代わりにこう返した。
「とても、きれいにしてますね」
 大事にしている、と言いたいのだろう。その通りだった。古びた、誇りっぽいガレージ
の中で、そこだけはきちんと手入れされていた。
「防音はしてあるのか?」
 湯浅が訊くと、比呂志は当然というように
「ああ」
 とだけ答える。比呂志がドラムに興味を持ったため、彼の父が業者を呼んで工事をした
のだった。
「叩いてみていただけますか」
 香里が言った。
 理恵子は自分の身体が硬直するのを感じた。比呂志の様子を窺い、彼が返事するのを待
った。
「聴かせられるような代物じゃないよ。それに、俺はジャズのナンバーしか憶えていない」
「それでいいです。聴かせてください」
 香里が改めてお願いした。透き通った、曇りのない瞳。その瞳が比呂志を正面から捉え
ていた。
「・・・・少しだけなら」
 比呂志がスティックを手にドラムに向かう。二、三度軽く叩いた後、本格的にリズムを
刻み始めた。
 '60sのジャズナンバーだ。理恵子は比呂志がこれをカセットに入れて普段から聴いてい
る事を知っていた。ドラムだけなので知らない者が聴いても何の曲か、そもそもどのジャ
ンルに属する曲かもわからないだろう。それでも、リズムの正確さ、スピードは音楽を実
際に演奏する人間には伝わる。比呂志という人物そのままの、几帳面で、秩序を重んじる
演奏だった。
 演奏が終わった時、誰も何も言わなかった。比呂志が少し恥ずかしそうに
「だから、聴かせるような代物じゃないと、言っただろう」
 と言うと、香里が
「凄いです、格好いいです」
 お世辞でないのは確実だった。湯浅も
「悪い、比呂志、俺が思ってたよりはるかに上手いわ」
 理恵子の方を見て
「な、リコちゃんもそう思うだろ?」
「私は、あまりよくわからないので・・・・」
 理恵子は曖昧にごまかした。実際によくわからないのだが、比呂志はもう、自分の感想
を必要としていない事がわかっていた。
「仲上先輩、バンド、やってみませんか?」
 香里がはっきりと、そう誘った。
「いや、だから聴かせるつもりは――」
「もったいないです、先輩。そんなに上手なのに、一人で演奏するだけなんて。リズム楽
器は、歌やメロディー楽器と合わせた方が絶対にもっと映えるんです」
 比呂志は黙っていた。香里の意見の、少なくとも後半部分を正しいと認めざるをえない。
「このドラムセット、昔はどこかのジャズ喫茶にあったんですよね。だったら、皆に聴い
てもらったほうが、この子も喜ぶと思います」
「・・・・・・・・上手い事を言うね、君は」
 比呂志は穏やかに笑った。理恵子は目を閉じていた。見たくないものを見ないように。
「リコ、すまない。抜け駆けするようだが、ちょっと、湯浅の悪巧みに加担してみる」
 理恵子は息を吐き、目を開けた。出来るだけ明るく、心を知られないように。
「私も混ぜていただけますか?同じ阿呆なら、ていう言葉があるでしょう?」


                了

ノート
比呂志は待ち合わせで女の子を待たせるのは恥だと、相手より10分早く来て待っていようとしています。
ところが、比呂志を待たせては失礼と考える理恵子も時間前に来ようとするため、今では二人で早起き競争のようになっています。
1985年当時はまだバリューセットなんて物もなく(39セットが1987年)、ファーストフードは決して割安な食べ物ではありませんでした。
ターミネーターは公開当時、実際に映画館から出てくる男性客がみんな胸張ってしかめ面してて、爆笑した覚えがあります。
あと、中学や高校の頃、デートで見た映画にベッドシーンが出てくると妙に後がぎこちなくなるもどかしさが懐かしくてこの映画みせようかなと。
ちなみに香里が見た春休み映画のリバイバルは「ネバーエンディングストーリー」です。

湯浅眞治について
比呂志に比べて軽い印象がある本シリーズの湯浅。厳密に言うと軽いというより「饒舌で人当たりがいい」人物として意識しています。
堅物で寡黙な比呂志の親友足りえる人柄で、三代吉とも、眞一郎とも違う個性として考えています。
また、彼は常に笑っています。本人だけが知る理由があっての行為です。イメージとしては映画「ココニイルコト(2001)」の境雅人がモデルです。

比呂志父について
ジャズ喫茶経営の友人がいたり、息子の為にガレージ改装したりと、出番がないのに何気にトンデモな比呂志父
今後も出番はありませんがプロフィールは作ってあります
 昭和7年生まれ。戦後ジャズに傾倒し、高校を中退して家出、横浜でジャズバンドのバンドボーイとなって米軍キャンプなどを巡る
 26歳の時、父倒れるの3行広告(実際は嘘)にだまされて帰郷、強制的に杜氏の修行を開始
 33歳、13歳年下の県内の造り酒屋の娘と見合い結婚。2年後に比呂志が誕生。結婚後は遊蕩もやめ、家業に勤しむ
 比呂志の育児教育にはほとんど関与していないが、眞一郎は溺愛しており、幼少時の眞一郎と比呂美を鎌倉まで連れて行ったりもしている
 2002年に70歳で死亡
 自身の放埓な人生からか、比呂志が家業以外の道を選んでも反対しないと決めていた。比呂志は眞一郎誕生後に父からこの言葉を聞いている
 この事が、後に眞一郎の絵本作家の道を応援する萌芽となる

true MAMAN4本目書いてる時にひろしの性格考えるのにその両親から考えていたらこんな人が出てきた。
キャラクターの性格を決めていく時、そのキャラの家族についても設定していく事はよくやります(そんなに詳細ではありませんが)
そうしておくと、キャラを芯をぶれさせずに行動の幅を広げられるのでらしさを保ったまま自由度を上げられます。
問題は、10人のキャラを作るのにプロフィールが40人以上になるという・・・・w

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